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●「石炭を 欠かして寒し 咳と痰 塊炭飴の 欠片を口に」
れみの 燐寸売る子に 隣り合う 徳ある人の 篤志は如何に」、「ガスレンジ 電池で点かず チャッカマン オイルあるのに 火は出ず燐寸」、 「石炭の ストーヴ焚くや 当番子 四十五人の 学級の暖」、「風の子と 言われて寒し 童かな 時に風邪ひき くしゃみ連発」
●「石炭を 欠かして寒し 咳と痰 塊炭飴の 欠片を口に」_d0053294_17234360.jpg
3番目の歌は筆者の小学3,4年生の思い出。当時昭和30年代前半で、大阪市内の校舎は木造がまだ多かった。一学級45人ほど、それが6,7クラスで全校児童は1800人近かったが、市内では少ないほうで、家内が通った小学校は2500人ほどいたそうだ。それはともかく、2階建て木造校舎は昭和一桁の創立以来のもので、筆者が小学生低学年の頃は築30年ほど経っていた。その校舎の前で撮られた学級写真を筆者は今も持っているが、中学生になって友だちになったS君の家に遊びに行くと、S君の父親が小学生の時に同じ校舎の前で全く同じように撮った学級写真を見せてくれた。最前列中央に校長と担任が並び、その両脇や背後の3段ほどの雛壇に級友が囲み、おそらく同じ写真屋が撮影したのだろう。戦前のとても古い写真に思えたのに、校舎も児童の雰囲気も、写真の白黒のやや緑っぽく見えるところも、筆者が写る集合写真と全く同じに見えたからだ。当時はその30年の開きがはるか遠い昔に思えたのに、実際はわずか30年であった。それはさておき、冬場は石炭を使うだるまストーヴの係が順に児童に回って来て、筆者はその当番を担当したことをよく覚えている。木造校舎1階の端に石炭倉庫があり、その用務員の背の高いおじさんからブリキのバケツに石炭をスコップで入れてもらう。それを教室に運び、ストーヴにまず新聞紙や細い木片を入れてマッチで火をつけ、燃え盛ってから小さなスコップで石炭を放り込んだ。すると授業が始まる前にはストーヴは熱くなる。10歳かそこらの児童によくぞそういう作業をさせていたと思うが、10歳でも責任を持たせることはよい。石炭ストーヴは数年後に石油のそれに変わったが、石炭の艶や形は印象的で、形のない石油やガス、電気で暖を取るのとは大違いな気がする。さて去年12月21日、お歳暮を送るために京都大丸に行き、ついでに北海道の小規模な食品展に立ち寄った。会場の出入り口近くにほぼ空の段ボール箱があって、一袋だけ見切り商品として「塊炭飴」を見つけ、迷わずに買った。200グラム入り218円。北海道赤平市の石川商店が1921年(大正10)から作っている。大きな塊から断ち割ったもので、形は不揃い、石炭や黒曜石の艶がある真っ黒な飴だ。袋の懐かしい味わいのデザインもよい。京都や近畿では売られていないだろう。強いニッキ味で、家内は嫌がるので筆者ひとりで食べている。黒色は竹炭を使うためで、舌触りはとてもなめらかだ。赤川市がどの辺りにあるのか調べていないが、そう言えば北海道ではまだ石炭を採掘しているのだろうか。
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# by uuuzen | 2023-01-11 23:59 | ●新・嵐山だより
●「エルヴィスに 十日戎を 連想し ささっとビール 持って来んかい」
原の 堤向かうや 愛宕山 松尾過ぎれば 左に曲がり」、「八日では 的屋は準備 灯りなし 十日過ぎても 戎は笑顔」、「ゑべっさん 大和大路の 小路沿い 年に数日 人で埋まりて」、「商いを せぬ人も馳せ 硬貨投げ 十日戎の 景気求めて」
●「エルヴィスに 十日戎を 連想し ささっとビール 持って来んかい」_d0053294_22142860.jpg
