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●「南天の 実の赤冴えし 門松に 妻の病の 無事の願掛け」
天の 実の穂に似るや 神楽鈴 巫女持ち舞いて 難を転ずる」、「垣根から 飛び出る赤き 南天の 実の集まりや ダイヤの形」、「どこにでも ありて無視さる 南天を 愛しく見るや 退院の後」、「四君子や 三友になき 南天を 日本独自に 福と尊び」
●「南天の 実の赤冴えし 門松に 妻の病の 無事の願掛け」_d0053294_01383346.jpg 元日に赤い実をつける南天の写真をいくつか投稿した。その後も撮影し、今日はその在庫整理をするが、あまりにもあちこちにあり、知らぬ間に自生するので放置されている場合が多いだろう。それは目障りでないからで、艶のある赤い実や、かなり赤くなる葉は鑑賞によい。これが美しく見えない雑草ならば迷惑がられるが、当の雑草は人間にどう思われようが好き勝手に繁茂する。南天も同じで、南天はその名前で得をしている。同じように生きて喜ばれる場合と嫌われる場合があるのは人間の気持ちの勝手で、雑草を撲滅しようと除草剤を撒いても必ずまた生えて来る。生き物はみんなつながっていることを人間は知っているのに、自分の暮らしに入って来ないように望む。そうしてたとえば熊を限界の山地に追いやったのに、いつの間にか人間の生活圏内に戻って来るようになった。猪や鹿その他の野獣も同じで、どこで折り合いをつけることが理想なのか、自然環境問題を含めて識者にもわからない状態になって来ている。鶴見俊輔の『限界芸術論』収録の「芸術の発展」は柳田国男、柳宗悦、そして最後に宮沢賢治を取り上げて彼らが関わった限界芸術を論じるが、宮沢の言う「修羅」についての分析はわかりにくい。宮沢が今生きていれば人間の住む場所に熊が出て来て時に人を襲うことをどう思い、また行動したか。仏教から見れば熊も人も修羅の存在で、熊が人を食うことはさらに過激な修羅だが、人間がより豊かに生きようと土地開発を進め、熊を奥地へと追いやって来た歴史を宮沢はどこまで予想していたであろう。生徒を連れて北海道に見学に行った宮沢は、開高健の小説『ロビンソンの末裔』に描かれる北海道開拓者たちと熊との戦いについてよく知っていたはずだが、熊に同情的でありつつ人間も生きて子孫を増やして行かねばならないことを法華経でどう説明されているかを考えたことがあるのだろうか。「芸術の発展」は、宮沢が自作の詩に法華経に出て来る「微塵」という言葉を使うことに言及し、鶴見はこう書く。「修羅は一瞬一瞬の中にひそむ私の中のもっとも私的な分身であり、…私的であることによってくりかえし、新しく社会化への努力へと個人をかりたてる。…宮沢賢治においては、芸術とは、それぞれ個人が自分の本来の要求にそうて、状況を変革してゆく行為としてとらえられている。…宮沢賢治の芸術観には想像と行動の二つのモメントがあるが、どれか一方の極において芸術が純粋に成立することはありにくい。芸術とは本質的に、ヴィジョンによって明るくされた行動なのである。」これはよくわかるが、熊は芸術をどう知っているのであろう。
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 引用を続ける。「宮沢において技術および科学が、限界芸術としてどんな仕方で生かされるかは、「饑餓陣営」の果樹整枝法に示されている。果樹整枝法にしても、土地改良法にしても、それらについての宮沢のあたえる処方箋においては、科学あるいは技術が芸術として生かされている。科学的知識あるいは技術的知識を芸術に転化する力が、宮沢の言葉で言えば「修羅」なのである。「修羅」とは、各個人の中にある外面化されない分身であって、これが各個人を底のほうからつきうごかして彼を現状に満足させず、彼をして、未来への彼なりのヴィジョンを投影させる。…しかし、各人の人生が一挙手一投足すべてそのまま芸術だという考え方には、宮沢はたたなかったようである。…宮沢が聖者の生涯においてのみ人生全体が芸術になるという見方をとっていたとも思われない。この問題についての宮沢の見解は、第一に、どんな行為も芸術として成立し得るということであり、第二に、見方をふかめてゆくことによってどんな人生も芸術として見ることができるということである。」鶴見は宮沢の芸術を限界芸術の観点から考えるので、人間が熊を生活圏から追いやって来たことを宮沢がどう捉えていたかについては書かないが、現在の熊が置かれている状況を扱っても芸術は当然生まれる。今年の天龍寺での節分会では小学4年生の墨一色の紙版画として、熊を真正面から中央よりに大きく置き、そのすぐ左に熊の頭よりやや小さな柿の実をひとつ描いた作が展示された。去年秋以降、柿を食べる熊が銃殺されたニュースが相次いだことによる発案で、悲しみよりも熊が堂々とした様子で描かれ、男子の熊に対する優しさが伝わり、一級の限界芸術作品と評価してよい。それは先日引用した新聞上の『柳宗悦を考える』に対する金沢百枝氏の書評に、著者の言葉を引用して、李朝の壺や井戸茶碗が美しいのは著者が「金銭目的で作られていないから」と書くことを思い起させるが、子どもでも自作が売れれば嬉しいはずで、そのことで画家になる決心をすることもあり得る。それはいいとして、書評の最後に「観念を重視する社会/心からのみ生まれる美。それは私の専門であるロマネスク美術にも通じる気がするが、いつかその心を感受できるだろうか。」とある。ロマネスク美術は奇怪な彫刻やまた挿絵のある写本が魅力となっていて、それが朝鮮の民画や工芸にもあると思うが、金沢氏が同書を評したのもその思いからではないか。そこには信仰の問題が横たわってもいて、その点で宮沢賢治の芸術との関連も浮上する。ロマネスク美術に関して、一昨年筆者はフランスのZODIAQUE叢書を知り、2冊のみを入手した。図版はフランス所蔵の作品に限らず、ロマネスク美術全体を隅々まで踏破してあらゆる面から巻立てしているようで、その分厚くて頑丈な造本、そして美しい装丁がロマネスク美術を体現している気がする。
