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●京都大宮高辻 Live&Salon「夜想」にて、『ザッパロウィン 25』BWANA
の間の 人生に似る 妙音の 調べ愛しき 今や浸りし」、「知る人ぞ 知ること知らぬ 人多き 知らぬが仏 南無阿弥陀仏」、「いっぱしの 大人になりて 風を切る 肩に烏が 水糞落とし」、「替え歌を さらに替えての 無邪気には 世相風刺の 毒気が混じり」
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今年のザッパロウィン、最初の筆者のトークは今年のザッパの新譜3点についてであったが、『OSFA50』のみ実物のアルバムを持参しなかった。先日投稿したように、『HALLOWEEN 78』の仮面つき箱入り5枚組CDの到着がぎりぎり間に合い、CDが挿入されている革装の黒い本も持参したが、会場にいた人たちはその実物を見るのはたぶん初めてではなかったか。その意味でもトーク・ショーの意義がわずかにあったと思いたい。今年のザッパの新譜に関してはブログに投稿しておらず、考えをまとめていないが、BWANAもザッパニモヲもレパートリーは73,4年のザッパ曲を中心にしているので、それから半世紀ほど経った現在、このふたつのバンドのカヴァー演奏から日本におけるザッパ人気の核心が垣間見える。ただし、BWANAのリーダーでギタリストの紫さんは筆者と同世代でザッパのLP時代の新譜をリアルタイムで聴いているのに対し、ザッパニモヲをまとめているレザニモヲのくろみさんはドラマーであり、ザッパのギターや他の楽器のメンバーに対する思い入れはさほどでもないだろう。その点がこのふたつのバンドの違いのひとつの理由になっている。つまり、BWANAはザッパとそのギターを強く意識したバンドで、その点でなるべくザッパ曲を忠実にカヴァーする方向にある。しかし、英語で歌えるヴォーカリストがいない、あるいはいてもハードルが高いこともあって、ザッパの歌詞をなるべく忠実に日本語訳して歌うのではなく、全く別の歌詞で歌っている。たとえばザッパニモヲも演奏する、セックスに抵抗のない軽い女を意味する曲名の「イージー・ミート」は、その発音が「泉」に聞こえるところから、その言葉を中心に日本語の歌詞を組み立てている。ただし、書かれた歌詞を読んでおらず、また実際の演奏では楽器の音色に耳が引っ張られて歌詞の意味までは頭に入って来ないのは、楽器音に紛れて聴き取りくにいからでもある。ついでに書いておくと、「イージー・ミート」の題名を歌詞で繰り返す下りでは筆者は昔から「いじめ」の言葉を連想するが、その言葉を中心に新たな日本語の歌詞を書くことも出来る。このように、ザッパの歌詞については日本のバンドのカヴァー演奏では自由に日本語に置き換える考えがある。それが日本語を理解する欧米のザッパ・ファンがどう捉えるかの声は実例を聞いておらず、賛否のほどはわからないが、ザッパの曲の歌詞を深く理解して適切な日本語に移し替えることは至難の技であるから、BWANAの替え歌行為はひとつの個性としてそれなりに楽しみたい。
●京都大宮高辻 Live&Salon「夜想」にて、『ザッパロウィン 25』BWANA_d0053294_17342616.jpg
 今回も演奏された曲として「グリーン・ジーンズ氏」がある。ザッパはこの曲を最初はスロー・テンポの歌詞つきで発表し、その後すぐに演奏速度を倍ほどに上げ、歌詞を省き、長大なギター・ソロ曲として録音した。それは「グリーン・ジーンズ氏の息子」と題されたが、ザッパのギターを愛聴する人は同曲をザッパのギター曲のベスト10に含むはずで、それほどにどこまで即興でどこまでが楽譜に書かれたメロディなのかが判然としないほどに物語的起伏に富む。BWANAはその「息子」ヴァージョンに新たな日本語の歌詞をつけている。やはり歌詞をじっくり聴き取っていない筆者はその全貌を知らないが、元のザッパの歌詞とかなり違うものではないかと想像する。というのは「グリーン・ジーンズ氏」の歌詞は野菜嫌いであったらしいザッパの食事に対する思いから、その残飯を含みながらチャップリンの映画を思わせるように靴を食べる話につながり、やがてゴミ回収車とへイメージが変化し、環境問題と人間の健康に関してその最初期の活動からザッパが強く関心を持っていた事柄との関連すなわち「概念継続」が明らかに見られるところに面白さがある。