人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●健気に咲き続ける白薔薇VIRGO、その36
反には 見られたくなし 皮肉屋は 扇動しても 責任逃れ」、「日に一度 裏庭に出て 植木見る たまに猫来て 雀逃げ飛び」、「くうくうと 鳩図々しく 古米食う 隙見て雀 おこぼれ掠め」、「吾の薔薇 白き小さき 乙女星 ひとつふたつと 咲いては枯れて」●健気に咲き続ける白薔薇VIRGO、その36_b0419387_01012573.jpg 去年の11月26日以来、裏庭でまたVIRGOが咲き始めた。3つの蕾のうち、今朝はふたつ咲いた。もうひとつは明日咲くだろう。明日まで待って3枚の写真を載せてもいいが、明日は満月で、その投稿をせねばならない。しかしどうも雨のようで、今晩撮影出来るならしておこう。この白薔薇の開花写真はいつの間にかキャプテン・ビーフハートの作詩を1曲ずつ取り上げ、その翻訳を載せるようになった。まずはアルバム『トラウト・マスク・レプリカ』をと思いながら、今日は頭にメロディが浮かんだ他のアルバム所収の「スペース・エイジ・カップル」を選ぶ。50年ほど前に初めて聴いた曲で、その歌詞の対訳をすることになるとは予想しなかった。それが人生は面白さだ。それはともかく、筆者が裏庭でVIRGOの薔薇を育てたいと思ったのは、ビーフハートにギター曲の「ワン・レッド・ローズ・ザット・アイ・ミーン」があるからであった。それならば赤い薔薇を育てるべきだが、種々の理由から白くて小ぶりの花を咲かせるVIRGOを選んだ。久坂葉子は詩「わがこいびとよ」の中で自分が死ねば胸元の絹に赤い花を載せ、赤い花のみ愛せよと書いた。筆者なら白い死装束の上に白薔薇を望む。さて、発疹で両足がひどいことになり、ここ1か月ほどはスーパーへの買い物は別として家内と外出していない。歩けば足は痛むが、歩かねば筋肉が衰えて発疹の治癒が遅れる気がする。先ほど思いついたが、去年大阪に出た時に500円で買った韓国製の透明なアロエ・クリームを両足の発疹箇所全体に塗った。するとすぐに足の熱はかなり引き、何となく効果があると感じる。なぜもっと早く使わなかったのかと悔やむが、医者に診てもらわず、薬も不要と我を張っていたので、気づくのが遅れた。今夜から頻繁に塗布することに決めた。また2週間ほど前から、「風風の湯」に行かない日は必ず、アメリカの大西さんが送ってくれたヒマラヤの岩塩を両足の膝から下がすっぽりと入る金属の容器に張った湯に溶かし、そこに両足を30分突っ込んでいる。発疹の消え具合を観察し続けて今日で7回目、効果は上がっている。20回ほど続けると今月末で、バンドエイドはほぼ不要になる気がしている。それにしても今年の花粉症はあまりのひどさで、ここ2か月は人生初の体調不良が続き、耳たぶのしもやけ跡が原因か、先月3日から数日は左頬が腫れ、中旬には左目が痛んだ。体の弱い部分に病が訪れることを再認識する。こんな話は面白くないが、体調の異変を記録しておくのはよい。
 ●健気に咲き続ける白薔薇VIRGO、その36_b0419387_01014804.jpgさてビーフハートの「宇宙時代のカップル」は1970年の作曲で、当時跋扈したヒッピーたちを新時代すなわち宇宙時代の若者とみなして詩に風刺を込める。その内容は自然児のビーフハートらしいが、「レイドバック」と称してヒッピーは田舎に引っ込んで生活する向きがあったから、本曲の歌詞は一部のヒッピーにも受け入れられたであろう。「your nasty jewelry」は当時のヒッピーが身につけたような手作りの安っぽい装身具で、それらをビーフハートが汚いと評したのは型にはまって見えたからだろう。ビーフハートは女物の靴を履き、変わったジャケットやコートをよく身にまとった。それは誰の真似でもない自負ゆえだ。ヒッピーは身なりや生き方を流行に倣ったところがあって、ビーフハートやザッパには彼らが没個性に見えた。本曲では彼らにいくらでも広がっている土地を耕せと言うが、彼らの「魔法の筋肉」を動かせと指示するのも、薬物で酩酊して寝転んでいるのはおかしいとの思いからだ。また彼らがあくせくしていることも揶揄するが、そこには仕事中毒のザッパが視野に入っていたかどうか気になる。ビーフハートが土地を耕したかどうかとなれば、あまりそれはなかったであろう。ただし花好きで庭に愛着があったので、土いじりはしたはずだ。「ガラスコップを空にかざし、コップの向こうを見れば空は青くない」との下りが何の比喩かと言えば、物事の本質は素のままで見るべきで、色眼鏡をかけたままでは違って見えることを言いたいのだろう。次の行の「葉の上に露はない」は、もう朝は遅く、物事をし始める時間はとっくに過ぎたとの警告を思えばよい。ビーフハートもザッパもヒッピーから離れた独自の存在で、個性を重んじる人は別にして、ごく普通の音楽好きには知られないか、知られても誤解されやすい。ヒッピーはアウトサイダーぶったが、真のアウトサイダーは似た存在がない。そのため世間からは疎外されやすく、絶賛されにくい。ビーフハートが新時代のカップルに本曲で助言したことは、肉体を使って地面に触れろということで、「地に足をつけた」生き方をすべきとの思いからだ。ビーフハートは詩人であるので土地を耕す農民ではなかったが、土地を耕すことの重要性を思っていた。それは農民を尊重するからで、その点がザッパとどう違ったか、あるいは通じる点があったかは一言しにくい。ザッパも自然派だが、一方で新しい人工的なことを音楽に使用することには大いに関心があった。またそのことに邁進する過程でビーフハートが愛するような自然からは少し遠のいた面がある。あるいはそのように見える。それはともかく、ビーフハートはどんなに時代が進んでも人間は土地を耕さねば生きていけないことを知っていた。戦前の黒人ブルース・ミュージシャンと同じく、ビーフハートも土地に根差した音楽を目指した。ただし本曲は他に似たものがない。

Space-age couple 宇宙時代のカップル
Why don’t you flex your magic muscle? なぜ魔法の筋肉を動かさない?
Space-age couple 宇宙時代のカップル
Why do you hex your magic muscle? なぜ魔法の筋肉に呪いをかける?
Space-age couple 宇宙時代のカップル
Why do you hustle ‘n bustle? なぜ頑張って急ぐ?
Why don’t you drop your cool tom-foolery なぜ馬鹿なまねを止さないんだ?
‘n shed your nasty jewelry? なぜ汚い飾りを外さない?
Cultivate the grounds 土地を耕しな
They’re the only ones around. 周りにあるのはそれだけだ
Space-age couple 宇宙時代のカップル
Why don’t you flex your magic muscle? なぜ魔法の筋肉を動かない?
Hold a drinking glass up t’ your eye after you’ve ガラスコップをかざして見ろ
Scooped up a little of the sky 空に向けてな
‘n it ain’t blue no more. それはもう青くない
What’s on the leaves ain’t dew no more. 葉の上に露はもうない
Space-age couple 宇宙時代のカップル
Why don’t you jus’ do that? なぜそうしない?
Why don’t you jus’ do that? なぜそうしない?

●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→

# by uuuzen | 2023-05-05 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
●『車輪の下』、『知と愛』
病で 老いの死増えて 益の国 口笛吹いて 若さ沸かして」、「教育は 四角西瓜に 似たるもの 型に嵌め込み 規格の品に」、「鬼は外 アウトサイドに 福なしか 無頼示して 稼ぐ道あり」、「好きなこと 飽きればほかに 行けばよし 夢中になれる ことを目指して」
●『車輪の下』、『知と愛』_b0419387_17523173.jpg
久坂葉子の鉄道自殺は久坂がそれまで試みた自殺方法の中で最も凄惨なものだ。おそらく鉄道が開通してからすぐにその車輪の下に飛び込めば簡単に死ねることを思った人、また実行した人がいるだろう。漱石の小説にもそうして自殺した女性の轢死体の描写がある。さて今日は最近相次いで読んだヘルマン・ヘッセの二篇の小説の感想を書く。今は知らないが、半世紀前は中学生でも『車輪の下』は知っていた。筆者は読まなかったがあらすじはわかっていた。それほどに有名であった。70年代は日本の出版社が相次いで文学全集を発刊したことの頂点ではなかったかと思う。高度成長期に合わせて出版社も景気がよかったからで、また世界文学全集、日本文学全集は百科事典やピアノと同様に家庭にあってしかるべきものとの認識があった。それで当時よく売れた4,50冊になるそうした全集を買い揃えたのはいいが、他の娯楽がたくさん増えて来たこと、また勉強や会社の仕事に追われて、数冊を読んで他は一度も開いたことがない状態になった人が筆者の想像では購入者のおそらく95パーセントを占める。まあ筆者もその中に含まれるが、それには別の理由があった。全集は1冊が分厚くて重く、また活字が小さくて読むのに不便だ。それでたとえばヘッセなら学校の図書館でヘッセ全集から読みたい1冊を借りた。大人になってからは文庫本を買い、それなら市バスや電車の移動中に読めるので家には同じ訳者の同じ小説本が複数あるが、たとえば近いうちに読み始めたいトーマス・マンの『魔の山』は分厚い1冊本を家で読むことに決めていて、しかも70年代初頭に新潮社が発刊した世界文学全集の1冊に限る。同全集のチェーホフの巻を数か月前に読み終えたが、活字の大きさや行間など、版組がとてもよい。それはともかく、文学全集を読破したいと思う世代は昭和生まれが最後ではないだろうか。日本の出版社が文学全集を世に出さなくなったのは儲からないからだが、それは読む人が減って来て本が売れなくなったからで、それにいわゆる純文学と呼ばれる作品を今の若者はありがたがらないだろう。そう言えば日本では文学全集が新たに出なくなった頃に漫画本の売り上げが急増し始めた。筆者はそうした70年代以降の漫画には今なおさっぱり関心がない。去年か、週刊漫画をネットにいち早く載せて荒稼ぎした人物が逮捕された事件があったと思うが、『魔の山』が電子本で読めるのだろうか。電子本では分厚い全体のどの辺りを読んでいるのか実感がない。本はやはり紙に限るが、漫画世代は『魔の山』の漫画による翻案を手に取り、文字ばかりの本は忌避するだろう。