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 さて家内の入院中、1月18日に筆者の上の妹夫婦が見舞いに訪れた。その時、妹は息子の長男で/中学2年生のHが大の絵好きで、暇があれば超微細な絵を細いマジックペンで画用紙に描き続けることを話題にし、その作品の数枚の画像をスマホで見せてくれた。一昨日はその妹夫婦から温泉に誘われて京都島原の「誠の湯」に行き、その後は寿司屋で御馳走になり、その時にまたHの話になった。メルカリで3、4万円で買った画集を宝物にしていて、暇があればそれを眺めていると言う。その画集の題名を教えてほしいと言ったところ、今日の午後に連絡があった。建築家ルイジ・セラフィーニによる『コデックス・セラフィニアヌス』だ。筆者はその本を昔古本屋かどこかで手に取ったことが一度ある。「コデックス(CODEX)」は写本で、題名は当の画家による空想画と空想文字を散りばめた写本の形式を意味している。形式と言うのは、中世のように羊皮紙を用いていないからだ。その点は岸田劉生の『初期肉筆浮世絵』が江戸時代の版本を意識した装丁になっていることに通じている。中学2年生は最も多感な時期で、Hがどこで情報を得たのか、それはひとまず置いて、『コデックス・セラフィニアヌス』の中身を仔細に見ていないが、WIKIPEDIAにはロラン・バルトが同書について言及したと書いたイタリア人の本があり、早速その本を発注した。日本の表徴に関心があったバルトが同書に興味を持ったことは意外ではないが、中世から続く奇怪なイメージを画題にする絵画、あるいは詩文はアンドレ・ブルトンの時代に再活性化し、日本でもシュルレアリスムを売り物にする画家はよくいる。筆者はロジェ・カイヨワのシュルレアリスムに対する立場に同意してその美術や詩文に好意的ではないが、「現実の上を行く写実」と理解して細密に描く画家に対してはその画力は認めたい。嫌いなのは適当、出鱈目に描きながら超現実ないし前衛ぶっている無思想な画家だ。ロマネスク美術の伝統のあるヨーロッパからセラフィーニのような人物が登場して来ることは、たとえば音楽家のジョン・ゾーンが錬金術や神秘主義を含めてヨーロッパの諸思想の伝統的なイメージを表面的にしろ、咀嚼しようとしてアルバム・ジャケットやタイトルに使い続けていることも含めてよいが、セラフィーニは晩年の劉生が日本の絵巻や絵草紙に注目したことにどこか似ている。それもさておき、Hは春休みになると筆者に会いに来そうで、筆者は何を見せて何を話そうか。今日の最初の写真は去年12月31日に近所で、2枚目は1月11日に病院の駐輪場脇で撮った。3枚目は1月19日で、旧家の母屋に通じる小径の両側を南天が埋め尽くしていることに気づいた。4枚目は今月12日、JR嵯峨嵐山駅近くで、垣根から南天の実が覗いていて、それが最初の写真と同じように全体でダイヤ型をしているのが面白い。
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# by uuuzen | 2026-02-25 23:59 | ●新・嵐山だより
●「雨降りの 予報悲しや 天神さん 梅は満開 露店は歯抜け」
える夜に 厚手靴下 履いて寝て 一月経てば 気温二桁」、「白梅に 雪が積もりて 目立たぬを となりの紅き 花はスイーツ」、「学問の 神に祈るや 受験生 落ちて想うか 左遷の無念」、「縁日で 梅の苗木を 売る老女 長生きの子を 手放し嬉し」
●「雨降りの 予報悲しや 天神さん 梅は満開 露店は歯抜け」_d0053294_01462968.jpg 明日は天神さんの縁日に行くつもりでいるが、天気予報では雨で、先月の雪降り以上に休む露店が多いだろう。傘を差し、足元が悪いでは出かけるのが億劫で、終日家にいることになるかもしれない。それに正午から午後2時まで荷物が届く。夜間の配達にしておくべきだったが、天神さんに出かけないなら昼間でよい。2月の天神さんは梅花祭りがあるはずだ。雨では梅苑を見る人は減るが、25日に限らず梅の花は咲いているので天満宮はさほど心配していないだろう。今日の2枚目の写真に見えるわが家の裏庭とそのすぐ向こうを流れる用水路との間の幅50センチほどの土地は、昔は通路として使われ、水路を管理する京都市のものと思うが、今はたまに筆者しかそこに立たない。10年ほど前に天神さんの縁日で高齢の女性から白梅と紅梅の苗木を2本買った。それを2,3メートルほど距離を置いて前述の50センチ幅の通路に植えた。下には大量の瓦礫やゴミが埋まっていて、それらを1か月以上を費やしてほぼすべて撤去し、土だけの状態にした後に苗木を植えたが、やがて実をつけるようになった。ただし隣家の裏庭向こうに植えた白梅のみで、わが家の裏庭からよく見える紅梅は毎年数個しか結実しない。白梅の実だけでも数百個収穫出来るので充分過ぎるが、収穫時期が早ければ実は小さくてほとんど種子のみとなる。遅めであれば丸々と太った実が採れるが、雨が降ると落下し、またほとんどが用水路に落ちるので、毎年早めに摘む。それで梅干しを作ると食べる部分がきわめて少ないが、家内の入院中、毎日それを2粒ずつほど食後に白湯に入れて食べた。退院間近の家内はその梅を持って来てほしいと言うのでそうすると、知っているのに「こんなに小さな実では食べるところがあらへん」と言った。それで2,3日後に持ち帰り、以前と同じように食事後の口直しに食べた。あまりに小さな実で、塩分の摂り過ぎを気にするほどではない。スーパーではその実の10倍くらいの大きな梅干しが安価で売られているが、わが家で実り、家内が手間をかけて漬けたものなので愛着がある。この個人的な愛着は他人からはお笑い草に見えることが多いが、人生は愛着あってのものだ。それは大金を出して買えるものではない。本ブログも筆者の愛着を綴るもので、これは読むのは無料だが、そういうものでも愛着を持たれることはあろう。親密感を覚えさせてくれるからで、天神さんの縁日に毎月出かけたくなるのも同じ理由による。その親密感は顔見知りと話すことが出来れば一気に増すが、話し好きではない人の場合、縁日の空気を吸うことで歓びを感じる。
