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●「新年に 真に念込め 信心を 託す兎の 多産の神や」
べたきは 多岐にわたるも 足るを知り 尻を据えずに 図に乗らぬ由」、「絶妙の 御籤結びの 隙間かな 岡崎神社の 現代アート」、「早まりて 干支を逆さに 卯癸 問えよ兎に 汀の波か」、「年賀状 年々減るは 自然なり 寿命見つめて 背筋を伸ばし」
●「新年に 真に念込め 信心を 託す兎の 多産の神や」_d0053294_01224439.jpg
年賀状をどうするか漠然と考えながら先月29日に右京区の西郵便局まで歩き、去年届いた年賀状と同じ枚数を買った。図案は干支の兎を画題に左右対称の切り絵を作るとして、12年前はどんな切り絵にしたか思い出せない。調べないまま作って同じような図柄になっても、それはそれで面白いと開き直る。ところで、筆者は小さい頃に周囲の大人から兎年生まれであることをよくからかわれた。男の兎年は女好きで、だいたいろくでもないのが相場という理由であった。なぜ女好きか。兎はよく繁殖するからだ。つまり雄は始終雌の尻を追い回し、隙があれば雌の背中に乗る。長じてアメリカの雑誌『PLAYBOY』が兎をキャラクターにしていることを知り、兎が世界中で色気に深く関係する動物と思われているらしいことに驚きつつ納得もした。ともかく卯年生まれは変えようがなく、軟弱な男との定評を受け入れながら成長し、成人して数年経った頃、母が八卦見に筆者のことを訊ねたところ、「女難の相あり」と言われた。筆者はそれを聞いてますます卯年の男はよほど女性には気をつけないと人生をしくじると思った。それはさておき、年賀状を買った翌日、気になっていた展覧会に出かけた。正月明けでもよかったが、気がかりはなるべく年内に消化したい。市バスが東天王町にある岡崎神社の前を走っている時、鳥居横の道路沿いに毛筆で大書された文字が目に入った。同神社は数年前に家内と出かけ、境内の写真をたくさん撮りながら、このブログの「神社の造形」のカテゴリーに紹介しなかった。家内と訪れた時は境内にほとんど人がおらず、かなりさびしい雰囲気であったのに、鳥居付近に大勢の人がいて、ほとんど縁日の賑わいだ。元旦の2日前だが、市内は観光客の混雑ぶりはコロナ以前に戻ったかのようで、同神社の見どころがSNSなどで紹介されているのだろう。鳥居横の目立つ臨時看板の大書は、来年すなわち今年の干支に因む兎の黒御影石の像が手水社の近くにあり、それが安産や多産の神であることを謳っていた。なるほど。同神社のその像は数年前に写真を撮った。まだ新しいもので、さほど出来もいいようには思わなかったが、ミッフィーの人気も手伝って、兎は愛らしい無抵抗な動物として好感度が高い。ペットにする人も増えていると思うが、鳴かないのが便利でもあるからではないか。狭い住宅で飼うのに鳴き声がうるさいと近所迷惑になる。それが発展して殺人に至る時代だ。草食の兎はきわめて平和的かつ無抵抗で、犬や猫よりペット向きだ。ただしその鳴かない点が筆者は何となく嫌だ。
 猫は冬の夜中によくさかって我が家の裏庭でもけたたましい声を発して暴れ回る。それはそれでいいもので、風物詩と思えばよい。ところが兎は鳴かず、黙って性交に及び、いつの間にか子だくさんになる。それが何となく図々しい。性交は動物にとっていちおう特別なことで、その時くらいは異様な声を発すればいいのに、兎はそのあどけない顔つきにもかかわらず、黙々と性交に精出す。それで若い女性が大好きなミッフィーもそのかわいい表情とは裏腹に、隙さえあれば性交したがっていることになり、若い女性がかわいいと思うのは当然のことということに思い至る。さて展覧会を見た後、岡崎神社前でバスを降りて境内に入った。先ほどよりさらに若い女性が増え、全員が必ず兎の石像をスマホで撮影する。筆者も撮ったが、どうしても若い女性が一緒に写ってしまう。それほど人が途切れない。撮影後に境内の奧まで行かず、ふと西を向くと、今日の最初の写真のようにお御籤を結んだ長方形の大きな枠が目に入った。びっしりと結ばれるところ、この神社はよほど観光客に人気がある。