「
意図せずに 深読みされて なるほどと 他人に見えて 吾は気づかず」、「不審物 触れば祟り あるかもと 財布目にして 持ち主拾え」、「退院の 感謝としての 付け届け 医師に贈らず 廊下の隅に」、「痕跡を 残したきこと 罪深き 形あるもの 美は宿らずに」

先月29日の家内の退院後、初めての通院が今月16日にあった。その18日の間、
8日に京都市内では数年に一度の積雪があった。その日の朝に撮った裏庭の写真は当日投稿した。一歩も外出しなかったが、家内の入院を見舞うために毎日自転車で走った道の半ば、自転車を降りて坂を上がり始める位置にある、民家の歩道との境界ブロック上に1月7日から置かれていた幼児用の片方の靴の内部に雪が入っていることを想像した。靴をその場所に立てかけておいたのはそのブロックを所有する民家の住民と思うが、ブロックのすぐ際は白い砂利が敷き詰められ、背中合わせに立つ南側すなわち坂を少し上った民家は同様の歩道との間の狭い植え込みに草花をていねいに咲かせているのとは違い、坂道と接する壁面には無関心のように見える。その家から二度ほど若い男性が出て来る姿を目の当たりにした。彼は坂を上らず、二度とも北向きにバイクで走って行ったので、白い靴が置かれていることに気づいていないのではないかと思った。ブロックに立てかけたのは道行く人であった可能性が大きいのではないか。そうであれば靴が積雪で埋まった後もそのままにされているだろう。そのことが雪の降った後の1週間ほど気がかりであった。しかし自転車で確認しに行くほどの気持ちはない。家内の通院日に筆者はそこを自転車で通るからだ。16日は家内と同時に家を出て、家内がバス待ちをしている間、停留所で筆者は自転車をすぐ横に停め、10分ほど家内と立ち話をした。バスがそろそろやって来る頃、停留所背後の駐車場と歩道を仕切る高さ1メートル20センチほどのブロック塀の上に、かなり使い込まれた、黄土色の分厚い革の財布が置かれていた。指で突っつくと小銭がたくさん入っているようでずしりと重たい。バス待ちの人が落としたものを誰かが拾ってそこに置いたのだろう。そのバス停で待つ人は8,9割が観光客だ。となれば財布を探しに戻らない。拾って松尾の交番に届けてもよかったが、病院に定時に着くには警官と書類を作っている時間がない。財布はバス待ちの観光客が自分のものとした気がする。お札もたぶん入っていただろうが、そうであれば交番に届ければ面倒なことに巻き込まれる場合もある。落とし主が現われ、もっとたくさんお金が入っていたと主張すれば、好意で届けたのに警官から罪人扱いの目で見られる。バスが来たので財布はそのままにして家内の乗ったバスを自転車で追った。家内は松尾大社前で下車し、信号をわたって駅横のバス停で乗り換え、そこでまた10分ほど待つ必要がある。

松尾大社前のバス停で待つ家内に追い着いた筆者は、道路の向こう側で病院へのいつもの道を行くことにした。すると銀行前でバス停周辺のゴミ掃除をしているマスク姿の女性を見かけた。そこから200メートルほど離れたところに住んでいる社会福祉協議会の長のNさんで、筆者はこれまで彼女と対面してまともに話をしたことはなかったが、その時は家内の入院後、彼女を訪問しようと思っていたので、ちょうどいい機会とばかりに話しかけた。マスクはしていても彼女で間違いないと思ったからだ。去年のクリスマスの翌日家内がクモ膜下出血で病院に運ばれたこと、そしてどうにか手術をせずに1か月少々で退院出来たこと、今日は初めての通院日であるとのことなど、バス待ちの家内を何度か見ながら事情を説明した。そして民生委員長のTさんから「Nさんに相談してみたらどうか」と言われたことを伝えながら平安講社の役員をしてくれる60代がいないかと質問した。本年度でわが自治連合会の平安講社の前代表である80代半ばのMさんが引退するので、その代わりが必要だ。また筆者の代わりとしての新しい人に役割を務めてほしいからだ。筆者は同じ人物が10年や20年も役職を務めることに反対で、せいぜい5年と思っている。そうであるので10数年前に自治会長を引き受けた時も丸4年で辞めた。そうなっても何事も必ず回って行く。Nさんは長年代表を務め、その理由はほかに引き受けてくれる人がいないというものだ。長年同じ地位にいる人は必ず同じことを言う。しかし後任を見つけ、育てる方が難しい。役職にありながらそのことを意識し続けることも含めての地域ボランティアではないか。ところが一旦そういう役割を受け持つと、自分がいなければみんなが困ると、自分を過大評価する。政治家と同じで、老害が日本では特にはびこりやすい。70代、80代の政治家の顔を見るとどれも酷いものだ。自分がいなければ日本の政治は回って行かないと思い込んでいるが、65歳で定年とする法律を真っ先に作るべきだ。口先だけで飯を食べる人物は最低の部類に入ると筆者は思っているが、政治家はその代表だ。TVを見ると首相を初めどれも簡単に戯画化出来る恐ろしい顔をしていて、その子どもでもわかる状態が今の日本の代表の顔をしているところに国家の凋落ぶりが示されている。ホイットマンの『民主主義展望』はニュー・ワールドのアメリカに期待をかけるもので、特にリンカーンをキャプテンと見定め、彼に着いて行くという、美しい期待、崇拝ぶりを表明したが、デモクラシーを民主主義と訳した日本人は民衆が主になって政治、国家を動かすことに賛辞を送りながら、その「主」を陰で支えている、あるいは支配している階級があることには目をつぶったのではないか。それは今なおそうだ。

