人気ブログランキング | 話題のタグを見る
👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●晩年の洲之内徹が過ごした地区を歩く
効的に時間を使おうと考えた2か月前の東京行き、その出発の前夜遅く、急に洲之内徹が最晩年に住んだ辺りを歩いてみたいと思うようになった。3月の東京行きでまだ書いていないことが2、3あるが、そのうちのひとつを今日は書く。



●晩年の洲之内徹が過ごした地区を歩く_d0053294_1645673.jpg洲之内が『芸術新潮』で「気まぐれ美術館」を連載している時から、洲之内の経営する現代画廊や洲之内の住む界隈に行ってみたいと思っていたが、稀な東京行きではその機会が見つけられなかった。洲之内が亡くなったのは1987年10月だ。「気まぐれ美術館」は14年間の連載であったが、筆者は『芸術新潮』での連載を1977年頃から毎月欠かさず読み続けた。最初は、京都で今もあるのかどうか知らないが、毎月雑誌を自宅まで配付してくれる貸本業者に依頼してのことで、選択出来る雑誌は外国のものを含めて100種以上あって、その中から5誌を選ぶことが出来た。5誌の内容は毎月自由に変更してよかったが、『芸術新潮』は毎月含めた。貸本を終えた雑誌は月遅れで半額以下で買うことも出来て、一度百万遍近くにある店にも行って買ったことがある。やがてその貸本サービスの継続をやめ、まだ建って間もない市の中央図書館に2週間に一度通うになった。そこで単行本で出ていた「気まぐれ美術館」を借りて最初の回から読み、またその面白さに打たれたものだ。図書館では雑誌の『芸術新潮』は貸し出しは出来なかったので、ソファに座ってまず「きまぐれ美術館」を読み、そして他の記事に目を通すことを毎月した。1987年には染色工房の勤務を辞めて自宅でひとりで仕事をしていたが、洲之内が亡くなったことで終了した「きまぐれ美術館」を読めないことにかなり失望し、それ以後は『芸術新潮』を読むことを急速にしなくなった。と同時に、「きまぐれ美術館」が読めないのであれば、自分が何かを書いてやろうと思い、丸3年にわたって毎月原稿用紙に換算すれば200枚近い文章を書き、それをコピーして手紙の形で何人かに送った。それが筆者が大量に文章を書くことのひとつの原点になっており、このブログもその延長に位置する。その大長文の手紙をコピーする時に通ったコピー屋で知り合った男性とはその後それなりに交際があって今も年賀状をやり取りしているが、その彼がある日わが家に古いワープロを持って来てくれた。93年頃であったと思う。『大ザッパ論』の原稿は、手書きしたものを順次家内にそのワープロで打ってもらったが、『2』は最初から筆者がワープロで書いた。ワープロ原稿はMS-DOSに変換しなければパソコンで読むことが出来ず、その作業を大阪の友人宅でよく行なった。古いワープロは今も動くが、画面の光度が落ちたため、少し新しい別機種をネット・オークションで6年ほど前に買った。実は今こうして書いている文章もそのワープロを使用している。それをパソコンのブログに載せるにはMS-DOSに変換する必要があり、そのためにこれまた別のルートで入手したより新しいノート型のワープロを使用しているが、なぜ最初からパソコンやそのノート・ワープロを使用しないかと言えば、最初のワープロが親指シフト・キーで、それにすっかり手慣れてしまい、他の並びのキーではどうも使いにくいからだ。ついでに書くと、筆者は『大ザッパ論』とその『2』の執筆当時、自宅にパソコンがなく、また友人宅でもネット上の情報を見られる立場になかった。そのため、WEB情報に頼らずに書いた。当時はネットはあまり信頼出来ないという意識が一般にまだ強く、まして本に書く情報源となると今でもそうであって、本に引用すべき資料は基本的には書物という文献の立場が採られる。そのため、今ではネットで簡単にわかる情報であっても、それを鵜呑みにして本にそのまま書くことはまだ市民権を得てはいない。ある個人がネットに書く資料的情報は誰かのコピーである場合が多く、本に書く場合には、その最初の出典に遡る必要がある。そのため、何気なく読む本の裏には、執筆者の膨大な時間が費やされている場合がよくあり、一事項のために何年もかかって調べることはいくらでもある。そして、それだけ費やしても目的の資料を得られないか、行き当たったとしても所有者から見せてもらえない、あるいは自分で買おうと思っても日本に1冊しか存在しないということがある。執筆者はいちいち本論から外れるそんな内輪の事情を書くわけにも行かないが、本に書かれる言葉の裏に秘められる著者のそんな思いの大きさを想像もしない人は多い。読むのは一瞬であり、読者は著者が同じように一瞬でそうしたことを書いたと思いがちだ。
●晩年の洲之内徹が過ごした地区を歩く_d0053294_16464678.jpg