来年つまり今年の干支の兎を神の使いとして祀ることだけが理由ではないだろう。前述のように、兎は無抵抗でかわいいと若者に思われているからだ。それに気になるのは安産、多産の祈願を謳っていることで、若い女性がこの神社を訪れるのは結婚したい、そして次に妊娠したい、さらに安産でありたい、しかも多産を望むということで、少子化をたどる一途の日本の政治家が知ればこの神社を大きく称えるのではないか。ともかくびっしりと結ばれたお御籤は、結婚して間もない、また結婚する予定の男女ないし女性が訪れた証拠で、筆者は写真を撮りながら近くにたくさんいた若い女性の動物的本能と言えばいいか、安産や多産を祈願することに神々しさのようなものを見た。結婚したくない、子どもを産むことなど絶対に嫌という若い女性は増えているそうだが、そういう女性はミッフィーをどう思うのか。それに本物の兎をかわいいと感じるだろうか。それはともかく、お御籤が無数に結ばれている様子を見て年賀状の図案が固まった。そして大晦日に切り絵を一気に作り、今日はいつもの使い勝手がとても悪い古いプリンターと格闘しながら年賀状を印刷し、午後には朝に届いた年賀状の返事を書いた。毎年筆者は元日かそれ以降に出す始末で、それに呆れて筆者に送って来る人は減少し続けるだろう。それでも4,50年も会わない人から年に一度頼りが来るのはよい。いずれ届かなくなる年が来るが、それはその時のことで、生きている間は互いに無事を確認し合えるのは年賀状の大きな効用だ。ともかく今年は運よく岡崎神社の前を通りがかり、年賀状の図案がすぐに決まった。さきほど切り絵のサイトの冒頭画面にその切り絵といつものように15字×15行の文章を載せた。兎にあやかって今年は多産でありたい。
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# by uuuzen | 2023-01-01 23:59 | ●新・嵐山だより
●「EL POLO」
りの 雀群がる 合歓木の 根元に古米 撒く朝寒し」、「気になりつ 十年二十年 すぐに去り たまに想ふは 最初の出会い」、「他愛なき 自慢話の 可愛げと 思えば和む 人の付き合い」、「体力が なければ湧かぬ 気力なり 気力なければ 眠るに限る」●「EL POLO」_d0053294_01262701.jpg このブログは月末に思い出の曲を取り上げているが、一作曲家当たり一曲、つまり筆者が最も好きな曲と決めているので、そろそろ投稿すべき曲が枯渇しかかっている。それに、ある曲を取り上げるともうその作曲家への関心を失うかと言えば、そうはならず、新たにCDを買って別の側面に気づくことはしばしばある。最近ではYouTubeでジェニー・シャインマンの演奏を見てまた強い関心を抱いている。彼女の曲をブログに取り上げたのは2007年6月のことだ。その頃の筆者のパソコンはYouTubeを見られないほどに性能が悪く、パソコンはワープロ代わりにしていた。その後かどうか、彼女はヴァイオリンだけではなく、ヴォーカルも担当するようになり、またその歌声がとてもよく、シンガー・ソングライターとして見直したが、近年のクァルテットでの演奏ではピアノやドラムスの女性がまたとても才能豊かで、アメリカのジャズ・ミュージシャンの技術力の高さに驚いている。ジェニーはユダヤ系のどこか暗さを含んだ美人で、そのことが音楽性に関係していることは確かだが、音楽の幅は広く、一種捉えどころのなさがあり、それがまた大きな魅力になっている。吉田秀和は音楽の演奏は女性が適すると語った。筆者もそう思うことがよくある。それでジェニーや彼女が一緒に演奏する女性に見惚れてしまう。そう言えば同じユダヤ系アメリカ人のジーナ・パーキンスもYouTubeではCDにはない素晴らしい演奏があって、エレクトリック・ハープをかき鳴らす彼女の姿はとても恰好よく、ライヴを見たいと思っている。さて今日は長年取り上げようと思いながらそのままになっていた曲で、アリシア・デ・ラローチャのピアノによるアルベニスの『イベリア』から第3巻第2曲の「エル・ポーロ」について書く。『イベリア』を初めてNHKのFM放送で聴いたのは30歳頃で、名古屋の中古レコード屋でその2枚組LPを買った。