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●「炎天に 晒し続けて 吾気づく 鶏頭の花 早く色褪せ」
示して 共感得ても 聞き流す 理解に誤解 常に混じりて」、「枯れた花 描くは悲し 老画家の じっとり手見る 皺の目立つを」、「今年もか もう勝負あり 鶏頭の 小さき花も 色を失い」、「どうすれば 立派に咲くや 鶏頭花 吾になびかず 気難しきや」
●「炎天に 晒し続けて 吾気づく 鶏頭の花 早く色褪せ」_b0419387_22485757.jpg 今年の異様な猛暑のため、裏庭の鶏頭の花は貧弱なまま大半が枯れてしまった。その原因は高い気温が続くのに水やりを怠ったからかとなれば、毎夕たっぷりと水やりを欠かさなかった。鶏頭の花に何が不満であったかを訊くわけには行かない。たぶん日の出から日没までずっと日光に当て過ぎたためではないかと思う。鶏頭は夏の花で、日射量が多いほどにいいと筆者は思っているが、そうとは限らないかもしれない。というのは、嵯峨のスーパーへの途上、毎年立派に咲かせる庭は西向きで午前中は日が当たらない。またそのすぐ近くの布団屋の隅の植え込みに別の品種の鶏頭が咲いていることを先日知ったが、そこは東向きで陽当たりはあまりよくない。それらの例から、わが家の鶏頭はわざわざブロック塀の上に置かずとも、地面に鉢を並べてもよかったのではないかと今頃反省している。同じ状態で育てたのは今年で3年目だが、三度も挑戦していずれも満足のいく開花でなかったことに気づくとはよほど筆者は栽培音痴で、花を育てる資格がない。ずぼらな性格であるから、放置しておいても勝手に逞しく咲いてくれる花との思いもあって鶏頭を育て始めたのに、厳しい環境に晒し続けると充分に育たないのは当然だろう。つまり、6月からは地面の半日陰になる場所に移動させればよかった。しかしもう遅い。今日の写真は昨日撮った。ややピントはずれているが、最初から地面に置いた鉢植えの鶏頭の花のうち、最も立派に咲いた1本だ。他の花はもっと小さいか、大部分はとっくに枯れてしまい、これまでで最低の開花状態であったことはわかる。タネ蒔きの時期がやや早かったので早い目に花が終わるのは当然だが、それにしても花の大きさが小さい。購入した種子の一袋の半分を遅蒔きとし、その開花をザッパロウィンのある11月上旬まで持たせるつもりで、隣家の裏庭の地面を耕して蒔いたのに、全く芽を出さなかった。そのことも不思議だ。早蒔きと同じく、鉢に撒けばよかったことになるが、適当な鉢がなかった。ともかく貧弱な花しか咲かなかった原因は、これまでにない猛暑続きであったということにしておこう。今年の鶏頭が残念なもうひとつの理由は、黒いゴマのような種子がごくわずかにしか出来ず、収穫する間がないままに大半の花の色はすっかり抜け落ちてしまったことだ。来年はまた新たに種子を買うが、昭和時代に見たような背丈の高い品種のものは人気がないのか、またそもそも鶏頭を育てる人はわずかなのか、筆者好みの状態に咲く種子の販売はない。それで前述した布団屋の敷地の片隅にひっそりと咲くものからいずれ種子をこっそり採って来ようと思っている。
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# by uuuzen | 2024-09-07 23:59 | ●新・嵐山だより
●「とんび凧 竿に釣られて 狂い舞い 烏寄らぬは 君子の自覚」
束を した覚えなし 神仏は 頼られる価値 あるだけのもの」、「侮り屋 落ち目になりて 侮られ 今に見ていろ さらに落ち目に」、「ボブ・ディラン ノーベル賞を 得て歌う 風に吹かれて 人舞い上がる」、「凧飛ばし 電線に触れ 感電し 関電知りて 死ぬはあかんで」
●「とんび凧 竿に釣られて 狂い舞い 烏寄らぬは 君子の自覚」_b0419387_11401008.jpg
