「
三番叟 舞いて食べるは 輸入米 農より株で 国家繁栄」、「憧れて 焦がれる恋の 苦しさを 知りて無視する 貧困の人」、「贅沢は 仕事終わりの 安酒と 自嘲しながら 自重はせずに」、「遠き過去 影形なく 吾ここに 今と未来を 想い前向く」

入院中の家内の退屈凌ぎにラジカセを持参し、家内が好きなジョージ・ハリソンのCDを聞かせた。当初音楽を聴く気分になれなかったのが、退院の数日前から繰り返し聴いてとても感動すると言い始めた。歌はあまり上手でないが、とてもていねいに歌っていることが伝わり、そのことに感心すると言った。それはプロのミュージシャンとしてはあたりまえながら、案外そうとも言えない雑な歌い方をする歌手がいるからで、ジョージが歌う自作曲への愛情の込め方はインドの神々への崇拝、信仰によるものだろう。それは数千年のインドの歴史を改めて知っての謙遜が基盤になっているように思う。また大物になるほどに謙虚さを持てばさらに大物感が付与される。ジョージやエリック・クラプトンはロック・ギターの才能によって世界的に有名になり、巨万の富を築いたが、インドにはインド楽器を操る天才が大勢いるはずで、彼らの多くが無名同然でしかも生活はさほど豊かではないだろう。その現実をジョージは知って恥じ入ったのではないかと想像する。才能はあっても陽が当たるとは限らない。そのことは誰しも知っているし、「陽が当たる」とはどういうことかの考えが時代や国によって異なるのではないか。インドのある楽器の天才的技術を持つ演奏家が、有名になって経済的な裕福さをも求めているかと言えば、それはあまりに一面的な、つまり資本主義社会の商業主義に染まった見方で、演奏家は自身の技術の高度さに気づいている時点で報われている。そういう天才的演奏が記録されずに消えて行くとしても本人は幸福の絶頂を味わったはずで、それでいいのではないか。これまで何度か言及したカフカの『断食芸人』は、サーカス小屋の見世物のひとつとして断食を続ける人物を描き、彼は前人未踏の断食日数の記録を打ち立て、さらに日数を延長して死ぬが、その後は同じ小屋に威勢のよい猛獣が入れられ、人気を博する。残酷な物語のようだが、芸能界を見ていてわかるように、どの芸人も生きている間が花で、死ねば代わりの人物が注目を浴びる。芸人に限らず、どんな職業の人でもそうだ。生きている間は有名無名にこだわらず、まず本人が満足して生きることだ。断食日数記録を打ち立てた芸人は空腹を限界まで我慢しながら、本人は幸福の絶頂を味わったであろう。そのことに比べ得るものは本人には何もない。断食芸人が死んだ後に客寄せのために見せられる猛獣はそんな絶頂感とは無縁で、人間のみが、愚かであるかもしれないが、自己を満足させるために途轍もないことを成し遂げる。傍目にそれが無用、無意味であってもかまわない。
断食は誰でも出来ることだが、その日数の最高記録を作ることは生死に関わり、挑戦者は少ないと思うが、インドでは珍しくない気もする。数値で測れる記録とは違って作品と呼べるものを製作する場合、記録という言葉は馴染むだろうか。これも以前に書いたが、筆者が10代半ば、TVで他人に自慢出来ることを紹介する番組があった。その出演者は高齢男性で、座ったまま出演し、言葉もほとんど発しなかった。その人の自慢は一日も欠かさず何十年も日記をつけ続けていることで、最近のそれを司会者が読み上げた。「本日は晴天なり」というごく短いもので、それを聞いて筆者は呆れた。誰でもその程度の日記なら書ける。しかしその老人は一日も欠かさずに書き続けることを生き甲斐とし、誰かにそのことを褒めてもらおうとは思わなかったのではないか。本ブログを始めた時、その老人の日記が頭の片隅にあったし、今もある。筆者のこの行為はカフカが描いた断食芸人に似て、誰も真似はしないだろうという自己満足に過ぎず、また「本日は晴天なり」とは大同小異を書いているので褒めてほしいという気もない。人間は何かを吸収すれば吐き出さねばならない。筆者が吸収し、咀嚼した後の、書いておきたいことを筆者が決めた規則にしたがって律儀に投稿することの一種の快感ゆえの行為で、カフカが描く断食芸人とさして変わらない。ついでに書いておくと、カフカは発表の当てなくして小説を書いた。その点では筆者は新時代のネット空間に、生きている間は書いたものを残せるという思いがあって、それを幸運と感じている点で満足している。さて、入院中の家内に今日取り上げるアルバム『不思議の壁』を聴かせようかと思いながらCDを持参しなかった。代わりに『クラウド・ナイン』を持って行ったが、あまり好まなかった。昔筆者が大音量でLPを鳴らしていたのを聴いていたからだろう。覚えやすい、威勢のよい曲が中心で、聴き飽きるところがある。