 洲之内は毎月「気まぐれ美術館」の執筆に10日ほどを費やしたいう。165回の連載で4000枚に及ぶというから、毎月24枚ほど書いたことになるが、これを面白く読ませるのはやはり並みの才能ではない。人間的魅力ももちろんあってのことだ。そうした原稿は単行本となり、また文庫化もされているが、美術と随筆に関心のある人は必読のものだが、学者と言われる人は軽々しいものとみなすだろう。洲之内没後7年の1994年11月号の『芸術新潮』は、特集として「今こそ知りたい! 洲之内徹之の絵のある一生」を組んだ。筆者はその号を当時図書館でしっかり読んだが、買わなかった。それが今手元にあるのは、発売後1、2年して、キモノの仕立てを以前に頼んでいた福島県のあるおばさんが何かのついでに送ってくれたからだ。そこに1枚の展覧会のチラシが挟んである。これは兵庫県立近代美術館が『気まぐれ美術館展』を開催した時のもので、没後10年とあるので、1997年開催ということになる。もちろんこの展覧会を見たが、当時美術館は阪神大震災による被害を修復した後で、やがて新しく県立美術館が同館を下がった浜側に出来る。新しいものが出来ると古いものはすっかり見放され、王子公園前の兵庫県立近代美術館前辺りを筆者はもう10年近く歩いていない。それはさておき、3月の東京行きの前夜、急に「今こそ知りたい! 洲之内徹之の絵のある一生」を思い出した。その号をぱらぱらと斜め読みしながら、鞄に入れて行こうかと思ったが、少しでも軽い方がいいので、ネットで晩年の洲之内が住んだ界隈の地図を何枚か印刷して代わりに持参することにした。同特集は内容が多いが、筆者が最初に読んだ時から最も興味を抱いたのは、「スノウィッチ・トオルスキー氏の散策」とそれに続く「深夜の徘徊コース」という数ページだ。特に写真がよい。その最後の見開き全頁で印刷される夜明け前の隅田川の光景には特に現地に立ってみたいと思わせた。そして、それと同じ角度で写真を撮るために、古い大きなデジカメの電池を前日から充電し続けた。1泊した翌日の午後にでもぶらりと歩こうかと思ったが、当日は午前中に石原さんと国会図書館で調べものをし、午後は若冲忌で何年か前に知り合った中野さんと駅で待ち合わせをし、彼女と一緒に国立新美術館で現代作家たちの展覧会をひとつ見た。その後中野さんには地下鉄で清洲白河駅まで同行してもらい、改札を出たところで梅村さんと落ち合った。中野さん、梅村さんのおかげで、その日の午後は楽しく時間を過ごすことが出来て、いい思い出になった。梅村さんはその駅からさほど遠くない江東区に住んでいて、当日は確か自転車で駅まで来てくれた。筆者は昨夜印刷した地図を手にしながら、見たい場所を梅村に告げた。それは「スノウィッチ・トオルスキー氏の散策」と「深夜の徘徊コース」に掲載される何枚かの写真の現場に行くことだ。数キロの道のりになることは地図から予想出来た。洲之内没後7年の景色の写真が同特集に掲載されていて、それからさらに15年も経ったいるから、景色が変わって、同じ建物がないかもしれないが、隅田川の流れは変わらないし、同じことは洲之内自身が書いている。
●晩年の洲之内徹が過ごした地区を歩く_d0053294_1647425.jpg