昨日書いた未整理の古き写真は、何枚かをスキャンしてこのブログに昔使用した。今日の最初の写真は右下に06年1月11日の印字があって、17年前に京都大和大路通り沿いにある恵比寿神社の「十日ゑびす祭」の「残りゑびす」に出かけて撮った。2,3枚目の写真は一昨日の京都恵比寿神社で、コロナの間のここ3年は訪れなかったので久しぶりだ。2006年以降、何度もこの鳥居を見上げて撮影したが、その年が最初であったかは記憶が定かではない。そのことよりも17年前のこの写真に年月の経過があまりに速いことに驚いている。未整理の写真束にはもっと記憶が鮮明なものがあって、それらが17年経っているからには、こうして書いていることを17年後に読んで遠いこととは思えないはずで、長いような人生がほんの一瞬のように感じる。この17年、筆者はさして大病せずに好きなことをして来たが、17年後には米寿を迎えていて、健康でも体力は落ち、市バスで出かけることも億劫になっている可能性は大きい。またそれは生きていればの話だ。そして生きていても88歳ではこうしたブログを続ける気力は乏しいはずで、また誰も読もうとはしない。その人生の幕引きの一例は、近年増えている「年賀状じまい」で、自分で字が書ける間に年賀状だけの関係を断つ。「風風の湯」の常連のFさんは今年は年賀状を半減させながら、やはり書いたそうだ。近年の筆者は大晦日に印刷して元旦に宛名書きをし、また届いた人にだけ出しているが、左右対称の切り絵を年に一枚でも作ることは、どうにか継続している気分にもなれるので、半ば億劫ながらもいい機会だと思っている。Fさんもそれは同様ではないだろうか。先月29日のFさんとの忘年会で、Fさんは筆者と家内を前に、「高齢になって夫婦揃ってへんがったら、長生きしても仕方ないで」と言った。人は自殺しない限り、いつまで生きるかわからない。家内の長姉は5,6年前まで元気であったのに、今日届いた長女からの寒中見舞いでは、ついに施設に入れたとのことだ。認知症が進行し、兄弟や妹が会っても意思の疎通が困難で、長女は頑なに面会させない。それは理解せねばならない。元気であった頃の姿だけを思い出にするのがよく、言葉は悪いが、老いさらばえて記憶をほとんど失った肉親に会うことは辛い。娘としてはそんな母親をたとえ兄弟や妹にも見せたくないのだ。まだ82,3歳で、認知症になるのが早かった気がするが、認知症は誰しもなりたくてなるものではなく、その予想のつかないことを思うあまり、意思がある間に「年賀状じまい」をするのだろう。
●「エルヴィスに 十日戎を 連想し ささっとビール 持って来んかい」_d0053294_22144127.jpg 一昨日は訪れたことのない祇園の「漢字ミュージアム」に行き、その後京都駅でも展覧会を見るつもりでいた。ところが「漢字ミュージアム」に着いたのはちょうど5時で、閉場になっていた。そこから市バスで京都駅に出る気力を失い、京極通りで食事しようと四条通りを西に向けて歩いている途中、南の大和大路通りに入った。的屋は場所を確保して屋台の道具類などをまとめ置いていたが、「宵ゑびす」の前日で、背後の家との契約の関係か、どこも営業していない。その停電中と同じさびれた雰囲気もそれなりによい。江戸時代では日が昇っている間だけの賑わいであったはずで、日暮れになるとほとんど誰も参拝しなかったのではないか。的屋の明かりがないことよりも印象深かったのは、3,4年の間に街並みが大きく変わり、小さな宿、ホテルが目立ったことだ。それに駐車場も歯抜けのような具合であちこち広がっている。「十日ゑびす」で筆者が毎年ひとつの楽しみとしていたのは、通りに面した自宅の屋内ガレージで雑貨を並べ売るSさんと話をすることだ。Sさんは70後半から80前半の年齢で、昔ブログに書いたことがあるが、帽子をふたつ作ってもらったことがある。またSさんはそのガレージ・セールを近所の同世代の女性とふたりでやることがほとんどで、筆者は彼女らと毎年最低10分は立ち話をした。8日ではまだSさんはがらくた市を開いていないかもしれないが、ともかく四条通りから恵比寿神社に至る中間辺りにSさん宅があり、見逃すはずがないのに、神社に着くまでその家がわからなかった。