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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●「伏見から 街道上れば 洛の中 人多くして 茶もよく売れし」
る 道を逸れての 出会いあり コスパ無視して 愉快堪能」、「東福寺 東にありて 福もあり 布袋の笑みに 寺銭も増え」、「何気なく 感じて避ける 危険かな 運は信じて 忘れて待てと」、「これだけは しておきたきと 思いつめ しょせん雑事と 知る心あり」
●「伏見から 街道上れば 洛の中 人多くして 茶もよく売れし」_b0419387_13433145.jpg11月28日、461モンブランの山下カナさんがXで「私が選んだその道が、私にとって一番いい道になる。」と呟いた。筆者も同感で、別段彼女のその言葉に意見することはないが、その3日後の12月1日のことを思い出すと、彼女のその呟きは予言めいていた気がして来る。今日はその話をする。12月1日の午後、筆者は久しぶりに京都国立博物館に家内と出かけた。東福寺展を見るためだ。同展を見た後、東福寺に行き、帰りは本町通りを北上した。前回東福寺に行ったのは10年ほど前で、東京の大平さんと一緒に有名な大涅槃図を法堂の中で見た。今回の東福寺展でその涅槃図の実物を展示する代わりに畳ほどの大きさの部分写真があって、その説明に「3日まで東福寺で涅槃図が公開中」とあった。その涅槃図はあまりに巨大で、京博での展示は無理であったのだろう。ともかく東福寺に大急ぎで行けばその実物がまた見られると思い、昼を食べずに南に向かった。途中、京博の売店で訊ねて知った今熊野郵便局でお金を下ろし、そこから東福寺まではバスに乗るほどではない。家内は速足の筆者の後方20メートルほどを歩き、今年最後の紅葉目当てに訪れていた観光客の帰りの大群と擦れ違いながら法堂に急いだ。4時半過ぎに着いたはいいが、拝観は5時までで、また料金が1000円とあって諦めた。大平さんと見た時は無料であったと思うが、今回は東福寺展に合わせての公開で、時代も違っているので1000円は仕方ないだろう。さて、筆者は往路と復路を違えることが好きで、その日は往路では歩かなかった幅の広い坂道を下りた。その際に撮ったのが今日の最初の写真だ。警備員にバス道を訊くと、突き当りの道を右に折れて先を行けばよいとのこと。その道に出でしばらくして、それが本町通りであることに気づいた。筆者は伏見稲荷大社から本町通りを北上し、三十三間堂辺りまで行ったことがある。東福寺からなら1キロ少々の距離で、それくらいなら本町通り沿いの京阪東福寺駅から電車に乗る必要はない。それに筆者は本町通りが好きだ。しかし東福寺駅から北は雰囲気が少々変わる。その最大の理由は駅のすぐ南は頭上を高架道路が走るからで、同駅の北方はまた本町通りらしさが戻るが、通行人は少なくなる。伏見稲荷大社界隈は京都観光ブームで凄まじい人の混雑ぶりと聞くが、東福寺駅前付近も同様で、しかも外国人が大半を占めていた。筆者らは空腹を思い出し、家内が昔店の名前を耳にしたことがあると言うラーメン店に入った。そこを出た後、また本町通りを北に進みながら、すぐ先にある新幹線と東海道本線を跨ぐ歩道橋を越える気にならなかった。
●「伏見から 街道上れば 洛の中 人多くして 茶もよく売れし」_b0419387_13435529.jpg その歩道橋を一度だけ南から北に渡ったことがある。その時筆者はせっかくの歴史ある本町通りがJRで分断され、歩道橋を利用させられることが面白くなかった。12月1日はその歩道橋を渡る気になれなかったので、もっと手前の三叉路を左に折れて川べりに向かい始めたところ、家内はいぶかった。知らない道ではいつものように迷子になるからだ。しかも夕暮れ間近で、京都市内では珍しい化学工場のプラントが眼前に異様に迫っている。家内はいつになく大声で筆者をなじったが、筆者は耳を貸さずに先を歩いた。最大の理由は前方左手に京都タワーの上半分がよく見えたからだ。本町通りを北上して三十三間堂付近まで行ってから京都駅に向かうより少しは近道と思ったからでもある。それに初めての道は楽しい。本町通りを逸れて坂道を西に下り始めると、工場の脇で西洋人の眼鏡をかけた無精髭の痩せた青年がスマホを見ながら道を確認していた。彼に訊くまでもなく、方角はわかる。坂道の下は疏水が流れ、それを西に越える歩道橋があった。そして疏水際の道は化学工場から南はその敷地で通行不能だ。筆者はかつて売茶翁がこの付近に転々と住み、三十三間堂付近まで茶を売り歩いたことを想った。その後疏水が出来て鉄道が走り、今は江戸時代の面影はほとんどない。あるのは本町通りくらいだ。疏水上の歩道橋を渡る気になれなかったのは、その橋の利用者がほとんどいないように見えたからだ。それで疏水の左岸の細い道を北上した。右手は小さな民家が連なり、新幹線と東海道本線の高架下をくぐると廃屋や玄関前がゴミだらけの家があり、またどの家も人の出入りがない。先に橋が見え、誰とも会わなかったのが幸いな気がした。橋は塩小路橋と言い、何度か歩いたことがある。橋を西に渡れば新しく出来た京都市立芸術大学と思っていると、そうではなく市立工芸高校が新たに建ったようで、その西や南が芸大であった。塩小路通りよりもはるかに七条通りを歩くことが多いが、京都市は鴨川を南に行くほどにあまり柄がよくない地域と言われる。そのことは芸大が出来る前はよく実感出来た。塩小路通り沿いの雑然とした地域は特に南側が再開発され、鉄筋コンクリートの巨大な校舎が建った。自然は減少し、芸大の学生は交通の便利さと引き換えに何かを失った。それを言えば、大学の名前で京都市芸と大いにもめた旧京都造形大のほうが京都らしい場所にあるのではないか。とはいえ、その造形大か精華大の学生が昔大学の近くで誰かに刺し殺され、今も犯人は捕まっておらず、鄙びた地域が安全とは言い切れない。今はいつどこで何に遭遇するかわからない確率が急増している。何しろSNSによって世界中から人が京都の隅々に押し寄せる。経済効果のよさが喧伝されるが、嫌な騒ぎも当然増える。それは筆者のようなよそ者が偶然ながら興味半分で塩小路橋南を歩くことからも言える。
●「伏見から 街道上れば 洛の中 人多くして 茶もよく売れし」_b0419387_13441166.jpg 東福寺を訪れた4日後、東山区内の小さなマンションで82歳の男性が刺殺された。現場の写真を見ると、新幹線と東海道本を跨ぐ歩道橋のすぐ北の本町通り沿いにあることを知った。筆者がその歩道橋を越す気がしなかったのは殺気の渦巻きを本能的に感じていたためかもしれない。また疏水上の歩道橋を歩かなかったのは、車の往来が激しい師団街道の歩道とは言えない狭い道を歩く羽目になっていたことを直感していたからと思う。家内は一時も早く疏水沿いの生活道路を通り過ぎたかったと言うが、いわゆる柄のよくない土地でも初めての道はそれなりに楽しいと思う気持ちの余裕が筆者にはある。筆者がしょっちゅう道に迷うことを家内が息子に告げると、今は誰でもスマホを持ち、道に迷わないと言われた。迷わずに目的地へ着くことは、若者が言うコスパのよさだが、迷いながらジグザグに目的地に向かうのもいいではないか。筆者は碁盤目状の街路がある土地では四辻ごとに同じ方角に曲がる「オレオレ歩き」をよくする。それは真っすぐに歩いて突き当りで直角に折れてまた真っすぐに行くのと距離は変わらないが、山頭火の言うように長くて真っすぐな道はつまらない。