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●「朝の4時 夢から目覚め 喉乾く 庭のコオロギ 雨にひるまず」
列の 出来る店でも 暇はあり 空いているのは 客には嬉し」、「交代で 休んで回る 地球かな 眠る間も 誰か働き」、「昔見た 夢思い出し さあ眠る 意味を探るな 味わえばよし」、「夢の絵の つまらなきこと 知る人は 無邪気装う 邪気を嫌いて」
●「朝の4時 夢から目覚め 喉乾く 庭のコオロギ 雨にひるまず」_b0419387_23435626.jpg 筆者は10年ほど健康診断を受けていない。区役所から早急にどこかの診療所に行けと督促状を送って来る。昨夜「風風の湯」のフロント係のSさんと帰りがけに立ち話をしたところ、去年11月に前立腺癌の治療で入院したと言う。健康診断は月一度受けていて、それで早期で見つかった。筆者より5歳年長で、後期高齢者になると男は前立腺癌は珍しくない。Sさんは自覚症状が全くなかったそうで、健康診断で身体の異常を見つかってよかったと言った。筆者は自分の体の不具合は自分でわかると思っているが、今年の夏は特に水分をよく摂り、朝から家内曰く1リットルはお茶を飲んでいるとのことで、またそれが昼食や夜でもそうで、喉がそれほどに乾くのは絶対に内臓のどこかがおかしいと言う。それはさておき、寝る前に大きなコップ一杯の冷たいお茶を飲んで寝ることにしているが、今朝はまだ暗い間に喉の渇きで目覚めた。部屋の温度が28か29度なので、クーラーを1時間だけつけて寝たが、それが切れて部屋が暑くなったので目が覚めた。それで窓を少しだけ開け、冷たい水を飲みに階下に行った。時計を見ると4時5分前だ。冷蔵庫から氷を取り出し、コップに入れて水を注いで一杯を飲み干した。すぐ隣りに眠っている家内は鼾をかいて目覚めなかった。そっとまた敷き布団に寝転がり、眠ろうとしたが、目が冴えた。裏庭のコオロギの澄んだ鳴き声が何匹か重なって聞こえ、『台風が直撃せずに少し涼しくなってコオロギも気持ちよさそうだ』と思っていると、突如大雨が降り始めた。豪雨と言ってよいほどで、軒に当たる音が凄まじい。家内の鼾は変わらず、コオロギが忙しく羽をこすり合わせる音も全く同じだ。もちろん聞こえる音の9割を雨音が占め、コオロギと家内の鼾は合わせて1割ほどに聞こえていたが、コオロギは雨でもリズムを崩さない。裏庭にはコオロギが雨宿り出来る大きな葉はたくさんあって、そのどれかの下で雌を誘っているはずだ。枕元にカメラがあることを思い出し、真っ暗な中、寝ながら少しだけ開けた窓を向いて写真を1枚撮った。20分ほどゴロゴロしながら、コオロギは1秒にだいたい3回音を発しているかと思っていると、寝入った。目覚めたのは8時20分だ。雨はすっかり上がって蒸し暑い。コオロギも休みで、夜間労働者だ。今日家内と自転車で嵯峨のスーパーに行くと、「夜間従業員募集」の張り紙があった。給料は26万数千円で、昼夜逆転でその金額で働く人があるのかと思った。筆者は比較的夜型だが、コオロギのような生活は無理だ。しかし世の中は誰かが眠っている間に誰かが働いている。人間の頭もそうで、夜は夢を見るのに忙しい。
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# by uuuzen | 2024-09-02 23:47 | ●新・嵐山だより
●「目印の V字橋脚 ひとつのみ 樹木繁茂し 視界を狭め」
下の文 前にも書いた 気がしつつ もっと下手かと 衰え自覚」、「振り返り やる気失せるや 吾日々の ろくでなきこと ゴミ屋敷かな」、「これ知った あれを知りたい 次は何 知らずに過ぎる こと限りなし」、「限りある 時を知るのに ぼんやりと するも大事と ごまかしうまし」、「ごまかして いかに巧みに 生きるかが 気楽の極意 三つ子でも知る」
