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●ムーンゴッタ・2024年2月
には なれぬジャリだと 囁かれ 踏まれ蹴らるも さざれ祝おう」、「南天の 赤き葉のそば 菫咲き 吾立ち止まり しばし見惚れし」、「夕闇に どっちつかずの 菫色 やがて赤増し こぼれる笑みかな」、「満月を 模した灯りの 裏眩し 光ばかりが 望むところか」
●ムーンゴッタ・2024年2月_b0419387_22391940.jpg
京都の新風館が増築されるという話を甥から聞いたのは10年ほど前か。20年近く前はシュマイサーがその2階の一室で個展を開き、夕方に訪れた。会場にいたのはシュマイサーだけで、作品を一巡して見た後、少し言葉を交わし、持参した彼の本にサインをもらった。その時がシュマイサーと会った最後となった。それ以降新風館に出かけたことがなかったので、今月24日に訪れた時は昔の面影がほとんどなかったので驚いた。しかし現在の様子しか知らない人は数十年後にまた改築された時、同じ感慨にふけるだろう。ところで、人間は本質的に変わらないとはいえ、たとえば睡眠中の夢も時代や住む場所、当人の行動範囲によって全然違ったものになる。筆者は出かけるとよく歩き、道に迷うことが多々あり、夢は架空の街角がもっぱら登場する。目覚めている時にその夢をふと思い出し、現実とイメージがだぶることがままある。今後は老化のせいで現実と夢の区別がもっと曖昧になって来そうだ。生活に支障がなければよいとはいえ、他者に迷惑がかかる場合があるかもしれず、高齢になればなお自覚すべきだ。となれば外出しても用事だけ済ましてさっさと帰宅するに限る。これまでそうして来たのでそのことに抵抗はないが、前述のように個展を訪れるとなると作者と話す機会は生ずる。まあそれも作者が筆者を無視すれば何も起こらないし、そういうことはよくある。作者が会場にいなければ作品だけ見て作者の人柄を想像する。たいていの場合、それで充分だ。作品が魅力的であれば作者もそうで、その反対も言えるからだ。それに稀にしか魅力的な作品には出会わないから、本当のところは作者と話す必要はない。作品と作者は別とよく言われる。優れた作品は作者が優れた何かを持っていることの証で、優れた何かがあることは人間性に問題があることとは無関係であるにしろ、その人間性に問題云々は誰がどのようにして決めるのかという疑問がある。それに人間性に問題のない人はいない。ある人にとってよい人が多くの他者にとっては害悪以外ではないということがままあることは誰でも知る。結局のところ、作品は作者の一端を示し、それが真実味を持って鑑賞者に伝わるのであれば、作品の背後にいる作者の人格も肯定される。そのように人は元来信じたい存在だ。作品から何かを感じ取って気分が高揚することはたぶん人間以外の動物にはなく、神々しいことと筆者は思う。つまり、人間が人間たるゆえんは芸術を生み出し、またそれを大切に感じる能力を持っていることだ。
●ムーンゴッタ・2024年2月_b0419387_22395253.jpg 今月12日は兵庫県立美術館で安井仲治展を見るために家内と神戸に出かけた。家内に時間を尋ねると、1時40分とのこと。思った以上に鑑賞が長引き、最後の2、3部屋は見ずに同館を後にした。山手に向かって小走りに急ぎ、横尾忠則美術館に着いたのは2時5分か10分であった。家内に言わなかったが、同館で461モンブランのコンサートが2時から開催されることをX(ツイッター)で知っていたので、ついでに見ようと決めていた。百席はすでにいっぱいのようで、筆者らは最後尾に座った。館長だろうか、男性が左横手で開演の辞を述べていて、どうにか開演に間に合った。演奏は30分ほどで終わり、筆者は即座に舞台に駆けつけ、山下カナさんに話しかけた。すると背後に高齢女性がいて彼女に話しかけたので、筆者は遠慮し、森さんに声をかけた。「24日の京都は四条烏丸のどこですか」「新風館です。まだ告知はありませんが」「そうですか、行ければ行きます」Xには四条烏丸で演奏があると書かれていたが、新風館はその交差点からは北に早足で徒歩10分の距離だ。間近にならなければ告知出来ない理由が新風館にあるのだろう。それはいいとして、24日の今日また家内と出かけた。まず堂本印象美術館で最終日の企画展をまず見て、それからバスを乗り継ぎ、歴彩館に調べものに行った。12日に訪れた兵庫県立美術館の資料室になかったからだが、今度はさすがにあった。461モンブランの演奏は午後に3回あって、1時半、2時半、3時半と思っていたが、1時半はなく、代わりに4時半であった。それはともかく、堂本印象美術館を訪れる際、筆者は東端の道路際の細い階段を上る。今回もそうしたが、斜面の植え込みの根本付近に紫色の菫の花がたくさん咲いていた。今日の最初の写真のように、その珍しい眺めを即座に撮ったはいいが、帰宅して確認すると色合いが全然違って少しもきれいでない。自然はそのままで美しい場合があるが、やはり感動を自作の何らかの形で表現するしかない。筆者は即座に菫の小さな花を散らしたキモノを思い浮かべた。昔ヴィオラ・スミレを題材に多くのキモノを作った。和菫ではもっと可憐なものが出来るだろうか。話を戻す。歴彩館を出て府立大学前のバス停付近に至った時、家内に時刻を訊くと、3時10分とのこと。すぐにバスが来ても新風館に3時半に着くのは難しい。市役所前で下車し、そこからまた家内をはるか後方にしながら西に向かって急いだ。新風館の北門に着くと、中庭が見え、アコーディオンの音が聞こえた。時計を持っていないのでどれほど遅れたのかわからないが、ともかく演奏の最中でよかった。中庭には蛇行した小径があり、そのところどころに球体の石が置かれていた。いつもなら必ずそれを立ち止まって撮影するのに、後でいいと考えて演奏中の461モンブランの前に進んだ。
●ムーンゴッタ・2024年2月_b0419387_22400596.jpg ブログでは長年載せていないが、各地で撮影した同じ丸い石の写真は数十枚はある。その形は阪神尼崎駅近くのスーパー「アマゴッタ」の前に置かれる鉄の丸い塊の彫刻と同じで、筆者は勝手に「ゴッタ」と呼んでいるが、その最大は満月だ。それを「ムーンゴッタ」と命名して毎月の満月の写真をブログに載せて来た。それはいいとして、山下カナさんはそのひとつの「ゴッタ」のすぐ際に立って演奏中で、キモノは菫色であった。小柄な彼女にその色は似合う。演奏を聴いていると遅れて来た家内が461モンブランの背後を歩き、筆者の後方にゆっくりと移動した。最初に聴き逃した曲が何かを知りたいために、演奏終了後にまた山下さんの前に行った。片付けに忙しい彼女は筆者の質問に答えてくれなかったが、家内がやって来て彼女に挨拶をした。てっきり筆者はその時の演奏が最後と思っていたのに、それは早合点でもう30分すれば最終の演奏があることをふたりから聞いて知った。寒い日で、ふたりは手がかじかんで指が動きにくいと言い、そうこうしている間に新風館の係員の男性がやって来た。そこで筆者らも場を後にし、係員がふたりを控室に案内するためにエレベーター前に着くのを横目に東門から外に出た。だが次の演奏まで30分ではないか。新風館のあちこちをうろつくだけでそのくらいの時間はすぐに去る。ところが家内は大丸に行くと主張する。筆者はしぶしぶ着いて行き、地下の売り場で別れて待ち合わせをすることにした。「さっき聴き逃した最初の2曲ほどがどういう曲か知りたいだけやし、4時40分には戻って来るし」「せやけど、さっきは怖い顔して前で見てたから、あれは格好悪いで。迷惑がられているかもしれへん。何かプレゼントでも持って来たらまだええけど」「プレゼントは考えるんやけど、荷物になっては悪いしなあ」だが家内の言葉になるほどと思う。古稀過ぎの年齢でストーカーしているかのような自分の姿を顧みると、確かに格好悪い。若者かダンディであれば話は別だが、予告なしに急に眼前に姿を見せ、しかも最前列に陣取っては、いかに彼らが客を前にしての演奏に慣れていても戸惑いはあるだろう。そう思うと、乞われるのでもない限り、ライヴハウスに行くことも控えようという気になる。筆者は自分の年齢を気にしていないが、現実はそれではよくない。前にも書いたことがあるが、演奏会場を訪れたことを悟られないようにして、そっと聴いてそっと出る。夕暮れの中、そう思いながら新風館に向かって北上した。会場に着くとちょうどふたりは演奏の準備中で、筆者は姿を見られなかったはずだ。つい先ほど演奏を聴く際に背にした褐色の鉄板を張った方形の太い柱の後ろに隠れて立った。そして中庭の北方上部に掲げられた直径2メートルほどの白い板を見つめながら、結局30分の演奏を全部聴いた。そして大丸の地下に急ぐと、家内は外に出て筆者を待っていた。
●ムーンゴッタ・2024年2月_b0419387_22402678.jpg 演奏曲目は第2回目とは全部違っていたと思う。そして当日の三度の演奏はみな曲が違った可能性がある。本人たちに訊いていないが、たぶんそうだろう。12日の神戸での演奏と今回の演奏は、また感想を書こうと思って出かけたが、書く時間が見つけられそうにない。それに書いて喜んでもらえるとは限らない。存命中の人のことを書くのはある種の勇気がいる。あるいは金森さんがいみじくも言ったように、無邪気さだ。筆者のその無邪気は悪気があってのことではないが、相手はそうとは受け取らない場合がある。ライヴハウスでは、筆者はなるべく演奏者と話が出来る機会を求めている。ブログに決めている原稿用紙9枚の文章を書くには、演奏に接しただけでは話が続きにくく、またとんちんかんなことを書きかねないからだ。とはいえ、演奏者と話が出来ない場合のほうが多い。461モンブランはその部類で、会話らしいものがほとんど得られない。だがその壁のような隔たりがいいのだろうし、主役となる演奏者はそれを意識すべきと言える。開高健が熱烈な読者から飲み会の誘いを受けながら、それに一切応じなかったのは、スター気取りとの偉ぶった意識だけからではなく、読者の幻想を壊したくないからでもあったはずだ。スターにもファンにも節度が求められ、気安く交わることは避けたほうがよい。筆者は3枚目の写真の左端に映る鉄張りの柱の陰に立ちすくみながら、その行為の趣味の悪さを思いながら、陰で応援している思いに塗り替えた。新風館は今回のように無料の演奏会などの催しをまま開いているようだ。満月の日は毎回催事があるのだろう。そして当日は雨でない限り、中庭に面した建物の最上階近くに満月を模した白い板を掲げ、夕方になればそこに当夜の満月を映し出す。それは望遠鏡のカメラで撮影した満月をリアルタイムで白い板ぴったりに収めて上映するもので、今回は上映し始めた頃、白い板上で満月は固定せず、わずかにずれがあって端に三日月状の余白が生じていた。また満月は移動するから、当夜は閉館までの5,6時間、望遠鏡に付きっ切りで満月をストーカーする人が必要だ。本物の満月は夜空にあるから、映写は無駄な行為のようだが、京都の中京は高いビルのために満月は見えにくい。461モンブランの演奏が終盤に差し掛かった時、白い板に満月のクレーターがどうにか識別出来るようになり、その後は5分ほどで満月ははっきりとわかった。そうして撮ったのが今日の4枚目の写真だ。筆者は満月のほとんどを自宅付近で撮影して来たが、今回の新風館のプロジェクション・マッピングは461モンブランの演奏があって知り、また雨でなくて運がよかった。ただし球体ではなく、円盤であるから、「ムーンゴッタ」とは正確には呼べない。それで帰宅後に「風風の湯」に行くことにし、家を出てすぐに満月を撮った。木立の陰は開花前の枝垂れ桜だ。
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# by uuuzen | 2024-02-24 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
●『魔の山』
