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●『千家十職×みんぱく』
家と聞いてすぐに意味がわかる人は京都でも少ないのではないだろうか。たいていの人は家が千軒と思ったりするかもしれないが、これは千利休に始まる茶道の家元で、利休以降少庵、宗旦と続いて、その後は三派に分かれて、三千家と呼ばれている。



●『千家十職×みんぱく』_d0053294_141022100.jpg千家十職と聞いて即座に思い出すのは『千家十職・塗師の系譜 中村宗哲歴代展』だ。今手元にその図録を引っ張り出すと、1985年10月20日に展覧会を見て買ったことが記されている。その後、友禅の仕事関係で、千家十職に深く関係する人から注文をしばらくもらい続けたことがあるが、百貨店でたまに千家十職展が開催されていることを知ったりもした。だが、興味や接点はそれまでであった。これは茶道を知らないからであろうが、先週も書いたように、日本画と同じように、いやそれ以上に茶道はもっと秘教めいたところがあって、門外漢にはなかなか近寄り難い。そういうこともあってか、柳宗悦は珈琲道などを始めたことがあったが、日本では何でも道にしたがる。だが、新しいものはなかなか伝統として続かない。ちょうどこの展覧会を見た時、隣の日本民藝館では柳宗悦によるその新しい珈琲道に関する展覧会が開催中であったが、時間もなく、見なかった。それはさておき、家内はかつて若い頃に茶道を学んでいて、かなりのところまで進んだようで、細長い板に毛筆で書いた看板らしきものも持っている。そういう関係で筆者は2、3度茶会に出たこともあるが、ぶらりと入ったある人の個展で抹茶を供されることもあった。そういう時に、あまり知識のない筆者でもおやっと思うような茶碗で茶を出されることがあって、不思議そうな顔をしていると、相手はその雰囲気をすぐに察知して、自分と道具にこだわらず、面白いと思ったものは洋の東西や時代の新旧を問わずに使っていると笑顔で言う。ま、そのように茶道は相手の反応を知るのになかなか奥深いものがある。わからない人には何もわからないし、深くわかる人にはあらゆることがわかるということだが、これは何も茶道に限らず、現代ではゴルフなんかもそのようだと聞くが、奥深さはさておいて、包含する文化の幅広さでは問題にならないほど茶道は大きい。茶道には道具がつきものであるから、それらの道具、あるいは掛軸や活けられた花など、あらゆることに関心がなければ楽しむことは出来ない。つまり知識と関心が豊かな人にとっては楽しい空間と場だが、そうでない人にはなんの面白味もない。そこが知識人とそうでない人の別れ目といったことになるだろう。だが、茶道が現在も盛んであるとはいえ、環境や生活習慣が江戸時代とは全然違ったものになった今、茶道に関連する知識が必ずしも知識人に必要とはみなされなくなっている。現代の知識人は英語やフランス語も操らねばならず、また外国文化にも造詣が深くなければ一人前ではないだろうから、茶席で必要とされる知識や茶道具の見極め方などばかりに時間を費やすことは出来ない。それに先に書いたように、利休の没後、家元が3つに分かれ、また一方ではやがて煎茶ブームも起こるから、茶という一語の奥にはさらに複雑なものがあることは素人でもよくわかり、ますます捉えどころがない世界に思える。喫茶店に行けば抹茶も煎茶もなく、あるのは紅茶かコーヒーであって、それらもそれなりに工夫すれば抹茶と同じように奥深いものがあることは誰しもよく知るから、現代人はならおさ覚えるべきことが多く、茶道の秘教性を敬遠しがちとなる。