もっと言えば超現実主義的歌詞に見えながら、ザッパは無作為に抽出した出鱈目なイメージを強引に結びつけず、自分の食事の好みを棚上げしながら、つまり野菜は健康に大事な食べ物であることを理屈では知りながら、肉以外のものをうんと食べろと母から育てられたことに対する恨みが透け見えている。歌詞に肉が登場しないのは、同曲を収めるアルバムの題名が「肉おじさん」であるためとも解釈出来るが、以上のようにザッパの歌詞は曲のメロディとは別に他の歌詞と密接に関連していて、それを意味の異なる日本語の歌詞に置き換える場合、その曲単独で閉じているのかどうか、他の日本語で歌うザッパ曲とつながりを意識した歌詞を意図しているのかどうかで、日本語を理解する欧米の熱烈なザッパ・ファンからはザッパ世界の理解度を判断され、またどのように面白がられるかの格好の材料になる。ザッパニモヲはヴォーカルのジョーが英語で歌うので何ら問題は生じないが、日本語で歌う場合、ザッパの歌詞が楽器の演奏とは無関係に深く楽しめる場合があることをどこまで意識するかが問われる。「イージー・ミート」から「泉」や「いじめ」の日本語を連想するとして、残りの日本語の歌詞がザッパの表現したかったことをどれほど理解して含蓄のある日本語の歌詞を構築出来るかであって、それは新たな創作行為だ。しかしそこにひとつの難題が横たわってもいる。ホルストが生きていれば許さなかったはずだが、著作権を所有していた妻が亡くなった後、ホルストの名曲『惑星』からその「木星」に勝手な日本語の歌詞をつけて有名になった女性歌手がいる。その行為はオマージュとの言い逃れも出来るが、結局はクラッシク音楽は無断使用が可能という建前だ。
●京都大宮高辻 Live&Salon「夜想」にて、『ザッパロウィン 25』BWANA_d0053294_17345714.jpg
 歌詞の解釈は楽器演奏にも言い得る。「グリーン・ジーンズ氏の息子」はザッパの猛烈なギター練習と奇跡が合わさって得られた録音で、そのことをザッパのギターを愛好する人はみな同意するだろうが、同曲のギター・ソロを忠実にカヴァーするギタリストの演奏YouTubeに投稿されている。ザッパのように余裕が見られないところが難点だが、音に連なりだけ聴けば完璧なコピーとはひとまず言える。そこで思うことは、忠実なコピーが出来る技術は見上げたものだが、それを基礎になぜそうした名曲に比肩するオリジナル曲を目指さないのかとの疑問だ。それを本当の創作と呼ぶが、クラシック音楽の著名な演奏家でも創作の才能のないことを自覚し、それほどに名曲とは音楽の才能が溢れるほどにあっても手の届かないところにある。では、BWANAが「息子」ヴァージョンに日本語の歌詞をつけて演奏することはどうか。ザッパは「息子」ヴァージョンをスタジオで録音し、編集後にアルバムに収めたが、その後のコンサートでは同曲のようなギター・ソロを披露しなかった。出来なかったと言い変えてもよい。BWANAが演奏するのは、ザッパのそうしたバンド・ヴァージョンを範として日本語の歌詞を添えたアレンジで、紫さんのギターはザッパの奇跡的な録音を模倣する立場にない。それは前述のギタリストのような完全コピーの技術がないと言える面があるが、それをしても仕方がないとの思いが勝っているからだ。ここにザッパ曲をカヴァーする人のさまざまな考えが露呈していて、ザッパのCDを愛聴することとは別に、その愛聴からザッパ曲やザッパの考えをどう解釈するかという楽しみが生まれ、筆者のように言葉であれこれ考える者や、演奏してザッパの神髄に迫ろうとする人がいる。その両者の交流の場としてザッパロウィンが機能するとすれば、それはザッパに対するオマージュであり、また日本ならではの「ザッパ学」とでも言えるものに対する今後の寄与になるのではないか。今回BWANAは「ファインド・ハー・ファイナー」を演奏し、やはり日本語で歌った。この曲はザッパの76年初頭の来日公演時には仕上がっていたがレパートリーに含まれず、ザッパもめったに演奏しなかったが、BWANAの替え歌の歌詞が気になるとして、ひとつ気づいたのは、当日紫さんが演奏の合間に要望があれば朝まで演奏出来ると言ったことだ。ザッパの歌詞の大意は、男が女を口説くには最初はミイラのように正体を見せずに少しずつ立派な様子をさりげなく知らせという、つまり「能ある鷹は爪を隠す」と同義と言ってよい。となればBWANAの全貌は徹夜でレパートリーを全部聴かねば本当はわからないこととなる。名古屋で彼らがどれほどライヴをしているのか知らないが、京都や大阪でせめて年一度のザッパ・カヴァー・ライヴがあれば若い世代に認知度が高まるのだが。

