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●阪急嵐山駅前の林で売店がプレ営業始める
然が ようやくわかる 灯り点き 呼び込み人も 行ったり来たり」、「紅葉の 人出見込んで 店開き 客も入り見て 今後考え」、「自販機と レストランとの 間には 場所と味との 多様性あり」、「この場所を 有効利用 せねば損 金生み出せば 笑顔になりて」
●阪急嵐山駅前の林で売店がプレ営業始める_d0053294_18114809.jpg
嵐山の紅葉が急に色づいて来た。2日前から嵯峨のスーパーの近くで鶏頭の花を写生しているが、今日はその帰りに駅前の林の中の小屋が営業を始めたことに気づいた。帰宅してカメラを持って出直して撮ったのが今日の写真だ。白木のままでは営業しないだろうと思っていたが、予想とは違って装飾は一切ない。何を売る店かも表向きはわからないが、歩道際に置かれた木の椅子にからコピーのチラシが置いてあって、それを1枚もらった。最初の写真の中央辺りに写るキャップを被った女性が客の呼び込み係りで、彼女と少しだけ話した。小屋に装飾がないことを言うと、現状のまま営業するとのこと。また年内は土日のみの営業と聞いたが、理由は働く人が見つからないためだ。チラシには今日から年末まではプレ営業で、グランド営業は来年1月8日からとある。その日までに働いてくれる人が見つかるのだろうか。チラシにフランス菓子の黒いカヌレが写っていて、この店が販売するのはそれと紅茶のみだ。カヌレは税込み280円、紅茶は550円で、相場の倍の感じがするが、紅茶は高級なものはコーヒー以上で、家庭で筆者が毎朝がぶ飲みする安物のティーバッグではないだろう。それでも紅茶は美しい器でゆっくりと飲みたいから、こうした屋台でたぶん使われる紙コップでは、おいしい紅茶もそうは感じないのではないか。あるいは林の中の野外であるので、もっとおいしいと思うか。カヌレと紅茶の二品は嵐山の他の店を調査して決めたメニューかもしれない。呼び込みの女性は、2年前に「風風の湯」から50メートルほど西に出来たレストランに次いでの営業で、確か同じ系列の会社と言った。なるほどと思う。つまりこの売店は林をフェンスで囲っていた2年前にすでに出来ることが決まっていたのだろう。チラシを持ち帰って文字をじっくり見ると、ひとつ気になったことがある。小さな地図が添えられていて、点線で囲ったエリアがふたつあり、どちらもこの売店の覚えにくい数字と横文字の名称が添えられている。林エリアは売店が占め、もうひとつのエリアとして林の北端を東西に走る土手道から北側、すなわち「風風の湯」の玄関前に広がる桜の林一帯が記されている。「風風の湯」が出来た11年前、この桜の林もいずれ何かに使われるという噂を聞いた。それは本当のようで、今日開店した小屋と同じようなものを建てても大きな収入にはならないので、本格的なレストランが建つかもしれない。桜の林は地元住民にとって憩いの場で、花見にも使うが、阪急としてはもう無料で使わせないという考えか。ともかく、今日はチラシ1枚から意外な情報を得て少々動揺している。
●阪急嵐山駅前の林で売店がプレ営業始める_d0053294_18120708.jpg


# by uuuzen | 2024-11-17 23:59 | ●駅前の変化
●ムーンゴッタ・2024年11月
どもには 月を示して 早寝させ 宇宙の星の 夢を見させて」、「気にかかる 異性の笑みを 想う午後 会う機会なく 時雨れに気づき」、「湯けむりの ガラスに描く 円相に 気づく人あり 話広がる」、「清水の 寺から光る 一筋の 青き光や 朧の月指す」
●ムーンゴッタ・2024年11月_d0053294_23261463.jpg
