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●「TWIN GUITARS」
つのギターという曲名が長年思い出せなかった。メロディを覚えていて、ギターでも弾くことが出来るのに、何と言う題名かわからず、悶々としていた。



●「TWIN GUITARS」_d0053294_19305614.jpgだが、時として物事は予想がつかないところで解決する。この曲もその例だ。何年か前、ネット・オークションか路上のフレア・マーケットで買ったEP盤の中にフィーネーズの演奏する「哀愁のカレリア」があった。そのB面が「二つのギター」で、針を落とした途端、30数年の謎が解けた。ネット社会であるので、今は簡単なメロディを口ずさむだけで曲名を教えてくれるサイトがあるようだが、筆者のボロ・パソコンではそのような機能には対応していないし、またそれに頼る気はない。なぜこの「二つのギター」のメロディをよく覚えているかの話をしよう。2歳年下の妹が高校に入学してすぐ、ギター・クラブに入ると言い出して、結局当時新品のガット・ギターを母から買ってもらった。妹はそれまで学校で縦笛を習った程度で楽器にはほとんど無縁であったから、この突然のギターを習いたいという希望には筆者も面食らった。妹は指導の先生が演奏するフラメンコ・ギターがえらく格好いいと興奮気味であったから、きっとその先生目当てが半分であったのだろう。学校から戻って毎夜練習するのであるから、自然と周りにいる筆者も曲を覚える。そして学校の秋の学芸会で妹は同じクラブの別の女性と一緒にツインでギターを舞台で演奏し、その写真は確か卒業アルバムに載った。その時2曲ほど演奏したはずで、「二つのギター」が含まれていた。2台のギターのためにアレンジされた楽譜で、妹が担当したのがメインなのかサブなのかは知らないが、主旋律を筆者がよく記憶しているところからすれば、きっとメインであったのだろう。しかし、この曲は前半と後半でリードが交代するかもしれない。妹が猛練習したもう1曲はラテン・ナンバーの「マイアミ・ミーチ・ルンバ」であったと記憶するが、そっちはいいとして、筆者は「二つのギター」を曲名を長年思い出すことが出来なかった。当然妹とはしょっちゅう会うので、曲名を訊ねればいいようなものだが、ついそのことを忘れ、また妹にしてももう記憶にないであろう。妹はそのギターを学芸会で使用した後、もう興味をなくしたのか、触ることはほとんどなくなり、代わりに筆者がバッハの曲でもひとつマスターしてやろうかと考え、ドレミをどう押さえるのかも知らないのに、NHKのギター講座のテキストを買って来て、TV番組は一切見ずに、バッハのリュートのかめにアレンジされた曲を練習し始めた。1、2か月でどうにか演奏出来るようになり、その後は一転してコードを覚えて、ビートルズを演奏しながら歌ったりしたから、筆者がギターを触ってみる気になったのは妹のお陰だ。妹がギターに興味を抱いたことは今でも謎だが、母に似て手芸も得意で、暇さえあれば何か手を動かして作るという癖がある。それは2番目の妹も同じ、そして筆者も同じだが、一家揃って手先が器用で、何でもやろうと思い立つと独学でさっさとマスターしてしまう。その妹が買ってもらったギターは、妹はどこに行ったか記憶にないようだが、実は筆者の手元にある。弦が2本ほど切れたままにし、埃を被っている。本格的にギターを誰かに就いて学べばよかったかなとか、あるいは今からでも遅くないかななどとたまに思うことがある。10年ほど前のことだろうか、京都の学者の井上章一がピアノが全く演奏出来なかったのに、ある日心に決めて少しずつ学び始めることにした。そして今ではジャズのリサイタルを開催するまでになっている。どんなことでも、少しずつの積み上げが確実に上達させる。一般人が趣味として楽しむのはそれで充分だ。そう言えばギターよりピアノの方がいいかな。
 妹が「二つのギター」を課題として与えられたのは、当時この曲がそこそこヒットしたということもあったのだろう。日本では団塊の世代か少し上の世代において、昭和初期、歌声喫茶がはやった。そこで歌われる曲の中にロシア民謡がよくあった。ロシア民謡と言えば、必ず哀愁という言葉が連想されるが、日本は特にこの言葉とそれを思い起こさせるメロディを好む。それは今の歌謡曲でも全く変わらない。そういう筆者もその当時の大人たちのそういう好みが、自覚はせずともしっかりと体内に染み込んでいるはずで、短調のメロディにはすぐに敏感に反応する。だが、その一方でそれを拒否したい思いもあって、その妙なせめぎ合いのまま半世紀ほどいろんな音楽を聴いて来たという感じがする。短調と長調と簡単に二分されない複雑さが音楽にあるが、学校で習うのはこのふたつで、そしてそれぞれにシャープやフラットが順にたくさんつく7つの音階が別々にある。