●「目印の V字橋脚 ひとつのみ 樹木繁茂し 視界を狭め」_b0419387_18370696.jpg
一昨日は家内と大山崎山荘美術館に行って来た。2階のテラスから撮ったのが今日の最初の写真だ。その左手は視界を遮っている木立ギリギリに、右手はずっと奥の男山の端でトリミングし、三川合流地帯を中心に収めた。以前の投稿を調べると、9年前の7月に「高速道路の異様な威容」と題して同じテラスから同じように撮影している。2枚の写真を比べると、左手の木立が大きく成長していることがわかる。京都縦貫道の普段はVに見えるY字型の橋脚が、9年前は3つとも見えていたのが、現在はひとつしか見えない。この橋脚を走る京阪電車の内部から撮ったのが去年11月12日の投稿で、その2枚目の写真に国交省が設置した「木津川」と記す緑色の看板が見える。地図を見ると、京阪電車はまず宇治川をわたり、その後線路はS字型に蛇行して木津川をわたるので、前述の投稿の3枚の写真は最初が宇治川をわたった直後、2、3枚目が木津川をわたっている最中であっことがわかる。それはともかく、2,3枚目に写る縦貫道のY字橋脚は木津川ではなく、宇治川のものだ。それら3か所をグーグルのストリート・ヴューを頼りに確認し、地図上に赤い丸で記したのが今日の2枚目の画像だが、Y字橋脚は宇治川だけではなく、桂川にもあるはずと思ったところ、やはりそうで、同じように3か所あった。これら3か所ずつは、ひとつが河川の中央辺り、もう2か所が河川敷に設置されているのは当然のこととして、鉄筋コンクリート製ではなく、もっと頑丈な鉄製のしかもY字型にしたのは、大洪水時に流されないためであることもよく理解出来る。木津川にY字橋脚がないのは、かつての巨椋池の中央と言ってよい久御山町のジャンクションから縦貫道路は真西に走り、木津川をわたる必要がなかったからだ。それで三川合流付近で木津川に架かるのは京阪の鉄橋と、木津川御幸橋のふたつで、大山崎山荘のテラスからはどちらも見えるが、山荘により近い御幸橋は今日の最初の写真でもよく確認出来る。橋の側面下部が赤く、それは遠目にもわかる。そしてその写真左手に写っているY字橋脚が宇治川に架かっているものであることも、去年11月12日の投稿に載せた写真からも明らかだ。今日の2枚目の地図で言えば、6つの赤い点のうち、最も南のY字橋脚のみが夏場の山荘のテラスから見えることがわかる。木が葉を落とす冬になっても見えるのは宇治川のそれら3つで、桂川の3つは密集する樹木によって隠されたままだ。
●「目印の V字橋脚 ひとつのみ 樹木繁茂し 視界を狭め」_b0419387_18372777.jpg
 昔はテラスから伏見桃山城が見えた。テラスとの位置関係を記したのが2枚目の画像の上の地図だ。地図の右上端が城、左下が山荘で、21キロ離れている。双方ともに山中にあるが、山荘から見れば城は山の上に突き出ていて、天守閣であることはわかる。2枚目の画像の下の地図は上の地図を山荘付近をトリミングしたもので、緑色の線を加えた。それはテラスから宇治川にある3つのY字橋脚が全部見える冬場の視線だが、赤線から大幅に南寄りとなって視野が狭まっている。テラスから近い左手に樹木が生い茂ったためで、この美術館の開館当時の昔はまだ充分に育っていなかった。つまり今日の最初の写真の左端の木々の背丈がもっと低ければ、桂川の3つのY字橋脚が見え、そのずっと奥の山手に天守が見えた。その眺望が戻ってほしいが、それにはせっかく育った木をかなり伐採せねばならない。