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●「チョコオペを 重ねたあげく 移植する ポンコツチャリの 臓器のチューブ」
画の 元の夢想を 吹聴し 段取り知らぬ 無名のホスト」、「いいじゃない 今がよければ それが花 不満があれば どうにかすれば」、「満たされて やがて腹空き また食べる これが命の 心理の真理」、「自転車の パンク修理の 跡凄し 貼って貼っての グランジパンク」
●「チョコオペを 重ねたあげく 移植する ポンコツチャリの 臓器のチューブ」_d0053294_18140494.jpg
5週間ほど前に家内が乗る自転車のパンク修理をしたことを書いた。その後毎週同様の修理をした。しかしパンク穴が見つかったのは3回で、残り2回はそのままタイヤに収めて空気を入れた。修理の翌日か数日後、スーパーに行こうとすると後輪の空気が減っていることがしばしばで、調べると5週間前に投稿した写真の楕円形のパッチのすぐ際にごく小さな穴が開いている。早速直して家内と自転車を連ねて買い物に行くと、復路や往路で後輪が動かなくなる。チューブがタイヤからはみ出るのだが、修理後にまた必ず不具合が生じて根本的な原因がわからない。チューブのゴムの厚みは2ミリ程度だ。そこに厚さ0.5から1ミリほどのパッチを貼る。1枚だけならいいが、かなり以前の修理を含めてほぼ同じ箇所にこの5週間で計4、5枚になった。最も厚い箇所ではチューブの厚みの3倍はあるはずだ。そうなると空気は入ってもタイヤの裏側との密着具合が歪になる。それにパッチを貼るゴム糊が完全に乾き切らない間にタイヤに収めて空気を入れるから、タイヤからチューブを外す際、パッチ周辺がタイヤ裏側に密着している。無理に剥がして空気漏れの箇所を確認すると、パッチを貼ったすぐ際にそれが見つかり、そこにまたパッチを貼れば前回、前々回のパッチと重なる。そのために家内が乗っている間に後輪はゴロゴロと音が鳴り始め、やがてチューブはタイヤから外れて後輪が動かなくなる。今日の最初の写真は5週間前の投稿写真と同じパンク箇所で、楕円のパッチを剥がした直後だ。剥がした理由は、貼った部分が完全密着しておらず、空気を入れるとその楕円パッチ全体が餅を焼いたように高く膨れ上がるからだ。そのようなチューブすなわちタイヤに完全密着しない状態で乗っていたのでチューブがはみ出て来た。さて、最初の写真のパンク密集箇所に新たにパッチを貼っても完全解決は望めない。そう判断してホームセンターにチューブを買いに走った。チューブは税込みで1600円ほどで、帰宅後、午後3時半頃から交換作業を始めた。前輪は簡単だが、後輪のチューブ交換はややこしくてしたことがない。後輪のストッパーをまず外し、ブレーキを外し、次にチェーンを外し、そしてタイヤを外して新たなチューブをはめ込み、先とは逆の作業をする。慣れればどんなことでも簡単だが、初めてのことは頭を抱えることがままある。2枚目の写真はブレーキを元に戻す前の状態で、薄暗くなって来たので作業を止めた。残りの作業は明日やる。専門の工具を持たず、ペンチとドライヴァーセットがあるだけだが、電気配線も水道もだいたい自分で修理する。
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# by uuuzen | 2024-09-26 23:59 | ●新・嵐山だより
●「馬の背は 人の乗るのに 具合よし 人に乗るには 言葉で足りて」
ィオロンの 音色を載せて 東風が吹き 馬は草食み 犬は居眠り」、「季語なしを 語気を強めて 諫めらる 規則破るは 馬鹿か偉人か」、「風運ぶ 馬のにおいに 慣れし子が ガソリン臭の 自動車を追い」、「馬の絵に 感心するは 馬知らず 競馬以外に 馬見る場なし」
