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●「WONDERWALL MUSIC by GEORGE HARRISON」
番叟 舞いて食べるは 輸入米 農より株で 国家繁栄」、「憧れて 焦がれる恋の 苦しさを 知りて無視する 貧困の人」、「贅沢は 仕事終わりの 安酒と 自嘲しながら 自重はせずに」、「遠き過去 影形なく 吾ここに 今と未来を 想い前向く」
●「WONDERWALL MUSIC by GEORGE HARRISON」_d0053294_02361029.jpg
入院中の家内の退屈凌ぎにラジカセを持参し、家内が好きなジョージ・ハリソンのCDを聞かせた。当初音楽を聴く気分になれなかったのが、退院の数日前から繰り返し聴いてとても感動すると言い始めた。歌はあまり上手でないが、とてもていねいに歌っていることが伝わり、そのことに感心すると言った。それはプロのミュージシャンとしてはあたりまえながら、案外そうとも言えない雑な歌い方をする歌手がいるからで、ジョージが歌う自作曲への愛情の込め方はインドの神々への崇拝、信仰によるものだろう。それは数千年のインドの歴史を改めて知っての謙遜が基盤になっているように思う。また大物になるほどに謙虚さを持てばさらに大物感が付与される。ジョージやエリック・クラプトンはロック・ギターの才能によって世界的に有名になり、巨万の富を築いたが、インドにはインド楽器を操る天才が大勢いるはずで、彼らの多くが無名同然でしかも生活はさほど豊かではないだろう。その現実をジョージは知って恥じ入ったのではないかと想像する。才能はあっても陽が当たるとは限らない。そのことは誰しも知っているし、「陽が当たる」とはどういうことかの考えが時代や国によって異なるのではないか。インドのある楽器の天才的技術を持つ演奏家が、有名になって経済的な裕福さをも求めているかと言えば、それはあまりに一面的な、つまり資本主義社会の商業主義に染まった見方で、演奏家は自身の技術の高度さに気づいている時点で報われている。そういう天才的演奏が記録されずに消えて行くとしても本人は幸福の絶頂を味わったはずで、それでいいのではないか。これまで何度か言及したカフカの『断食芸人』は、サーカス小屋の見世物のひとつとして断食を続ける人物を描き、彼は前人未踏の断食日数の記録を打ち立て、さらに日数を延長して死ぬが、その後は同じ小屋に威勢のよい猛獣が入れられ、人気を博する。残酷な物語のようだが、芸能界を見ていてわかるように、どの芸人も生きている間が花で、死ねば代わりの人物が注目を浴びる。芸人に限らず、どんな職業の人でもそうだ。生きている間は有名無名にこだわらず、まず本人が満足して生きることだ。断食日数記録を打ち立てた芸人は空腹を限界まで我慢しながら、本人は幸福の絶頂を味わったであろう。そのことに比べ得るものは本人には何もない。断食芸人が死んだ後に客寄せのために見せられる猛獣はそんな絶頂感とは無縁で、人間のみが、愚かであるかもしれないが、自己を満足させるために途轍もないことを成し遂げる。傍目にそれが無用、無意味であってもかまわない。
 断食は誰でも出来ることだが、その日数の最高記録を作ることは生死に関わり、挑戦者は少ないと思うが、インドでは珍しくない気もする。数値で測れる記録とは違って作品と呼べるものを製作する場合、記録という言葉は馴染むだろうか。これも以前に書いたが、筆者が10代半ば、TVで他人に自慢出来ることを紹介する番組があった。その出演者は高齢男性で、座ったまま出演し、言葉もほとんど発しなかった。その人の自慢は一日も欠かさず何十年も日記をつけ続けていることで、最近のそれを司会者が読み上げた。「本日は晴天なり」というごく短いもので、それを聞いて筆者は呆れた。誰でもその程度の日記なら書ける。しかしその老人は一日も欠かさずに書き続けることを生き甲斐とし、誰かにそのことを褒めてもらおうとは思わなかったのではないか。本ブログを始めた時、その老人の日記が頭の片隅にあったし、今もある。筆者のこの行為はカフカが描いた断食芸人に似て、誰も真似はしないだろうという自己満足に過ぎず、また「本日は晴天なり」とは大同小異を書いているので褒めてほしいという気もない。人間は何かを吸収すれば吐き出さねばならない。筆者が吸収し、咀嚼した後の、書いておきたいことを筆者が決めた規則にしたがって律儀に投稿することの一種の快感ゆえの行為で、カフカが描く断食芸人とさして変わらない。ついでに書いておくと、カフカは発表の当てなくして小説を書いた。その点では筆者は新時代のネット空間に、生きている間は書いたものを残せるという思いがあって、それを幸運と感じている点で満足している。さて、入院中の家内に今日取り上げるアルバム『不思議の壁』を聴かせようかと思いながらCDを持参しなかった。代わりに『クラウド・ナイン』を持って行ったが、あまり好まなかった。昔筆者が大音量でLPを鳴らしていたのを聴いていたからだろう。覚えやすい、威勢のよい曲が中心で、聴き飽きるところがある。68年1月に録音された『不思議の壁』はビートルズ4人のうち、最初のソロ・アルバムで、アップル・レーベル初でもあった。このLPを筆者は買わなかった。経済的余裕がなかったことと、ビートルズの曲とは違ってインド音楽が中心であったからだ。それでも長年気になり続け、入手したのは1992年の初CD化で、10数年前であったと思う。買った当時に二三度聴いたのみで、予想どおりと思ったが、今回改めて聴き、ジョージのインド音楽愛を知り直した。ところで家内は入院中に「マイ・スイート・ロード」の最後でジョージがインドの神々らしき名前をいくつか発することに関心を抱き、それを順に紙に書いてほしいと言った。CDのブックレットに記載がなかったからだ。「ブッダ」と叫んでいるのは家内にもわかるが、そのほか5,6名は馴染みがない。ネットで調べるとそれらの名前がわかり、早速家内に伝えると、もう興味を失っていた。