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 嵯峨のFさんが毎週土日と場外馬券売り場に行くのも、賭けた馬に勝ってほしいと言う思い以上に繁華街に繰り出して大勢の人を見るという非日常感を味わいたいからだろう。そして土日はいつも四条や三条の河原町界隈でランチを食べるのも、平日は家に籠って株の売買のために画面を睨んでいることからの開放感が目的だ。さて、昨日は岸田劉生が大正15年に岩波書店から上梓した『初期肉筆浮世絵』の崩壊した外箱の修復を終えた。最初はばらばらになっていた表紙や底を細い和紙で貼りつなぎ、乾燥後に白い和紙を朱色に塗った。その後、題箋の部分的に虫食いなどで欠けていた箇所は和紙で埋め、残っている他の箇所の経年変化した色合いに着色し、そして文字が読めるように墨で欠損箇所を補充した。それには元のまともな題箋の画像が必要で、ネット・オークションで探すと数冊の本が売られていて、すぐに参考とすべき画像が見つかった。おかしいなと思うと、近年かどうか、岩波が復刊したことがわかった。筆者が所有するのは初版で、7円80銭の価格だ。これは現在の価格では2万円少々になる。箱はさておき、頑丈な造本で、劉生の当時の名声がそうとうなものであったことがわかる。第2章まで読み進めたところだが、劉生の画論であり、画家がどういうことを普段考えて描いているかのひとつの見本だ。カンディンスキーの抽象画について触れた箇所もあって、絵の好きな人は読んでおくべきものだ。劉生による序文に次のことが書かれる。現代の漢字と仮名遣いに直して引用する。『…私は又かなり前から、美術上の審美的境地に「事象」の美という一境のあることを覚って来ていた。街を歩いて、店頭や安ぽい看板や広告をみる。そのものとして美しいのではなく、何かそういう事が、一つの形象的な喜悦として感じられる。そういうものを知って浮世絵をみる時、実に浮世絵というものがそういう審美に立脚しているという事を覚るようになった。』劉生が見て喜んだ街中の空気はその後昭和に入り、さらに戦後になって今はかなり現代的なものに変わった。筆者がよく書くように、新築の家がことごとく趣に乏しく、劉生が使う「ぬるり」や「でろり」とした美ではなく、無表情ののっぺらぼうのようで、そこに筆者のような昔の世代は審美的な美を感じることが出来ない。今の若者はどうか。昭和レトロの喫茶店が一部の若者に人気があるのは、つるつるで表情のない建築や街のたたずまいに魅力を感じないからだろう。そういう家には雀が巣を作ることは出来ず、動植物に対する拒否感が露わだ。となると、劉生が評価した日本が誇るべき初期肉筆浮世絵やそれを生むことになった絵草子の類の美を理解せず、その伝統を革新する力も枯渇して行くことになりそうだが、漫画やアニメこそが後継者と唱える評論家はすでにいるかもしれない。
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 今は天神さんの縁日に筆者が喜ぶものはほとんどない。戦後昭和のがらくたが中心で、そうしたものは筆者世代の家なら押し入れに大量に眠っているが、筆者はそれらをほとんど無価値と思っている。しかし若い世代や外国人は違うかもしれない。戦後から今に至るまでの街中の店頭や安っぽい看板や広告などが全体となって醸し出す形象の喜びは、たとえば大阪の佐伯祐三がパリの街角で感じたものと同じで、日本独自のものとは言えない気がするが、同世代でともに30代で夭逝した劉生と佐伯は互いの画業を知っていたのだろうか。日本のしかも独自の古典美に戻って行こうとした劉生と、フランスにこだわった佐伯というふたりから、大正から昭和初期の日本人画家の視野の広がりの一例を見るが、そのことは戦後解決されたかと言えば、混沌一方のままに、「ゆるキャラ」のゆるくてのっぺりとした、見方によれば劉生が感じた「でろり」とは全く違った意味で不気味な、というのは表向きは笑顔だが、それを剥がすと何も考えていない無思想の、しかも誰にでも媚びることだけは熱心な「キャラクター」が全盛になっていることを思う。その批判精神から筆者が家内の入院中に作った「無事カエル」を見ると、今日家内が「目は笑っているけど、口元がそうではなくて何となくわざとらしい」と言った感想は、前言した「ゆるキャラ」に共通する「のっぺり」感への率直な反応と思う。となれば、筆者は老人ではあるが、今の若者文化に毒されている、あるいはいいように言えば、その特質を見事に把握して表現に対応出来る能力があることになる。つまり、時代に遅れていない。では劉生が喜んだ街中の形象的な事象の美を、現在のどんどん新しくなる京都で感じることが出来るか。新築の家も数十年経てば街の風景に馴染み、その時代の画家が劉生の言う「でろり」とした審美的味覚を、日本がどれほど街の様相を変えても本質的に温存され得ると思うとすれば、その理由は畳やキモノ、神社仏閣がある限りは大丈夫という千年以上の文化の伝統があるからだろう。さて、今日の最初の写真は今月8日に裏庭で撮った。満開の紅梅が積雪によって練乳をまぶされた苺のように見える。2枚目は10日の撮影で、わが家と隣家に見事に咲く紅梅と白梅を用水路上に架かる橋から撮った。3枚目は家内が病院で目の検査を受けた後、筆者が先に自転車で帰宅する途中で見かけた地元の旧家の満開の紅白梅だ。わが家のものより何倍も見事だが、同じ用水路際にあって、この眺めは劉生時代から変わらないはずだ。4枚目は前述した『初期肉筆浮世絵』の初版本の外箱の修復の前後で、左の写真の白く見えるのは和紙を切り抜いて貼りつけた箇所、右はその痕跡がほとんどわからないように色を塗り、文字の欠けた部分は補った。さすが2万円もした本で、図版の印刷精度はよくないが、折り込みは折る箇所を屏風のそれに合わせている。