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今年の時代祭はわが自治連合会から馬に乗る男性をひとり選ぶことになっていた。そのことを知ったのは2、3年前だ。筆者が住む西京区は平安講社の第十一社となっていて、学区すなわち自治連合会は18、9ある。曖昧なことを言うのは、人口減少で併合する学区があることと、自治連合会が機能して平安講社に属していても時代祭の行列には参加しない場合があるからだ。前者は大江学区など、西京区の西端にあり、後者は洛西ニュータウンが該当する。ニュータウンに自治連合会があるのに時代祭に関係しないかという理由は、学区内に神社がなく、地元の祭りがないためと聞いた。ニュータウンには小さな神社はあると思うが、それを中心とした地域の祭りはないだろう。それゆえ時代祭にも関心が希薄と聞いた。これは自治連合会の会長たちが積極的に動けばどうにかなると思うが、ニュータウンは他所から新たに来た人が集まり、地元意識でまとまることは難しいのだろう。わが学区は去年50周年を迎えたが、これは洛西ニュータウンの歴史と大同小異で、3000世帯のうち8,9割は他府県からの移住者とその子孫だろう。それでも他の学区と同様に時代祭に関与しているのは、住民の1,2割が代々地元に住む人たちで、彼らが自治連合会を創立し、その伝統が半世紀の間、保持されて来ているからだろう。つまり自治連合会の会長は代々地元に住む人という不文律がある。それに異議を唱える人はないではないが、半世紀くらいでは難しい。筆者が自治会長になる直前までの前任者は同じ自治会内で旅館を経営する社長Nの代理を10数年務めていたSで、いっそのことSが自治会長をすればよかったのに、Sはより古い家柄でしかも現役で嵐山を代表する旅館を経営しいるNに遠慮していたのだろう。それでSが作る回覧文書はいつも「自治会長代理」と自称していた。今はNもSも亡くなって古いしがらみは希薄なので、去年からは40代の女性が自治会長となった。30年ほど前、地蔵盆で法輪寺の境内に集まっていた時、SがNに小さな声で次のように話しかけていた。「あの大山さんやったら、いずれ自治会長をやってもらえると思いまっせ。」「ふむ、なるほど」といったようなことで、NもSもいずれ若手に自治会長を任せようと人物を探っていたのだろう。それはあたりまえのことだが、筆者は全くの他所者で、自治連合会下で最初に出来た自治会の代表者になることは本当はふさわしくない。代々続く家は何軒もあって、適任者を選ぶには困らないからだ。ところがSが筆者を指名したのはそれなりに理由がある。
●「馬の背は 人の乗るのに 具合よし 人に乗るには 言葉で足りて」_d0053294_16411089.jpg そのことをここに書くのはまずいが、簡単に言えば古くからの住民の誰もが適任者とは言えないというあたりまえの理由と、誰かに任せると必ず別の誰かが陰で文句を言う可能性が大きいからだ。これは言い換えれば代々住む人たち全員が仲よしとは限らないことを意味する。ところが、もちろんそうした内実をSが筆者に言ってくれるはずがない。自治会長を4年、その副を2年務めた間にいろんなことが次第にわかるようになった。そして他人には絶対に言えないことをいくつも知ったが、そこから思うことは「幸福とは何か」で、それは社会的立場や豊かな経済力はほとんど関係がないという真実であった。Sは割合寡黙で、筆者があることを相談すると、筆者の自由にしてよいが、最悪のことを想定すべきという人生訓のようなことを言われたことがある。その意味は当時はわからなかったが、10数年経ってなるほどと思う。簡単に言えば、正義感が強いのはいいとして、それはいわゆる世間知らずの甘ちゃんを示すだけで精神的に傷つくのは自分のみとなる場合が多いという現実だ。筆者はその意味で70歳を超えても青年のままのところがあって、金銭面では特に正直かつ潔白を旨としているが、世間の常識ではそれが馬鹿の典型であると嘲笑する場合のほうが多い。誰にもわからなければ少しくらいずるいことをしてもいいと思い、またそれはずるいことではなくごく当然の役得で、実行するのがかえって人間的でよいとする風潮は根強く、実際そのように世間は動いている。自民党の裏金問題も大多数の自民党支持者は仕方なき必要悪と思っている。それが日本の正体で、潔癖や清廉という言葉を口にすると陰で大いに嫌われる。さて、いつもの癖で即興で書き続けていると予想しない話の展開になって来たので話を変える。平安講社第十一社に属する自治連合会の名簿では筆者が所属する連合会が筆頭に挙げられている。