テラスからの視界が狭まって来ていることをこの美術館は知っているはずだが、視界を樹木で遮ったのは、縦貫道の大山崎ジャンクションを見えないようにするためで、桜で有名になって来た背割り堤を中心に三川合流地帯を中心に見せるのが、無粋な眺めにならなくてよいとの判断だろう。2枚目の地図の赤線の視線が可能であれば、5月29日の投稿『乗興舟』に示したかつての桂川と宇治川の合流箇所や淀城跡も見えた。もちろん伏見港も見えたので、若冲と大典和尚が三十石で下っている様子はすべて視界に入ったが、江戸時代のこの山荘辺りの植生はわからず、ひょっとすればもっと樹木が多かったかもしれない。たぶんそうだろう。山荘を建てるため、またそのテラスからの眺めを確保するために多くの樹木を取り払ったはずで、現在のテラス左手の木々の多さは江戸時代に戻しているのかもしれない。それはともかく、今日の3枚目は『乗興舟』の「山崎」と「八幡」を中心とする部分を白黒を反転し、緑色に加工し、大典の記したそれら地名は読みにくいので赤い楕円で囲った。『乗興舟』での山の眺めはこの辺りが最も川に迫って圧巻だ。またあたりまえのことだが、現在の眺めと同じで、そのことは京阪電車の中からでもわかる。同絵巻で「山崎」の文字は山中に書かれるが、その文字付近がこの美術館だ。つまりこの絵巻の景色は今日の最初の写真とちょうど反対方向にある。そう思ってテラスから眺め下ろすと、今日の最初の写真の光る川面が目に入る。それは御幸橋の位置からして木津川であることがわかる。眼下では三つの川は平行し、1,2キロ下流で合流する。『乗興舟』の時代とは違って巨椋池がなくなり、宇治川の流れが変わりはしたが、三川が淀川となって大阪に向かうことは同じだ。大阪で成人し、その後京都に住んでいる筆者はこの美術館のテラスからの眺めや『乗興舟』にはひときわ愛着がある。そう言えばいつか『乗興舟』展をこの美術館でやってほしい。
●「目印の V字橋脚 ひとつのみ 樹木繁茂し 視界を狭め」_b0419387_18374471.jpg

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# by uuuzen | 2024-08-30 23:59 | ●新・嵐山だより
●「自転車の タイヤ緩んで また修理 針穴塞ぐ パッチを大に」
倣から 始めることは 本道と 模倣無視する 自己流謗り」、「何事も 道理があると 知りつなお 自己の流儀を 道理に高め」、「メカニズム 意味を解さず メチャニズム 仕組みに沿えば 簡単美麗」、「タイヤ刺す パンク野郎に 腹を立て 刺して破裂の リアルのパンク」
●「自転車の タイヤ緩んで また修理 針穴塞ぐ パッチを大に」_b0419387_15004505.jpg
夏場は自転車でスーパーに行く。そのため2台所有する自転車はいつでも乗られる状態にしておく。パンク修理は自転車屋に任せるのがいいが、店は梅津段町でかなり遠く、そこまで転がして行く間に自分で直せる。14日の夕方、家内が乗る自転車のチューブがはみ出た原因は、パンクを修理してチューブを元に戻す時にわずかに歪みがあったからだ。その自転車はタイヤが前輪後輪ともゴロゴロという音がよくする。原因はチューブがよじれているからで、空気を目いっぱい入れるとそうでもなくなる。その歪みを直すこつが筆者には今ひとつつかめない。さて、今朝は家内が桂の病院に行かねばならず、自転車に乗る必要がある。Fさんが乗っていた自転車は家内のような小柄な女性は運転に不向きで、いわゆる「ママチャリ」がよい。それで昨日その自転車の後輪は、パンク修理後に空気をいっぱい入れたにもかかわらず、またふにゃりとしている。今朝8時からその原因を調べると、また別の箇所で同様のごく小さなパンク穴が見つかった。4日前に一か所修理した時、もっと仔細に調べていれば二度手間にならずに済んだのに、仕方がない。