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# by uuuzen | 2026-02-24 22:59 | ●新・嵐山だより
●「歩兵から 成り上がりたき 野心捨て 仏心を 芽生え殺さる」
月花 ブログに盛りつ 二か月の 入退院の ドラマ幕引き」、「才能を 成果で測る 営業を 嫌い転職 どこも似たもの」、「同じこと 日々繰り返し 熟練に 機械に負けぬ 安い賃金」、「とぐろ巻く 蛇のとなりに 歩の駒を 並べ夫婦の 徴見つめて」
●「歩兵から 成り上がりたき 野心捨て 仏心を 芽生え殺さる」_d0053294_02002520.jpg 4日前の19日は朝9時に家内は目の診察のために病院に入らねばならず、朝寝坊する筆者を放っておいてひとりで市バスを乗り継いで入院していた病院の眼科に行った。8時25分に布団から出た筆者は5分後には自転車を病院に向けて走らせていた。9時10分前に病院に着いたはいいが、マスクを持って行かなかった。正面玄関を入ると、マスクを必ず着用してくださいとの注意書きがある。小銭入れを探ると50数円しかなく、100円で2枚入っている自販機のマスクを買えない。ズボンのポケットに数千円あったので、千円札が使えるかと思うと、100円玉専用だ。来院者をさばくマスク姿の中年女性に両替したいことを伝えると、大勢の人が並ぶ会計カウンターに行けと言う。そこは大量の人が並んでいて、彼らは手にした札の番号によって順に呼ばれ、筆者は両替ごときのためにそこに並んでいいのかどうかわからない。いつも必ず首に巻くマフラーがあれば、それをマスク代わりに覆面姿になったが、起きて5分で着替えて顔を洗って出かけた慌てぶりでは、いろいろ忘れ物があるのは仕方がない。それでポケットの中にあった使い古しのティッシュで鼻を押さえながら、つまりマスクをしていないことをなるべく悟られないように気を使いながら、家内に言われたように大型TV画面前の数十ある座席の最も後方、すなわち玄関に最も近いところに座り続けた。その1階は吹き抜けになっていて、2階にある眼科に診察券を出した家内が筆者を見つけてくれるだろうと思っていると、10分ほどすると家内が目の前に現れた。マスクがないと言うと、家内は予備のマスクを2枚持っていた。その1枚をすぐに着用し、他の人々と同じく正体不明になった気がして安堵した。筆者の派手な色柄の帽子に柿色のコート姿を、家内は2階から見下ろしてすぐに筆者がわかったと言う。1階にいる百人ほどの病人やその付添いの誰ひとりとして、筆者のような目立つ色の服を着ていない。それはいいとして、家内は眼科の若い女医がかなりの美人と言い、その言葉で釣って筆者を同伴させようと考えたのだろう。順番が回って来てかなり狭い室内に家内ともども招き入れられると、残念なことに女医はマスクをしていて美人具合がわからない。女医は家内の後方に座った筆者を見向きもしなかったが、筆者を一瞬まともに二度見た。彼女は細身で長身、短髪で、スポーツ系に見える。筆者に目を配ったのは、老人であるのに派手な色の服であったからだろう。女医はてきぱきと言葉を発し、入院から3か月は様子を見ようという、全くの予期出来た言葉で、家内と筆者は3分と経たずに部屋から追い出された。
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 16日の通院時はふたりの医者に診てもらったが、その時も19日も診察室には必ず医師と若い女性看護師がいた。看護師は患者を招き入れ、また医者の診断や、薬が必要であればそれもパソコンに記入する役目を負っている。眼科の女医は40歳くらいと思うが、看護師は少し若いくらいか。同じ女性ながら医者になる場合もあれば看護師にもなり、それは能力に応じてということなのだが、医者になるには看護師の何倍も勉強せねばならず、また資金も必要で、必ずしも知能に差があるとは言えないだろう。しかしどの女性看護師もだいたい同じように見えるのに、医者はみなかなり違って見える。それだけ個性的で、そのあくの強さのようなものが人を社会的に目立たせるのではないか。嵯峨のFさんはそういうあくの強い女性は「女として変わっている」と断言してほとんど興味がなさそうだ。学校の先生や女医といった専門職を持つ女性は苦手なのだ。それはFさん世代ではごく普通で、筆者もFさんに近いかもしれない。それに70代になると、長年人生を経て来たせいか、医者や教授にほとんど驚かない。ひとつの専門に詳しいだけで、全く知らないことは膨大にある。そのことは辻まことが『蟲類図譜』に書いた。ところで、鶴見俊輔の『限界芸術論』に収められる黒岩涙香論の最後に、涙香に対する評価としての「才能に見合う成績を残さなかった」に反論する形で、鶴見は涙香の業績を限界芸術の側面から分析する。才能があるのにそれに見合う業績がないという評価は、業績を固定観念で見ているからで、才能があると讃えながら、結局はB級の人物であると貶めている。才能と業績は不可分のものとして考えるべきだが、目立った業績を残さねば才能がなかったと評価される。その目立った業績というのが問題で、誰がその評価を決定づけられるのか。涙香を正確に評価出来るのは、同じような、あるいはそれ以上の才能と業績を持った者に限るのではないか。ベートーヴェンの評価はその才能が作品に表われていることを認める人たちが大勢いたし、今もいるという伝統が大きくものを言っている。鶴見の涙香論によって涙香の業績を再評価する人が出て来ることは大いにあり得るし、となれば今後涙香は「才能に見合った多大な業績を成した」と評される可能性がある。才能の評価は時代とともに変わる。生前誰よりも抜きん出た早熟の才能を見せ、多くの人に名前を知られる人は、没後も生前と同じほどに多くの人が業績の大きさに思いを馳せ、「時代を作った」と評価されるかと言えば、それは才能ある書き手の数に負う。鶴見が書くように、文化は広める人があってのものだ。論文は引用する人が多いほど重要とみなされる。その意味で言えば筆者の文章は筆者のみで閉じていて、文化になりようがないが、ネット時代になって限界芸術の裾野は大きく広がり、ネット上の発信はその末端に属する。