鶴見俊輔の対談集で、鶴見は東大の伝統において吉野作造の思想が嘲笑されて来ていることを発言する。吉野は「民本主義」を唱え、民衆が「主」ではなく、根本の「本」であるとの意識を持った。その考えの根底に鶴見はたとえば防空壕で身を潜めている時、ある人が「わたしは少しの大豆を持っています」と隣人に分け与える行為を引き合いに出している。「民本」の「本」は大本教が勢力をふるったことに感化されたものと想像するが、デモクラシーという外国からの借り物を民主主義と訳さず、「民本主義」と訳しておけば日本のその後の政治の歴史が変わったかと言えば、それは誰にもわからないが、記号である言葉、特に外国のそれを翻訳する時、どう訳すことが最もふさわしいかを、言葉を操って飯を食べている人たちは充分留意する必要がある。「民主」と「民本」はさほど差がないと思う人があろうが、後者は隣人と助け合う精神が基礎にあって、その広がりが国家、世界を作るというイメージを導き、これは「大悲」の考えに通ずると思える。話を戻す。家内の乗り換えの市バスがやって来たのとほぼ同時にNさんとの話を切り上げた。彼女の結論は、適任者は紹介出来ず、自力で後任を探すしかなく、また筆者は一生平安講社の仕事からは免れないだろうというものだ。後任は筆者の説得にかかっている。誰かを紹介してもらえれば説得するが、思い浮かぶ数人は適任者とは思えない。あるいは役割に馴染んでもらえる可能性がなきにしもあらずだが、それなりの仕事の多さに後で恨まれる場合もあるから、声をかけづらい。さて、また家内のバスを追いながら、筆者は脇道に入って坂を二度自転車から降りて歩いて上る。その最初の坂に子ども用の白い靴の片方があるのかどうか。結果を言えば、なかった。雪が降って靴は濡れ、ブロックに立てかけた人が処分したのだろう。そう思いつつも、落とし主の手に無事還ったような気もする。そう思いたいからだが、そう思いたい思いは大切にすべきではないか。今日の最初の写真は靴がない現場で、この写真を最後にこの場所を定点撮影することはもうない。2枚目の写真はなくなった靴を見つめている小石の地蔵だ。これを筆者は前日の15日の夕方に思いつき、裏庭に出て適当な小石を吟味し、20分ほど費やしてそれを見つけた。そして、雀に古米を与える場所のひとつであるブロックの平らな面で一部を研磨して望む形に整えた。その後絵具で顔を描き、裏面に「大悲」の文字を入れた。また「無事カエル」と同じく、最終の仕上げとして透明ラッカーのスプレーを吹きけ、水で塗れても大丈夫なようにした。3枚目の写真の一番下の左に写る2個の姫達磨は京都吉田神社で授与される有名なものだ。去年の天龍寺節分会で古い護符類を燃やす担当者は、もったいないので引き取り手を待っていた。それを見つけてもらって帰った。底に籤がねじ込んであり、それは開いていない。

病院に着いて駐輪場に自転車を停めた後、たぶん家内は正門前の急な、また長い坂を上って来るだろうと思っていると、麓に小さな家内が見えた。体力が完全に戻っていないのでかなりゆっくりと歩く。筆者は坂を下り始め、家内を迎えたが、背負うわけにも行かず、家内と一緒に坂を上がるしかない。当日病院ではほとんど丸一日を費やしながらふたりの医師に診てもらった時間の合計は15分に満たない。10分以下と言ってよい。脊髄のMRIを撮影して念入りに調べるとのことで、それが今月下旬と医師は考えたが、MRI検査は予定が多く詰まっていて3月中旬となった。家内の診察を待っている時間があまりに長いので、正午過ぎには薬局の上にある学生食堂のような店に家内と食べに行った。10年前に家内が肺の手術をした時に入って以来のことで、内部は全く変わっていなかった。その後、筆者は家内が入院していた病棟につながる50メートルほどの長さのある一直線の廊下に向かった。院内は迷路のようだが、それにはかなり慣れた。50メートル廊下のエレベーターに近い半分が
『障がい者アート』の展示場で、その区間に棚があることは何度も書いた。エレベーターに最も近い展示場の端となる棚の隅に信楽の狸を象った小さな置物があって、それを見習って別の何かを家内の退院を記念して「置き土産」としたいと思い続けた。最初は地蔵がいいかと思いつつ、ふさわしいものがなく、初天神に出かけた日に「無事カエル」を自作することに決めた。しかし目を細める笑顔のカエルは退院する人にはいいが、そうでない人も大勢いて、彼らには目障りだ。それで地蔵がよいと思い直した。もちろん地蔵は家内の入院後に気づいた。
病院敷地の西側にある大きな駐車場のその西北にある地蔵尊を間近に行って確認したこと、そして病院のある
山田地区には戦前からの石仏がまとまって祀られていることから感化された。だが小さな地蔵尊を紙粘土で作ることはふさわしくない。石仏というからには石でなければならない。それは米粒大では人目につかないから、ある程度の大きさは必要だが、子どもが蹴るのにふさわしい「路傍の石」の大きさでは目立ち過ぎる。裏庭で探すことは難しかったが、幸い適当なものが見つかった。そのままでは立たないので底を平らにし、またおにぎり型の頭部は丸くする必要があった。黒い色は前述の展示場の片隅では目立つので本当は白っぽい石がよかったかもしれないが、黒は僧服に見え、これはこれでよいと思い直した。目鼻は一発勝負、裏面の「大悲」もそうだ。この小石地蔵なら目立ち過ぎず、また確認した人が持って帰ってもかまわないし、「無事カエル」よりは気分を害する人は少ないだろう。家内の入院と退院をきっかけに、またネット・オークションで
柳宗悦の書「大悲」を入手したことから、無慈悲な筆者は少しでも「大悲」の思いを抱かねばと思う。