「
他意のなき 他愛なきこと 他者に告ぐ ブログ綴るも 他生の縁か」、「桜咲き 長生きしたと ふと想い 何と早くも 一年は過ぎ」、「花びらを 掬う童の 真面目顔 露天風呂にて 桜照らされ」、「夜桜を 見て思い出す 華岳の絵 浮世美し さらに哀しき」

今日は先月28日に撮った写真を載せる。同じ日の写真は一昨日にも1枚使った。夜桜で最も記憶にあるのは大阪造幣局の「桜の通り抜け」で、夜に2,3回見たことがある。大勢の人に混じってぞろぞろと歩くだけだが、たっぷりとした八重桜がライトアップされていると濃厚な色気が漂い、昼間に見るのとは風情が違う。通り抜けではなくてそれらの桜の木の下でゴザを広げて飲食すればもっと楽しいだろうが、お彼岸が済んでも肌寒い日は多く、今年は特にそう感じるから、夜桜の下で気の合う者と一杯やるというのは想像しにくい。嵐山の中ノ島公園はわが家から近いので家内と夜桜を見ておこうという気になるが、店はすべて閉まっていて、また川からの風は冷たいので写真を撮ってすぐに引き返すことになる。造幣局の夜桜を見た人々はその後どうするのかと言えば、天神橋筋商店街にでも出て食事するか、若い世代なら火照る体を桜宮のラヴ・ホテルで落ち着かせるのだろうが、嵐山は何もないので夜桜のライトアップを楽しむ人もまばら過ぎる。エネルギーの無駄と言ってよいが、懸命に開花した桜をねぎらうために数日はライトアップしてやるのは思いやりと言うものだろう。しかし花も夜は眠りたいはずで、ライトアップを迷惑がってはいまいか。そう思うのは先日「風風の湯」の桜の植え込みの下にある2,3の夜間照明のひとつが真っ赤に見えていて、電球の色を変えたのかと思っていたが、サウナ室から出て露天風呂に行く際、気になって間近で確認すると、山茶花の赤い花が照明にまともに当たっていて、赤い光に見えることに気づいた。LEDなので熱はあまり持たないとしても、花は昼と間違って迷惑するのではないか。夜間照明で思い出した。毎年桜と紅葉の季節に清水寺は夜空に向かって青い一筋の照明を投げかける。今日の最初の写真の中央付近にその青い光が写り込んでいる。清水寺まで9キロほどと思うが、この青い光は飛行機やヘリコプターからどう見えるのか、また迷惑ではないのだろうか。夜を明るくすることが文明の進歩の象徴となって、労働が終わった後の夜を楽しむ人が増えたが、一方ではコンビニが24時間営業をするなど、エネルギーの使い放題の風潮が広がり、いわばそれで嵐山のほとんど誰も見ない夜桜もライトアップされる。円山公園の有名な枝垂れ桜は夜に篝火が焚かれるが、それはライトアップの補助で、主役は電気の照明だ。また繁華街にごく近い八坂神社であれば夜桜のライトアップを味わうために訪れる人は多い。そう思いながら筆者はもう何年も円山公園の夜桜を見ていない。

そんなことは誰にでもある。死ぬまで再会のないことは無数にある一方、初めての「こんにちは」もあって、何気ない時に思い出すことが人生のひとつの謎めいた意味だ。同じことが犬や猫にあるかとなれば、同じ動物であるからにはあるだろう。たとえば豚が満腹になって眠たくなった時、記憶がぼんやりと蘇って、「あの時に食べたものはうまかったなあ」などと思うであろうし、そのことが生きる原動力になるというおおげさなことではなく、ただ半ば無意識で思い出すことは誰にでもある。それは重要な記憶であるからではない。言葉で伝えられないイメージで、また美しいというものでもない。そういう幻を絵画として表現するのが画家だが、夜桜で思い出すのは村上華岳の「夜桜之図」だ。2週間ほど前、84年の華岳展の図録をヤフオクで落札し、そこに載る同作のカラー図版を見て記憶とは色合いが違うと感じた。実物はもう少し色鮮やかで、色気が強い。この二曲屏風は大正2年(1913)、華岳25歳の作で、当時全く評価されなかったが、天才ぶりを示す代表作だ。夜桜とその下で酒宴を楽しむ大勢の人々の気配をどうすれば鑑賞者に伝え得るかを考えた場合、まずそういう困難な絵を描こうと決心したことに筆者は驚く。江戸末期の平野神社の夜桜を画題にし、浮世絵しかも肉筆のそれを思わせるところ、
2月24日の投稿で少し触れた岸田劉生の著作『初期肉筆浮世絵』との関連を思わせるが、同書は「夜桜之図」から13年後の出版で、終生より3歳年長の華岳は劉生よりもかなり早く「でろり」とした感じをよく認識し、また描くことに成功していた。「でろり」は猥雑な色気と言ってよいが、色気が猥雑さを必ず大いに交えているとの見方は正しくなく、「夜桜之図」は後の甲斐荘楠音の絵のような体臭を発散する肉感的なものではなく、前述したぼんやりとした時に蘇る気配の記憶に近く、喪失感を伴なう切なさが色濃い。ぼんやりしている時に無意識に蘇るイメージは特別恋しく、思い出して懐かしさに心が震えるほどのおおげさなものではないが、それでも経験した人生の明らかな断片で、死ぬまでに何度も一瞬想起されるものだ。そういう幽かなイメージの存在を「夜桜之図」は教えてくれるのだが、その絵のイメージもぼんやりしている時、あるいは夜桜を実際に見た時には筆者の脳裏に浮かぶ。そして同時に平野神社の境内を思い出し、またそこを訪れて同作を描く気になった華岳の気持ちを想像してみる。誰しも20代半ばの若い頃は特に活力を漲らせて行動し、あまり幽かなことに関心を持たないと言ってよいが、活力を幽かなものを他者に伝えるべく漲らせることに華岳の絵を描く主なる目的があった。それは劉生のような写実で表現出来ないかとなればそんなことはない。晩年の劉生が初期肉筆浮世絵に関心を抱いたことは若い頃に幽かに感じたことの凝視で、大正時代の空気からの感化でもある。