# by uuuzen | 2025-11-04 23:59 | ●ライヴハウス瞥見記♪
●京都大宮高辻 Live&Salon「夜想」にて、『ザッパロウィン 25』筆者のトーク
を読めど 書くことはなし 悪筆を 恥じるも見せる 機会は途絶え」、「同じ花 何度も描き 手抜きせず 同じに見えて どれも異なり」、「手が慣れて 手抜きはせぬが 精進と 教えられぬ子 名人となり」、「鶏頭の 残る赤花 天を向き 手を添え描く 土産の墨絵」
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今日から3回に分けて1日の夜に開催されたザッパロウィンについて思いつくまま書くつもりでいる。ザッパロウィンその他、筆者の出番がある時はお客さんへのお土産と称して手描きジャケット入りのCDを5年前から用意している。そのジャケットの絵は自分で育てている鶏頭の花を水彩絵具で描くことを続けていて、なるべく全員配布を思っているが、客数はわからず、今回は33枚用意した。描くのに1枚当たりちょうど15分要し、33枚では8時間強だが、カレンダーの裏面などの不要紙を使って紙袋を作り、次にCD-Rを焼くことなどの手間を含めるとその倍以上の時間がかかっている。さあやさんからのメールによると今回の客数は去年より少なくて30名を割り、年々減少している。演奏の内容はもとより、客同士の交流など、毎年何か変化がほしいのは本音で、後者のファンの交流に関しては筆者のトークが半分は役割を担っているか。今回も筆者が選曲したザッパの曲を流してもらいながら30分話したが、去年と同様にひとつ気になったことは、トーク前後のくろみさんの選曲によるザッパ曲のBGMだ。去年も気になったが、その音量があまりに大きく、個人的に誰かに話しかける声が届きにくく、筆談の必要があったほどだ。筆者がよく利用している「風風の湯」でもBGMが鳴っていて、7,8人しか入れないサウナ室は特によく聞こえる。最近その音量が一気に大きくなり、フロントに訴えて半分ほどに絞ってもらった。それでもまた大きく鳴っていることがままある。客同士あるいは出演待ちしているバンド・メンバーも含めての談笑の時間は、ライヴが全部終わった後にあるとはいえ、2時間やそれ以上費やしてやって来るファンがいて、夜9時過ぎになれば店を出なければならない。それで開場を早めるしかなく、今回は筆者のトークが始まる45分前の4時15分となった。筆者が4時半に会場に着いたのは、外国人観光客のあまりの多さに阪急嵐山バス停まで待つ市バスが30分以上も遅れたためだ。バスが四条通りの梅津段町辺りを走っている時、大粒の雨が降り注ぎ始め、「夜想」が入居しているビルの前では来場者たちが傘を差しているかと心配していると、雨は10分ほどで止んだ。会場のビルの前に着くと誰も並んでおらず、階段を下りて扉を開けると、6、7人の顔馴染みが酒を飲みながら前方に陣取っていた。筆者の到着が遅いのでくろみさんがわが家に電話したことを知った。それでまず早速手製のお土産を配布し、残りはフロントに預けて来場者に配ってもらうことにした。
●京都大宮高辻 Live&Salon「夜想」にて、『ザッパロウィン 25』筆者のトーク_d0053294_16385568.jpg
 トークが始まるまで30分あれば1年ぶりに会うザッパ・ファン全員と言葉を交わすことは出来るが、初来場者があるはずで、また30人程度の客数であれば、全員が自己紹介出来る時間と場があってもよい。とはいえ、席が離れていると名前も顔も覚えないことは普通で、せいぜい隣り合った人同士が話すだけとなる。それでもそこからザッパロウィンが変化して行くことに役立つ話が浮上する可能性はある。ザッパニモヲとBWANAの2バンドの演奏は毎年少しずつ工夫がなされてはいるものの、メンバーに変更はなく、独自色の型はおおむね出来上がっている。そこを見透かされてしまうと、たとえばYouTubeで済まそうとする人が出て来ることは致し方がない。というのは、ザッパは毎年のコンサートで新曲を増やしたり、メンバーを変えるなどしたりして、ファンは未知の何かを期待出来た。そのザッパならではの特色がザッパロウィンにどれほど期待出来るかだ。出演バンド数を増やして2日にわたって開催することを筆者は当初夢想したが、たとえば東京からバンドが出演するとしてその交通費程度がせめて賄える客数が見込めればいいが、「夜想」が立ち見でいっぱいになってもそれは無理だろう。そのことがわかっているだけにもっと大きな会場をと思うが、そうなると会場費や機材のレンタル代など、客の集まり具合と照らす冒険をせねばならない。