 『車輪の下』の車輪は教育のことだ。教育に押しつぶされて不幸な末路を迎える少年ハンスが主人公で、かなりの部分、ヘッセ自身が投影されている。ハンスはドイツ南部の町に生まれる。父親は俗物と言ってよく、母はハンスが物心つく前に死んだ。小説の最初はまずハンスの父の描写が1頁半続く。その最後にヘッセはこう書く。高橋健二の訳から引く。「彼のことはこのくらいにしよう。この平板な生活とみずから意識しない悲劇とを叙述することは、深刻な皮肉屋だけのよくするところだろう。」筆者はこの最後の部分にしびれる。ハンスの父のような人物を主人公にした小説や映画、あるいは漫画は少なくないだろう。世の中の人間は9割が俗物で、彼らの性根に合わせた物語が人気を博す。その好例が日本のお笑い芸人と言ってよく、筆者は彼らがTVに出ていると即座に画面を切り替える。ところがどのチャンネルも同種の人間が出ていて、見たい番組がほとんどない。YouTubeも同様かそれ以下であることは容易に想像出来る。それはともかく、俗物は『車輪の下』を読まないし、読んでも理解出来ない。そのことを知ってヘッセはその小説の最初に主人公の父の俗物たる様子を書いたが、本来ならその父を主人公にして徹底的に俗物をこき下ろしてもよかったのに、元来文学書を読まない俗物を主人公にするには、書く時間や本にする費用などがもったいない。どうせ書くならもっと重要なことを優先する。そこで俗物にはより無縁の世界を描くことになり、俗物は読まなくなる。となれば世間の9割の人には無縁の書で、そんなものにお笑い芸人の芸以上の価値があるのかと俗物は思うだろうが、ヘッセが「深刻な皮肉屋だけのよくするところ」と書くように、読んでほしい人に向かってだけ本を書けばよい。そして実際そうなっている。では『車輪の下』は堅苦しくて面白くないか。全7章であるので毎日1章ずつ読めば1週間で読破出来るが、次の展開が気になって読む速度が加速し、たぶん誰でも2,3日で読んでしまう。筆者は各章の簡単なまとめをメモしながら読んだが、わずかに散りばめられた気になる言葉は小説の結末を予想させ、全7章の展開は実に見事だ。29歳でここまで書ける才能は、ハンスと同じく、ごくごく稀に生まれる。父の紹介に続いてヘッセはハンスについてこう書く。「…過去八、九百年のあいだ、有能な町民をこそたくさん出しはしたものの、能才とか天才とかいうものはいまだかつて生んだことのないこの古い小さな町に、神秘な火花が天から落ちて来た…」これはヘッセのことでもあろう。筆者は詩に関心は薄いが、ヘッセは4歳から詩を書いた。そのため『車輪の下』には詩的な描写がふんだんにあり、それがまた読み応えがある。詩から小説に進むのは富士正晴や久坂もで、富士はそのほかにも同例の人物を紹介している。そう言えば三島由紀夫も確か小学生で秀逸な詩を書いた。
 ハンスは過去八、九百年遡ってもいないほどの賢い子どもで、そういう人物が俗物の父親から生まれることは不思議でない。たぶん母の血をより多く引いた。それに天才が出現してもその子孫はまた俗物になる場合がほとんどで、親子はよく似るとは限らない。ハンスは自分の賢さを自覚し、勉学に励み、10代前半で州の神学校の入試に2番の成績で合格する。これもヘッセの経験が反映されているだろう。合格後、ハンスは入学までの夏休みに、地元の牧師や校長から神学校で他者より一歩成績が先んじるためと言われ、またハンスも同意してギリシア語やラテン語を個人教授される。また引用する。「…過度の勉強にやせた少年たちが、官費でももって古典語学中心の学問のいろいろの分野をあわただしく修めて、八、九年後には、一生の行路の――たいていの場合はずっと長い――後半にはいるのである。そして国家から受けた恩恵を弁済していくわけである。」 さて、神学校の寄宿生活でハンスはどうなって行くか。数十人の少年はクラス分けされ、ハンスから見て目立つ数人の少年の描写があり、やがてハイルナーという1歳年長の男子と親しくなる。ハイルナーもヘッセが投影されている。あるいはヘッセはハンスからハイルナーになってやがて文学の道で成功した。つまりヘッセはハイルナーのたどった道を進んだが、ハンスのままであれば人生に挫折した。高橋健二が巻末の解説に書くように、ヘッセは10代でピストルを購入し、それで二度自殺を図った。それに困り果てた母親だが、ヘッセを見守り、その母の愛のおかげでヘッセは立ち直った。ハンスは母親がいない設定であるから、ヘッセは母の重要さを描いたとも言える。そこで思い出すのは映画『汚れなき悪戯』だ。そこでは母のいない4,5歳の男子が修道院で育てられて死ぬ。その映画が母親の大切さを描いた点はまさか『車輪の下』やヘッセのことを知ったためではないだろうが、尼僧に育てられる設定にしなかったところに、母性の欠落が少年にどういう影響を与えるかを問うた点ではヘッセの思想と通じている。話を戻す。ハンスはハイルナーと親友になるが、ハイルナーは学校の成績を重視しておらず、人生ではもっと重要なことがあると気づいている。ハイルナーはやがて神学校を脱走し、戻って来ない。残されたハンスはハイルナーのことを思い続け、成績は下がる一方でついに教師たちから見放される。なぜハンスが勉学に身が入らなくなったかの理由は、頭痛が頻繁に起こるなど、精神の病を思えばよい。それは詰め込み教育のせいでもある。成績のよい頃のハンスは学者がどういうことに生涯を捧げて来たかを垣間見て感動するが、ハイルナーが神学校の外に広がる世界の魅力や誘惑をハンスに伝えた。そのひとつは性への目覚めだ。ハンスはハイルナーに対して同性愛的な思いを抱くのに、ハイルナーは女性との現実的な触れ合いをほのめかす。
 ハンスももともと魚釣りや森で遊び回ることが好きであった。入試合格後の夏休みはそうした自然との触れ合い遊びで暮らすべきであったのに、周囲の大人、特に教育者はハンスの天才的頭脳を知って早く専門的なことを教え込もうとし、従順なハンスはそれに応えた。そこに落とし穴があった。一方、ハイルナーは神学校の教育や生活に疑問を抱き、逃げるしかないと覚悟を決めた。それはとても正直でまた勇気を必要とする。ハンスはやがてハイルナーを見習ったように、また成績がどん底まで落ちたので、静養が必要とされ、結局自ら退学する。父は落胆し、町の人々は陰で噂をするが、ハンスは首を吊るにはどの木がいいかと探すほどだ。ハンスは実家でいつまでの引き籠ることは許されず、同じ世代のみんなより遅れて職人になる道しかない。それはかつてハンスが見下げた生き方だ。ハンスは自分が誰もが崇めるような人間になると夢想していた。ところが現実は平凡以下の境遇となり、工場の親方に辛辣な言葉を浴びせられながら慣れない工具で歯車を削る。ところがハンスはそうした仕事を通じてこれまで侮っていた職人が頼もしく見え、またそうした肉体労働者にも楽しみもあることに気づく。ここはハンスが少し大人になったことを描く。読者は天才的頭脳の少年が学業につまずき、退学して職工になることを非現実的と思うだろう。天才ではないが、筆者はハンスと同じ年齢の頃、ハンスのような境遇の人物に数人出会った。話が脱線し過ぎるので詳しく書かないが、最大の原因は母親の愛情不足だ。筆者にはそれがあった。筆者と同じ年齢の知り合いは、金持ちで上品、それにクラスを代表するほどの成績優秀であったのに、母が不倫して家を出たことで家庭が崩壊し、中卒で働き始め、17,8歳で呆気なく死んだ。自殺ではない。将来は輝く人生が待っていると嘱望されたハンスが機械工になることはあり得る話だ。ハンスの父は怒りを抑えながらそういうハンスを見守るが、それは俗物の親としても当然のことだ。この小説では第1章からハンスを優しく見守る靴職人の男が登場する。彼はハンスに向かって勉学優秀さを誉めながらも、ひ弱な体格や勉強のし過ぎを心配した。案の定、最後に彼はハンスの父に向かって教育者たちがハンスを殺したとつぶやく。ヘッセが学者になっていればこのような小説やそこに書かれる勉強第一主義に対する不信を表明したであろうか。賢い子は毎年大量に出て来るが、4歳で詩を書く子どもはきわめて珍しいだろう。そういう才能を持ったヘッセが神学校に学んでハンスのように15歳で中退し、職人ではないが平凡な勤め人になったことは、人間の幅を広げた。ただしヘッセが文学の道を諦めず、それに邁進するには経済的な問題も含めて、ハイルナーと同様の困難がつきまとった。ヘッセには、ハンスのように教育の車輪の下になって押しつぶされない覚悟があった。
 高橋が書くように、ヘッセは若くしてアウトサイダーになった。詩人になるにはどうすればいいか。音楽や美術は大学で学べるが、詩を教えるところはない。それでヘッセはゲーテやハイネなど、ドイツの古典を読みふけった。それは大学の文学部に入らずとも本さえあれば出来る。だが仕事しながら読書し、その糧を創作に活かし、なおかつ世間の評判になることはそうざらにはない。ヘッセの時代にも三文小説はあり、下卑た文章で手っ取り早く金を稼ぐ道はあったろう。『車輪の下』は天才的頭脳の子どもの末路を残酷に描き、その点では現在でも勉学嫌いから賛辞を得るはずだが、ハイルナーやハンスのような成績優秀でない普通の勉強嫌いは本書を読まない。では前述の靴職人は聖書を信ずる素朴で実直な人物として描かれる。彼もハンスの父と同じく、本書でヘッセが「彼の内的生活は俗人のそれだった。いくらかは持っていた情操らしいものは、とっくにほこりにまみれてしまい、せいぜい因習的な粗野な家庭心とか、むす子自慢とか、貧乏人に対するむら気な喜捨心とかが、その身上だった」と書くような俗物であったかと言えば、そういう部分も持ち合わせながら、より人間的な優しさを自覚しているとヘッセは描きたかったに違いない。学業優秀な者は選抜されて官費で学ぶことが出来るが、本書の別の箇所にヘッセが書くように、国はそういう人物を兵士にもする。「車輪の下」という言葉は校長が一度だけハンスに向かって言う。ヘッセは教育の下敷きになって死ぬ子どもを主人公にしたことによって教育界から大いに批判もされた。一方、現在の日本の義務教育の先生の不祥事は目を覆いたくなるほど多く報告され、教育の質の劣化が垣間見えるが、義務教育に疑問を呈して中学校に行かない日本の「革命少年」は本書を読まず、ハンスの父親のような俗物になることが明らかだ。日本や韓国ではさらに詰め込み教育と歪な入試が行なわれ、かくてどの大学を出たかで人生が決まる。そこにヘッセを持ち出すと、簡単に言えば芸術家すなわちアウトサイダーとしていかに生きるかが描かれる。そのアウトサイダーの範疇に日本のお笑い芸人は当然入り、彼らはいかにTVに多く出て有名になり、金を稼ぐかに最大の関心がある。ヘッセは世界的名声を得て経済力を持ったが、ではヘッセやハンス並みの天才的頭脳を持つ者だけが読むものとして書いたかと言えば、俗世間にはハンスを見守った靴職人がいた。つまりヘッセが本書で言いたかったのは、学校で教わる知識に誰よりも長けることよりも人間らしさや優しさの重要性であった。詰め込み教育レースに勝ち残ってもろくなことをしていない有名人はたくさんいる。世間では彼らの処世術を表向きは讃嘆することもあるが、要領がいいだけの小賢しい才能であることを見抜いてもいる。本書は読むべき人は読むし、読まなくても内容の本質を深く理解出来る人はいる。