それはそうと、前述の東山の殺人事件があった夜、たまたま暇潰しにネット・オークションで初めて知る出品者の掛軸群を順に見た。小さな画像がずらりと表示される画面を数秒ずつ凝視し、1500本ほどの全部を確認した。結局5点目ぼしいものがあった。他はゴミだ。呉春の月渓時代の作があったが、どうも筆さばきが違う。それで残り4点を2,3日後に相次いで落札した。桐箱入りで牙軸先のものが混じり、どれも数百円だ。出品者は無知なのだ。1点は若冲筆の売茶翁像の印刷掛軸で、それが市販されていたことを筆者はこれまで知らなかった。本物の若冲筆の売茶翁像なら一千万円はするだろうから、印刷でも充分だ。早速それを眼前に吊るしている。筆者が化学工場を背にして鴨川を眺めやり、売茶翁を想起したのは予兆であったのかもしれない。つまり本町通りを北上してJRの歩道橋を渡っていれば、売茶翁を思い出さず、売茶翁を描いた若冲画の印刷掛軸にも遭遇しなかったのではないか。家内から抗議の言葉を浴びせられながら街道を逸れたことは正しかった。落札した他の3点の掛軸とも筆者がかねてから関心のある画家のものだ。伏見人形の布袋像を描いた俳画の句は「蝶の中を 伏見あたりの 麗ら人」と読める。作者が伏見の本町通りを歩いて詠んだものに違いない。この句のように、蝶の舞う春のうららかな日、筆者は家内と歩き、傍目に麗しいと見られたい。そういう美しい年齢はとっくに過ぎたが、高齢でも気持ちは若々しくありたい。そう言えば今日は警察を名乗る不審な電話があった。オレオレ詐欺の一種で、交番に走って事情を説明し、若い警官に家に来てもらった。危険は身近にある。それをうまく避けながらジグザグに進もう。
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# by uuuzen | 2023-12-06 23:59 | ●新・嵐山だより
●「SYMPHONY NO.1 “HIROSHIMA”」
で声に 悪い気せぬや 仙人は 俗人の世 みな知り気高き」、「シンフォニー 真に不穏に 始まりて 紆余曲折で ブラボー狙い」、「おおげさな 曲を喜ぶ おおげささ おけさ踊りの 化け猫にゃーお」、「広島の 原爆ムード 金になり いかに稼ぐは 沙汰の神なり」
●「SYMPHONY NO.1 “HIROSHIMA”」_b0419387_18262785.jpg
去年から佐村河内守の交響曲第1番『HIROSHIMA』が気になり始め、ようやく最近中古盤を入手し、10数回聴いた。このCDは2011年の発売で、筆者は12年も経ってまともに聴いたことになる。NHKの番組その他でゴーストライターの存在が明らかになり、佐村河内の耳が聞こえことが嘘ではないかとされ、この作品の評判は一気に地に落ちた。そういう話題が影響したためではないが、筆者は佐村河内の音楽に全く関心が湧かず、この曲の一部が有名なスケート選手の試合の出番にBGMに使用されたという話も家内を通じて先日知った。それほど話題をかっさらったのに興味がなかった最大の理由は、どうせ日本で見事な交響曲が生まれるはずはないと思っていたからだ。その偏見が正しかったことがこの曲からよくわかった。家内は筆者がこの曲を大音量で最初にかけ始めた時、「なんかどこかで耳にしたことのある感じやな」と言い、「佐村河内や」と応じると、「やっぱりそうか。パッチワークみたいや。聴きたくない」と明言した。その言葉が正しいのかどうか、筆者は納得出来るまで聴き続けようとした。ブルックナーそのままといった箇所は笑いを誘ったが、全体としてはうまく出来ている。いかにもドイツの交響曲の歴史から耳馴染んだ箇所を模倣し、それらを散りばめながらほとんど印象に残らない旋律の連続で、重厚長大で劇的効果を狙った点で簡単に言えば通俗的だ。それは漫画やアニメに限らず、日本のすべての芸術において今は大手を振る。たとえばX(ツイッター)のフォロワー数が万単位であれば本人はすこぶる己惚れ、メディアも賛辞を贈るといった、数にものを言わせる、よく言えば民主主義性を体現している。それは馬鹿本位、贋者万歳の世を招いて来た側面があって、日本では芸術はもはや死んでいるも同然だ。あるいは筆者が認めないだけで、今の日本は世界に冠たる現代芸術の国と主張する人のほうが圧倒的に多いだろう。そういう人が佐村河内の出現を期待し、また持ち上げた。そして贋者とわかれば徹底的に叩いて存在を消し去る。本質的に贋者を礼賛する文化国家の日本であって、政治家でも芸能人でも芸術家でも、名が売れた者ほど奈落へ突き落される可能性を秘める危うさがあるが、ドーピングしてでもオリンピックで金メダルがほしい人が世界中で多数派を占めるそうであるから、どんな手を使ってでも有名になりたい病気は世界共通だ。その意味では佐村河内の事件は珍しくなく、出るべくして出て来た、そして消された存在ということなのだろう。「持ち上げて べたりと落とす 餅つきや 搗くほど粘り 味増すからは」
 佐村河内守という名前を筆者は「サムラカワチノカミ」と最初は読み、江戸時代の殿様かと思ったが、本名だろうか。この名前の珍しさが話題をより大きくした気がする。ゴーストライターの名前は忘れたが、それほどに目立たず、TVで見る氏も印象的ではあっても交響曲を書くような重厚な感じは全くない。また偏見を書くが、化粧で化ける女と違って男は、そして堂々と仕事を主張出来る場合は、それなりに見栄えに風格がある。それがない男は女の目に留まらず、真の意味での無名で生涯を終える。佐村河内はどうか。本曲のCDのブックレットに彼の写真が2枚ある。それが何とも様になることを狙ったもので面白い。よく似たタイプの表情、態度をする男は世の中にごまんといる。特に芸能界で生きる者はみな彼と同じと言ってよい。自己演出が好きなのだが、化け猫が尻尾を見せるように、下手な演技が、あるいは本質が露わになっている。それは目をまともに見ればわかるだろう。以前アラン・ホヴァネスの音楽について書いたが、ホヴァネスの肖像写真で印象的なのは目の輝きとその奥深さだ。そういう目をした男は筆者の知る限りはいない。ホヴァネスのことを思い出したのは、本CDのブックレットに長木誠司氏が「21世紀の日本に可能な交響曲の姿」と題する解説を寄せていて、文中に「ソ連のショスタコーヴィチとスウェーデンのアラン・ペッティション(そして、それらとまったく文脈を違えるアメリカのアラン・ホヴァネス)。ともに抱えている病理に悩みながら、多くの交響曲を書き続けた。」とあるからだ。長木氏の文章を初めて読んだが、佐村河内をショスタコーヴィチやホヴァネスと比較しながら、「21世紀の日本に可能な交響曲の姿」と書いたのは、佐村河内の才能を手放しで賛美しているのではなく、しょせん「21世紀の日本に可能な交響曲の姿」とはこの程度のものだと暗に貶めている側面も感じ、そこに依頼されて何か賛辞を書かねばならない評論家の辛さに同情する気も湧く。模倣と軽佻浮薄が昔から得意芸の日本では、どれほど逆立ちしてもブルックナーに比肩出来る交響曲の作曲家が生まれるはずはない。ブルックナーは教会でオルガン弾きをしながら交響曲を書いた。それはキリスト教と無縁ではあり得ず、そのキリスト教には神学、哲学を育んで来た歴史があって、それを致命的に欠いた精神的支柱のない日本ではどれほどあがいても猿真似しか出来ない。猿回しの芸を喜ぶ大衆がいることはいつの時代のどの国でも同じで、佐村河内が狙ったのはそこだろう。本CDは当時12万枚売れたそうだ。そのことで佐村河内その他、関係者は目的を果たし、後はどうなろうと知ったことではないというのが本音ではなかったか。ただし、思惑はすぐに破綻し、汚名は佐村河内のみが被った。それもひどい話だが、誰かの全責任を負わせて他の関係者が被害者面するのはTVで毎度お馴染みの光景だ。