そこまでメンバーにザッパ曲のカヴァー演奏に対する熱意があるかとなれば、あるとしても肝腎の金の捻出がままならない。それはさておき、今回さあやさんからチラシが100枚送られて来た。半分を「風風の湯」のフロント脇に置いてもらい、残りは地元の知り合いに配ったが、捌けたのは20数枚だ。「風風の湯」は夕方までは外国人観光客でいっぱいになるから、チラシが彼らの眼に止まり、ライヴ好きが足を運んでもらえるかもしれないという一抹の期待があるが、チラシよりもやはり英語で発信されるSNSが功を奏するはずで、何らかの新しい宣伝の工夫が必要だ。予約数が少なければ、さあやさんはそのことをメールで伝えて来るのが常であるに、今回それがなかったのは、これまであらゆる方法を講じたのに効果がさほどでもなく、半ば諦めの思いがあったからかもしれない。ザッパとその音楽の知名度がそもそも日本では低い。それにもうひとつ大きな問題は入場料の4000円はドリンク代や交通費を含むと他府県から足を運ぶ場合、1万円近くなって若い世代にはさほど簡単に出せる金額ではないだろう。だが一方、TVでは数千や数万人の若者が若いミュージシャンのライヴ会場で声援を送っている映像をよく見かけるので、若者は流行に取り残されないようにとの思い、すなわちSNSで他者とつながりを持ちやすい、目下話題中のミュージシャンのライヴにそれが高額であっても出かけるだろう。
 TVに登場する20代のミュージシャンは押しなべて筆者は関心が湧かないが、自分の高齢を認識させられる気分ではない。なぜなら、ザッパが生きていた時代でもザッパの音楽を聴く人はごく限られていた。ザッパの大阪公演時、イーグルスが別の会場でコンサートを開き、もっぱらそっちが話題になった。それから半世紀経ち、イーグルス・ファンがどれほどいて、カヴァー演奏されているのかも知らないが、膨大な録音を遺したザッパの場合、現在もファンが知らない録音が発売される。村上春樹がラジオの番組で好きなジャズについて話しているというネット記事にしても、筆者は全く関心がなく、マス・メディアでザッパについて話す有名人がいないことを、惜しいとかさびしいとかは思わない。何事もわかる人だけがわかるし、わかる人が少なければ価値がないとは言えず、作品は伝えられ方が違う。これはトーク・ショーで話さなかったが、ザッパは1978年のハロウィーンのショーの後に質問されて10の好きなことを答え、その7つ目が78年のハロウィーン・ショーであったという。この10の好きなことは昔何かで読んだことがある気がするのは、筆者もたまに自分の好きな10の人物や作品を考えることがあるからだ。そういうものは10代半ばから20代でほとんどが決まる。筆者は赤塚不二夫、ジョン・レノン、ムンク、柳宗悦、ザッパ、ロジェ・カイヨワといったように、小学生から20代前半までに大きく関心を抱いた人物が次々と順に思い浮かぶ。ザッパの場合、その最初の最大はヴァレーズであった。そのヴァレーズにしても日本ではどれほど人気があるかと言えば、ザッパ・ファンの中でもごく少数のはずで、認識度は低いだろう。ザッパは自分の音楽をエンターテインメントと呼んだ。娯楽と芸術は違うとの意見があり、筆者もそれに賛成だが、娯楽に過ぎないと目されていたものが後年芸術と認識されることはある。一方、生前名声を馳せても見るに堪えない絵を描く人はいる。そこに美の問題が介在し、最近その美についてよく考えるが、ひとつ言えることは虚飾が目立つ作品ほどに価値がない。しかし、作品行為に真剣味が籠っても虚飾は忍び込み、結局は作者の人間性の問題だ。その人間性は10代半ばまでに完成するというのが筆者の考えで、その後知識は広がり、技術力は増しても核となる部分は変わらない。ザッパはヴァレーズの音楽を娯楽と思わなかったはずだが、経済的に苦労せずに音楽の道を究めるには、またアメリカでは娯楽という装いをまとう必要はある。レコードをたくさん売り上げ、コンサートに多くの人に来てもらわねばならない。そのこととヴァレーズへの敬愛をどのように兼ね合わせられるか。結局熱心なファンに支えられ、ザッパは幸福な作曲家人生を歩んだと傍目には見えるが、本人は幸福を考える暇もなしに創作に邁進し続けた人生であった。

# by uuuzen | 2025-11-03 23:59 | ●ライヴハウス瞥見記♪
●『京阪アコーディオンクラブ・コンサート』
名の 同じブログ 投稿し 周知に効果 いかほどありや」、「緊張し 間違うことも ありはする 年に一度の 無料披露は」、「趣味で弾く 楽器楽しき 腕磨き 発表の会 励みになりて」、「会員の 出入りあるのは 当然も 出る人減らす 妙案大事」
