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●「THE LETTER」
行で言えば、手紙は今はケータイかパソコンでのメールが多数を占めるようになったが、それらがない時代に電話があって、電子メールは文字を手で書く手紙と電話の中間に位置するような気がする。



●「THE LETTER」_d0053294_22551783.jpgとなれば、言葉の伝達手段が増えただけで、手紙はまだ時代遅れではなく、今後も残るものとなる。でなければ郵便局も大部分が不要、切手も必要がなくなり、趣味で切手を集める人もやがていなくなる。そういう時代が来ないとも限らないが、困る人が多くなっては困る。文字がある限り、それを紙に手で書くという作業はなくならず、そしてそれを包みに入れて届けるという形態もなくならない。また、手紙をもらった人は、企業の広告でない限り、封を切る時にわくわく感があるもので、そういう楽しみを覚えた人間がそれを捨て去ることはない。また、電子メールにもそれなりの便利さがあるから、これもなくならないであろうが、電気や電波を必要とする通信というのは、電気電波を送受信させる場がない場合はさっぱり機能せず、やはり人間が自分の手が書き、人手が運ぶ古来の手紙が、最後まで強いし、信頼が出来る。ところで、ビートルズの来日時、日本の識者たちは、何に対して拒否反応を起こしたかと言えば、電気を使って奏でる音楽という点が大きかった。それは本来アコースティックであるはずの楽器を何倍、何十倍にも音量を増幅させ、しかもそういう音楽を聴きに集まった若者がさらに大きな悲鳴を上げる。それでは音楽を聴くも何もあったものではなく、猿同然の狂態であると言うのであったが、ビートルズ以前にロカビリーが流行した時に、電気で増幅された痙攣的な踊りのリズムの音楽と若い女性の悲鳴はみんなよく知っていた。そして、そういう陶酔性は江戸時代には念仏踊りなどにあったし、人間の根源的なものであることをどの民族でも知っていたはずだが、それが日本で大流行し、電波に乗って国中に一斉に撒かれるのが、識者にすれば一億総白痴ではないが、何やら戦前の玉砕思想に共通するものを感じて苦々しかったのかもしれない。また、クラシック音楽からすれば、その根源性は人間の原始性、野性性そのものに見え、音楽における末端部分を肥大化させた音楽に過ぎず、知的さのかけらもないものとみなせばよかったか。大音量によって多くの人間に伝えるという部分は、売れたものが勝ちという価値を生むし、実際ビートルズ以降、音楽はそのようなものになって行く。それはさておいて、今日取り上げるボックス・トップスの「あの娘のレター」は、「あの娘の手紙」とやらないところが、原題を重んじた気持ちの表われだが、片仮名表記混じりである分、新しい時代を思わせる。ボックス・トップスというグループ名は、キャッシュ・ボックスのトップを思わせるが、そのためもあってか、この曲はアメリカで1967年9月以降に1位を記録した。それはビートルズ来日の翌年で、当時はまだラジオでヒット・パレードが盛んであった。筆者はそうした番組をいくつか聴いていたが、洋楽とは別にタイガースが登場してTVに出て人気を得始め、ビートルズで騒いだ若い女性の少し下の年齢の女性は、日本のグループ・サウンズに熱を上げるようになった。筆者はタイガーズやテンプターズ、ジャガーズなど、そうした日本のグループには関心がなかったが、ラジオやTVで頻繁に曲がかかったから、今でもさまざまな曲を題名を知らぬまま記憶する。そう思えば、当時の日本の音楽グループもそれなりに独創性があったのだ。だが、何と言っても次々と耳新しいことを繰り広げるのは外国のロック・グループであった。だがアメリカから見れば、ビートルズばかりが流行で、その中心であるのではなく、ビートルズに対して日本のタイガースに似た何かを感じていたのではないかと思う。そしてビートルズの基礎にあるのは、アメリカ生まれのリズム・アンド・ブルースであり、それはアメリカこそが本拠地であるとし、ビートルズはそれから派生した甘いふわふわとしてお菓子みたいな音楽で、もっと本物の味を持ったものはアメリカにはいくらでもあり、またアメリカこそがそうした伝統を革新して行く力があると信ずる人々もきっと多かったに違いない。
 67年当時筆者は16歳であったが、ヒット・パレードで流れる音楽は、イギリスやアメリカ、そしてヨーロッパから輸入されたものの混合で、世界でどういう音楽が流行しているかをコンパクトに見つめるにはかなり役立つものであったろう。それらの輸入音楽はほとんど同時に日本語に翻訳され、あるいは意味を汲んで日本語の歌詞が作られて、有名歌手に歌わせるということはすでに50年代から、あるいはもっと以前からあったが、ビートルズ登場後はグループ・サウンズがその役割を担った。だが、そうしたカヴァー演奏より、自前の曲を演奏する方が儲かるということを早い段階でビートルズから覚えたためもあって、タイガースにしてもカヴァー演奏はさほど多くはなかったと思う。