今日の写真は2年前の5月下旬に撮った。嵯峨のスーパーに行く時には必ずこの建物の屋上のとんび凧を目にする。釣り竿の先端に取りつけられたその出現は2年前の春だったと思うが、去年秋に姿を消した。風雨で破損したのかもしれない。この凧は烏避けだ。阪急嵐山駅前のホテル花伝抄や付近のマンションの屋上の庇に百羽ほどの烏が日没頃にずらりと並んで止まり、周辺を飛び交う。やがて山に帰って行くが、住民は糞害に憤慨するのだろう。また烏が共謀して人を襲う狂暴さを見せる場合もある。そう言えば2、3年前、自転車で走っている筆者のオレンジ色の帽子の上に烏が止まったことがあった。1秒ほどのことで、烏はからかってやれと思ったのだろう。話を戻して、2、3か月前にこのとんび凧は復活した。新たに購入された同じものだろう。風が強い日はくるくる回り、「とんびはくるりと輪をかいた」という昔の歌謡曲の歌詞を思い出すが、直径2、30メートルの大きな輪であればまだしも、この凧は数メートルの範囲内でもがいている。烏はそれを見て笑っているに違いない。『あのとんび、かわいそうに紐にくくられ、きりきり舞いやん、クゥワッ、クゥワッ!』それはさておいて、このとんび凧は日が暮れる前ならば「風風の湯」の浴場から見える。ごくたまに筆者は午後4時頃に同温泉に行くことがあって、体を洗って最中、露天風呂を隔てる大ガラス窓から桂川対岸の2、300メートル先にこの凧を目にする。そのことを去年12月中旬に福知山の養老温泉に嵯峨のFさんとともに連れて行ってもらった太秦のMさんに言ったことがある。Mさんは今年の6月までは「風風の湯」に来ていたのに、すっかり姿を見せなくなった。そのことをFさんと何度か言い交していて、先日またそのことを話題にすると、Fさんは「あいつ、死んだんとちゃうか」と言った。冗談と受け止めて笑ったが、とても元気であった自治会内のWさんが今年ひっそりと死んだことを思えば、予想外のことが起こっても不思議ではない。とはいえ、今日こうしてとんび凧の写真を掲げるのは、半年ほど見なかったそれがまた同じ場所で元気に舞っていて、猛暑が過ぎればまたMさんはやって来ると思っているからだ。その時、Fさんが言ったことを伝えると、いつもの笑顔でFさんをたしなめるだろう。「そう簡単に人を死なせたらあきまへんで。」Mさんの連絡先はわからないが、たまにこのブログを読んでもらっているようで、噂されていることを知る機会はある。それを思って書くと、姿を見せなくなる直前にMさんが指摘したFさんの後頭部の円形脱毛は少し大きくなりました。
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# by uuuzen | 2024-09-06 23:59 | ●新・嵐山だより
●「ここならば 見えて見られる 高みかな 吾は鷺なり 吾先になり」
まにはと 縄張り出でて 屋根の鷺 干上がる小川 魚おらずも」、「若冲の 墨絵になるか 屋根上の 休むゴイサギ 辺りを睨み」、「ペットには なりはせぬぞと 白鷺の 生きた魚を 見つけパクリと」、「鷺の舞う 桂川には 鵜が混じり 白黒碁盤 白が優勢」
●「ここならば 見えて見られる 高みかな 吾は鷺なり 吾先になり」_b0419387_18525034.jpg
今日の昼頃、家内が2階で洗濯物を干している最中、大きな鷺が屋根の上に止まっていると言う。今年は人生で初めて経験した猛暑日の連続で、筆者は2階に陣取ってパソコンの前に座っているが、家内が言う鷺を確認するために立ち上がり、窓の外を見ると、今日の写真のように屋根の先端にゴイサギがいた。烏のように群れず、堂々たる貫禄だ。同じ鷺はたまに裏庭の真上を飛ぶので、わが家の近辺は縄張りなのであろう。また「風風の湯」の際を流れる桂川支流の堰の端にたいてい陣取って魚を狙っているが、別の純白のコサギが反対側にいて、二羽が仲よく並んで魚を狙う様子は見たことがない。