●『京阪アコーディオンクラブ・コンサート』_d0053294_15423502.jpg 去年の「京阪アコーディオンクラブ・コンサート」の後、副司会兼演奏者の米谷さんの呼びかけでメール・アドレスを同友の会に登録したところ、コンサートの案内が1か月前の9月25日に届いた。米谷さんは「忘れた頃に案内のメールが届きます」と発言したが、ここ数年このコンサートに出かけていた筆者は、時代祭の1週間ほど後に寝屋川に行くことが習慣めいていたので、忘れたことはない。メール添付のチラシに丸尾さんの名前がないことに驚いた。彼女が川崎からこの無料コンサートだけのためにやって来るのは、交通費を考えれば二の足を踏むだろう。あるいは別の理由があるのか、丸尾さんに長い間メールをしておらず、事情はわからない。今回のゲストは丸尾さんと矢田さんのデュオの代りに「竹伏Duo」という、アコーディオンとは関係のないふたり組の出演と、小野寺彩香さんのソロでの出番があった。丸尾さんの姿がないのは快活さが半減で、正直なところ、出かけるかどうか迷った。ところが後日書くつもりでいるが、大阪に出たい理由がコンサートの1週間ほど前に偶然見つかった。それで寝屋川に足を延ばすことがつごうよくなった。いつものように時計を持たずに出かけ、珍しく開演ギリギリに間に合った。意外であったのは、プログラムに米谷さんの名前がないことだ。第1部が終わった後の休憩時にホールの外で小野寺さんと出会い、そのことを訊ねると、会を辞めたとのこと。理由は小野寺さんも知らないようであった。毎年見ていた姿がないのはやはりさびしい。筆者が座ったのは最前列から2番目の舞台に向かって左端だ。満席であったと思うが、ほぼ全員が高齢者で筆者の隣りの女性は演奏中に大きな鼾をかきながら眠り続け、その音が演奏に混じった。そう言えば小野田幸嗣さんはサティの「ジムノペディ第1番」を独奏し、筆者は目を閉じて聴いた。毎年司会をする男性が2,3メートル離れたところに座っている筆者を見たのか、演奏後に「眠っている人がいました」と言った。筆者のこととすればそれは誤解だ。さて、毎回テーマを決めたプログラムで、今回は「雨」に因む曲が取り上げられ、チラシも傘を差す人々が描かれている。第1部の最初の曲はアコーディオン奏者全員すなわち5人によるジュリオラ・チンクエテエッエィの60年代の大ヒット曲「雨」で、その次に初出演の筒江舞子さんによる「女心の歌」で途中でミスがわずかにあったが、彼女は眼鏡をかけ、豪華なステージ衣装が目を引いた。次に小野田さんの前掲曲、そして加宮はつねさんの「VENI VENI」で、中間部に面白い箇所があり、また演奏は聴き応えがあって印象深かった。
●『京阪アコーディオンクラブ・コンサート』_d0053294_15434803.jpg 次に長野邦子さんと加宮さんによる「エル・チョクロ」、そのふたりに小野田さんが加わっての「アンダンテ・カンタービレ」で、後者から筆者は校内放送で同曲がよく鳴っていた小学生時代を思い出す。アコーディオンがオルガンの響きに似ているのでなおさらだ。第1部の後半は前半の20数分と同じ時間を竹伏Duoが演奏した。ギターとヴォーカルの竹市修さんとサックスとフルートの田伏忠司さんで、年齢の合計が152歳とのことで、後期高齢者は会場に詰めた大半の人と同じで、その意味合いもあって出演を乞われたのかもしれない。竹市さんはよく通る美声で、酒場を巡るギター流しの趣があった。若い頃はプロ活動をしていたかもしれない。デュオの結成は3年前で、寝屋川在住だろうか。チラシには歌謡曲、ロック、ポップスの演奏とあり、ロックのレパートリーの内容は知らないが、今回の曲目からして短調が好みだろう。最初の曲は童謡のメロディを最初や中間部に引用したオリジナル曲で、戦争反対、平和祈念を意図したと紹介された。次に民謡「こきりこ節」、昭和歌謡メドレーとして「どうにもとまらない」「山谷ブルース」「酒は涙か溜息か」が続き、最後に大原かずみの「明日花」が歌われた。ギターはもっぱら和音をジャカジャカと奏で、歌の合間に田伏さんがメロディを吹く。「どうにも…」は山本リンダの声に慣れているのでとても新鮮に聞こえたが、前奏がロック調であったからでもある。メドレーの最後は「どうにも…」のサビ部分が回帰し、竹市さんの目論見が功を奏していた。辛口目に書くと、筆者は演歌を聞かないこともあってカラオケで自己陶酔して歌う声を好まないが、竹市さんの歌声は自分の声に惚れている様子が伝わり、そのカラオケや酒場のイメージは場違いと感じた。