ここで音階の話を持ち出すとややこしくなるので書かないが、短調と長調だけで曲の雰囲気は簡単には分けられず、短調が物悲しく、長調が常に元気はつらつとは限らないことだけ言っておく。そんな単純なものであれば、こんなにいろんな音楽が相変わらず書かれ続けられはずがない。ところで、ギターで和音を覚えると、誰でもすぐにギターを奏でながら歌うことが出来るが、ピアノを覚えた人からすれば、その光景はかなり奇異に見えるらしい。家内は小さな頃にピアノとヴァイオリンを多少学んだが、あるポップス曲のメロディにつく和音というものが最初はなかなか理解出来なかったようだ。あるメロディがあるとして、そこにつける和音は厳密に1対1の関係にあるのではなく、別の和音をつけてもよい。つまり、ある曲にどういう和音がつくのか知らなくても、メロディさえわかっていれば自分で和音をつけることが出来る。これはあたりまえのことだが、よく音楽雑誌についているヒット曲の楽譜に最初に慣れてしまうと、主旋律よりも和音を覚えてしまい、それでジャカジャカと演奏しながら歌うことで満足してしまう。これが独学者の悲しいところで、きちんと音楽を学んだ者からすれば基礎がしっかりしているから、メロディさえわかると、和音は自在につけることが出来る。また独学者がそれをしようと思えば、耳がきわめてよいか、あるいは楽典をしっかりと読んで理論を把握することだ。そして、前者は演奏家になるだろうし、後者はどちらかと言えば作曲家になる。話がまたややこしくなりそうなので本題に戻すと、「二つのギター」は原曲がロシア民謡で、ロシア民謡はユダヤ人の音楽やジプシーの音楽がどこかで強く混ざったのか、哀愁を帯びつつ内なる力を秘めたといった感じのものが多い。それは絵画で言えばシャガールということになるだろうが、ユダヤ人の音楽とは無縁のロシア民族固有の音楽というものがはたしてどのように発展した来たのか、筆者には知識がない。おそらく他民族の音楽と渾然一体化して、今さら分離も出来ないというのが実情だろう。雪に閉ざされることの多いロシアだが、ヨーロッパに属しつつも東方に接し、その音楽は複雑なルーツを持っているとも思える。そして、北欧諸国とどう文化を交流させたかの問題もある。
 「二つのギター」のA面は60年代半ばに日本でも大ヒットした「霧のカレリア」の別ヴァージョンで、当時ラジオからこのフィーネーズというバンドの演奏もかかった。その後明らかにされたが、「霧のカレリア」を演奏したスウェーデンのスプートニクスのリード・ギタリスト、ボ・ウィンバーグがデビュー前に録音した演奏がフィンランドから別バンドであるフィーネーズの名義で出たもので、いわば同じ曲の別録音だ。ビートルズも初期にはアメリカで別の会社からEP盤が出たが、そういう混線はデビュー早々のバンドにはよくあった。スプートニクスはその後もヒットを飛ばし、日本の曲を演奏するということもやったが、同じ路線をベンチャーズがより派手にやって、日本では結局ベンチャーズが圧勝した。スプートニクスは他人の曲をカヴァーすることが多いが、その点ではベンチャーズはもっとであって、その何でも屋的な貪欲性はとどまることを知らないといった感じが当時からした。日本からすれば、外人が日本のために特別に演奏してくれるのだから、どこか優越感にも浸れたが、その傾向も70年代までであったのではないだろうか。今は外国のミュージシャンが日本語で歌うといったことはあまり聞かない。いや、そう言えばジェロのようにいっそのこと演歌を歌うということになって、時代は別段階に突入したのだろう。スプートニクスがベンチャーズに負けたような形になったのは、レパートリーの少なさもあるだろうが、やはりスウェーデンはアメリカより日本からは遠いということが影響した。それに何と言っても日本はアメリカに戦争に負け、アメリカとの方が縁が深いし、アメリカの音楽産業はスウェーデンの比ではない。スウェーデンはその後アバが登場するが、北欧の中では最も世界的に有名なポップス・グループを世に出したと言えそうだ。北欧とアメリカというつながりにおける音楽の流れがきっとあるはずだが、これまた筆者には知識がない。そして一方で思うは、ロシアと北欧のつながりだ。フィーネーズがなぜロシア民謡なのかという問題を考えるならば、単にグルーブの好みというのではなく、何かもっと深い理由がありそうに思うが、それは筆者の買いかぶりか。あるいは昔の王室のつながりといった歴史から解き起こせば、その辺の事情もよくわかるのかもしれない。1965年当時、突如ラジオで大ヒットし始めた「哀愁のカレリア」ないし「霧のカレリア」を聴いて驚いたのは、途中でロシア民謡の「トロイカ」のメロディにバトン・タッチする点であったが、そのつながりは実に見事で、今聴いてもその部分は当時と同じように心が揺さぶられる。そして、誰でも知っている「トロイカ」を、自作曲の途中に挿入してなお格好いいということに、ひとつの重要な創作の手法を見た気がした。