大雨の後、その堰がダムの放水のような轟音を立てての大量の水の流れになれば、鷺たちは普段魚を狙う場所に立てず、どこかに避難して姿を見せないが、餌にありつけないだろう。となれば豪雨が数日続けば鷺は空腹を抱え続けるが、そういう過酷な日が年にいくらかあるのが自然だ。毎日好きな食べ物にありつけると思っている経済にゆとりのある人間は不自然であって、ホームレスのほうが自然ということになりそうだ。何事も「ある時はある、ない時はない」で、「551の豚まん」のTVコマーシャルは自然の摂理を見通して含蓄がある。で、鷺に話を戻すと、屋根のてっぺんに立って周囲をゆっくり見回している様子は、眼下の小川のどこに魚がいるのかと思索しているのではない。今は小川は水がほとんど流れず、魚はおそらく泳いでいないからだ。空腹を抱える日のある鷺ならば、常に食べ物のことを考えて行動しているかとなれば、そうではないはずだ。満腹かそれに近い状態であれば、ひとまず魚以外のことを夢想する心の余裕がある。犬や猫もそうだ。その心の余裕を想像すると、人間と同じで、さまざまなほとんどどうでもいいことであって、人間で言えば芸術や哲学、あるいは他愛ない独り言に相当する。鷺は嘴が箸のように尖って魚をくわえることは出来ても、人間の手指に相当するものを持たないので、道具を作り、文字を書く必要もない。それが人間より進化が遅れているとは一概に言えず、人間が没滅へとまっしぐらに歩んでいることを鷺は知りながら素知らぬ顔をしているかもしれない。それはともかく、昨今流行りのタワーマンションに住めば、自宅から間近に鷺を見ることは絶対にない。筆者は子ども頃からマンションが嫌いで、地表近くで暮らしたい。タワーマンション住民はその考えを時代遅れと笑うだろうが、昔からアホと煙は高い所を好むと言うではないか。裏庭には烏や鳩はどうでもいいが、雀や鶯、ヒヨドリ以外に美しくさえずる野鳥が何種類も飛来する。
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# by uuuzen | 2024-09-03 23:59 | ●新・嵐山だより
●「朝の4時 夢から目覚め 喉乾く 庭のコオロギ 雨にひるまず」
列の 出来る店でも 暇はあり 空いているのは 客には嬉し」、「交代で 休んで回る 地球かな 眠る間も 誰か働き」、「昔見た 夢思い出し さあ眠る 意味を探るな 味わえばよし」、「夢の絵の つまらなきこと 知る人は 無邪気装う 邪気を嫌いて」
●「朝の4時 夢から目覚め 喉乾く 庭のコオロギ 雨にひるまず」_b0419387_23435626.jpg 筆者は10年ほど健康診断を受けていない。区役所から早急にどこかの診療所に行けと督促状を送って来る。昨夜「風風の湯」のフロント係のSさんと帰りがけに立ち話をしたところ、去年11月に前立腺癌の治療で入院したと言う。健康診断は月一度受けていて、それで早期で見つかった。筆者より5歳年長で、後期高齢者になると男は前立腺癌は珍しくない。Sさんは自覚症状が全くなかったそうで、健康診断で身体の異常を見つかってよかったと言った。筆者は自分の体の不具合は自分でわかると思っているが、今年の夏は特に水分をよく摂り、朝から家内曰く1リットルはお茶を飲んでいるとのことで、またそれが昼食や夜でもそうで、喉がそれほどに乾くのは絶対に内臓のどこかがおかしいと言う。それはさておき、寝る前に大きなコップ一杯の冷たいお茶を飲んで寝ることにしているが、今朝はまだ暗い間に喉の渇きで目覚めた。部屋の温度が28か29度なので、クーラーを1時間だけつけて寝たが、それが切れて部屋が暑くなったので目が覚めた。それで窓を少しだけ開け、冷たい水を飲みに階下に行った。時計を見ると4時5分前だ。冷蔵庫から氷を取り出し、コップに入れて水を注いで一杯を飲み干した。すぐ隣りに眠っている家内は鼾をかいて目覚めなかった。そっとまた敷き布団に寝転がり、眠ろうとしたが、目が冴えた。