 次に『知と愛』について。これは53歳で書かれた。全20章で文庫本の厚さは『車輪の下』の倍以上ある。15歳で神学校を逃げ出したヘッセは放浪癖があって、『知と愛』ではその放浪がひとつの大きな主題になっている。また『車輪の下』の神学校やハンスとハイルナーの友愛が形を変えて登場し、2冊を比べるとヘッセが加齢とともにどう変化したかがわかるが、本書では『車輪の下』では扱われなかった大きな問題が姿を現わす。それは芸術についてで、絵も描いたヘッセならではと言ってよい。本書は時代設定が明確ではないが、後半ではペストの流行が主人公のゴルトムント(金の口の意)の放浪にさらなる試練を強いるので、中世の物語とするのが妥当だろう。原題は『ナルチスとゴルトムント』で、高橋健二は前者が知、後者が愛を体現していると読み解き、『知と愛』の邦題をつけた。ナルチスはナルチシズムに由来する。ナルチスは修道院で助教師となっていて、そこに以前から申し込みのあった少年のゴルトムントが新入生としてやって来る。ナルチスは彼の数歳上と書かれる。ふたりは『車輪の下』でのハイルナーとハンスの変形だ。ゴルトムントはやがて修道院を出て放浪する。彼の母はジプシーの踊り子で、彼を捨て去り、育てるのに困った父が修道院に預けることにしたのだが、ゴルトムントは母の血をより強く引いて修道院での学びの生活に耐えられなくなったとの設定だ。『車輪の下』のハイルナーのその後を描けば、あるいはハンスが死なねばどうなったか、またどうなるべきであったかをヘッセは本書で展開する。一方のナルチスは修道院に残って学識をきわめ、やがて院長になって本書の最後辺りでまた登場し、しかも殺される直前にあったゴルトムントを助ける。本書が長い理由のひとつはゴルトムントの放浪生活を書くからだ。それは次々と女と出会い、また一緒に旅することになった同様の放浪男やまた別の男女など、冒険潭としての面白さが満載される。ゴルトムントは乞食同然のその放浪の中にいつ死んでもおかしくないが、若さがあったので出会った女のほとんどは彼と性交し、食事や金を与える。放浪する男もさまざまで、ゴルトムントは詐欺師のような男と知り合ってしばし一緒に旅をする。ある日の夜、森の中でその男はゴルトムントが衣服に高額の金貨を1枚縫いつけていることに気づき、ゴルトムントを殺してそれを奪おうとする。それを察したゴルトムントは男と格闘し、護身用の小刀で男を刺して逃げる。ゴルトムントは良心の呵責に少しは苦しむが、自分が殺されていたかもしれない。その後はもう男は登場せず、そのことは放浪者はたくさんいても、小説の主人公になるのはゴルトムントや『車輪の下』のハンスのように、秀でた知能を持つ者でなければならないとヘッセが考えたからだ。つまり俗物は俗物らしく軽く扱われ、また無残に死んで誰も顧みない。
 今でも放浪を好む男はたくさんいるが、彼らの生活の典型をそのまま描いても人々を感動させる小説にはならない。あるいは俗物好きの世間では大いに読まれるが、ヘッセはそのことに関心がない。ナルチスもゴルトムントも知的で、ヘッセがそうした男を主人公として描いたのは、自身を投影するためだ。言い換えれば自分自身のことを書いた。それは俗物ではありたくないからで、ヘッセには俗物丸出しの人物についてはよく知らないと同時に熟知しているとの考えがあって、つまるところ描いても面白くないからだ。森の中でゴルトムントに殺される放浪の男は、ヘッセが実際に出会った考えの浅い、しかもヘッセを揶揄するような俗物が反映されているだろう。取るに足らないそういう男が誰にも看取られずに犬死にするのは今でも現実的だ。ヘッセは男としてどう生きるべきかと突き詰めた結果、そのあるべき姿がナルチスとゴルトムントになった。このふたりは、特にナルチスがゴルトムントに対して同性愛を感じる。立派な修道僧になるためにひたすら勉強しているナルチスは女性とは無縁の生活で、女性には魅力を感じず、野生的で知能に優れたゴルトムントに魅せられるのは自然なことだ。知をきわめる覚悟を疑わないナルチスは、『車輪の下』ではハンスに語学を教えた先生たちになる。ヘッセは『車輪の下』ではそうした教育者、聖職者に対して厳しい告発をしたが、本書ではナルチスの学問に対して理解を示す。本書の最後近くにナルチスとゴルトムントの学問についての問答があり、前者の抽象性と後者の具象性が対立する。ナルチスもゴルトムントもヘッセの分身で、ふたりの対立はヘッセの自己問答だ。そしてヘッセはゴルトムントの芸術は放浪を経て獲得されたもので、一方でナルチスから理解される、すなわち神学に支えられた広大な知に認められる必要性を説く。ゴルトムントが放浪しなければ芸術に目覚めたか。本書は放浪ゆえにゴルトムントに自省が深化し、今までには見えなかった造形の神秘さに気づくとの筋運びで、芸術には放浪というさまざまな経験は欠かせないとする。さて、ゴルトムントはペストの町や村を通過しながら、ある日マリアの古い木造を目にして感動する。母の面影を追っているゴルトムントがそういう経験をすることは不自然ではない。それに各地で宗教彫刻を見ながら、その魅力がよくわからなかったのに、ある日突然夢中になることもそうだ。ともかくゴルトムントはある聖母像に強く打たれ、その作者に会いに生き、弟子にしてもらう。親方は理解があって、弟子になる年齢をとっくに過ぎていたゴルトムントを迎える。そうして木彫の技術をおおよそ習得したゴルトムントだが、親方の職人としての生き方に疑いを抱く。そこには優れた技術による職人芸はあっても芸術性がないと思うからだ。そこにもヘッセの芸術観がある。
 職人と芸術家はどう区別されるか。筆者は友禅作家を自称しているが、それは友禅の一部の工程に日々従事する職人とは違うからだ。筆者は白生地を使ってすべてを自分ひとりで制作する。また同じ作品は作らない。職人は型どおりに同じ作品を量産する。だがそこに芸術性がないとも言えない。柳宗悦が唱えた民藝は無名の民衆が量産した生活に供するものに宿る健康な美を称え、手仕事の量産によって獲得される美に着目した。ゴルトムントの師匠の木彫作品はゴルトムントが感動したように芸術性を持っていた。しかし師匠の間近にいて多くの作品を見ると、元来放浪癖のあるゴルトムントは師匠のように落ち着いた暮らしの中での似たり寄ったりのそれらの作品に疑問を抱く。ヘッセが言いたかったのは、そうした職人の作品が人を感動させることは否定しないが、さらに大きな感動はもっと過酷な経験の中からしか生まれないとの思い。ゴルトムントのような過激な生き方が一旦目覚めて造形作品を作ると、そこには柔和な暮らしに埋没している者には真似の出来ない激しい魅力が宿る。これは正しい。芸術にもさまざまあるが、真に偉大な作品は内的な多くの危機を乗り越えた者が命を削るように作ったものにしか生まれない。それは10代で何度か自殺を考え、その後多くの苦労を経験したヘッセの信条で、ゴルトムントが彫った作品はナルチスが院長の、またかつてゴルトムントが学んだ修道院を飾ることになって、いわば永遠に後世に伝わる。ゴルトムントの生き方は現代でも通用するか。ヘッセはそこをどう考えたか。ヘッセの水彩画は時代に応じたもので、ヘッセはどういう絵画が流行しているかを知っていた。そして当時のドイツ表現主義やその後の流派の作品にヘッセのそれを対峙させると、ヘッセの作は素人っぽく、手すさびに描いたことが伝わる。話を戻して、親方はゴルトムントの作品を見てギルドの仲間に加われるように独立を確約する。それはアウトサイダーのゴルトムントがそうではなくなって安定な生活を保障される職人になることだ。筆者は友禅の組合に入らず、しかもキモノと平面作品の双方を創作して来たが、そうしたアウトサイダーの立場では収入が不安定になるのか仕方がない。筆者には放浪癖はないが、同じようなことを文学や音楽などの作品分野で昔から渉猟し続けて来ている。その態度はわずかにナルチスに通じると思っているが、単なる娯楽享受と言ってもよい面がある。それで少しはそうしないためにこのブログを書き続けている。結局のところ、ゴルトムントのような放浪者が造形の精神性に目覚め、形あるものに思いを託す例がどれほど現実的かとなれば、本書に書かれるように大半の放浪者は無名で野垂れ死にする。ゴルトムントは劇的かつ例外的な存在で、それゆえ深い芸術性を秘めた作品を作り得たが、そういう稀有な例を小説にすることで却って読者はその非現実感を楽しむ。
 ヘッセは三回結婚した。ヘッセの女性観は『車輪の下』にも本書にも垣間見える。ゴルトムントは性的魅力が旺盛な人物として描かれ、その多くの女性との交渉は男の読者の興味をそそる。一方でナスチスが愛するものは知であり、ヘッセは性の禁欲さをも重視していたと言ってよいが、ナルチスがゴルトムントと出会った時から愛を感じたのは、ヘッセが知的な男性を好んだことから説明出来るだろう。『車輪の下』や本書、『デミアン』その他のヘッセの小説では男性同士の出会いが主題となって、女性はさほど重視されない。母性は憧れの対象になるが、それは手の届かないところにある。本書では女性は子どもを産む能力があることによってたとえば男のようには悩まないと書かれる。そして男はナルチスのように女性を断って知の世界を追求するか、ゴルトムントのように放浪の挙句、芸術家になる。もちろんその双方に無縁の男が9割以上を占めるが、ヘッセの関心はそういう俗人にはない。本書では女性が産む子どもに対して男性が生み出す作品が対峙される。その考えはヘッセが男性であることから致し方がない。ヘッセが想像力を逞しくして女性を主人公にした小説を書くことも出来たかもしれないが、より書きやすく、より真実味がこもるのは男性を主人公にする場合になるほかない。となればヘッセの小説は女性が読んでも面白くなく、また時には女性を性の対象として物語を綴っていることに嫌悪感を催すかもしれない。本書では多くの女性が登場し、ゴルトムントはそれらすべての女性を性行為まで漕ぎつけることが出来るかどうかを判断し、それにしたがって時にはうまくものし、時には対象にせず、また時には命を賭けるほどの危険に自らを曝す。そうして出会った女性の面影をゴルトムントはよく覚えていて、彫刻の師匠を初めとして彼女らの面影を木彫り作品に刻むが、知的な女性は男性から性の対象のみの存在として見られることに憤慨するだろう。そしてヘッセの小説には大きな欠点があると言うかもしれないが、子どもを産むことを拒否する、あるいは産む能力のない女性が、ゴルトムントのように芸術に目覚めてその制作に向かう実例はある。それに芸術制作に男女の差はない。もっと言えば子どもを産んだ女性はそうでない女性より経験豊かで、彼女が芸術に邁進すれば男がかなわない作品を生むだろう。そういう例を男性が小説に書くまでも、女性作家が実践して来ている。ヘッセの小説がことさら男性の読者向きと捉える必要はなく、また女性が本書を読めば知的な男がどのようなことに悩んで人生を費やすのかがわかる。もっと言えば、ゴルトムントは女性遍歴を重ねたおかげで、立派な彫刻を作り出すことが出来た。芸術作品は男だけで作るものではなく、男女の共同によるものとの見方で、ヘッセは女性を肉の存在として軽んじたのではなく、女性がいなければ芸術はないと思っていた。
 それでもなお知的な女性読者は本書を不満に思うかもしれない。ナルチスは女性がいない修道院の世界で知を深めたからだ。そういう禁欲的な僧侶の生き方は尼僧にも可能だが、尼僧で学者として名を留めた例は少ないのではないか。それはともかく、ナルチスはゴルトムントの奔放な生き方に理解を示し、羨みもする。そこがナルチスの深い人間性でもある。ゴルトムントも放浪を重ねながらナルチスを敬愛し続け、やがてふたりは再会する。そしてゴルトムントがやるべき仕事を終えた後は別れがあるのは当然で、彫刻群の支払いを求めたゴルトムントに対してナルチスはお金と馬を与える。物語の最後はその後のゴルトムントを描く。彼が修道院を去ったのは、ナルチスから危機一髪のところを助けられた直前に出会った女性に再会するためだ。その女性は総督の愛人で、ゴルトムントは彼女を町中で見つけて以来、彼女に接近し、ついには邸宅の中で逢引きを重ねるまでになったが、愛人の夫に現場を押さえられ、明朝は死刑というところにまで行き着く。ナルチスに助けられ、修道院で彫刻の制作を終えた後、ゴルトムントはその愛人のその後を知るために出かける。ところが彼女は若さがなくなっていたゴルトムントを無視する。そこには若くて強い男にしか関心のない女性の本能が示される。放浪中のゴルトムントが女性に不自由しなかったのは野生味が溢れていたからだ。しかし男女ともに齢を重ねると死が近づくだけのことで、女は子どもを育て、男は知を深めるか、芸術作品を残すしかない。もちろん大多数の男女はただ生きて死ぬだけだが、彼らがごく一部の知識人や芸術家と無縁とは限らない。人間は意外なところでつながっているからで、またすぐ近くに才能の溢れる人がいても気づかない。興味のないことは年々そうなるものだ。たとえばヘッセが生きていて電車の中で隣り合っても、そのことに気づかない人の方がはるかに多い。話を戻して、ふたたび放浪の旅に出たゴルトムントは思いがかなわず、また体力を減じていたために川の中で落馬事故に遭い、それが原因で死ぬ。主人公の死は『車輪の下』と同じだが、同作からほぼ四半世紀経っての本書では主人公は芸術作品を残して死ぬ。ハンスが生きて機械工にならずにゴルトムントのように木彫り職人に師事すれば、彼も芸術に目覚めたかもしれない。この世に職人はなくてはならないものだが、芸術はどうか。芸術は人を感動させてこそだ。それには作者が感動を源泉とする必要がある。しかし表現力の貧しさから他者の笑いものになることは多い。したがって芸術を自称するものはほとんどがゴミかそうなる運命にある。俗世間を放浪しつつ女への感謝を蓄積し、そして聖なる表現に目覚めて芸術を志すゴルトムントのような男がどれほどいるだろう。多くはゴルトムントに刺殺された口先だけの怠け者だが、得てして彼らは世間をうまく泳ぎわたって人気者になる。