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 今日の最初と2枚目の写真は19日に撮った。最初の写真は50メートルほどの長さのある廊下で、突き当り右手にエレベーターが二基ある。両壁面から天井まで描かれる樹木や野鳥のイラストに対し、クラウドファウンディングで245人から集めた費用によって作ったものとの説明書きがあり、それを19日に初めて読んだ。2枚目の写真はエレベーターから最も遠い『障がい者アート』の絵がかかっている場所で、壁と棚の交わる隅に着目してほしい。3枚目の写真は仏師のOさんから5,6年前にもらった将棋の駒にようやく筆者が裏と表に文字を書いたことを示す。無地のままに置いていたのは何かを書けばよいかとも思わなかったからだが、今回の家内の入院から退院を経て、ひとつの区切りが出来た気がしている。将棋の駒の真横にとぐろを巻いた蛇の小さな木彫りを置いたのは去年だ。その年の干支に因み、また筆者が家内の干支が蛇だと言ったために、Oさんは身近にあったものをくれた。将棋の駒の裏面は朱色で「大悲」、表側には「歩」の篆書を墨で書いた。「歩」はこのブログを「歩録」と最初に書いたことに通じている一方、筆者の人生や存在が全くの「歩」であるからでもある。「歩」は成金になって大将を倒せる存在だが、「歩」が「大悲」に成るというのは大将を負かす以上の存在と言ってもいいのではないか。ただし「大悲」は心を平安に保って生きるうえでの願望で、常に体現出来るものではない。それはともかく、Oさんにこの将棋の駒を見せればどまさか偽善者呼ばわりはされないとは思うが、家内がクモ膜下出血で入院し、そして退院したことを2週間ほど前に家に立ち寄って伝えると、大変な年始年末であったなと驚かれ、同情された。Oさんの奧さんとは二度、またごくわずかしか会っていないが、その二度目に顔を見て1か月ほど経って奧さんは急死した。Fさんの奧さんはクモ膜下出血の後、10年間入院して死んだが、Fさんも奧さんが10歳ほど年長で、またFさんもOさんも奧さんより長生きしている。筆者はふたりに対して強いて奧さんの話題を持ち出さないが、奧さんを失った悲しみは10年経てば表向きはかなり薄れているように見える。それは無慈悲ではなく、悲しみに沈んだまま生きては死んだ奧さんも悲しむだろうとの思いからではないか。またふたりとも筆者の家内にはかなり好意的で、今回の退院を本当によかったと言ってくれた。「大山さんの値打ちは奧さんあってのもので、大山さんだけならたいしたことはおへんで」と、筆者を一番の親友と思ってくれていた10歳ほど年長の白生地を扱うKさんは冗談交じりに何度か言ったことがある。それは冗談ではなく、本気であったのだろう。Kさんの言うことが正しいとすれば、家内にはまだまだ生きてもらって筆者の価値を高めてもらわねばならない。それは筆者の好き勝手を黙認することだ。
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# by uuuzen | 2026-02-23 22:59 | ●新・嵐山だより
●「退院を 祝う睨みの 鯛二匹 餡子入りにて チンして食べて」
物の 精いっぱいの たたずまい その健気さを 愛しむ吾も」、「雨降りの 音を聞きつつ キーを打つ 妻は階下で キーの音聞き」、「フランスに 連れて行くとの 約束を 忘れはせずも 金と暇なし」、「ひとり寝の 布団に妻の 息戻り その小さきに 耳をそばだて」
●「退院を 祝う睨みの 鯛二匹 餡子入りにて チンして食べて」_d0053294_01255910.jpg
入院して家内はコーヒーを飲みたいと言い、後日に鯛焼きを食べたいと言うので、そのどちらも用意しようとすると、もうその必要はないと強く拒まれた。気分は変わるものであるから不思議でない。飲みたい、食べたいと思った時にその自由がなければ諦めるしかない。これが大のたばこ好きや酒好きであれば困ったことになるのではないか。それでも刑務所に入っていて自由がなければ諦めるしかなく、やがてたばこを吸いたいという思いも失せて行くのではないだろうか。筆者はたばこを吸ったことがないので無性に吸いたくなる気分はわからない。酒はなければないで済ませられるから、禁断症状のようなことは理解出来ない。家内が先月29日に退院するまで筆者は1か月以上コーヒーを飲まなかった。自分で淹れることが面倒臭かったからだ。その点ティー・バッグの紅茶は便利だ。しかしそれも日々の炊事に追われ、充分に味わう気分の余裕がなかった。それに自分で作った料理や炊いた米は台所のコンロの前で立ったままということが多かった。いくつかの皿やお椀に盛って運ぶことが面倒で、少しでも時間とエネルギーの消耗を防ぐに気になっていた。それほど食べることにあまり関心がなく、満腹になれば何でもよい。人は外見とよく言われるが、ある人の食べ物の好みは外見からわからない。美食家は格好いいと思われるのかどうか知らないが、食べて腹に入ってしまえば誰にもその食べ物が外見からはわからない。去年感想を書いたフィンランドの映画では、記憶を失った男を見て、「本を読むような顔をしていないな」というセリフがあって、知性の有無は顔にある程度現われることが万国共通の思いであることを伝える。染色家の大久保先生は生前、「作家を目指すのであれば食べ物から何から何まで一流のもの触れる必要がある」との持論を崩さず、それを聞きながら筆者は無言で肯いていたが、一流のものを吸収することを追求するとややこしいことになる。まず何が一流かだ。食べ物や衣服、装飾品といった金で買えるものなら話はわかるが、一流の芸術に触れるとなると鑑賞だけでいいのか、また実物か複製か、あるいは所有すべきかなど、問題は簡単に割り切れない。それに付き合う人物も一流を求めるとなると全く不可能なことで、一流好みは井の中の蛙である自己を見失うことになりかねない。鶴見俊輔が大の漫画ファンであることをかねがね訝っていた筆者は、『限界芸術論』を読んで鶴見がある目的を持って漫画を読み漁り、三流の芸術を通じて世間のあり様を見ようとしていることを知った。目的がしっかりしていればよく、一流に限る必要はない。