 さて、この展覧会は当初6月2日までで、行くかどうか迷っていたが、新型インフルエンザに感染した人が関西で出るに及んでしばし休館し、そのために会期が14日まで延長になった。それで天気もいいので、今日の午後一番に行って来た。おまけに帰りは万博公園から阪急の茨木市駅まで数キロの道をぶらぶらと歩いた。このことは『おにおにっ記』のネタに関係することで、そのカテゴリーに書く。万博公園から同駅まで歩いたのは初めてのことだ。歩いていて楽しい道ではないのでもう二度とそういうことはないと思うが、いつもバスから見る風景の中に自分の足で歩くと、また違った発見があるのは事実だ。その常識を覆すと言えばおおげさかもしれないが、誰しもそういう経験をなるべく心がけ、またたまには実行すべきと思う。わかっていると思うことの中に案外知らないことがあるからだ。今回の展覧会はまさにそうしたところに焦点を合わせたものと言ってよい。チラシを最初に見た時、筆者は驚いた。それは、千家十職という秘教めいた集団がみんぱくと手を結んで何をするのかという思いだが、千家十職と釣り合うが取れる存在となれば国立機関のみんぱくしかないというその事実がまず面白く、そして恐ろしい。片や日本の茶の湯の歴史を作って今に伝えている集団であり、片やまだ歴史は千家十職の10分の1にしか当たらないが、世界中から集められた26万点という膨大な現物資料を抱える館であり、その圧倒的な量は、千家十職が脈々と作り続けて来た茶道に関係する品々をも飲み込んで増殖しようとするほどの勢いだ。つまり、今回の展覧会は、千家十職が作り続けて来た道具類と、みんぱくが収集した世界中の民族の資料とを突き合わせ、日本の茶道に関係する道具の特異性を炙り出そうという試みである一方、千家十職の十の家にそれぞれみんぱくの収蔵品を見てもらって、そこから新作の着想を得てもらい、実際にそれを作ってもらうことも含んでいる。そういう試みを提示して十職に了解を得てもらうには、何度も交渉を重ねる必要があったことは想像に難くないが、筆者が驚いたのはまずその部分だ。今はそういう面白いことが実際に起こる時代になっている。それはみんぱくが着実に資料を増やし続けて来たからで、この施設の重要性は年々倍々で増加していると言ってもよい。日本の万博の遺産としてはこれは世界に誇るべきものであろう。今回久しぶりに常設館も覗いたが、それはアフリカ館などが新しく充実したということを知ったからだが、アフリカには行ったことがなくても、アフリカで資料を集めて来た人々が館内の展示を設え、照明にも気を使っていることもあるためか、まさにアフリカにいる気分に充分なれる空間が出来ていた。物主体の展示であるので、アフリカの空気までは運べないが、それでもその物はアフリカの空気の中で生み出されたもので、パソコンの画面では到底味わえない圧倒的な力が伝わる。ネット時代になってから、みんぱくの実物展示の価値はさらに高まったと言えるだろう。話を戻して、千家十職の十の部門の物作りの家は、それぞれ茶道に関係する道具を作り続けているが、昔と全く同じものを作り続けているのではない。作り手は常に現在に生きて現在に見合った新作を作る。だが、歴代がどういうものを作って来たかは各家によって細かく記録され、また実物も伝わっているから、その伝統を忘れずに新作を生むという立場を忘れない。そのため、以前の代に作られたものをそっくり模写して作ることもあり、そうした伝統的技術を備えたうえで新しいものを作る。この立場で創作することがなかなか困難であることは誰しも想像がつくであろう。
 ダダのように伝統を完全否定して、全く新しいものを生み出そうとする考えは、茶道という様式、形式が完成した美の行為からは許されるものではないし、許されるとしても限度がある。先に書いたように、茶人によっては洋の東西や時代の新旧を問わずに好きな茶碗を使ってもいいという立場を採るが、千家十職では茶碗は樂家か永樂家の二家が作っており、そこには紛れもない完成された様式があって、その様式を絶えず更新しながら時代に見合った新作を作り続ける。当然その二家が作る茶碗以外のものを茶席で使用してもいいが、京都ではその二家が十代以上も系譜を途絶えずに同じ様式で作り続けており、また十家が共同することでその伝統性はさらに強化されている。こういう存在は京都ならではあって、それを他の地方の人が今さら批判しても、十家に匹敵するほどの歴史ある存在はもう出来ないから、十家は価値はびくともしないどこか、年々強化される。