 ただしジョージがインドの神々に若い頃から関心があったことに感銘を受けたようだ。それがヒンドゥー教に限らないことにインド文明全体へのジョージの崇拝ぶりを感じたようだ。それは悪く受け取れば特定の宗教への信心ではなく、仏教も含めたインドの宗教への憧れで、信仰に関しては中途半端と言えるかもしれない。しかし現代のイギリスに生まれた若者であればそれが限界、現実であろう。ひとつのファッションかもしれないが、それにしてはジョージはインドにのめり込み過ぎ、自己の創作の源のひとつとして学び、受容した。かつてインドを植民地化したイギリスが、20世紀のロンドンの若者文化の一端としてジョージやビートルズがインド音楽を紹介したことは、アメリカ白人のリズム・アンド・ブルースになぞらえ得るところがあるが、アメリカの黒人音楽の模倣によって登場したビートルズが自国の歴史をたどり、インド音楽へ憧れを抱いたことは謙虚な態度と言えるだろう。それも悪く捉えれば、アメリカの白人ミュージシャンのようにはリズム・アンド・ブルースの模倣に真実味がないことに対する妥協策と言えなくもないが、やはり数千年の歴史から生まれて今も演奏されるインド楽器の音色や旋律に純粋に興味を抱いたからで、謙虚な思いゆえの敬愛が伝わる。しかしインド音楽の風味をロックに応用することはビートルズ以外にも出来ることで、ジョージは純粋なインド音楽を自作曲とは別に紹介したい思いがあった。そこでビートルズにおけるシタールを使用した曲を順にたどると、「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」で頂点に達し、それ以上の進展は考えられなかった。しかしジョージはインド音楽の豊かさをよく知っていて、インド音楽張りの自作曲とは別に何らかの形でビートルズ・ファンに聴いてほしい思いはあった。その機会が65年の映画『ヘルプ!』で知り合ったアメリカの映画監督であり作家のジョー・マソットが67年に『不思議の壁』の映画化に際してジョージに好きなように映画で使う音楽を書いてよいと伝えたことにあって、ジョージはインド音楽の紹介にはよいと考えて引き受けた。そしてインドのボンベイとロンドンのふたつのスタジオで録音したが、映画で全部が使われず、映画に使われたがアルバムに入らなかった曲もある。筆者はこの映画を10数年前に深夜のTVで一度見ただけで、DVDを所有しないが、いかにも60年代末期のロンドンの前衛的映像との印象だ。ジェーン・バーキンが登場した割りには日本でもほとんど話題にならなかったが、当時のジョージのインド音楽趣味を考える点では重要な作で、この文章を書くために十数回聴いているが、LPとして曲の配置、構成はよく考えられている。ジョージのオリジナル曲だけを味わえば充分と考えるファンがほとんどだと思うが、本作を聴かねばジョージのインド音楽への考えはわからないと言ってよい。
 インドでインドの演奏者が演奏した曲の録音とエリック・クラプトンにメインのメロディを演奏させた「ラーガ・ロック」などのように西欧音楽とがほぼ交互に収められ、双方は半々の分量と言ってよい。ビートルズ曲との関連がままあるのが面白く、またビートルズのアルバムでは1曲しか収録されなかったインド風の曲が本場のミュージシャンによる演奏として入っているので民族音楽アルバムの一面が強い。それは西欧音楽に携わるビートルズの一員のジョージがインド音楽の深淵の一端に関心を抱いたことの痕跡に過ぎないように昔も今も思われるかもしれないが、当時ジョージ以外の若いイギリスのミュージシャンの誰が同じことをしたかとなれば、本作はインド音楽の皮相的な紹介かもしれないが、意義は大きい。それに長大なラーガを収録出来ない1枚のLPとなれば、エキスのみの紹介はやむを得ず、さらには映画に使うからには印象に残りやすい曲を選らぶしかなかった。そういう制約下で、たとえば冒頭曲「マイクロウブス(微生物)」と最後の「SINGING OM(オームを歌う)」はメロディがよく似て、LP全体が輪廻転生のように輪になっている。マントラの「オーム」は後のオウム真理教を想起させ、ビートルズやジョージが積極的に紹介したインドの宗教性は日本では大いに曲解されて犯罪に至った不幸な例がある。今でもアプリコット色の長着姿と坊主頭で「ハレ・クリシュナ」を歌い踊るインド人以外の信者が日本にどれほどいるのか知らないが、ジョージは日本が仏教国であることを知って好感を抱いていたのではないかと勝手に想像しつつ、そうとすれば仏陀を生んだ国がインドであるからで、インドを挟んでイギリスと日本が反対側に位置していることを意識したであろう。しかし繰り返せば、日本でのインドの宗教がオウム真理教のような形で受容されたことはジョージのインド音楽への傾斜を色眼鏡で見る人たちを生んだ気はする。それはしょせん商業音楽への利用に過ぎなかったとの見方だが、そう見られることをジョージはよく知っていたであろうし、自分がいくら頑張ってもインド音楽はびくともしない貫禄を保持し続けることも知っていたであろう。そのことは本作のジャケットの絵からも示唆されている。この絵はアメリカのデザイナーであるボブ・ギルの手になる。赤い壁で隔てられたロンドンの孤独な紳士とインドの娘たちが水浴する楽園とが描かれて、煉瓦がひとつだけ外されている。そこから山高帽の紳士はインドを覗き込み、憧れるという様子だが、この紳士は映画でジェーン・バーキンを穴から覗く紳士であり、またインドに心酔しつつ、その音楽を垣間見ようとするジョージでもあろう。もちろんインドが天真爛漫に入浴する娘たちで代表されないことはよく知っているが、少なくてもあまりに物質文明に侵された西洋文明へ失望するジョージが見えそうだ。