今日の写真のように今夜は満月ははっきりと見えず、在り処がわかる程度だ。その朧の満月を青い光の筋が地上から斜め方向に貫いている。清水寺の境内からライトアップの一環で桜と紅葉の季節に限って照射されるが、どういう意味合いがあるのか知らない。その光線がちょうど満月を指しているのは偶然で、雲がなければもっと面白い写真になった。一方で思ったことは、光線は雲を照らし、それを満月と勘違いしているのではないかという不安だ。雲が低ければ光線は雲に当たってそこが朧満月に見えるのではないか。その可能性はあるが、今日の写真はやはり満月が雲の奥にある。話は変わる。半年ほど前か、「風風の湯」で頭を剃った目玉の大きな中年男性の姿に気づくようになった。嵯峨のFさんは言葉を交わし、「仏教大の先生やで」と言ってくれた。筆者とは挨拶を交わすだけであったが、今月3日、脱衣場で会ったので挨拶の後に声をかけた。「仏教大の先生とお聞きしましたが…」「いいえ、工芸繊維大です。建築を教えています」そのことを後日Fさんに言うと、「繊維大は繊維関係のことを教えるだけで建築はないやろう」と無茶を言う。その男性は言葉の訛から東南アジアの人のように思うが、そのことは訊かない。「風風の湯」には電車で割合遅くやって来て30分も経たずに湯から上がるが、どこに住んでいるかも訊かない。今月3日はほとんど人がいない大湯舟で初めて10分ほど話をした。繊維大であるからまずは白井晟一の話題を向けた。それから話が15分ほど弾み、翌日また会ったので今度は庭のことを話題にした。筆者が建築関係で興味あることの質問にはどんなことでも明快かつ詳細に答えてくれる。学生を教えているからには当然だが、アメリカの大西さんがマンハッタンの建築事務所で有名ブランドの店舗デザインをしていると言うと、「ピーター・マリーノですね」と筆者の記憶を呼び戻してくれる。そばにはFさんが湯舟に目を閉じて半ば体を浸しているが、筆者とその先生の話題はおそらく全くちんぷんかんぷんだろう。いい話し相手が出来た気分だが、筆者を何者かと思っているかもしれない。数日前はほとんど大浴場に人がいなかったので、久しぶりに湯で曇る大ガラスに右手で勢いよく円を一瞬で描いた。その直後にその男性がやって来て、筆者にこう言う。「この円相は誰が描いたのですか」「ぼくです」円相という言葉が出て来るところが嬉しい。裏側の露天風呂からから見ると円の歪さがよりわかると言うと、その男性は知り合いが自宅に庭を造り、目の錯覚を利用して広く見えるように設計したと言った。久しぶりの知的な会話が出来る相手だ。

# by uuuzen | 2024-11-16 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
●「地元愛 故郷のほかに いくつ持つ 転勤族の 薄き短き」
るべき 規則作れば 隙を見て 必ず生える これはええやろ」、「年一度 会うか会わぬか 地元民 言葉交わせば 意識は揺れる」、「懇親の 強さ示すや ちゃんづけで 呼び交う仲に 入り人白け」、「同類は 集まりやすし よしわるし 付き合い下手も それなり集い」先月26日の夜に学区民体育祭の打ち上げ会が、去年11月の「その5」に書いたのと同じ料理店で開かれた。ただし、襖を外した大きな部屋で、すき焼き鍋の数は20はあった。一段高い場所はないが、マイクが置かれた上座は各種団体の長がだいたい占め、出入り口に近い下座にはほとんど初めて顔を見る4,50代の男女が固まった。彼らはみな体育振興委員だ。先月13日の体育祭の3週間ほど前に打ち上げ会の参加の可否を問う文書が体育振興委員の古株である人から届けられた。「その5」でも触れたように、平安講社は毎年5000円のお祝い金を包むと聞いていたが、前任の代表はそれをあまりいいとは思っていないようで、筆者の考えに任せると言った。参加費を明確に書いてくれればいいものを、今回も50周年記念事業の打ち上げ会と同様、参加無料とあった。それで金一封は持参しなかった。しかし筆者を平安講社代表に推挙した高齢女性は1万円を体育祭の当日に持参したらしく、先日「来年は包んだほうがいいよ」と言われた。それは強制の意味だ。今回全員無料の大盤振る舞いは費用をどう捻出したのかだが、体育祭に際して自治会加入世帯から一律300円を徴収して充てている。その臨時徴収を今年知った。どの自治会も100万円近い貯金があり、自治会長はそこから自治会加入世帯数に応じてお金を引き出し、それを体育振興委員長に持参する。「風風の湯」の常連のMさんが去年に引き続いて会長をしている自治会が世帯数最大で、300世帯ある。それでMさんは9万円を持って行った。わが自治会は100世帯で3万円だが、毎年のことであるから自治会費は目減りして行く。自治会費を値上げすれば済むが、そうすれば脱会家庭が続出する。それはともかく、コロナ頃から300円徴収が始まり、参加費無料で体育祭の打ち上げの飲み会を開催しているが、今回10数年ぶりに参加して思ったことは、体育祭当日と同じく、ビンゴゲームがあってビール券や米10キロなどの景品が当たることだ。しかも今回は100人全員がもらえた。よほど体育振興会は資金があると見えるが、現実はそれがないので1世帯当たり300円を徴収し始めた。今回体育振興委員長があいさつの言葉の中で強調したのは健康維持と懇親で、特に後者に力を込めた。懇親すなわち酒の場、そして何らかの景品を与えるゲームを宴の後半で行なう。それがいいのかどうかだが、誰しも現金なもので、何かもらえるとなると群がりやすい。しかしその資金はどう捻出するか。懇親は一部の人に留まる。それは仕方なきところがある。