録音は1967年、ジャケットにイベリア半島の古地図が印刷され、定価4000円だ。これでは薄給の筆者には買えなかった。中古でたぶん1500円ほどだったが、それから10数年後に同じアリシアが72年に録音した盤も中古で買った。YouTubeではもっと後年のライヴ演奏も投稿されていて、音楽を楽しむことは限りなく無料に近くなった。だが筆者は中古で買ったLPに思い出があり、結局いろんな演奏を聴きながら、それに戻る。また実際『イベリア』の演奏はアリシアの右に出る者がいないのではないか。彼女はそれにふさわしい顔つき、風格をしている。知的で優しい眼差しは芸術家そのものだ。
 『イベリア』から好きな曲を取り上げるとすればいくつかあるが、最初に聴いた頃から一番圧倒されたのはやはり「エル・ポーロ」だ。第1巻第1曲の「エヴォカシオン」は他の作曲家が管弦楽曲に編曲するほどの名曲で、その『イベリア』の代表曲を今日の投稿の題名にしてもいいが、筆者は『イベリア』を順に聴いて行きながら、「エル・ポーロ」でほとんど落涙する。初めて聴いた時からそうで、数十年経っても同じ感動を味わえることに芸術の不思議さがある。今日の写真では上部に見えるスペインの街並みを捉えたジャケット写真のLPが72年の録音で、67年の演奏に比べると落ち着きがある。67年の録音はエコーがかかり過ぎていて、音が少々うるさく感じることがある。舞曲であればそれもよい、あるいは当然かもしれないが、『イベリア』の全曲を通して聴くとやはり疲れる。YouTubeでいろんな演奏者の「エル・ポーロ」の解釈を聴くと、ここまで違うかと思うほど多様で、楽譜は仮の姿であって、アルベニスがどういう演奏をしたのかと気になるが、アリシアのようにスペイン人でしかも古い世代ほどよいように思える。逆に言えば日本の若者ではまず無理であって、楽譜に表現出来ないごくわずかなリズムの妙味があることを感じる。だがここでひとつ思うのは、アルベニスはスペインの民謡のリズムを元に作曲したとして、『イベリア』の題名からしてイベリア半島が背負って来た歴史すべてを引き受け、そのうえに創作したのであって、特定の地域の特定の舞曲のリズムを忠実に模倣しようとしたのではないことだ。これはショパンのマズルカにも言える。つまり他国の時代の違う人でも演奏出来るのであって、そういう新たな解釈を許容してなお『イベリア』の芸術性と貫禄がある。ところが前述のように、いろいろ聴き比べると、筆者の場合、最初にアリシアの演奏に洗礼を受けたので、他のピアニストのたとえば速度が若干遅い、あるいは舞曲のリズムであるのに、いっこうにその雰囲気が伝わらない演奏を聴くとがっくりする。「エル・ポーロ」は「むせび泣く心で」、「嗚咽するように」とアルベニスは演奏する際の心持を指定している。これはこの曲を聴けば誰でもそう感じることと言いたいところだが、YouTubeにはとてもそうとは思えない演奏もある。そこで筆者はまたアリシアの演奏に戻る。それにしても筆者は『イベリア』の中でこの曲を最も好むのは、女性とは限らないが、この曲のリズムで踊る女性が激情を抱え、スペインの激しい女性の気質を代表しているように感じるからだ。ただし、筆者がそういう女性を好むからではない。女性は誰しもそういう面を抱えているはずだが、この曲のように激しく、切々と訴えられるとたいていの男は尻込みする。その点アルベニスはさすがと言うか、ゴヤが「裸のママハ」を描いたように、スペイン女の特質を表現し切ったと思える。
 実際アルベニス以外にこの曲を書く才能はなかったし、今後もないだろう。ずばり『イベリア』と題した全力投入が伝わり、このピアノ曲集のみでアルベニスの名前は永遠に語り継がれる。これも吉田秀和が確か語ったことだが、『イベリア』はギターに顕著なリズムが多用されているとのことで、YouTubeでは「エル・ポーロ」のギター演奏が投稿されている。3分の2ほどの長さに短縮した演奏で、ピアノの激しさはないが、なるほどギター向きの曲と思え、また演奏する姿はとても恰好よい。