●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→

# by uuuzen | 2023-05-03 23:59 | ●本当の当たり本
●『久坂葉子詩集』続き
台に こぼれる蝋の 雪景色 炎消えれば 凍えて暗し」、「決めたこと 出来ぬ自分に 苛立てば 夢判断に 気分落ち着き」、「今朝飲んだ 酒にボロ酔い 昼間寝て 深夜に目冴え 愚痴をポロポロ」、「続きとは 二番煎じの ことなれど 出がらしまでも 生き続けるや」●『久坂葉子詩集』続き_b0419387_00150954.jpg 昨日の投稿の最後に書いたように今日は残りの思いを書く。鶴見俊輔の「甘え」という久坂に対する思いに強くこだわるのではないが、まずそのことについて。久坂は10代半ばから詩を書いていた。そして詩から小説に進んだが、小説を書く合間にも詩を書いた。戯曲は3編で、そのどれもがとてもよく出来ている。ところで久坂は音楽にも美術にも文学にも才能を見せ、本書には「古蘭よ」と題する曲の楽譜が載せられている。その直前に同じ題名の1952年に書かれた長い詩があって、これを朗読する際に演奏するために五線紙にメロディを書いたのだろう。この詩の内容はかなり特異で、また久坂が李朝の白磁などの焼き物について関心があったことを示す。それは父が大事にしていた朝鮮の陶磁器が家にいくつかあったためと想像する。「古蘭よ」の詩の内容は、戦争で朝鮮から日本へ引き上げて来た父は、朝鮮在住時に庭に埋めた李朝の白磁壺を取り戻したくなり、娘の古蘭に朝鮮の服を着せて船で朝鮮にわたらせ、庭から壺を掘り起こして持ち帰らせるのだが、何度目かの成功の後、船が沈没して古蘭も壺も海底に沈んでしまったことを悔やむというもので、そこには久坂の父の骨董趣味を理解する久坂の思いが反映しているのだろう。あるいは新聞か何かで船の沈没事件があったことを知って書いたかだが、前者の可能性が大きい。となれば久坂は10代で李朝の白磁の見どころを理解し、そのさびしい味わいは自己の内面の「さびしさ」の自覚に直結しているが、久坂が李朝の白磁の魅力を知っていたとなればやはりかなりの早熟と言わねばならない。柳宗悦が朝鮮の工芸の中で特に李朝の白磁に開眼したのは久坂が生まれる20年近く前で、雑誌『民藝』の発刊は久坂の生まれ年のことであったので、久坂の父が李朝の焼き物を愛でたのは柳の影響が大きい。久坂は柳については一切言及していないが、民藝ブームについてはよく知っていたはずで、彼女がローケツ染めをしたことも民藝運動とは無関係ではないだろう。それはともかく、「古蘭よ」の詩は命を賭けて入手した焼き物を朝鮮にまで取り戻しに行かせる父の欲望と最終的な無念を描き、愛するものを手にするために命がけである点で、久坂が愛を求めながらそれを拒絶されたこと、そして自殺することに通じている。事故死と自殺の違いはあるが、いずれにしても死ぬことに変わりはない。家にはやがて順に売り払うことになる、先祖から受け継いだ美術骨董品がたくさんあったから、久坂は自然と審美眼を身につけることが出来た。つまり久坂の早熟さは家庭環境の影響も大きかった。
 今ではスマホで指ひとつで何でも即座に調べられ、知識を得られるのに、戦後間もない久坂の時代と違って大人は子どもじみて知識の吸収をせず、してもその知識は古典にはなりようのない軽薄なものに人気がある。となれば「知」が無意味、無価値と嘲笑され、久坂の早熟さを彼女の詩や小説から読み取る者も少なくなるだろう。本書の最後に、富士による注や説明抜きで、「原稿の中に残っていた二枚の文章」と題する1952年の短文がある。これは富士の創作ではないかと一瞬思わせられながら、やはり富士は誰かから久坂の未発表原稿2枚が見つかったことを聞き、それが手元にやって来たのだろう。六興出版の3冊本の中でその原稿用紙2枚分をどこに収めるかとなれば、本書の最後が妥当だ。この文章は久坂が自分の自殺を冷静に見つめて計画し、それを実行した後、AからEまでの5人の知人たちにどのような思いを引き起こすかを想像して書いたもので、読みながら背筋が冷たくなる。久坂は知人の5人の男の思いを正確に予想している。もちろん正確かどうかは5人に本心を訊いてみなければわからないが、戯曲であるかのように各人の思いを「きっとそう思う」という考えのもとで「正確に」描写している。5人は久坂を憐れみながらも突き放していて、その5人に富士がいるのかどうか気になるが、たぶんAが最も富士に近いのではないか。ともかく久坂は男たちから思いを理解されていなかった「さびしさ」をこの2枚の文章でも表現する。5人の言葉の前に久坂はこう書く。「久坂葉子は死んだと新聞は伝えた。六甲駅で最終の電車に轢かれて死んだ。これは過失であろうか。自殺であろうか。新聞の上では断定はしていなかった。彼女の持物の中には、遺書らしいものもなかったし、彼女の数日前からの態度もいつもと同じようであったという。」 そして5人の言葉があって、その後にこう続く。「一週間たった。もう誰一人彼女のことをいう者はいなかった。小さい命は誰の頭にものこらなかった。」このように書く彼女は鶴見の言う「非常に多くの名誉心」や「甘え」、「頽廃」の言葉で表現することは無理な気がする。前述の最後の言葉は現実の非情さをよく見つめている。筆者の家内が大学に勤務していた頃、ある教授が同僚の教授の葬儀に出席して学校に戻って来て思いを家内に吐露した。「あれほどの先生でも死ねば誰ももう悲しんだり、思い出したりしないですよ。教授でもその程度ですよ」。その教授もおそらくもうとっくに死に、同じようにみんなから忘れられたであろう。そのあたりまえのことを久坂は書いただけのことで、そこには生きている間に高い名声を得られなかったことの恨みはない。ただし彼女の人生の真実味は富士を動かし、六興出版の3冊以外に何度も内容を変えて本が世に出た。そして筆者が読んで久坂を想い、同様に彼女の「ささやかな名誉心」は今後も人々を共感させ、驚かせる。
 彼女は身の程を知っていた。知り過ぎていたと言ってもよい。「非常に多くの名誉心」は世間に認められたいという願望が文章や行動に滲み出ている場合には的確な言葉だが、久坂はそういうことを深く考えるより前に狙った意図を即座に正しい形の文章にすることが出来た。そこに天才性がある。自殺によって生涯を劇的なものに仕上げるとの思いに「非常に多くの名誉心」が貼りついている場合はもちろんあるが、久坂にはそういう狙いはなかった。あったのは「珠玉の作品」という言葉がふさわしくないかもしれない。自分が純粋であり、しかも書くことに努力すれば、ごくささやかな美しい玉をひとつくらいは作り得ると思った謙虚さだ。そこに「甘え」はない。ただし自殺は「頽廃」で語られやすい。10代末期の創造性に富む女性が「小さな玉」を一個くらいは生み得ると考えることは「非常に多くの名誉心」ではない。創造行為を神聖なものと自覚しても、虚栄心は二の次、三の次ではないか。そうでなければ「小さな玉」を得られないと確信する者でなければ神はその作者に「小さな玉」を与えない。久坂は創造する者は純粋でなければならないと思った。行動や思考すべてに純粋であることは聖人でなければ無理で、それで久坂は自分の醜さを何度も自覚し、そのことに辟易した。その醜さは本性として女なら誰しも持っている。そして久坂は男も醜いと思ったが、創作する者は純粋さを持っていなければならないことをよく知っていた。そして彼女の純粋さは文章に刻まれたが、それを日常の行動に押し広げると、自他の醜さに気づく。その分裂に耐えられなかったところが「病気」であり、そして自殺の結論を導いたが、妻帯者と不倫することを真剣に捉えず、自殺に至る必要はなかったと言う富士の考えに筆者も同意する。だが当時の10代末期の女性にはそういう大人びた考えが醜いものであったのだろう。彼女は次々に男に弄ばれ、また自分もそのことに夢中になり、しかし真の愛が得られないさびしさに囚われ続けた。結婚していればそうならなかったかと言えば、彼女は結婚に幻想を抱かず、姉の結婚をいわば人生の墓場のように悲しいものとみなした。となれば「さびしさ」の理由は男の真の愛が得られないと言った「小さな」ことではなく、生に意味があるのかという哲学的な思惟の穴に嵌り込んで堂々巡りをしていたかもしれない。そういう彼女の存在そのものが若者にありがちな壊れやすい純粋さで、それはもっと人生経験を積んだ人からは「甘え」に見えるだろう。久坂の最後の手紙からは久坂が自分に純粋さがあると思っていたことがわかるが、それも「甘え」ではなく、そのまま純粋であったゆえの言葉だ。繰り返しになるが、真剣に純粋さを思う久坂は一方で自己の醜さにさいなまれた。その醜さも含めて久坂を捉えてくれる男がいればよかったのに、それはかなわなかった。
 本書の最初の戯曲『かいがらのうた』は久坂の可憐さがよく滲み出ている。それは太陽(男)に抱いてほしいと常々願っている娘の物語で、ナレーション役やヴォーカル担当以外に海(男)、月(女)、雲(男)、雨(男)、風(男)が登場する。主役の娘はお日様を慕い続けながら死んでしまうが、その後に太陽は神に対して、娘を真っ赤な小さな貝殻にしてもらい、それを渚に置くことを願う。この最後の太陽のセリフは鶴見の言う「古典的な完成の域」にあって、読者はそこに至って鮮烈な情景を思い浮かべ、久坂の女としてのささやかな美とその形への希求を知る。久坂は須磨に友人の女性がいて頻繁に文通した。友人の家の目前の浜辺で久坂は小さな赤い貝殻を見つけ、そのことから戯曲の構想が成ったのだろう。そして彼女はその作品がひとつの赤い貝殻のように美しくあってほしいと願ったが、それは彼女の人生全体への思いでもあった。そして久坂の人生は一個の赤い貝殻として浜辺に存在している。それは小さいながら目立ち、美しいものに関心のある人なら拾い上げる。彼女の詩や戯曲、小説はみなその小さな赤い貝殻であることを望んだもので、そのことは「多くの空しい名誉心」ではない。浜辺には無数の砂と貝殻やゴミがある。そこに小さな赤い貝殻であることを望むのは若い女性らしさであって、また美しいものに強く惹かれる者だけが持ち得る思いだ。彼女は巨大な存在の太陽や月になりたいとは願わない。浜辺で踏みつけられたり、波にさらわれたりして海底に消えるかもしれない小さな赤い貝殻であることを望む。そこには痛々しさこそはあれ、「甘え」も「頽廃」もない。また「病気」もない。ただ彼女は浜辺の小さな赤い貝殻は必ず誰かの目に留まり、「美しい!」と思われることを知っていた。そうでなければ『かいがらのうた』は書かれ得なかった。この戯曲は小さな赤い貝殻だ。密かに、そして確信的に久坂は誰かの目に留まることを信じた。それは傲慢ではない。彼女は欲を出さず、ただ小さな赤い貝殻に感動し、そのような作品を書いてそれを浜辺に置かれることを願った。赤い椿や赤い花は彼女の詩に主役として登場する。彼女は赤を好んだのだろう。花でなければ貝だが、それの小さなものが浜辺にひとつだけある眺めは劇的かつ感動的であり、可憐さを自己主張し、人々に絶対的なイメージを植えつける。つまり絵画的なのだが、そこに彼女の才能の豊かさも感じることが出来る。その赤に囚われたような久坂が鉄道自殺をしたことは、深夜で血が見えなかったのがせめてもの彼女の美へのこだわりだ。轢死体は醜さの代表と言ってよいが、なぜ彼女は自己の醜さをそのような死に方で始末したかったのか。轢かれて滲み出る血は赤い貝殻のようか。そうではないだろう。死んだ彼女は1週間では忘却されず、「小さい命は誰の頭にものこらなかった」のではなく、赤い小さな貝殻として浜辺に置かれた。