そしてそうしたカヴァー演奏はTV番組向けの単発的収録で、アルバムにまでは含めなかったのではないだろうか。だが、筆者はよく記憶するが、67年の暮れか68年の最初の頃か、タイガースは「あの娘のレター」をTVで演奏し、沢田研二はリード・ヴォーカルを担当したことがあり、その時筆者はかなり驚いた。「あの娘のレター」はビートルズの『サージェント・ペパー』がもてはやされている頃にアメリカのヒット・パレードで1位を記録し、日本で紹介されてたちまち人気を得た。最初にラジオで聴いた時のことを筆者はよく記憶する。そして、その黒いフィーリングはボビー・ヘブの「サニー」の延長にあるもので、てっきり黒人に違いないと思い、またビートルズにはない渋さに唸ったものだ。ビートルズには同じような感覚の曲としては「デイ・トリッパー」があるが、「あの娘のレター」はヴォーカルがもっと声をひしゃげて、しかもリズミカルで、サビの部分を押し出すように歌う部分などは特にリズム・アンド・ブルースと言うにふさわしいと思えた。だが、残念なことに演奏者のボックス・トップスは一発屋であった。ちょっとしたヒットはあっただろうが、日本のヒット・パレードで紹介されることはなかった。アルバムは発売されたであろうが、筆者はそこまで関心が及ばなかった。それでもたった数回聴いただけで隅から隅までよく記憶し、それが40年以上も持続しているのが不思議で、そのような印象深さがあったことによって大ヒットしたと思える。つまり、わかりやすさだが、わかりやすいからどんな曲でもヒットするとは限らない。アメリカで大ヒットしたのは、やはりビートルズにはない本拠地アメリカのサウンドであったからだろう。そして、いかにも67年の古い曲を思わせる一方、時空を超えて新しさを持っていると感じさせるのはなぜか。若者が数人集まって演奏出来る音楽の基本がここにはあり、またロックの原点の味わいに富むからと思える。だが筆者は、「あの娘のレター」が10代半ば過ぎの白人の演奏であると知ったのはつい数年前のことで、ネット・オークションでシングル盤のジャケットを初めて見たのも同時期であった。6、70年代では、発売後半年以上経ったシングル盤はレコード店にはもう置いていなかったと思う。新曲が毎月出るし、そうした新しい流行の陰で古い流行はすぐに物理的に忘れ去られた。であるから、気になりながら、「あの娘のレター」のレコードを入手しないまま何十年も経つのはごく当然であった。ところがネット時代になって、顔の見えない相手から安価でそうした品物を買うことが出来るようになった。その意味で、ネットは筆者にとって古い記憶を呼び覚ます道具だ。そうした記憶をこうして書くのは、またネットに返す行為であって、しごくまっとうなことに思える。
 「あの娘のレター」の原題が単に「ザ・レター」であることはヒット当時から知っていた。この曲はビートルズが67年に入って突如始めた流行としての、比較的長めの曲とは反対に、ちょうど2分と言ってよいほどの短さだが、あまりに短いためにもう一度という気にさせ、レコード盤に何度も針を落とさせる。それがヒットの理由ではないだろうが、この短さは筆者には昔から不満だ。だが、途中に長いギター・ソロを入れて自分で編曲して脳裏に響きわたらせることは出来るし、そのほかに筆者はあらゆるヴァージョンをこの曲から生み出してひとりでイマジナリー・サンウドを楽しんでいる。そうした楽しみをもたらす曲は珍しい。それだけこの曲がロックの原点的なものに満ち、つぼを押さえている証拠だが、その本質的なものを持っているところが、やはりアメリカだと思う。日本であれば絶対にそうは行かず、単に音をなぞるだけでも無理で、その分歌手のルックスなどで補おうとする。タイガースのカヴァー演奏がそうであったと言ってよい。ところで、シングル盤のジャケットの解説には、ボックス・トップスはメンフィスのバンドであると書いてある。これで充分このバンドのサウンドが理解出来るだろう。黒人が多く、黒人サウンドが豊富に生まれる場所で育った白人たちが、それを模倣しての曲であったのだ。それはビートルズのアメリカ版と言ってよいし、この曲の歌詞や構成には明らかにビートルズの影響を認めてよい。それこそが大ヒットの理由であったと考えることも出来る。つまり、完全に黒っぽい黒人による演奏では駄目で、そこに白人の何かを加味する必要があった。プレスリー以後のアメリカのポップスの伝統だ。だが、67年当時、ビートルズ・サウンドを聴き馴れた者にとっては、白人臭を全く感じさせなかったのではあるまいか。それほどに黒かった。その黒さはローリング・ストーンスよりもっとだ。だが、その差はイギリスとアメリカの白人の差に過ぎないかもしれない。そして世代の差もあるだろう。ビートルズやストーンズより一世代若いボックス・トップスは、筆者と同じ世代だが、そうした連中がビートルズ以降の動きを担って行くという、流行の変化と言い換えてよいものが、この「あの娘のレター」1曲が端的に当時示していたと思える。そしてそれは、イギリス勢力のいい部分を見習いながら、やはり本場アメリカの実力の強さに拠っている。また、この曲の独特な点は、67年当時のビートルズの実験的サウンドの曲とは、共通点よりも逆行する単純さが多く、それがとても新鮮であったが、ビートルズはたとえば間もなく「レディ・マドンナ」でブギ・ウギを引っ提げて黒っぽいサウンドを聴かせるようになるから、時代の読みの広さと深さは驚嘆すべきものがあった。だが、流行は決してひとつだけが大きな流れとしてあるのではなく、見方を変えれば、その大きな流れは小さなものであり、もっと古くから続く大きな流れが際立つ。そうした流れから時に突如として大ヒットが生まれ、それが67年では「あの娘のレター」であった。