門を 自認する人 しょうむない 模倣の句詠み むほほ自惚れ」、「教養の 漢字知らずも 仲間あり 群れて馴れ合い 心はだはだ」、「落とし前 自らつけて 男前 誰も褒めずも 天晴気分」、「死を想い 今が大事と 何もせず お目目を森に 向ければ夕日」●『魔の山』_b0419387_11503503.jpg ここ数日の投稿は今日の『魔の山』についての感想の序みたいなものだ。そして今日は重い腰を上げてその小説について書く。気が思いのはいつも以上に考えがまとまらないからだ。それほどに『魔の山』は簡単にはまとめられない多面性を持っている。物語の起承転結のみに関心がある人にとっては本書の大部分は面白くなく、10分の1程度の量で書き替えられると思うだろう。だがトーマス・マンはそうしなかった。作品はそのままの姿で受け手は鑑賞すべきで、長編になっていることはそれなりの理由を把握し、また楽しむべきだ。以前に書いたことがあるが、17、8の頃に学友Uが分厚い文庫本を読んでいた。題名を問うと笑顔で『魔の山』と答えてくれた。Uとは卒業後一度も会っていない。そのためUが『魔の山』をどのように読み、その後どのように関心を広げたか知らない。また筆者がUとのそのごくわずかな対話を半世紀以上も何度も反芻し続け、ようやく読破し、こうして感想文を書くことUは想像だにしないはずで、そう考えると縁の不思議さをつくづく思う。筆者の関心事は20歳までに完成した。もう少し広げて20代半ばまでだ。幸いその頃は日本の高度成長で、初めて実物の作品が展示される画家の展覧会が目白押しの状態であった。その時期に筆者は遭遇して幸運であった。もちろん今はネットでそうした情報は瞬時に得られるが、実物との遭遇はやはり価値が断然違う。話を戻して、Uが『魔の山』を読んでいた頃、筆者はその題名を知っていたが、ドイツ文学は誰しもまずゲーテやヘッセを読むのがもっぱらで、トーマス・マンはやや敷居が高かった。それに当時書店で毎月買っていた河出書房の世界文学全集にはマンの作品は『ブッデンブローク家の人々』のみがあった。筆者は読むならばまずはもっと長編の『魔の山』を、またそれを新潮世界文学全集にある一冊でと決めていた。その理由は版型が河出書房の全集より小ぶりでデザインがよく、また1冊にまとめられていたからだ。新潮世界文学全集は河出書房の全集より少し遅れて69年か70年から刊行されたと思う。手元の『魔の山』の奥附は71年1月の発行となっていて、筆者19歳だ。その本を入手したのはネット・オークションで昨年の夏ことだ。本には注文票が発行時の状態のままで挟まり、栞紐も指を触れた形跡がなく、半世紀前に購入した人は箱から出さず、繙かずに死んだのだろう。昔は文学全集の刊行が流行し、多少教養に関心のある人は買った。ところが多くは読まれず、やがて邪魔もの扱いされて古書店行きとなる。そして筆者のような酔狂な人物が買うが、またそのままになることはよくある。
 筆者が10代で本書を読んでいれば人生が変わったかと言えば、それは何とも言えない。半世紀経った分、理解度は高まったと思うが、老いたことで感激の精神が磨滅しているかもしれない。それはさておき、本書の読破によって新たな関心がいくつか湧き、読んでよかった。読書の愉しみはそこにある。長年の気がかりを解消出来たことは言うまでもないとして、言葉のみで構築された本の見事さ、その可能性を目の当たりして圧倒された。世間に存在する小説は何十回生まれ変わっても読みこなせない量があるから、読むならコスパを考えて名作を優先したい。他の芸術でも同じで、質の高い感動を求めるのであれば評価が定まったものにまず接すべきと思う。そしてどのような芸術でもその実物にまともにしかも孤独に対峙せねばならない。『魔の山』は400字詰め原稿用紙で2500枚弱の文章量で、筆者は読み終えるのに3週間以上要したが、そのようにある程度の月日を要して読み進めるのがこの本ではふさわしい。それは本書の序にあるように時間をテーマにしているからでもある。筆者は『魔の山』もマンのことも全く何も知らずに、また知ろうとせずに半世紀をあえて過ごした。予備知識なしで作品に接することを筆者は絵画でも音楽でも旨としている。その方が感動は大きい。ネット社会になり、コスパという言葉がよく使われる。『魔の山』を読むことはコスパ最悪と考える人が多いのではないか。WIKIPEDIAで手っ取り早くあらすじを知れば金もかからないがそれではよけいにコスパが悪い。本当の面白さ全くわからないうえに、他人がまとめたあらすじを読むことは時間の無駄でもあるし、誤解の可能性が大きくなる。そのため必ず最初からつぶさに読むことだ。途中で投げ出す人はいるはずだが、それは縁がなかったと思うしかない。あるいは理解力の不足を自覚すべきだ。筆者は10代にヘッセの『ガラス玉演戯』を読み始めて途中で放り出したものの、本書と同じように半世紀以上気がかりになっている。そして数年前に本を入手し、それを近いうちに読み始めるつもりでいる。本書も『ガラス玉演戯』もなぜこだわるのかと問う人がいるかもしれない。世の中にはもっと楽しいことが山とあり、アニメやゲームのほうがはるかに気晴らしになると考える大人は多いだろう。長編小説はあらすじを知れば充分で、そうした知識だけでも他人に自慢も出来るし、そのように考えて薄っぺらい知識を物知りのような顔をしてYouTubeで報じている人もいるだろう。筆者はこの文章で本書のあらすじを書くつもりはない。それでは面白味を伝えられないからで、また多岐にわたる内容をどうまとめていいかわからない。いつものように即興で書き連ねることしか出来ず、その熱意のようなものが読者に伝わればと思っている。本書を貫くマンの考えや主人公のそれも一言すれば、その熱意による軌跡だ。
 芸術作品もすべてその熱意が根幹にあるべきで、それが美しい形として受け手に伝わるべきでもある。コスパを言えば、筆者の文章は収入につながらず、最悪のコスパだが、書いておきたい熱意を自覚している。それが熱い状態でいる間に言葉を繰り出しておきたいのだが、即興ゆえに美しい形に整えることは無理で、読者はやはり損したと思うかもしれない。なぜこんなことを書くかと言えば、本書を読んだ時間に見合う価値が充分あってコスパがとてもよかったのだが、こうして書く感想を他者が読んだ時のコスパのよさを筆者は保証出来ない。その点においてマンに申し訳ない気持ちになると同時に自分の能力のなさを自覚もするが、筆者の文章を読む人は多くて数十人で、他者に興味がない筆者は他者を念頭に置かずに書いている。他者とは作品を自ら作らない人のことで、したがってそうした人からどう思われてもかまわないし、そもそも声が届かない。この文章によって本書を読みたい人が出て来れば嬉しいが、10代半ばで『魔の山』やトーマス・マンの名前を知らない人は読みこなせないだろう。名作と呼ばれる作品でも縁のない場合は多々ある。筆者もそうで、偉そうなことは全く言えない。ところで日本の高度成長期は文学全集が流行した。その後出版社はほとんどそうした全集を出さなくなった。ネット時代になってスマホ一台で何でも事足りるようになり、重い本は敬遠されるようになったのだろう。ミニマル主義者はモノがほとんどない部屋が心地よく、文学全集のように物理的に場所を大きく占めるモノがあることを汚らわしく思うだろう。そういう人は、あるのかないのか知らないが、電子本で本書を読みたいだろう。だがそれでは駄目で、分厚い本の重さを常に実感しながら活字を追うべきだ。マンはそのような読み方を念頭に書いた。小説が言葉の巨大な積み上げであれば、電子本でも内容は同じだが、人間が感じる重さは質感が伴なう。紙を触る質感は快感であり、たとえばこうしたネット上の画面上の文字をたどる文章は一瞬で吹き消されるはかなさを本質的に持っている。それでもないよりははるかにましとの思いを抱いたので、筆者は2005年からほぼ毎日ブログを書き続けて来た。さて、本書を1日1節ずつを心がけて読み始めた。最初の方は1節が数ページで、1,2節ずつ読み進めたが、後半になると1節が当初の10倍ほどのページ数が目立つようになった。この不均衡性は12年要して執筆した間のマンの気持ちの変化に幾分は応じているだろうが、後半になるほどに1節当たりのページ数が増すことは、濃密な山場をそこに置いたからだ。もちろん長い1節を数日に分けて読んでいいが、少なくても1日1節と決めれば、かなり長い1節を深夜2時や3時になっても読み終えたい気になる。そういう読者の熱を促すべく物語が構成されているし、そこに読者を飽きさせないマンの周到な計算がある。
 本書の舞台の95パーセントはサナトリウムという閉ざされた小空間で、舞台劇の赴きがある。そこでの人間模様を終始描くのでいわば映画にはとうていなり難い物語であって、本書を元に映画用の脚本を書くことは不可能ではないにしてもマンの思いを大きく無視したものになるはずだ。また登場人物はすべて経済的に豊かで、その意味で二重に別世界の物語だ。トーマス・マンはバルト海に面したリューベックの生まれで、本作の主人公の青年ハンス・カストルプはリューベックから近いハンブルク生まれで、20代半ばで造船技師の見習いの勉強をしている。その彼がスイスのダヴォスに行くことになったのは軍人である友人が肺を病んでサナトリウムにいるのを見舞うためで、当初は2,3週間の滞在であった。それがミイラ取りがミイラになった形でサナトリウムで7年も過ごすことになる。そこは現在の日本で言えば介護つき老人ホームのようなもので、部屋があてがわれ、食事はすべて用意され、患者という言葉は一切出てこないが、サナトリウムの住民は知り合いのグループを作って日々遊んで暮らしている。肺結核が死に直結する深刻な病ではなくなった今、本書の舞台となるサナトリウムは非現実的だが、世間から離れて浮世離れした空間での人間模様は、たとえば会社や自治会、あるいは飲み屋での交流といった形でいつどこの国でもそれなりに存在し、またマンはそのことを知ったうえで、狭い社会での人間模様を描き、そこにまだ世間知のない青年カストルプを置くことで、その平均的市民がどのように変貌して行くかの一例を描くことにした。本書でマンが書くように、本書は「時代小説」であり、また巻末に解説者が形容するように「教養小説」でもあって、その意味では大学生ないし社会で働き始めた頃の人が読むのがいいだろう。だがいつの時代も教養の言葉に拒否反応を示す若者が多いのではないか。筆者が20代の時も同じで、堅苦しいことは避けて娯楽を享受したいものだ。スマホ・ゲームしている若者をよく見るにつけ、いよいよそう思う。だが本書が書かれた時代もおそらく事情は同じで、文字は読めても文盲同然の人は少なくなかったであろう。ネット時代になって何でも即座に手軽に調べられる便利さが得られるようになったのに、相変わらず本書を読む人は昔から同じ少ない割合に留まり、教養を強要されることに拒否反応を示す。知らないことを知りたい、そのことが楽しいと思う人でなければ本書は面白くない。こういうことは本書を進んで読む人にとっては言うまでもないことで、筆者はどうでもいいことに言葉を費やしていることを自覚せねばならない。もっと言えばカストルプは学ぶ意欲のある青年で、あらゆることに好奇心が旺盛で、本書には量子から天文、暦や数学、植物学、美術や音楽、詩など、あらゆるジャンルのことが書かれ、その意味でも教養を求める人しか読みこなせないと言える。
 本書に映画の話が出て来る。100年前の物語なので当時映画はあった。しかしマンはそれを芸術として評価していないことが本書から伝わる。映画の画面に大写しになる俳優の正面顔は鑑賞者に対峙しているが実際はカメラを見つめていて、そこには演技が介在している。しかしマンは俳優業を否定はせず、その点は辻まこととは違ってどんな人間にもなり得ると自覚する俳優業に対してそれも芸のうちと見ていた。映画は次々に消えて行く影で、小説は言葉によって読者にそうした映像を脳内に映じさせ、しかもその映像は読者ごとに違ってその差異を客観的に比較することは神以外には出来ない。それで読者の誰が登場人物の身体や表情、また彼らが動き回る環境を最も濃密な映像として脳内に思い浮かべられるかとなれば、それは比較不可能なことゆえの愚問であり、結局誰しも堪能の度合いで本書を読んでよかったかそうでないかを自身で決めるしかない。またそのこと自体も各読者の心のうちに収められて他者に伝わりようがない。伝わるとすればこうした文章での評価だが、それも本書と同じく言葉の積み上げ以外に方法がない。つまり本書が優れた小説であることを誰かが文章で伝える場合、その文章も優れたものであるべきだ。そう思うので前述のように筆者はトーマス・マンに対してすまない気持ちがあるが、12年要して書かれた2400枚の文章に賛辞を贈るとして、「とてもよかった」的な子どもじみた短い言葉はあり得ず、したがって繰り返せば本書の要約を書く気がしない。それで本書の巨大な構築の中から出た今、バベルの塔を遠目に見る気分で断片的なことを思いつくまま連ねるしかない。さて、読み始めて全体の10分の1程度のところでは筆者は「これなら自分でも書ける」と思い、そのことを何度か家内に言った。そのように気軽の読み進めながら、やがて「これは手強いな」と思い始め、また本書がどのように着地するのか全く予想不可能となり、家内にこう言った。「マンがどういうつもりでこの小説を書き、どういう結末を用意しているのかさっぱりわからない」。ところが先が全く見えない状態が続くことが読み進める原動力になっている。それは音楽と違って読むのにある程度の時間を要する小説では特に不可欠なことで、また先が全く読めないことは人生そのものになぞらえ得る。そう思うとこの小説の凄みがなおよくわかる。さて、本書は大きくふたつの柱が交差している。本書はマンの妻がダヴォスのサナトリウムに入院したのをマンが見舞って2週間滞在したことから着想され、当初は短編となる予定であったのが、12年要して大長編となった。最初のその短編でどういう物語を描こうとしたのかわからないが、長編にした理由は主人公の青年が7年に及ぶ入院中にどういうことを経験し、また自ら学び、人間的に成長して退院後にどうなるかを描くのに多くの文章が必要と考えたからだ。