 その現代文明に対する失望に焦点を当てて布教したのがオウム真理教であったのかどうか知らないが、60年代半ばから末期のビートルズが与えたインドへの関心は、ミーハーをファンの対象にしたアイドル的ロック・ミュージシャンによるものに過ぎないという大方の年配世代の先入観を遥かに超えて、歴史に大きく刻印される文化的事績であった。その最大の事例が本作と言ってよい。ビートルズ・ファンの中で本作をまともに何度も聴いてジョージのインド愛を慮る人の割合がどれほどかとなると、同時代的にビートルズの音楽を熱烈に聴いて来た筆者でも還暦頃にやっと本作を聴くというありさまで、それを思うといかにジョージが本能的に自分に必要なものを探り当て、それに邁進したかがわかり、天才であったことを思い知る。入院中の家内に最初に持参したのはエリック・クラプトンが主宰した『コンサート・フォー・ジョージ』の2枚組CDで、家内はその1枚目を聴かなかった。ラヴィ・シャンカールの娘が演奏するシタールのインド音楽に関心がないからで、それを知っていたので本作を持参しなかった。また一度聴くだけでは深いところまではわからない。それに深いことを言えば、ジョージ自身が歌う彼の自作曲を聴くことが一番で、家内はミーハー的なリスナーと言えそうだが、一方で真実に触れてもいる。本作の代わりに去年本ブログで触れた新潮社の『トンボの本』の一冊『インドおもしろ不思議図鑑』を持参したが、家内は「みんぱく」での展覧会『交歓する神と人―ヒンドゥー神像の世界』で堪能したので見る気がないと言った。外は真冬の病室でインドの暑さを想像すると楽しく、またジョージが「マイ・スィート・ロード」の最後でインドのどういう姿の神々の名前を発しているのかを知るためにもいいのではと思ったが、筆者が思っていることを理解しようという気持ちが家内にない。ベッドに横たわる家内を見つめながら、ジョンとヨーコが作ったアルバムのジャケットを思い浮かべもした。流産して病院のベッドにいるヨーコと、彼女を見舞ってベッド下に腰を据えるジョンのふたりを捉えた写真で、同じように撮るのも面白いと考えながら、ベッド脇は筆者が座り込む隙間がほとんどなかった。ついでに書くと、『ビートルズ・アンソロジー第3集』の2枚組CDも持って行き、ぜひとも聴くように言ったのに、1枚目を一度だけ聴いただけであった。筆者は「ジュリア」や「ディア・プルーデンス」など当時のジョンの曲が大好きだが、家内はそのよさがわからないらしい。当時のジョンもジョージに感化されてインドに関心を持ちながら、断然ヨーコを崇拝した。詩の源泉が女性というのはロマン主義だが、ジョンはヨーコと結婚して幸福であった。ならばロマンは消失したかと言えば、40歳で死んでしまったからにはロマン主義の詩人らしい。

# by uuuzen | 2026-01-31 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
●「カメラでは 写せぬものが あると知る カメラ操作を 知らぬを知らず」
Mサイズ 老いた今では Sサイズ 成長期から 衰退期へと」、「小窓から 覗くもの見て 興味持ち 退院すれば 間近に立つと」、「あの小屋は 犬のものかと 思いつつ 保育園児は 番犬恐れ」、「遠く見る 場所に行き着き 見返せば ひとつの夢を かなえた気分」
●「カメラでは 写せぬものが あると知る カメラ操作を 知らぬを知らず」_d0053294_01240585.jpg 25日の初天神で買った7センチ角のコラージュ色紙、なぜそれを選んだかと言えば、レオナルド・ダ・ヴィンチが描く受胎告知された聖母マリアの片目が群れとなった宝石の波に隠されている様子が、入院中の家内の視力障害を連想させたからだ。悪い意味合いというより、左右の視力に乱れがあってそれを強制する特殊な眼鏡を誂えなければならないと医者から聞かされ、その眼鏡は牛乳瓶の底のような分厚いレンズを嵌め込んだものかと想像したのだが、まさか宝石を削って使用するほどの特殊なものではないとしても、今後の家内の視力を眼鏡で取り戻す可能性があって、そのことが先のコラージュ作品との出会いが予期しているのかと思った。となれば家内は聖母マリアということになるが、描かれる若い女性とは違ってすっかり梅干し婆さんで、今さら受胎もあり得ない。家内は今のところTVも二重に見え、読書は出来ず、文字を書くことも不自由になっている。昨日病院の眼科の女医は2,3週間様子を見ようと言って薬を出してくれなかったが、家内はその女医が美人であることを筆者に三度も言った。美人好きの筆者にぜひとも見せてやりたいので、来月の診察には同行してはどうかと言う。それほどの美女なら間近に見たいのでそのつもりになっている。筆者は知的な美女が大好きだが、時に平凡かそれ以下、あるいはヤンキーみたいな女性に魅せられることもあって、この年齢になっても女性が謎めいていて、最近はその謎を恐怖に結びつけることが多い。その点、男は単純で全員が馬鹿と言ってよい。もちろん自分も含めてそう思うのだが、単純であるから単純に生きてさっさと死ぬのが正しい。そのことを三島由紀夫は本能的に知っていた。話題を変える。昨日の投稿の最後に載せた写真は筆者にとって謎だ。保育園の門のすぐ向こうに赤い屋根の大型犬用らしき小屋が据えられている。これは犬小屋だろうか。保育園に大型犬を飼えば子どもたちみんなが喜ぶとは限らず、犬が子どもを襲うかもしれない。この犬小屋らしきものが小学生以前の子どもたちが中に入って遊ぶというもの変な光景で、用途がわからない。この小屋に注目したのは写真を撮った今月20日のことではない。家内の病室が一人部屋から四人部屋に代わった今月10日から気になった。そのことを示すのが今日の最初の写真だ。家内の病室の廊下の突き当りにその小屋の赤い屋根が丸見えで、休憩室で家内と過ごした後、病室に入る前に家内にこう言った。「あの赤い屋根は何かな」家内は興味なさそうで返事しなかった。つまり受胎告知は生じなかったのだが、筆者にはあった。というよりこだわった。