したがって代表者の筆者の名前が名簿の先頭にあり、会議その他の集まりでは筆者が最前列の右端に座り、発言も最初に求められる。第十一社は10数年前に右京区から独立して設立され、歴史は浅い。右京区の一部として機能していた時代は、30数年に一度しか時代祭の行列担当が回って来なかった。これでは地元住民への認知が深まるはずがない。第十一社が出来た理由は、時代祭をパリで開催した時、フランスのある知識人から室町幕府の行列がないことを指摘したからだ。フランス人でも日本の歴史に詳しい人はいくらでもいて、そうした知日家から指摘されて時代祭の行列を拡張する契機を得た。外圧に弱い日本と昔から言われるが、自分たちで大改革が出来ないことは周りを見渡しても納得のいく人は多いだろう。ともかく右京区とは別に西京区独自で第十一社を創り、そして以前の行列では欠けていた室町幕府を担当することになった。
●「馬の背は 人の乗るのに 具合よし 人に乗るには 言葉で足りて」_d0053294_16425995.jpg
 断っておくと、各地域の時代祭の行列担当は時代が固定していて、第十一社は永遠に室町幕府を毎年輪番性で学区が担当する。先に書いたように西京区には18ほどの時代祭を担当する学区すなわち自治会連合会があるが、少子高齢化に伴ってその数は減って行く一方であることは目に見えている。また自治会に加入する世帯数はどの自治連合会でも年々減少し、3割台のところもある。そうなれば集まる自治会費が減少し、時代祭に参加する番が回って来た時、その経費をどう捻出するかの問題がある。わが自治連合会はコロナ禍の時に初めて行列担当の番が回って来たが、その時の資料を見ると経費は200万円ほどとなっている。これは10年ほど前から少しずつ自治連合会が時代祭のために割いて貯めて来たお金で、コロナのために行列をしないことが決まった後、その浮いた資金は自治連合会創立50周年記念事業に使われた。次にわが自治連合会が時代祭を担当するのは14,5年先で、また10年ほど前になればわずかずつ自治連合会は貯金するのだろうが、自治会加入世帯が現在よりもっと減少すれば200万円を蓄えることは容易ではない。そのひとつの実例を去年担当した学区の代表から直会の席で筆者は聞いた。その自治連合会では削りに削って90万円ほどで時代祭の行列を担当した。よぶんと思える部分を徹底的に省いた結果で、またそれは自治会加入世帯が3割台という少なさからして仕方なき、また当然の方策であった。したがって数年前にわが自治連合会が弾き出した200万円の予算は前例を踏襲してのことに過ぎず、新たな考えでどうにでもなる金額であったと言うべきだ。90万円に抑えられた理由を訊くと、なるほどと思う一方、関係者全員が強く協力し合ったためであったことがわかった。それはその学区の連合会の会長や平安講社の代表がかなり行動的かつ前例の無駄を省くことに意欲的であったからだ。その代表は50歳くらいで、若手に任せると大胆な方策が生まれると思ったものだ。各学区の平安講社の代表の平均年齢はたぶん70代後半で、50代から90代までいる。90近い年齢では新しい考えを出してそれを実行することはもう無理で、50代が中心になるべきと思う。しかし年齢を重ねるほどに名誉職と思い、また生き甲斐になって、元気なままもっと高齢になり、代表を続けることになる。筆者は全くそのつもりはなく、代表は5年で充分と思っている。自治会長も4年務めた後にまた引き受けてほしいという意見が何年も続いたが、筆者は筆者にしか出来ない創作をやりたいのであって、誰でも自治会長くらいは出来る。それで総理大臣もやりたい人がくじ引きで毎年交代すればいいと思っている。そうなればよほどの悪政も一年で終わるではないか。それが甘ちゃんの考えであって、悪政を敷く者は必ず終身代表となり続けられる法律を作る。
●「馬の背は 人の乗るのに 具合よし 人に乗るには 言葉で足りて」_d0053294_16432031.jpg