 ふたつの柱のひとつは主人公の心の成長で、もうひとつはそうさせた外的なさまざまな思想だが、後者は感覚的に本書の4分の1は占め、それはカストルプより年配のセテムブリーニとナフタという思想が相反する持ち主の対話が中心となっている。そしてカストルプも本を購入して興味の赴くままに知識を増やして行くが、それが可能なほどにサナトリウムでは決まった生活を日々送り、毎日自由時間がたっぷりとあり、本書は働く必要のない金持ちの暇人社会を描くことになるが、実際そのとおりで、本書には経済的に貧しい人は登場しない。そのことだけで本書を読むのをやめる人があるかもしれないが、本書のような分厚い小説を読もうとする人はそれなりに時間があり、また本書の主人公のように知的好奇心が旺盛な人であるはずで、本書は最初から読者を選んでいる。また結核は死の病で、サナトリウムでは10代で死んで行く人々もあって、彼らはある日急に食堂に現われなくなり、死体は人目につかないように処置され、部屋は何事もなかったかのように清掃され、新たな入院者を迎える。カストルプがサナトリウムに貼ったその日の描写でもひどい咳をする人が描かれ、またカストルプのベッドは数日前に死んだ人が使っていたもので、カストルプはハンブルクにいた頃以上に死を間近に感じ、それに馴染む。つまり本作は全編を通じて死の気配があり、またそれだけに生が鮮烈に際立つ。先に本書が時間の不思議さについて書くと述べた。本書が7年間のカストルプのサナトリウムでの歳月について書くとして、次第に時間の感覚が曖昧になる。時間は時計の針の動きで計測されるが、人間が感じる時間とはそれとは全く関係がないことは誰しも知っている。楽しいことがあればごく短い時間が永遠に反芻され得る貴重なものとなり、毎日退屈であれば10年が一瞬に感じられる。そのことをカストルプはサナトリウムで改め思い、またその心の動きの上下にしたがって時間が伸びたり縮んだりすることを感じるが、カストルプがサナトリウムで過ごしたことは幸運であったかどうかは別問題だ。仮にカストルプが早々にサナトリウムを退所し、ハンブルクで仕事に就いたとして、そこでの人間模様はサナトリウム時代と同じようにあるかもしれない。なかったとしてもそれなりの人間関係を築くはずで、本書の舞台のサナトリウムはきわめて特殊な環境とは言えない気がする。だが、仕事に埋没する都会生活と違って、結核を治し、体力を取り戻すべきサナトリウム、しかもスイスのという国際的な舞台を設定すれば、あらゆる人種のあらゆる思想が考察し、カストルプにとっては広い世界の凝縮状態を目の当たりにすることになる。したがって本書はダヴォスのサナトリウムという舞台設定は必然であった。繰り返すとそれは暇と金のある閉じた社会で、そこで教養を深めたカストルプがその後それをどう活かすかは別問題だ。
 話を戻して、本書における先のふたつの柱の後者である、カストルプを感化ないし戸惑わせる、そして学習させるセテムブリーニとナフタの思想は、ヨーロッパの歴史と精神をある程度知らねば理解出来ず、面白味を感じない。その程度がどれほどかとなると、たとえばフィヒテと聞いておおよそその人物の思想がわかる程度だ。もっと言えばギリシア・ローマから現代のドイツに至る、またつながっているとされる思想の概略に関心がなければ本書の半分は楽しめない。さらに言えば本書は書かれた時代のドイツを念頭に置く必要がある。読者はニーチェを片目で見つめながらイマニュエル・カントからハイデッガーに至る哲学を遠景に据え、また読者そうした有名な人物の名前くらいは10代半ばで聞き知っているべきだが、もっと進んで政治を含んだ歴史的背景も併せての知識があるとなれば、カストルプのように大学を出て20代半ばに達している必要はあろう。カストルプを間に挟んで登場するふたりの知的な人物すなわちセテムブリーニとナフタの思想には、キリスト教のイエズス会、神秘主義、ユダヤ、フリーメイソン、フランス革命など、今ではWIKIPEDIAによって端的に概略が学べることがびっしりと詰まっていて、主人公は両者の常に対立する意見に挟まってどちらに与すべきか右往左往し、また時に意見する。それはマンの自問であろう。マンは大量の本を読みながら、そこにヨーロッパの対立する思想があることを知ったが、それは当然のことで、たとえばナチスでも右派と左派があって、前者は後者を粛清する。この対立はまたすべて言葉が介在し、知性人は人間優先というよりも言葉に重きを置くほどだ。そのことがセテムブリーニとナフタの終わりのない論争で示されるが、何事も終わりはある。それは決着と言ってよい。そのことをマンは本書で非情さで描く。本書を一言すればそのことだ。話を戻す。マンはカストルプを精神的に感化する役割を負わせたふたりの年長者に、本書の大きな部分を割いて何を語らせたかったのかと読者は目を白黒させるが、マンはそれを見越してふたりを冷静に、また時に茶化すような書き方をする。つまりマンはある特定の政治思想に立っていないのだが、そうとも限らないことを読者は気づく。本書巻末の解説で、そのふたりの思想家のうち、ユダヤ人のナフタがハンガリー人のゲオルク・ルカーチをモデルにしたと書かれる。ルカーチはユダヤ人でマンより10歳年下で16年長生きした。その人生はWIKIPEDIAで概観しても波瀾万丈の極みで、彼を主人公にしても長編小説が書かれると思えるが、本書ではナフタの面貌の描写は確かにルカーチの写真から伝わる印象に通じており、またそういうナフタの本書での描写からマンがユダヤ人や共産主義をあまり快く思っていなかったことが伝わる。
 ところがこれはきわめて印象深い下りだが、本書の最後の方にユダヤ人を嫌悪し、呪詛することだけが生き甲斐になっている男の患者が登場し、ユダヤ人患者と派手なつかみ合いをする場面がある。その動物じみた凄惨な場面でマンはユダヤ人患者に同情的で、ユダヤ人嫌いの男を醜くて取るに足らない存在として扱っていることは明白だ。マンの妻はユダヤ人で、マンは本書以降にヒトラー政権を避けてアメリカに亡命するので、ナチス信者になったハイデッガーをマンはどのように思ったかは想像に難くないが、ハイデッガーの『存在と時間』の出版は本書の数年後で、マンは自分なりに存在と時間を考えて本書を構築した。哲学書と小説はどちらも言葉を組み立てたもので、いかに破綻を見せていないかが問われる。もちろんどのような書物でも批判や反論の余地があるが、小説は提示されたものをそのまま受け取るしかないもので、批判されるとすれば小説家の思想の偏りであろう。だがその批判も時代が変わって為政者の思想が変われば立場が逆転する。セテムブリーニとナフタの果てしない論争を本書が持ち込んだのはそういう思いもあってのことだろう。マンがこのふたりに異なる思想を大いに代弁させながらどちらを正しいと思ったかと言えば前者であろう。そのことは本書の最後の方で意外な方向に進む両者の関係だ。本書は最後に近くなって物語が大きく動き、またその慌しさはかなり意外だが、その意外性が鮮烈で激動の印象をもたらしていて、小説の醍醐味をマンが忘れていないことを証明する。またその醍醐味は本書半ばでもわずか一語でも表現され、筆者はその箇所で「なるほど、ここであの出来事がつながるのか!」と驚嘆し、思わず本から目を上げてしばらく感動のあまり先を読み進めることが出来なかった。布石が周到に計画され、万の言葉のうちのたったひとつの言葉がずっと後になって光り輝く。つまり本書は膨大な言葉を積み上げながら、たった一語に重要性を置いてもいる。当然なことではあるが、2400枚の原稿のたったひとつの単語が際立っている箇所は他にも随所にある。またそういう箇所はある程度専門的ないし広範な知識がなければ意味を理解しないまま読み進んでしまう。また話を戻す。セテムブリーニとナフタの論争は一旦終わったかに見えて再燃し、筆者は「ああ、またか」と食傷気味になったが、そこをマンは見越していて、ふたりの発言は時として辻褄が合わず、あるいは入れ替わり、知識を集めた博学性の欠陥めいたことをほのめかす。実際両者の論争はヨーロッパの複雑な思想を知る手立てになり得るとしてもそれは本を読んでの個人的な立場であって、ネット時代の今ではWIKIPEDIAによって誰でもある程度は獲得出来る。だが両者のもっともらしい頑固な思想はカストルプのような経験不足の青年にはいずれの味方をしていいものかにわかにはわからない。それは読者も同感のはずだ。
 そしてついに彼はアルプスの雪山をスキーによって気を晴らし、迷子になって生死をさまよった挙句に幻想を見て生の意味を知る。それはセテムブリーニにもナフタにも同調しない立場と言ってよいが、マンにすれば悟りは頭脳だけではなく身体を動かすことも必要との考えだ。またそこにはアルプスの雪が大きな効果を上げたが、三島由紀夫の『仮面の告白』を想起する人は多いだろう。本書にはサナトリウムからしばしの間抜け出してみ晴らしをする場面が大きく言って3つあり、それぞれに読者は観光気分にも浸ることが出来る。その中で主人公がひとりでスキー板を購入してそれを雪山で使用する設定は見事で、「雪」と題する節は読み応えが大きく、また誌的な風景描写も映画的で印象深い。集団生活を送るサナトリウムでの静に対して個人の勇敢とも言える遊びを通しての動的覚醒で、死の一歩手前に行きながら、幸運によってカストルプは生をまた見出し、サナトリウムに無事戻ることが出来る。本書のほとんど最後の場面からもマンはナフタよりもセテムブリーニ側に立っていたことが伝わるが、蛇足ながら書いておくとナフタは経済的にセテムブリーニより恵まれているにもかかわらず、幸福感は乏しい。その点を深読みするとマンの思想が垣間見えそうだが、次の大きな登場人物について触れる。本書はセテムブリーニとナフタの対立するふたりの年配の男にさらに対立する別の男が後半部に登場する。オランダ人のペーペルコルンで、彼から見ればセテムブリーニもナフタも意味のない人物だ。生を謳歌する彼は人間的魅力に溢れ、当然ながら女にも人気がある。そういう男はよくいるもので、やくざやそれに近い人物がその代表だが、ペーペルコルンは悪の権化ではない。実際は仕事から得た知性は豊富で、人生をいかに楽しむかをよく心得、またそのことだけに人生の意味を置いている。ペーペルコルンを登場させたのはサナトリウムが社会の縮図で、知的論争だけが男の社会を占めてしないことを示すためだ。ペーペルコルンに魅せられたカストルプをセテムブリーニはあんな馬鹿のどこがいいのかと冷ややかに言う。現実はペーペルコルン的な人物こそが世間で最も人気があって、たとえば本書の話をするような男は無粋の極みと目される。そう考えればペーペルコルンはセテムブリーニが言うようにただの馬鹿だろうか。マンはセテムブリーニに自分の思いを託したと思うが、一方では理屈抜きに人間的魅力に溢れた、体力と経済力に満ちた人物が世の中には大勢いて、そういう人物がいつの時代でも女性に最も人気があることを知っていた。その現実をカストルプは知る。筆者は男の魅力は頭脳の明晰さに比例すると思っているが、女性からすれば男の魅力は肉体の強靭さにも比例する。貧弱な体で独身であったカントは女性にはあまり人気がないだろう。おそらく三島由紀夫はそのことに気づいて肉体改造を行なった。