 ホヴァネスは若い頃にシベリウスと文通し、それがシベリウスの死まで続いたという。筆者は10代終わり頃から何とはなしにシベリウスに惹かれ、彼の生涯を描いた本やレコードを入手した。最もよく聴いたのは交響曲第2番で、いつでもその曲のあちこちのメロディを脳裏に再生出来る。そして感じるのはフィンランドの自然だ。シベリウスが自然の中を逍遥しながら思いついたメロディを連綿とつなぎ合わせて交響曲を仕上げたことに感服するが、ホヴァネスも同じように思ったはずで、シベリウスから学んだとすれば作曲の語法ではなく、自然から何を導き出すかという最重要なことであった。それは芸術史的に見ればロマン主義の残滓ということになるかもしれないが、フィンランドはドイツとはバルト海を隔てて隣り合うものの、民族が異なる別の国だ。ホヴァネスのアメリカもそうで、ドイツの交響曲の歴史に学びはしてもそれに染まり切る必要はなかったし、するつもりもなかった。日本ではバッハ、ベートーヴェンのクラシック音楽が義務教育で教えられ、ドイツ音楽が神聖視されている。そういう伝統ではシベリウスはまだしも、ホヴァネスの音楽は大きな人気を得ることはない。そして日本で交響曲を書くとなると、黛敏郎のような仏教に因む『涅槃交響曲』があるが、それとてめったに演奏される機会はない。和の要素を持ち込んでも今では国民性に馴染まないとの考えが支配的であるからだろう。そこでやはり交響曲はドイツとなり、それ風の、そして日本が世界に主張出来る有名な何かを題名その他で味付けしたものが構想されるのは、ごく自然な考えだろう。真の意味での独創からは遠い作品になることは目に見えているが、独創より大事なことは、いかに有名になって金儲けが出来るかだ。しょせん芸術は消耗品で、より多くの人が喜べばそれで目的を充分達したとの考えだ。運がよければ浮世絵のように外国が認めて再発見してくれるから、発案者と実際に音符を書き連ねた者との共作であるこの曲も、百年後に外国で再評価されるかもしれず、そうなれば長木氏の「21世紀の日本に可能な交響曲の姿」も予言的であったと認められる。その可能性はゼロではないが、シベリウスの交響曲第2番のように、半世紀すなわち一生よき思い出として残るメロディや楽器の総和の音というものが、佐村河内のこの交響曲には欠如していて、簡単に言えば聴いていて楽しくない。そういう音楽は多いが、全3楽章計82分の大曲がどの箇所もどこかで聴いたことのある気にさせることは、作品としては駄作、凡作としか言いようがない。いかにも重厚であるのに中身が空っぽの印象を与えるのは、ろくな本が1冊もない成金の豪邸のようなものだ。そういう空疎さを意図して表現する作品はあるが、佐村河内はそうではなかったであろう。図らずも空虚さが露わになった作品ほど惨めなものはない。
 先ほどの長木氏の文章に「スウェーデンのアラン・ペッティション」という現代音楽作曲家の名前を見て、筆者は初めてそういう人物がいることを知った。それで早速ネットで調べると1980年に亡くなっていることを知った。今後筆者はその作曲家のCDを手に入れるかどうかわからないが、アマゾンでその作曲家のCDの一般人による批評を見ると、筆者が知る限り、最も文章量の多いものがあった。あまりに長いため、またあまりに読む気を起させない文章であるため、最初の10行ほどで読む気をなくした。文章を綴ることは、言葉を話せる人間であれば誰でも出来る。したがって時間をかけさえすれば長文も書けるが、誰かに読んでもらうには、最後まで読ませる筆圧が欠かせない。これは書いていて楽しく、読者にその楽しさが伝わるような工夫と言うべきものがなければならない。ある作品に感動した場合、その感動を他者にどう伝えるかとなれば、文章という表現が感動的でなければならない。それはなかなか至難の業で、それで大多数の人は凡人さを露呈することになるが、限られた時間の人生において、駄作や駄文に時間を割いては損した気になるから、音楽なら聴いて楽しかった、文章なら読んで何となく得したという気を起させないものは持続した人気を得ることは難しい。どれほど深刻な思想の経路を綴った哲学書であってもそれは同じことで、文章を積み上げた全体の構成が、時に破綻もそれなりの意味があると思わせるほどに作者が吟味し続けた痕跡を示すものでなければならない。そうした「作品」は他にはない斬新な工夫が必ずある。それは個性だが、誰にも個性はあるから、それを抜きん出たものにするには、他を研究し、視野を広げる努力をする一方、今までにはない「形」を創り出さねばならない。20歳やそこらの若い間はその研究や努力の量は高が知れているから、生まれ持った何かを中心に表現するしかないが、無意識であってもそれは出自に大いに関係した本質を提示しているもので、またそれゆえに20代で絶大な人気を獲得する作家はよくいる。シベリウスもそうであった。ところがその後は同じことの繰り返しを避ける思いもあって、他の研究し、視野を広げることなるが、その努力を怠る者がまた大半だ。一時はちょっとした人気を得てもすぐに才能が枯渇して忘却される作家は枚挙にいとまがない。しかし研究し続け、視野を広げる努力をし続けても、そのことで名作が生まれるとは限らない。楽譜を書く才能がなかった佐村河内はその点でどうであったかの想像を誘う。というのは、パソコンを使って自分の歌声を入力すれば、音符が書けなくてもメロディを自動演奏される機能があると聞くからだ。佐村河内は交響曲の構成が脳裏にあったようであるから、ゴーストライターを使わずにパソコンのAI機能を使えば手っ取り早く作品が書けるのではないか。
 あるいはAIに指示するだけで佐村河内の交響曲ならいくらでも創出出来る時代になっているのではないか。この曲を聴いてまず感じたのはそのことでもある。AIがやれることを佐村河内とゴーストライターが協力してやったことであって、その意味で21世紀的であり、また無名性を持ち、感動めいたことを演出している点でも「作りもの」としてのAI性を体現している。これは言葉を代えれば「不気味」ということになるが、この曲が面白いのは「HIROSHIAMA」と題するからには、誰でも原爆にまつわるあらゆる悲劇に思いを馳せるからで、筆者は第1楽章の初めって早くも3分ほどで登場する爆発的な音に原爆を思いついた研究者の閃きを連想したが、一方では原爆で誕生したゴジラが眠りから覚める様子も思い浮かべた。そのようにこの曲は広島が経験した悲劇と結びついて聴かれることが正しいはずだが、音はどのように解釈してもいいものであるから、ある楽章のある個所を全体の物語の中でどのような場面を想像してもそれは聴き手の勝手だが、映画音楽的にこの曲を長大な物語の描写音楽として見つめると、その途端に安っぽさが露わになる。原爆の悲惨さを描いた丸木夫妻の絵画とは違って、音楽で原爆の悲惨を表現することは不可能だ。それにこの曲は第3楽章では明るい希望を描くような調性に変化し、それがまた交響曲にありがちの予定調和そのものを感じさせるが、原爆の悲劇の前でどのような癒しが可能と佐村河内は思ったのか。つまり、筆者はこの曲の題名が鼻についてならない。しかし広島ないし原爆を大上段にかざすことがなければ話題にはならないと佐村河内は思ったのだろう。そこがいかにも安っぽいが、話題に飛びつきたい連中には歓迎される。「作品に罪はない」とよく言われる。それゆえこの曲も百年後にどう評価されているかは誰にも予想がつかない。10数回聴いた筆者は過去の作品のいいとこ取りをしながら大オーケストラで鳴り響かせた重厚長大な曲であることは認めるが、繰り返すと後で思い返すことの出来る印象深いメロディがない。記憶に残らないことは作品としては致命的だ。筆者はこの曲の全3楽章に合唱がついていて、それが心に残る物語であれば、もっと作品として成功したのではないかと思った。今からでもそうしたオラトリオとしての改作は可能で、佐村河内やゴーストライターとは別の第三者の優れた才能を付与すればどうか。そのことに協力する作詞者が今はいなくても、将来はわからない。それにCDがあればその音に合唱を加えることは案外たやすい行為ではないか。しかしそれはAIでは駄目で、広島の原爆を通じて人間の愚かさを見抜いた詩人でなければならない。あるいはこの曲にアニメなどの映像をつければどうかと思えば、それは絶対にやめておくべきで、交響詩とするにはあまりに全体は暗い色調に覆われている。