 「気まぐれ美術館」の最終回には藤牧義夫の「隅田川絵巻」について書かれるがこの絵巻には、清洲橋からはかなり上流にある白髭橋が描かれる。筆者はこの橋を「気まぐれ美術館」で読んだ時から一度わたってみたいと思ったが、隅田川左岸に架かる高速道路をその後二度ほどバスで走った時に眼下に見ただけで、3月の東京行きでもそこまで足を延ばさなかった。まずは洲之内が毎晩のように散歩した清洲橋と新大橋だ。そして橋の近くにある交番や、また小伝馬町交差点近くの公園や寺までたどろうと決めた。夜の散歩とは、まるで『おにおにっ記』のマニマンのようだが、筆者は観光地でもないような平凡な場所を歩くことが好きで、そうした経験がかえって名所旧跡より後々に鮮明な記憶となって残る。洲之内が気に入って散歩コースに選んだ場所は、筆者個人的には名所旧跡と同じと言えるが、『芸術新潮』同号に掲載される写真からして、それらはむしろ陰気臭く、どこか荒涼としている。その荒涼さ加減がまたよいと言おうか、東京にもそんな場所があるのが面白い。大都会はみな同じようなもので、派手でピカピカの部分があれば、工場や倉庫地帯、下町や山手の高級住宅地などもあって、それらがモザイク状に連続している。そして、それらのどれかが欠けた都会は魅力がない。洲之内は長年大田区大森の木造モルタルのアパートに住んだが、写真から見る限り、それは筆者が生まれ育った場所にはよくあったもので、また筆者が京都に最初に住んだのも全く同じようなアパートであったから、洲之内にはそれだけで同感出来る気がしたものだ。洲之内は、郊外の消毒されたような新しい住宅地には決して住みたく思わないといったことを書いていたと思う。そうした町に育った若者に狂気が芽生え、殺人事件につながるという事例はその後よく起こっている。町が表向き影を持たない分、住民は内面にそれを抱くのではないか。それはいいとして、洲之内は死の2年半前に大森のアパートを引き払って蠣殻町のマンションに移り住む。それは隅田川に面し、洲之内は川面を行き交う船の写真をよく撮った。それらの写真は『芸術新潮』の同号に掲載される。梅村さんと歩きつつ、梅村さんは2、3度石原さんに電話し、小伝馬町交差点で落ち合った時、石原さんは「気まぐれ美術館」に登場する人物索引の印刷して持参してくれて、その時、石原さんは洲之内がマンションからよく隅田川の写真を撮ったなどと話したが、筆者はすっかり『芸術新潮』同号の記事にそれらの写真が掲載されていることを忘れていた。帰宅して、その部分の複写を東京行きに持参しなかったことを悔いた。なぜなら、それらの写真は、洲之内のマンションがどこにあるかをかなり正確に伝えるものであったからだ。梅村さんと新大橋をわたりながら、洲之内のマンションはどこにあったのかとぼんやり考えたが、それは正面に万年橋、右手に清洲橋を臨む隅田川右岸に相当する。結果的には、そのマンションの背後の道を梅村さんと歩いて小伝馬町へと向かったが。梅村さんの話では新大橋すぐ上流の左岸は景色がよくないのでマンションはあまり建たないそうだ。実際『芸術新潮』同号に載る新大橋右岸の交番所から見える向こう岸にはマンションの灯かり見えないが、この10数年の間にそこに大きなマンションが建った。筆者が撮影した写真からはそれがわかる。
●晩年の洲之内徹が過ごした地区を歩く_d0053294_1656121.jpg ネットで地図を印刷しながら膨らませたイメージだが、現場はほぼそのとおりであった。ついでなので立ち寄ろうと思ったのは隅田川左岸すぐにある松尾芭蕉記念だ。なぜそんな場所に芭蕉の記念館があるのか知らなかったが、芭蕉が江戸に行った時、そこで禅寺の和尚に会うなどして、その後奥の細道の旅に出かけたりした。つまり、江戸における芭蕉因みの場所としては重要なのだ。そうした歴史的価値を思って江東区が税金を費やして近年建てたらしい。館の前には芭蕉が植えてあったが、館の前に着いたのがちょうど5時直前で、中を見ることが出来なかった。芭蕉記念館を見る前後、筆者が気になったのは、洲之内が散歩の開始によく立ち寄ったセブン・イレブンだ。これがてっきり新大橋付近と思っていたが、帰宅後に確認すると、人形町にあった。道理で見つけることが出来なかった。新大橋を往復した後、残る目的地は小伝馬町にある「陰気な公園」だ。洲之内が書くには、そこは何気なしに通っていていつも陰気臭いと感じていたが、江戸時代には刑場があったところで、吉田松陰が殺されたりもしている。そんな因縁のある場所に建物は建てられず、公園にしたのだが、思ったより小さく、また往来の激しい交差点からすぐ入ったところに唐突に存在する。そこに着いた時、すでに日が沈みかけていて、小さな公園の中では桜が満開で、労働者か浮浪者然として人々が何人か集まって花見をしようとしていた。公園の由来を示す看板には確かに刑場についての歴史が書かれ、その下には桜の花がいくつも散っていた。また公園の向かい側には大安楽寺があるが、鉄筋コンクリート造りの銭湯のような建物だ。「スノウィッチ・トオルスキー氏の散策」は同じ頁に人形町にある水天宮や銭湯の松之湯などの写真も載せるが、筆者はそこまで思い出さなかった。やはり『芸術新潮』を鞄に入れて行くべきであった。3人は途中で塗装の剥げた首都高速道路を頭上に見たりしながらJR神田駅に着き、その後すぐに東京駅に行った。石原さん曰く、現代画廊はまだ銀座に建物が残っているとのこと。今度東京に行くことがあれば、そこにも行ってみたい。
●晩年の洲之内徹が過ごした地区を歩く_d0053294_16492544.jpg

by uuuzen | 2009-05-31 16:53 | ●新・嵐山だより
●「THE LETTER」 >> << ●ムーンゴッタ

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?