 女は男の理屈では喜ばず、生活力の旺盛さに魅せられる。そのことを人生経験から熟知している肉体的貫禄の満ちる男から見れば、セテムブリーニやナフタは風が吹けば飛ぶ軽い存在で、全く眼中にない。ただし60歳ほどのペーペルコルンはカストルプのような若さには一目置かねばならない。若さ、生への活力こそが人生を謳歌する鍵で、ペーペルコルンはそれを存分に使って来たが、現実はサナトリウムに入院することでカストルプの前に姿を現わす。セテムブリーニが老いても頭脳明晰であるのに対し、肉体の老化は脳のそれより早く訪れることをマンは言いたかったのだろう。そしてペーペルコルンは論議が全く出来ない、あるいは関心のない人物として描かれるが、言葉の力を借りずとも他者を圧倒する力を持っている人物は男女ともによくいるもので、それは大人物ぶる自己洗脳による演技とたとえば大金を稼いでそれで存分に贅沢な暮らしをして来た場合が混じっていて、ペーペルコルンは後者だ。またそうなると貧しい口先だけのセテムブリーニは全く太刀打ちが出来ず、陰でペーペルコルンを馬鹿者呼ばわりするしかない。そういう場面に遭遇するカストルプは人生を一段階上った経験をしたと言える。それはともかく、カストルプはサナトリウムで何年も前から西アジアの目をしたその特徴的な顔の若いクラウディアに恋心を抱いていたが、彼女は一旦退院した後、ペーペルコルンと一緒に戻って来て、露骨に彼の女であることを周囲に示し、ペーペルコルンとカストルプの間に火花が散る。そして彼女は理想的な男として彼をセテムブリーニやナフタ、カストルプより上に置く。カストルプはクラウディアが大食漢で金持ち、そして思想について理屈を言わない無口な男を愛すると知り、その後の振る舞いは妥当な展開だが、やがて意外ではあるが読者が納得させられる結末になる。そこにマンの女性に対する思いが強く反映しているだろう。本書には彼女以外に数人の女性が登場するが、どれも知性のなさが設定されている。そこから推せばマンは女性の思想に興味がないし、女性も男がひとりで浸る思索のこだわりに関心がないか、それどころか面白くない感情を抱いている。ひとり置いてきぼりにされていると感じるからだろう。結局女にもてるには馬鹿な話で笑わせることを優先することだ。マンはそういう男を否定はしていないが、本書では付け足しの形で軽く扱われている。また男の知性に惚れる女は稀にいるもので、それがマンの妻であり、また妻帯するハイデッガーと恋愛関係にあったハンナ・アーレントで、男女ともにしかるべき人物が出会う。話を戻して、ペーペルコルンの登場は本書に現実味を大いに付与しながら、やはりマンが男の価値をどこに置いているかを読者は知る。だがペーペルコルンは潔い人物だ。そのことをクラウディアが知っていたので彼の女になった。そこは現実味がある。
 7年もの間、カストルプはサナトリウムに入ったままで女性と性交しなかったのか。クラウディアとそういう関係はあったかもしれない。そこは行間から読者が推察することであって、本書の重要事項ではない。ちなみにサナトリウムではベランダから各部屋に移動が可能で、夜這いを許す患者がいることも書かれる。とはいえ本書では性に関してはほとんど触れられず、カストルプについては友人とかつて売春宿に行ったというわずかな記述で童貞でないことが読者にわかる。また前半部ではカストルプに同性愛的嗜好があることがほのめかされるが、それはヘッセの小説にしばしばあるものと同じで、精神的なものだ。カストルプとクラウディアの関係は宙づりのまま長く引き伸ばされるが、その主に精神的な関係は男女の恋愛では最も楽しい時期と言ってよい。本書ではそのように読み取れるし、最終的な性交はほとんど問題とするには当たらず、むしろそれを避けることで男女の関係はすぐに忘却されるし、またその状態は言葉はふさわしくないかもしれないが、美しいものとなる。こう書けば男女の性交は汚らわしさを内蔵することになるが、そのように感じる男はいるだろう。マンはその部類のように想像するし、三島由紀夫もそうだろう。なぜそのように女性を避ける、あるいは否定する男の心があるのかは本書とは関係のない事柄だが、性交の本能は動物的で、その行為には知性が邪魔となることを男は女以上に知っているからではないか。女からすればそれほどに男は知性の希求に毒されやすい存在であることをクラウディアは知っていたのだろう。本書を映画化した場合、クラウディアにどのような顔の女優を使えばいいかの大きなヒントをマンは繰り返し描いている。そこには西洋が憧れる東方があって、そのことはヨーロッパの歴史や文化について書く本書がアジアを無視していないことにも表われているが、本書はやはりヨーロッパ、しかもそこの中心を自負するドイツ人が書いたもので、思想についてアジアの視点が除外され、その点は『老子』に関心があったハイデッガーよりも汎世界的とは言い難い。また本書が結局クラウディアを最終的にどう扱ったかを知ると、やはりマンは東方に熱烈な興味がなかったと見える。しかしクラウディアが実際どのような顔をしていたかは読者が大いに魅惑的に考えさせられることで、筆者は村上華岳の重文となっている「裸婦像」をしきりに想起した。その名画の女性は華岳が繰り返し描いたシルクロードの西アジアに特徴的な顔で、港町のリューベックに育ったマンはオランダ人であるペーペルコルンと同様、アジアの文明に触れる機会は少なくなかったのであろう。またカストルプが育ったドイツ最北の低湿地帯とアルプスを対比させることも異文化ないし異なった生活圏への関心がマンに強くあったことを意味し、教養を深めるには広く行動することを勧めているように見える。
 読み進めながら気になり続けることは「魔の山」が何を指すかだ。「山」は本書の舞台となるダヴォスから間近に見えるアルプスのことだが、それがなぜ「魔」なのか。このことは本書を読み終えてもはっきりとはわからない。本書の最後近くになってマンは「魔」という言葉を数回書く。それは魔術、魔法の意味で、もちろん本書の原題「ZAUBERBERG」の「ZAUBER」の日本語訳で、本書の邦題は『魔法の山』ないし『魔術の山』としてもよい。いずれにしても魔法にかけられた気持ちになる山すなわちダヴォスやアルプスが、特殊な場所であるとの意識がある。その特殊性は読者が解釈すればよく、またその解釈がひとつではないことを読者は知る。「魔」は悪い意味に解釈する場合が多いが、一方で魑魅魍魎の言葉にある「魅力」とつながっていて、よくないと知りながら引きつけられる存在でもある。これはマンの時代の目立った風習で、カストルプはひたすら葉巻やたばこを愛飲する。それは一種の魔性を持った嗜好品で、本書の舞台の通奏低音としてふさわしい要素だ。サナトリウムは結核患者の療養施設で、肺病にたばこはよくない影響を与えることは当時からわかっていたであろう。だが本書はそこまで書いておらず、主人公のたばこ好きはサナトリウムの院長からたしなめられない。本書を読みながら「風風の湯」の常連との対話を何度も思い出した。筆者の周囲に本書を読んだ人はおらず、また文学などの芸術を話す相手も皆無だが、本書を執筆中のトーマス・マンも似た境遇ではなかったかと想像する。そうであるからこそ、ダヴォスで思想が大きく異なり、またどちらも言葉の人物であるセテムブリーニとナフタがカストルプを介在させて意見を闘わせる場面を作り上げたのではないか。とすればマンは庶民の世間話はどうでもよく、思想家のさまざまな意見を陳述させることで現代のヨーロッパないしドイツの混沌とした思想の概略図を描こうとしたのだろう。これは庶民の世間話は書いたり読んだりする価値がないという思いであって、教養小説の真の価値が目標とされた。言葉はそのように重要なもので、大衆が笑いを求めるのであれば別の本を利用すべきだ。しかしマンは本書によってヨーロッパないしドイツのあるべき思想の姿を描こうとしたのではなく、時代に翻弄される人間の命における不条理性に目を向け、ともかく現在を精いっぱい生きるべきことを伝えようとしたのだろう。本書はマンが死んでも動かしようのない強固な形で聳え立っている。それはまさにアルプスで、動物とは違って人間のみが言葉でここまで見事に時間と空間、存在を描き切る能力があることを読者は知る。本書巻末の解説は、本書の終わり方がいわば中途半端で、まだ書き続けられそうだとするが、筆者はその意見に反対だ。見事は終わり方で、美と汚濁がない交ぜになり、そしてやはり美の言葉が荒野に響いている。
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# by uuuzen | 2024-01-29 23:59 | ●本当の当たり本
●『愛の不時着』
疵のなき 人を探すは いとおかし 美を重んずるは 生の意味なり」、「たまさかに 生まれて死ぬを 頓悟しつ やはり生きたし 日を拝みたし」、「あの人と また話したし 虚空見る 生死知らずに 面影老いず」、「ぷかぷかと 浮かび道連れ 些事一二三 意味なきことを 黙して見つめる」
●『愛の不時着』_b0419387_16394082.jpg
24日の投稿に書き忘れたが、正月明けに咳がひどくなり、毎日トーマス・マンの『魔の山』を読み進める一方、韓国ドラマの『愛の不時着』を1、2話ずつ見た。全16話を見終わったのが『魔の山』の読了と同じ頃で、今月は20日までにした最大のことはそのふたつであった。近年は韓国ドラマをさっぱり見なくなったが、TVでも『愛の不時着』が何度も話題になっていることを知り、また北朝鮮との絡みが主題になっているので、ぜひ鑑賞せねばと思っていた。最初に私的なことを書いておくと、『魔の山』とこの韓国ドラマは関係がある。それはスイスが舞台になっていることだ。こじつけで書いておくと、アコーディオン・デュオの461モンブランの「モンブラン」は今日の3枚目のスイスの地図で言えば赤で記したDで、スイスの西南端を少し外れたフランスとイタリアの国境にある。今日の2枚目の図版は昨日書いた『スイス・アルプス名画展』の図録表紙の見返しに印刷される表で、それによればスイス・アルプスでは最も高く、標高4807メートルある。Aはダヴォスで昨日書いたように『魔の山』の舞台で、キルヒナーが後半生を過ごした。B付近はセガンティーニの生活圏、Cはジュネーブで同湖がある。Eはダダで有名なチューリヒ、Fはベルン、Gはバーゼル、Hはローザンヌ、Iはルツェルン、Jはマッターホルンで、全土に有名な場所が点在している。これもついでに書いておくと、『スイス・アルプス名画展』図録に言及され、『スイス・スピリッツ』展では解説の中に参考図版が掲げられるコンラート・ヴィッツの「奇蹟の漁り」はアルプスを最初に描いた絵とされ、遠景にモンブランが見える。この油彩画は1444年に描かれ、筆者が最初にその原色図版を見たのは21,2歳の頃で、素晴らしい個性に驚嘆した。同じ画風の画家は他におらず、人物と風景描写に優れたルネサンス期の巨匠だ。「奇蹟の漁り」は湖のほとりにキリストが現われ、その姿に驚いている船上の漁民たちが描かれ、キリストに気づいて驚愕した身振りと視線が愉快だ。湖はジュネーブ湖で、そこからモンブランが見えるところから、画家がどこに立って描いたかがわかる。話を本題に戻すと、『愛の不時着』ではスイスは欠かすことの出来ない場所だ。主人公の男女ふたりともうひとりの女性の3人が実は何年も前にそこで出会っていたとの設定で、彼ら3人がスイスでロケをした点は海外に行く設定がありながら実際には海外ロケをしなかった『冬のソナタ』のような昔の韓国ドラマからすれば金のかけかたが違う。
●『愛の不時着』_b0419387_16400020.jpg
 スイスでロケをするとして、本作は国際音楽祭が開催されるルツェルンがふさわしかった。ルツェルン湖が何度か映り、主人公の男性が湖の畔に置いたピアノで演奏する場面もある。結論を言えば、本作は音楽という芸術が主人公ふたりの愛を結ぶ要素になっていて、金持ちで地位もある人物は芸術に力を入れるべきとの一種に教訓が込められている。これはどの韓国ドラマでも大なり小なり共通することで、それが日本のTVドラマとの大きな相違点になっている。大阪市長と知事を務めたタレント弁護士は大阪のお笑いが世界に誇る文化であると発言したが、無教養を証明する。彼は絶対に『魔の山』を読まないし、読んでも意味を解しない。筆者はそれを責めているのではない。馬鹿者は無視すべきで、また無視出来ない馬鹿者がいるとして、それは周囲の人々が彼の人間的魅力に惹かれ、さらには彼がみんなに大盤振る舞いする場合だ。そのことが『魔の山』に描かれる。話を戻す。北朝鮮のキム・ジョンウンはスイスのベルンに留学した。その現実からして本作の主人公がスイスでかつて出会っていて、その後にまたルツェルンで出会うことは大いにあり得る。『魔の山』ではダヴォスの国際サナトリウムが舞台となるが、そこにはヨーロッパ各地以外にアジアからも患者が逗留し、物語を作る。北朝鮮と韓国の人々が出会って交流するとすれば、合法的にはスイスしかない。違法では主に中国があり、また脱北して韓国入りする場合もあるし、スポーツなどの友好使節団として北朝鮮人が短期間韓国入りすることもある。そうしたあらゆる可能性を本作は脚本に利用し、可能性はあろうが、かなり強引な筋運びで両国人そして若い男女の偶然の出会いによる愛の物語を描く。その愛が前述のように音楽が絡むのは、芸術は国を超えることを意味し、筆者はその点で本作を絶賛する。というのは『魔の山』でもそれは同じであるからだ。一昨日の朝、筆者は布団の中で『魔の山』の最後の場面を想起し、不覚にも涙を流した。突如シューベルトの「菩提樹」のメロディが浮かび、またその1曲を収める『冬の旅』の冒頭曲を心の中で歌ったからだが、人生で出会った最高の曲はシューベルトの歌曲であると筆者も同意する。そのシューベルトは女性の愛に飢えながら、それがかなわずに若死にした。まあ、これ以上は書くまい。世の中には醜いことや人間が溢れている。平和と言われる日本でも同じだ。もちろん韓国も同じで、本作には韓国にも北朝鮮にもそういう醜悪な人物が跋扈していることが描かれる。韓国の財閥でも北朝鮮の軍部でも同じで、金すなわち権力を巡る争いが日常的にある。そういう世の中で何を信ずればいいか。肉親の愛を知らない女性と芸術を目指しながら兄が不審死した男性が南北を分ける非武装地帯でたまたま出会い、やがてお互い惹かれる。ただし現実を思えばふたりの結婚はあり得ない。