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# by uuuzen | 2023-11-30 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
●『京阪アコーディオンクラブ・コンサート』
にて 見張り居眠り 揚羽舞い 敵も眠かろ しばし休戦」、「ひらひらと 蝶の飛来に 和むれば 敵の狼煙に 気づき罵り」、「お京はん 半休取って 停車場に 尼が先かと 半信半グー」、「完熟の りんご傷つき 加工用 かっこ悪いしも 手加え化けり」
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今月11日に寝屋川で見たコンサートについて去年と同じ題名で投稿するが、9月10日にムジークシューレ大阪でプログラムに挟んであった告知チラシの題名が去年と同じになっているのでそれに倣う。そう言えば今回のステージ背後の横長の垂れ幕も去年と同じものを使用している。「第〇回」という表記があれば歴史がわかっていいと思うが、今回のプログラム裏面に来年のこのコンサートは10月27日に同じ場所で開催されるとの告知があり、連絡先として記される長野邦子さんに筆者のこの投稿内容が伝われば、来年のチラシに「第〇回」と記されるかもしれない。ところで先月1日、金森さんに9月10日のムジークシューレ大阪での吉田親家アコーディオン門下生による演奏会に行ったことをメールで告げると、10日に返事があった。そこに先日投稿した梅田のアサヒスーパードライでのユニットコンサートの開催予告チラシの画像が添付され、そこには「第8回」とあった。当日会場でもらったチラシでは赤い数字は7になっていた。金森さんの添付画像は右上隅に「校」とそして「正」らしき文字があって、金森さんは校正刷りの画像をネットで見つけたか、丸尾さんから送ってもらったのだろう。それはともかく、関係者が7回目を8回目と間違えるほどにアコーディオン奏者は恒例のコンサート回数に無関心と見える。で、9月10日の大阪本町でのコンサートに金森さんの姿はなかったが、スーパードライに続く、つまりおよそ2週間後の今回の京阪アコーディオンクラブのコンサートに、去年と同じく筆者より先に訪れ、そして筆者より前の席に姿が見えた。今回筆者は充分間に合う時刻で出かけたのに、慣れない京阪電車で、各駅停車に乗った。特急その他が何台も追い越して行くことにようやく気づいて樟葉で乗り換えた。寝屋川市民会館に着くと開演の1時半から10分ほど経っていた。去年と同じ小ホールであるのに、その場所がわからず、慌てて学校の職員室のような部屋に駆け込むと、「すぐ後ろです」と言われた。「小ホール」の文字が消えかかっていて全く目立たないのだ。黒く塗ることは簡単であるから、来年は配慮してほしい。なぜこんなことを書くかと言えば、筆者がそのドアが開けっ放しにされている職員部屋を出るや否や、チラシを手にした60歳くらいの派手な身なりの女性が「この場所はどこやのん! わからへんがなっ!」と大声で怒鳴り込みながら部屋に入った。彼女は筆者以上に小ホールを探し続けたのだろう。せっかく壁面に大きな文字で「小ホール」と書くのであれば、消えかかっていては駄目だ。だが、この投稿を寝屋川市の職員は読まないだろう。
●『京阪アコーディオンクラブ・コンサート』_b0419387_18240368.jpg 先月29日のユニットコンサートでは丸尾さんは風邪を引いてマスク姿であった。今回具合を訊くといちおう治ったとのことで、マスクを外していた。今日は最初に当日の演奏順を無視してユニットコンサートに出演したYMO(吉田親家、丸尾知子、小野寺彩香)トリオのマスクなしの写真を掲げるが、去年と違って筆者は最前列に座れず、カメラが違って操作がよくわからず、ユニットコンサートの時と同様、全部ピンボケになった。それでも3人の表情は人格を表わしていると思う。面白いのは左端の小野寺さんの真面目一徹の表情だ。彼女は今回もバッハの管弦楽組曲第2番から演奏したが、9月10日では最初に弾いたロンドを省き、ポロネーズとバディソヌのみで、また前回と同じようにわずかに演奏にためらいがあった。真剣に挑んでも難曲ということなのだろう。筆者は彼女の微笑みを見たい気がして、今回は話す機会がないかとかすかに期待した。コンサート終了後、金森さんの手配によって会場後方に陣取って丸尾さんを囲んでしばし談笑が出来たが、椅子の後片付けを手伝わないことが終始気になった。そして積み上げられた椅子がホール内の収納庫に移される中、小野寺さんがこちらに小走りでやって来て筆者の右脇を通り過ぎた。一瞬彼女と目が合った気がしたが、筆者は邪魔と思われたかもしれない。ともかく演奏中の彼女の表情とはわずかに違って、女性らしさが垣間見えた。演奏が終わって安堵していたからだろう。こう書けば筆者は何を期待して演奏を聴きに行っているのかと訝られるが、女性に限らず、人前で姿を見せながら何かを表現する場合はそれなりの色気はほしい。媚とは違って自然と滲み出る笑みだ。それがあったほうが客は楽しめる。また記憶に留まりやすい。丸尾さんはステージ上で笑顔を見せる場合がある。その瞬間を捉えたのが今日の最初の写真の右端だ。これは実によく丸尾さんの本質が出ている気がする。あまりのピンボケに彼女は笑うだろうが、彼女らしい温かみ、一種の大胆さがこの1枚の写真から伝わるはずだ。しかし無表情を通す小野寺さんであるから、YMOのふたりの女性は相性がいいのかもしれない。これがふたりとも女性らしい色気を発散すると、吉田さんは指運びを間違うことがあるかもしれない。というのは全くたちの悪い冗談だが、ユニットコンサートでのYMOのステージ写真はまるで色気がなかった分、今回は写真から3人の表情が、そしてそこから性格が伝わるのではないかと思っている。マスク姿を言えば、去年と違って今年は進行役の米谷麻美さんがそうなった。今日の4枚目の上の写真の左からふたり目が彼女だ。彼女と9月10日に少しだけ話したことは以前に書いたが、筆者はいささか変質気味と思われたであろう感触が伝わった。実際そうだが。したがって黙って訪れ、無言で立ち去るのが本当はよい。それが男の色気というものだと言いたいところだが。
