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●「MIAMI BEACH RHUMBA」
球の楽天の野村監督が、去年だったろうか、巨人との試合に圧勝した際、TV記者たちに向かって「ばっかじゃなかろか、ルンバー」と節をつけながら発言した。



●「MIAMI BEACH RHUMBA」_d0053294_12503872.jpg巨人の選手がヘマをしたことに対する率直な感想だったのだが、番組のホストのひとりであった徳光アナウンサーはそのコメントをVTR画面で見ながら、「マンボじゃないの?」と返していた。だが、これはやはりルンバで、野村監督が歌ったのは「マイアミ・ビーチ・ルンバ」であった。そういう名曲を筆者より年配の徳光アナが知らないのはとても意外で、それだけルンバやマンボという音楽が遠い過去のものになったという印象を持った。何しろ今70代の人が聴いた音楽だ。だが、野村監督はきっと家ではたまにそうしたラテン音楽を聴いて気分を晴らしているのだろう。音楽は世につれてであるので、野村監督の世代と今の20代の聴く音楽が違って当然だが、名曲は受け継がれて行くし、今騒いでいる音楽の9割以上は名曲としては残らないだろう。何度も書くように、筆者は自分で積極的に音楽を聴いてビートルズに熱中するようになるのは中学生になってからであったが、それ以前にラジオからさまざまな番組や音楽を否応なしに注ぎ込まれており、それが好きとは嫌いを超えたところでずっと記憶の底にへばりついている。ふと思い出せば、いつでも脳裏にそうした音の断片が蘇り、当時の町並みや自分がまだ幼かった頃の心中がそれと重なり合う。そのことが楽しいというのではない。ただ夢のように蘇るだけのことだ。だが、時としてある曲のある部分を聴いて、「ああ、これこれ、これだった」という懐かしい感動のようなものが再現することがある。それはきっと幼い頃にごくわずかにラジオから聴いたに過ぎないにもかかわらず、その曲の名曲たるゆえんである良質の部分が脳の海馬に深く刻まれていたからだろう。それは意識して蘇らせることの出来ないもので、たまたま通りがかりに聴くなど、偶然に外部から刺激を与えなければならない。そして、これは年に1、2回あることだが、何の拍子にその海馬に眠っている、もう50年以上も前に感じたことのごく一部が思い出される時がある。その時、その端緒をしっかりとつかんでその全体像を思い出そうとするが、そのまますっとまた消えてしまい、もう二度と同じ感覚は戻って来ない。人間は自分の脳内にあることでも、いつでも即座に好きな記憶を引き出すことは出来ないのだ。むしろすっかり忘れてしまったか、忘れたと思っていることの方が多い。そういう遠い過去の記憶の断片に刺激を与える存在は、筆者にとっては音楽と言えるが、それよりもむしろ風かもしれない。ある季節のある日和のある時間帯の風を浴びると、それと全く同じ風を昔々に感じたことを思い出し、自分がすぐにその時のままに戻る気がする。そういう時、筆者は犬や猫でもきっとそうなのだろうなと思う。人間も自然の中で生きる動物であるからには、きっとそうなのだ。
 筆者が幼かった頃、世の中はまだ大人と子どもをはっきりと分ける世間の意識があった。今ももちろん18歳未満禁止のあれこれがあるが、親が子どもに対して友達のように接したり、また学校の教師がさっぱり尊敬されない今とは違って、昔の大人はそれなりに威厳があったし、年齢が少しでも上であればそれなりに接したが、今の筆者より年下の世代はほとんどそういう考えを持たない。簡単に言えば戦前の儒教精神にアメリカの平等主義が取って代わった。だが、平等主義の何たるかもろくに理解しないから、本人は親しみを込めているつもりでも、その態度が時として年配者の癪に触ることがある。年齢が上であるからただちに尊敬するに値しないと今の若者は理屈をこねるし、実際それは間違ってはいないのだが、では尊敬というものを何を尺度にするかとなれば、金持ちか肩書きだろうか。その世の中の方が何と殺伐としていることだろう。だが、今の日本はそうなったのだ。ともかく、筆者は古い世代に属するから、年配者は1歳年上でもそれなりの気持ちで接する。だが、断っておくと、それは年下を見下げるということではない。話を戻して、子どもの頃の筆者は、大人が聴く音楽というものを敏感に感じていた。それはたきえばラテン音楽だ。そういう音楽は日活の都会を舞台にした派手な映画の一場面にふさわしいような、大人が夕暮れになって出かける、ネオンが輝く繁華街にあるクラブやバーで生演奏で鳴り響くもので、子どもには無縁の存在と言うべきものであった。この見方は間違ってはいないだろう。大人たちがお洒落してそうした場所に出かけ、ラテンのダンス音楽に合わせて時に踊る。学校で踊るフォーク・ダンスとは違って、そこには大人の、どこか悪徳の色気がぷんぷんしていると子ども心に想像出来たものだが、今はそういう場所があるだろうか。