●「カメラでは 写せぬものが あると知る カメラ操作を 知らぬを知らず」_d0053294_01243437.jpg 犬小屋と思ったのだろが、どう見ても犬は入っていない。保育園は子どもたちを将来犬儒派の哲学者や思想家にしたいのであれば面白いが、子どもを犬扱いすれば親たちから抗議が来るだろう。それはともかく、20日は反時計回りに駐車場の外周を歩いてまず地蔵尊の祠を間近で確認し、次に病院からは見えない「ライフ・イン京都」を可能な限り間近で撮影し、最後に家内の病室前の廊下の突き当りに見える赤い屋根の目の前に立つことに決めた。一方、毎日廊下の突き当りの小窓に見えているその赤い屋根を、エレベーターを降りて家内の病室に向かう間、ずっと視界にすっかり嵌り込んでいる様子を撮影したのだが、何度試しても窓の向こうがすっかり明るく写り、廊下内部と窓の外の景色が1枚の写真に収めることが出来なかった。カメラの露出その他を工夫すれば写るのだろうが、そういう専門知識がないし、カメラにその機能もないだろう。廊下の突き当りに赤い屋根が見える状態を写真で示すには、窓のすぐ手前から撮影するしかなく、今日の最初の写真はそうして撮った。2枚目の写真は縦に3枚つないだが、本来はどの写真にも窓の向こうに赤い屋根が収まっている。人の目ではよく見えるのに、カメラでは近景と遠景の両方が写らない場合がある。何でも写ると思っているカメラだが、人間の目の方が優秀ではないか。その優秀な視力を家内はクモ膜下出血による眼窩圧迫によって今は異状を来したままで、片目ならば正常に見えるので眼帯をしようかと言うが、それでは躓く可能性が高まる。当分は眼帯をしたほうがいいかもしれないが、眼帯は一時間ごとに左右を覆うことを交代した方が目は疲れにくいだろう。今日の3枚目の写真は21日に撮った。縦長楕円で囲った窓が最初の写真を撮るために立った廊下の突き当りで、家内を見舞った3時過ぎ、筆者は家内に廊下の端で待っていれば筆者が赤い屋根のすぐ前まで行くので、筆者の姿を確認出来れば手を振ってほしいと言った。家内は筆者の柿色のコートや派手な毛糸の帽子を見下ろし、手を振り続けたそうだが、筆者からは窓は真っ暗に見え、家内が確認出来なかった。廊下から撮影すれば窓は真白に写り、外から見れば窓は真っ暗で、明るさとは何かと考えさせる。家内にこの話はしていない。犬小屋らしき赤い屋根についても無関心で、筆者のほうが変わっているのだろう。謎めいた赤い屋根は単にお遊びの道具にひとつで深い意味はないのかもしれず、狭いところを好みがちな子どもはこうした小屋に入ることを喜ぶだろう。それに屋根によじ登って落ちてもさほど怪我はしない。そう言えば、この小屋を撮影する直前、児童館で小学2,3年生の男児が高い木の地面から2.5メートルほどのところによじ登って困惑している様子を目撃した。「降りれるか」と声をかけたところ、大人を小馬鹿にしたような口ぶりで、次の瞬間さっと飛び降りて勝鬨の声を発した。
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# by uuuzen | 2026-01-30 23:59 | ●新・嵐山だより
●「吾の立つ 場所を遠目に 見て知るは 他者の眼差し これ客観視」
め人 役割ありて やる気起き 歯車ひとつ 欠かせぬ組織」、「汚れとは 縁なき町の 味気なさ 子はいつか荒れ 親に夢なし」、「一流の 大学を出て 自惚れる 顔がすべてを 他者に伝えし」、「無学ほど 恐いものなし 子どもじみ 誰も相手に せぬこと知らず」
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今日は朝9時半に来てほしいと家内に言われ、いつもより慌ただしい朝であったがどうにか時刻に間に合った。家内は昨日筆者が持参した衣服に着替え済みで、後は入院費用を1階の会計で支払って家に帰るだけとなっていた。間もなく家内と1階に下りると、院内放送で家内を呼ぶ女性の声が聞こえた。4階に戻ると、入院費などの清算資料その他を手わたされた。そしてまた1階に下りて会計で支払うと10時少し前になっていた。筆者は自転車で駆けつけたので自転車で帰るが、家内はふたりでタクシーかあるいは市バスを乗り継いで帰りたかったようだ。前者はもったいないから利用しないとして、せめてふたり一緒に家に戻りたかったのだが、筆者はそれを無視した。昨日ラジカセなどの重いものは自転車に全部積んで持ち帰っていたとはいえ、今日は昨日以上に荷物が多く、自転車の前後の籠にぎっしり詰め込んだ。阪急桂駅までの送迎バスが10時10分にあり、すぐに連絡通路を通って正面玄関に向かうと、5分ほどしてバスがやって来たので、そこで家内と別れて自転車で帰途に着いた。当然筆者のほうが早く家に戻れる。家内が玄関のドアを開いたのは11時で、嵐山駅行きの電車にぎりぎり間に合ったというから、もう20分ほど遅くなったかもしれない。