スペインはギターの母国で、ギターを学ぶ者は誰しもスペインの曲を演奏すべきと筆者は思っているが、ロックンロールのエレキ・ギターから入った人はスペインのギターの名曲をこなすことは無理だろう。アルベニスはピアノ弾きで、ギターは演奏しなかったと思うが、スペインに根付いているギター音楽からそのメロディや和製を学び、それらを『イベリア』に生かしたのだろう。イベリア半島はポルトガルを含むから、ファドの心をアルベニスはたとえば「エル・ポーロ」に反映させたと見ても間違いではない。筆者はスペインをゴヤやヴェラスケス、あるいはピカソやダリの絵画を通じてもっぱら想像しているだけで、現地に行ったことはないが、『イベリア』を聴くと眼前にスペインの風景が一気に広がる。それほどに芸術は一国を代表する、あるいはその国そのものとなる価値を持つ。『イベリア』を繰り返し聴いてそう思うようになったのではなく、最初に聴いた時からで、その意味で言えば『イベリア』はとてもわかりやすく、それほどに明確にアルベニス、そしてスペインの個性が反映されている。だがイベリア半島の歴史はわかりやすいとは言えない。イスラムの支配下にあった時代があり、また今もそうだがヨーロッパの辺境、つまりローカル色が強い。それゆえ独特の文化が育まれ、その強烈な個性が『イベリア』に表現されている。ここで今日の写真の左下に見える1冊の図録の話をする。数年前に筆者はその本をネット・オークションで見つけた。ふたりの天使が並んでアルプ・ホルンを奏でている。これは最後の審判の一場面で、壁画の断片だ。筆者はその絵の魅力に囚われ、その本の表紙を常に見えるように置いている。この壁画を所蔵する美術館はスペインのカタロニアの僻地にある。バルセロナからかなり遠く、わざわざ足を運ぶ観光客はめったにいないだろう。この絵の制作時期ははっきりとわからず、後期ゴシックないしロマネスクとされている。拙いと言ってよい表現だが、清新さ、愛らしさは第一級で、筆者は同じ画風の壁画を知らない。千年ほど前のカタロニアの僻地にいた無名の画家が信心から描いたもので、筆者はもっと読み解きたい思いにかられる。これほどの「名画」が西洋の美術史のどこに置かれるのか。どこから影響を受けたのか。
 それを知るにはこの壁画を所蔵する美術館を訪れるに越したことはない。それで行きたいのはやまやまだが、日本で考えられることも少なくはない。それはちょうどアリシア・デ・ラローチャの『イベリア』を聴きながらスペインの風土を目の当たりにする錯覚に浸るのと同じことで、むしろそのほうが純粋にスペインを味わえる気もする。さてこの天使を描く壁画からまず思い浮かべるのはカロリング朝の絵画だ。素朴さの点で大いに通じる。だがこの壁画にはイタリア的な明るさがある。カタロニアであるからにはそれも当然だろう。アルプ・ホルンを描くのはアルプスと関係していて、同地の文化が西に進んでカタロニアに影響を与えたと考えてよい。また天使の衣服はギリシア的で、この絵は地中海文化を濃厚に示している。稚拙さを大きな特徴としながらイタリアのチマブーエやジオットにはない明るさを持つのはカタロニアの風土の影響と考えるべきだが、そうなるとカタロニアの文化を筆者はほとんど何も知らないのに、この絵画一点で同地のことをよく知っている気になる。それは『イベリア』から想像するイベリア半島と同じことなのだが、アルベニスの音楽からカトリックをことさら感じることはない。もっと庶民的な生活ぶりが『イベリア』にはあって、それはこの壁画にも言える。ともかくわずか1点の絵画が筆者の知る美術史にはすんなりと収まらず、イベリア半島の複雑な歴史を想像させる。それは回教国であったことが大きく関係しているが、ではアルベニスの音楽にイスラムの要素があるだろうか。それを知るには専門書を繙く必要がある。天使の壁画もそうで、イベリア半島には美術史、音楽史の正統性から外れたローカルな魅力が溢れている。ローカルは中央から無視されやすいが、ローカルが中央に入って正統の流れを補強することはよくある。アルベニスの音楽がそうだとは言わないが、繰り返すとアルベニスの音楽は唯一無二で、他国に似た音楽はない。その点は天使の壁画と同じで、美術史の傍流に過ぎない評価としても、筆者はこの絵を大いに気に入り、現物を見るために現地に行きたいと思っているほどだ。