 ヘルマン・ヘッセの小説『車輪の下』にヘッセを思わせる副主人公のヘルマン・ハイルナーが登場する。その第3章に10代半ばのハイルナーについてのこんな下りがある。「この若い詩人は、根拠のない多少甘ったれた憂うつ病の発作に悩んだ。その原因の一部は子どもの心のひそかな告別であり、一部はいろいろな力やほのかな思いや欲望などのまだあてどを知らぬ横流であり、一部はおとなになる時のわけのわからない暗い衝動だった。そういうとき、彼は同情され愛ぶされたい病的な欲求を持った。以前彼は母に甘やかされた子どもであった。まだ女性の愛を受けるまでに成熟していないいまは、おとなしい友だちが彼の慰めになった。」この最後の「おとなしい友だち」が主人公のハンスなのだが、素行の悪いハイルナーは放校されながら、第4章の最後辺りで「なおいろいろと天才的な所業と迷いとを重ねた末、悲痛な生活によって、身を持すること厳に、大人物といわないまでも、しっかりしたりっぱな人間になった。」と書かれる。久坂は「古蘭よ」や小説からは母よりも父親に甘えたことが想像出来る。そして思春期に父親代わりになる男性を求めた。その点がハイルナーとどう違うのかは女でない筆者にはわからないが、「根拠のない多少甘ったれた憂うつ症の発作」や「愛ぶされたい病的な欲求」という表現は久坂にぴったりと思う。ヘッセが古典的名作の『車輪の下』を書いたのは29歳だ。久坂がその年齢まで生きれば、ヘッセと同じように10代半ばの自己を客観的に見ることが出来たはずだが、久坂が29まで生き、そして名作をものにするには、天才的な所業と迷いを重ね、しかも悲痛な生活によって厳しく身を持することが欠かせなかった。そのはるか手前で久坂は精神の「病気」によって自殺し、そのことが「甘え」とみなされることにもなった。しかもその直接か間接的な原因は男遍歴で、それでいて心が満たされないという、久坂が戯曲『女達』で自身をたとえるような売春婦特有のもので、そこは「頽廃」と言われても仕方なきところがある。しかし10代末期の女性が3人の男と関係を持つことはあたりまえとも言われる現在、久坂の苦悩を理解する若い女性は少数派かもしれない。ヘッセが性交についてどう思っていたかは『知と愛』に書かれるように、若い男が求めれば女はたいてい応じるものであり、また女は子どもを産むことで男が抱える創造の苦しみから解放されているとし、女性の男性遍歴についてはほとんど無関心であった。それは女でないのでわからないからでもあるが、女性は男性と違って「知」ではなく、「愛」に生きる存在と、今では差別的とみなされかねない思いに傾いていたと言ってよい。そこにヴァージニア・ウルフを持ち出すとまた興味深い問題が浮上する。彼女は豊富な男性遍歴があり、小説家として名声を得てから還暦近い年齢で自殺する。久坂が長生きすればそうなったか。
 最後の戯曲『鋏と布と型(かたち)』はマネキン人形と洋服の仕立てを職業にしている谷川諏訪子との対話に終始し、久坂はマネキンに自分の思想を投影し、諏訪湖の仕事などを揶揄し続ける。どこに書かれていたか忘れたが、久坂はファッション・デザイナーを美に携わるというのに最も品性下劣な連中とみなした。その一方で久坂が生きた当時にすでに有名であった同じ神戸市内にいた田中千代だけは別と言った。演劇女優では杉村春子を別格と礼賛したが、久坂は誰もが認める才能の大御所に反旗を翻すことをしなかったと言ってよく、ファッション・デザイナーを下劣と評するのは才能が乏しいのに偉ぶることだけは一人前の人物に出会ったからだろう。それはたぶん田中千代に学んだ数多くの女性のひとりで、久坂が敵視するような高慢ぶりを見せたに違いない。それはともかく、ずばりと久坂がファッション・デザイナーに対して書く言葉は短剣のように鋭く、詩人であることを納得させる。田中千代についてはここに書かないが、久坂が自殺する頃からモダンなキモノを発表し、また晩年は日本の染織やその文様をしばしば取り上げ、西洋にはない日本らしい洋服の開発に格闘した。同じことは日本の洋画、建築家などにも言え、和洋折衷をいかにうまくこなすかを考え続けた。どっぷりと西洋では西洋人の作品に負けるから、日本らしさに目を向けるのは当然だが、文学の場合は日本語で書くから、西洋の古典をさほど気にすることはない。しかしたとえばイギリスではそれなりに知的な交友を持つにはイギリスの詩人についてなどの教養は欠かせない。久坂の手紙や小説を読むと、久坂が貪欲に次々と西洋の大家の作品に関心を抱いて本を読んで行く様子がわかる。つまり才能を育み、開花させるには古典に学ぶことの必要を疑わなかったと言ってよい。しかし10半ばから4,5年では読書量に限界はある。それに読書よりも創作が大事と考えていたので古典ないし前衛文学に対する知識は狭く限られたものであったと言ってよい。また文豪の作品を読んで影響を受ける必要はなく、自分が表現したいものは自分が持っている言葉で書けるとの自信はあったろう。そういう久坂であればたとえば田中千代に少しくらい学んでデザイナーを気取る人物は許せなかったに違いない。それにいかに格好いい洋服をデザインしてもその誂えを着るのはひとりで、小説のように多くの人の手に届かない。つまり洋服の創作と文学とでは比べものにならないと久坂は思っていたであろう。誰でも格好よく見られたいから、格好いい洋服を求めたがるが、それが行き過ぎて全く似合わず、傍目にはチンドン屋に見える場合は多々ある。そうした美の本来の役割を通り越して洋服のみ目立つこと、またそういう服をデザインして仕立てる連中を久坂は醜いと思っていたのだろう。この考えはよくわかる。
 『鋏と布と型』は1952年に書かれた。「奇怪なる音楽」の断りが最初にあり、マネキン人形が動く際にはそれが演奏されることを久坂は指示した。その音楽が具体的に誰のどういうものを意識してのことであったかとなれば、久坂はフランスのミヨー辺りを聴いていたので、無調の音楽ではなく、調性はあっても不協和音が目立つ旋律を思えばいいだろう。またその音楽は久坂の知り合いの音楽家に任せ、久坂は作曲しなかった。マネキンが動く際に奇怪な音楽が鳴るのはフェリーニの映画『カサノヴァ』を思えばよい。そこではカサノヴァがマネキン女性と踊る場面があり、背後ではニーノ・ロータ作曲の奇怪な音楽が終始流れる。だがその映画は久坂が死んで四半世紀後の製作で、その意味で久坂は先駆的な発想を持っていた。『女達』では原爆で顔を焼かれた高齢女性や戦争から復員して飲んだくれになっている高齢の男が登場し、久坂の時代ではよかったが、現在の上演では時代設定が古臭い。それは『鋏と…』でも言えなくもない。諏訪湖はある婦人から注文を受けて仮縫いを済ましたのだが、注文主がわずか10日ほどで太ったためか、寸法が若干合わない。そういう誂えの洋服をもっぱら注文する人は今でもいるだろうが、高級ブランドの洋服が日本でも高度成長期以降に人気を博し、洋服の美しさよりもそれがいかに高価で売られているかに関心のある女性が増えた。そのため『鋏…』の内容は時代遅れに思われるだろう。それはともかく、マネキンは諏訪湖に辛辣なことを言い続け、次第に諏訪湖は不安になる。こんな場面がある。「私はデザイナーよ。ものをつくり出す人よ」「……およそ、つまらない一つの職業だわ。人間のうちでよ」「いいえ、神聖な職業よ、デザイナーは、芸術家よ。…」この後もマネキンは執拗に諏訪湖に反論を続け、諏訪湖の名誉のつまらなさやまた10年経てば皺だらけの顔になることを指摘して諏訪湖を滅入らせる。ここには生きている諏訪湖と物としてのマネキンの対立があり、久坂は生をつまらなく思い、いつも同じ姿で諏訪湖の前で以外は動かないマネキンを死の象徴とみなしているところがある。つまり自殺への憧れが裏打ちされている。諏訪湖には夫がいて、彼女は食事の用意などの家事を当然のごとく行なうが、そのこともマネキンには揶揄の対象になっていて、久坂が結婚にどこかで憧れつつも幻想を抱いていなかったことがわかる。3編の戯曲ともに登場人物に救いがない。あるとすれば死しかなく、死んで初めて安らぎを得られるとの設定だ。久坂はその思いに囚われ続け、予定したように1952年の大晦日に自殺した。死んだ当初はどのように詮索されるかを予期し、1週間経てば誰も話題にしないことも予想してそのことを文章にした。それの用意周到ぶりはあっぱれではあるが、後味はよくない。しかし久坂が望んだように久坂の作品は浜辺の小さな赤い貝殻にはなった。
 もう一段落書く。『女達』に「勝手にしやがれ」というセリフがある。同名の有名なフランス映画が1960年に公開されたが、邦題をつけた人は久坂のこの戯曲を読んだかもしれない。その映画の邦題は映画の中の言葉を訳したもので、原題は別の意味を持つ。その原題の直訳では格好よくならないので、それで『勝手にしやがれ』を意味する言葉を選んだのだろうが、そのフランス語の言葉をたとえば「どうぞ御自由に」と訳してもかまわず、それを「勝手にしやがれ」と訳したところにこの映画の日本でのヒットに大きく貢献したと思う。その結果後年同じ題名の日本の歌謡曲も流行するが、それほどこの「勝手にしやがれ」の表現には強さがある。久坂が初めて『女達』で用いたのではないが、同戯曲が描く世界ではこの表現はぴったりして久坂が悪態言葉を駆使することにも才能があったことがよくわかる。それで前述のフランス映画が日本に持ち込まれた時、当時のことであるから、読書家であったはずの邦題担当者は『女達』に一度だけ使われている「勝手にしやがれ」に着目したのではないか。さて、筆者は演劇を生で見た記憶がほとんどないが、コロナ禍が広がる前年の12月下旬のとある夜に、ある女性の紹介によって大阪阿倍野のとあるシアターでイヨネスコの生誕110年記念と銘打った『授業』の上演を見た。入場料3000円でその半券がどういうわけか『古文書のよみかた』という本に挟まれているのを最近気づいた。登場人物は主役の男性に若くてきれいな女性ふたりで、またジャズ・バンドが伴奏をした。演劇が終わった後、しばし筆者は主役を演じた茨木童子と話をした。彼は大型電気店で働きながら演劇を今後も続けたく、唐十郎の赤テントのようなことをしたいとも語った。イヨネスコのような古典を演じる一方でまた前衛的なと思うが、「状況劇場」ももう古典になっている。筆者は70年代半ばの一時期に「状況劇場」の下働きのようなことをしていた同世代の男性を知るが、彼は還暦を迎える前に流れ者となって京都を去った。妻から「勝手にしやがれ」とばかりに離婚を迫れたからで、裁判の後にそれが決まった。戯曲を書いたチェーホフは、演劇は俳優以前に戯曲の内容でよしあしが決まると言った。俳優は書かれたセリフを読み、演じるだけであるからだが、久坂が演劇俳優も「つまらない職業」であると思っていたのか。それは久坂が自ら書いた戯曲の上演に際して舞台に立ちたがったかどうかで判断すべき部分があるが、登場人物に自己を投影しながら、実際に演じたのは別人であった可能性もある。久坂がいわゆる人前に出たがりであれば、富士の言うようにすぐそこまでやって来ていたTV業界で久坂は黎明期の黒柳徹子のような役割を担ったかもしれない。しかし戯曲の執筆は裏方でありながらすべてを支配することで、自分を画面に晒して人気者になることを久坂は望まなかったであろう。