 ビンゴゲームはわが自治会でも地蔵盆で昔から行ない、当夜法輪寺の境内にやって来た人全員が参加出来る。ゲームは3回実施され、「外れ」すなわち参加賞としてティッシュ一箱がもらえる。子どもを含めて家族5人の場合、最低でもティッシュ15箱はもらえる。高齢でやって来れない人には何もないが、そうした人は昔は同じようにゲームに参加したので、来る来ないは自治会加入世帯の勝手ということだ。また来ない世帯がはるかに多く、ビンゴゲームの景品はその分豪華に出来る。高齢のひとり暮らしであれば若い世代が中心になる地蔵盆やその中で行なわれるビンゴゲームに参加せず、またそうした人が自治会加入の利点、恩恵がないと思い始めると、自治会を脱退することになり、少子高齢化では自治会加入率が低下して行くのは仕方のないことだ。そこを懇親を旗印に体育振興委員長は張り切るが、毎年同じ料理店でひとつのすき焼き鍋を5,6人で突っつくことを好まない人はいるし、今回欠席したMさんのように、顔も名前も知らない人が多い宴席を敬遠する気持ちはわかる。筆者も本当は参加したくなかったが、時代祭で撮った写真を見せたい人が5,6人はいた。またこういう多くの集まりでなければそうした人と話をする機会はなく、ちょうどよかった。ただしわが自治会の40代前半の自治会長を口説いてのことで、彼女と隣り合わせに座ることを目論んだ。ところがわが自治会は最初に出来た自治会であり、序列では常に筆頭であって、上座のさらにその筆頭の鍋席に彼女は座ることが決められていた。またその隣りの鍋の席に筆者が座ることになっていた。彼女の鍋席には校長先生や体育振興委員長がいた。彼女によればそれは去年と同じで、緊張して何も話すことがなかったので、今年は参加しないと言っていたのだが、酒が入ると席は乱れて来る。適当に立って話をしたい人に近づけばよく、筆者は時代祭の写真を持ってそうした。今回筆者の反対側の隣り、すなわち3列目の右端の鍋に初めて話す高齢者Hがいた。90代と聞いたがそうは見えず、驚いた。そのことを率直に言うとえらく喜ばれた。Hは老人会の長らしい。幼少の頃に嵐山に転居し、ほとんど地元住民であってよそ者意識はない。それで老人会も幼馴染みとゲートボールなどをして楽しいと聞いた。嵯峨のFさんは去年から右京区老人連合会の副会長をしていて、京都市全域の老人会の行事に積極に関わっている話を「風風の湯」のサウナ室で毎回のように聞くので、やんわりと「なぜわが学区は西京区の老人連合会から脱退したのですか」と訊くと、「会計報告が大変で、それに京都市の財政が乏しいから…」との返事であった。予想どおりだ。しかしそれでは幼馴染みだけの集まりになって、85Mさんのような数年前に転居して来た高齢者は入り込めない。懇親は大歓迎だが、古株が居座り続けるとよくない。

# by uuuzen | 2024-11-15 23:59 | ●新・嵐山だより
●「茎太く どこまで育つ 鶏頭の 背丈五尺で 花切り取られ」
経てば 枯れるは定め 知りつつも 晩秋過ぎて 鶏頭は立ち」、「鶏頭の 茎の曲がりや 龍に似て 若冲描く 姿想いし」、「陽射しよし 土も肥えたり タネもよし 小さき鉢に 似合わぬ花を」、「世話好きの 人のお陰と 花は笑む 限られし場所 不足に思わず」