丸尾さんも昭和歌謡のメドレーを演奏したが、それはアコーディオンであるから、本会の趣旨に合っている。アコーディオンクラブの年一度の発表会で、会員主体で盛り上げるのが筋だろう。第2部は最初にゲスト出演としてオカリナの三重奏と小野田さんの打楽器の伴奏による「コンドルは飛んで行く」と「花祭り」がまず披露された。この素朴な味わいの2曲が素朴な音色で奏でられるのは実に愛らい。3曲目「恋のバカンス」は誰もが知る主旋律に対位法的に奏でられる低音のメロディに特にユーモアがあって、オカリナのみのコンサートがあってよい。次は「みんなで歌いましょう」と題して、今日の2枚目の上の写真のように、加宮さんと小野田さんのアコーディオンの伴奏により、今年の大阪万博に因んで「世界の国からこんにちは」、そして「こんにちは」つながりで「こんにちは赤ちゃん」の2曲が、配布されたプログラム裏面の歌詞にしたがって観客全員が歌う場となった。写真右手の筒江さんが筆者のところにやって来てマイクを口元に差し出したので、数年に一度も歌わない筆者も歌わざるを得なかった。
●『京阪アコーディオンクラブ・コンサート』_d0053294_15432557.jpg この後は小野寺彩香さんの出番となった。今回のプログラムに彼女のごく短いプロフィールとして、「左側でメロディも奏でられる」とある。アコーディオンは大きさも含めて種類が多く、彼女が使うものは「フリーベース」と呼ぶタイプで、左手はレバーの切り替えで和音ではなく、単音が奏でられる。これは鍵盤が2段のオルガンを思えばよいが、ならばなぜオルガンやピアノを奏でないのかという疑問が湧くが、そこはアコーディオン独自の音色があるし、また持ち運びに圧倒的な便利さがある。鍵盤楽器はピアノで完成したと言ってよいが、その発展途上やピアノ以降に独自の音色を持った鍵盤楽器がさまざまある。今回彼女はまずバッハの「平均律クラヴィーア曲集」の第1巻から変イ長調(A♭)の前奏曲とフーガを演奏した。先のプロフィールを説明するための選曲で、右手と左手が異なる旋律を奏でる。彼女は演奏後に同曲の題名と使用アコーディオンの説明をするなか、「難解な曲で選曲間違いなど」と話した。このバッハの大曲のレコードを所有する人が客席にどれほどいたかと思うが、音楽をやる人でこの名曲を知らない人は信用するに値しない。平均律が発明された結果、この唯一無二の楽曲が生まれ、そして通常は平均律で調律されているアコーディオンによって演奏されることになったが、ピアノやチェンバロと違って空気を吹き込んで音を鳴らすリード楽器のアコーディオンでは独特の音色に変わる。小野寺さんの演奏は先のオカリナの合奏を思わせもし、厳めしいバッハがかわいい女性になったようで面白かった。筆者はこの大曲では最大の長さである第1巻の最後のロ短調(B minor)の前奏曲が大好きだが、アコーディオンで演奏すると原曲のポツポツとした音が歩むような雰囲気がどう変わるのかと思う。小野田さんもクラシック音楽を演奏することに興味があることが伝わるが、その傾向が強くなればこのコンサートは客数を減らすかもしれない。その点が悩ましいところではないか。さて、小野寺さんは左手で和音を奏でるように切り替えて「愛の賛歌」と「パリの空の下」を演奏し、後者では若干躓きがあった。どのタイプの曲でも演奏可能な楽器としても、演奏者の好みがあり、またそれが聴き手の多寡の問題と絡むので、レパートリーをどうするかを個性の表出と関連して耐えず考え続けねばならない。彼女の出番の後、今回のテーマの「雨」に因む曲として、「雨に濡れても」、レハール作曲の「雨」、「シェルブールの雨傘」「長崎は今日も雨だった」の4曲がメンバーを変えながら演奏された。どの曲もメンバーの数に合わせて、またアコーディオン用の編曲が必要で、その手間や練習に聴き手が思いを馳せると、また一味違ったように聴こえるのではないか。来年のゲストはどうなるかだが、会員たちが数曲ずつソロ演奏、そして合奏を披露すれば2時間のコンサートになるのではないか。
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# by uuuzen | 2025-11-02 23:59 | ●その他の映画など
●『HALLOWEEN 78』到着
色の クレパス握り 童待つ 自分の顔の 線描き眺め」、「箱の蓋 開けて覗くや 赤き顔 その面被り 怒れるふりを」、「仮面屋の 親父の顔の 酒焼けに 赤鬼みたいと 童ら囃し」、「間に合うや 明日のライヴの 話ネタ ザッパの新譜 手元に届き」