 さて、第十一社は輪番性で時代祭の室町幕府の行列を担当するが、その人数は40名弱だ。誰がどの役をするかは担当する学区に一任されているが、室町幕府は5人が馬に乗らねばならず、そのうちの4名を輪番性で各学区からひとりを選出する仕組みになっている。それでどの学区も3年に一度は馬に乗る人を見つけなければならない。わが自治連合会では今年がその年に当たっていて、誰を選ぶかは代表の筆者に任されていた。いろいろと声をかけて誰も引き受けてくれなければ筆者が乗るつもりでいた。これには平安講社本部に馬を提供してもらうために12万5000円を支払い、その半分を連合会、もう半分を自己負担せねばならない。この半額ずつの負担はだいたいどの学区も採用していて、去年までは10万円と切りがよかったのに、物価の上昇などから25パーセント値上げになった。それで今春、わが自治連合会は5万円しか負担しないと言うのを、筆者が談判してこれまでどおり半額負担の形にしてもらった。しかし馬乗りの練習その他、よけいな費用と数日を負担してもらう必要があり、サラリーマンではよほど休日をたくさん取れる人でない限りは無理だ。それで70代以上か、自営業者で出費にさほど問題のない人が乗ることになる。第十一社が右京区から分離する以前は、楠木正成役になるのに300万円負担したという話を聞くが、それが大げさにしても百万円以下ではないだろう。時代祭全体で馬は80頭ほど出て、第十一社の12万5000円はおそらく最低ラインの金額と想像する。それを支払っても乗りたい人を3年にひとりを見つけねばならないが、筆者の前任者の代表は他人に声をかけるのを嫌ったのか、馬に2回乗り、それ以外の年度は裃姿で行列に参加した。それは代表として何もかもひとりで負担してご苦労なことではあったが、時代祭について地元で認知が行き届かなかった恨みはある。筆者はそう思うので、自分が馬に乗るのは該当者がどうしてもいない場合に限り、若い誰かに乗ってほしいと思っている。経済的負担を我慢すれば自分が乗るのは簡単なことだ。それよりも他者を説得してその気にさせるほうが難しい。筆者はそういう営業的なことは大の苦手だが、代表を引き受けたからには精いっぱいやるしかない。さて、わが学区には14の自治会があって、その筆頭は筆者が所属する自治会で、去年は筆者が声をかけて2名の裃を着て歩く人を選んだ。今年は隣りの自治会からそのふたりと馬に乗るひとりを選ばねばならなかった。隣りの自治会には顔見知りが何人かいるので、まず彼らに声をかけると全員が固辞した。どうしても隣りの自治会から選ばねばならない理由はないが、決めたからにはそうしたい。そこで隣りの自治会長の女性Tに相談すると、彼女とは昔から顔見知りであることも手伝って、筆者が困っているのを見かねて、「自分の息子に馬に乗らせる」と言ってもらえた。
●「馬の背は 人の乗るのに 具合よし 人に乗るには 言葉で足りて」_d0053294_16435241.jpg 彼は長身で30代半ばであるから、室町幕府の行列の先頭を行くのでかなり目立つはずだ。しかしサラリーマンであるので有給は時代祭当日だけに取りたい。筆者は前任の代表から詳しく聞いていなかったが、馬に乗る練習は1日だけでいいと思っていたのに、周山の馬場でするその練習の後、淀の競馬場に通って4回も乗るという。なお80数頭の馬乗りのうち、9割以上は淀の競馬場で乗馬の練習をするが、第十一社は淀ではあまり練習にならないので、周山で行なっていると聞いた。今日の写真は一昨日の23日にその馬場で撮った。筆者は馬に乗らないので練習の様子を見に行く必要は本来ないが、第十一社の代表格から車に乗せるのでぜひとも一度は見ておいてほしいと言われた。筆者が馬乗り役を躊躇した理由のひとつは周山まで行く足がないことで、その点は便乗させてもらえることがわかって安心した。しかし淀の競馬場でさらに4回も練習することを筆者は知らず、したがってTに伝えていなかったので、Tの息子さんは有給を取るのに大変だろう。馬乗り役がいったい練習に何日必要なのか、それが文書でまとまっていれば筆者としても人探しをしやすいのだが、今回知ったのは代表格の間での連絡不足もあって、ぎりぎりになるまでわからないことが多々あることを感じた。馬場の人たちはみな親切で、代表格が淀の競馬場ではなく、この周山の個人経営の馬場を利用する理由がわかった。一昨日は5人の馬乗り役のうち3人が集まり、ふたりは個人的に淀で練習すると聞いた。足並みが揃わないのは仕事のつごうがあるからだろう。3人の個人レッスンが終わった後、ログハウスのような母屋で昼食をいただき、しばし談笑して各人が車に乗って現地解散した。