印象にうすい平凡な名前の作家だが、写真家として有名で、そのなかでもアメリカの古い映画館の内部の、何も映っておらず、ただ光輝くスクリーンを中心に据えたシリーズがよく知られる。

それは映画館の最上階の一番奥の中央に大型カメラを据え置き、映画1本を丸々上映する間に露光させるもので、どんな映画であろうと、全部の映像をまとめると無地の白になるというところに驚きと美と迫力を感じさせる。それが杉本の代表作だが、半年ほど前の新聞に、その写真シリーズを杉浦がもっと拡大して焼き直ししているといった記事が乗ったが、欧米市場に作品を売るためにはそうした作品の巨大化が求められるといった理由であった気がする。だが、簡単に写真をより大きく焼きつけると言うが、実際はかなり大変な作業らしく、杉浦の確かな職人的技術があってこそといったことも書かれていた。今回の展覧会は、そうした代表作も含めての回顧展かと言えばそうでもないようで、チラシを見た時に菩薩像の古い絵が中央にあって、かなり面食らった。だが、それは筆者がこの作家についてあまりに知識がないせいであり、写真を用いる現代美術家として、今回の展覧会に因んだシリーズ作品を販売しているようだ。今は写真を用いた美術家が全盛で、その作品とは写真であるから、版画以上に複数生産が可能で、一旦有名になると世界各地の美術館を相手に一気に収入も増すのであろう。だが、そのような成功を得るのは写真を使ってどういう新しい表現が出来るかという考えひとつにかかっており、杉本の場合は古美術に造詣が深く、近年はそれに絡めたシリーズを製作しているようだ。この古美術に詳しいということは、今回見て思ったのはちょっとした骨董趣味の範囲を大きく逸脱して、ほとんどプロの業者を思わせたことだ。それはプロでなければ出会えない古くて珍しい品物が多く、業者としての資金力が背後にあることをはっきりと伝えている。そう思ってネットで調べると即座に納得出来た。杉本は写真で生活出来ない頃、日本とアメリカを往来しながら、古美術商を10年ほどやっていたことがあるという。そうしたいわば負の経験を、逆に利点として作品化に応用し、そのひとつの結果が今回の展覧会ということになった。したがって、杉本の写真や作品は、杉本個人の全体的な歴史をそのまま反映したもので、その個人が太古から現在、洋の東西を問わずに造形物、美術品に着目し、そこから何かを汲み取って、何重にも入れ子状になった読み解きを可能とするものとなっている。そういう芸術は、知識や経験が乏しい人には理解されにくいが、杉本とさほど年齢が変わらない筆者にはなかなか面白く、また「歴史の歴史」とは、いかにも遊び心を思わせる語呂であり、「歴史」をどう読み解いて作品を作り、また展示しているのか、これは通常の現代美術とはやや毛並みが異なるものだなと期待した。
7日だったと思うが、息子と一緒に出かけた。息子はこの国立国際美術館が万博公園内にある頃は何度か行ったことがあるが、中之島に移転してからは初めてで、ちょうどよいと思ったのだ。その日、小雨模様の天気だったが、父子で大阪に出て、図書館で2時間近く調べものをし、市役所の地下で昼を食べ、その後は美術館を2か所回って、帰りは日本一長い商店街の天神橋筋を縦断し、古書店に寄り、そして夕食を済まして帰った。この展覧会はかなり空いていてゆっくりと見ることが出来たが、会期までもう少し間があるので、機会があればもう一度見たいと思っている。図録は製作されたのかどうか知らないが、会場では3つ折りの出品目録をもらえたので、それで内容を思い出すことは出来る。だが、作家の出身や年齢その他の情報はチラシには書かれず、どういう経歴の持ち主かはわからないようになっている。杉本は近年は収集した古今東西の書画骨董品を元に作品を作っているが、その方法は、写真に撮る場合もあるが、写真を本紙として表具したり、また本来掛軸ではなかった西洋の印刷物を掛軸にすることもあるし、また表具に着目して、昔で言えば一種の茶人の趣味のように、珍奇なものを取り合わせて新しい美の発見を求めたりもする。それは悪趣味ぎりぎりと言ってよいが、人体の解剖図に着目するところからわかるように、杉本は科学に関心が強く、また明らかにシュルレアリスム好みで、今回展示された一風変わった掛軸作品群はシュルレアリスムのデペイズマンの意識を経たもので、東洋趣味に20世紀の幻想性を交えている。