●「茎太く どこまで育つ 鶏頭の 背丈五尺で 花切り取られ」_d0053294_23565525.jpg 先月21日に嵐電の鹿王院駅近くで鶏頭の花を写生したことを今月8日に投稿した。毎年鶏頭の花を同じプランターで同じように咲かせる家で、特別気を遣っていないとのことで、10月末頃に全部引き抜き、細かく切ってプランターの土に被せておくと、自然と翌年開花するという。陽当たりがよい場所でもないので、土に養分が豊富なのか。鶏頭にとって養分豊富な土はどのようなものなのか、筆者は毎年種子を蒔いて育てているのに理想的な花が咲かない。それはさておき、先の家は昔は散髪屋であったことを嵯峨のFさんから聞いた。ご主人が亡くなって廃業したが、散髪屋の面影は残っている。どうでもいい話だが、Fさんはその家から東100メートルほどの散髪屋に通っている。5年ほど前までその店のすぐ近くに銭湯があったが、廃業したのでFさんはやがて「風風の湯」に来るようになった。また営業出来そうなほどに外観は以前のままで、誰かに経営を任せてもいいのにと思う。その廃業した散髪屋から100メートルほどのところにも銭湯はあって、薪で湯を沸かしているのでとても熱いらしい。さて、13日は7日に目撃していた鶏頭の写真を投稿した。13日は別の場所でも鶏頭の写真を撮った。それが今日の3枚で、早速今日は写生した。咲いているのは車折神社の北門すなわち嵐電の車折神社前駅のすぐ北だ。以前投稿したことのある「嵐山劇場」が昔あった場所と言ってよい。今は比較的新しい住宅が14,5軒建つが、Fさんは以前は変電所であったと言う。ネットの「今昔マップ」を見ると遅くて1961年から、早くて97年まではそうであったことがわかる。8日の投稿では元散髪屋の奥さんが筆者が写生している様子を見て、車折神社近くの嵐電の線路沿いに鶏頭が咲いていると教えてくれたことを書いた。その日、車折神社の北門前まで線路沿いの民家を見たが、鶏頭はなかった。昨日家内と自転車を連ねて嵯峨に買い物に向かった時、家内は以前に一度だけ走ったことのある細い道を三条通りから北上しようと言った。筆者はその道は行き止まりと思っていたので、その時もそう言ったが、家内は筆者の言葉に耳を貸さずにその道に入った。完全な直線ではなく、やがて嵐電の線路が見えた。車折神社の境内から50メートルほど離れたところに出て、目の前が踏切だ。そこをわたって突き当りを西30メートルほどによく行くスーパーがある。いつもは三条通りをもう100メートルほど西に行って車折神社の南門の西側の道を北上して線路の手前を西から東に向かうのに、家内はその日は境内の東側を走って線路に出た。踏切はプラットフォームの東西にある。
●「茎太く どこまで育つ 鶏頭の 背丈五尺で 花切り取られ」_d0053294_23572774.jpg
 東の踏切を線路を北にわたる時、筆者の眼前に見事な鶏頭の花が目に入った。その途端、先月21日に元散髪屋の奥さんの言葉を思い出した。その話は本当であったのだ。しかも3週間ほど前だ。その頃に知っていれば3週間早く写生を始められた。車折神社の北門まで行きながら、もう2、30メートル走って東の踏切を北にわたっていれば気づいたのに、線路の北側とは思わなかった。北側は民家の裏手が線路際まで迫っていて、花を咲かせる場所はほとんどないからだが、角家ならば角地がある。驚いたのは鶏頭の背丈が筆者と同じくらいあることだ。しかもさほど大きくない植木鉢だ。人の背丈ほどの鶏頭は初めて見た。残念なことにあまりにせせこましい場所に密集していて、道路に倒れないように紐で括られている。まず注目したのは今日の最初と2枚目の写真のように、1本のみ茎の先端がかなり曲がっている。若冲の有名な著色画に「鶏頭の蟷螂図」があって、その鶏頭は茎が一回転している。それは想像の産物であろうか。おそらくそうではない。若冲はそのようにひどく曲がった茎の鶏頭を見たのだ。それは1万本に1本あるかないかの確率だろうが、そういうきわめて面白い形の鶏頭の茎を見つけ、それで写生する気になったのだろう。鶏頭は背丈は極端に低いものから身長を超えるほどに育つものもあり、また花の形もさまざまだが、茎に注目すると、今日の写真のようにひどく曲がる場合がある。これは成長するのに障害物があるからではない。この1本のみが他とは違って直立せず、90度かそれ以上曲がっている。今日は最初にその1本を描き、2枚目は近日中に撮影して投稿するが、太さ5センチほどの極太の茎の1本で、残念ながら先端が2、3か所切られている。切られる前がどのような状態であったかわからない。3週間前ならまだ切られていなかったのではないか。あまりに背丈が大きく、たぶん2メートル以上はあったはずだ。それですぐ際の嵐電のプラットフォームに寄りかかったのだろう。人の通行を邪魔してはならず、そのために紐で括られているが、背丈があまりに高ければそれでも倒れかかる。