筆者は周山は初めてで、天気がよかったこともあってちょっとした遠足気分になった。馬場の経営者の女性と話す機会があって、筆者は質問した。「時代祭に黒牛が牛車を引きますが、あの牛はどこから調達するのですか」「あれはそこにいます。わたしとこが育てている牛です。牛は3歳になると屠られます。時代祭の牛は3歳で、牛車を引くと筋肉が張り、肉の味が落ちると言われてどの業者も提供したがらないのです。それでわたしとこが祭専門に一頭育てています。時代祭や葵祭、それに北野天満宮のずいき祭など、けっこう出番があるのです」時代祭に登場する80数頭の馬はその周山の馬場だけでは間に合わず、他のいくつかの馬場から調達する。それで一昨日乗った馬が祭当日に当たるとは限らず、練習は馬の感触を鞍を通して知るだけだ。それに祭当日の鞍は時代考証した木の鞍で、練習時の乗り心地のよいものとは違う。だが練習するに越したことはない。時代祭で馬に乗るのは70歳が限度らしく、3年後筆者が乗るとすれば76歳になっている。それではもう無理だろう。2枚目の写真の下は馬場で飼われている巨大なグレートデンだ。
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# by uuuzen | 2024-09-25 23:59 | ●新・嵐山だより
●温泉の満印スタンプ・カード、その68
や姪 親に似るのは 仕方なし 金あるほどに 敬う知能」、「お父さん 呼ばれて知らぬ 顔をして なぜ言えぬか ご主人と呼べ」、「迷惑を かけぬがよしと 気を使い かけられむくれ 目尻釣り上げ」、「アルバイト どこも変わらぬ 賃金で 暇あるほどに 人気集中」
●温泉の満印スタンプ・カード、その68_d0053294_23230491.jpg
今夜は22日で「風風の湯」はスタンプが2個捺してもらえることを月始めから知っていたが、フロントでスタンプ・カードを家内の分と2枚差し出すと、Sは当然のような顔をしてひとつしか捺してくれない。「あの、今日は夫婦の日で2個ですよね。」「えっ? そうですか、ちょっと待ってください。いつからそのように決まったのですか?」Sは10年近く働いているが、 まるでプロとは言えない態度で、女性客から評判が悪い。以前に書いたことがあるが、筆者や家内を「お父さん」「お母さん」と呼び、一度注意してやろうかと思いながら、つい先日家内が「お母さん」と呼ばれた瞬間、「わたし、何となくそう呼ばれるのは嫌やわあ。」「あっ、すいません。同世代ですしね。」次に訪れるとまた「お父さん」「お母さん」が始まり、文句を言う気が失せた。そのことを嵯峨のFさんに言うと、「アホばかりやからな。言うだけ無駄やで。」と吐き捨てた。普通は「ご主人」「奥さん」だろう。筆者なら年配の女性には「お姉さん」と呼ぶ。家内は「まだお婆さんと呼ばれないだけましやけど」と笑いながら言うが、一度注意してもすぐに忘れるところや、決められていることを知らないとなれば、いくらアルバイトでも失格だ。投書箱があれば筆者は「態度悪し、クビ相当」と書いてやる。というのは、外国人観光客が増えて忙しくなって来た頃、コロナ禍の頃を懐かしんで、「同じ給料やったら暇なほうがいいに決まってるし」と真顔で言うことに驚いたからだ。筆者の母親は誰が見ていなくても他人の倍は働けというのが人生訓であったが、そんな損を引き受けるのは今はみんな馬鹿らしいだろう。85Mさんの奥さんが以前Sにロッカーの掃除不足を注意したことがある。ところが「ちゃんとやっておきました!」との返事で、85Mさんはもう相手にしなくなった。またこれは今月1日にあったことだが、30代半ばの「風風の湯」が三度目というツアーの案内員と家内が声を交わすことになった。「嵐山はいいところですよね。奥さんのような人がいて、環境のよさがわかりますわ。」ところがそういう会話をしている途中、家内が「河童」と呼ぶ若い女性客が水風呂から頭を突き出した。女性は暗がりのその光景に驚き、こう言った。「あなた、後ろの注意書きに頭を水の中に漬けては駄目と書いてありますよ。」すると河童はすぐにスマホを取り出してフロントに電話をかけた。そもそもスマホを風呂場に持ち込むことは禁止されているのに、そういうことも平気な男女がかなり多い。河童は傍若無人で、85Mさんの奥さんも大いに毛嫌いしている。