 歌詞はしごく単純で、初期のビートルズに近いが、そこがいかにも18歳を中心とする5人グループのボックス・トップスを思わせる。彼女から手紙をもらった男が、汽車ではもどかしいので飛行機のチケットを買おうと言うのだが、彼女は手紙で、あなたなしでは生きて行くことが出来ないと書いている。歌詞で面白いのはその時代性で、お金が高くつこうが、すぐに彼女のもとに駆けつけたいと思う男心はいつの時代でも同じとしても、彼女が男に意思を届けたのは電話ではなく、手紙であるということ、そして男はせっかちになって飛行機でその思いに応じようとする。こうした歌詞は今となっては理解されにくい。ケータイ・メールによって、男女間の意識は限りなく時間的に短縮されたが、それは手紙の封を切る、そして手紙を読む時のワクワク感を忘れさせ、焦った男が飛行機が駆けつけるという意識も限りなく失わせたかもしれない。そうした時代の古さは、レコード・ジャケットのベン・シャーン風の人物イラストによく表われているが、色彩面では当時としては斬新でもあって、やはり67年を納得させる。また、歌詞に登場する「ticket」はビートルズの「Ticket to Ride(涙の乗車券)」を連想させるが、ビートルズのように隠喩に欠けるのが何ともうすっぺらく、押韻も月並みなみだが、呟くような言葉のたたみかけはとてもリズミカルで、平凡な歌詞内容であっても力強さをたたえる。この覚えやすい歌詞は、ポップスでは重要なことだ。筆者がこの曲を数回聴いただけで印象に留めたのは、その語呂のよさがあったからだ。また、ビートルズ以降の曲を強く感じさせるのは、最後に短い歌詞のリフレインがあって、演奏がフェイドアウトするが、その時背後にオルガンや弦楽器の演奏に混じってジェット機音が聞こえる点だ。これはビートルズの「イエロー・サブマリン」の手法を思い出させるが、同曲の擬音の多用はビートルズが初めてではなく、「あの娘のレター」は「イエロー・サブマリン」あっての曲とは言えない。またジェット機音は、歌詞の主人公がチケットを入手して彼女のところへ飛び立ったという、物語の結末なのだが、わずか2分の中の簡潔な完結したドラマで、この単純性はケータイ・メールのある現在に充分通用するだろう。また、この最後の短い演奏は、このバンドがライヴではそれなりにソロを繰り広げたことを暗示する。2分で区切ったのは、歌を中心としたヒット狙いによるのだろう。また「あの娘のレター」でよく記憶するのは、68年に入って、月刊誌『平凡』の附録を近所のある家で見ていた時、和音つきの歌詞が載っていたことだ。それを切り取ってもらって帰ったが、筆者が歌詞をよく覚えたのは、それのおかげである理由が大きいかもしれない。その紙はすぐに失ったが、曲を聴きながら今、音を拾ったところ、基音はAであったが、サビの部分も含めてAマイナーの音階に全部音が含まれる。本当に単純な曲で、B面の「Happy Times」はさらに単純で、同じく2分であっと言う間に終わる。管楽器を使用するなど、やはり音の厚みのこだわりがうかがえるが、歌声は「あの娘のレター」ほど黒っぽくは感じさせない。今はCDでボックス・トップスのアルバムが入手出来るが、他の曲をもっと聴かないことにはバンドの特徴はよくわからない。だが、筆者はその気力も興味もない。40年もっと前に聴いて格好いいと思った「あの娘のレター」だけで充分で、一発屋で消えたにしろ、その一発は永遠性を持っている。そうした一発にもめぐまれない無数のバンドが背後にいたはずで、今もいるに違いないが、人の記憶の片隅にしろ、生涯記憶され続けるこうしたヒット曲は、人間に楽しさと慰めをもたらす点において永遠に出現が期待され続けるもので、それが、時代が変わって流行が変わり、男女の交際のあり方も変わって恋焦がれる気持ちも変わってどう変化するのか、今の洋楽のヒット曲というものを知らない筆者には分析のしようがない。そして日本は洋楽からそうしたものを得ずとも、日本のポップスで充足し切っていると言ってよいが、そうした和製ポップスが出現する源にたとえばボックス・トップスのこうした曲もあったことを思い出すのは無駄ではない。
by uuuzen | 2009-05-30 23:55 | ●思い出の曲、重いでっ♪
●マイク・ケネリーのカセット『... >> << ●晩年の洲之内徹が過ごした地区を歩く

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