68年1月に録音された『不思議の壁』はビートルズ4人のうち、最初のソロ・アルバムで、アップル・レーベル初でもあった。このLPを筆者は買わなかった。経済的余裕がなかったことと、ビートルズの曲とは違ってインド音楽が中心であったからだ。それでも長年気になり続け、入手したのは1992年の初CD化で、10数年前であったと思う。買った当時に二三度聴いたのみで、予想どおりと思ったが、今回改めて聴き、ジョージのインド音楽愛を知り直した。ところで家内は入院中に「マイ・スイート・ロード」の最後でジョージがインドの神々らしき名前をいくつか発することに関心を抱き、それを順に紙に書いてほしいと言った。CDのブックレットに記載がなかったからだ。「ブッダ」と叫んでいるのは家内にもわかるが、そのほか5,6名は馴染みがない。ネットで調べるとそれらの名前がわかり、早速家内に伝えると、もう興味を失っていた。
ただしジョージがインドの神々に若い頃から関心があったことに感銘を受けたようだ。それがヒンドゥー教に限らないことにインド文明全体へのジョージの崇拝ぶりを感じたようだ。それは悪く受け取れば特定の宗教への信心ではなく、仏教も含めたインドの宗教への憧れで、信仰に関しては中途半端と言えるかもしれない。しかし現代のイギリスに生まれた若者であればそれが限界、現実であろう。ひとつのファッションかもしれないが、それにしてはジョージはインドにのめり込み過ぎ、自己の創作の源のひとつとして学び、受容した。かつてインドを植民地化したイギリスが、20世紀のロンドンの若者文化の一端としてジョージやビートルズがインド音楽を紹介したことは、アメリカ白人のリズム・アンド・ブルースになぞらえ得るところがあるが、アメリカの黒人音楽の模倣によって登場したビートルズが自国の歴史をたどり、インド音楽へ憧れを抱いたことは謙虚な態度と言えるだろう。それも悪く捉えれば、アメリカの白人ミュージシャンのようにはリズム・アンド・ブルースの模倣に真実味がないことに対する妥協策と言えなくもないが、やはり数千年の歴史から生まれて今も演奏されるインド楽器の音色や旋律に純粋に興味を抱いたからで、謙虚な思いゆえの敬愛が伝わる。しかしインド音楽の風味をロックに応用することはビートルズ以外にも出来ることで、ジョージは純粋なインド音楽を自作曲とは別に紹介したい思いがあった。そこでビートルズにおけるシタールを使用した曲を順にたどると、「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」で頂点に達し、それ以上の進展は考えられなかった。しかしジョージはインド音楽の豊かさをよく知っていて、インド音楽張りの自作曲とは別に何らかの形でビートルズ・ファンに聴いてほしい思いはあった。その機会が65年の映画『ヘルプ!』で知り合ったアメリカの映画監督であり作家のジョー・マソットが67年に『不思議の壁』の映画化に際してジョージに好きなように映画で使う音楽を書いてよいと伝えたことにあって、ジョージはインド音楽の紹介にはよいと考えて引き受けた。そしてインドのボンベイとロンドンのふたつのスタジオで録音したが、映画で全部が使われず、映画に使われたがアルバムに入らなかった曲もある。筆者はこの映画を10数年前に深夜のTVで一度見ただけで、DVDを所有しないが、いかにも60年代末期のロンドンの前衛的映像との印象だ。ジェーン・バーキンが登場した割りには日本でもほとんど話題にならなかったが、当時のジョージのインド音楽趣味を考える点では重要な作で、この文章を書くために十数回聴いているが、LPとして曲の配置、構成はよく考えられている。ジョージのオリジナル曲だけを味わえば充分と考えるファンがほとんどだと思うが、本作を聴かねばジョージのインド音楽への考えはわからないと言ってよい。
インドでインドの演奏者が演奏した曲の録音とエリック・クラプトンにメインのメロディを演奏させた「ラーガ・ロック」などのように西欧音楽とがほぼ交互に収められ、双方は半々の分量と言ってよい。ビートルズ曲との関連がままあるのが面白く、またビートルズのアルバムでは1曲しか収録されなかったインド風の曲が本場のミュージシャンによる演奏として入っているので民族音楽アルバムの一面が強い。それは西欧音楽に携わるビートルズの一員のジョージがインド音楽の深淵の一端に関心を抱いたことの痕跡に過ぎないように昔も今も思われるかもしれないが、当時ジョージ以外の若いイギリスのミュージシャンの誰が同じことをしたかとなれば、本作はインド音楽の皮相的な紹介かもしれないが、意義は大きい。それに長大なラーガを収録出来ない1枚のLPとなれば、エキスのみの紹介はやむを得ず、さらには映画に使うからには印象に残りやすい曲を選らぶしかなかった。