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今月11日に注文したザッパの78年のハロウィーン・ライヴの新譜が昨日届いた。明後日の『ザッパロウィン25』のライヴでのトーク・ショーに間に合うかどうかやきもきしていたが、今回は予想以上に早く手元に届いた。実は4日前の26日の夜、FedExから「通関のために追加情報のお願い」と題するメールが届いた。必要事項を記入して返送するのに小1時間要した。何をどこから買ったかなどを書き込むのだが、税関で手荒に箱を開けられて商品に傷がつくのは困るのでその旨を書き込み、11日の投稿に載せた今回の新譜の外観写真を添付した。筆者の記入で税関が不足を認めた場合、改めて通知が来ることになっていた。毎日外国からの荷物を大量に検査するのであるから、筆者の記入漏れやまた不審なことがなければ、2,3日で日本国内の配送に回されると踏んだ。そうなれば今月中に届くことは無理だ。そう思っていたところ、日本に帰国して東京に住んでいる大西さんから27日の夕方に「FedExの貨物に対する輸入手数料の支払金額」と題するメールがあった。通関税として2500円をFedExに振り込めというメールが届いたが、そのメールが詐欺かどうかを教えてほしいとのことであった。上記のように筆者に届いたFedExからのメールは、商品内容を教えろというもので、通関税支払いについては初耳で、また商品を受け取るのに2500円を別に支払わねばならないことに面食らった。そうなればザッパ・ファミリーから通販で今回の新譜を1個注文すると、だいたい35000円を支払うことになる。このような高額のザッパ新譜は珍しい。日本のアマゾンではダイジェスト盤の予約受付は始まっているが、仮面つきの箱入りに関してはダウンロードが販売されているだけで、予約はまだ始まっていない。HMVではたぶん同店がザッパ・ファミリーから買い付けたものだろうが、10万円以上の価格がついている。一方、日本のユニヴァーサル・ミュージックはいつものように対訳つきの商品を販売する予定で、その価格が19800円となっている。ただしその注文ページに飛ぶと「ページが見つかりません」の表示が出る。HMVが10万円で売るのに、本家のユニヴァーサルがその5分の1以下の価格となると、誰しもユニヴァーサルからの発売を待つ。筆者にしてももう少し待ってそれを買えば1万円ほど安くつく。だが、本当に日本のユニヴァーサルが日本盤を発売するだろうか。大西さんからのメールによればイギリスは今回の新譜の入荷が遅れている。一番手っ取り早いのは、やはりザッパ・ファミリーから直接買うことだ。
●『HALLOWEEN 78』到着_d0053294_18580923.jpg さて、大西さんのメールに適切に答えられなかったところ、大西さんは早々と2500円を入金し、28日の朝に届いたと報せがあった。大西さんは筆者より確か1日遅れて注文したが、早く着いたのは東京と京都の差であろうか。そう思っていると、同じ日の夕方に日本郵便から配達予定のメールが届いた。FedExが届けると思っていたのに、通関手続きが思いのほか早く終わり、荷物は日本郵便が引き受けた。ネットの情報によれば配達員に通関税の2500円を支払うとあったので、大西さんと違って振り込み手数料がかからなくてよいと思った。配達指定の時間を翌日すなわち29日の朝8時から正午までをネットで指定したところ、10時頃に届いたから、大西さんとは1日遅れとなった。それに不思議なことに3万円以上の商品を外国から購入する場合に支払う2500円の通関税を配達員は請求しなかった。そのため、今回の新譜を200ドル25セントで買ったことになる。これは11日の投稿の写真で示したように、1割引きのクーポンを使ったからだ。そのクーポンは前回の『ワン・サイズ・フィッツ・オール50周年記念盤』をザッパ・ファミリーから購入した時にもらえたもので、その1か月の有効期限の最終日に今回の新譜を注文したから、1日遅れで18ドルを損するところであった。大西さんはそのクーポンを使わずに購入したので、220ドルほど、すなわち3万円をかなり上回り、それで2500円の通関税がかかったのではないかと想像する。それはともかく、3万円を超える価格の今回の新譜、どれくらい売れるだろう。日本盤が2万円で発売されればかなり売れるだろうが、ユニヴァーサルが予約広告を出しながら一旦それを撤回したことは、2万円では販売出来ない事情が生じたためか。