その点が、純粋な古美術ではなく、あくまでもそれを用いた現代芸術として捉えられ、そのことがこうした「国際」美術館で展示される理由になっている。と、こう書けば、誰しも思い当たるのがデュシャンの存在だが、実際今回は最後の展示がデュシャンの有名な『大ガラス』に言及があった。ただし、その実物は持って来られないし、またその必要もないので、リチャード・ハミルトンの『「大ガラス」の地図』と題する、『大ガラス』を図解した、『大ガラス』と同じほど大きな作品が展示されていた。と、またこう書けば、杉本は作家の総体像としては焦点がぼやけて、ある一点に収斂して行く仕事ではないとも言えるし、その逆に作家の興味の赴くままひたすら作品が型にはまらず拡散し続け、ヴァラエティに富んで行くものであるとも言える。筆者が面白いと思ったのはそこだ。それは自分もかなりそういうタイプであるからだが、そのことは現代の作家と呼ばれる人の宿命であり、昔の職人のように、あるひとつのことに何十年も時間を費やすことの出来ない気分や性質による。それはひたすら漂泊し続ける意味において、つまりいつまでも満たされない意味において、職人あるいは昔のどのような作家とも共通してはいるが、画家とか彫刻家といった、誰でも具体的なイメージでその人のやっていることを思い浮かべることの出来る状態にない点において、不幸な存在とも言える。最初のそうした作家はデュシャンであった。デュシャンは画家でも彫刻家でも写真家でもなく、代表作と呼べるものはそれらのカテゴリーを横断しており、その謎めいた点において汲み尽くせない魅力を保っている。杉本はそうしたデュシャンに骨董趣味の旺盛な親父像を重ねた様子を思えばよいが、その骨董趣味というものがまたあるカテゴリーにこだわらず、太古の化石からやや古い雑誌といったものまでに及び、いわゆる「面白い」と思えるものなら何でも吸収し、その「面白さ」の理由を徹底的に知ろうとする過程において、作品を作るが、それは最初に書いた映画館内部の写真シリーズからもわかるように、厳格な様式を持ったものであり、その厳格さは漂泊し続けなければならないことによる憧れから出ているものに思える。また、杉本の作品行為は、筆者から見れば、次なる興味に移るための厄祓いに見えるが、それは筆者が毎日こうして何か書くことと基本的には同じで、書き終わることによって心中にある何かもやもやした興味事を祓い尽くそうと考えている。
国立国際美術館は地下にあるが、今回はその2、3階全部を使用した。かなり広い面積を個人の作品で埋めるのは並大抵ではない。そのうちの最も大きな部屋である地下3階の奥のその突き当たりの壁面は全面に大きな鏡が張られていた。そしてそのうちの1枚は、まるで雷が落ちたように大きなヒビが入っていた。また、その部屋とは反対方向に位置する奥の部屋中央には、鎌倉時代の「雷神像」の木彫りが据えられていた。お金さえ出せば、また機会に恵まれれば購入出来るものではあるが、杉本は自作づくりのために役立つと思ったのか、あるいは逆に自作がある程度出来た時に、そのコンセプトを膨らませることの出来る作品ということで「雷神像」に巡り合って入手したのであろう。かなり高価とは思うが、業界にいる人ならばそういう出物には何度も遭遇するし、もしお金に困れば売却も出来るので、杉本が古美術を扱ったのは、一石二鳥の経験であった。いや、同じようなことはどんな作家にも言える。結局は自分の経験から何かを考え、そこから作品を生むのであるから、どんな人でも行為、生活というものは何重にも意味を持っている。今回展示された「雷神像」は京都の三十三間堂にある「雷神像」にかなり似た雰囲気のもので、こうしたものを家に常時置くことの出来る人は所有そのものが楽しみだが、造形家の杉本はそこから何らかの思いの発展を待ち続け、それがある日作品化につながる瞬間がやって来る。そこには「雷神像」の読み取りとして、鎌倉や木彫りという常識的な見方を超えて、雷とは何か、それは電気である、電気とは何か、それを何かに反応させて造形化することは出来るか、などといったように、造形作家としての観点から独自の「面白いこと」を見つける行為が予想されている。それは筆者にはよくわかる。筆者も面白いものやことは好きだが、そういう対象に出会った時、それをそのまま楽しむ一方で、その面白さの理由を分析し、その理由を別の何かに展開出来ないものかと考え始める場合が少なくない。話を戻すと、ヒビ割れた鏡から最も遠いところに位置する別の部屋の中心に「雷神像」を据え、その背後にはデュシャンの肖像写真を入れた額が壁にかかり、額に嵌まるガラスにはヒビが入っていた。