先日京都の京阪三条駅前辺りを美術館に向かって歩いている時、ふと駅前にかつて『ベラミ』というクラブがあったことを思い出した。筆者が中学生の頃にはまだあったが、その後暴力団が物騒な事件を起こして、またそうしたクラブが流行しなくなって閉店したが、その後蕎麦屋になったり、空き地になって、以前にも書いたことのある祇園バーガーの小さな店が土地の一角に出来たりしながら、今はまた別の建物がそびえている。楽団の生演奏で大人たちが音楽に合わせて踊るという豪華な娯楽は、もう商売としては引き合わず、日本ではどこにもないだろう。レコードが進歩して60年代にはディスコティークという言葉が登場し始めてレコードに合わせて踊る場が生まれ、それがまたたく間に世界を席巻、そして大人が飲んだり踊ったりする場所ではカラオケが支配することになった。それはどう見ても楽団の生演奏に比べてあまりにも安っぽく、世界はこの半世紀でどんどん貧困化したと言ってよい。それはいいとして、筆者が幼少の頃、ラジオからはラテン音楽が頻繁にかかっていた。それは子どもでも心をうきうきさせるもので、またリズムとメロディがよく合致して、歌と踊りが不可分なものであることをよく認識させた。これは前に書いたかもしれないが、ケーブルTVの音楽番組で去年、ジョージ・ベンソンのイギリスでのライヴをやっていた。その最後辺りになると、会場のあちこちからやや太り気味の中年女性がたくさん舞台の最前列に集まって来て、ベンソンのギターと歌に合わせて踊り始めるのであった。筆者はその光景がとても面白く、また楽しく、一緒になってTVの前で踊り始めたほどだが、ベンソンの音楽もそうだが、そうした人々の楽しげに踊っている姿は、日本にはない、コンサートの正しい接し方に思えてならなかった。ベンソンは自分の音楽がそのように人々を楽しませることを目の当たりに見て、きっと音楽家冥利を味わったに違いない。音楽の最大の効用は、そのように楽しくて踊らずにはいられないという部分にあるはずで、筆者は音楽はダンスに始まってダンスに終わる気がしている。そして、そういう音楽の中で最も豪華で貫祿があるのは、ラテン音楽であろうと思う。
●「MIAMI BEACH RHUMBA」_d0053294_12511559.jpg ザビア・クガートの名前はあまりに有名だが、「ルンバの王様」という称号がある。「マンボの王様」はペレス・プラードということになるのだろうが、筆者が今久しぶりに引っ張り出したCDの解説によると、ペレス・プラードの日本でのレコード発売は1952年で、クガートのマンボはその前年に出たとあるから、クガートはラテン音楽全般のリーダーであったことになる。その解説は永田文夫が書いているが、この人の名前はNHKの番組でもよく耳にしたことがあり、筆者が所有するドーナツ盤の「マイアミ・ビーチ・ルンバ」の解説も担当している。永田氏は60年代半ば以降のロック音楽ブームには書く場所がかなり限定されて行ったはずだが、クガートの音楽はCDで復刻され、その解説を担当する場がやって来た。そして氏の解説は限られた紙面を有効に使用して無駄がない。ロック音楽の評論家ではこうは行かない。その解説からかいつまむと、クガードは1900年にスペインに生まれ、2歳で一家はキューバに移住した。ヴァイオリンを学び、9歳で映画館の楽団で演奏し、12歳でハバナの国立劇場楽団で演奏したというから、天才と言ってよい。この部分を読んだだけで筆者はアルベニスを思い出したが、実際アルベニスがもう少し遅く生まれていたらクガートになったかもしれない。クガートは15歳で渡米し、音楽の勉強を続け、そしてカーネギー・ホールでコンサートを開くが注目されず、一旦スペインに戻り、またカーネギー・ホールで演奏するが成功とは言えず、ヴァイオリニストの夢をくじかれる。つまり、クラシック畑を断念する。この後の「ルンバの王様」になるまでの橋わたしとしての経歴で驚くのは、『ロサンゼルス・タイムス』で風刺画を描いたり、映画に音響効果をつけてトーキー映画のパイオニア的仕事をするなど、ザッパを思い出させる多方面の才能の発揮だ。才能のある人は何をやってもそれなりにこなすことをよく示してもいる。そうこうしている間にラテン音楽がアメリカで流行し始め、その様子をいち早く察知したクガートの奥さんはラテン・バンド結成を勧める。そして1929年にクガート楽団が誕生、翌年ニューヨークのホテルと契約してたちまち人気を得、またその様子がTVのネット・ワークを通じて全米に知れわたり、クガートは不動の地位を築く。クガートの風貌は、チョビ髭を生やした笑顔と小太りな様子から、いかにもショーの世界に生きる、陽気でどこか胡散臭さも多少感じさせるが、その覚えやすい特徴は人気者になるには不可欠なものであるし、またクガートの顔には知的さが底に隠れている迫力が感じられ、そこが世界的名声を得た理由でもあろう。日本では60年代にスマイリー小原という、踊りながら指揮をする名物おじさんがTVで活躍し、その化粧をした役者顔は今ではもう見られないプロさを感じさせたものだが、日本は60年代まではクガートの楽団のようなゴージャスな音を奏でる楽団の活躍の場がまだ残されていた。今でももちろん歌謡曲のバックを演奏する三原綱木の楽団はあるが、指揮者が目立つことはなくなった。楽団が目立たずとも、歌手だけ目立てばよいという意識からそうなったのか、あるいは楽団はカラオケでも代用出来るという思いがそうさせて行ったのか、そのどちらも言えるだろう。また、楽団が商売にならず、それを率いる親分肌の人材がもうないというのが第一の理由に思える。