これは誰しも知らないだけで、魅力ある作品は無限に世界に埋もれていることを意味する。あるいは西洋文明はそれほど複雑で奥行きがある。スペインは特にそうと言っていいかもしれない。そのイベリア性ないしスペイン性は現地に住まねばわからないだろうか。堀田善衛の『ゴヤ』を読めば、現地に住んでもわからない気がする。それほどに深みがあって、その深みを全体としておぼろげに感じるしかないのではないか。そしてその文化の清華はゴヤやヴェラスケスの絵画を見、アルベニスやグラナドスの音楽を聴くことだ。そしてイスラム文化がイベリアにどう根付き、その後の文化に影響を及ぼしているかを考える。
 スペインは光と影の対照がヨーロッパ随一と聞く。ゴヤの絵画がそれをよく表わしているが、アルベニスの音楽もそうだ。『イベリア』は冒頭の「エヴォカシオン」から懐かしいような光とそれが即座に翳る対比が印象的だ。そのことは他の曲でも同じで、「エル・ポーロ」でも顕著だ。YouTubeに楽譜つきでこの曲が投稿されている。フラット4個のへ短調で、8分の5拍子、勇ましく、また印象的なリズムが最初から最後まで続くが、この曲の大きな特徴はフラットをナチュラル記号で半音高めている箇所がやたら多いことだ。その半音の変化は光の中に影が差すことにたとえてよい。そのことは楽譜を見ずに聴いても充分にわかる。小学校の運動会の日、自分の順番が回って来ない、あるいはすでに走って運動場の地べたに座っている時、晴天であるのに、また忙しい音楽が流されているのに、一瞬空疎な感覚に陥ることが筆者はよくあった。その時の気分は『イベリア』全編に流れている。それは楽譜で言えば目まぐるしい転調になぞらえてよく、どこか不安定でありながら、それを含めて「ああ、人生とはこういうものかな」という気分だ。それは醒めていつつもそこに詩情を感じることで、筆者は小学生に味わったその気分を今も経験することがよくある。その楽しいばかりではとうていない気分は大人は子どもに抱いてほしくないものだろう。しかしどの子どもも大人が時に躍起になって子どもを楽しませよう、あるいは子どもは楽しくあるべきだと思っていることを醒めた眼差しで見つめている。「エル・ポーロ」はその思いをもっと激しくしたもので、大人が抱く純粋な子ども心と言ってもよい。大人は人前では取り乱さないものとされるが、特に女性はそうではないだろう。激しく踊ることでその鬱屈した思いを忘れ、そしてさらにそれを新たに蓄える。ところが一方ではもちろん醒めた思いも抱いている。そうでなければリズムに乗って踊ることは出来ないだろう。その彼女の踊りの様は光が満面に溢れるかと思えば、次の瞬間に影が差し、その色合いは次々に変わって行く。そこに得も言われぬ美しさがある。そう言えばジャズのスタンダードに「THE SHADOW OF YOUR SMILE」という曲がある。その言葉にぴったりするのが「エル・ポーロ」で、光と影の混在がこれほどわかりやすく描かれる曲は他にない気がする。スペインやポルトガルの民謡は南米のそれに大きな影響を及ぼしたはずだが、ブラジルのヴィラ・ロボスが『ブラジル風のバッハ』という名曲集を書いたことは、イベリア半島の音楽とバッハないしドイツ音楽との邂逅がどこかであったとみなすべきで、そのことを思うあまりカタロニアの天使の壁画をカロリング朝美術と関係しているかと先に書いた。書き忘れたが、「ポーロ」はスペイン最南端のアンダルシアの民俗舞踊で、『イベリア』では他の曲でも用いている。
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# by uuuzen | 2022-12-31 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
●「この作は どこで生きるか 問う禅は 縁と自然 見据えて愉快」