 とにかく自分ひとりの風呂であるかのような振る舞いで、常連の女性客全員が同じように河童を嫌っている。日曜日以外はあまり来ないようだが、筆者と家内は日曜日に行くので家内は必ず河童に出会う。河童は痩せて長身で、いつも黒いマスクをしていて、サウナ用の黒い帽子をすっぽりと被っているが、85Mさん以外の常連からもフロントに苦情が届いている。先の話の続きだが、フロントからSが飛んで来た。そして驚くべきことに河童の味方をして、ツアー・コンダクターに注意したそうだ。Sがいなくなった後、彼女は家内にこう言った。「あの人、馬鹿ですね。なぜ規則を守らない客を注意したわたしが怒られなければならないの?」彼女は世界中を旅していて、日本では特に嵐山が気に入り、そして出会った家内に大いに満足したのに、河童と出会ったことで幻滅したのだ。それでも家内は「日曜日のこの時間帯ならだいたい来ていますから、またお会い出来る機会があるかもしれません。」と言って彼女を慰めた。河童はたいていの女性常連客から白い目で見られているのに、それに気づかないふりをしている。それほどに根性が座っている。ところがこれもつい先日面白いことがあった。「風風の湯」は男女でサウナや湯の温度に差がある。男湯では大湯舟がとても温いことがあって、長らく浸かっていると風邪を引きそうになる。女湯のサウナはとても暑いらしいが、98度はさほどでもない。ところが50代半ばの女の常連客Gは特にサウナ好きで、Gはサウナの温度が暑いので扉を開けたままにしたそうだ。それはそれでとんでもないことで、暑ければすぐに出ればよいのに、自分だけのサウナだと思っている。またGは怖いものなしで、ある時、河童が炭酸飲料を水風呂の近くに置いて飲み続け、サウナの中で大きなゲップをした瞬間、Gは「あなた、こんなところでみんなに失礼ですよ。ゲップは外でやりなさい!」と言った。マスクをして顔がわからない河童は反論出来ずに目がギラギラ光っていたそうだ。河童もGもいい勝負と言ってよいが、年配者の注意はいいことだ。家内がいつも驚くのは、ほとんど照明のない暗い水風呂から急に河童がぬーっと顔を出すことらしい。髪もマスクも真っ黒で、目だけが見え、妖怪のようだと言う。それで筆者が河童と命名した。また「水から上がって来るところを頭押さえてやったらいいのに」と言うと家内は苦笑するが、筆者は半ば本気だ。Sは河童の評判を知っているが、仲良く利用してほしいという思いらしい。「風風の湯」はほかにも問題はあるが、男女の湯合わせて3、4人で回しているので、掃除が行き届かず、石の床がぬるぬるしていて、常連が減って行くのは無理もない。筆者は家から近いので通っている。また大半の常連客、そしてフロント全員と親しく話をするので、それを楽しみにしているところがある。
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# by uuuzen | 2024-09-22 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
●「遅咲きの 桃色の 合歓の花 恥ずかしながら ふたつ身を寄せ」
の字の 数を競うて 委員長 なるべく者が なった昭和か」、「今ほどの 猛暑日知らぬ 昭和人 令和は冷に 和むではなし」、「暑過ぎて 早々枯れた 鶏頭の 残る赤みの 花を日陰に」、「貧しきは 炎天の下 汗をかき 太る金持ち サウナにビール」
●「遅咲きの 桃色の 合歓の花 恥ずかしながら ふたつ身を寄せ」_b0419387_15392679.jpg 2階から窓の外を見ると合歓木の花がふたつ並んで咲いている。頬をぽっと赤らめたようでかわいい。とっくに全部散ったのに、狂い咲きするのはやはり今年のとんでもない猛暑日の連続のためだろう。そう言えばここ10日ほどで鉢植えの鶏頭の花はほとんどが枯れてしまった。それで11月2日の「ザッパロウィン24」の当日まで花が持たないでは困るので、わずかに一花だけが咲いている鉢を日陰に移した。さて、わが家では2階にのみクーラーがあって、その部屋でこれを書いているが、昼間はクーラーをつけないので摂氏30数度の中で汗まみれになりながらだ。