●「退院を 祝う睨みの 鯛二匹 餡子入りにて チンして食べて」_d0053294_01262188.jpg 家内が退院した祝いにどこか洒落たレストランにでも行こうかと考えながら、結局太秦の「餃子の王将」に行ったことは先日書いた。そのことを「風風の湯」でFさんに話すと、一昨日は真面目な顔で今までになく、詳しい情報を教えてもらった。右京区の老人会のダンスの会が伏見のとある大きなホールで催され、それに係員として参加したFさんはダンス会の後、四条河原町に何人かで行き、高島屋の南に隣接するとあるビルの4階のレストランに入った。一品2000円前後で、筆者がさして肉好みではないことを知っているFさんは、筆者の懐具合を心配してか、家内と一緒にそのレストランでメイン料理を一品ずつ、それにサラダは分け合い、計3品頼めば充分と言った。Fさんからビルの名前を聞いてすぐにわかった。何年か前に出来た自然派食品を売り物にするビルで、4階にホテルがある。そのホテルの真横にあるレストランで、Fさんが珍しくも推す理由は、落ち着いた雰囲気で、家内の退院祝いにはよいと思ったからだ。三連休でもあるので予約して出かけるべきだろうが、満席であれば行き慣れた安価な店に行けばよいと思い、今日は正午過ぎに家を出た。Fさんは同レストランを紹介するチラシを1枚もらって来ていて、それを「風風の湯」のフロントで手わたされたが、家内はそのレストランが勧めるランチの写真を見て、「量の少なさの割りには高い」と感想を漏らした。筆者は一昨日平安神宮での直会で出された幕の内弁当程度の内容で、価格は妥当と思った。さて、市バスを乗り継いで真っすぐに同レストランに向かった。ランチは2種あって高い方を選んだ。「ビーガン」との断り書きがあり、コーヒーつきで税込み2800円。肉は使っていないのでその価格に収まるのだろう。満腹にはならないが、落ち着いた雰囲気を思えば妥当、あるいは安い。コーヒーだけでも1000円の店は珍しくないからだ。家内はMIHO MUSEUMのレストランでの料理がはるかにおいしいと言い、来月にあるはずの内覧会を心待ちしていることを明かした。話は最初に戻る。入院中にコーヒーを飲みたがった家内はコーヒーにはうるさい。MIHOのそれは絶品の部類に入るが、今日のレストランのものもおいしく、家で淹れるのとは全然違う。家内がいつも買うスーパーで安売りされる小川珈琲の挽いた豆では、インスタントよりわずかにましで、どう工夫して淹れてもおいしくはならない。それは紅茶にも言える。高価なものは切りがなく、大久保先生の「何事も一流に触れるべき」との言葉は理解出来る。ただし、一流の素晴らしさがわかっても常にそれに手が届く人は経済的に恵まれた状態にあって、平凡な庶民はないよりましかというもので我慢せねばならない。その現実を嘆いては惨めになるので、ごくたまにしろ、洒落たレストランで安価なランチを食べる程度のことを新鮮な経験と喜べばよい。
●「退院を 祝う睨みの 鯛二匹 餡子入りにて チンして食べて」_d0053294_01273081.jpg 今日の3枚の写真はどれも2枚組で、これら計6枚の写真は12日と今日撮影した。最初の写真の左は12日に家内と嵯峨のスーパーに出かけた最後、嵐電の嵯峨嵐山駅前の大きな集合店舗「昇龍館」に4年前に開店した鯛焼きの店で撮った。以前「飛び出しボーヤ」の投稿で紹介したが、「0型」の「飛び出しボーヤ」の看板を元にしたデザインの看板を十軒ほどのテナントが入っている建物の玄関前、歩道際に置いている。同じ看板は去年1月7日にアメリカから一時帰国した大西さんと歩いた東山でも見かけ、その写真も「飛び出しボーヤ」の投稿で紹介した。京都市内の観光客の最も多い清水寺近くと嵐山に出店しているのは商売を考えれば当然のことだが、店の看板を「飛び出しボーヤ」のパロディにすることは何となくいかがわしい。12日に家内と訪れた時はその看板がなかった。「昇龍館」の他店から苦情が出たのではないか。ところが一昨日、平安講社の春の例会からの帰り、市バスの中で居眠りをしてふたつ先の天龍寺前のバス停で降りたところ、午後6時を過ぎてシャッターの降りた「昇龍館」の正面に「鯛焼き飛び出しボーヤ」は置かれ、完全撤去ではないことがわかった。昼間にその看板を見て興味を持った人のどれほどが建物の奧に入って行くのかは知らないが、買ってその場で食べられる安価な商品は観光客向きで、作るのが簡単な鯛焼きは便利な商品だ。この鯛焼き店のほか、嵐山には近くに2軒の鯛焼き店があって、ひとつはクロワッサン風、もうひとつは中身がカレーなどの具材で、どちらも1個400円以上する。さて、「昇龍館」に入って行くと、左手に若い女性が鯛焼きを作る小さな店がある。家内に買わせている間、若い男女の数人のグループが数組押し寄せ、10分ほど待って商品が出来上がった。1個350円で、写真のようにモニター画面看板には「賞味期限1分」とあり、同店の近くで買ってすぐに立って食べろということだ。筆者は家まで徒歩5分で、紙に包んでもらい、帰宅して電子レンジで温めて食べた。鯛の形は円内に押し込み、回転焼きを潰したように見え、厚みは少なく、味は御座候と変わらない。モニター看板が遮るわずかな隙間から注文する家内の後ろ姿が写っている。右の筆者の横顔の写真は今日家内に撮ってもらった。鯛焼きを注文する家内の帽子と色違いで、今年の冬はふたりともこの帽子を普段に着用した。2枚目上の写真は家に帰ってすぐにコーヒーを淹れて鯛焼きを食べた直前のものだ。下の写真は今日高島屋の地下で買った1個110円の御座候で、昔大阪ではこれを太鼓饅頭と呼び、筆者は舞妓胆汁ないし短銃と呼んでいる。3枚目の写真は今日食べたランチで、載せなくてもいいかと思いながら、投稿用に加工したので没にはしないでおく。ささやかな家内の退院祝いで、年金暮らしの筆者の生活力のほどを示している。