摩居士 見舞い固辞され 阿羅漢に 代わりて文殊 知の比べ合い」、「人生は まさかたまさか 出会いなり すべて意思では 面白くなし」、「多幸感 分かち合いたき 人は知る 悲しみに添う 思いは常に」、「作ありて 死者の思いを 知ることを 禅は否定し 然りと言えり」●「この作は どこで生きるか 問う禅は 縁と自然 見据えて愉快」_d0053294_02032905.jpg 今月初旬、今日の写真に見える古い掛軸を入手した。昔から関心のある禅僧の作で、他にも数点持っているが、この竹の図はとてもよい。賛が面白く、二行目は「此左何處生」とある。これは竹がどこで生えているものかと問うていると同時に、この自画賛の掛軸が誰の手にわたっているのかとの思いを馳せている。筆者はこの竹が生えている場所を知っている。もちろんこの禅僧がこれを描いた時から250年は経っていて、竹の遺伝子は脈々と継がれていても、昔の竹とは同じではない。また絵のほうは所有者がどれほど入れ替わったのか想像がつかないが、今は筆者の手元にある。いずれまた別人が所有するが、これを描いた禅僧はそういう所有者の変遷と伝達を禅に置き換えた。つまりこの禅僧はとっくの昔に死んだが、この作によって筆者の心には今も生きているし、その顔つきや言葉使いも充分想像出来る。同じ思いをいずれこの作を所有する人も抱くと思うが、逆に言えばそういう心がわかる人しかこの作の価値を理解せず、またほしいとも思わないので、出会いの機会はない。またこの作がいつか火事に遭うなどして物理的に消えてしまうとして、これを描いた禅僧はそのことも見越していて、賛は絵ではなく竹との出会いと読み取ればよい。竹ならどこにでも生えているし、その竹を見て背筋を伸ばし、何か悟った気になる人は少なくない。つまり絵などどうでもよく、竹の精神さえ感受すればよい。しかし実際は幸運なことにこの絵は眼前にあり、筆者は物としての作と自然の竹の呼応も楽しめる。賛が意味するように、人生は出会いが本質だ。先日「ベルリンの画家」について投稿した。筆者は半世紀近く、その画家がそう呼ばれる理由になっているギリシア時代の壺絵を知らなかった。それが洋書を取り寄せたことで、第二次世界大戦で破壊され、80年ほど経った近年ようやく元の姿に修復されたことを知った。だが、元はたまたま半世紀前に「ベルリンの画家」の絵に出会って魅せられたからで、縁の不思議を思う。人生は能動的でなければ切り開かれないが、能動のみでは足りない。それを運と呼ぶ場合もあるが、能動を続けていると他者のそれが呼応するのであって、人生に必要な出会いは必然である気がする。先の禅僧の竹図にしろ、「ベルリンの画家」にしろ、彼らは筆者を知らないが、筆者は知っていて、その作をこうして紹介している。ではこの文章で次は誰が関心を持ち、そのことで人生を愉快と思うだろうか。筆者はそのことを期待もしていないが、先に書いたように知るべき人は知るのであって、そう考える筆者は幸福者だ。
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# by uuuzen | 2022-12-30 23:59 | ●新・嵐山だより
●切り株の履歴書、その11
で説く この世の仕組み 知る子ども マスク外さず いじめもせずに」、「V字松 一本消えて 影薄き 力合わせて 輝きもせり」、「切り株の 掘り起こされし 更地には さびしさ消えて 期待集まり」、「松枯れの 醜さ見つつ 待つ彼の 腐る思いを 疑いと知り」
●切り株の履歴書、その11_d0053294_18062028.jpg
10月の終わり頃だったと思うが、渡月橋から下流50メートルほどの左岸に立つ松の樹皮が長さ1メートルほどにわたって剥がれていた。その松は渡月橋付近では珍しく45度ほど傾き、車道の上に被さっていた。そのように育つように植木屋は剪定などをしたのだろう。樹齢は百年は経っていないはずだ。今日の最初の写真は2年前の5月に撮ったが、カメラの記憶媒体に保存したままであった。その理由が自分でわからないが、何となく死期を思っていたためかもしれない。見る場所によればV字を形成するこの二本松のうち、左手の松が交通事故に遭った。樹皮が剥がれて内部の白木が覗いた箇所は、写真で言えば左端の幹の下側で、大型トラックかバスがぶつかったことが明らかだ。その痛々しさをどれほどの観光客が気にしたか知らないが、筆者は嵯峨へのスーパーに行くたびに樹医がしかるべき措置をしてやるべきと思った。