人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●過去の未投稿日に投稿する場合があります。最新の投稿は右欄の最上部「最新投稿を表示する」か、ここをクリックしてください。

●『青空美術館 天才アートKYOTO』
ラシドは そら知らんけど の略語かな 落語みたいか そらそうやけど」、「褒められて 育つ才能 ありはすれ 褒められ過ぎて 自滅は多し」、「好きなこと 傍から見れば 苦役でも やらずにおれぬ 習わし強し」、「街角の アート珍し 写真撮り 作者覚えず 一作を知り」
●『青空美術館 天才アートKYOTO』_d0053294_22123757.jpg 今月15日の平安神宮での例祭の帰り道、去年の夏に同じ場所で見かけた絵画のパネル3枚が新しくなっていることに気づいた。雨が降り始めていたのでわずかに立ち止まって眺めただけで、すぐ近くの三条通り沿いの地下鉄東山駅に行った。そして昨日書いたように、昨日は岡崎の神宮道沿いにある画廊にA先生の1年ぶりの個展を見に行き、その帰りに今日紹介する「青空美術館」としての3点の写真を忘れずに撮った。これらは障碍者の作品で、家内が入院していた病院にも同様の作品が廊下の両脇に並べられていたが、屋内展示ではないので作品は複製され、雨に濡れても大丈夫なように加工されている。同様のパネルは去年竣工した千本三条南西角の中央信用金庫の建て替え工事中にその塀を使って展示された。それらは何度も見て愛着が湧き、撤去された今でもたまに思い出す。残念に思うのは、多くの人の絵画を紹介する目的上、ひとりで数点の展示がないことで作者の個性が明確にはわかりにくい。1点だけの個性はもちろん把握出来るが、同じ人物が他にどういう絵を描くのかを知りたい場合は多い。その点A先生の作品は毎年画風が全然違いながら、A先生らしさがあって次回の個展が楽しみになる。そのため、「青空美術館」で取り上げられた各人たちの3,4点ずつをまとめて展示する機会がたとえば京都市美術館の大会場で催されることが望まれる。経費の問題があろうが、三条通りを北に入る細道に展示するのでは人目につく機会はごく限られる。とはいえ、画廊で開催する個展もよほど交友が多くなければ、見る人の数はさびしいものになる。A先生は展示作品に価格をつけないが、それは最初から売れないことを達観しているようでもあり、先生は「ただ描くことが楽しいからそれでよい」とのことだ。先生は筆者より1歳年長であることを画廊主に訊いて知った。70代半ばになれば日課のように好きなことが続けられることが心身の健康にはよく、作品が売れるとか人気者になるとかいった夢はとっくの昔に隅に追いやっている。それは恵まれた環境にあると他人には見えるだろうが、他人には想像のつかない多くのものを犠牲にもしている。今日紹介する3点の絵画の作者たちもそれは同じはずで、そうであるだけに作品に真剣味が付与され、そのことが印象深い理由になる。しかしその犠牲にしていることが作品行為にマイナスに作用し過ぎると、あまり正視したくない痛々しさが前面に出てしまうから、そういうことを高みからある程度客観視できる冷静さが作家には必要だ。しかし「青空美術館」の絵がどれも天真爛漫さを特徴とするのではまた面白くない。

# by uuuzen | 2026-04-22 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
●蕾をつけぬわが家の長年のツツジ
密の 創りの度合い いかに知る 動植物の 存在の謎」、「咲かぬ花 必ず理由 あると聞き 毎年試し 吾枯れる頃」、「育て方 間違ったかと 耳にして 自信なき親 育ち方はと」、「何年も 同じ場所にて 花咲かせ わが人生に 彩り添えて」