個々の作品の価値を云々する立場とは別に、その今に続く歴史の長さを尊ぶという意識はやはり人間にはあって、簡単に言えば老舗の強みだが、十職もまた各代は一代限りを命と思って新作を作り続けて来たわけで、その意味で通常の芸術家と変わらず、あるいはもっと言えばダダ的な思いすら内に持ってもいると言ってよい。でなければ今回のような企画に賛同しなかったはずだ。十家の各家の人々はそれなりに現在を見据えて新作を作っているが、同じ「手作りの品」という条件にしたがいつつ、世界中で作られているものに実際に触れることを通して、何か響き合うものがありはしないかを考えた場合、その最も効率のよい施設がみんぱくであったということだ。ただし、それは十家の足並が揃うとしても、その程度は作家によってさまざまであるし、専門として作っている物によっては反映しにくい場合もあるだろう。それを承知で、あえてというところに意義があるし、また鑑賞者もそのずれの程度を各家でどのように生じているかを確認するところに面白味がある。そこにはそれこそダダ的に近いほどの逸脱もあるかもしれないし、ほとんど以前に作っていたものと大差ないではないかといった保守性も見られるだろう。そして、そのことによって茶道の現状も見えるし、個々の作家の置かれた立場や、その感性も見える。予想されるのは、十職が貫祿を見せて、みんぱくに所蔵される世界各地の民芸の品々に飲み込まれず、その逆にそれらを飲み込んで自分たちの様式をさらに豊かに提示することだが、そうした文化交流とは言える響き合いは今に始まったことではなく、利休の時代からすでにあったことだ。そう思えば、今回の企画は斬新と言うよりも、機が熟した必然と思った方がよい。
 千家とは、最初に書いた中村家の漆塗のほか、茶碗の樂と永樂家、茶釜の大西家、金物の中川家、竹細工の黒田家、袋師の土田家、一閑張の飛来家、指物師の駒澤家、表具の奥村家だ。各家ごとにコーナーが設けられ、説明パネルも豊富であったが、パネルがかなり上方に掲げられ、小さな文字で見えにくいものがままあったのは残念だ。また、世界の民芸によく馴染んで面白い新作を作っている家もあれば、たとえば茶釜の大西家のように、新作釜を作るのではなく、普段釜を作る材料で全く違った、茶道とは無関係の、蜜蝋で作った妊婦像、つまり彫刻作品に分類出来る個人的な芸術作品などもあって、茶道具の完成されたがゆえの、もう解体が出来ない伝統のがんじがらめを強く思わせた。釜の形を大胆に変えることは不可能であるとして、釜の表面に浮き彫り状態で表現する文様に新しいものを導入することは出来ない相談ではないと思うが、その程度では少しも面白くないと判断したのかもしれない。筆者が最も期待と言うか、関心があったのは樂家だ。これはこのカテゴリーに書かなかったが、今年2月に滋賀の佐川美術館に家族3人で出かけて『伊東久重展』を見た時、新しく出来た樂吉左衞門の展示館を覗いた。実はその館には茶室がある。それを見るには予約する必要があるとかで、それは見ることは出来なかったが、茶碗が展示されている場所は常設展示扱いで見ることが出来た。ついでに書いておくと、この茶室にまつわる表具一式は筆者が昔からお世話になっている表具師が何か月か通って完成させたもので、その点でも見ておきたかったが、ともかくその日は機会がなかった。だが、後日NHKのTV番組でその茶室の様子は詳しく紹介され、行った気分にはなった。茶室や展示室は地下にあるが、地上はこの佐川美術館のデザイン特有のプール状の浅い水面があって、そこに琵琶湖の葦を運んで植木職人が目隠し的に植え込んでいる。筆者は画面でその様子を見ながら、また同館に行って実際にその葦の現状を見て、つくづく樂茶碗の本質を見た気がしたものだ。樂茶碗は轤を使わずに手びねりで作るが、そこには最初からわざとらしさが入り込りやすい。そのわざとらしさを面白がるのが樂茶碗の見所になっている。そのあくまで人工を通して自然を見ようとする立場は、茶道の本質につながりつつ、芸術の奥深い問題を常に突き続けている。わざとらしいということは厭味ということだが、その厭味を自然で好ましいものと見るかどうかは、人によって大きく判断が異なる。たとえば柳宗悦からすればそれは不健康な芸術の道として退けられる。だが、芸術は本来技巧の産物であるという立場からすれば、樂家が作り続ける茶碗は、最も困難な道を二河白道的に歩んでいるとも言え、そのスリルが見所にもなっている。