渡月橋のすぐ下流の蛇篭を積み並べる工事が今月中旬からまた始まり、大きな土嚢を運搬するダンプカーがこの松の下をくぐって渡月橋を南にわたり、中の島公園に入ってそこで土嚢を下ろすが、10月下旬はまだその工事が始まっていなかった。松の樹皮が抉られたのは、荷台にユンボなどの重機を載せたトラックが下を通過したのかもしれない。それはともかく、渡月橋に大型トラックがひっきりなしに走る様子は怖い。松尾橋の畔から河川敷に降りて、そこから工事車両専用道路を渡月橋近くまで走ればいいものを、それでは渡月橋から200メートル手前で重機に土嚢を移し替えねばならず、作業がはかどらないと考えているのだろう。大きな傷を負った松は枯れるか生き延びるか、判断は微妙であったが、車も人も往来の激しい道の真上の傷であり、手当てするには車をしばらく停止させねばならず、それで嵐山公園の管理者は根元から伐採することにした。事故に遭った箇所が腐食し、そこから幹が折れて下を通る車に落下するかもしれないという人命優先の考えでもあって、景観上重要であった松の木の伐採に誰も文句は言わない。伐られたのは先月の終わりか今月のかかりであった。紅葉の季節が終わっても、また「花灯路」が開催されなくなったにもかかわらず、嵐山に来る人は去年よりはるかに増えている。それでなるべく早いうちの伐採がよいと判断されたようだ。今日の2枚目の写真は13日に撮ったが、最初の写真の左の松がそのような姿になり、もはやV字は存在しない。これがさびしいが、筆者もそのV字がどこにあったのかと思うほどに、木は伐られてしまうとすぐに存在を忘れてしまう。人も同じだ。
●切り株の履歴書、その11_d0053294_18065399.jpg

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# by uuuzen | 2022-12-26 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
●今年の本気の鶏頭、その14
剤を 飲まずに捨てて 快癒し 自分の心身 他者は知らずや」、「鶏頭の 花で囲うて 意地示し 龍の尻尾を 目指さぬ矜持」、「クリスマス 今年はジョンの 歌聞かず ウクライナ耐え 暗いと叫び」、「年末に 気がかり減らし 思いつつ 人生整理 まだ先のこと」●今年の本気の鶏頭、その14_d0053294_18505015.jpg 今日の写真は先月22日に家内と訪れた万博公園内の国立民族学博物館での展覧会の後、茨木市内を歩いた時に見かけた。当日のことについては来年投稿するが、鶏頭の花の写真は今日の投稿の題名からして年内に使いたい。そして「その15」の投稿も予定している。今日の写真の鶏頭がどこに咲いていたかを説明するのはややこしい。茨木市内をほとんど知らないからだが、夏に家内と歩いた道だ。それを逆方向の北にたどった。その時に咲いていることに気づかなかった理由はわからない。まだ背丈が低く、開花していなかったからかもしれない。それにしても四辻の北西の角地に建つ一軒家の南面する玄関前から東辺にかけて円形鉢や横長プランターにたくさん咲き、最初の写真の上からわかるように、枯れ花もあって夏に咲き始めたであろう。まだ開花前の菊のプランターもあって、たぶん鶏頭も菊も世話せずとも毎年勝手に咲くのではないか。これほどたくさんの鶏頭の花をまとめて咲かせる家は初めて見た。どれも花が球体になる久留米鶏頭で、筆者が描きたいものではないが、貫禄は買う。さて今日の冒頭の歌のふたつめは「鶏口牛後」の言葉を思い出して詠んだ。牛の尻尾にならずに鶏の頭になれという意味だ。これをどう捉えるかだが、世間では大企業に入って高収入を得ることが人生勝ち組で、小さな企業に埋没することを負け組とするから、今では死語だろう。牛の尻尾になっているほうが人生安泰かどうかだが、牛の尻尾はテール・スープとなるのに対し、鶏の頭ではより価値の劣る出汁しか望めず、やはり尻尾であっても牛のほうが格上と真面目に思う者が多いだろう。