●蕾をつけぬわが家の長年のツツジ_d0053294_22205234.jpg 今日はひとりで神宮道にある画廊にA先生の個展を見に出かけた。先生はすでに帰られ、そのまま筆者も帰るのではせっかく訪れた甲斐がなく、それで客が入って来ないのをいいことに画廊主とたくさん話をした。その後地下鉄の東山駅から二条駅に出て買い物を済ませ、四条堀川のバス停に向かった。今日の写真は四条堀川の交差点の南東角を少し下がったところにあるバス停前で撮った。見上げると先日投稿したコブシの木があり、その下に丈夫なツツジが同じく街路樹となっている。勢いがよいので毎年剪定されるようで、全体の形がきれいな直方体に整えられている。その歩道側に、わが家の裏庭でも春によく生えて蔓性の雑草が一本あったので引き抜いた。この雑草はどこまでも這い上がって冬を越す。雑草は抜いてもまた近くから生えて来るので、街路樹が植えられるような日々の管理が行き届かない場所では雑草まみれになりやすい。しかしそのことを注意して見る人は植物好きに限られるだろう。一本抜いた雑草をツツジの根元に横たえながら車道側を見ると、同じ雑草が二本同じように生えていた。直方体の幅は1メートル以上あって手が届かず、引き抜くには車道に出ねばならず、かなり危ない。雑草の勝ちで、どうにかしぶとく生き抜こうとしている。わが家の裏庭には家を中古で購入した40数年前からツツジ、そして先日投稿した八重の椿などがあるが、ツツジは昔わずかに赤い花をつけていたのにここ10数年は数個の花が咲いた1,2年を除いて全く蕾をつけない。すぐ近くに牡丹を地植えしていて、それに多くの陽当たりと養分を与えたいために毎年春に去年と同じほどの規模に全体を丸く整えて来たことが原因とうすうすわかっているが、3,4年前からネットの情報を頼りに来年の花の芽がつく前に刈り取らないことにし、つまり一切剪定しないことにした。すると全体の丸い形はかなり大きくなり、特に飛び出た枝が数本ある状態だが、今年も咲かず、花芽がどういうものかがわからない。全体を丸く刈り取った状態が花で真っ赤になって、葉の緑が全くと言ってよいほど見えない満開のツツジを見るたびにわが家のツツジはせめて数個の花をつけてくれると嬉しいと思うのだが、全体が大きく育つと牡丹を圧倒し、今年の牡丹は花を半分に減らしたことは一昨日書いた。牡丹かツツジかとなると前者がいいのでツツジは諦めるかと思いながら、せっかく半世紀以上も同じ場所にあるので花を咲かせてやりたい。とはいえあまりに平凡な花でよく見かけ、筆者はこれまで数枚の写生を下だけと記憶する。市バスはなかなかやって来ず、その間に見上げながらツツジを堪能した。

# by uuuzen | 2026-04-21 23:59 | ●新・嵐山だより
●「目を閉じて 小石地蔵は 念じつつ 眠りて 見るは 念じの夢を」
井県 福島県に 福岡も 北から南 福好きの国」、「悪魔の名 つけられ子ども キラキラの 名前ほしくて 神に改名」、「念入りに 仕上げた仏 居場所変え やがて売られて 念抜きされて」、「小石にも 思い寄せれば 応えしは 恋しき心 濃いしは薄れ」
●「目を閉じて 小石地蔵は 念じつつ 眠りて 見るは 念じの夢を」_d0053294_00393894.jpg
今日は朝9時に病院で家内の診察があった。去年ならひとりで行かせたが、2月の退院後は必ず付き添っている。9時に病院に入るには8時には起きなければならず、睡眠4,5時間で朝7時に目覚めた。天気はよく、自転車で行こうかという話になった。今月から自転車は車道を走らねばならない。病院への道は山手の車の少ないところでは歩道と車道の区別はほとんどないが、一直線に延びる物集女街道はバスを含めて車の往来は多く、筆者はこれまで必ず歩道を走って来た。自転車から30センチほど離れて市バスや大型トラックが追い越す車道を70代が走るのは危険極まりなく、真横の歩道は誰ひとり歩いておらず、そこを走っていいと思うが、真面目な筆者は今日は人生で初めて往復とも車道を走った。