そういうことも許されるのかという思いだ。このように書きながら、筆者は14歳頃、夜のラジオ番組で聴いた様子をまざまざと思い出すが、「霧」「哀愁」という言葉が「カレリア」と分かち難く思え、その「カレリア」とは何かという不思議さも覚えた。話が少し変わるが、筆者はクラシック音楽を自分の意思で聴くようになった20歳の頃、まずシベリウスに関心を持ったが、すぐに「カレリア」はシベリウスに同じ名前の曲があることを知った。そして、シベリウスの音楽に流れる一種の哀愁は「霧」を連想させもした。だが、そこにロシア民謡風の旋律はないように思う。いや、待てよ、ヴァイオリニストであったシベリウスは若い頃にヴァイオリン協奏曲の超名曲を書いているが、それはジプシーの影響が遠くにあるかもしれない。
 北欧はヨーロッパの辺境にあって、中心地の国々からいろいろと蹂躪もされた。ヒトラーが侵攻したのもそうだが、それは文化がそれだけ混じりやすかったことを意味してもいる。だが、混じろうとしながら、国民性から混じらせないという動きもまた強く、その反発力がたとえば「二つのギター」に代表されるような、その後のスプートニクス・サウンドとなって、それが日本ではたちまち歓迎された。その特徴ある広がりのある音はベンチャーズの陽気さは違って、もっと繊細ではかない印象が強いが、そのような特徴をウィンバーグがどのようにして開発したかとなると、エレキ・ギターやアンプなどの技術的なことに関心が強く、好みのギター・サウンドに執心した結果だ。そして、そこにはやはりアメリカから学んだことが大きく、それをいかに自国風、自分の好みに咀嚼するかという試行錯誤があった。だが、音だけならばすぐに模倣されるし、よりアメリカ音楽と差をつけるためにロシア民謡の使用ということになったのだろう。そして、スプートニクスというバンド名からして、その広がりある音が宇宙時代を連想させると考えた。それは当時は安っぽいキッチュを感じもしたが,その一方で、実際に宇宙で音楽を聴くとこんなサウンドかなといった、つまりシンセサイザーの先手を取っていたようなところがあって、スプートニクスのその目のつけどころは画期的なものがあった。エレキ・ギターを中心にした歌のない曲はアメリカではデュアン・エディがいたし、またアメリカのジャズ畑のギタリストたち、それにヨーロッパではジャンゴ・ラインハルトというジプシー・ギターの流れもあるから、日本で60年代半ばにギター・インストゥルメンタル曲が流行したのには、それなりるの素地も先輩もあった。だが、これも今にして思うのは、まさに「哀愁のカレリア」が大ヒットしたのと同じ時期に、日本ではビートルズの「恋を抱きしめよう」や「デイ・トリッパー」がヒットし、ビートルズのギターもあれば歌もあるという曲がより若い世代にもてはやされたように思う。筆者はその部類であったが、であるからこそ妹のクラシック・ギター片手にコードを覚え、ビートルズの曲を歌うということに進んだ。つまりギター・インストゥルメンタル曲は、今で言うカラオケのようにどこか受動的一辺倒で物足りなかった。ベンチャーズはアニマルズの大ヒット曲「朝日のあたる家」をたちまちそっくりそのままカヴァーしたが、筆者は当然アニマルズの曲が大好きで、一緒になって歌うことを好んだ。そういう若い世代が多いということをレコード会社はよく知っていて、「哀愁のカレリア」あるいは「二つのギター」には日本で勝手に歌詞つきのヴァージョンが録音された。これはロシア民謡が原曲にあれば当然のことで、本来歌うべきメロディであったのだ。だが、日本語の歌詞はロシア民謡とは無関係であるから、歌詞よりも旋律の方が国際的に伝わると言える。さて、話を戻すと、フィーネーズの「二つのギター」は妹が演奏したものとは違って、ギターが2本別々の音が奏でるという演奏にはなっていないが、ひょっとすれば全く同じメロディを二重録音しているのかもしれない。それもまたビートルズが歌でよくやったことだが、同じ声や同じ音であっても、演奏はわずかにずれが出来て、より深い味わいが出る。スプートニクスのサウンドはそうしたことをよく知ったうえでのものであったろう。「二つのギター」は「哀愁のカレリア」のようにゆったりとした曲ではなく、もっと激しく、速い。もちろん妹が弾いていたのも同じだ。ベンチャーズもおそらく録音していると思うが、筆者の脳裏にあるのは、毎夜妹が猛烈に練習していた時の音だ。
●「TWIN GUITARS」_d0053294_14230416.jpg

by uuuzen | 2009-03-25 23:56 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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