貧乏暇なしという言葉を知ったのは小さな子どもの頃だったが、この貧乏は経済的なそれを言っているのは当然としても、改めて考えると含蓄が深い。
所有するお金に乏しいと、せっせと働かねばならず、自由になる時間がないが、そのお金に乏しいということは、絶対的なことではなく、人それぞれによって尺度が違う。昨日久しぶりに母と話していて、母は半世紀ほど前の、まだ日本が経済的に貧しかった頃、借金をしてまで食道楽をし続ける人があったと言った。それは、当人はある意味では自分は美食家であることを自慢していたに違いない。借金をしてまでも自分の好む生活を続け、それでお金が返せなくなれば、夜逃げするといった家族は当時筆者の近所にはあった。表面上は金持ちだが、実際は経済的にも精神的にも貧乏だったのだ。今なら自己破産という方法があって、そうした人々が悲惨な思いをすることがないように法律で保護されているが、生活保護家庭がそうではない家庭より多くのお金で毎月暮しているということも今はあたりまえのようによくあって、日本には貧乏をよってたかって許さないという、変なおせっかい主義思想がはびこっている。これは貧乏を恥と思うところに由来しているからだろうか。先日、TVで生活保護家庭の若い母親が、スーパーに行っても好きなものを買わずに、安いものを買って食事のおかずにすると言って涙を流していたが、それを見て同情しない者はまるで人間ではないといった風潮があるように感じるが、筆者は全く同調出来なかった。第一、筆者も全く同じ生活をしているからであるし、またそういう生活を貧乏とは自覚していないからだ。半額商品ばかり毎日平気で買うことは、確かに経済的貧乏には違いないが、スーパーに毎日買い物に行ってわかることは、旬の野菜が豊富に出回る頃には、驚くほど安くなるということで、人間の健康に最も好ましい旬の野菜は、とても安価で食べることが出来るという事実で、それを好きとか嫌いとか選り好みせずに食べられることの感謝を思う。それに半額商品はその日の晩に食べると、世の中の資源を無駄にすることにもならない。また、お金が乏しいことを涙ながらに世間に訴えることもなかろう。それをしてもっと生活保護費を上げてくれというのは、半世紀前の生活保護家庭にはなかったと思う。それはまだ儒教の言う恥の精神が生きていたからではないだろうか。
好きなものを好きなだけ食べることが出来る状態は理想であるかもしれないが、そのことで思い出すのは、親類のまだ10歳前後の子どもの好物が回転寿司だ。それを兄弟と競争しながら20皿ほど食べるというが、それも大人でもめったに口にしない、また出来ないオオトロのような高価なものが大好きだという。そしてそういう食事を毎週のようにするのだが、そのために家ではほかのものはほとんど食べないようになっているという。これを聞いて筆者はとてもその子どもを哀れに思う。旬の野菜のおいしさや家庭のおふくろの味といったことを知らないで育ち、お金さえ出せばすぐに好物が眼前に回って来ると意識を植えつけられると、食の重要性を考えられなくなる恐れが大きい。毎日オオトロの寿司だけ食べて暮せるのがはたして金持ちか。筆者からすれば最悪の貧乏人だ。これは負け惜しみではない。何でもおいしく味わって食べられるというのが本当の幸福者であり、金持ちというのだ。そこでまた貧乏暇なしに戻ると、今はホームレスは暇が大ありの大金持ちという逆転現象が起こっている時代と言ってよいが、単に暇のあるなしで貧乏が決められるかどうかの問題を考えると、暇をどう捉えるか、また貧乏をどう捉えるかによって、答えは人によって大きく異なる。先に貧乏は経済的の意味と直結して認識されていることを書いたが、貧乏暇なしを言葉を見つけた昔の人は、貧乏にもう少し別の意味も持たせたように思う。今大事なのはそのことだ。貧乏を経済的にしか捉えられない、それこそ貧乏な人は、いつまで経っても救われることがない。たとえば、お金があって、ブランド物の衣服を両手いっぱいにぶら下げて買ったり、また高価な食材を毎日買って来ることが出来るというのは、幸福を絵に描いたような光景で、誰しも望むところなのだろうが、それも相対的なことであって、より金持ちとなるとさらにスケールが違い、それを知る中金持ちなどは内心悔しさでいっぱいかもしれない。それは醜く不幸で貧乏なことの典型だ。他者と比べずに、苦の中にも楽があり、楽の中にも苦があるといったことを実感しながら、日々充足するのが本当の富裕者だ。暇がないほどに仕事が忙しいが、その中でも工夫することを忘れず、それを楽しむことの出来る人は貧しくはない。あまりにも暇がなく、そのために週1回の長文を書く時間が今月はない。書くべき内容はいつもいくつも溜め込んでいるが、今日は『おにおにっ記』の17日ごとに書く前置き文の日であり、ワープロを使わずにパソコンの前に向かって直接書いた。暇がないようでもこの程度の暇を見つけることは出来る。
※
2008年08月18日●第 18 話
マニマンはTVでオリンピックのマラソンを見ていて、コース沿いに赤い花がよく咲いていることに気づきました。百日紅です。日本では「猿すべり」と言います。幹がつるつるで、猿が滑るからです。本当は滑らないでしょうが、木肌には珍しいほどにつるつるなのです。小川沿いに浮揚咲く芙蓉の近くの、隣り合った2軒の家の庭に、白と桃色の猿すべりがそれぞれ咲いています。散歩中、マニマンには遠くからそれが見え始めるのが楽しみです。「百日紅」は百日ほど咲き続けるのでその名があります。確かに長く咲いているのでありがたみはありませんが、白と桃色の花が並んで咲いている光景はいい眺めです。先日までそのすぐ近くに真っ赤な夾竹桃の花が咲いていました。そのいかにも暑苦しい色が、インドの花であることをつくづく納得させるのでしたが、猿すべりは花の形が小さく、また縮れて不定型のため、ふわふわとして捉えどころがなく、あまり暑さを感じさせません。そして、今日マニマンは、白い花は夏向きだなと思いました。マニマンもマニマン人形みたいに、真っ白なスーツとシャツと革靴の、全身白色で歩きたいものです。