●『愛の不時着』_b0419387_16401720.jpg
 そこをドラマでどう描くか。その答えはルツェルンで音楽祭が開催されるわずかな期間だけ、ふたりがスイスに入国して会うという結末だ。そのふたりの関係は結婚してもすぐに離婚する、あるいは長年の結婚生活に飽き飽きしている夫婦からすれば理想的かもしれない。年に10日だけ異国で会えるのはふたりの関係を新鮮に保つからだ。しかしそれはふたりにとっては仕方なきことだ。それは朝鮮半島が南北に分かれていることの悲劇だ。だが、音楽を初め芸術があることによって時空を超えて人々は共鳴し合う。『魔の山』の価値も意味もそこにある。『愛の不時着』という題名は直訳かどうか知らないが、不時着を言えば愛よりも恋がふさわしい。恋の果てに愛がある。それはともかく、愛に発展する出会いは常に不時着で、またそれを言えば人生は不時着だ。それを今は「親ガチャ」などと否定的な言葉で言うが、人間も植物と同じで、根付いたところで精いっぱい生きるしかない。根なし草と言われるような人や行動でも、必ずそこには何らかの根がある。それをどう理解し、自覚するかで人生を泳いで行く先が決まる。あるいは自分で決めて行く。ここから本題、しかし随所で脱線すると思う。『愛の不時着』が日本で放映されたのは4年前の春だ。翌年春に母が死んだ時に上の妹としばし話をした中で、筆者は本作の話を妹にした。本作は今なおネットTVのとある会社が独占販売し、その会員にならねば見られない。妹に訊くと録画したDVDがあるとのことで、「友だちのところに行っているので戻って来たら連絡する」と言う。催促するのが面倒で、結局そのままになった。さらに翌年の夏、家内と大阪に出た時、鶴橋の薄暗くて古い商店街を歩くと韓国商品店の店頭に海賊盤の『愛の不時着』が売られていた。2000円しなかったと思う。焼いたDVD-Rを裸のまま袋に入れたもので、そういう個人が作った海賊盤は10年前ならネット・オークションで普通に売られていたが、今はほとんど見かけない。大いに話題になった本作をいつか見たいと思っていて、去年9月20日にアメリカの大西さんが京都に来てあちこち案内した時、その話をした。大西さんはアメリカでとっくに視聴済みで、英語字幕で充分楽しめたそうで、そして「ああ、お土産にそのDVDを持って来ればよかった…」と言われた。大西さんは大晦日にも来日し、到着日に日本語字幕の『愛の不時着』のDVDを筆者に送ってくれた。ありがたい。それで今月中にこれを書くことを決めた。正月は能登地震のために実家のある金沢に帰らず、東京に滞在したまま9日にアメリカに戻ったが、筆者にDVDが届いたのは2日だ。数日して家内と一緒に見始めた。筆者だけ見ると後で家内がひとりで見ることになって、それでは電気エネルギーの無駄だ。1話70分ほどだが、その倍近い回もあって見終えるのに体力を要する。
 先日の奈良への一泊旅行は家内の弟に世話になったことを書いた。数年ぶりに会うので、その義弟の奥さんMに『愛の不時着』の話をするのを楽しみにした。『冬のソナタ』が日本で人気を博した頃、筆者は妹から借りた『ピアノ』のビデオを彼女に送った。それがきっかけになってMは今でもそのドラマの主役であったチョ・インソンが韓国男優では最も好きと言う。確かに彼は大物俳優になる予感があったのに、作品に恵まれず、デビュー当時に匹敵する話題作はないのではないか。それでもMはチョ・インソンの私生活などの現状について語り、その人間性に感心するとも言った。『ピアノ』を見たことが大きな理由にもなって、Mや義弟、ふたりの娘の家族全員が大の韓国ドラマ・ファンになり、やがて何度も韓国に旅行し、明日仕事や学校があるというのに毎日深夜まで韓国ドラマを見続けることもあった。それほど夢中になった理由はどのドラマにも家族愛が描かれているからだ。当然のことながら日本のドラマはアホらしくて全く見ないと言うが、その最大の理由は俳優陣の厚さ、多様性が圧倒的に韓国は勝っているからで、これは韓国ドラマを見る人がみな感じる。だがMや義弟が韓国ドラマを愛好する理由はもっと個人的な、出自にまつわることでもある。詳しくはここには書かないが、端的に言えば幼少時に肉親の愛情にあまり恵まれなかったことだ。Mが児童養護施設に勤務していることも先日書いた。その理由は筆者が想像するに、肉親に見捨てられた子どもたちの世話をしたいという思いからだ。奈良への旅行中にわずかだがMから施設での信じられない話を耳にしたが、彼女が憐れな境遇の子どもたちに実に根気よく親代わりになって世話をしていることが伝わった。それでも65歳では体力が持たない。というより精神的にあまりにきつい。親身になって世話した子が世間に出た途端に自殺したとの連絡が入ると、誰でも徒労を感じるだろう。本当の親がわが子をもっと大切に世話していればその子はリストカットを繰り返し、挙句自殺することはまずなかった。Mは一歩間違っていれば同じ境遇になっていたかもしれないが、幸い中学校時代の同級生の義弟と結婚し、義弟は一流企業の取締役に上り詰めて定年がない。数年前の前回に会った時に、義弟は安倍首相に会ったばかりでその名刺を見せてくれたが、海外にも頻繁に出かける多忙さだ。それゆえ今は韓国ドラマを見てないはずだが、Mは人気作品をそれなりに見ている。ついでに書いておくと、Mは今年3月に仕事を辞めた後を見越して、先の夢を見て活発に動いている。映画のエキストラ役に登録し、それなりに声がかかっているが、2、3年後に韓国に語学留学し、韓国の映画やTVドラマにエキストラとして出演するのが夢だ。有名な韓国ドラマの俳優を間近に見たいのだ。行動的なMはハングルを多少は知っているし話せもするので、夢をかなえるだろう。
 話を戻す。Mに『愛の不時着』を見たかと訊くと、半分見て予想と違ったので見なくなったと言う。それは何となくわかる。20年ほど昔の『ピアノ』で韓国ドラマに大いにはまったのであれば、本作は方向が違う。端的に言えば金持ちの世界を描いていることだ。しかしそう断言するとこのドラマの味わいを見過ごすことになる。韓国ドラマを楽しむ人の大部分は、世間がそうであるように経済的にはさほど恵まれないか平均的な収入の人々だ。本作はそういう人々を北朝鮮に住む主に女性たちに代表させている。そのことによって南朝鮮の韓国が北に対して経済的に優位な「成功した国」との描き方をする。つまりかつての『ピアノ』の中心的な家族愛の部分は主に北朝鮮社会に移している。経済的には韓国は完全に優位だが、人情味では北朝鮮に劣るという五分五分の描き方をせねば北朝鮮から恨まれるし、韓国としては国際的に売る商品であるドラマを国家間の摩擦を生じさせないように韓国には希薄になった素朴な人情味、人間味が北にはまだ豊かにあるという描き方をするのが得策だ。だがそのことが見え透くと鑑賞者は白々しくなるので、そこは俳優陣を充実させ、北は北なりの暮らしやすさのようなものを描く必要があり、本作はその点は見事に成功している。しかし北朝鮮では珍しくない身寄りのない子どもたちの生態をも描き、同じ境遇の子どもが韓国にもいて、そのひとりの男性を本作では『冬のソナタ』などの恋愛ドラマでは常識となっている二組の男女カップルのうちの一組のカップルの片割れと設定しているところに、南北に関係なく、親がいない子が存在する現実に言及してする。またそのことは婚外子でしかもソン・イェジンが演ずる財閥の娘も同類として設定されているが、母親から見捨てられたとの意識ゆえ彼女は若くして自殺願望を抱き、死ぬためにスイスを訪れ、そこで北朝鮮から来ていた主役の男優のヒョンビンと、彼の許婚者の女性と相互に知り合うことなく出会う。それはともかく、前述した北朝鮮の乞食の子どもの兄妹は『火垂るの墓』そのもので、幼ない兄は奪ってでも食料を病弱の妹に届ける場面がある。これは本作ではやや場違いな場面だが、兄弟愛を描く点では意味があるし、財閥の兄弟でも金となれば骨肉の争いをするとの本作の物語の基本とは好対照を成す。本作の見どころは北朝鮮の兵士やその経済的には貧しい家族にあって、それら男女10人ほどの俳優は主役の美男美女のふたりよりも迫真的な現実感がある。その脇役の芸達者ぶりをMに言うと全く同感とのことだ。先年ハリウッドで韓国の高齢女優がアカデミー賞を受賞し、日本のネットにはそのことを謗る意見が目立った。彼らはその女優の顔も演技も知らない。筆者は彼女が出演するドラマをいくつか見ているので、受賞はもっともだと思った。もっと言えば彼女に匹敵する演技を見せる高齢女優は今の日本にはいない。
 『愛の不時着』の制作費は40億円ほどと想像するが、その10倍ほどの売り上げがあったようで、国家がエンタテインメントを支援していることに納得させられる。制作費が嵩むほどに海外ロケを含み、登場人物が増え、複雑な脚本となって見どころが多様化する。Mが途中で見るのをやめたというのは案外そういう点だろう。『ピアノ』は登場人物が少なく、昔のドラマの感は拭えないが、たとえば昭和半ばの日本映画の名作を見るのと同じで、いいものはいつの時代に見てもよい。少ない制作費の中で何に焦点を絞って見せるべきかが制作者に明確にあるからだ。その点本作はあまりに内容が盛りだくさんで、脚本段階でこれまでの韓国ドラマのよき部分を列挙し、それらすべてを見せるという態度で作られている。そのため全16話は極限まで凝縮しながら、筆者には余計と思える暴力場面が少なくなく、幅広い世代の視聴者を見込んだための過剰演出が露わになっている。脚本は有名な女性が書いたようだが、筆者は彼女による本作以外の韓国ドラマを見ていない。本来なら16話ではとても収まらない物語だが、それ以上長くすればだれてしまう。そのため、次々に物語が変転し、中心となる韓国の美人社長と北朝鮮の大尉との偶然の出会いによる愛の芽生えとその成り行きが、純愛物語というより半ば喜劇タッチで彩られ、『冬のソナタ』時代のドラマがビートルズの64年頃に当たるとすれば、本作はホワイト・アルバムに相当する多角多彩的と形容してよい。つまり本筋は昔と変わらないが、装飾過多となっている。その装飾は不要なものかと言えばそうではない。登場人物をもっと減らして描くことも出来たが、そうなると『冬のソナタ』時代のドラマと差がつけられない。それではおそらく駄目なのだろう。どんな表現分野でも変化して行く。筆者は本作を見ながら、2年前にネットで見た『プレイヤー~華麗なる天才詐欺師』を何度か思い出し、またそのドラマを見たいと思った。断然面白かったからで、主人公は男ふたり、そして女性ひとりを加え、そのわかりやすさが彼らの格好よさを誇張していた。またそのドラマの主役のソン・スンホンは昔の『夏の香り』において本作のヒロインであるソン・イェジンと共演した。本作の大尉役は日本でもヒットした『私の名前はキム・サンスン』のヒョンビンで、寡黙な役柄は北朝鮮の兵士によく見合っていた。一方のソン・イェジンは『夏の香り』からは20年近く経ち、本作では貫禄のある女社長との役柄は妥当であった。言い換えれば美貌はどうにか保ってはいるが、40近い年齢は隠せない。70過ぎの筆者はそのことを何とも思わないが、20代がこのドラマを見るとソン・イェジンをおばさんと見るだろう。となれば本作は3,40代以上を主に対象にしたのかもしれないが、そこはちゃんと考えられていて、20代の女性が歓迎しそうな若い男性を北朝鮮の兵士役にしている。