筆者の速足で病院から家まで35分であるから、交通機関を使うほうが却って遅い。1か月ぶりの家で家内はあまりにも掃除が出来ていないことに驚きつつ、リハビリと思って少しずつ体を動かし、愚痴をこぼした。それはほとんど誰ともしゃべっていない1か月であったので、口のリハビリと思ってほしいと二三度言った。体重は36キロとのことで、5,6キロ痩せたので体力がない。それにはたくさん食べるべきだが、その気力もない状態で、当分は家を病院代わりに休養するしかない。まだまだ寒いのでそれはなおさらだが、ものが二重に見える視力は2週間後くらいに病院でまた検査を受け、クモ膜下出血のその後の経過は別の日に医師に診てもらう。つまりこれまでの喘息に加えてふたつの新たな病を抱えて3倍の頻度で通院せねばならない。指の力が極端に落ちているので自転車は危ないから、市バスで通うしかないが、それではほとんど1日仕事になる。となれば筆者は同行出来ない。やろうと思えば出来るが、家内ひとりで大丈夫だろう。連日見舞った筆者はそれなりに看護師たちに目立っていたようで、夫婦仲のよさというより、筆者のあまりの暇ぶりに驚いていたのだろうと家内は言う。勤務して賃金を得る普通の人から見れば筆者は何者かと映るかもしれない。
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 1か月少々の入院の費用は10万円をやや超えた程度で済んだ。手術をしていないからだ。息子がネットで調べると、クモ膜下出血の手術は20万円ほどするらしい。義弟夫婦が病院にやって来た時、「お兄さん、ちょっと…」と言われながら廊下に出た筆者に義弟は札束で膨らんだ白い封筒をこっそりと手渡してくれた。そのことは以前書いた。また百万かと思ったが、それにしては少し厚みが足りないようで、帰宅して確認すると50万円であった。10万ばかりで済んだからには40万円は返却すべきだが、今夜家内が東京に電話すると義弟の妻が「お姉さんがいたから自分はここまでになったと言っています」というこれまで何度か聞いた言葉を言った。いちおう筆者が受け取ったが、家内がいただいた見舞金であるから、筆者は口を挟まない。そのほかの見舞いの金品の返礼をどうすればいいのか戸惑っているが、家内は完治したのではない。視力の不備は家の中でも事故に遭う確率が高く、よほど注意して過ごさねばならない。一番怖いのはクモ膜下出血の再発だが、具体的にどのようなことに留意すればいいのかよくわからない。今日は1階の台所で1時間ほど調理している間、2階で布団や衣類の掃除や整理をしている家内の動く気配が全く聞こえず、倒れてはいまいか何度も気になった。大声で呼んでようやく小さな声が聞こえて安堵したが、夫婦暮らしで片方が風呂に入っている間に片方が知らない間に死んでいたという話をこの1か月の間に三度ほど耳にしたので、70代になればどんな突発的なことで夫婦の片方がひとり取り残されるかわからない現実を噛みしめる。そう言えば、今月3日であったか、見舞いに行くのに自転車で走り始めると、10メートル前方にニコニコ顔のYさんが立っていた。5,6年前に奧さんが近くの介護つき老人ホームに入居し、毎日奧さんの様子を見舞っているのだ。Yさんは愛宕山に登る趣味を持っていて、奧さんが倒れてからも同じ山登り仲間と楽しく過ごしているが、それでも奧さんが元気でいてくれたほうがどれだけありがたいことか。そういうYさんを家内は「とても若く見える」と言う。それは勤めて元気を装っているからではなく、奧さんの認知症が次第に悪化し、いわば心の準備が出来ていたからでもある。それはともかく、自転車で走り始めている筆者はYさんに家内のことは言わなかった。正月早々、入院話は誰しも聞きたくないだろう。聞かされた方はどういう顔でどういう言葉を発すればいいのか、聞かされる側に身になって考えてもわかる。結局のところ、他人事でしかなく、またそういう薄い関係を知っていれば自分にとって降って沸いたような不幸をわざわざ話題にする必要はない。年賀状の返事として10数人には家内の病気について書いたが、家内が帰宅した今、そうした人々にどのように快復事情を書けばいいのか戸惑いがある。完治したのではないからだ。
●「吾の立つ 場所を遠目に 見て知るは 他者の眼差し これ客観視」_d0053294_02261547.jpg 今日も20日に撮った写真を使う。最初のものは「上」が家内の病室があった棟の全景で、黄色の円で囲ったところに立って筆者が撮った写真が、20日に投稿した19日撮影の「京都厚生園」が真正面に見える「下」の写真だ。19日撮影の写真を、トリミングを少な目にして、よりパノラマ風に見えるように加工した。病棟の外観の全貌は知らなかったので、「下」の写真の黄色の丸印に筆者が立って病棟を眺めた時は「京都厚生園」の居住者になった気分が味わえた。自分の日常の立脚点を遠くから眺め得ることは旅のひとつの効用だが、山手に建つ大きな病院の立地の工夫をおおよそ知るためにはその敷地の外郭を歩いて観察するのがよい。それよりも病院に通いながら思ったのは、巨大病院という組織の構成員の役割分担だ。家内が病院に運ばれた翌日から気になっていたことに、先日投稿した台湾原産の白百合の花が咲く法面の下、地上から1メートルほどのところに、市販医療品のプラ袋がひとつ落ちていた。地面に落ちていたものを誰かが拾ってそこに置いたような感じで、正月3日までそのままで、気になっていた。そこに至る通路の起点に進入禁止用赤いコーンが潰れて地面にスルメのように横たわってもいたからだが、そういうゴミを誰が始末するのかと気になっていたところ、4日にはどちらのゴミを撤去されていた。