●『京阪アコーディオンクラブ・コンサート』_b0419387_18242153.jpg 今回は「旅にまつわる名曲を中心に」とチラシで謳われ、短い休憩を挟んでの三部構成であった。話を戻すと、小ホールの後方扉を開けて中に入ると演奏は始まっていて明かりは落とされていた。右手の受付で署名し、プログラムを受け取った後、丸尾さんから声をかけられた。彼女はホール後方中央にいて、コンサートの録画を確認していたのだろう。空席を勧められて後方左手に座ると2,3列前に金森さんの姿があった。先に書いた怒鳴った女性はやや遅れて入って来て筆者の斜め前に着席し、休憩のたびに、また演奏途中で席を移動し、やがてコンサートが終わる前に姿を消した。席を変える別の女性にも気づいたが、コンサートが終わりに近づくとかなりの人が会場から消えた。それで去年よりはさびしい客数であったが、入場無料ではそういうものかもしれない。あるいは選曲による。ヒットした歌謡曲であれば一緒に口ずさみする楽しみがあるが、そういう曲ばかりではカラオケと変わらない。それで旅をテーマにしながら、誰がどういう曲を演奏するかで悩みがあるだろう。ただし小野寺さんのバッハ曲のように旅とは無関係と言ってよい曲を含むところに、演奏者の好みの曲を優先したい思いが伝わり、よく言えばバラエティに富む内容だが、何をどういう順で聴いたのか記憶に残りにくいとも言える。それが客が次第に姿を消した理由に思える。しかしこのコンサートはプログラムに記されるように会員を募るためのものでもあって、披露曲が幅広い必要はある。興味と知識の幅の大きな開きがある客層を思えば今回のような選曲は妥当だが、こうしたコンサートを通じてアコーディオンを奏でたいと思う人がどれほどいるかとなると、絵筆を持って水彩画を描くという手軽さからは遠く、楽器の重量を思えばなおハードルは高い。そこでピアニカやハーモニカという選択肢はあるし、今年も披露されたオカリナなら、持ち運びは楽で価格も安い。今年も4人のオカリナを吹く女性がステージに上がり、「オー・シャンゼリゼ」「ゴッドファーザー 愛のテーマ」「コンドルは飛んで行く」の3曲を演奏した。メンバーの入れ替わりがあったのかどうか知らないが、去年より技術は上達していて面白かった。3枚目の最下段の写真がその演奏中のものだ。土笛の音色でのハーモニーはアコーディオンとはまた違って本物の鳥のさえずりに近く、演奏を聴きながら筆者はメシアンならどう感じたかと思った。カラオケで歌う自己満足から一歩進んで、こうした楽器で他者を楽しませることの広がりを期待したいものだ。プログラムには4人の女性に長野邦子さんの名前がある。彼女は3枚目の写真の最上部にあるようにまず吉田さんと一緒にアコーディオンを演奏し、オカリナの演奏では左端に位置した。彼女が京阪アコーディオンクラブの連絡先になっていることは、アコーディオン歴60年、今年80歳と紹介されたことから当然だ。
●『京阪アコーディオンクラブ・コンサート』_b0419387_18244211.jpg 話は前後する。筆者が会場に入った時、ボロディンの「中央アジアの平原にて」が始まっていた。当日最初の曲で、4人のアコーディオン奏者による合奏だ。編曲は去年も出演した男性の小野田幸嗣さんで、彼はひょっとすれば京阪アコーディオンクラブでは唯一の男性会員かもしれない。「中央アジア…」は小野田さんの編曲で、こういうクラッシク曲を演奏するのはやはり吉田さんの影響か。プログラムには吉田さんについて、京阪アコーディオンクラブ講師とあって、全関西アコーディオン協会理事長とも書かれる。それであちこちのアコーディオンのコンサートに引っ張りだこなのだろう。「中央アジア…」はプログラムでは「オープニング 旅の途中で」と記され、なるほど馬か驢馬に乗っての旅を思わせる曲だ。次に「ソロ・アンサンブル」とあって3曲が演奏された。最初の「DOMINO 」はムジークシューレ大阪でも演奏されたが、どちらもかなり高齢の女性だ。ただし今回は吉田さんの編曲で、長野邦子さんが中心となって吉田さんは伴奏に終始したと思う。2曲目は「枯葉」で、3枚目の中央の写真の加宮はつねさんがひとりで演奏した。3曲目に小野田さんがやはりソロで「思い出」を弾いた。これは元はドルドラという作曲家のヴァイオリンとピアノのための曲で、午後に紅茶を飲みながら聴くのがふさわしいような優美さがあって、「旅の途中」と言われればそのように想像する。この後にオカリナの演奏があって休憩となったので、金森さんの近くに移動した。第2部は「旅のいざない」と称し、最初に小野寺さんのバッハ、次は「澄みわたる景色」と題してYMOによる「芭蕉布」「明日に架ける橋」「村の娘」の3曲で、後2者はユニットコンサートでも演奏されたので、YMOとしてのレパートリーはよく知られる新旧のポップスが中心ということになるか。舞台の演奏者は目まぐるしく変わり、筆者の写真撮影も忙しかった。次に登場したのは「週末の酒場」と題し、丸尾さん、ベースの矢田伊織さん、打楽器の小野田さん、そして米谷さんの4人によるブラジルのフォホーの2曲で、米谷さんは観客に向かって週末の酒場にいるように踊ってほしいなどと言ったが、その勇気のある者はいない。そう言えば去年と同様、米谷さんとともに司会を務めた林敏夫さんもピエロになり切れないおとなしさが目立った。この4人の演奏の写真は不採用とし、次に5枚目の上の写真だ。左から順に矢田さん、米谷さん、そして御大の杉村壽治さん、そして丸尾さんで、「煌めく情熱のダンス」と題し、最初に杉村さんがタンゴで歌謡曲としてもよく知られる「小雨降る径」をソロ演奏し、次に米谷さんが矢田さんと丸尾さんを招き、揃った4人が「杉村壽治とメッチャムーチョス」と名乗ってタンゴの代表的名曲「エル・チョクロ」と「カミニート」を披露した。その時の様子が4枚目の上の写真だ。
 タンゴの名曲をたまに聴くとしばらくは小中学生であった頃を思い出し、当時の大人がとても大人びていたように思う。また杉村さんはタンゴ好きで、その点がひょっとすれば吉田さんと異なるのかもしれない。さてまた休憩を挟んでゲストのパパガイオスの登場となった。丸尾さんと矢田さんのデュオで、矢田さんは海外から取り寄せたというアコースティックのベースを奏でた。その様子を撮ったのが4枚目の下で、丸尾さんは曲に合わせて衣装を替えるサービスぶりだ。9月10日と同じく「イル・ポスティーノ」を演奏したが、今回は倍ほどの長さであった気がする。次に懐メロ歌謡曲のメドレーで、「丘を越えて行こう」「花の東京」「星の流れに」「高原列車は行く」「月がとっても青いから」が演奏され、これらは杉村さんが長年担当したラジオののど自慢大会の伴奏を意識したものであろう。耳慣れたメロディにたちまち一緒に歌い出す客が目立った。TVの通販で6,70年代の日本のポップスのCDがレコード会社のレーベルを越えてよく発売されているが、戦前から昭和20年代までの歌謡曲が丸尾さんのような世代によって、しかも懐かしい感じがするアコーディオンによって演奏されることはレトロブームのひとつであろうか。今回会場で一緒に口ずさんだ人たちは70代後半から上の世代のはずだが、そういう人たちが亡くなった後、懐かしいメロディには違いないとして、歌詞を新たに覚えて歌おうとする若者がどれほどいるだろう。そう考えると杉村さん世代まではよかったが、丸尾さんがこうした曲をこれからも長年演奏し続けるとして、それを歓迎する客を見込めるかどうか。丸尾さんはそんな先のことを考えずに、今回の客層、そして杉村さんが演奏することを前提にしたサービスの気持ちが大きいのかもしれない。また純粋にこうした過去の流行歌が楽しく、演奏を通じて分析し、得られるものがあると考えるからだろう。それにこうした懐メロを作曲した人や歌った人たちはみな高学歴で、真にいいものを創ろうという覚悟があった。それは高尚な芸術ではないとの自覚がありながら、結果的に莫大な数の人を楽しませ、時代の明るい側面の空気を形成したから、その意味では芸術と称していいものとなった。ただし時代は変わるし、人の好みや価値観も変わり、明るさやそのネガとしての悲しさのわかりやすい表現一辺倒では物足りなくなり、さらにはそういうものを恥ずかしいとさえ思う人が増える。そのことを承知でなお昭和前期から20年代までの歌謡曲には掘り起こすべき何かがあるのかもしれない。筆者と同じ年齢の近所のOさんは三橋美智也の曲が年齢を重ねるほどに懐かしいと言う。筆者はその気持ちは大いにわかりながら、遠くでそう思っているだけで充分という気がし、常に未知の音楽を求めて来ている。それはあてのない旅と言ってよく、役割を自認せず、期待もされないから気楽なものだ。