それほどに家並みが変わっている。狐につままれたような気分で恵比寿神社に近づくと、今日の2枚目の写真のように通り沿いの鳥居の奧に地盤強化の杭打ち機がそびえている。どうやら神社の南に鉄筋コンクリートの大きな建物が出来る。観光客相手のホテルかもしれない。大和大路通りはそのように年々家屋が変わって行くのに、神社だけは長年そのままだ。そのことは今日の最初の17年前の写真からもわかる。3枚目の写真は境内で、祇園祭り並みに「宵々」でも大勢の人が繰り出している。家内と筆者はそれぞれ硬貨を投げて拝んだが、「儲かりますように」とはこれまで一度も願ったことはない。それよりもまずは「健康第一」だ。帰り道で筆者はSさん宅前の店を思い出した。そして今度はその店を目当てに大和大路通りを北上したところ、同店は昔のままにあった。ということはその前のSさん宅は???? すっかり面影はなくなり、おそらくお孫さんが家を継いだようで、ある店に変わっていた。そしてガレージ・セールが毎年開かれていた屋内ガレージは青空の駐車場になっていた。ああ、もうSさん、友人女性と年一回の談笑をすることもなくなった。Sさんが元気であればいいが。Sさんはたまに筆者のブログにアクセスすると言っていたので、この文章を読むかもしれない。
●「エルヴィスに 十日戎を 連想し ささっとビール 持って来んかい」_d0053294_22150461.jpg

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# by uuuzen | 2023-01-10 23:59 | ●新・嵐山だより
●「レコードと フィルムは同じ 時代もの 今は人もすべて スマホに宿り」
水を 眺めて過ぎる 時想い 去りても消えぬ 記憶ふつふつと」、「アルバムに 貼らぬ写真の 束見つけ 十七年の 過ぎしこと知る」、「身の回り 整理した人 死期間近 整理せぬ人 ゴミに埋もれ死」、「初午の 稲荷大社の 布袋像 求めし人の 品ある笑顔」●「レコードと フィルムは同じ 時代もの 今は人もすべて スマホに宿り」_d0053294_01072500.jpg 去年のクリスマス前、3階の筆者の机代わりにしている大きな板の脇に長年放置している段ボール箱とその内部の包みを整理した。家内はこれまで何度もそのことを忠言して来た。筆者もようやく掃除する気になった。書類の半分は捨て、残り半分に厚さ3センチほどの写真の束があった。写真に印字される日付は2005年8月から翌年3月までで、このブログを書き始めて間もない当時、筆者はフィルム・カメラを使っていた。写真はアルバムに整理していたのに、その頃は面倒臭くなって焼いたまま束にしていた。その理由はカメラの調子が悪く、ある写真に次のフレームの写真が4分の1くらい重なって撮れることが多かったこと、また還暦が迫り、自分が写る写真はどうでもよいと思うようになったこと、そしてデジカメ時代になって写真はパソコンに保管してその画面で見ることが主流になったことだ。見つかった束写真はやはりほとんどいいものがない。デジカメ時代になって写真代の出費は減ったが、その分別の何かを買うことが増えたはずだ。それはそうと、写真束に興味深いものがあって今日はそのひとつを紹介する。2006年2月10日、初午の日の昼頃に伏見稲荷大社の門前に行き、毎年同日のみ売られる「伏見人形 人形屋 幸右ェ門」と墨書された布袋像の写真を撮った。昨日の2枚目の写真の中央、そして撮り直した今日の最初の写真上の2体の布袋像は、若冲が描いたそれとおそらく同じ形で、2006年撮影の最初の写真下右奥のように現在も同じ型でわずかに作られている。ただし型抜きを繰り返して細部の表現がぼけている。筆者が所有するものは煤を除くと同じように赤茶色のはずで、長年台所に火伏せの神として専用棚に並べ置かれている間に薪の煤で黒ずんだ。