つまり地下3階は両極端にヒビが存在し、その中央のひとつに「雷神像」、そしてそれと対峙する形で杉本の創作がずらりと並んでいた。杉本は「雷神像」の雷を電気と捉え、その電気に感電してデュシャン像のガラスと会場壁面の鏡が割れ、そしてさらに最後の部屋には偶然によって覆いのガラスが割れてしまったデュシャンの『大ガラス』の、リチャード・ハミルトンによるその複製的読み取り作品を展示した。そこまで説明的に配置されると、むしろかなりこじつけめいて、胡散臭く感じるが、そこは「歴史の歴史」というユーモア的な語呂を展覧会の題名とする杉本の、デュシャンの下町的おっちゃん的解釈を思うのがよい。つまり、デュシャンのような謎めきとはむしろ反対で、もっと卑近で、様式的で、理屈が通っていてわかりやすい。それは杉本がデュシャン以上に「美」というものを意識し、物の美しい形に注目しているからで、その点において骨董趣味親父の気質そのままと言ってよい。
だが、杉本は写真を撮って現像するという点では職人的技術を持っているし、そういう人にありがちなように、いわゆる「いい仕事」をしている古美術や「面白い形」をしている物体には強い関心を示す。そして、それは人手が作るものと自然が生む造形になるが、写真家は眼前にあるものをそのまま撮影するところから、どちらかと言えば自然が生む面白い造形に着目することの場合の方が多くなる。つまり、自らの手を使ってこつこつと時間を積み上げて何かを作り上げることよりも、カメラのシャッターを押すまでは長い時間を要しても、機会が訪れれば一瞬のうちに作品が出来るという方法を好む。それは地下3階の展示からも明らかで、それゆえ「雷神像」に杉本が美を感じたのは、その造形が素晴らしいということと同時に、古人が雷を神と思ったことの意味に同化し、そしてそれをどうすれば雷的閃きによって独自の作品と化することが出来るかという、作品行為としてのシャッター待ちの時間を費やすに値する何かがあるとの閃きを信じて待つことが出来たからだ。こう考えれば、人間の作品行為は自然の雷のような閃きと同じく、一瞬の啓示の訪れがあってこそであり、その訪れを待つのが杉本の作品行為の大半の時間を占めているはずだ。だが、造形作家として立つには、その閃きを具体なモノとして作り上げる必要があるし、そこには職人的な技術と、芸術的発想すなわち閃きがいる。また、杉本のような人は、当然その閃きが優先し、表現のための技術は後から最もふさわしいものを見出そうとする。地下3階の展示で杉本の本当の独創は、前述のヒビ割れた鏡や「雷神像」ではなく、「雷神像」が見つめる方向の床にずらりと林立する、蛍光灯で内部から照らされたまるでレントゲン写真のような大きな作品群だ。それはデュシャンの『大ガラス』を遠くに思わせながら、東洋の水墨画のイメージに接近し、一方では植物の葉脈や人間の神経の筋に近い造形だが、感光剤を塗布したガラスに電極を当て、直接感光させたもので、手技と自然の造形の合作だ。それは作品の形としては全く違うが、鎌倉時代の「雷神像」とある意味では同じ地平に立つ。人は「雷神像」の前に立って、感電したようにその造形を内面に響かせるが、同じことは杉本のその感光したガラスの造形にも言える。写真の技術を根本から知り、また電気の技術にも通じている必要があるもので、それを杉本は19世紀ヨーロッパの電気に関心を抱いたある人物からヒントを得たが、そうした一連の造形行為だけで充足することなく、それを鎌倉時代の「雷神像」と併置することで、さらにそこに別の閃きが発生する場を表現した。それは一方で写真家であり、また人間の歴史、技術の歴史、表現の歴史に強い関心があり、また古美術品の愛好家でもあるという、自身の総体性にそのまま応ずるためにはやむにやまれぬ行為であるのだろう。それほどに人間はあらゆる部分を持っているものであり、またそれを全面的に提示するには複雑複合的な作品にならざるを得ないという思いがある。そうしたことは誰しも考えるが、写真なら写真、絵画なら絵画といったあるひとつの独立した分野に収まり切らない何かを最初に痛切に感じたのが、おそらくデュシャンであり、杉本はそのデュシャンに敬意を表する意味もあって、部屋の片隅にデュシャン像を掲げ、それを覆うガラスを割ったのだ。それと呼応させるために、もうひとつの部屋の奥突き当たりの鏡を割ったのだが、その理由は展示室を出たところにあったモニターの映像からわかった。