暑いのは確かだが、書き始めると全く気にならず、家内が時々1階から上がって来て驚く。サウナ同然の中でよくも座って書き物が出来るなと呆れ顔だ。毎日3階に一度は上がるが、気温計は38度まで赤い線が上昇している。それはさすがに暑さに平気な筆者でも辛いので、3度ほどは低い2階に陣取っている。暑さがさほど気にならないのであればサウナも長らく楽々と入っていられるかとなれば、それはまた話は別だ。嵯峨のFさんは5分を4,5回、筆者は6分から7分を三回入る。高齢になると暑さをあまり感じなくなり、熱中症になりやすいとのことで、筆者はそのことを自覚せねばならない年齢だが、熱中してこれを書くので元来熱中症だ。それにクーラーで冷えた部屋に長くいると体調がおかしくなる気がするし、却ってしんどい。せっかくの夏ならば、徹底的に暑さを味わえばよく、冷えた部屋にいてはもったいない気もする。それはやせ我慢かもしれないが、やせ我慢してもいいではないか。「風風の湯」で家内は女性の常連に先日こう言われた。「ご主人は風呂に入った後はビールでしょ?」「いいえ、毎晩いろんな酒を混ぜて勝手に品評して飲んでいます。」風呂上りのビールがおいしいのはあたりまえだが、サイダーでもジュースでも水でも同じで、筆者はビールを飲まない。そういう普通の感覚が嫌でもあるし、昔医者からプリン体の多いビールは飲むなと言われた。ここ数日はジンにコワントローを加えて飲んでいるが、2杯目はウィスキーで、飲み始めて15分ほどの間に40度の酒をおおよそ100ミリリットル飲む。以前はその半分であったのに、猛暑日になって倍増した。酔いたいためではない。筆者はほとんど酔わない。しかし3倍にならないように気をつけている。飲んだ後に書く気が起こらなくなることを警戒するからで、2杯ならばすぐに醒めてまた猛烈にキーを叩く。酒で体温は上昇し、汗はサウナと同じほど吹き出ながら。『暑いの暑いの飛んでいけー! 冷たいの冷たいのもっと飲めー!』
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# by uuuzen | 2024-09-11 23:59 | ●新・嵐山だより
●「グミの木の 根元に生えし 双葉あり 九か月経ち グミの子と知り」
さゆえ 苦しむならば 吾若き 人みな若き 死ぬまで苦あり」、「譲られし グミを地植えし 三十年か 朽ちた箇所癒え 毎年伸びし」、「何年も グミの実見えず 首ひねり 徒長の枝を 毎年払い」、「譲り合い 長く仲よく 暮らせよと 密の庭隅 雀にも餌」題名の歌は今日の写真の左端に見える細い若枝を意味している。奥に見える左上に斜めに伸びる太い幹は合歓木だ。その手前にあるのがグミで、この木の鉢植えを母方の従兄Kからもらったのが30年ほど前だ。千本北大路を少し上がって東側にあった家から転居する際、もう面倒を見切れないと考えたからだ。わが家に届けられてすぐに筆者は合歓木の根元のそばに地植えした。鉢植えのままではどうも落ち着かない。植物ももっと広い地面でゆうゆうと生きたいはずで、その意味で筆者は盆栽をあまり好まない。人間のつごう、美意識によってがんじがらめに育てられ、場合によっては一鉢が億単位の金で取引される。何百年も寿命があればその価格はわからないでもないが、そうして買った高価な盆栽を地植えして巨大つまり普通の姿に育て直せば、誰も注目しない。さて、地植えしたグミの木は10年ほどは幹の半分が枯れてほとんど成長しなかった。たまに赤い実を5,6個つけたが、ここ5,6年はあってもひとつかふたつだ。それも野鳥が持ち去る。K兄とは数年に一度しか会わなかったが、会えば必ず「グミの木は元気か?」と尋ねられた。枯れてはいないので、もちろん「かなり大きくなった」と毎回答えた。K兄はスポーツマンで野球の世界に進みたかったが、夢はかなわず、結婚して子どもを3人もうけ、馬車馬のように働いた。妻帯してからは大きなトラックを自前で買い、さまざまな物を各地に運んでいた。フォークリフトで積み下ろしをしない場合が多かったようで、それで体を傷めた。それには酒好きが祟りもした。K兄は父が再婚する前の母の子で、その伯父は再婚してから女の子ばかり5人得て、母の異なる妹らとはあまり仲よくなかった。