 ヒョンビンやソン・イェジンなどのかつての若い俳優がおよそ20年後に主役を張ることが近年の韓国ドラマで珍しいのか普通のことか知らないが、脇役にするのではなしに主役に据えるところは好ましい。中堅を育てるためにはそうすべきであるからだ。韓国ドラマはその中堅が脇役を固めることでも人気を保っているように見える。ソン・イェジンとヒョンビンは本作以降に結婚し、一子をもうけたが、となるともう彼女に主役は回って来ないのではないか。では脇役に徹するかとなれば経済事情にもよるだろう。そのことで思うことがある。本作の第1話の最初の方に昔の韓国ドラマを見た人が面白がる場面がある。非武装地帯を監視する若い兵士が、上官がいない間の真昼間に韓国ドラマの『天国の階段』を見ていることだ。2,3秒だが、チェ・ジウと相手役のクォン・サンウが兵士の見る画面に大写しになる。兵士は画面を見ながら狂喜し、ドラマの主役の男女が「どんなに遠く離れていてもいつか必ず一緒になる」などと声を出す。その言葉は本作の主題を端的かつ見事に伝えている。それは『愛の不時着』の「愛」を扱うからには、また韓国ドラマでは外せない設定で、その意味では本作は韓国ドラマの王道作だ。また韓国ドラマが『天国の階段』から大いに発展したとの意味で同ドラマの場面をわずかに引用していることは、先のたとえのようにビートルズ後期のアルバム的なドラマであるとの筆者の考えは伝わると思う。それはさておき、最後に近い回で、実物のチェ・ジウが登場し、先の北朝鮮兵士とソウルのレストランでふたりだけで会食する。本作の鑑賞者はその兵士の驚きを別の意味で感心する。ドラマのほぼ冒頭に北朝鮮の若い兵士にとっては画面のみで知って全く手の届かない有名女優のチェ・ジウが、財閥の社長娘のソン・イェジンの手配によって眼前にいるとの設定は、現実的に言えば財閥が金の力で女優の時間を買えるという金持ちの論理の駆使だが、その社長娘が自分に優しくしてくれた北朝鮮の若い兵士の望みを韓国でかなえてやるとの約束を果たしたことにおいて見上げた美しい行為でもあって、ドラマの中ではあるが、最初の伏線が意外な形で後に現実化することに二重のファンタジーゆえのリアリティがある。チェ・ジウはセリフがほとんどないが、美貌は変わらず、チョイ役を引き受けたところに好感が持てる。彼女の登場は『冬のソナタ』以降の韓国ドラマの勝利の歩みを象徴する意味もあるだろう。実際北朝鮮では密に韓国ドラマが見られているというし、本作を見た北朝鮮の兵士やその家族がどう思うのか興味のあるところだが、本作を北朝鮮の国民が見て韓国の経済的成功に憧れを抱けば不満が高じるし、キム・ジョンウンは韓国ドラマを排斥している。脱北者は後を絶たないが、韓国の現実に幻滅して北朝鮮に戻る人もいて、本作はその思いにも配慮が見られると言ってよい。
 さて、第1話の最初は非武装地帯を飛び越える鷲の飛翔が映る。CGと思うが、次のソン・イェジンがパラグライダーで空を飛ぶ場面では突如竜巻が発生し、地面のトラクターや牛が宙を舞う様子を彼女が見下ろす。それら空を舞う物体もCGだ。その竜巻によって何もかも空を飛ぶ様子に誰しも『オズの魔法使い』の冒頭を想起するが、そのことは本作が作り話、ファンタジーであるとの宣言となっていて、鑑賞者は冒頭場面から本作が現実にはあり得ない物語であることを納得し、その安全地帯の中で荒唐無稽さを笑って楽しむ用意が出来る。だが、空想物語の中に現実にあり得ることやこうあってほしいと思うことを随所に俳優の演技によって迫真的に散りばめる。空想物語はアニメ映画が得意とするが、本作の脚本を漫画やアニメ映画に用いればおそらく面白さは大きく減退する。アニメでは俳優の表情や演技を描き尽くせないからだ。記号の集積のアニメと俳優が演技する映画とでは味わいの深みは比較にならない。俳優の一瞬の表情や動きが物語を濃くする。そういう演技は主に中堅どころが担う。その意味で、本作はソン・イェジンとヒョンビンが光っているのは言うまでもないとして、前述のように北朝鮮の他の兵士やまた村の女性たちが圧倒的な存在感を放っている。見終わった後に思い出すのは彼らの演技で、むしろヒョンビンはロボットじみて思える。しかしそこも脚本家や監督の狙いだろう。北朝鮮の言葉の訛りも駆使しているはずで、本作は韓国人が見ればさらに面白いと想像する。また北朝鮮の人々の暮らしぶりは脱北者の証言によって韓国には大いに伝わっていて、本作で描かれる北朝鮮の人々の暮らしは現実感がある。ひとつ意外であったのは、本作に描かれる非武装地帯近くの北朝鮮の村が海の際にあることだ。それは北朝鮮の女性たちが岩の多い海辺で洗濯する場面からわかる。またそのように海辺の村であるとの設定は、ソン・イェジンが北朝鮮の闇ブローカーが所有する沖の漁船に乗って脱北を試みる場面からは必然であった。話を戻すと、彼女はパラグライダーが竜巻に巻き込まれたために非武装地帯に落下する。そこで大尉のヒョンビンと出会い、いつしか心を通わせる。では彼女はどのようにして韓国に戻るか。先の漁船では目的を果たせず、国家の実力者である中尉の父親の手配によって密に36度線を南下する。それを追って大尉は秘密のトンネルをひとりで潜って韓国に入る。その後を部下の兵士たちが体育団の一員として入国し、大尉とともに北に戻る際は捕虜交換のような形で36度線を越える。そして離ればなれになった主役の男女はスイスで毎年10日ほど合流するとの結末だが、各話のあらすじはWIKIPEDIAに載る。それを読まずに鑑賞することを勧める。よく出来たドラマだが、エピソードを盛り込み過ぎて登場人物も多く、一度見ただけではよくわからない箇所がある。
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# by uuuzen | 2024-01-28 23:59 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画
●『スイス・スピリッツ―山に魅せられた画家たち』、アゲイン
沙門の 土人形と にらめっこ 笑えば負けも 負けて笑えよ」、「初雪の 舞う裏庭に 梅の花 紅白並び 蝋梅あらば」、「五六秒 バスから眺めた 松江城 ハローグッバイ 縁はあるなき」、「一度だけ 話した人の 笑み積もり よき人生と 笑みて思いし」
●『スイス・スピリッツ―山に魅せられた画家たち』、アゲイン_b0419387_13305418.jpg
一昨日の朝、雪が積もっていた。前日の深夜から降り始め、寝床に入る時に20センチほど積もれば自転車置き場の屋根の雪下ろしをせねばならないと覚悟していたが、朝に解け始めたようで、布団の中で雨のような音を聞いた。窓を開けると厚さ10センチ未満で、雪下ろしの必要はない。毎朝裏庭に出て合歓木に集まっている30羽ほどの雀に屑米をやるが、積雪では撒いた米が雀にはわかりにくい。ところがその心配がないほどに雪は解けて地面が見えていた。暖冬との長期予報があったので今回の雪は意外だが、一度くらい雪の日がなければ冬らしくない。ところでトーマス・マンの『魔の山』では第6章の「雪」が最も読み応えのある節であった。そこでは結核の患っている主人公の青年がアルプスの雪山をスキーしながら方向感覚を失って生死をさまよい、そして人生の真実味を頓悟する。その節を読みながら、自分の少ない雪の体験から、18年前の1月4,5日に家内と一泊旅行した鳥取と島根の美術館巡りを思い出した。当然ながらその季節では鳥取、島根は雪が積もっていたからだ。しかしそれだけが旅を思い出した理由ではなく、『魔の山』を読み始めてすぐにその旅行中に島根県立美術館でひとり別行動をして見た展覧会において特に印象に残ったキルヒナーの絵が思い浮かんだ。それで今日の投稿の題名は18年前に書いた同展の感想の続きの「アゲイン」としておくが、それを「キルヒナー」としてもよい。面倒くさいのでその18年前の投稿を読み返さないが、同展会場で買わなかった図録を7,8年前に入手し、今日の文章を書くために図録掲載の文章をすべて読んだ。それで18年ぶりに同展で展示されたキルヒナーの作品図版を紹介することが出来る。それだけであれば図録を買った当時に書けばよかったが、『魔の山』を読破した現在、その小説とキルヒナーを関連づけたいと思った。だが『魔の山』ではセガンティーニの名前は出てもキルヒナーはそうではない。『魔の山』はスイス東部のダヴォスが舞台になっている。全編その場所のみでの出来事で、1905年頃から7年間が描かれる。今日は『魔の山』についての感想を書く場ではないので簡単に済ますが、『魔の山』の執筆の契機は結核を患ったマンの妻が1912年にダヴォスで療養を始め、それをマンが見舞ったことによる。そして12年の執筆期間を要して上梓された。キルヒナーはマンより5歳下で、戦争とダヴォスという点で『魔の山』と並行関係にある。第一次世界大戦で心身を病んだキルヒナーは1917年に療養のためにダヴォスに転居、その後22年間、自殺するまで同地で描き続けた。
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 グーグルのストリートヴューで知ったが、ダヴォスの中心地に現在キルヒナー美術館がある。またマンの妻が入院したはずの病院もそのすぐ近くにある。行動力旺盛で経済力があればすぐにでもダヴォスに飛んでキルヒナー美術館を訪れたいが、NHKの『日曜美術館』のゲストとなるほどの有名人でない筆者には無理な話で、ストリートヴューやネット上の他の画像などを参考に行ったつもりになるしかない。そう言えば一昨日触れたロヴィス・コリントの代表作『赤いキリスト』は切り絵のホームページを始めた頃にその図版を載せ、その実物作品を見るためだけでも現地を訪れたいと書いた。思うだけで20年ほどがすぐに過ぎ去る。それで長年思っていることを少しでも消化したいので『魔の山』を読んだ。次にいくつもの読みたい長編小説が控えているが、それはさておき、『魔の山』のついでにキルヒナーを思い出したことはそう的外れでもない。隣家に昔平凡社が出版したイタリアのファブリ社の薄い大型冊子状の美術全集を乱雑に積んであり、先ほどそのキルヒナーとセガンティーニの巻を探して来た。今日の最初の写真がそれだ。表紙をめくると蔵書印とともに「1971.7.8.」が記され、筆者19歳の購入であったことがわかるが、それ以前からキルヒナーの絵は知っていた。今回久しぶりにその本を引っ張り出して解説文の書き手が音楽評論家の吉田秀和であることに驚き、また洋書からの明らかな文章の紹介部分はいいとして、全体にかなり物足りない内容であること、すなわち昔読んだ時と同じことをまざまざと思い出した。だが美術の解説はおしなべてつまらないものだ。図録というものは9割方は図版に値打ちがあり、文章は読んでもほとんど意外なことは書かれておらず、印象にほとんど残らない。昔からそう思っているので、このブログでは客観的な立場というより、目下の自分の私的なことに絡めて書くことにしている。それは情報を端的にほしい人にとっては迷惑なことであって、筆者個人の心情などどうでもよいはずだ。しかし筆者はその他人の思いを優先して書いているのではない。この文章を誰がどう読もうが筆者にはそのことは届かず、筆者は誰に読まれなくても書く。大げさかもしれないが、キルヒナーもそのようにして制作に励んだのではないかと想像する。一昨日書いたように、京都アニメ放火犯は自分が書いた脚本を盗まれたと思った。筆者は他人の文章を読まないので模倣や剽窃とは無縁と思っている。文章以外の本業などの作品でも同様で、筆者の表現が誰かのものにそっくりとすれば、それは偶然だ。そういうことはよく起こり得る。話を戻して、先のファブリのキルヒナーの巻は表紙が晩年の雪を被る針葉樹を中心とした油彩画で、同じ色調の作品が『スイス・スピリッツ―山に魅せられた画家たち』に出品された。同展はたまたま島根に訪れて知った展覧会で、京阪神では開催されなかった。