今後は倍の大きさの楕円のパッチを使うことにした。それを貼ってチューブを元に戻し、空気を入れると、空気を入れるバルブ付近でチューブがタイヤからわずかにはみ出る。以前はその状態で乗っていた。そのために先日家内は運転不可能になった。歩道を走っていたからよかったが、車道では危なかった。それはともかく、わずかなチューブの歪みが人間が乗ることで増幅され、タイヤからはみ出てしまうようだ。二度三度チューブを外しては戻し、空気を入れることを繰り返しても、そのたびにわずかにはみ出る。どうしたものかと思案していると、家内はもう間に合わず、電車で病院に出かけた。チューブの側面に一本のごくわずかな凸状の溝を見つけた。その線がタイヤに正円を描いて収まるように、ゆっくりとチューブを順に嵌め込み、空気を半分ほど入れた後、バルブを何度も押したり引いたりしてバルブ付近でチューブの撓みが生じないようにした。またネットによれば、空気を入れた後、タイヤを全体に叩くのがいいと書いてあったので、ねじ回しの木製部で叩いたが、これは半ばは気安めのまじないみたいなものだろう。家内を病院に迎えに行った帰りはいつもふたりで買い物をするが、今日は修理し終えたばかりの自転車には乗らず、Fさんのもので走る。家内は新品を買おうと言うが、まあ乗れる限りは乗る。そう言えば自治会のFさんは電動自転車を去年買い、快適に乗っている。自転車好きで、次々と新品に乗りたい人だ。
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# by uuuzen | 2024-08-19 12:40 | ●新・嵐山だより
●「地蔵盆 ビンゴゲームで 三勝し 二勝譲れと 会長命じ」
都には 子どもありての 地蔵盆 地蔵借りても 子は借りられず」、「夏休み 最後のまつり 地蔵盆 盆に返らぬ 水撒き涼し」、「顔ぶれが 毎年変わる 地蔵盆 若き現われ 老いは消え行き」、「お地蔵の 祠誇らし 嵐山 埃払って ほっこり笑顔」
●「地蔵盆 ビンゴゲームで 三勝し 二勝譲れと 会長命じ」_b0419387_19503854.jpg 昨日は自治会の地蔵盆があった。自治会加入世帯は百ほどで、加入率は5割ほどだ。長年そのままで、14の自治会が集まる自治連合会内では少子高齢化の影響をさほど受けていない。自治会を脱退する高齢世帯はあるが、新たに加入する世帯もある。地蔵盆は毎年法輪寺境内で行なわれ、今年筆者はその準備には携わらず、加入世帯に還元される「お下がりの品」という家庭用品の詰め合わせを受け取るついでに、日没前から実施される恒例のビンゴゲームに参加した。これは数十年前から実施され、現在まで続いている。自治会員ならば誰でも参加出来るうえ、一世帯ひとりではなく、家族全員が参加出来る。ゲームは三回行なわれ、最終的に外れになってもティッシュ一箱がもらえるので、たとえば3人家族で参加すると、最低でもティッシュ9箱はもらえる。家内は昔から地蔵盆に参加せず、筆者ひとりだが、もっと高齢になれば参加しない世帯が多いから、高齢家庭の自治会費が若い家庭に還元されている。世代の順送りのため、それは致し方がない。今回わかったことは半分ほどの人が面識がないことで、若い世帯が増えている。高齢者はビンゴゲームの景品程度でわざわざまだ暑い中を法輪寺境内まで出かけることはなく、見知らぬ若い世帯に遊んでほしいとの思いだろう。ゲームを三回するのに1時間は要し、その間に境内はほぼ真っ暗になり、テントに取り付けたLEDのわずかな電球が灯るが、それでもやはり暗い。昨日中に片づけならねばならないお地蔵さんなど、自治会長その他、協力した人は大変であったと思うが、それも順送りで、昔筆者がさんざんその後始末をやったことを思い出す。