# by uuuzen | 2026-02-22 23:59 | ●新・嵐山だより
●「Democracy それでも暗し 微塵党 主より本なり 民本主義を」
図せずに 深読みされて なるほどと 他人に見えて 吾は気づかず」、「不審物 触れば祟り あるかもと 財布目にして 持ち主拾え」、「退院の 感謝としての 付け届け 医師に贈らず 廊下の隅に」、「痕跡を 残したきこと 罪深き 形あるもの 美は宿らずに」
●「Democracy それでも暗し 微塵党 主より本なり 民本主義を」_d0053294_01385891.jpg 先月29日の家内の退院後、初めての通院が今月16日にあった。その18日の間、8日に京都市内では数年に一度の積雪があった。その日の朝に撮った裏庭の写真は当日投稿した。一歩も外出しなかったが、家内の入院を見舞うために毎日自転車で走った道の半ば、自転車を降りて坂を上がり始める位置にある、民家の歩道との境界ブロック上に1月7日から置かれていた幼児用の片方の靴の内部に雪が入っていることを想像した。靴をその場所に立てかけておいたのはそのブロックを所有する民家の住民と思うが、ブロックのすぐ際は白い砂利が敷き詰められ、背中合わせに立つ南側すなわち坂を少し上った民家は同様の歩道との間の狭い植え込みに草花をていねいに咲かせているのとは違い、坂道と接する壁面には無関心のように見える。その家から二度ほど若い男性が出て来る姿を目の当たりにした。彼は坂を上らず、二度とも北向きにバイクで走って行ったので、白い靴が置かれていることに気づいていないのではないかと思った。ブロックに立てかけたのは道行く人であった可能性が大きいのではないか。そうであれば靴が積雪で埋まった後もそのままにされているだろう。そのことが雪の降った後の1週間ほど気がかりであった。しかし自転車で確認しに行くほどの気持ちはない。家内の通院日に筆者はそこを自転車で通るからだ。16日は家内と同時に家を出て、家内がバス待ちをしている間、停留所で筆者は自転車をすぐ横に停め、10分ほど家内と立ち話をした。バスがそろそろやって来る頃、停留所背後の駐車場と歩道を仕切る高さ1メートル20センチほどのブロック塀の上に、かなり使い込まれた、黄土色の分厚い革の財布が置かれていた。指で突っつくと小銭がたくさん入っているようでずしりと重たい。バス待ちの人が落としたものを誰かが拾ってそこに置いたのだろう。そのバス停で待つ人は8,9割が観光客だ。となれば財布を探しに戻らない。拾って松尾の交番に届けてもよかったが、病院に定時に着くには警官と書類を作っている時間がない。財布はバス待ちの観光客が自分のものとした気がする。お札もたぶん入っていただろうが、そうであれば交番に届ければ面倒なことに巻き込まれる場合もある。落とし主が現われ、もっとたくさんお金が入っていたと主張すれば、好意で届けたのに警官から罪人扱いの目で見られる。バスが来たので財布はそのままにして家内の乗ったバスを自転車で追った。家内は松尾大社前で下車し、信号をわたって駅横のバス停で乗り換え、そこでまた10分ほど待つ必要がある。
●「Democracy それでも暗し 微塵党 主より本なり 民本主義を」_d0053294_01393224.jpg
 松尾大社前のバス停で待つ家内に追い着いた筆者は、道路の向こう側で病院へのいつもの道を行くことにした。すると銀行前でバス停周辺のゴミ掃除をしているマスク姿の女性を見かけた。そこから200メートルほど離れたところに住んでいる社会福祉協議会の長のNさんで、筆者はこれまで彼女と対面してまともに話をしたことはなかったが、その時は家内の入院後、彼女を訪問しようと思っていたので、ちょうどいい機会とばかりに話しかけた。マスクはしていても彼女で間違いないと思ったからだ。去年のクリスマスの翌日家内がクモ膜下出血で病院に運ばれたこと、そしてどうにか手術をせずに1か月少々で退院出来たこと、今日は初めての通院日であるとのことなど、バス待ちの家内を何度か見ながら事情を説明した。そして民生委員長のTさんから「Nさんに相談してみたらどうか」と言われたことを伝えながら平安講社の役員をしてくれる60代がいないかと質問した。本年度でわが自治連合会の平安講社の前代表である80代半ばのMさんが引退するので、その代わりが必要だ。また筆者の代わりとしての新しい人に役割を務めてほしいからだ。筆者は同じ人物が10年や20年も役職を務めることに反対で、せいぜい5年と思っている。そうであるので10数年前に自治会長を引き受けた時も丸4年で辞めた。そうなっても何事も必ず回って行く。Nさんは長年代表を務め、その理由はほかに引き受けてくれる人がいないというものだ。長年同じ地位にいる人は必ず同じことを言う。しかし後任を見つけ、育てる方が難しい。役職にありながらそのことを意識し続けることも含めての地域ボランティアではないか。ところが一旦そういう役割を受け持つと、自分がいなければみんなが困ると、自分を過大評価する。政治家と同じで、老害が日本では特にはびこりやすい。70代、80代の政治家の顔を見るとどれも酷いものだ。自分がいなければ日本の政治は回って行かないと思い込んでいるが、65歳で定年とする法律を真っ先に作るべきだ。口先だけで飯を食べる人物は最低の部類に入ると筆者は思っているが、政治家はその代表だ。TVを見ると首相を初めどれも簡単に戯画化出来る恐ろしい顔をしていて、その子どもでもわかる状態が今の日本の代表の顔をしているところに国家の凋落ぶりが示されている。ホイットマンの『民主主義展望』はニュー・ワールドのアメリカに期待をかけるもので、特にリンカーンをキャプテンと見定め、彼に着いて行くという、美しい期待、崇拝ぶりを表明したが、デモクラシーを民主主義と訳した日本人は民衆が主になって政治、国家を動かすことに賛辞を送りながら、その「主」を陰で支えている、あるいは支配している階級があることには目をつぶったのではないか。それは今なおそうだ。