裏庭のコオロギの澄んだ鳴き声が何匹か重なって聞こえ、『台風が直撃せずに少し涼しくなってコオロギも気持ちよさそうだ』と思っていると、突如大雨が降り始めた。豪雨と言ってよいほどで、軒に当たる音が凄まじい。家内の鼾は変わらず、コオロギが忙しく羽をこすり合わせる音も全く同じだ。もちろん聞こえる音の9割を雨音が占め、コオロギと家内の鼾は合わせて1割ほどに聞こえていたが、コオロギは雨でもリズムを崩さない。裏庭にはコオロギが雨宿り出来る大きな葉はたくさんあって、そのどれかの下で雌を誘っているはずだ。枕元にカメラがあることを思い出し、真っ暗な中、寝ながら少しだけ開けた窓を向いて写真を1枚撮った。20分ほどゴロゴロしながら、コオロギは1秒にだいたい3回音を発しているかと思っていると、寝入った。目覚めたのは8時20分だ。雨はすっかり上がって蒸し暑い。コオロギも休みで、夜間労働者だ。今日家内と自転車で嵯峨のスーパーに行くと、「夜間従業員募集」の張り紙があった。給料は26万数千円で、昼夜逆転でその金額で働く人があるのかと思った。筆者は比較的夜型だが、コオロギのような生活は無理だ。しかし世の中は誰かが眠っている間に誰かが働いている。人間の頭もそうで、夜は夢を見るのに忙しい。
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# by uuuzen | 2024-09-02 23:47 | ●新・嵐山だより
●「目印の V字橋脚 ひとつのみ 樹木繁茂し 視界を狭め」
下の文 前にも書いた 気がしつつ もっと下手かと 衰え自覚」、「振り返り やる気失せるや 吾日々の ろくでなきこと ゴミ屋敷かな」、「これ知った あれを知りたい 次は何 知らずに過ぎる こと限りなし」、「限りある 時を知るのに ぼんやりと するも大事と ごまかしうまし」、「ごまかして いかに巧みに 生きるかが 気楽の極意 三つ子でも知る」
●「目印の V字橋脚 ひとつのみ 樹木繁茂し 視界を狭め」_b0419387_18370696.jpg
一昨日は家内と大山崎山荘美術館に行って来た。2階のテラスから撮ったのが今日の最初の写真だ。その左手は視界を遮っている木立ギリギリに、右手はずっと奥の男山の端でトリミングし、三川合流地帯を中心に収めた。以前の投稿を調べると、9年前の7月に「高速道路の異様な威容」と題して同じテラスから同じように撮影している。2枚の写真を比べると、左手の木立が大きく成長していることがわかる。京都縦貫道の普段はVに見えるY字型の橋脚が、9年前は3つとも見えていたのが、現在はひとつしか見えない。この橋脚を走る京阪電車の内部から撮ったのが去年11月12日の投稿で、その2枚目の写真に国交省が設置した「木津川」と記す緑色の看板が見える。地図を見ると、京阪電車はまず宇治川をわたり、その後線路はS字型に蛇行して木津川をわたるので、前述の投稿の3枚の写真は最初が宇治川をわたった直後、2、3枚目が木津川をわたっている最中であっことがわかる。それはともかく、2,3枚目に写る縦貫道のY字橋脚は木津川ではなく、宇治川のものだ。それら3か所をグーグルのストリート・ヴューを頼りに確認し、地図上に赤い丸で記したのが今日の2枚目の画像だが、Y字橋脚は宇治川だけではなく、桂川にもあるはずと思ったところ、やはりそうで、同じように3か所あった。これら3か所ずつは、ひとつが河川の中央辺り、もう2か所が河川敷に設置されているのは当然のこととして、鉄筋コンクリート製ではなく、もっと頑丈な鉄製のしかもY字型にしたのは、大洪水時に流されないためであることもよく理解出来る。木津川にY字橋脚がないのは、かつての巨椋池の中央と言ってよい久御山町のジャンクションから縦貫道路は真西に走り、木津川をわたる必要がなかったからだ。それで三川合流付近で木津川に架かるのは京阪の鉄橋と、木津川御幸橋のふたつで、大山崎山荘のテラスからはどちらも見えるが、山荘により近い御幸橋は今日の最初の写真でもよく確認出来る。橋の側面下部が赤く、それは遠目にもわかる。そしてその写真左手に写っているY字橋脚が宇治川に架かっているものであることも、去年11月12日の投稿に載せた写真からも明らかだ。今日の2枚目の地図で言えば、6つの赤い点のうち、最も南のY字橋脚のみが夏場の山荘のテラスから見えることがわかる。木が葉を落とす冬になっても見えるのは宇治川のそれら3つで、桂川の3つは密集する樹木によって隠されたままだ。
