「
イギリスに 意義ありますと フランスは キリギリスにも フラダンスさせ」、「ごろつきが 語呂合わせして 付き合うは 神になりたき 身なり雷 」、「爆弾を 花火代わりに 使い合い 家なき子泣き やがて緑が」、「花真似て 花火の花の 広がりは 出鱈目拒み 整列見事」
一昨日投稿した先月28日夜に撮った花火写真は、翌日の29日の昼頃に投稿用の加工を行なった。その日の夜の2回目の花火を前にデジカメの記録媒体の空きを設けねばならないからだ。写真を加工しながら、無闇にシャッターを押し続けた割りにまあ上手く写ったかと思った。見晴らし、見通しのよい場所に立ったからで、家内の言うように阪急嵐山駅前で撮らなくてよかった。29日の夜はカメラ持参で「風風の湯」に行った。その帰りに花火を鑑賞して撮影するためだ。本来なら露店風呂かサウナから花火を見る時間だが、28日と比べてどのような写真が得られるかに関心があって、同じ場所に立って同じ状態で撮ることにした。花火は8時半からの5分間の打ち上げで、8時20分にはフロントで家内と待ち合わせをする必要がある。これはいつもより1時間早い。家内は早い目に湯から上がって休憩室で待っていた。外に出ると対岸の「花のいえ」辺りからマイクの声が聞こえる。たぶん嵯峨側のほうが見物客は多い。筆者は打ち上げ場所から30メートルほど離れ、花火を真下近くから見上げる格好だが、対岸からは首をそこまで曲げる必要はない。8時半はもうどの店も閉まっているので、この花火を大阪の人が知ればわざわざ嵐山まで来るだろうか。5分で終わった後、どこで休憩することも出来ず、そのまま電車で繁華街に出るとしても、もう9時を過ぎている。一杯飲めば終電でということになって、8時半の打ち上げはかなり遅いと思うが、警察その他の要請もあるのだろう。つまりあまり大勢やって来られると警備が大変で、また9時を過ぎればもう寝ている人がいて、安眠妨害の苦情が出る。半世紀前と違って娯楽はたくさんあり、花火を騒音と思わないでも、全く関心のない人もある。「風風の湯」の常連の嵯峨のFさんもそうで、花火の時間を知らず、「風風の湯」にいながら見なかったと言う。さてこれで経済効果がどれほどあるのか。一昨日書いたように渡月亭の主は花火の継続に熱意を公表しているが、商店主たちが嵐山の名物に育て上げるためにたとえば半世紀続けるとして、その間に時代がどう変化するかは誰にもわからない。花火が歓迎されるのか、その反対に、反対運動が起きるのか、主催者は自腹を切って地元住民をも楽しませているという気持ちであろうが、それがこれからの世代にどう伝わるかは予想がつかない。筆者はこの花火が毎年あってほしい。地元商店主が出費を惜しまないのは見上げたことで、その組合に「花伝抄」やその他の他府県や外資の大企業は入っていないはずで、この花火は地元で営業を続ける企業の矜持があってのことだ。
一昨日書いたように、日本中チェーン店だらけで、どの国道、県道沿いも同じ眺めになって来ている。1970年代、本格的な高度成長期からのチェーン店の出現によって、日本中同じ味が同じ価格で提供されるに至り、同じような顔とスタイルの美女美男が毎月マスメディアに登場することになった。それを「味気ない」と言うのだが、その意味を今の若者は知らない。第一彼らは味をわかっているのか。大型チェーン店で安価なものばかり食べ、手作りのよさを知らない、知っても縁がなく、ロボットじみた人物ばかりになって行く。挙句AI時代とやらで、画一的でなければ気持ち悪いとまで思う若者ばかりになるだろう。さて、今日の投稿は私小説的なことを書くつもりでいたが、公にするのはかなりまずい。ほのめかすことですらそうであるので、もどかしさに悶えるが、仕方がない。今日の写真を撮るのに、28日以上に真剣になった。しかし思った形に開く花火の花にカメラが反映せず、2,3秒遅れの反応によって半分以上が真っ黒けの写真であることを確信した。カメラの反射神経の連携がうまく行かないのは筆者の技術不足だ。隣りで家内が話しかけるのを苛立って無視しながら、撮影不能のピー音が鳴るまでシャッターを押し続け、それが終わったのは4分ほど経った頃で、最終の4、5発一斉打ち上げを撮ろうと思っていたことが徒労に終わった。しかし写真の加工を始めると、28日ほどでもないが、同じ枚数のどうにか使える花火写真は得られた。さて、花火が終わった直後、帰宅するために振り返ると、3メートルほど前すなわち狭い道路の反対側で花火を鑑賞していた60代夫婦の奥さんが筆者に声をかけた。暗がりなので顔も姿もほとんど判別出来ないが、彼女らは背後から筆者らを花火の間、見ていたことになる。ご夫婦のご主人は今年の時代祭に裃姿で歩いてもらえることになり、先月初めて顔を合わせ、花火の後が二度目であった。礼儀正しいご夫婦で、時代祭の参加に快い返事がいただけたことはありがたい。奥さんはどことなく謎めいて不思議な魅力を持っていて、花火が終わった直後に彼女から「こんばんは」と言われた時はぎょっとした。ほぼ真っ暗で、顔がわからないはずであるからだ。立ち話は出来ないこともないが、家内は面識がない。それですぐに帰途に就いた。彼女と擦れ違う際、彼女は「ああ、奥さんですか…」と言った。その声は家内には届かなかったであろう。すぐ近くに住んでいても長年顔を知らない人は大勢いる。花火のような一瞬の人生で、何もよくわからないままにすぐに過ぎ去って行く。
クリスティン・レイクランドの89年のアルバム『FIREWOKS』(花火)はいみじくもその題名をつけたものだ。デビュー・アルバムを出した30歳頃の彼女の格好よさに匹敵する女性を筆者は今のところほかに知らない。ここから全然別の話になるが、前述のように書くことは出来ない。
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