●「Democracy それでも暗し 微塵党 主より本なり 民本主義を」_d0053294_01401859.jpg 鶴見俊輔の対談集で、鶴見は東大の伝統において吉野作造の思想が嘲笑されて来ていることを発言する。吉野は「民本主義」を唱え、民衆が「主」ではなく、根本の「本」であるとの意識を持った。その考えの根底に鶴見はたとえば防空壕で身を潜めている時、ある人が「わたしは少しの大豆を持っています」と隣人に分け与える行為を引き合いに出している。「民本」の「本」は大本教が勢力をふるったことに感化されたものと想像するが、デモクラシーという外国からの借り物を民主主義と訳さず、「民本主義」と訳しておけば日本のその後の政治の歴史が変わったかと言えば、それは誰にもわからないが、記号である言葉、特に外国のそれを翻訳する時、どう訳すことが最もふさわしいかを、言葉を操って飯を食べている人たちは充分留意する必要がある。「民主」と「民本」はさほど差がないと思う人があろうが、後者は隣人と助け合う精神が基礎にあって、その広がりが国家、世界を作るというイメージを導き、これは「大悲」の考えに通ずると思える。話を戻す。家内の乗り換えの市バスがやって来たのとほぼ同時にNさんとの話を切り上げた。彼女の結論は、適任者は紹介出来ず、自力で後任を探すしかなく、また筆者は一生平安講社の仕事からは免れないだろうというものだ。後任は筆者の説得にかかっている。誰かを紹介してもらえれば説得するが、思い浮かぶ数人は適任者とは思えない。あるいは役割に馴染んでもらえる可能性がなきにしもあらずだが、それなりの仕事の多さに後で恨まれる場合もあるから、声をかけづらい。さて、また家内のバスを追いながら、筆者は脇道に入って坂を二度自転車から降りて歩いて上る。その最初の坂に子ども用の白い靴の片方があるのかどうか。結果を言えば、なかった。雪が降って靴は濡れ、ブロックに立てかけた人が処分したのだろう。そう思いつつも、落とし主の手に無事還ったような気もする。そう思いたいからだが、そう思いたい思いは大切にすべきではないか。今日の最初の写真は靴がない現場で、この写真を最後にこの場所を定点撮影することはもうない。2枚目の写真はなくなった靴を見つめている小石の地蔵だ。これを筆者は前日の15日の夕方に思いつき、裏庭に出て適当な小石を吟味し、20分ほど費やしてそれを見つけた。そして、雀に古米を与える場所のひとつであるブロックの平らな面で一部を研磨して望む形に整えた。その後絵具で顔を描き、裏面に「大悲」の文字を入れた。また「無事カエル」と同じく、最終の仕上げとして透明ラッカーのスプレーを吹きけ、水で塗れても大丈夫なようにした。3枚目の写真の一番下の左に写る2個の姫達磨は京都吉田神社で授与される有名なものだ。去年の天龍寺節分会で古い護符類を燃やす担当者は、もったいないので引き取り手を待っていた。それを見つけてもらって帰った。底に籤がねじ込んであり、それは開いていない。
●「Democracy それでも暗し 微塵党 主より本なり 民本主義を」_d0053294_01405244.jpg 病院に着いて駐輪場に自転車を停めた後、たぶん家内は正門前の急な、また長い坂を上って来るだろうと思っていると、麓に小さな家内が見えた。体力が完全に戻っていないのでかなりゆっくりと歩く。筆者は坂を下り始め、家内を迎えたが、背負うわけにも行かず、家内と一緒に坂を上がるしかない。当日病院ではほとんど丸一日を費やしながらふたりの医師に診てもらった時間の合計は15分に満たない。10分以下と言ってよい。脊髄のMRIを撮影して念入りに調べるとのことで、それが今月下旬と医師は考えたが、MRI検査は予定が多く詰まっていて3月中旬となった。家内の診察を待っている時間があまりに長いので、正午過ぎには薬局の上にある学生食堂のような店に家内と食べに行った。10年前に家内が肺の手術をした時に入って以来のことで、内部は全く変わっていなかった。その後、筆者は家内が入院していた病棟につながる50メートルほどの長さのある一直線の廊下に向かった。院内は迷路のようだが、それにはかなり慣れた。50メートル廊下のエレベーターに近い半分が『障がい者アート』の展示場で、その区間に棚があることは何度も書いた。エレベーターに最も近い展示場の端となる棚の隅に信楽の狸を象った小さな置物があって、それを見習って別の何かを家内の退院を記念して「置き土産」としたいと思い続けた。最初は地蔵がいいかと思いつつ、ふさわしいものがなく、初天神に出かけた日に「無事カエル」を自作することに決めた。しかし目を細める笑顔のカエルは退院する人にはいいが、そうでない人も大勢いて、彼らには目障りだ。それで地蔵がよいと思い直した。もちろん地蔵は家内の入院後に気づいた。病院敷地の西側にある大きな駐車場のその西北にある地蔵尊を間近に行って確認したこと、そして病院のある山田地区には戦前からの石仏がまとまって祀られていることから感化された。だが小さな地蔵尊を紙粘土で作ることはふさわしくない。石仏というからには石でなければならない。それは米粒大では人目につかないから、ある程度の大きさは必要だが、子どもが蹴るのにふさわしい「路傍の石」の大きさでは目立ち過ぎる。裏庭で探すことは難しかったが、幸い適当なものが見つかった。そのままでは立たないので底を平らにし、またおにぎり型の頭部は丸くする必要があった。黒い色は前述の展示場の片隅では目立つので本当は白っぽい石がよかったかもしれないが、黒は僧服に見え、これはこれでよいと思い直した。目鼻は一発勝負、裏面の「大悲」もそうだ。この小石地蔵なら目立ち過ぎず、また確認した人が持って帰ってもかまわないし、「無事カエル」よりは気分を害する人は少ないだろう。家内の入院と退院をきっかけに、またネット・オークションで柳宗悦の書「大悲」を入手したことから、無慈悲な筆者は少しでも「大悲」の思いを抱かねばと思う。

# by uuuzen | 2026-02-21 23:59 | ●新・嵐山だより

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