●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→

# by uuuzen | 2023-05-02 23:59 | ●本当の当たり本
●『久坂葉子詩集』
かには 惚れぬ自信の 揺らぎあり されど縁は 相手も握り」、「さびしさは 愛なきことに 忍び入り 赤きハートの Tシャツ着ても」、「核心を 得て空っぽと 知る後に 何で埋めるか 前途の荒野」、「萎縮して 世の片隅で 目立たなく やがて縮むや 脳の認知度」●『久坂葉子詩集』_b0419387_02562324.jpg 富士正晴が編集し、昭和53,4年に六興出版から世に出た久坂葉子の3冊の本のうち、2冊目の『久坂葉子詩集』を読み終えた。3冊では最も頁数が少なく、また詩と戯曲を収め、余白が多いのですぐに読破出来る。結論を書けば3冊では最も印象に強く、久坂の天才ぶりが改めてわかった。本の帯に鶴見俊輔が評を寄せていて、短文ながら的確な内容だ。全文を引用したいほどだが、あちこちかいつまむと、「誰の仕事にも似ていない」「古典的な完成に達している」「久坂葉子の航跡は、現代における人間全体の航跡を代表するものと言えず、日本人としての典型的な航跡とも言えない。だが一人の誠実な個人の生涯のもつだけの意味をもっている。それは歴史によって変質を要求され、しかも変質に成功することができずに悩み、自分をたちきってしまった一人の生涯であり、このような人は久坂の他にかなり多くいるはずなのだが、久坂ほどにはっきりと自分の病状を見て、勇気を以って報告した例は少ない」「非常に多くの空しい名誉心と甘えと頽廃を見せながら、底をつらぬく勇気を感じさせる」これらの引用の結論は「病状」や「甘えと頽廃」の言葉に表われている。鶴見は久坂の21歳での自殺を病気とみなし、また甘えと頽廃があったとも考える。筆者は久坂に「甘え」があったとは思わないが、「病状」と「頽廃」の形容は賛成する。前者のいわゆる「精神の病」が当時の若い女性にありがちであったのかどうかは知らない。同じ時代を生きた鶴見は久坂が精神を病んだのは甘えであり、頽廃的であったからとみなすのだが、一方で鶴見は久坂が「誠実な生涯」を送ったとも書くから、「頽廃」と「誠実」は相反するものではない。本書の詩は書かれた順に並び、最も古いものは17歳で、鶴見が「古典的な完成」と評価する「月ともものみ」も17歳の作だ。つまり久坂は17歳で完成していた。それから死ぬまでは4年だ。その4年を「非常に多くの空しい名誉心」に駆られて久坂が書き続けたのかどうかも筆者はわからないが、本を出したいと思っていたことからそう見られても仕方のないところはある。ただし才能を強く自覚する10代の人が名誉心を抱くのは健全であると言ってよい。それは世間知らずかもしれないが、人間が年齢を重ねるほどに世間をよく知るかと言えばそうとは限らず、10歳頃にはもうさまざまな人間すなわち世間を見通しているものだ。つまり久坂は早々と人生の味気なさを知り、面白いことは何もないと見限ったのだろう。それは男への愛が通じないことの絶望があったと言えるかもしれないが、本書を読むとそれだけでもない気がする。
 久坂は男に期待していなかったと言ってよい。あるいは自分の一途さに見合う男性を探しながら、出会えなかった。どこかにいるはずなのだが、出会いがなければいないも同じだ。久坂は10代の終わり頃から21歳までの間に何人もの男と知り合いになり、以前書いたように3人とほとんど並行して肉体関係を持ったが、最も愛した男からは女郎のようだとか、「下の下の女」と言われた。そのことが直接の自殺の原因になったかと言えば、その男と知り合う前から何度も自殺未遂を企てたので、失恋が自殺の原因とは言えない。本書で最も面白いと思った作品は戯曲「女達」だ。神戸の港の地下室に住む売春婦とその親たちが繰り広げる物語で、主人公の久良々が久坂本人の思いを最も代弁している。彼女は男を信用せず、絶対的なさびしさを抱えている。富士正晴の『贋・久坂葉子伝』には富士が久坂の訃報を聞いて通夜に出かける場面があり、久坂の家に着くと男子大学生が5,6人泣いていた。久坂は親しい女性から久坂の戯曲は学芸会レベルであると厳しい意見を聞かされていたことが久坂の手紙からわかるが、富士が通夜で泣く男子大学生たちを見つめる眼差しにはその学芸会レベルの演劇仲間であることの皮肉が感じられる。それで筆者は久坂の戯曲を読む必要を思い、読んでも感心しないであろうことを予想した。ところが「女達」は21歳の独身女性が書いたとは思えない完成度と世に対する批判がある。また「女達」という題名が示すように、女性の本性を書き示すことが久坂の文章におけるライフ・ワークであったことがわかる。その女の本性は鶴見の言う頽廃で、それを描こうとした久坂は社会の最も底辺の人々、特に売春婦になるしかなかった境遇に対する告発めいた考えを持っていた。それが「甘え」であるかどうかは「女達」を読む人によって考えは違うはずだが、久坂が売春婦や貧しい人々に同情的であったことは確かだ。ただし「女達」は男爵の曾孫であったとは思えないほどに社会の底辺の人々の言葉使いや凄惨な暮らしを描き、どこで題材を仕入れたのかと思わせられる。その凄惨さのひとつは金にしか興味がない売春婦のミミで、彼女は大酒飲みの父親を階段で蹴落として死に至らせる場面にある。また純粋な恋愛から結婚を夢見る売春婦ひろみも登場するが、彼女が愛した男は警察に捕まり、売春婦の結婚への願いなど笑止千万との考えが書かれる。久坂は久良々に自分を投影したとして、なぜ自分を売春婦と思ったかと言えば、前述のように愛する男からそのように言われたからだろう。「女達」の最後の場面は久良々の長いセリフだ。そこから引用する。「…何という生活だろう。…男達がにくい。わたいの生活、男をにくみながら男にささえられているんだ、わたいはミミに嫉妬する。あの子は快楽を得ているんだ。わたいはひろみにも嫉妬する。あの子はともかく惚れられたんだ。」
 「女達」は1952年5月27日に初稿が成り、翌日改稿、さらに3日後に書き終えている。『久坂葉子の手紙』には久坂が同年10月26日に兵庫県庁内の欽松学園で現代演劇研究所の発表会をしたことが地図入りの案内はがきで紹介される。音楽つきであったので、その演目は「鋏と布と型」かと思わせられるが、同作は自殺する12月の作だ。そして本書には12月13,14日に現代演劇研究書が神戸繊維会館で催した「女達」の舞台写真が載せられ、おそらく10月26日も「女達」を披露したのだろう。そして同年の大晦日に久坂は自殺するから、「女達」の久良々に久坂の言っておきたかった思いを代弁させたと考えていいのではないか。先の引用の続きにはこうある。「…久良々は女なのだ。さみしい。さみしさしかない。…だのに生きてゆく、生きてゆく女なのだわ」この最後の言葉は男たちを憎むさびしい売春婦も生きて行くという前向きの思想が表明されている。これは舞台劇としては後味のよさを示すためにも必要であったろう。だが久坂は神戸繊維会館での上演からほぼ2週間後に自殺する。それは「さびしい」思いだけが残り、「生きてゆく」ことを諦めたことになる。そこに鶴見の言う「甘え」があったのだろうか。「男達がにくい」というセリフはラジオ局に勤務する妻帯者のプロデューサーと不倫して捨てられた経験があってのことだろう。妻帯者とわかっていながら関係を持ったのであるから久坂にも落ち度があった言うべきかもしれないが、男は仕事を与える代わりに肉体関係を迫ったかもしれない。当時はTVが出現する前夜であったが、TV局でもプロデューサーが若い女を漁ることは今でもあたりまえにある話のはずで、女のほうも体と交換に名声と金を得ることを何とも思わない者が芸能界や法放送業界に巣食うだろう。富士は久坂が数年先にやって来たTV時代まで生きればTVの世界で有名になったのにと惜しむが、ラジオ局にアルバイトで勤務していろいろ嫌な経験をしたのであるから、TV界ではもっとそうであったはずで、いずれにしろ久坂は男の醜さ、非情さに幻滅したであろう。そういう久坂が最期に男優と恋愛したことは解せない気がするが、さりとて小説家となれば格好よく見えなかったのであろう。それはさておき、「女達」の終わりのセリフが「生きてゆく」であるのに、久坂は年末に自殺することをその上演の頃にはもう決めていたであろう。作品の中で「生きてゆく」と表明することと現実に自殺することとは矛盾しない。作品は作品で、作者の人生はまた別であるからだ。それに「女達」では久々良ら売春婦は何の希望も見出せずにただ生きているだけで、久良々にしてもミミやひろみにしても、明日はどうなるかわからない。つまり久坂が自殺したことを知って改めて「女達」を読むと、登場人物全員に救いは訪れないことを確信する。
 久良々の最後のセリフの冒頭は「生きてて一体何があるんだ、何という生活だろう。…」とある。「何という生活」は貧しい売春婦の思いを代弁するとして、「生きてて一体何があるんだ」は経済的に裕福な、あるいは名声を得た者でも感じる場合があって、それを21歳の久坂が思い、そして自殺することは「甘え」や「頽廃」はひとまず置いて、「病気」とみなさねば多くの人間は安心して生きて行くことが出来ない。生きていて楽しいことは人それぞれに違い、それらを数え上げると無限にある。したがってそれらはどれも些細なことで、ある人には価値がない。そのことを認めると、「生きてて何があるんだ」という虚無の空間がすぐ隣りに大きな口を開いているように感じることがある。それが増長すると精神の「病気」になって自殺に至ると単純に言ってしまうと、久坂の自殺は間違った行為であったと糾弾することになる。自殺は悪であると一般には言われるが、他の動物と違って人間のみが死を自分で選ぶことが出来る。それは最後に残されている尊厳と言うことも可能ではないか。鶴見は本書の評文の最後にこう書く。「この人は自分にせいいっぱいのことをしたのに違いない。」これは全くそうで、本書を含む3冊を読むと、久坂はやるべきことをすべてやり終えて死んだように思える。確かに長生きすればもっと多くの作品を書いたはずだが、それらは3冊に書かれることが核になって、言い変えれば繰り返しに終始したであろう。本書に収められる詩はそういう核の最たるもので、それゆえ鶴見は「古典的な完成に達している」と書いた。10代でそうであれば、長生きして多作しても同じではないか。あるいは逆に筆の力が鈍ることもあり得る。生きていて何があるのかという白けた言葉は人間の醜さを知ったためであろう。久坂は最後の手紙でこう書いた。「そんな汚い世の中に住んでいたくない。…世間知らずかも知れないけど。富士さんのような年とった人でも やはり私と同じだ。私よりもっと純粋かも知れない」 これは愛した男への非難の思いを含むだろう。つまり相手の男を富士のように純粋ではないと言っている。つまり久坂は最愛の男に幻滅した。とはいえ年齢が離れ過ぎていた富士はそもそも恋愛の対象にならない。久坂はいくらでも男と知り合う機会はあったはずだが、夢中になれる相手はそうたやすく見つからない。これが人間の不思議なところで、売春婦にしても体は与えるが、心は別物と思っている。実際そのとおりだが、「女達」に書かれるように売春婦はまともな結婚は出来ず、好意を抱いてくれる男がいても犯罪者や詐欺師といったことが現実であると、久坂は醒めた思いを抱いていた。クロード・チアリのギターで有名になった「夜霧のしのび逢い」は売春婦の恋愛を描いた映画の主題曲で、筆者はその映画を見ていないが、御伽噺のように非現実的な物語に思える。