 さて、「マイアミ・ビーチ・ルンバ」だが、題からしてこの曲はアメリカ生まれであることがわかる。1915年ニューヨーク生まれのピアニスト、アーヴィング・フィールズが1946年に作曲したとある。彼はクラシック畑の音楽家で、カーネギー・ホールで自作の交響曲を発表して絶賛を浴びたりしたというから、クガートとは知り合いであったのだろう。またフィールズはアルベニスのように放浪癖があって、中米通いの客船のサロン・ピアニストとして働き、ラテン音楽のリズムのとりこになったとある。それにしても交響曲を書くほどの才能がこうした曲で歴史に名前を刻まれるのは、なかなか残酷なようでいて、また面白いと言おうか、とにかく1曲でも名曲を残せただけでも本望と言うべきだ。EP盤は330円の値が印刷されているから60年代前半のものと思うが、アメリカでは1946年発売というから、日本発売は50年代か。初版がどのようなジャケットであったは知らないが、筆者の所有するものは、表面が艶消しで、藍色の地に文字の赤味かかった桃色の対比がなかなかよい。古いデザインながらレタリングの文字は温かみがあって、全体に安っぽくない。時代の産物と言えばそれまでだが、このジャケット1枚見ただけで、時代のすべてが見える気がする。そして、今のデザイナーがそれを凌駕出来るかと言えばそれは決してない。別なものに変化しただけのことだ。EP盤の音と筆者の所有するCD収録のヴァージョンと同じテイクであるのが残念だが、改めて聴くとその完成度の高さに胸が騒ぎ続ける。名曲に名演奏に名録音と言うべきで、こうした豪華で完璧な音を昔の大人が聴いていたことを知ると、当時の大人は充分満たされていたと思う。そのため、その後の音楽など何も聴かなくもよいとはっきり言える。つまり、その後の音楽のよい部分はみんな詰まっている。どの楽器もどのメロディもどのリズムも無駄が一切ない。また早過ぎず、遅過ぎないテンポは踊るのに最適で、この音楽を聴きながら、筆者はクラブの座席に座って、酒を飲みながら、美人と男が踊っている姿を思い浮かべてしまう。曲の途中でトランペト、そしてギターのソロが入るが、それはどこにも拙さや田舎じみた、あるいは時代遅れの感覚はない。たとえばの話、ザッパが演奏していると言われても全くそうかなと思えるほどに現在的で洒落ていて楽しい。うっといしいことがあると、ふとクガートの演奏を思い出すろ、それらがいっぺんに吹き飛ぶという感じがする。大人が本当に大人で、子どもとは明確に一線を画していた時代の音楽なのだ。そして、大人たちは大人たちで必死に生きて、充分楽しもうとうしたが、そういう人生の中にクガートの音楽があったのはとても幸福であったに違いない。50年代、60年代の都会の大人たちがお洒落をしてダンス・クラブで踊るという文化は今はもうないも同然だが、日本が豊かになった時、お洒落の定義が転換して、貧しさを模倣したような破れたジーンズや寝起きそのままのヘア・スタイルが格好いいと思うようになった。そして、そんな文化の中ではクガートのラテン音楽は古臭くて滑稽なものになり下がったと言ってよい。だが、豊かになった日本というのは幻想に過ぎず、むしろ昔同様に貧しい日本人が、なおさらそれを誇張するかのように破れたジーンズや寝起きの髪型で闊歩する様子は滑稽を絵に描いたようなもので、その奥に相変わらずクガートの音楽が代表する大人のラテン音楽が似合うクラブ的世界は存在している。TPOという言葉が昔あって、服装は時と場所、目的に応じてというのが大人の常識があった。今はそれは死語になった、あるいはごく一部の人のものになったとすれば、貧富の差が拡大したということだ。クガートの「マイアミ・ビーチ・ルンバ」はチャチャチャのリズムを加えていると言うが、そう言えば難波に「チャチャチャ」という、広い店内をラテン系の装飾をしたバーがあったが、2年ほど前になくなったな。
by uuuzen | 2009-04-28 23:58 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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