さて、昔から賭けの運はさっぱりない筆者は、今年は3回のビンゴゲームともに最初にビンゴとなって、筆者を含めみんな驚いた。最初にビンゴになった人には特別の高価な景品が手わたされるが、今年から新たに自治会長になった女性は筆者に遠慮してほしいと言い、二度目と三度目は参加賞のティッシュで我慢することになった。そのため別の人に最高賞の景品がわたったが、帰宅して家内にそのことを言うと不満顔であった。ゲームは原則を守るべきで、三度とも最初にビンゴになればその幸運に応じて三つの最高商品をもらうべきであるのに、参加賞のティッシュではルール違反だと言う。それはわからないでもないが、まあいいではないか、中村君。写真は最初にもらったゴディヴァのチョコレートだが、最高賞の景品は自治会長らがあえて価格は同じ程度でも別の商品を用意したらしく、もっと大きな箱があった。そうした他の景品のほうがよかったが、この箱は美しく、展覧会のチケット入れに使おう。
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# by uuuzen | 2024-08-18 23:59 | ●新・嵐山だより
●「寺記号 卍と知るも 鳥居ほど 知られぬことに 仏惜しがり」
ある 言葉使いの 難しさ 笑顔記号や 笑の字流行り」、「先祖あり 今の自分も 居るを知る されど子なしで 先祖も消えて」、「国境の なきこと思う 国賊は オリンピックも 見るなと言われ」、「国ありて 言葉違いて 多様なり それを踏まえて 戦争止めろ」
●「寺記号 卍と知るも 鳥居ほど 知られぬことに 仏惜しがり」_b0419387_23054475.jpg
昨日は家内と京都国立近代美術館に行き、家に帰ったのが午後7時少し前であった。阪急嵐山駅前は初めて見るほどの大勢の若者がたむろし、1時間後に始まる五山の送り火の「鳥居形」を中の島公園に見に行こうとしていた。今年は去年より人出が多い気がしたが、実際のところはわからない。駅前のコンビニは出入口前でひとりの男性がビールなどの飲料を販売中で、しかもいつもは6時に閉店する喫茶店も内部に灯りがついていた。この調子であれば店舗は毎日多くの人が集まるおまつりがあってほしいだろうが、駅に降り立った人のほとんどは店に関心を寄せずに真っすぐ中の島公園へと歩いて行く。煌々と大きな看板が灯っている「風風の湯」にも脇目を振らない。これは無料で鑑賞出来る五山の送り火だけを楽しみたいからで、それはそれで送り火本来の意味を考えるとよいことだ。中京ではビルの屋上などから五山の送り火を楽しむ豪華な食事つきの会が昔から開かれているが、それは送り火を商売に利用しているだけのことで、先祖の霊も浮かばれない。今年の祇園祭りは八坂神社の宮司が高額の特別鑑賞席に疑問を呈したことが話題となった。まつり本来の意味を見失った人々に対する抗議と言ってよい。しかし祇園祭りのための資金の出どころとして税金が全く使われていないのであればいいが、その実態はどうなのだろう。四条通りの一部を一定期間塞ぐので、祇園祭りに無関係な町衆以外の人々の暮らしや思いが無視されてはいまいか。筆者が携わる時代祭りは市民のまつりで、自治会に所属する人全員が参加出来る機会がある。その点は祇園祭りや葵祭りとは大きな違いで、筆者は閉鎖的なそのふたつのまつりのどこがいいのかあまりわからない。このことは85Mさんも同じ意見で、よそ者はみなそう思うのではないか。そう言えば同じく「風風の湯」の常連客のYさんは昔祇園祭りに憧れ、山や鉾を所有するふたつの町内の高級マンションに住んだことがあるが、古くからの住民にあからさまに「入り人」と言われてえらくいじめられ、また住み慣れた嵐山に戻って来た。もちろん嵐山にも代々住む人々がわずかにいるが、8,9割は他府県から移住して来た人が占め、中京や下京のような排他性は少ない。それは逆に言えばまとまりがない意味にもなるが、自治連合会が出来て半世紀経てば、それなりの体裁は整って来ている。会長は代々続く家の人が担当するのが暗黙の了解だが、最近そのことに陰で非難する人が出始めている。半世紀経ってまともになって来たと言うべきだが、変えにくい、また変えられないこともあるだろう。