 久坂は「女達」の上演で主人公を演じたか。久坂以外に演じる女性がいるとは思えない。とすれば久良々のセリフは久坂の思いを悲愴なまでに体現していた。そして上演が終わればもう思い残すことはなかったのであろう。書き、言うべきことはみな済ませた。後は死ぬだけで、汚い世の中に住んでいたくなかった。他人はいざ知らず、自分だけでも純粋さを保って長生きすればいいと筆者は思うが、「女達」にあるように、女は男を憎みながら男に支えられている。これは主に「経済的に」との意味だろう。久坂の才能がさらに開花して人気作家になれば、経済的に自立し、男に頼る必要はなかった。久坂以降にそのように有名になった女性小説家はいくらでもいる。一方、筆者が思い出すのは東電OL殺人事件の被害者になった東電勤務の39歳の独身女性だ。彼女は昼間は多忙な仕事に従事し、夜は売春婦となっていた。そして男に殺されたが、経済的に困窮していたのではなく、鶴見の言葉を借りれば「病気」であった。そしてたぶん男を憎みながら、生きていても何があるのだとの思いに駆られていた。そのOLと久坂と共通するのは「さびしさ」だ。OLは仕事と売春業を両立させ、どちらにおいても「さびしさ」から脱することが出来なかった。しかし久坂のように自殺はせず、殺されたが、その死は自殺に等しい。本人にすれば殺されよかったのだろう。久坂とそのOLとは27歳ほどの年齢差があるが、戦前と戦後の違いはあっても同じ昭和世代で、両者とも男尊女卑の考えが強い時代を生きた。鶴見が「このような人は久坂の他にかなり多くいるはず…」と書くのは久坂のように自殺した文筆家の才能のみを思ってのことではない。東電OLも本人は意識はしなかったであろうが、結果的には「はっきりと自分の病状を見て、勇気を以って報告した例」となったと言ってよく、筆者は彼女に久々良の姿を重ねる。貧しさゆえに売春婦にならざるを得なかった久々良やミミ、ひろみとは違って東電OLは有名大学を出て恵まれた社会的地位にあったが、それでも男を敵視した「さびしさ」を抱え込んでいた。久坂が純粋な心を持ったまま文筆家として名声を得ることは可能であったか。それはわからないが、現在名声を博し、経済的にも成功している女性の小説家を見ると、さて久坂の言う純粋さがあるのかどうか、筆者は疑問に思う。久坂が長生きして有名になれば純粋さを失ったか。それも誰も知りようがないが、女を意識した久坂は女の醜い面もよく凝視していて、そのことは「女達」にも書かれる。つまり、久坂は久良々でもあり、ミミでもあり、またひろみでもあって、売春婦は男に支えられて生きるしかない存在で、女の本質を体現していると思っていたのだろう。そして有名になったところでそれは変わらない。以上は本書について書きたいことの半分ほどだ。久坂の笑顔の写真を見ていると、筆者は彼女と話したくなる。
●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→

# by uuuzen | 2023-05-01 23:59 | ●本当の当たり本
●「にこっと笑って」by 弦花
けずに 女心は わからぬと 愚痴をこぼすは もてない男」、「多夫多妻 これが理想と 言う若さ 結婚せずに 夫妻はなきに」、「気がかりを ひとつ減らして ひとつ増え 障害物の 多き人生」、「人並みを 思うことなし 別格は 人の波見て 吾加わらず」●「にこっと笑って」by 弦花_b0419387_15083389.jpg 何の木かわからないが、CDの紙ジャケットの裏表につながる形でほとんどモノクロに加工された大木の写真が使われ、その密集する枝葉の中央に「ヨリソウ カゲ」の手書きによるレトロ風のアルバム・タイトルが白抜きで印刷される。その下に別の書体でシンガー・ソングライター名の「弦花」が記されるが、彼女はコロナ禍以降演奏活動を止め、またツイッターでは別の名前「山澄」に変え、その投稿はフォロワーのみが見られる。「山澄」が彼女の苗字かどうかは知らないが、この言葉は彼女が1枚だけ出した前述のアルバムのジャケット写真と合わせれば、田舎暮らしをする自然愛好家と思わせもする。だが田舎の定義は相対的なものだ。東京からすれば大阪は田舎で、大阪からは京都や奈良が田舎になる。奈良でも田舎の度合いは各地によりけりだが、ともかく彼女は奈良県に住み、アルバム写真のような眺めが近場で得られるのだろう。歌詞を印刷した三つ折りのリーフレットの裏表はたぶん午後遅くの山中の林らしき光景の写真で、モノクロに近いながら緑や桃色がわずかに見え、表紙の中央を占める太い木の背後にスマホかカメラのようなものをお互いに翳す若い男女らしい影が垣間見える。それが「ヨリソウ カゲ」を意識した演出なのか、また木の背後に人物が半ば隠れているのかどうかも定かでないが、アルバムのジャケットのいわば大木に対峙してその全景を捉える解放的な写真とリーフレットにおける林内部の写真との対比が、彼女の二面性と言えば語弊があるが、陰陽の二面に関心があることをうかがわせるに足る。陰陽は音楽では短調と長調になぞらえ得るが、あるひとつの楽曲は短調でも途中で長調に転調することは多々あり、またその逆もあって、あることの内部には陰陽が混在していると言える。陽気一辺倒のお笑い芸人に見えて彼らはひとりになると悲痛な顔をすることはあろうし、またそれでこそ人間であって、陰陽の混ざり具合すなわち悲しみがあって楽しさが引き立つことを面白いと達観することが長い人生航路を過ごして行くには欠かせない。悲しみのどん底にある気がしている時にも世間はいつもどおりに動いている。そのことが自分の存在を無視していると思えばなおさら悲しみに沈むが、人生の舞台に顔を出してやろうとわずかでも前向きな気持ちを持つのがよい。そうすれば白けて見えていたものに愛着を覚えられるようにもなる。自分のことはよくわかっていると思い込まないことで、ちょっとしたことで人間は落ち込むが、ちょっとしたことで気分は晴れる。もちろん弦花さんはそのことをよく知っている。それゆえ陰陽を示すリーフレットとジャケットの写真だ。
 「ヨリソウ カゲ」は「ヨリソウ」が陽だ。「カゲ」はすばり「陰」で、彼女の曲を読み解く鍵はやはり陰と陽と言わねばならない。繰り返すとそれは短調と長調で、彼女の作詞作曲は言葉の陰陽と旋律の短長を掛け合わせたものだ。そこに複雑な綾が生まれるという、いわば歌詞を伴なう音楽におけるあたりまえのことを基本に意識した態度が見られる。それは音大で把握したことだろう。ところで筆者は彼女のライヴを3回見たが、最初にツイッターのダイレクト・メールが彼女から届いたのは2019年1月だ。その時の文面に150字ほどの自己紹介があり、「知り合った方だけに話ししている内容です」とのただし書きがあった。その自己紹介文の内容を以降に見た彼女のライヴの感想の投稿時に筆者は書いていいかどうかを彼女に訊ねないまま今日に至っているが、彼女の作品をより理解するうえで、また筆者がこの文章を書くうえで最低限触れておきたいことがある。それはまず彼女が音大在学中に出産、そして結婚したことだ。声楽科を卒業した後、家庭に収まって音楽とは縁のない生活を長らく続けたが、36歳からギターを週一回、4年間学び、39歳で本格的に音楽活動を始め、前述のCDを2019年5月に発売した。彼女は大学でオペラ歌手を目指しながらクラシック・ギターの講義も1年受けた。つまり大学での学びが基礎になってシンガー・ソングライターになった。10数年眠っていた音楽への思いの再燃は、オペラ歌手にはなれなかったことの代償行為か。自分の詩を自分で演奏しながら歌うことはオペラ歌手にはない創造行為だ。また若くして結婚し、子育てなどが一段落した後での活動は、豊富な経験に裏打ちされた作品性を示唆し、女性芸術家のひとつの興味深い見本を提供している。夫婦共働きかどうかはひとまず問わず、主婦が自分の内部から湧き上がる創作意欲を作品として吐き出す行為は、世間では時間と金を使う単なる暇つぶしと取られかねない場合が多々ある。だがそれを言えば男性も同じだ。本人はいっぱしの芸術家ぶった気持ちで創作するが、箸にも棒にもかからない作品しか生み得ない人は大勢いる。そこで指標となることは、作品が世間でどう受け入れられるか、簡単に言えば収入につながるかだ。経済的な利点がない場合、世間はそれを趣味とみなしてまともに評価しない。だが、たとえば金持ちの主婦が趣味で作ったごくつまらないものでも、彼女の知り合いの範囲において作品展を開くと飛ぶように売れることはよくある。そのため彼女は同種の人間が構成する狭い範囲にしろ、いっぱしの名のある芸術家として自惚れることがあろうし、そうなればやがてもっと広い世間に名前が知られて行く可能性が出て来る。有名になることは必然ばかりとは限らない。偶然間違った方法で有名になる場合があり、芸術についてもそれは何かという問題までに曖昧にされる。しかし作品の格調はやはりある。
●「にこっと笑って」by 弦花_b0419387_15085316.jpg
 自分が好きであれば、その作品が芸術でなくても全くかまわないと多くの人は思っている。その態度は正しい。それで10代の女性アイドルを追いかけるおじさんがいるし、ライヴハウス通いを趣味とする高齢男性もいる。生きる元気をもらいたいために若いエネルギーの発露に触れたがる。それは高齢になっても変わらないどころかさらに増すこともある。そこに男は女を求め、女は男を求めるという本能を持ち出すと、男女ともに相手の異性が若いほどによいという思いがひとつの真実として立ち現われるが、一方的な憧れは自由にしてよくても、実際に触れ合う場合、高齢男性が若い女性を、またその反対に高齢女性が若い男をとなると、不自然さが顔を覗かせる。その考えは道徳に縛られていると言うことは出来るし、また男女では生殖能力の年齢差があって男女は同じには言えない部分があるが、現在活動中の創作家に対して作品は作者と切り離せないと見るか、作者がどういう人物であっても作品のみを評価するのかという立場の違いの問題も含んで作品の質の評価は強固な基盤を持たず、人気の度合いは絶対的なものではない。簡単に言えば、弦花さんの経歴を知ったうえで彼女の曲を聴くとまた違った面が見えて来るのかそうではないのかとの問題があって、結局筆者のこの文章も彼女の曲のどこに焦点を合わせるべきかに収斂する。主婦である彼女の曲はどういう人々に歓迎されるかとの思いが筆者にはあるが、もっと端的に言えば若さを得たいため、また私的な関係を持つ可能性がゼロではないと図々しく夢想する男性客にとって彼女はどう見られるかだ。昔と違って今では芸能人は結婚して子どもを産んでも熱心なファンはついて行くが、それはその芸能人の生き方に同意出来るからで、10代のアイドル歌手とは違うと言ってよい。だがそう断言するとまたややこしい問題がある。つまるところ、結婚していようがいまいが、本人の魅力が問われ、その魅力はわずかに知った段階においても華があるかどうかで判断される。その華とは大勢から秀でて目立つ何かだ。その目立つ点をたとえば弦花さんは学生の頃に結婚して出産したことだと言われると心外だろう。彼女が大阪のライヴハウス「HARD RAIN」で演奏した時、「ストレインジ・フルーツ」と題して企画されて集められた数人のひとりとしてであった。弦花さんを、あるいは彼女の作品を「奇妙な果実」と形容することは言い得て妙だが、ではどこが奇妙なのか。多くの女性シンガー・ソングライターとは違って結婚して家庭を持っていることと言えば、それは正しくないとしても、一方でそうであるからこそ獲得出来たものがあるはずで、その成果を奇妙と見るのはライヴハウス界では当然ではないか。つまり彼女はシンガー・ソングライターとしては異色で、その分強みもあればまた弱みもあり、女性によりファンが多いことが想像される。創作の希望を与えるからだ。