現在は薪竈で炊事する家は京都市内にはないはずで、また初午に伏見稲荷大社門前で布袋の土人形を買う人もほぼ絶滅したであろう。それもさておき、今日の2枚目の写真は非売品で同店は「幸右ェ門型布袋」と称し、これが伏見人形布袋像の原型のように謳うが、「幸右ェ門型」の土人形はすべてがそもそも眉唾もので、型の出来はよくない。それにこの布袋像は全く同じでごく新しい、着色したものを桐箱入りで筆者は所有するが、「幸右ェ門」の反転刻印銘はない。ついでに書いておくと、この布袋像は今日の写真上の2体と違って布袋が腹の前で掲げる団扇がかなり出っ張っていて、雌型から抜くのはより困難だ。その分よく出来ているかもしれないが、写実的過ぎて面白くない。安価な伏見人形ではもっと安易な作りがよい。今年の初午は2月5日、17年前と同じようにこの店は販売するだろうか。
●「レコードと フィルムは同じ 時代もの 今は人もすべて スマホに宿り」_d0053294_01075180.jpg

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# by uuuzen | 2023-01-09 23:59 | ●新・嵐山だより
●「野次馬の 姿見かけぬ 市中火事 ネット時代の 無関心かな」
の水 足りぬと知りつ 汲み置くは 初期の消火を 忘れぬために」、「檜桶 プラに代える温泉は 庶民に合わせ 軽くて安価」、「用心を し過ぎるはよし 火の始末 燃やすは心 身焼かれるまで」、「火伏せ神 遠近法で 並べけり 家事をする者 火事を起こすな」●「野次馬の 姿見かけぬ 市中火事 ネット時代の 無関心かな」_d0053294_18414025.jpg 今日は京都市内の展覧会を三つ見るつもりで出かけた。その最初、市バスを乗り継ぐために円町で下車し、その交差点に向かって丸太町通りを西に歩き始めた時、東方向からサイレンが聞こえ始めた。そして消防車と救急車が合わせて4,5台交差点を折れて北に向かうのが見えた。交差点西北のバス停で北方面のバスを待ち始めると、さらに消防車が南や西から続々とやって来る。火事は近くかと思っていると、その焦げ臭い煙がバス停まで流れて来た。その時に北を向いて撮ったのが今日の最初の写真だ。円町の交差点から北100メートルほどの東で、黒煙がもくもくと上がり続ける。交差点には西洋人の観光客を含めて20人ほどいたのに、誰もその火事に関心を寄せない。写真には男女の後ろ姿が写っているが、彼らは野次馬として火事の現場に歩き去ったのではなく、たまたま北方面に行く用事があったようで、筆者が見渡す限り、火事を眺めている人はいなかった。バスがやって来て筆者は火事の現場が見えやすい東向きの座席に座り、そして煙を上げている家が確認出来る横筋の道を一瞬覗き込んだが、近所の人らしき野次馬は数人であった。その場面を見た頃は最初にサイレンを聞いてから15分ほど経っていたが、煙はほとんど白くなり、鎮火したのがわかった。出火は西大路通りに面した家から一軒奧の古い木造住宅に見えたが、古い建物では漏電あるいは老人が住んで火の始末が悪かったと想像される。TVでニュースにならなかったのは人が死んでいないからと思うが、新年早々の火事は気の毒なことだ。筆者も気をつけねばならない。3階にストーヴがないので、息子がアパート住まいで使用していた扇風機型の電気ストーヴを、たっぷりこびついている埃を取り除くために少々分解掃除をし、試しに使うとスイッチが利かない。コンセントにプラグを差し込むとすぐに1600ワットで温まったのはいいが、同時に焦げ臭く、慌てて電気コードを抜いた。家内は処分しろと言うが、確かにそのほうがよさそうだが、天気のいい日に裏庭に出し、そこで10分ほど使ってみて安全かどうか確認する。20年ほど前、仕事で使っていた電熱器のコードから火が吹いたことがある。その時は不思議に落ち着いていて、スイッチを切り、コンセントから抜いて事なきを得た。今日の2枚目の写真は3階に置いている京都の民間信仰の「火伏せの布袋」像で、上の写真中央の煤で真っ黒になった2体の立像はたぶん明治時代の作で、比較的珍しい。宝珠型の土鈴は蚕をネズミから守るためのもので愛知の美江寺で昔授与されていた。筆者はその造形が大いに気に入っている。