●『京阪アコーディオンクラブ・コンサート』_b0419387_14261752.jpg 去年も今回も丸尾さんの出演がなければ多彩さは保てるとしても華やかさに欠けたであろう。しかし彼女は関東在住となり、今後どこまで関西のアコーディオン・コンサートの出演に応じられるか。そう考えると彼女は関西まで旅をして出演し、今回のテーマが「旅」というのは何となく彼女に符合している。さて第3部は「旅」と題する4曲だ。前半の「草原のマルコ」とアメリカの「センチメンタル・ジャーニー」は加宮、米谷、小野田の京阪アコーディングクラブのメンバー、後半2曲は今日の5枚目の写真のように他のメンバーが加わった。この5枚目の上中下の写真は本来横並びのメンバーで、左から順に矢田、小野田、加宮、小野寺、米谷、丸尾、そして服装からしてオカリナのメンバー、右端は長野さんだろう。小野寺さんが微笑んでいるのがよい。そしてオカリナの4人ともかどうか知らないが、アコーディオンも演奏することがわかる。アコーディオンが7台では音の厚みがひとしおだが、大先生ふたりを除いたこのオールスターで、松本伊代のデビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」と、これは偶然か、先月亡くなったばかりの谷村新司の曲「いい日旅立ち」が演奏された。そして拍手に応えたアンコールとして、現在のNHKのTVドラマに因み、また丸尾さんと矢田さんのコンビであるパパガイオスが演奏した懐メロ・メドレーにも関係して、プログラムにはない「東京ブギウギ」が合奏された。「草原のマルコ」はひょっとすれば最近再放送をNHKで見たマルコ・ポーロを主人公にした確か80年代のアニメのテーマ曲かと思ったが、確かめていない。なおそのアニメは再放送を全編を見ていないが、教育的観点からもよく出来た作品であった。コンサート終了後、金森さんが丸尾さんに少し時間があるかと声をかけ、去年とは違って丸尾さんは立ち話に応じた。筆者は話すことが思いつかなかったが、金森さんは今夜大阪に泊って明日の難波のとあるライヴに行かないかと誘った。というのはかつて丸尾さんが在籍したバンドが出演し、金森さんは彼女が飛び入りで出演出来ないかと考えたのだ。丸尾さんは泊まってもいいが、すでにそのバンドは自分たちで活動しているのでそれを邪魔したくないといった風のことを言った。それはそうだろう。今の丸尾さんは単独ないし矢田さんとライヴハウスでオリジナル曲を演奏する一方、今回のようにいわば何でも来いのレパートリーの豊富さだ。筆者は丸尾さんが在籍したバンドを知らず、口を挟まなかったが、丸尾さんのシャツが赤地青の小さな連続模様であることに目を奪われ、「目がちかちかしますね」とよけいなことを口走った。「煌めく情熱のダンス」にふさわしいシャツを彼女は選んだのだ。「目がちかちかと煌めきます。お洒落ですね」と言えばよかった。また彼女は少し痩せて見え、そのことも言った。それは嫌われるもとだ。次回は黙って訪れ、黙って帰るか。
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# by uuuzen | 2023-11-25 23:59 | ●その他の映画など
●461モンブラン、大阪市『ふくしまてんこもりEXPO 2023秋』にて
唐使 見当するも 運任せ 学ぶことこそ 命となれども」、「情熱を 燃やし続けて もしやあり もやし野郎も 香具師も情あり」、「山の下 森に降り積む 白い雪 はかなきかなと 広し道行き」、「遠くから 目立つ帽子の ピエロかな 今日はお祭り 生演奏も」
●461モンブラン、大阪市『ふくしまてんこもりEXPO 2023秋』にて_b0419387_02144287.jpg
今月5日の「原田しろあと館」での461モンブランの演奏会、終了後に質問したいことがいろいろあったが、男性数人の山下カナさんを囲んでの談笑が終わりそうになく、筆者は森祐介さんに今度はいつ演奏するのかと訊ね、「大阪の福島で」との返事を聞いて会場を後にした。その福島区での演奏が12日であることを彼らのツイッターで知った。11日は寝屋川で丸尾丸子さんが参加するアコーディオンの演奏会があり、翌日も大阪に出かけることはかなり億劫だが、天気がよければ出かけてもいいかと考えた。そして当日の朝、家内に大阪に出るかと訊く前に窓の外を見ると、あいにく曇天でとても寒い。さてどうしたものか。1時間ほどの間に家内に三度訊ね、そして雲の隙間から陽が照り始めたのでついに出かけることにし、家内は大急ぎで化粧を始めた。家を出たのは11時過ぎで、12時半から演奏は着いた時は終わっているか、あるいは最後の1、2曲は間に合うかと思った。演奏を最初から楽しめないならば出かける意味はあまりないが、以前から見学すべく入手していた施設のチケットが2枚ある。それを手提げ袋に放り込んだ。ごくたまにしろ、筆者と大阪に出ることを家内はとても喜ぶ。そして住み馴れたはずの京都より断然大阪がいいと言うが、筆者は大阪でも京都でも場所によりけりで、結局どういう人が近くに住み、親しくなれるかだ。それは大阪でも京都でも同じだ。しかし、たとえば豊中の高級住宅地に住む文化度の高い人は、筆者のような貧乏人は相手にしない。文化度は経済力に比例すると言う人がいるが、文化人は貧乏人からでも輩出する。最近金森さんから、筆者の昔の文章にストラヴィンスキーの「アゴン」についての記述があるが当時日本でその曲はレコードが発売されていなかったのにどうして聴いたのかと質問された。82年にストラヴィンスキー生誕百周年記念として定価72000円のLP31枚組が日本に200セット直輸入され、当時31歳の薄給の筆者はその1セットを無理して買った。わずか1行を書くためにそういう覚悟は時に必要だ。つまりは貧乏人でも知を求めて大胆な金遣いをする場合がある。さて、梅田に着くと小雨が降っていた。慌てたために傘を持って出なかった。JRの環状線の乗り場まで上るのが億劫で、一駅先の福島まで歩くほうが早いと思いながら結局環状線に乗った。電車はホームで2、3分停まったままで、やはり歩いたほうがよかったかと苛々し始めた時にようやく動き始めた。フェスタが開催中の駅南西にある公園には行ったことがないが、小雨でもあってその方角に走ると、すぐにアコーディンの音色が響いて来た。