清掃人が正月明けで出勤したのだろう。そこで改めて病院に勤務するさまざまな人の役割分担に気づいた。救急車を誘導するふたりの男性、病棟に入ると土日祝のみ立っている制服姿の若い警備員、会計や休日でも開いている受付、それに男女の看護師や給食員、清掃人や医師など、どの階でもそうした人々が整然と自分の仕事に従事している。あたりまえのことだが、筆者はそういう組織に所属せずに生きているので、何となく不思議な気がする。しかし毎日やるべき仕事、もちろんそれに従事すれば賃金がもらえる仕事がないというのは、普通の人の普通の感覚では耐えられないだろう。筆者は働く必要のない「ファイアー」ではないからなおさらで、病院に勤務する人々を見て巨大な組織がひとつの機械に動く生命体であることを実感した。筆者はそういう組織を動かす小さな歯車でもあり得ず、どういう存在価値があるのかと思うかと言えば、そんなことも考えない。今日の2、3枚目の写真は明日の投稿で説明するが、病院の南西辺りにある「ひだまり」という名前の保育園だ。小学校の児童館がその保育園のすぐ南にあって、午後3時過ぎには下校した児童たちが坂を上ってそこに向かう光景を何度か見た。それに児童館で親の迎えを待つのではなく、道を北上してマンションに向かう子の姿も見たが、病院の西側駐車場の西周辺にわずかに住民がいて、そのために地蔵盆が開かれ、地蔵尊の祠を新調する必要があったと見える。しかしそういう場所で育つ子の孤独はいかがなものかと想像する。

# by uuuzen | 2026-01-29 23:59 | ●新・嵐山だより
●「すべきこと 通院のほか 何もなし 老人ホーム 天国の郷」
っしりと 齢の重み 自覚しつ 偉ぶり過ぎて 晩節汚し」、「高齢の あの人倒れ 驚くは その場限りの 付き合いゆえに」、「挨拶を 交わすことさえ 要らぬこと 深入りし過ぎ ろくなことなし」、「地元愛 なくて然りや 大都会 ふらり漂い 気づけばおらず」
●「すべきこと 通院のほか 何もなし 老人ホーム 天国の郷」_d0053294_23311786.jpg
何事も慣れるとはいえ、毎日家内を見舞い、たまに食材を買っての自炊は楽しさもある反面、疲れる。酒を飲んで睡魔が襲うのではなく、食後のちょっとした合間に座ってTVを見たり、しばし目を閉じたりしているといつの間にか10分や20分ほど眠ってしまう。家内は半世紀もそんな家事に追われ、その疲労の蓄積の結果が去年暮れのクモ膜下出血であった。やはり70代前半という年齢によるだろう。去年末に主治医が「72歳という年齢ですからね」と、家内の突然の病について意見したのは、悪気があってのことではなく、経験的にもうどんな病気になってもおかしくないことをよく知っているからだ。統計的な経験知だが、もちろん何事にも例外はあって72歳で死ぬ人がいれば、92歳でも元気な人はいる。そういうことを誰もが知っているので、医者から「72歳ですからもう観念しなさい」というようにも聞こえる先の言葉に反発したくなる。それは欲だろうか。92歳になっても生きたい欲はあるだろうし、72歳ではまだ10年は早いと思うのが一般的ではないか。実際7Sの主人は筆者の家内が72で逝くとすれば一回りほどの年齢は早く、84歳ならば納得行くという意味のことを言った。84になればまた自分より元気な高齢者を念頭にさらに生きたいと思うだろう。お迎えがいつ来るかわからないことが凡人の煩悶の源になっているが、自分で自分のことが出来るまでが人生で、病院のベッドに寝た切りになると本人も周りも辛い。しかしそれもネットに意見がよく書かれるように、80代半ばになっていれば自殺の権利を与えたほうがいいように思うが、寝た切りになっても生きる執念を失わない人はいるはずで、自殺の権利は簡単に決められない。家内が救急車で運ばれたその夜、何枚かの書類にサインを求められ、その中の1枚に臓器提供を許可するかどうかのものがあった。脳内の出血がひどく、そのまま朝になって死んでいる可能性があるのでそういう書類がいちおう型どおりに医師から出されたのだが、筆者が許可する可能性がないと見て取ったのかどうか、臓器提供の書類は即座にないもののように仕舞い込まれた。それは当然だろう。数時間まで会話していた妻が倒れて病院に運ばれ、すぐに臓器提供はいかがですかと訊く病院はまるで突然死する人を待っているかのようで、それは臓器提供を待っている大勢の患者がいる現実からはわからないでもないが、あまりに病人が組織的に物のように扱われている気がする。だが臓器は物であり、死者のそれを有効利用するという考えはわからないでもない。
●「すべきこと 通院のほか 何もなし 老人ホーム 天国の郷」_d0053294_23314305.jpg
 とはいえ、筆者は自分の臓器を他者に提供しない。それは物でありながら、両親が造ったもので、それを他者の人生を長らえさせるために捧げるような聖人には筆者はなれない。生きている間に自分が得たお金はあの世に持って行けないが、そのありあまる金で他人の臓器を買ってまで生き延びたいという思いは神が許さないのではないか。裸で生まれて来て何も持たずにこの世を去るのであれば、臓器は病気ゆえの手術で切り取ったもの以外はそのままにしたい。話を戻して、長年の家事労働で家内の肉体が疲労し、それで12年前は肺の一部を切り取る手術をし、その後毎月欠かさず通院しているが、今回の1か月に及ぶ入院生活後は肺とは別の頭の検査も定期的に受けねばならず、病院がより身近な存在になる。筆者は病院嫌いであるから、よほど体調が思わしくないと自覚する時以外は医者に診てもらう気はなく、そのためマイナンバーカードのそのままにしている。