ところが筆者の前方から逆走して来る若い女性の自転車があった。それにしても警察は人員があまり過ぎている。50メートル間隔で終日警官が道路に張りついて歩道を走る自転車を見つけて違反切符を押し付ける作業には千万人は必要だ。全く漫画じみてアホらしいとしか言いようがない。それはともかく、家内は筆者よりはるかに大胆で、すいすいと走れることもあってこれまでもっぱら車道を走って来たから、このたびの規則を何とも思っていない。さて、9時前に着くと家内の診察券の番号は200番近かった。朝の6,7時から多くの人が来ているのだろう。9時の診察は1時間以上遅れ、さらにまだふたりの医師に診てもらわねばならず、当然待っている間に正午になり、薬局で薬をもらったのは午後3時過ぎだ。50代のいなせな男があまりに混雑ぶりにイラついて物に当たっていた。たった5分の診察に丸1日がつぶれたからだろう。膠原病系リウマチ科のソファで家内と待っていると30代の長身の女性がひょろひょろとしながらやって来て、家内の直前に診察室に入って行った。病院の世話になるのは高齢者ばかりと限らない現実を知る。待ち時間があまり長いので家内が3人の医師に順に診てもらうたびにソファを移動して居眠りしながら待ち、その間に家内の退院時の例の「小石地蔵」を確認するために別の病棟に行くと、3,4センチほど動かされていたので元通りの位置にして写真を撮った。戻ってエスカレーターで1階に下りる時、筆者の2,3人前に見覚えのある太った男性を見た。後ろ姿でもわかる。「風風の湯」の常連で梅津の洗濯屋で、この半年ほど会わないのは利用時間が違うからだ。寡黙で優しい年配男性で、声をかけてもよかったが、お互いマスク姿で会話は控えた方がいい。注意されることが大嫌いな筆者で、小石地蔵のように小さくじっと固まっておく。

# by uuuzen | 2026-04-20 23:59 | ●新・嵐山だより
●半減した白い牡丹の開花
リウムが 減りて困るは 玩具もか 吸うて変声 出す遊び消え」、「裏庭の 白き牡丹に 降る雨にビニール傘を 差してたたずむ」、「鉢植えに また変えようか 白牡丹 吾死んだ後 もらわれやすく」、「思い出は 親しき人の 笑みばかり 齢重ねて なお強まりて」
●半減した白い牡丹の開花_d0053294_19160327.jpg
去年の秋から裏庭の牡丹の根元が傾き始めたので、正月明けに支柱を一本土に刺し、それと牡丹の根元を紐で結わえて支柱側に強く引っ張り、まだ幼葉を見せない牡丹の木を元どおりの位置にした。根元が腐っているようには見えず、たぶん土が痩せて足りなくなって来たのだろう。秋と開花が終わった頃に根元に牛糞を与えるのがよいが、ホームセンターで売られる牛糞は確か50キロの袋入りで、自転車では運べない。それで何年も前に買った鶏糞を代用し、それが去年の秋でほぼ尽きた。今日は写真のように牡丹の花がちょうど満開になった。3枚の写真で計7つ咲いているように見えるが、実際は5つで、3枚目の写真の下方に見えるように、開花しそうにない小さな蕾がひとつある。花の数のさびしさは根元が倒れかかっていたことが原因だろう。老木というほどではないが、苗木を島根に旅行して買ってちょうど20年だ。それに陽当たりがよくない狭い庭なので、花数の半減は当然かもしれない。後日投稿するが、牡丹の根元のすぐ近くにもう半世紀近くツツジの木がある。ここ20年ほど、赤い花をほぼ全くつけず、一昨年から剪定をしないことにしたところ、一回り大きな丸い塊に育った。その分牡丹が吸収すべき土の栄養を奪っているはずで、それも牡丹の開花が半数になった原因という気がする。ツツジはどこにでもあってわが家で育てなくてもいいのだが、裏庭では最も古い植物のひとつで全滅させるには惜しい。こういう態度は筆者の悪いところかもしれない。