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 一昨日は最初に4冊の図録を重ねた写真を紹介した。上から2冊目は数年前に入手した日本初の『スイス・アルプス名画展』で、1977年春に東京の小田急百貨店で開催され、筆者は見ておらず、開催されたことも知らなかった。『スイス・スピリッツ』は同展の二番煎じと言えば聞こえが悪いが、同展とは幾分作品が被りながら、キルヒナーについては別の作品が展示された。それで今日はそれら二展に出品されたキルヒナーの作品図版をすべて載せる。さて、若い頃のキルヒナーは鋭く尖った槍のような形や構図が目立つ。筆者はキルヒナーの分厚い洋書を所有せず、したがって年代的な画風の変遷については疎いが、ファブリの巻に載る10数点の図版を見るだけでも、晩年の線や形が丸みを帯び、色彩が紫や緑が目立つことがわかる。それは都会で生まれ育ったキルヒナーがスイスの山間部で孤独に制作に没入したことの精神的な落着きを反映しているが、性格は変わるものではない。画題が田舎的、牧歌的になっただけで、色彩や形体は激しさをやや抑えながら相変わらずの猛烈な速筆で描きまくった。せっかちと言えばいいか、一瞬で沸騰する精神の持ち主で、直観で画題を選び、構図を決め、ジャズの即興演奏のように画面の四方の隅々までこうあるべきという形と色で塗り進んだ。セガンティーニのミニアチュール的な稠密な描き込みとは正反対にあるが、完成された一点はどれも同じ一点であり、描くに要した時間で絵画の価値が決まらない。それは鑑賞者の好み次第で、筆者は10代からキルヒナーは何となく無視出来ない画家であり続けている。その理由を深く考えたことがない。好きなものは一瞬で好きになる。女性を見た時と同じだ。ただしその一瞬は最初に見た時という意味ではなく、何度か見た後に一瞬で魅力に気づくと言ったほうがよい。絵画と女性を対照させるのであればそうだ。もちろんそれは筆者個人のことで、本当に初めて来た時に恋心を抱く対象はあるし、筆者もそうだ。キルヒナーの若い頃の作はブリュッケのグループと画風に共通性があって、またたとえばヴァン・ドンゲンの作を思わせる女性像も多くある。そういう他との影響関係をすっかり脱するのがスイスに移住してからで、2,30年代の作はどの作家にもない完全な独自の個性がみなぎる。どの創作家も年齢を重ねるほどにそうなる。そうした誰の模倣でもない充実した作品を量産しながらキルヒナーは密かに自信を深めたはずで、ダヴォスの家には若い画家たちが教えを乞うて集まった。それでキルヒナーはセガンティーニやホドラーと並んで、またそのふたりの後に位置するスイスの重要画家とされている。この3人の画家はあまりに画風が異なる。写実から遠い、あるいはデフォルメが目立つキルヒナーの絵は誰もやったことのない独特な原色の色彩対比によって、絵画を見慣れない人には精神異常者の作と見えかねないだろう。
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 刺々しい画題の処理は武器を連想させるが、実際木版画などの版画作品目立って多く、また木彫りの彫刻もしたキルヒナーは、刃物を表現に使うことに馴れ、その刃物を筆に持ち替えても表現が「切る」という言葉にふさわしくなった。「切る」は「キルヒナー」に通ずるが、そう言えばキルヒナーの油彩画に、自分の右手を切り落とした軍服姿の上半身の自画像がある。今その図版を載せた本が探せないが、たばこをくわえ、背後に裸婦が立ち、痩せて面長の顔はいかにも無愛想で神経質だ。カーキ色の軍服、確か赤の肩章、黄色い裸婦で、第一次大戦に従軍した後、1910年代後半の作と思う。雪舟の「慧可断臂図」では慧可が自ら切り落とした腕を壁に向かう達磨に差し出す図を描きながら、その切り落とした腕の切り口は赤い一本の細い線で描かれ、また鑑賞者はよく見なければそのことに気づかない構図となっている。ところがキルヒナーの先の作では切り落とした腕の赤い切り口の楕円形は丸見えで、真っ先にそこに目が行く。それを鑑賞者に平然と示しながらキルヒナーは画架に向かっている。なぜそのような絵を描いたのだろう。リストカット願望から浅い傷をつけるどころか、スパッと切りとしてしまうほどの強迫観念にさいなまれるほどに従軍によって精神を病んだのだ。キルヒナーの多作と速筆はいつ死んでもいいような思い、またいつ死ぬかわからない切迫感があったことも一因だろう。いつ死ぬかわからない不安はやはり戦争だ。その不穏な空気は同時代の人間模様を描く『魔の山』では終盤になって一気に増して来る。だがトーマス・マンが亡命で乗り切ったその第二次大戦をキルヒナーは避けることが出来なかった。ダヴォスでせっせと描いた作品はヒトラーに否定された。ファブリの巻の解説によれば頽廃芸術の烙印を押されて1937年に639点が押収され、頽廃芸術展覧会に展示もされた。スイスのバーゼルでの近作個展も評価されず、1938年、58歳でピストル自殺をする。世間から無視され、否定されたことによる失望をキルヒナーは全く予想しなかったであろうか。強い自意識は高名な画家ほどにあって当然で、キルヒナーは若い画家を指導もしたから、まさか自作が冷酷な扱いを受けるとは思わなかったのであろう。キルヒナーがもっと生きたとして、画風がどう変化したか。それは誰にもわからないが、ダヴォス時代の油彩画はもうそれ以上の進展が困難な画風と言ってよい。それほどに完成度が高く、唯一無二の様式を保っている。それを明言するにはダヴォスにあるキルヒナー美術館を訪れる必要があるし、ナチスが押収した大量の作品の内容を知ることも欠かせない。それでせめて洋書の分厚い画集をと思うが、思うだけで2,30年が経った。キルヒナーはドイツ表現派のひとりとしての展覧会での紹介はあるが、あまり一般向きではない画風ゆえ、日本でのキルヒナー展の開催は望み薄だろう。
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 キルヒナーの自殺は画風の変遷から見て何となく必然であった気もするが、オットー・ディックスのように60年代まで生きて描けば、案外ポップ・アートの先陣を切った可能性も大きい。画業後半期すなわちダヴォス時代の作は形は漫画的、補色を強調する原色系統の色合いは60年代後半から世界的に流行するポップ・アートの先鞭をつけている。『スイス・アルプス名画展』、『スイス・スピリッツ』はともに最後にポップ・アートの紹介となっている。筆者が小学生の頃、すなわち昭和30年代は海外旅行は一般化していなかったが、訪れたい国の筆頭がスイスであった。それはスイスが観光化し、ポップ・アートが流行する要因となった。キルヒナーがスイスで評価されるのはホドラーよりもポップ・アートを予告させるからだろう。となればもっと有名になってよい。ただし見て楽しいのはスイスに移住してからの作で、ベルリン時代の作はパンク・ロック、デス・ロックをさらに過激にしたような痛みを伴ない、フランスの印象派が好きな人は嫌悪の情を催すのではないか。ホドラーは両足を失った旗手を描いたが、そこには静けさと高貴さが支配的だ。一方自分の右手を切り落とした肖像画を描くキルヒナーは明らかにサド・マゾの性格を思わせる。今日の2枚目の図版は1919年の風景画、3枚目の白黒図版は23年の牧場風景で、漫画的で楽しい作品だ。4枚目は左が24年の『ゼルティッヒ峡谷』で、縦長画面の中央に針葉樹林、その背後に高い雪山、最下部に散歩中の小さな人物を3人描く。右は23年の『さまよえる人』で、農夫とのことだが自画像だろう。5枚目は左が27年の『日の出を前に―「深山荘」前のエルナと私』で、一緒に暮らしたエルナの生没年はわからないが、この絵は慈愛に満ち、幸福を噛みしめるキルヒナーが伝わる。画面左下隅に黒猫がいて、キルヒナーは他の絵でも黒猫を添え、猫好きであったのだろう。5枚目右は26年の一辺120センチの正方形の『ヴィーゼン近くの橋』で、ダヴォスの中心地から南東5キロほどのところにあり、『魔の山』でも主人公たちがピクニックでこの橋を訪れる場面がある。橋は鉄道橋で、深い峡谷に架かっている。観光名所となっているようだが、足腰が丈夫でなければ山の斜面を上り下りするのは大変だ。画面の白は雪だろう。真夏でも解けない雪があることは『魔の山』でも言及される。今日の6枚目の写真はグーグルのストリートヴューで探し当てて上下2枚で合成した同じ場面で、白はやはり雪だが、いかにキルヒナーが実際の眺めの色合いを好みの色に大胆に変えて全体の調和を考えたかがわかる。百年経っても眺望はほとんど変わらず、キルヒナーが写生した同じ展望台に立つことが出来る。キルヒナーの墓はダヴォスの森の墓地にあるとされる。『魔の山』ではサナトリウムで次々に死んで行く人たちがそこに葬られ、墓地の様子も詳しく書かれる。
●『スイス・スピリッツ―山に魅せられた画家たち』、アゲイン_b0419387_13325122.jpg

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# by uuuzen | 2024-01-27 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
●『ホドラー展』
き舌で ルルルトレモロ 『菩提樹』を 言葉知らずも 気分を糺し」、「教養は 強要されて 共用す 強いて勉めて 学ぶは大事」、「そうだねと 相槌打てば そうだよと 相打つふたり はたと傍目に」、「まじまじと 鏡覗いて 自画像を やがてへななの 崩れも示し」
●『ホドラー展』_b0419387_01561619.jpg
今日京都アニメ放火犯に死刑の判決が下った。犯人と同じ無敵な境遇の人が大勢いて、そうした人が苦しみから脱出する方策を世の中が考えなければ同様の事件はなくならないと、TVで識者が語っていた。正論であろうが、無敵な人はいつの世にもいる。またそうした人がやけっぱちになって残酷な事件を起こすとは限らない。また昨日書いたように、毒親から性被害を受けた女子が長じて精神を病み、自殺することはおそらく今後もなくならず、そのことが目立ったニュースになることもないが、日本では年間2、3万人も自殺者がいて、彼らのその行為を踏み留まらせることも含めて先の識者は何か方策を講じる必要があると考えているとして、さて具体的にどうすべきかとなれば詰まるところ教育が念頭に浮かぶ。つまり、教育の質を上げるということだが、筆者のような昭和半ばの世代とは違って教師の質が確実に低下して来ている気がするので、まずはそこをどうにかする必要があるのではないか。だが一方で思う。教師や教育の質を上げるとは具体的にどういうことか。ヘッセの『車輪の下』には教育者が神童と称される男子に過剰な期待をかけて勉学に邁進させた結果、呆気なくその男子は事故死してしまう。それは半ば自殺と言ってもよいことで、学校の教育が万能ではなく、世渡りに必須なものではないことをヘッセは思っていた。義務教育中、生活保護を受けていた筆者は、仮に人から後ろ指を指されるような荒れた生活、人生を送ったところで、周囲はこう言ったに違いない。「ああ、やはりああいう片親育ちの貧乏な子ではそうなるのは妥当だな」。そこで後ろ指を指されても当然との思いから開き直り、無敵の人へと邁進する人生を歩んだかと言えば、今も変わらず金欠暮らしだが、別の意味での無敵となり、他人から謗られるような行為をしないことに努めて来たつもりだ。そこには母の育て方が大いに関係しているが、そればかりではない。物心ついた頃から「ああいう人にはなりたくない」という思いからそれなりの大人像を思い描いたからだ。小学5年生の時に近くの市場の斜め向かいにコロッケ屋が開店した。道路に面して若い女性と男性がコロッケを売っていて、当初評判を呼び、母もよく買った。開店日か、その数日後か忘れたが、10数メートル先に見た20代半ばのその男性店員の笑顔をまざまざと覚えている。愛想よく笑顔であったが、「真面目そうな青年がなぜコロッケを売っているのだろう?」と不思議で、彼のような仕事は絶対に嫌だと思った。コロッケを揚げて売ることはいつの時代でも誰かがやらねばならないが、筆者はそういう仕事をしたくなかった。
●『ホドラー展』_b0419387_01563285.jpg その2、3年後に筆者は絵を描く道に進みたいと思い、母にそのことを言うと、「せいぜい看板の絵描きになるのが関の山」とたしなめられたし、またわが家の経済事情では中卒で働かねばならず、絵具を買うことにも困る。その話を数年後に先日の投稿「THIS DIAMOND RING」に書いたFに言うと、いぶかり顔で「看板絵描きになるとは限らんし、また看板絵描きでも大山がええんやったらそれでもええんと違うか」とたしなめられた。確かにそのとおりだが、映画の看板絵描きの職業がもう時代遅れで、同じ職人になるのであれば別の道を探さねばならない。それに毎日同じものを同じように作る職人になるつもりは筆者にはなかった。何かを自分で作るとして、それは絶対に毎回違うものでなければならない。10代後半の筆者はそのことに気づいていた。京都アニメ放火犯と筆者の違いは、毒親でなかったことと、周囲の大人がみな優しかったことだ。真面目でおとなしい筆者であったので、周囲の大人からの評価は高かったのだが、真面目でおとなしいことを装っていたのではない。小学4、5年生の頃、正月に京都の親類宅に行くと、従姉たちがTVを見る筆者の顔を見て小さな声で話していることに気づいた。「こーちゃんのあの顔を見てみ。目の輝きが違うね。あの真剣さはさすがや」。その話を耳に挟んで別段何とも思わなかったが、周囲の目という存在を意識はした。人柄は幼少時に目に現われ、他者はそれを見抜く。いかにもアホ面がよくないと言いたいのではない。筆者はむしろ無害のアホな同世代とは親しくした。彼らは自分でもどうしようもなくその状態にあって、いくら勉強しろと親が言っても頭に入る知識に限界がある。そのことを謗るのは本当のアホがやることだ。アホにも有害な奴がいる。彼らはだいたい芸能界で頭角を現わし、世間を醜く染める。京都アニメ放火犯はどうか。彼は自分が懸命に書いたアニメ映画の脚本の一部を京都アニメに盗まれたことが原因で建物に放火したと主張している。京都アニメも世間も盗作を否定しているが、ほんのわずかでも似たところがあったことはあり得る。アニメは実写映画以上に記号の集積であって、筋運びでもパターン化している部分は大きいと想像する。それゆえに放火犯が盗まれたと主張することには少しは真実があると筆者は思うが、腹いせにガソリンをぶち撒けて放火するという行為は理解出来ない。その行為は出自も含めて自分の過去を焼き払いたかったからだろう。そう考えるとまさか36人も焼死するとは想像しなかったはずで、極悪犯人ゆえに即座に死刑しろという意見に筆者は即座には与しない。またその犯人にしても大火傷を負った不自由な身体で生きているのも辛いはずで、生が地獄との思いもあるのではないか。アニメの脚本が採用される可能性はどれほどか知らないが、盗作されたと思ってやけになるのでは元から才能がなかった。