当初杉本は、部屋の突き当たり全面に鏡を張って部屋を広く見せようとしたが、予想とは違って、鏡の角度が微妙にずれたらしい。それでいっそのことその1枚に割れを入れようとしたらしい。つまり、思いつき、閃きだが、それは「雷神像」を設置するこのフロアには実にふさわしいもので、それがたまたま割れてしまったデュシャンの『大ガラス』の作品に呼応するというわけだ。モニターには、杉本が会場の設えをし、ハンマーで鏡を割る行為などが映し出されていて、これは杉本が観客の疑問に応えるために用意したのであろうが、杉本がどこにでもいるような風貌に見えたのは、当初「杉本博司」という名前があまりに平凡で印象にうすいと感じたことを納得させて面白かった。
他の作品についても少し触れておこう。地下2階にはまず化石がたくさん並んでいた。筆者も化石には興味がないではないが、価格の問題以外に、大きなものは家に飾る場所も置き場所もないので、その時点でもうあまり深い関心を抱かないようにとの自制が働く。これは経済問題に還元出来る話で、全く貧乏人はもうそれだけで造形に携わるとはいえ、その範囲が限定されてしまう。だが、杉本の経歴を見れば、人はそういう諦めこそが金儲けの出来ない一番の理由だと言うかもしれない。今回の展示物の多さを見ていると、杉本がどれほど大きな倉庫をいくつも持っているのかと、まずその点に驚くが、パンフレットには、つごうによって展示作品が変更になる場合があると書かれていて、展示出来る作品はさらに多かったことがわかる。化石は骨董の中では最も古いもので、また独特の面白さを持っているが、杉本にすれば現在から遡って最も遠いところにまで到達したところに、化石となった生物が存在し、それを無視することは出来なかったのだろう。化石展示の中で誰しも疑問に思ったのは、三葉虫の仲間だろうか、ある生物が2本の細い触角を身から立ち上げて空に漂わせているものがあった。これは、通常思うような2次元の平面的化石の見え方ではなく、化石となったものの本体がそのまま立体化で見えているのだ。そのため、みんな模型かと思うが、筆者が考えるには、これは石に埋まっている化石を針のようなもので少しずつ石から掘り起こし、その生物の角の部分を空に出現させたに違いない。かなり注意を要する行為で失敗は許されないが、仮に掘り起こす過程で一部が折れても、今は接着剤があるので、うまくつなぎ合わせることは出来るだろう。そんな珍しい化石のほか、杉本がこうした化石を元にどういう作品を生んだかを知るとこれまた驚いてしまう。化石コーナーの最後に至ると、壁面に大きなモノクロ写真があった。それは太古の海中を撮影したもので、もちろん太古の海にあったさまざまな化石を模型で再現し、それを太古の海底がそうであったように並べて、それを撮影したのだが、あまりに生々しく、本当に太古の海底がそうであったかのように実感を伴っている。それは化石を多く収集するかたわら、太古の生物の形を克明に調べ上げ、それを模型で再現、そして写真に撮るという一連の長い行為の連続の果ての産物で、化石を面白いと思ったことから、杉本自身の面白い作品を生むという意識が結晶化したところに立って、いわば作品そのものだけではなく、その素材もついでに見せることで、造形の美や驚きをいくつも併置して楽しんでもらおうというサービス精神の賜物だ。杉本自身の作品だけでは会場はもっと狭くて済んだが、それでは杉本の作品のよって立つ意味がかなり見えにくくなる。文字で説明する方法もあるし、今回は各コーナーに杉本による説明文があったが、それよりもモノとして見えるものを直接展示する方が、杉本の創造の源やその経緯がよく見える。杉本の驚くべき興味の範囲と、その収集品の多様性は会場で実際に見るのが一番だが、よほどアンテナを常に張り巡らせ、骨董に分野で有名になっていなければ手元に集まって来ないものばかりで、度胆を抜くような珍しいものに溢れる。たとえば月の石や隕石、法隆寺や正倉院の伝来裂、当麻寺の国宝の五重の塔に使用されていた木材などだ。現代美術家は儲からないと思うのだが、杉本はどのようにしてそれらを購入する費用があるのか、そっちがとても気になった。商売上手でなければ作品の規模がみみっちく留まるということを実感させる展示で、大いに面白かった。だが、骨董趣味がわかるには年月を要するし、若い世代には杉本作品の面白さは伝わりにくいのではないだろうか。