あまり好きでもないものを手元に置くことは、周囲にガラクタや雑事を集めることにつながる。絶対にそうと言ってよく、本当に大事なものだけに絞るべきだ。しかし何が本当に大事かとなると、生き物である植物を死滅させるのは偲びなく、またどれもそれなりに思い出がある。最近家内は筆者が先に死ねば大量の本その他のあらゆるものをどうしていいかわからないので、生きている間にどうにかしてほしいとよく口にする。自分ではまだ死ぬ気は全くなく、急ぐ必要はないと思っているが、去年の暮れに何の前触れもなく家内がクモ下膜出血を患ったことからして、健康にさっぱり関心がなく、健康診断を10年以上も全く受けていない筆者が、気づけば深刻な病に侵されて余命が1,2か月ということになっても不思議ではない。そこで若冲が筆者の今の年齢の頃はどうであったかを考えると、若冲と同じようにもう10年は生きる気がしているが、そういう自信めいた気持ちは案外健康を左右するのではないだろうか。その自信の裏付けは「やりたい」「やらねばならぬ」という気持ちの持続だ。
●半減した白い牡丹の開花_d0053294_19163798.jpg もっと理想を言えば、雑事を排し、会いたくない人とは会わず、気分よく充実した日々を送ることだが、知らない間に周囲の人々の顔ぶれは変わり、嫌なことに巻き込まれることはある。それは国と国の関係でも起こる。平凡に生きていても爆弾で急に殺される国があり、そして死者はすぐに忘れ去られる。話を戻して、筆者がもう10年生きるとして、裏庭の白い牡丹の花は10回しか見られない。毎年開花を見続けて来たなら、まだ10回もと思う人はないだろう。それほどに日常が毎年同じように、つまり永遠に巡り続けると思い込む。しかし牡丹も筆者も事故に遭わず、深刻な病にもならずに10回というのは幸運と言わねばならない。こんなことは普段全くと言っていいほど考えず、その方が精神の健康にはいいと思うが、家内が病に倒れて病院にかつぎ込まれた時、担当医が「72歳ですしね」と言った言葉を思い起こすと、自信、自覚とは異なる他者の目を意識させられ、「まだ」と思っていることが他者には「もう」と映っていることに気づかされる。ではどうすればいいか。結局普段どおりに無事を願いながら生きるほかなく、それはたとえば牡丹の花が咲く時の気持ちでもあることを思う。となれば年一度の開花を、写真に撮ることは、牡丹にも筆者にも記念になり、その意味でこの投稿にも意味がある…。そう思わねば裏庭に出るたびに牡丹の木を気にしない。しかしそれ以上に大切に思うことは、咲いた牡丹から連想する人だ。長く生きることはそれほど嫌なことも多く経験すると、かつてサラリーマン時代であった時の上司から聞いたことを鮮明に覚えている。退職後その上司の阪急の長岡天神駅近くの家に何度かお邪魔したことがある。それほどにわずか3年の付き合いであった筆者のことを気にかけていただいた。筆者が個展を開いた時、駅から歩いて10分ほどの画廊にその上司が来られ、当時70代になったばかりと思うが、かなりしんどそうでこう言われた。「本をよく読み、計画どおりに高齢になった時の自分の姿を思い描いて来たのに、ひとつだけ誤算があった。それはあまり歩かなかったことです。大山君もそのことは注意しなさい。」 同じように筆者が若い人のことを気にかけてやらねばならない年齢になっているが、声はかけぬまでも内心応援している人たちはいる。筆者は昔からよく歩き、先月末は家内と奈良をたぶん15キロは歩いたが、家内も元気でむしろ気分がよかったと言った。それはともかく、毎日急速に過ぎて行く日々の中、好きな人やものに囲まれて心を穏やかに保ち続けることが望みだが、積もる埃の中でくしゃみが絶えず、家内は口うるさく掃除を言う。くしゃみは他人が自分の噂をしているからと昔母から聞いたが、筆者のことを話す人がいるはずはない。高齢になって見苦しいことの最たるものは、自惚れだ。独り言をしながら、牡丹のように静かに咲いて散って行くのが理想だ。
