工夫の始まりは意識することにあるが、その意識性が自然なものに思われない限り、その工夫は成功しているとは言えない。
今日からまた『おにおにっ記』の新たな17日分が始まるが、何度も書くように、その最初にこのように別の文章を添えている。そして、週1回の長文の場合も含めてだが、その冒頭の文字をインジゴ色の少し大きなものし、しかもその文字はまだ使ったことのないものを心がけている。その数は500を超えているが、毎回その文字を何にしようかと思い悩みながら、前に使ったものとだぶらせないために、冒頭文字を記録しているメモ帳を検索すると、なかなか使ったことのない文字が出ない。まだ500字程度であるから、まだまだいくらでも未使用の文字はあるが、自分がよく使う文字には好みがあり、また語彙の乏しさもあって、即座にそういうものから外れる文字は思い浮かばない。たとえば今日最初に使った「工」は、筆者の頭の中では「工夫」という言葉にくっついて思い起こされることが最も多いが、さて最初の文字を何にしようかと考え、2、3思いついたものを検索すると、以前に使ったものであることがわかり、それでどう工夫すればいいかなと思って、その「工夫」の「工」を入れて検索したところ、未使用であることがわかった。それで早速この文章を書き始めたが、そのメモ帳に記録される500少々の冒頭文字表が大きくなるにつれて、筆者は新たな冒頭文字を考えるのに時間を要し、その分こうして書く内容もどうしても技巧的なものに傾きがちとなる。だが、そうして意識を強化した文章こそが本当は読むべき価値のある文章と呼べるものかもしれない。
かつて文学では自然主義がはやり、観察をこと細かにして細部の描写を連ねたが、それもまた技巧であって、その技巧性を読み手に意識させないことが一流の小説になるかどうかの分かれ目ではなかったかと思う。で、それを思いながら、筆者のこの『おにおにっ記』は日記であるから、毎日感じたことを自分で面白おかしく書くところに意味も価値もあるはずだが、読み手も意識する一種のいやらしさはあるから、その点に意識性が入り込む。つまり技巧が必要になる。そして、その技巧が自然なものに思われない限り、それは成功しているとは言えないが、ともかく筆者はこうした即興で書く日記でも、創作の何らかの可能性を忘れてはいない。毎日確実に書いてどういう創作的と呼べる日記が出来上がるのか、またその技巧性がどれだけ成功するのかしないのか、しないとすればそれはどこに原因があるのか、それを見定める思いもある。そしてもっと言えば、このようにして内部事情をたまに吐露することで、『おにおにっ記』にそれなりに技巧を凝らしている、またそうせざるを得ないちょっとした事情があることを知ってもらいたいと思うが、そういう工夫を凝らしていることを全然感じない人があれば、筆者のその工夫は成功しているわけで、また逆に明瞭に感じる人があれば、それはそれでその工夫性、技巧性に、実は筆者の思いがあるから、それはそれで正しい反応と言いたい。結局のところ、筆者は技巧が好きで、自分の表現には必ずそうしたこだわりを強く抱いている。その技巧が過ぎるといやみになるが、詩でも俳句でもみな技巧の産物であって、その技巧性が面白くないものは、基本的に作品は少しも面白くない。そしてその技巧性は、実は模倣から始まったものは面白くなくて、その人物が本来持っている気質から出て来たものでなければならない。その差の峻別は難しいが、意識しないでも簡単に冒頭の1字をだぶらせ得なかったような初期段階を過ぎた後の、意識しなければならなくなった頃から創作的行為は始まるのであって、冒頭の1文字を絶対にだぶらせないという筆者のこのブログは、その意味で純粋な意味での創作かどうかは別にして、それを意識したものであることだけは間違いない。
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2008年09月04日●第 35 話 北京オリンピックはコンピュータ制御の豪華花火満開でした。植物の花と違って一瞬光ってすぐ消える花火ですが、その一瞬が永遠に記憶されます。時間の長さなどないのです。古い新しいもないのです。※
●マニマンの思い出すっ記 4
ニンゲンやモノとの出会いは、時に火花が散って長く鮮やかに記憶に残ります。時間の長さなどないのです。古い新しいもないのです。桜が散り始めたある日の昼下がり、マニマンは鉄の門扉の修理人を見かけました。鉄をグラインダーで削る時、ものすごい音がして、たくさんの火花が散ります。それが春のどの花よりきれいに見えました。写真を撮ろうとすると、もう作業を終えたようで、マニマンは残念な思いをしながらスーパーに行きました。帰り道、その人はまたグラインダーを手に取って同じ仕事をやり始めました。今度こそアタック・チャアアーーンス! マニマンはその人の手元だけをこっそり撮影しました。マニマンはその人と顔を合わせると、きっと火花が散ると思いましたが、幸いなことに、その人は音があまりに大きいので、日陰マニマンのこっそり接近に気づきませんでした。