学校を出た後、筆者が勤務した大阪の設計会社は当時日本で4番目、関西では最大と言われ、300人ほどいた社員の頭脳のみが財産の会社であった。そこを辞める時、筆者は自分の名前を記す職に就きたく、そのことを上司に伝えた。すると、学校で学んだことは一切通用せず、一からの学びは大変だと言われた。全くそのとおりだが、会社で将来それなりの地位に就けたとしても筆者は自分の力を試したかった。それに何事も学ぶことは好きで、どんな分野でもそれなりの仕事をする自信はあった。工学で仕上がった頭脳を美術方面に切り替えることにも不安はなかった。子どもの頃から絵は好きであったからだ。むしろ工学部に進んだのが間違いであった。もっとも、設計会社時代に仕事として英語の文献をよく読み、高等数学を駆使するコンピュータ言語を学んでいたから、それらのことは現在も役立っている。つまり人生に無駄はなく、学べば学ぶほどに見えて来ることがある。
●今年の本気の鶏頭、その14_d0053294_18512026.jpg 設計会社で牛の尻尾になっていた筆者は鶏の頭を目指すことになった。友禅の世界でも牛の尻尾的な人は多い。大多数がそうだと言ってよい。人間国宝の作品の模倣をして悦に入る作家が伝統工芸士のような資格を得て行くが、結局のところ、やがて人間国宝になるのは独創に優れた人だ。もっともそれのみとは言えず、人間国宝の2代目が同じように人間国宝になる場合が目立つ。画家でも同じで、京都はそれだけ伝統が根強い。上田秋成は応挙を絶賛しながら、その弟子たちはみな小粒と最晩年に書いた。辛辣過ぎる意見だが、全くそのとおりだ。作家として有名になるには有名な師に就くしかないとよく言われる。京都画壇はそのように連綿とつながって来ている。それは牛の尻尾は、やがて頭がなくなればその位置に代わって就くという考えで、まずは牛の尻尾から始めるのは当然と見る。これは確かに一理ある。筆者が就いた友禅師は無名同然であったが、京都を代表する5本指の先生たちの仕事の下請けをよくしていて、筆者は最初から友禅界の頂点の作品がどういうものかをじっくりと学べた。そのため、当時賃仕事として工程の一部をこなしていた多くの人たちとは違って、白生地さえあれば最後の仕立ては除いて全工程をひとりでこなす、そして複雑な総絵羽ものを染める術を知った。筆者はちょうど2年で師から離れ、後は独学で工夫しながら作品を作った。当初は人間国宝など京都を代表する作家の仕事に恐れをなしていたが、やがて自分の個性をこそ発揮すべきと悟り、模倣は一切拒否するようになった。そこにザッパの音楽が間接的に役立った。ザッパが「こんにちの作曲家は死ぬことを拒む」というヴァレーズの言葉を掲げたのは、文字どおり収入を得て生きて行くことを覚悟すると同時に、模倣せずに創作を続けることを本分と思ったからだ。そして何度も書くが、その標語の「作曲家」はあらゆる造形をもたとえている。ヴァレーズとザッパの音楽が全然異なりながら共通していることを知れば、たとえばザッパを敬愛する音楽家ならばザッパとは全く異なる作品を作りつつ、精神においてザッパと通じているべきだ。そのことを自覚するには若いほどよい。20歳では遅いだろう。筆者はそういう話を他者と存分に交わしたいが、身近にそこまで真摯な表現者はいない。筆者が鶏頭を題材に大作を作りたいと数年前から考えているのは、上記のことがひとつの理由でもある。牛の尻尾で満足しているサラリーマンないしそれに類する表現者に筆者は関心がない。そして伝統無視の無学はもっと面白くない。20代のザッパがツアー中、各地の図書館に行ってストラヴィンスキーやその他のクラシック音楽の作曲家の楽譜を見て学んだ努力があったからこそ、人生最後のアンサンブル・モデルンの『ザ・イエロー・シャーク』公演が実現した。ザッパは牛の尻尾を最初から拒否し、鶏頭になることを目指した。
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# by uuuzen | 2022-12-25 23:59 | ●新・嵐山だより

時々ドキドキよき予告

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