 話を少し戻して、佐川美術館の樂展示館の葦は冬でもあるためか、すっかり枯れて、ほとんど地上に何も姿を見せていなかった。筆者にはよくわからないが、それがすっかり枯れたのであれば、毎年植えつけるのかもしれない。おそらくそうだろう。琵琶湖の豊かな自然をそっくりそのまま水深数十センチの人工池に再現することがどこまで可能なのかは知らないが、葦がよく育つことは、そのほかの生物も豊かである証拠だ。だが、毎年職人が葦を植え続けて、人工を自然に見せかけることは、そっくりそのまま樂家の茶碗の精神に見事にかなっていまいか。先のTVの特集では吉左衞門が自作の茶碗を郊外の自然の中に持って行って据え置く姿を紹介していたが、自然の中にあってそれと調和しながらも存在を強く主張する茶碗を目指しているということなのだろう。それは茶道本来の精神にかなうことであるから、その態度は茶碗作り作家としてよく理解出来る。だが、筆者の印象を書くと、当代の吉左衞門の茶碗はその強い衒学的傾向と、斬新な表面的な意匠化にもかかわらず、どうにもうるさい茶碗で、好みではない。確かに歴代の茶碗があらゆることを試し終わっているから、そこに現代に見合う何らかの新鮮な表現をすることの並大抵ではない困難は充分想像出来るが、鄙びた味わいはすでにすっかりなく、アクセント的にごくわずかに引かれる青や赤の短い線はいかにもよけいなもので、造形を意識し過ぎた過剰な文様に見える。現代の一陶芸家の作品として目立ってはいるとしても、目立つだけならほかにもたくさん陶芸家はいる。佐川美術館の当代の吉左衞門の茶碗を展示する空間は地下の暗い場所が充てられていて、学校の教室で言えば2、3室の広さに相当する空間に茶碗が1点だけ展示されていたりする。そしてその茶碗の題名が漢字で数十文字を費やしているが、それは中国の古典、たとえば『屈原』から取られていたりする。『屈原』の内容を知らない人は見るなということかもしれないが、知っている人が見ても失笑することもあろう。中国の古典によく通じていることを示したいのかもしれないが、ただの1個の茶碗に何とおおげさなことか。そんな古典文学の文字を援用しなければ、箔がつかないような茶碗など、本来内容が空疎なものではないか。さて、話をみんぱくの展示に戻そう。その吉左衞門の茶碗は世界の民芸を見たことでどう変容したか。世界の民芸を見た程度では変容するはずがない。吉左衞門のコーナーの展示には、魚を取り込む網状の罠であった。そうしたものは世界中にあるが、その形は民族それぞれに違っている。そうしたものの中からアフリカのかなり大きなものを選び、その中に目についた民芸品を雑然と取り込み、そしてそこに自作の茶碗をさりげなく混ぜたのだ。だが、残念ながら照明が充分でなく、筆者には吉左衞門の樂茶碗はよく見えなかった。その展示はさまざまなことを考えさせる。そうした無名の民芸品に混じって静かに充足する姿と、その反対に際立つ自己主張だ。その意味でまさに樂吉左衞門的な展示だが、今こうした書いていて展覧会のチラシを見て驚いた。罠網の中に展示された茶碗は新作で、それは佐川美術館で見たものと同じ様式で、一見して吉左衞門的の作品であることがわかるが、タイトルは何と横文字の「アフリカン・ドリーム」だ。そして、そのタイトルを知って見れば、実にそれがふさわしい茶碗に見える。その意味では吉左衞門が今回の企画に応じてみんぱくの収蔵庫に入ったのは成果があったことになる。
by uuuzen | 2009-06-11 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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