しかし今回の家内の入院で急に夫婦のどちらかが倒れた時、さまざまな書類などの置き場所をお互い周知していないことはまずいと思うようになったので、家内が家に戻ってしばらくしてふたりのマイナンバーカードを申請する。そのひとつの理由は3,4日前、スーパーで半額で売っていた鶏の砂肝を焼いてひとりで全部食べながら、金属のような硬い粒々が口の中に広がったのに、「一緒に食べてしまえ」と思ったその粒が噛み砕いた上の奥歯の被せ物であったことに、後で歯を磨きながら気づいたからで、10年ほど前に歯科医に言われた「(あなたの歯は)一生持ちます」の言葉どおり、まだまだ大丈夫と思いながら、連日の見舞いと自炊ゆえの疲れがたまって来ていて、それで奥歯の詰め物が剥がれたかと思わないでもない。近日中に歯医者に駆け込まねばと思う一方、今のままで食事に不自由はなく、このままでいいかという気持ちもある。近隣に何となく気に入る歯医者がないからで、10年前に処置してもらった無駄口を叩かない女医が開業しているなら、少々遠方でも治療に通いたい。10年もそう思いながら、その女性が雇われていた老舗の歯科医は数年後に死に、医院は今は更地だ。それは無常を感じる一例で、歯科医の顔や治療室の窓からの眺めを想起すれば、話したことのある他者が記憶に留まることが人生のひとつの真実であることに気づく。これは他者とのよき関係ばかりではないが、よくなかった関係も人生に刻まれて現在の自分が構築されていて、70代半ばになれは過去の嫌な経験も懐かしさに変える力が備わっていることを自覚する。そうしなければ心に恨みが巣食って時間を無駄にしている気がするからでもあろう。また話が戻るが、明日退院する家内の家事を筆者がどれほど手伝えるかとなれば、狭い台所にふたりが立つことは出来ず、結局元の木阿弥になるかもしれない。そうなればまた家内は倒れる可能性が増す。
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 今日の写真はどれも20日に撮った。病院の西側に大きな駐車場があり、その外周を歩いてみようと思ったのだ。そのひとつの理由は駐車場の北端にある地蔵尊の祠で、それについては先日投稿した。もうひとつ気になったのは、「ライフ・イン京都」が家内の病棟の休憩室の大窓から全く見えなかったことだ。予想どおりにそれは「ライフ・イン京都」のすぐ東側にある「京都厚生園」で、特別養護老人ホームだ。「ライフ・イン京都」も老人ホームだが、「特別」がつくと自分で動けない人が入居するのだろう。しかし「特別介護つき老人ホーム」と謳う施設もあって、それが特別養護老人ホームとどう違うのかわからない。家内が入院する病院の玄関前に「ライフ・イン京都」の小型バスがよく停まっているのを目撃するが、それは入居者への送迎サービスで、病が深刻になって介護、養護が必要になると「京都厚生園」に移る方法がある。なかなかうまく考えて諸施設が狭い範囲にまとまっている。それらはトーマス・マンの『魔の山』の舞台となる山手の病院を兼ねた療養所と言ってよく、各入居者に独自のドラマがあるだろうが、老人ホームの入居者は狭いアパートで孤独死する人と違ってみな経済的に恵まれ、トルストイが『アンナ・カレーニナ』の冒頭に書くように、幸福な人はどれも似たり寄ったりであるから、それをひとまとめに退屈が支配しているとみなせば、ひがみと受け取られるだろう。しかしさしてすることやしたいこともないまま晩年をゆったりと過ごすことはあまり格好よくはない。とはいえ食事を作る手間がないのは、長年主婦業をした人には歓迎されるか。自分で調理したいのはよほどの人で、たいていの女性は毎日レストランで食べることが出来るならそれに越したことはないと思っているかもしれない。今日の最初の写真は地蔵の祠から50メートルほど南から西南を向いて撮った。病院の「周囲からは以前紹介した三叉路からしか見えない「ライフ・イン京都」がよく見える。手前左前の建物は「京都厚生園」だ。2枚目は地蔵尊から北東を見た眺めで、遠くに東山が見え、写真左端の山は雪が降っているように霞んでいた。「ライフ・イン京都」の部屋からはそれがもっとパノラマ化して見事だろう。その眺望を経験したいが、「ライフ・イン京都』は筆者にはカフカの『城』のように思え、内部には決して立ち入れない気がしている。3枚目は石の擁壁に「ライフ・イン京都」の白い文字が輝いて見えたので撮った。ちょうど前述のように小型のバスが入居者を病院に連れて行くところに出会った。擁壁の上の建物は「京都厚生園」だ。4枚目は小型バスが下って来た坂下に立って西を見たところで、突き当りの壁にある円形の飾り窓のようなものは「ライフ・イン京都」の目印だろう。さすがにその円形の目前まで歩こうとは思わなかった。そういう勇気のない男は女性にとって面白くないことはよく知っている。
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# by uuuzen | 2026-01-28 23:32 | ●新・嵐山だより
●「異常なし 検査結果に 戸惑いつ 病院暮らし もう飽きました」
歌する 暮らしなけれど 平凡の 日々を重ねて 長生きしたし」、「退院は 出来ても安堵 するなかれ 検査し続け 変化を調べ」、「病院に 用のなきこと 何よりと 救急の音 遠のき想う」、「原因の わからぬ妻の 病なら 再発恐れ 日々綱渡り」