それもあって1960年代後半、ひとり大阪に出て6,7年行方不明となった。全く連絡がないことを心配した両親はよく大阪のわが家にやって来て、警察が管理する行旅死亡者の写真を見て手がかりをつかもうとしていた。ある日、K兄はわが家に電話して来た。母は驚いて居場所を訊ねると、市内のある場所にひとりで住んでいると言う。それにとても元気であった。しばらくしてわが家にやって来て、母に諭されて京都の両親のところに顔を出した。その時に持参したのがかなり年月の経ったハブ酒で、一升瓶の中に蛇がそのままの姿で入っていることに妹らは悲鳴を上げた。ま、そういう愉快で豪快なK兄だが、乳幼児の時に死んだ母の写真は1枚だけ残され、それを見ては亡き母のことを筆者の母によく質問しては悲しみを飲み込んでいた。K兄はよく言った。「親の墓に布団かけてもしゃあないしな、生きている間に孝行せいよ。」
●「グミの木の 根元に生えし 双葉あり 九か月経ち グミの子と知り」_b0419387_12515794.jpg
 これは以前に書いたことがあると思うが、また書く。K兄は独身時代にとある有名な薬の会社の専属運転手をやっていて、大量の薬を各地に運んでいた。ある日、目的の会社の敷地内にトラックを走らせていると、車道に数人のスーツ姿の男性が歩いていた。K兄は運転席から怒鳴った。「こらあ、そんなとこ歩かれたら走られへんがな!」するとスーツのひとりがこう言った。「何を! この人が誰か知ってるんか、社長さんや!」「そんなもん知るか! 社長やったらトラックの進行を邪魔してええんかい! わしはわしの仕事に忙しいんじゃ!」相手のスーツはしぶしぶ社長を誘導し、道を開けたそうだ。この話をK兄から聞いた時はさすがと思った。それでクビになるような会社であれば辞めてしまえばよい。スーツ族は「トラック運転手ごとき」と、見下げていたのだろう。どちらの人柄が高潔で正しいかは明らかだ。両親に居場所がわかってしまったK兄はその後説得され、見合い結婚し、前述のように3人の子の親となった。そして偶然だが、筆者が京都に住み始めた頃、同じ右京区の梅津に所帯を持っていて、たまにそのアパートに立ち寄ったものだ。やがて出来たばかりの洛西ニュータウンに移り、アパートは今はない。K兄は長年の肉体労働と酒が原因で、手術を何度かし、肺も悪くなった。家内は喘息もあって、大きな病院に毎月一度は必ず診察を受けに訪れるが、3,4年前に偶然K兄夫婦と肺を診る病棟のベンチで出会った。「ああ、郁恵さん、コイチは元気か?」「はい、今日はさっきまでここにいたんですけど、用事で向日市まで自転車で行きました。」その時のK兄は満面の笑みで、とても優しかったそうだ。それから数か月後にK兄は死んだ。家内は「あの時、わたしと一緒にもう少し座ってれば会えたのに」と今も思い出すたびに残念がる。ついでに書いておくと、母方の親類は筆者を「コイチ」と呼ぶ。本名の「甲一」が縮まった発音だ。K兄から手わたされたグミの木は一時は枯れるかと思っていたのに、ここ2,3年は新しい枝が幹から何本も勢いよく天を目指して生えて来る。去年暮れには幹の根元から50センチほどのところに若葉が出て来た。抜こうかと思いながら、何の植物かを見てやろうと決めてそのままにした。やがてグミとわかり、今日の写真の左端のように高さ1メートルほどになった。家内が最後にK兄と会った時、もし筆者が一緒にいれば絶対に「グミはどうなっている?」と訊いたはずだ。そのことを思うと、枯れ死寸前まで行ったグミがどんどん新しい枝を伸ばすことは頼もしい。実をさっぱりつけないことは残念だが、大幅に枝を剪定すれば実をたくさんつけるとしても、K兄を思えばそうする気になれない。合歓木、グミ、それに藤が同じ場所に密生して生育環境は悪いが、仕方がない。これもついでながら、今年生えて来たグミの新しい若木の根元周辺に毎朝雀のために古米を撒く。
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# by uuuzen | 2024-09-10 23:59 | ●新・嵐山だより

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