●「目印の V字橋脚 ひとつのみ 樹木繁茂し 視界を狭め」_b0419387_18372777.jpg
 昔はテラスから伏見桃山城が見えた。テラスとの位置関係を記したのが2枚目の画像の上の地図だ。地図の右上端が城、左下が山荘で、21キロ離れている。双方ともに山中にあるが、山荘から見れば城は山の上に突き出ていて、天守閣であることはわかる。2枚目の画像の下の地図は上の地図を山荘付近をトリミングしたもので、緑色の線を加えた。それはテラスから宇治川にある3つのY字橋脚が全部見える冬場の視線だが、赤線から大幅に南寄りとなって視野が狭まっている。テラスから近い左手に樹木が生い茂ったためで、この美術館の開館当時の昔はまだ充分に育っていなかった。つまり今日の最初の写真の左端の木々の背丈がもっと低ければ、桂川の3つのY字橋脚が見え、そのずっと奥の山手に天守が見えた。その眺望が戻ってほしいが、それにはせっかく育った木をかなり伐採せねばならない。テラスからの視界が狭まって来ていることをこの美術館は知っているはずだが、視界を樹木で遮ったのは、縦貫道の大山崎ジャンクションを見えないようにするためで、桜で有名になって来た背割り堤を中心に三川合流地帯を中心に見せるのが、無粋な眺めにならなくてよいとの判断だろう。2枚目の地図の赤線の視線が可能であれば、5月29日の投稿『乗興舟』に示したかつての桂川と宇治川の合流箇所や淀城跡も見えた。もちろん伏見港も見えたので、若冲と大典和尚が三十石で下っている様子はすべて視界に入ったが、江戸時代のこの山荘辺りの植生はわからず、ひょっとすればもっと樹木が多かったかもしれない。たぶんそうだろう。山荘を建てるため、またそのテラスからの眺めを確保するために多くの樹木を取り払ったはずで、現在のテラス左手の木々の多さは江戸時代に戻しているのかもしれない。それはともかく、今日の3枚目は『乗興舟』の「山崎」と「八幡」を中心とする部分を白黒を反転し、緑色に加工し、大典の記したそれら地名は読みにくいので赤い楕円で囲った。『乗興舟』での山の眺めはこの辺りが最も川に迫って圧巻だ。またあたりまえのことだが、現在の眺めと同じで、そのことは京阪電車の中からでもわかる。同絵巻で「山崎」の文字は山中に書かれるが、その文字付近がこの美術館だ。つまりこの絵巻の景色は今日の最初の写真とちょうど反対方向にある。そう思ってテラスから眺め下ろすと、今日の最初の写真の光る川面が目に入る。それは御幸橋の位置からして木津川であることがわかる。眼下では三つの川は平行し、1,2キロ下流で合流する。『乗興舟』の時代とは違って巨椋池がなくなり、宇治川の流れが変わりはしたが、三川が淀川となって大阪に向かうことは同じだ。大阪で成人し、その後京都に住んでいる筆者はこの美術館のテラスからの眺めや『乗興舟』にはひときわ愛着がある。そう言えばいつか『乗興舟』展をこの美術館でやってほしい。
●「目印の V字橋脚 ひとつのみ 樹木繁茂し 視界を狭め」_b0419387_18374471.jpg

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# by uuuzen | 2024-08-30 23:59 | ●新・嵐山だより

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