●「野次馬の 姿見かけぬ 市中火事 ネット時代の 無関心かな」_d0053294_18420283.jpg

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# by uuuzen | 2023-01-08 23:59 | ●新・嵐山だより
●ムーンゴッタ・2023年1月
覆の 亀を起こして 兎寝る 優しく接し 負けても平気」、「多産には 多難があるを 知る兎 跳んで逃げるは 食われぬためと」、「満月に 杵つく兎 見た人は 丸餅ほしき ひもじさゆえに」、「野兎が いなくなっての 祀り上げ 神とは人の 罪の意識や」
●ムーンゴッタ・2023年1月_d0053294_01235296.jpg
先ほど階下で家内が大声で叫んだ。今夜が満月であることを昨夜調べて知ったが、そのことをすっかり忘れていた。月は昇ったばかりで、撮影はまだ急ぐ必要はない。だが家内の声は撮影を急がせるように聞こえ、筆者はカメラを持って立ち上がり、数歩先の窓のカーテンを引いた。するとオレンジ色の満月が正面に見えた。ガラス越しに3回シャッターを押して元の場所すなわちパソコンの前に戻った。すぐに確認すると1枚だけどうにかブログの投稿に使える。それから1時間ほどして遅めの食事のために階下に降りると、家内は満月が途轍もなく大きく見えたと言う。それはわかるが、勘違いで、月の大きさは変わらない。だが人間に勘違いがなければ人生は味気ない。他人がどう思おうが、誰しも自分のしていることは最高と思いたいものだ。その絶対的勘違いが幸福と呼ばれて明日も生きようという活力の源になり得る。先日アメリカ人の夫を含む家族3人が惨殺される事件が埼玉であって、殺した40男は大阪の芸大を出て映画の道に進んでいたという。両親が離婚し、母も妹も家を出て行ったのに仕送りを受けてひとりで住んでいたそうだ。それだけでも大いに恵まれているのに、なぜ他人に危害を加えるのか。一言すれば甘えているからだ。自分の才能を信じて生きて来たはずが、思うようにならないことに人生に幻滅したのだろうが、家がなく、金もない人はたくさんいる。他人と関わって生きて行かねばならない境遇に追い込まれなかったところに、その男の中途半端な金持ちの悲惨さがある。ところが世間ではその男と同じように家にこもっている者が増えているようで、彼らの立場に理解を示すべきという養護論が幅を利かせている。一方で自己責任論は相変わらず根強く、筆者はどちらに近いかと言えば、後者だ。それは一見薄情に思われるが、中途半端な同情は無責任で、頑張る気力のない者に手を差し伸べる時間を筆者は自分のために使いたい。筆者は少年期、青年期は極貧で、教科書を満足に買う金がなく、古本屋で買った教科書が数年前の改定前の内容であることを授業中に知った時の無念さは忘れられない。それでも努力するしかないし、またその気力が筆者にはあった。家にこもって親から仕送りを受けて時間を無駄に過ごし、挙句他人を殺すなど、全く無意味な人生だ。それを本人は知っていると思うが、量刑となればまた同じことを繰り返すだろう。甘えの性質は生涯変わらない。大人になれば自分の責任で人生を切り開いて行く。間違っても他人の肉を切り開いてはならず、自分もそうされたくはないだろうに、人を兎と思っているのか。
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# by uuuzen | 2023-01-07 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)

時々ドキドキよき予告

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