風がよく吹く場所であるからだ。今日は写生しながらその風が身に沁みた。中腰で立ったまま2時間ほど描き続けていると、熱中して寒さが気にならなくなりはするが、写生帖の紙が風でめくれ上がり、鶏頭は終始揺れ続ける。おまけに急に時雨が降り、紙が濡れて鉛筆が動かない。描いているとその家の奥さんが家の側面に隙間なしに並べている植木鉢の手入れに出て来た。愛想がよく、年齢は筆者と同じくらいだと思うが、耳が遠いので話が噛み合わない。ともかく、写生の邪魔はしない態度で、また鶏頭は切って持って帰ってよいと言われたが、それはしない。生きているのを描きたいからだ。しかし奥さんはいつ全部根こそぎしてしまうかわからない。1週間か10日は描くつもりでいる。
●「茎太く どこまで育つ 鶏頭の 背丈五尺で 花切り取られ」_d0053294_23575084.jpg


# by uuuzen | 2024-11-14 23:59 | ●新・嵐山だより
●「留意して 次々気づく 出会いあり 大きな花の 鶏頭赤き」
石には ならぬ無駄石 いとおしき 思いどおりに したくもなきに」、「どう咲くか 場所と栄養 運任せ 形と色の 千差万別」、「結局は 自然任せの 人生と ようやくわかり 雀に米を」、「来年に 期待はせずに 今讃え 小さな栄華 じっと味わう」
●「留意して 次々気づく 出会いあり 大きな花の 鶏頭赤き」_d0053294_12402386.jpg 7のつく日に1割引きで野菜や果物を売る小さな店が嵯峨にあることを3、4か月前に知った。よく行く嵯峨のスーパーとは方向が少し違い、その店の前はたぶん2,3年に一度ほどしか歩かない。先日の7日、家内とスーパーに歩いて行った時、1割引きの日であることを思い出し、いつもの道を外れてその店に行った。形や色が悪い商品が多く、1割引きでもまあまあの価格だ。商品にならないような柔らかい、あるいは部分的に真っ黒になった柿が一山777円で売られていて、その場で買いたかったが、家内が反対した。店の前に数人の客が商品を見繕っているのに誰も店の端に置かれたその柿に目もくれない。それでスーパーからの帰りにまだ売れ残っているならば買うことにした。店はきれいな柿とそうではないものを選り分け、売り物にならないものを一山で売ることにしたのだ。さて、店を後にしていつものスーパーへ向かい、これまでほとんど歩かなかった道を歩く羽目になった。すると今日の写真の鶏頭の花を見かけた。カメラを持っていなかったので、撮影は今日になったが、背丈が低い花の割りには花はとても大きく、鶏冠状になった大花の脇に小さな花が咲いている形がとても面白い。こうした自然の造形は人が室内でいくら考えても思い浮かばず、そうした自然の造形との出会いはとにかくたくさん歩いて自分の目で発見するしかない。他人が撮った写真では駄目だ。自分で見て描くことで、写真はその参考に過ぎない。この鶏頭は他の植木鉢に混じって育てている人がそれなりに愛好している様子が伝わる。驚くほどに立派な花ではないが、自宅脇のごく限られた道路際の面積にいかに育てるかを楽しみにしているようで、来年もおそらく同じように咲くはずだが、ただしこの写真以上にはならないだろう。家内が先に歩いて行くのをかまわず、少々立ち止まって眺めた。さてその当日、スーパーで買い物を済ました後、今度はこの鶏頭の咲く道とは違うルートで1割引きの八百屋に行き、30数個で777円の柿がまだあるかどうかを確認した。相変わらず2、3人の客がいたが、やはり誰もこの柿には関心がない。皮膚病に罹ったような色や形で、そういうところを除けば半分くらいしか食べるところがないかもしれない。しかし家内が眉をひそめるのをかまわずに買った。帰宅して数えると32個で、まともなものはないが、早速最も柔らかいものを2、3個食べたところ、とても甘い。黒くなった箇所は柿渋のせいで、そうした柿も味は申し分ない。今年は柿が不作であることは近所の柿の木からわかる。毎年数百の実をつける古木に数十しかない。冬場に野鳥が困る。
●「留意して 次々気づく 出会いあり 大きな花の 鶏頭赤き」_d0053294_12482327.jpg


# by uuuzen | 2024-11-13 23:59 | ●新・嵐山だより

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