●『ホドラー展』_b0419387_01564486.jpg 才能は頑張って開花するものではない。何十年創作を続けても駄目なものは駄目で、そういう人のほうが圧倒的に多く、自分の才能を信じ、他人の意見を受け入れず、人生と金を無駄に費やす。本人がよければいいので、他人がとやかく言う必要はないが、とやかく言ってくれる人がいるうちはまだましで、たいていは呆れて無視する。だが、当人は「周囲に見る目のある人がいない」と信じ込んでいるので、正確に見通す人と出会ってもそのことに気づかない。さて、前置きが長くなった。今朝は雪が積もった。そのせいもあるが、トーマス・マンの『魔の山』やまた18年前に家内と訪れた島根県への旅など、ここ2週間は思うことが多々あり、まず今日はスイスの画家ホドラーについて書く。『魔の山』にセガンティーニの名前は挙がってもホドラーについては言及がない。『魔の山』が書かれ始めた頃にはホドラーはスイスやドイツで名を馳せていたので、マンがホドラーの作品を知らなかったはずはないと思うが、ホドラーより2歳年長でしかもマンが『ブッデンブローク家の人々』を完成させる2年前に死んだセガンティーニが名声を確立していたので、スイスの美術についてはセガンティーニを代表させたのであろう。筆者が京都市美術館でホドラー展を見たのは75年6月17日で、21歳になる2か月前だ。手元にその時に買った図録がある。図録の図版を改めて見るまでもなく、半世紀以上前の同展のことはよく覚えている。孤高かつ雄大な画家で、どの作品にも透明感と痛みが込められていた。だがスイスの画家でしかも同地から出て活躍しなかったので、たとえばクレーのようには有名でない。日本初の同展以降、さらに大規模なホドラー展は開催されたが、筆者はそれを見ていない。一方セガンティーニについては大原美術館に油彩画『アルプスの真昼』があるが、同作を含まずに78年に展覧館が兵庫県立近代美術館であり、筆者は5月4日に見に行って図録も買った。セガンティーニの緻密に描き込まれた油彩画は絵具の照りのせいもあって、光そのものを見る気がし、一度見れば忘れられない独特の味わいを持っている。トーマス・マンもそう思ったはずで、それで『魔の山』の舞台となった場所の描出にふさわしいと考えたのだろう。とはいえ、同小説にセガンティーニ論は展開されず、名前も一度しか登場しない。一目で把握出来る絵画よりも言葉の集積で映像を現出させ得る文学により高度な芸術性があるとの思いがマンにあったことは『魔の山』から明らかで、そのことを読者は納得するだろうが、『魔の山』の舞台となった場所と時代を考えれば、同時代のスイスやドイツの美術をおおよそ知っておくことは決して無駄ではない。それで今日はホドラーの話をしたいのだが、『魔の山』がらみからというよりも、成人するまでの過酷な境遇が必ずしも京都アニメ放火犯のような行為を生じさせない一例を示したいからだ。 そのことを言えば持って生まれた才能すなわち遺伝子の差という実も蓋もない話になってしまいそうだが、運も作用して優れた遺伝子を持つ人であっても挫折することがある例をヘッセの『車輪の下』は描いている。では逆に平凡かそれ以下の遺伝子でも社会的に大いに成功すること場合があるかとなれば、筆者はないと思っている。それも実も蓋もない話であるから、大多数の人は自分の可能性を信じて人生の一時期を賭ける。さて、『魔の山』は結核を患っている人々が集まるサナトリウムでの話で、今から百年ほど前は結核が多かった。それは筆者が小学生の頃まで続いた。以前に書いたことがあるが、筆者の母は20代の頃、家からさほど遠くない病院で掃除婦をしていたが、小学校から帰宅し、母に用事がある時は筆者はその病院にしばしば駆けつけた。ほとんど結核病院として機能していて、筆者が母を探して病院の廊下をすたすた歩いていると、近所の人のよいAおじさんは椅子に座ったまま筆者を見て、「ああ、大山さんのかわいい坊ちゃん、ここは結核菌がいっぱいやからあまり出入りせんほうがいいよ」とにこにこ顔で言ってくれた。その時のAさんの笑顔や姿、態度は今も鮮明に覚えている。その後Aさんはどうなったのだろう。Aさんの太った息子が筆者と同じ学年で、勉強は出来なかったが、理想的と言ってよい温和な性格で、中学を出てやがてトラック運転手になり、たまに銭湯で会うと、筆者の妹と一緒になりたいと半ば冗談でよく話していた。もうその頃には父親のAさんは亡くなっていたと思う。それはともかく日本でも昭和半ばまで結核患者は多く、筆者の周囲にたくさんいて、筆者の10代の終わり頃、レントゲンを撮ると、わずかな結核の痕跡があって自然治癒していると言われた。『魔の山』が書かれた当時、結核が悪化すれば死を覚悟する必要があった。そしてトーマス・マンのように経済的に裕福な者は保養所に行くなりして治療しながら暮らすことが出来たが、経済的な家族では次々に感染して子どものまま死ぬしかなかった。その一例がホドラーだ。彼は貧しい家に生まれ育った。洗濯婦であった母はホドラーら6人の子を産み、父は破産して32歳で死に、母は画家で5人の子のある男やもめと結婚して3人の子を産むが、ホドラーが12歳になるまでにすべての兄弟が肺結核で死に、また母もホドラー14歳の時に39歳で世を去った。それ以前から義父のアトリエで仕事を手伝い、また仕事を失った義父が転居した後、看板描きをし、15歳から20歳まで観光客用の風景画を描いていた画家に就いて修行し、そのことで画家を目指すことになった。母が無名にしろ絵描きと再婚したことがホドラーの天才を開花させる運となったのだが、看板描きや商品としての観光絵に携わることは職人仕事で、そのままではホドラーは名声を得ることは出来なかった。
 とはいえ20歳を過ぎたホドラーがすぐに有名になって絵が売れたのでは全くない。貧困は長年続き、全欧に名声が轟いたのは50歳頃で、経済的な勝利を獲得してからのホドラーはそれまで自分の作品を見向きもしなかった金持ちに対して辛辣であったという。絵を見る目がないのに、有名画家となればこぞって描いてもらおうというのはいつの時代でも同じだ。それで画家は一夜にして極貧から億万長者になり得る。ホドラーは65歳で死に、油彩画は1000点、素描は1万5000点ほどあると言われるが、75年のホドラー展では注文画としての肖像画は除外され、ホドラーと生活をともにした女性たちの肖像や群像、ホドラーの自画像、そしてスイスの山を描いた風景画が中心となり、売り絵以外の作品が端的にまとめられてホドラーの画風の変遷を知る最初の機会であった。そしてホドラーがほとんど無名であろうが有名になってからであろうが、画風にマンネリの期間はなく、まっすぐ一直線に余分なものを削ぎ落して純粋さを極めて行ったことがわかる。これは貧しく育ったにも関わらず、金を儲けることが第一義ではなかったためであって、生とは何か、真実とは何か、美とはどういうものかを考え続けたことが作品群から伝わる。もちろん生とは死と裏腹のもので、ホドラーは人は必ず死ぬ存在であることを意識しながら、生や美のあるべき姿を一時も忘れなかった。そしてジュネーブに腰を据えてから画題をアルプスの山や湖に求め、そうした雄大な風景画を描く傍ら、人物を画題に象徴的な絵を描き続けた。ホドラーの絵が堂々としているのは風景画も人物画も左右対称性を意識しているからだが、雄大な山並みを見つめながらその姿に人物のあるべき姿を重ね合わせたと言ってよく、特に自画像と山の風景画は全く同じ精神性を保っているように見える。ということはスイスの風土がホドラーの天才を目覚めさせたのであって、ホドラーがスイスに生まれたことは幸運であった。スイスというヨーロッパ絵画の僻地で描き続けたこともあって、ホドラーの作品を絵画史のどこに置くべきかの問題があるが、フィンランドのシベリウスのように辺境の国ならではの作品の持ち味はあって、ホドラーはスイス最大の画家と言ってよい。最初期のホドラーが観光客用の風景画を描く画家の弟子になったことは日本の広重や北斎などの浮世絵の影響をわずかでも受けたのではないかと筆者は想像する。それはホドラーがゴッホと同じ生年で、またシンメトリカルで装飾性に富む画風や色彩感が浮世絵を連想させるからだ。またホドラーは三角錐のニーセン山を好んで描いたが、その富士山を思わせる形からも浮世絵を意識したことが想像される。またホドラーが主張したパラレリスムは映画のコマ撮りの連続や広重や北斎の風景画における人物や松並木に着想がある気がするが、図録のどこにもその可能性については言及されていない。
●『ホドラー展』_b0419387_01565950.jpg ホドラーは数人の女性と出会い、共に暮らし、絵のモデルにした。いかにも精力的な風貌のホドラーであるので、新たな女性と出会うたびに画風を豊かにして行ったが、75年展で特に印象的であったのはベルト・ジャックという女性で、彼女の顔や正面向きの裸体を厳格な左右対称の構図で繰り返し描いている。16歳年下のフランス語教師の彼女とは45歳で再婚したが、彼女がモデルになった絵は結婚から9年後の1907年頃までのようだ。図録の年譜にはヴァランティーヌ・ゴデ=デレルという新たな女性との出会いが1909年にあり、その後は彼女をモデルに描く。ホドラーはよほど彼女を愛したようで、彼女が癌を患って死の間際の病床の様子まで盛んに描き続けた。その冷徹な観察眼は無慈悲なようだが、実際はその反対で、なぜ彼女が自分より先に死に行くのかということに納得出来ず、真剣に描くことで孤独を紛らわせたと言ってよい。同じ時期にホドラーは何度も自画像を描くが、以前は巌のように頑健な正面顔がどこかネジが緩んだように悲しみを宿した表情になる。年譜によればホドラーは1905年にロヴィス・コリントに会っている。コリントはホドラーより数歳年少で、またホドラー以上に頻繁に自画像を描いた。筆者は画集でコリントの自画像を制作順に見て行くと、その観察眼にいつも驚嘆させられる。老いてよぼよぼになって行く表情をそのまま描き尽くす容赦のない態度は、画家として、男としてまことに格好よい。日本では同様の強靭な精神の画家はいない。そのコリントの圧倒的な精神力はホドラーにも言える。そのことは自画像から明らかだ。少年時に身内を次々に失い、描くことが生きる意味になったホドラーは、長年の貧困にあってもそれを他者のせいにせず、また自暴自棄にならずに絵画に邁進し続けた。そして名声を得て経済的な不自由がなくなってからも作品を深化させ続けた。そういう人が真の芸術家であって、そういう存在はどういう境遇にあっても頭角を表わす。ホドラーが死んだのはバランティーヌの死後3年目であった。元気であった頃の彼女の正面顔から死の床の顔までわずか5年だ。まさか癌になるとは彼女もホドラーも思わなかったであろう。しかし死はいつ訪れるかわからない。そのことは『魔の山』のテーマでもある。作者は死んでも価値ある作品は後世の人が必ず気づく。その価値とはすなわち美だ。それは美しい形であり、それを支えるのは生と死を凝視しながら今を見つめる真剣勝負の眼差しだ。それは言い換えれば孤独に沈潜することであって、他者に危害を加えることではあり得ない。とはいえ、いつの時代も天才を輩出すれば自惚れの馬鹿も量産する。もちろん後者が圧倒的に多く、大多数の人はその馬鹿の大いに目立つ者を天才と持ち上げる。そのことは数歳の子どもでも知っている。「芸なしを 芸NO人と 言う日本 能のある者 そっと爪切る」
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