●「異常なし 検査結果に 戸惑いつ 病院暮らし もう飽きました」_d0053294_01465733.jpg 今日も午後2時頃に家内の病棟のエレベーターに乗ると、「こんにちは」と声をかけられた。お互いマスクをしているので誰かわからないようなものだが、筆者はこの1か月、二度異なる格好で見舞いを続けた以外、いつも派手な帽子にオレンジ色のコート姿で、覚えられやすい。その女性の声に一瞬きょとんとすると、「正月にICUの見舞い席でお話しした……」と言われてすぐに気づいた。3日の投稿に書いた桂坂在住の女性だ。3日を最後に会えなかったので、「その後ご主人はいかがですか」と訊くと、「はい、持ち直しまして。奧さんはいかがですか」と問われ、「今は相部屋に入っています」と答えたところでエレベーターの扉が開いた。同じ階で降りるのかと思ったところ、娘さんと一緒にもうひとつ上の階に行った。今度こそもう二度と会わないだろう。エレベーターの斜め前にあるナース・センターで面会希望の書類を書き終えて提出しようとすると、女性看護師がやって来て家内の病室が変わったと告げられた。今日のカテーテル検査の結果がよくなかったのでまた個室に逆戻りかと一瞬思うと、看護師はこう言う。「奧さんはよく歩いておられるのでより健康な人が入る部屋に移動してもらいました」家内は健康を取り戻しつつあるので同じ階の3人部屋に移らされた。以前の4人部屋とベッドその他調度は全く同じながら、やや暗かった。今日の最初の写真は以前の4人部屋の窓からの眺めで、2枚目の写真は今日移動した家内のベッド際の窓から撮った。一昨日家内は朝目覚めてベッドの読書灯を点けると、カーテンを隔てて寝ている女性が「もう消灯時間は終わったのかしら」と聞こえよがしに呟いたとのことだ。スマホを持たない家内は筆者が持参した置き時計を見て消灯時間が終わるまでまだ15分早いことを知り、すぐに照明を消したが、京都人の慇懃無礼さをその他の患者同士のやり取りでもさんざん気づいていたので、4人部屋は居心地が悪いとこぼしていた。その話を聞いて筆者はこう言った。「毎朝消灯時間中に照明をつけてやったらいいのに」家内は大笑いした。3人部屋でも嫌な目に遭わないとは限らないが、移ったばかりで家内は昨日よりも快活であった。すぐに主治医がやって来て今日のカテーテル検査の結果を伝えられた。予想どおり異常は見つからず、いつ退院してもいいと言われた。ものが二重に見えるので明日眼科で検診を受け、明後日の午前中に退院するが、通院しなければならない。本当かどうかわからないが、家内が言うには1か月以上は入院出来ないらしい。毎日救急車で急患が運ばれ、病室の移動は機械的になっていると言ってよい。
●「異常なし 検査結果に 戸惑いつ 病院暮らし もう飽きました」_d0053294_01472671.jpg 家内は筆者が履いている運動靴を見て顔をしかめる。「そんな汚い靴、見舞いに来る人は誰ひとり履いてへんで。格好悪いことせんといて」息子が昔買ったものかどうか、筆者の感覚ではまだまだ履けるもので、履き心地もよい。家内のベッド脇の小卓に置く時計をちらちら見ながら話していると3時になったので帰ることにしたところ、ここ1週間の家内は1階まで見送ってくれる。エレベーターで降りる時、50代の女性看護師が乗り合わせ、1階に着くと筆者らを先にエレベーターから出させ、すぐに背後から声をかけて来た。「とても仲のようご夫婦ですね」手をつないでいるわけでもないのに、なぜそのように見えたのだろう。一度だけではなく、三回ほど彼女は同じことを言った。よほど似合いの夫婦に見えたことになるが、そもそも夫婦であることもわかるのだろうか。気さくな女性で「ご主人の帽子、素敵ですね」と次に言われ、返答に困った筆者は言わねばいいのに、「ヴィヴィアンのです」と返した。彼女はヴィヴィアン・ウエストウッドのブランド名くらいは知っているだろうが、毛糸の帽子を見てそれがヴィヴィアンのものかどうかまでは知らないだろう。同じ柄でもう少し色合いが地味なものも持っているが、いちおう家内専用にしているので筆者が被ると迷惑顔をする。女性の言った素敵は派手という意味で、家内が「派手好みですので」と言葉を継ぐと、「目立っていいです」と言われた。以前に何度か書いたが、筆者が目立つ色合いの帽子やコートを着るのは、家内と買い物に行く時、かなり先を歩く筆者が家内の視野に入っている必要を思ってのことで、女性看護師の言葉から筆者の思惑が理解されていると思った。自転車もオレンジ色で、そう言えば毎日家内に7Sで買ったオレンジを四つ切にしてタッパーに入れて持参する。まだ10個ほどあるが、明後日に退院するのであればもう自転車で持って行くこともない。それはそれで少々残念な気がするが、先の看護師は筆者らを追い越す時にこう言った。「病院なんて長居するところではありませんよ」全くそのとおりで、病院と親しくなることはそれだけ健康から遠くなっている。家内が通院するとなると、自家用車のないわが家では入院より厄介だ。家内は両手の握力がここ数年で激減し、よくつかんだものを落とす。そういう両手で自転車のハンドルを握って病院まで走るのは危ない。今日は主治医がいつ退院してもいいとの言葉を受けて、筆者は節分まで入院しているほうがいいと言った。あまりに寒いわが家では即座に風邪を引くだろう。家内もその気であったのに、看護師がやって来てこう言った。「先生が明後日の午前中に退院するようにとのことです」筆者が自転車で病院に行くのも明日限りだ。明後日は荷物を少しでも減らすために明日はラジカセやCDその他、積めるだけ積んで帰ろう。ほかに考えていることもあって、ここ数日その準備をしている。

# by uuuzen | 2026-01-27 23:59 | ●新・嵐山だより

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