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 家内は筆者の20メートルほど後を着いて来る。人混みの公園に入ってステージを探すと、赤い布を敷き詰めたステージに461モンブランが演奏中ですぐに「情熱大陸」が始まった。たぶん最後の曲だ。416モンブランのツイッターには、10月に高槻富田の寺で彼らが演奏した時、筆者が知る男性は駆けつけると最後の「情熱大陸」の演奏中であったと書き込んでいた。筆者らはそれと同じ体験をした。フェスタは思ったほど人は多くなく、客席もまばらに見えた。山下さんを真正面に見ながら筆者は接近し、5メートルほどのところに達した。すると筆者の笑顔に彼女は気づき、笑みを返した。その瞬間が得られただけでも出かけてよかった。筆者はその時の彼女の姿を忘れないだろう。ふたりの演奏中の写真を右や左に移動して3枚撮った。雨粒はやや多くなり、4分弱の「情熱大陸」が終わると係員の男性が舞台下手の大きなスピーカーにビニール袋を被せ、461モンブランは隣りの白テントに入った。公園の隅にさまざまな売店のテントがあり、筆者らは福島県の物産テントで少し買い物をし、その近くのテントでは昭和時代の福島を捉えた白黒写真を眺めた。ステージの方角を見ながら写真を2枚撮り、461モンブランの姿がないかと遠くを眺めると、人混みの中に山下さんが見えた。彼女もこちらに気づき、すぐにふたりは走って来た。筆者のキャットビーニーの帽子が目についたのだろう。今年の時代祭の時と同様、筆者は探してもらう相手から目立つ姿、特に帽子を被ることにしている。筆者は矢継ぎ早に416モンブランに質問した。メールで訊ねるよりも手っ取り早いからだ。やがて山下さんは楽器が雨に濡れて気になることを言い、筆者は話を止めた。家内は黙ってそばに立っていたが、帰宅した後、家内の知らない話を筆者が多くしたと言われた。それに筆者の顔がくしゃくしゃで見ていられないと言ったが、まあ仕方がない。雨の下での立ち話の内容はここには書かないが、森さんに一週間前と同じく次はどこかと訊ねた。「神戸です。その後は年内は予定が入っていません。」多忙を理由に筆者は追っかけファンにはなれず、遠くて高槻辺りでの演奏でなければ出かけない。それはさておき、たぶん間に合わないと思いながら、最後の曲に触れられて運がよかった。筆者の聴きたいという情熱のおかげか。公園内の時計を見ると演奏が終わったのは1時5分ほど前で、約25分の演奏であったことになる。曲目は知らないが、4,5曲のはずで、「原田しろあと館」での演奏の後半部と同じと考えていいだろう。ということはその程度の長さのセットをいくつか保持し、制限時間とギャラの関係もあってセットをひとつかふたつにするのではないか。もちろん2,3曲の異動は絶えずあるはずで、それはある程度は演奏場所に合わせると想像する。レパートリーの全部を聴くには数十以上のステージを見る必要がありそうだ。
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 福島区での演奏はここ数年続いているとのことだ。「原田しろあと館」でも同じで、他の多くの場所もそうだろう。それは彼らがどの会場の主催者にも人気があることを示している。そうした定期的に演奏可能な場所を数十か百ほども持てば新規開拓の必要はない。ただし、定期演奏場所がいつまでもあるとは限らず、またファンを飽きさせないためにはレパートリーを変え、増やす必要もある。もちろんふたりはそんなことは承知で、着実にファンを増やして行くに違いない。416モンブランはいわば筆者が初めて自発的かつ強く焦がれるように演奏に接したいと思ったミュージシャンだ。それは山下さんの女としての魅力が第一義であるためでは全くない。ふたり揃った美しい見栄えと演奏が実に見事であるからだ。そのことは文章では伝わらない。京阪神を拠点に演奏するふたりの演奏を間近で接するには、ツイッターで告知される演奏会に出かければよい。今のところはまだ入場料はライヴハウスのようには高額ではない。ふたりは多くの人がよく知る曲をレパートリーにするとはいえ、コンサーティーナとアコーディオンとなると編曲は必要だ。その妙味が彼らのどの曲にもある。それに「情熱大陸」では中間部にソロの絡みがあって、それが原曲にあるのかないのか、あるとすればどう違うのか、興味が湧く。同様のカデンツァは「リベルタンゴ」ではもっと長く披露された。筆者が所有するピアソラの74年の同名タイトルのCDヴァージョンではメンバーの即興はなく、461モンブランの演奏より退屈だ。ということは、ふたりは編曲以外に即興の才能も持ち、それをさらに磨けばジャズ・ミュージシャンとの共演は可能になり、活躍の場はさらに広がる。山下さんはジャンルに関係なく、いい曲は演奏したいとツイッターに書く。その態度もよい。世代の差から筆者はアニメの名曲を知らないが、「原田しろあと館」で演奏されたそうした曲は聴き応えがあった。それは編曲のせいも大きいだろう。とにかく瞠目すべき才能のふたりだ。オリジナル曲にこだわるミュージシャンはライヴハウスを拠点にする。その暗い洞穴のような場所とは違って野外あるいは「原田しろあと館」のような特別の場所での昼間の演奏は聴き手を選ばない。それは461モンブランの望むところだろう。となれば彼らはほとんど満たされた境遇で活動をしている。今回筆者は山下さんにオリジナル曲を提案した。シンガーソングライターになることを勧めるのではなく、「情熱大陸」のような器楽曲でよい。表現への情熱があればカヴァー演奏でもオリジナル曲でも他者を感動させ得るが、461モンブランならではの看板曲があってよいと思う。山下さんのツイッターの自己紹介文の最後の言葉「パニック障害、限局性恐怖症」に対して筆者は言うことがないが、ひとつだけ書けば、筆者の度が過ぎた会話やこうした文章が強すぎる刺激を与えないことを願う。
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# by uuuzen | 2023-11-15 23:59 | ●その他の映画など
●461モンブラン、豊中市『原田しろあと館 オータムフェスタ』にて
を巻き 眠る乞食の 笑みし顔 我も生きるや 空蝉の世を」、「生と死は 対にあらずや 死も生きる この刹那こそ 永久と知れば」、「奏すれば 音の調べは 空を舞い 人の心に 届くと願い」、「見せかけの 大きさを恥じ 赤子見て 唇噛みて 秋雨の降る」
●461モンブラン、豊中市『原田しろあと館 オータムフェスタ』にて_b0419387_02135209.jpg
今月に入ってすぐ、5日に豊中の曽根で開催される461モンブランの演奏会に家内と行くことを決めた。そのことを家内に伝えると、いつものごとく「ひとりで行き」の返答であったが、筆者は決めたことはほとんど実現させる。当日の朝、服装の準備を始めると家内も一緒に行くことを当然と思うようになった。それはさておき、当日の朝、筆者は火山が噴火する夢を見た。夢は目覚める直前のものをよく覚えている。わが寝室の窓から嵐山から苔寺に連なる山が真正面に見えるが、夢ではその山の連なりが晴天下で緑豊かに見えた。そして視線を右手すなわち嵐山に移すとやや遠方に白くて尖った山があった。「ああ、モンブランだな」と思った途端、それが噴火した。即座に幾筋かの臙脂色の溶岩が山裾をこっちに向かって流れ下り始め、数秒後にはわが家まで到達した。大慌てでベランダの下に逃げ込むと、溶岩はベランダを覆い、見上げたベランダの下から溶岩が血のように滴り始めた。避難しようとしたところで目覚めた。窓の外は天気がよく、夢と同じ山の連なりがあって、当然ながら右手奧にモンブランはない。「どういう意味の夢か」と思いながらで階下に行って家内にその夢について話した。さて、筆者としては初めてのことだが、461モンブランのツイッターに会場の人数制限に関して質問しておいた。