そういう制約下で、たとえば冒頭曲「マイクロウブス(微生物)」と最後の「SINGING OM(オームを歌う)」はメロディがよく似て、LP全体が輪廻転生のように輪になっている。マントラの「オーム」は後のオウム真理教を想起させ、ビートルズやジョージが積極的に紹介したインドの宗教性は日本では大いに曲解されて犯罪に至った不幸な例がある。今でもアプリコット色の長着姿と坊主頭で「ハレ・クリシュナ」を歌い踊るインド人以外の信者が日本にどれほどいるのか知らないが、ジョージは日本が仏教国であることを知って好感を抱いていたのではないかと勝手に想像しつつ、そうとすれば仏陀を生んだ国がインドであるからで、インドを挟んでイギリスと日本が反対側に位置していることを意識したであろう。しかし繰り返せば、日本でのインドの宗教がオウム真理教のような形で受容されたことはジョージのインド音楽への傾斜を色眼鏡で見る人たちを生んだ気はする。それはしょせん商業音楽への利用に過ぎなかったとの見方だが、そう見られることをジョージはよく知っていたであろうし、自分がいくら頑張ってもインド音楽はびくともしない貫禄を保持し続けることも知っていたであろう。そのことは本作のジャケットの絵からも示唆されている。この絵はアメリカのデザイナーであるボブ・ギルの手になる。赤い壁で隔てられたロンドンの孤独な紳士とインドの娘たちが水浴する楽園とが描かれて、煉瓦がひとつだけ外されている。そこから山高帽の紳士はインドを覗き込み、憧れるという様子だが、この紳士は映画でジェーン・バーキンを穴から覗く紳士であり、またインドに心酔しつつ、その音楽を垣間見ようとするジョージでもあろう。もちろんインドが天真爛漫に入浴する娘たちで代表されないことはよく知っているが、少なくてもあまりに物質文明に侵された西洋文明へ失望するジョージが見えそうだ。
その現代文明に対する失望に焦点を当てて布教したのがオウム真理教であったのかどうか知らないが、60年代半ばから末期のビートルズが与えたインドへの関心は、ミーハーをファンの対象にしたアイドル的ロック・ミュージシャンによるものに過ぎないという大方の年配世代の先入観を遥かに超えて、歴史に大きく刻印される文化的事績であった。その最大の事例が本作と言ってよい。ビートルズ・ファンの中で本作をまともに何度も聴いてジョージのインド愛を慮る人の割合がどれほどかとなると、同時代的にビートルズの音楽を熱烈に聴いて来た筆者でも還暦頃にやっと本作を聴くというありさまで、それを思うといかにジョージが本能的に自分に必要なものを探り当て、それに邁進したかがわかり、天才であったことを思い知る。入院中の家内に最初に持参したのはエリック・クラプトンが主宰した『コンサート・フォー・ジョージ』の2枚組CDで、家内はその1枚目を聴かなかった。ラヴィ・シャンカールの娘が演奏するシタールのインド音楽に関心がないからで、それを知っていたので本作を持参しなかった。また一度聴くだけでは深いところまではわからない。それに深いことを言えば、ジョージ自身が歌う彼の自作曲を聴くことが一番で、家内はミーハー的なリスナーと言えそうだが、一方で真実に触れてもいる。本作の代わりに去年本ブログで触れた
新潮社の『トンボの本』の一冊『インドおもしろ不思議図鑑』を持参したが、家内は「みんぱく」での展覧会『交歓する神と人―ヒンドゥー神像の世界』で堪能したので見る気がないと言った。外は真冬の病室でインドの暑さを想像すると楽しく、またジョージが「マイ・スィート・ロード」の最後でインドのどういう姿の神々の名前を発しているのかを知るためにもいいのではと思ったが、筆者が思っていることを理解しようという気持ちが家内にない。ベッドに横たわる家内を見つめながら、ジョンとヨーコが作ったアルバムのジャケットを思い浮かべもした。流産して病院のベッドにいるヨーコと、彼女を見舞ってベッド下に腰を据えるジョンのふたりを捉えた写真で、同じように撮るのも面白いと考えながら、ベッド脇は筆者が座り込む隙間がほとんどなかった。ついでに書くと、『ビートルズ・アンソロジー第3集』の2枚組CDも持って行き、ぜひとも聴くように言ったのに、1枚目を一度だけ聴いただけであった。筆者は「ジュリア」や「ディア・プルーデンス」など当時のジョンの曲が大好きだが、家内はそのよさがわからないらしい。当時のジョンもジョージに感化されてインドに関心を持ちながら、断然ヨーコを崇拝した。詩の源泉が女性というのはロマン主義だが、ジョンはヨーコと結婚して幸福であった。ならばロマンは消失したかと言えば、40歳で死んでしまったからにはロマン主義の詩人らしい。