●半減した白い牡丹の開花_d0053294_19171107.jpg


# by uuuzen | 2026-04-19 23:59 | ●新・嵐山だより
●「ここにもか 同じ描き手の 少女顔 電車に向けて さらに懸命」
の絵を カワイ子ちゃんの 顔にして 世界に売った 金で武器買い」、「徳なきを 絵にしたような 顔をして オレが長だと 小者のさばり」、「小者ほど 人気得るは 世の常と 背を向け去りし 乞食殺され」、「バンクシー 真似た男の パンクシー まだマネシーと 呼ばれずましか」
●「ここにもか 同じ描き手の 少女顔 電車に向けて さらに懸命」_d0053294_00521725.jpg
バンクシーの名前がパンクシーでないことに少々不満だ。BANKSYでは銀行家っぽく、金はたくさん持っている雰囲気がある。パンクを生んだイギリスなら、その精神をバンクシーは受け継いでいると思うが、パンクシーと名乗るとパンク崇拝者たちからパクリと謗られるか。ならばパクリシーでもいいではないか。それはともかく、以上の記述で人の名前を覚えにくい高齢者はバンクシーの名を忘れずに済むだろう。向日市にある鶏冠井という地名を、他府県人は「トサカイ」と読みたくなるが、鶏冠は楓の葉に似た形をしているところから「カイデ」と読む。ならば「カエデイ」ではないかと突っ込みたくなり、実際他にも説があるが、上記の連想を知ればもう忘れないだろう。さて、1週間前に太子道のバス停付近で見かけた電柱の落書きについて投稿した。その時に触れた5年前の投稿には、同様の落書き手になる別の二か所での写真を載せた。そのひとつは阪急の線路と国道が交差する場所で、今もあるかとグーグルのストリート・ヴューで確認すると車の往来の背後にあって見えない。その確認作業で最初筆者は勘違いをし、阪急と桂川街道の交差する場所を調べた。その道も自転車で5年ほど前に走ったことがあるからだ。これら2か所は踏切がなく、車も自転車も人も線路をくぐる。その2か所を地図で記したのが今日の2枚目の画像で、黒で囲った左の丸が5年前に自転車で走って落書きを見かけた場所で、右側の丸が今日の最初の写真の撮影場所だが、偶然同じ人物が描いた、しかも巨大な女子の顔を見つけた。現場に自転車で走るには30分はかかるのでグーグルのストリート・ヴューから画像を拝借した。この落書きは桂駅から四条河原町方面行きの電車の右側に立って車窓から後方を眺めるとまともに見えるので、以前にぼんやりと見ているかもしれない。ここ3,4年は市バス地下鉄の敬老乗車券をもっぱら使い、わが家から電車で桂駅に出るのは大阪方面に向かう場合にほとんど限るので、次に電車で四条河原町方面に出ることがあれば確認する。それにしてもこの描き手はどうすれば多くの人の注目を浴びるかと考えて線路際の倉庫の扉を利用したが、髪の中にも顔を描き、記号としては複雑過ぎる。電車の中からではまた違った印象を受けるかもしれず、消されないうちに確認せねばならない。バンクシーのことが頭の隅にあったのかどうか、風刺や批判には無縁で、いかにも「かわいい」が持てはやされる日本らしい。描いた人物がこれを背中に刺青しているなら面白いがそこまでの根性はないだろう。つまりパンクシーでは全くない。
●「ここにもか 同じ描き手の 少女顔 電車に向けて さらに懸命」_d0053294_00524407.jpg


# by uuuzen | 2026-04-18 23:59 | ●新・嵐山だより

 最新投稿を表示する
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2026 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?