曽根まで出かけるからには制限人数を越えたために会場に入れないでは困るからだ。筆者は最近よく会合に遅刻するが、当日は気を引き締めてやや早い目に家を出て、開演30分前に着いた。曽根と言えば毎年「文化の日」に若冲の重文の襖絵が見られる。改めて調べるとその西福寺は小曾根にあって、最寄り駅は服部天神だ。筆者は今回の演奏会場の「原田しろあと館」のある曽根駅での下車は初めてで、帰り道も日和はよく、例によって道に迷いながらも山手の高級住宅地を通り抜け、とある店で現在地を訊ね、ようやく目当てのスーパーに到達したことは楽しかった。演奏会場はかつてサンルームとして使われた居間の一室で、光がよく入るガラス扉は演奏前に白いカーテンで遮光された。灰色の折りたたみパイプ椅子が並べられていて、25名限定であった。開演間近に予備の椅子がいくつか使われ、満席となった。筆者は最前列の左端、隣りに家内、その隣りに会場の建物から徒歩5分の家に住む高齢女性が陣取った。休憩の喫茶時にも親しく話したところ、彼女は毎月東京までN響のコンサート目当てに行くとのことで、なかなか文化度の高い暮らしをされておられる。そういう人は筆者が暮らす嵐山地域にはたぶん、いや絶対にひとりもおらず、曽根が別世界の文化地域に思える。●461モンブラン、豊中市『原田しろあと館 オータムフェスタ』にて_b0419387_02140716.jpg 3日に書いたように461モンブランの演奏を最初に見たのは先月29日、大阪梅田の老舗ビアホールにおいてだ。アコーディオン・ユニット他が8組出演した。筆者は丸尾丸子さんの演奏目当てで出かけ、どの出演者もそれなりに面白く、最も強く印象深かったのは461モンブランであった。モンブランは「白い山」の意であるから、「461」はよけいと思うが、この数字に込めた意味があるのかもしれない。レザニモヲの963さんや38さんに通ずる数字の当て字で、ただのモンブランでは洋菓子に間違われるので461をくっつけたのかもしれない。若い男女のデュオで、女性の山下カナさんがコンサーティーナ、男性の森祐介さんがアコーディンを奏でる。ふたりの見栄えは実によい。また演奏も息がぴったりと合い、技術も素晴らしい。15分の休憩を挟んで前後それぞれ30分ほどの演奏会で、全曲が終わった後、筆者は少しだけふたりと話すことが出来たが、森さん曰く、レパートリーは200曲ほどあるらしい。筆者は音楽に限らず、表現者は多作であるべきと思っているので、416モンブランには大いに感心する。名作は多作から生まれる。たとえば二、三千曲書いた中から運がよければ数曲の名曲が生まれる。したがって三、四十の作曲では名曲が生まれ出る可能性はない。ただし、461モンブランの200のレパートリーにオリジナル曲は含まれないのではないか。おそらく彼らの本領は暗譜による名曲のカヴァー演奏で、乞われればどこにでも出かけて演奏する。その立場にあれば、よく知られる曲を演奏することになる。それは酒場などを流しで演奏するミュージシャンと同じ立場にほとんど等しいが、そう思えば先月29日の老舗ビアホールでの演奏も形を変えた流しの演奏と言える。ただし、酔客の求めに応じて演奏するのではなく、自分たちが得意とする曲を披露する点でライヴハウスでオリジナル曲を演奏するミュージシャンと変わらない。違う点は客層だ。ライヴハウスを訪れる人たちは目当てのミュージシャンのオリジナル曲を主に聴きたい。ところがそのオリジナル曲が優れた作品で演奏もそうとは限らない。筆者の少ない経験で言えば、むしろ自己満足気味なミュージシャンが目立つ。それゆえファンの数はごく限られ、とてもプロとは言えない。ところが461モンブランは演奏で人を楽しませることを第一に捉えていて、またその演奏はふたりとも自己愛が露わではなく、むしろストイックさが伝わる。筆者が好感を抱くのはその点だ。ライヴハウスで演奏するミュージシャンは押しなべて自己愛が目立ち、それを魅力と思う客が集まる。レパートリーの多さはそれだけ練習時間が長いことを意味する。そうであれば自己愛に浸り切る暇はない。より多くの人に演奏を見てもらう、聴いてもらいたいという立場にあれば、ひたすら練習を重ね続けるしかない。そのことを416モンブランはよく知っている。●461モンブラン、豊中市『原田しろあと館 オータムフェスタ』にて_b0419387_02142394.jpg 今回は狭い部屋での演奏でもあってマイク設備はなく、筆者のすぐ眼前でふたりは演奏した。こんなことは初めてで、御前演奏される貴族気分が味わえた。最初の曲が終わった後、山下さんは筆者の身なりを褒めた。全身ヴィヴィアン・ウエストウッドという年甲斐もない格好で出かけたが、山下さんも演奏時の着衣に気を配っていて、それがまた好感が持てる。出会いは一期一会で、真剣勝負ということを彼女は気遣っている。そのことが演奏から伝わる。眼前での演奏でふたりの指使いがよくわかり、一音のミスもない素早い演奏に家内も大いに感心し、筆者に説得されて出かけたことを喜んだ。最前列右端に位置した須磨の山手からやって来た中年男性のファンから聞いたが、山下さんは枚方、森さんは神戸に住むという。そしてこれは森さんが演奏の合間に語ったが、ふたりは結婚していないとのことだ。これは追っかけをするファンには重要事だろう。結婚したと知ってファンをやめることは自然でもある。自分だけの憧れのミュージシャンや芸能人という夢が打ち砕かれるからだが、ミーハーなファンを集めるのが目当てでない場合は話は別で、大方のファンは才能に惚れる。先ほどストイックという言葉を使ったが、461モンブランのふたりは常に一定距離を保ってステージに立ち、変にべたべたしたところを感じさせず、清潔感が伝わる。だが不思議に思うのは、枚方と神戸に離れて200曲もレパートリーがあるのはどういう練習をしているのかだ。また選曲をどのように決めているのかと思うが、今回はビアホールで聴いた曲がほぼ演奏され、「りんごの唄」や最後の「情熱大陸」がふたたび楽しめた。アイルランドの曲が演奏されるかと期待したがそれはなかった。最も気に入った曲は「リベルタンゴ」で、ピアソラの使うバンドネオンとコンサーティーナやアコーディオンが違う楽器であることが説明された。山下さんは主に主旋律を、森さんは和音を担当することが多いが、高音のコンサーティーナのメロディがアコーディンとハーモニーを紡いで行く様はふたりのたたずまいにぴったりだ。演奏終了後、ある高齢男性が老人施設でボランティア演奏をしないかと質問し、山下さんは戸惑いつつ「お金は頂いております…」と答えた。後で家内はその質問に憮然とし、「仕事に対価を支払うのはあたりまえ」と筆者に言った。全くそのとおりで、461モンブランのふたりはプロ意識をもって仕事をしている。またCDを作っていないのかとの質問には、考えてみるとの返事であった。これは喜ばしいことだが、カヴァー曲だけではなく、オリジナル曲を含めてほしい。帰り際、筆者は森さんに今朝見た噴火の夢を話した。その迫り来る溶岩のような演奏であったことになるが、溶岩から逃げ出した筆者の行為は何を意味するのか。それはともかく、文化度の低い田舎の嵐山で461モンブランの演奏会が開けないものかと思っている。
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# by uuuzen | 2023-11-08 23:59 | ●その他の映画など

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