ザッパ・ファミリーから買う場合、送料がおよそ40ドルかかるから、商品自体は160ドルだ。1ドル150円として24000円となるから、2万円ほどの価格設定が可能かどうかだ。それはザッパ・ファミリーとユニヴァーサルの交渉次第であろうが、一時も早く入手したい場合はザッパ・ファミリーのサイトで注文するのが最もよい。明日は京都市内でザッパロウィンのライヴがあり、いつものように筆者のトーク・ショーが30分予定されている。そこで昨日届いたばかりのザッパ仮面を披露する。今日の最初の写真は左側がそれだ。右は11日の投稿で触れた昔筆者が紙粘土で作ったものだ。それの目元を市販の節分豆に付属していた鬼とお多福のミニ仮面で隠し、さらに渡月橋近くで拾った市販の狐の仮面を被せているが、ザッパ仮面そのものは今回の仮面とほとんど同じ大きさだ。今回の仮面でザッパ・ファミリーは計4点作って販売したことになる。ザッパのハロウィーン・コンサートを収録した新譜は今後はもうないであろうから、それら4点と筆者が作ったものを並べて壁に飾ろうか。
●『HALLOWEEN 78』到着_d0053294_18584903.jpg


# by uuuzen | 2025-10-30 18:59 | ●ザッパ新譜紹介など
●『HALLOWEEN 78』予約
由なき 犯行するや 高齢者 認知症では 罰問うは罪」、「縁日の 面屋目当ての 幼な児は ザッパ仮面は あくまで悪魔」、「どの仮面 今日は被るか 曇り空 鏡の前で 無理に笑顔を」、「飽くことの なき人生と 空仰ぎ 目を背けるは 醜きことと」
●『HALLOWEEN 78』予約_d0053294_21394444.jpg 今朝パソコンを開くとザッパ・ファミリーからメールが届いていた。年内はザッパの新譜はもう発売されないと思っていたところ、ザッパ仮面つきハロウィーン・ライヴの1978年盤がハロィーンに発売されることがわかった。この大型箱入り仮面つきシリーズは今回4作目だ。CD5枚つきで180ドルほどであるから、前3作よりかなり高い。アマゾンでの予約開始は1、2週間遅れるだろう。それに価格は同じか、もう少し高くなるのではないか。あるいは今回の送料分は安くなるかもしれない。ともかく、アマゾンでの予約を待つのは面倒なので、ザッパ・ファミリーから購入することにした。というのは、前回の『ワン・サイズ・フィッツ・オール50周年記念盤』をザッパ・ファミリーから購入した際、30日間有効の10パーセント割引クーポンが配布され、その期日が今日は残り2日であったからだ。1割引きは魅力的だが、送料が高い。結局送料込みで200ドルほど、3万円になる。これでは日本でどれほど売れるだろうか。しかしビートルズやジョン・レノンの、手替え品替えの再発商法ではもっと高価な商品があって、3万円で聴いたことのないザッパの録音が手に入るならば、そして自分の高齢を考慮すれば、また数年後に品切れになることを思えば、買っておこう。発送は26日で、11月1日のザッパロウィンのライヴには間に合わないが、これは仕方がない。ところで、ザッパ仮面のアイデアは誰が最初に出したのか。筆者は『大ザッパ論2』を上梓した折り、紙粘土でザッパ仮面を作った。アルカイック期のギリシアのコレ像に好きな顔の絵つけがあり、それの目元を参照した。そのザッパの顔の実物大より少し大きめの仮面を写真に撮り、B5サイズ程度のジグソー・パズルに加工したものを読者プレゼントとして1点だけ送付したが、そのジグソーのピースの組み立て途中の様子をゼロックスで2種複写した。組み立ての始め頃と完成直前の様子だ。その2枚をイギリスのザッパ・ファン雑誌『T‘MERSHI DUWEEN』の編集者に送った。同誌の表紙はザッパ・ファンが描くザッパの似顔絵が毎号採用されていたからだ。返事はなかったが、何年か経って同誌の最終の第60号とそのひとつ手前の号にそれぞれ採用されたことをネットで知った。ただし筆者にその2冊は送付されて来ず、入手していない。やがて同誌はネットに以降し、雑誌時代とは比較にならないほどの大量のニュースを紹介し続けている。それはともかく、ザッパ仮面のアイデアと制作の最初は筆者ではないかと思っている。ならばなおのこと、仮面入りボックス・セットは買わねばならない。
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# by uuuzen | 2025-10-11 21:40 | ●ザッパ新譜紹介など

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