 彼女の強みとは結婚してそれなりに安定した暮らしをしていることだ。芸術家は安定しては駄目だとの意見もあるが、ある程度の安定がなければ創作は続かない。弦花さんが安定の暮らしから詩と旋律を紡ぎ、編み物のように織り上げるには時間も費用も要するが何よりも大事なことは作ろうという前向きな意思だ。創作の原点にそれは欠かせない。誰でも漠然と作りたいと思う。そこから進んで実際に作り始め、完成させることは別問題だ。それこそが植物にたとえると「花」であって、弦花さんは音大を卒業して初めて「ヨリソウ カゲ」で当時の彼女のさまざまな思いを網羅した。網羅という言葉はふさわしくない。網羅したのであればもう次に言いたいことはないか、あっても二番煎じになるからだ。それで「ヨリソウ カゲ」は当時の彼女の思いの一部を吐露したもので、その部分から欠けているものがどう広がっているのか、あるいは彼女自身気づかずに眠っているのか、それとも充分気づきながら自粛して表明しなかったのか、筆者はいろいろと気になりながら、もちろん彼女の私的なことに立ち入る思いはなく、アルバム「ヨリソウ カゲ」からしか彼女の内面を覗き込むしかない。だが、仔細にそうしてもアルバムに収録される全9曲の歌詞がどれも彼女の実生活の思いを正直に綴ったものか、あるいは架空の思いを混ぜたものかはわからない。後者を嘘と言ってしまうのはよくない。想像で書いたことでも何らかの真実が背景になければ他者の心には響かない。結局のところ9曲の歌詞はどれもそれなりに彼女の真実を伝えると考えるしかない。また彼女の歌の表現性は「軽み」よりも一種の「重み」により近く、詩はどれも私小説性が濃厚だ。それはアイドル歌手の歌とは一線を画し、また音大出であることと30代半ばの人生経験豊富な女性の貫禄を伝える。こう書けば彼女は褒められているのかけなされているのかわからないだろうが、ここには書かないが、彼女の経験はやはり重い。そのことが彼女の作曲と歌唱に反映している。そこに「奇妙な果実」とたとえることの正統性があるが、「奇妙な」は彼女の場合、奇を衒ったものとの意味では全くない。流行歌に範を採った曲ではなく、またギターを弾きながら歌うフォーク・シンガーのイメージとも違い、つまりはライヴハウスでもっぱら演奏する女性シンガー・ソングライターとしては珍しい部類に入るのではないか。それはやはり子どもの頃から歌好きで、オペラ歌手を目指して声楽を学んだことに原点がある経歴ゆえで、正統的で真面目と言えば堅苦しい印象を与えるので、軽薄さとは無縁と言っておくのがよい。ではそういう彼女や彼女の曲に華があるのか。「弦花」と自称するからには彼女は女、そして花を意識している。華は大輪の花を意味する。彼女が真の華を獲得するには曲をもっと書くべきだ。しかし京阪神を股にかけた彼女の旺盛なライヴ活動はコロナで中断された。
●「にこっと笑って」by 弦花_b0419387_01140652.jpg ライヴハウスでのレパートリーはCD収録の9曲以外にあったのかどうか知らないが、筆者が聴いた限りでは毎回最初にアルバムの最初の曲「お月さま」が歌われた。これを彼女の代表作として本日の投稿の題名にするつもりであったが、全9曲を聴き込むうちに思いが変わった。全9曲は計33分ほどでLP時代でも少ない。もう2,3曲あればと思うが、9曲でひとまず当時の彼女の言いたいことが尽くされていたとみなすほかない。月への賛歌である「お月さま」は夜の曲だ。しかも冒頭の歌詞「ぽっかりと空に浮かんだまん丸おおっきなお月さま」からいちおうは満月に対する思いを歌うが、月は太陽とで陰陽を成し、アルバム冒頭に「陰」の曲を持って来ながら、その「陰」を歌詞全体で礼賛している点で「陽」の曲となっている。これは「ヨリソウ カゲ」と同じで、ひとつの事物に対する相反する両面を彼女が見ていることになる。また「月」は古代から女性の象徴で、この曲の歌詞は本来男性が歌うべきものとしてよいが、男女を入れ替えられる歌詞は2曲目の「一輪のバラ」にも言える。同曲の歌詞は「ある晴れた昼下がり……少年の前に一筋の光が差し込んだ……彼の心に真っ赤な一輪のバラを咲かす」といった内容で始まり、このいわば初恋についての歌詞は少年と少女を入れ替えても全く不自然ではない。男性がこの曲を歌う場合はそうすればよく、同じことは60年代前半のアメリカの流行歌にはよくあった。また弦花さんがこの曲を少年の経験としていることは、10代後半で結婚した彼女のご主人の弦花さんに対する鮮烈な記憶かと想像することも可能だが、恋の対象となる相手を一本の赤い薔薇の花にたとえることは男女差はない。つまり本曲では男の「陽」と女の「陰」が入れ替え可能で、その点で「お月さま」に通じている。これは弦花さんが男性的女性で、彼女は本来女性的男性に憧れがあることを暗示させもする。もっと言えば彼女は両性具有的で、ヴァージニア・ウルフの小説『オーランドー』のようにはあからさまではないにしろ、男女の社会的役割に対して何らかの異議を持ち、その意味できわめて今的な女性と言っていいかもしれない。ただし彼女は女性の権利を声高に唱えるよりも、男女は共に「カゲ」となって「ヨリソウ」べき存在であって、女性の役割を自覚しつつ男性と対等になりたいとの思いが勝っているだろう。上記の2曲は彼女の自信作のはずで、アルバムの最初に続いて聴くと鮮烈な印象を覚える。また同2曲は「月」と「花」で、聴き手は次に「雪」を求めたくなるが、それについての曲はない。それもあって筆者は9曲を並べ変えた。それは曲目を陰陽で振り分け、曲配置を陰陽交互にし、またある一日の出来事を述べるヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』のように順序立てた。ただし遠い山を虫眼鏡で覗けば像が転倒するのと同様、彼女の深い意図から全く外れているかもしれない。
●「にこっと笑って」by 弦花_b0419387_15090987.jpg その順序を列挙すると、5「にこっと笑って」、3「底なし沼」、2「一輪のバラ」、4「ひみつのじかん」、7「小さなおまじない」、6「りんご」、1「お月さま」、9「こえがききたくて」、8「今でいい」となる。5、2、7、1、8は筆者が思う「陽」が支配する曲で、3、4、6、9は「陰」の面が強い。9曲では均等に二分出来ないが、5曲が「陽」、4曲が「陰」であることと、「お月さま」を「にこっと笑って」に置き換えてもアルバムの冒頭曲は「陽」が占める。筆者が思うに、「夜」の象徴の月を謳うよりは、時間に無関係な、そして素直な女心を優しく歌う「にこっと笑って」を最初に持って来るのがよく、上記の並べ替え配置で何度も聴くと全体の起伏がわかりやすく、アルバムはより統一の取れたものになると感じる。同時に「雪」を謳う歌詞の曲の欠落が惜しまれるが、全9曲は「お月さま」のように歌詞が時間帯を示さない場合や自然の観照とは関係のない曲もあって、「雪月花」を持ち出すのはやや的外れかもしれない。上記の曲配置では最後の2曲を入れ替えている。この2曲は前述した「重み」が顕著で、「こえがききたくて」の次に全曲中最も堂々と歌われる「今でいい」を聴くほうが終幕にはふさわしい。「こえがききたくて」は恋の相手の声を聴きたいと切実に歌いながら、最後にしばし休止があって、再開後に思いを翻して相手への想いを否定する。この曲の歌詞もいかにも女性らしいが、男でも同じところはある。それはともかく、「ひみつのじかん」の歌詞「彼には帰る所がある 私とずっと居られない」と合わせると、彼女がご主人以外の男性への想いを募らせていることを想像させるが、詩は現実の体験とは限らない。それに現実の思いを作詞したとしても、30代半ばの女性が夫以外の男性に心がしばしときめいても何ら不思議ではない。それに「こえがききたくて」では相手の男性への恋慕を打ち消している。「今でいい」は人生のさまざまな岐路に遭遇しながら現状を肯定する内容で、いわば弦花版の「マイ・ウェイ」だ。それは本アルバムを作り上げたことへの自信とつながっている。それゆえ筆者はアルバムの最後に聴くのがよいと考えるが、「今でいい」の歌詞は3曲目の「底なし沼」で歌われる「人の心だけはミステリアスなもの 本当のことなど誰が知るのだろう 自分の心さえわからなくなってく」の精神的不安定さや自己嫌悪から一転して何もかも言い切ったところがあって、聴き手は満腹の思いにさせられる。それはともかく、「お月さま」は雨で月が見えなくても空の背後に常に存在していることの安心感を歌い、彼女の暮らしの安定を伝える。「お日さま」でないのは昼間に人は働き、農民でない限り太陽をさほど意識しないからだ。仕事が終わって昇る月に人は安らぎを覚える。夜に開場するライヴハウスで弦花さんが最初に「お月さま」を歌うのは客への労いの意味もあるだろう。
 最初に戻って「ヨリソウ カゲ」をさらに吟味する。「ヨリソウ」は「寄り添い合う」と捉えれば仲よきことを意味するが、いつの間にか忍び込んで寄り添って行かねばならない負の存在と考えれば、「陽」ではなく「陰」に近い言葉になり、それが「カゲ」とつながれば、昔に流行した肺に出来る結核の「影」を連想させもする。だが彼女は「ヨリソイアウ」では長ったらしいので「ヨリソウ」にしたはずで、やはりそこに「陽」の思いが込められている。同じ四字に固執するのであれば「ソイアウ」でもいいが、彼女がそうせずに「ヨリソウ」としたのは、「寄る」は「夜」に通じ、冒頭曲「お月さま」の印象を補強すると直感したためとも考えられる。一方「カゲ」はどの漢字を充てるか。「影」しかないようだが、陽に対する陰や翳でもよく、また「景」もある。この字は「京」の上に照る「お日さま」ではないが、「日光」のことで、またそれによって生ずる「日の影」の意味もある。つまり「カゲ」と表記すればこれは「景色」と捉えてよく、「カゲ」は全存在とその見え方の根本を表わす。そう考えれば「ヨリソウ カゲ」はたとえば日陰の身のふたりを意味すると限定的に捉えずに、人間全体に通じるべき言葉であって、しかもその根底に「個」や「孤独」が貼りついている。人は寄り添っていても孤独を感じることはある。ヴァージニア・ウルフは出産しなかったが、献身的な夫がいたのに入水自殺した。世界が陰陽で成り立つならば、健康に対して病気があり、精神の病から自殺することも否定し切れない。ところで「弦花」の「弦」は「玄」つまり「黒」を含んで「陰」になぞらえ得るようだが、中国では千字文の最初にあるように日月が輝く「天」は「玄」で、「地」は「黄」とされるから、「弦花」はいわば「天上に咲く花」で、全体として「陽」とみなせる。弦花さんはコロナ禍がなければライヴ活動を続けていたか。数年途切れた活動を元に戻すことはたやすくない。それにライヴハウスはコロナ以前の状態に戻って来ているが、客が集まりにくくなっていると聞く。大きな出来事があれば時代の流れは変わる。そういう時こそ作品行為を楽しみとする者の出番ではないか。幸福な家庭に満ち足りると芸術家は堕落するとまでは言わないが、つまらない作品を生みがちであるのは幾分正しい。独身女性はそうでない女性より自由で、性生活を含めて奔放に生きることにさほどためらわず、そういう女性が作詞作曲した場合、妻である女性以上に喝采を浴びがちだが、弦花さんなりの「奇妙な果実」を味わいたい人は必ずいる。筆者が言うまでもないが、人や作品との出会いを多くして、「作らなければつまらない」と彼女が「にこっと笑って」思ってくれることを期待したい。最後に、「にこっと笑って」は平凡な曲のようでいて真実味、普遍性がある。筆者は深夜にひとりで聴きながら、まるっきり月並みな言葉だが、とても癒される。
●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→

# by uuuzen | 2023-04-30 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪

最 新 の 投 稿
時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2023 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?