●「寺記号 卍と知るも 鳥居ほど 知られぬことに 仏惜しがり」_b0419387_23060264.jpg
 さて、嵯峨のFさんが灯篭流しの係員になっていると聞いていたので、帰宅してすぐに下駄を履いて中の島公園に向かった。中の島小橋の上で撮ったのが今日の最初の写真で、中央に山腹に鳥居形の6,7か所の発火どころがすでに見えていた。点火は8時20分だが、まだ明るいうちに人々が山に登って準備をしている。中の島公園内には読経する僧侶が10人ほど詰めるテントや流し灯篭を販売するテントがあって、灯篭はひとつ1200円であった。先ほど「風風の湯」でFさんが言うには、去年は1000円で、今年一気に2割の値上げは高いと言っていた。テントはそのほかに灯篭流しを担当する川沿いにもあり、また出店のテントも張られ、中の島公園は7時の段階で人で溢れ返っていた。灯篭を求める人の列も長く、灯篭流しはすでに始まっていた。そうでなければ送り火が終わってもまだ流し続けねばならないだろう。今日の3枚目の写真は渡月橋南端から撮った。写真中央、流れて行く灯篭の列が一直線に伸びている。その様子を見ながら近くの人は、例年はもっと幅をもたせて並列で流しているのにと違和感を唱えていた。真っすぐに流れて行くことは風がなく、流れが緩やかであるからで、灯篭流しの担当者は作業がしやすい。灯りのついてテントを全部見て回ったのにFさんの姿が見えなかったことを先ほどFさんに言うと、朝9時から数時間の準備を手伝っただけとのことだ。また昨夜Fさんは「風風の湯」からの帰り、9時少し過ぎだが、人がまだ大勢いて、自転車を降りて渡月橋をわたってほしいと注意されたそうだ。送り火が全部消えるのは9時頃で、最後の点火は嵯峨の鳥居形であるので、9時過ぎまで人がいるのも当然だ。最初の8時に点火する大文字は渡月橋から8キロほど先に見えるが、とても小さく、気づかない人のほうが多いだろう。7時半に家に戻ったが、「風風の湯」前を通る人々がとても多いにもかかわらず、その温泉に入る客を見かけなかった。またその近くで浴衣姿の若い男女がスマホを持ちながら、鳥居形の送り火の鑑賞場所が中の島公園と知りながら、それがどこにあるのかわからないようであった。目の前の橋をわたったところがそうであるのに、たぶん初めて嵐山に来たのだろう。教えてやろうかと一瞬思いながら、すぐにわかるはずと思ってそのまま帰宅した。その後すぐにTVで送り火を鑑賞した。京都テレビが1時間番組をやっていて、筆者曰く記号画家の村上隆がゲスト出演して大げさに感動を表明していた。何百年の伝統のある行事ゆえに迂闊なことは言えないからだろう。灯篭流しは渡月橋下流ではなく、広沢の池での様子が紹介されていて、その池の畔から見る鳥居形の点火は嵐山よりも視界を遮るものが少なく、また大きく見えた。右京区嵯峨の住民のためのもので、西京区の嵐山地区の住民は桂川越しについでに鑑賞しているだけだ。
●「寺記号 卍と知るも 鳥居ほど 知られぬことに 仏惜しがり」_b0419387_23061743.jpg

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# by uuuzen | 2024-08-17 23:59 | ●新・嵐山だより

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