文章を長く書くのを週1回と決めているのに、今月はその日が5回ありながら、ついに1回もそれが果たせないままとなったが、今日からそれら空白の5日分を消化したいと思う。まず今日は東京でのことを書く。
1泊旅行であったので、あちこち巡るのも限界があるが、おおむね計画どおりに実行出来たのでとても気分はよい。今日はその中で東京行きの主たる目的であったトーク・ショーについて書いておく。そもそもこの企画はDweezilのZappa Plays Zappaの再来日公演に合わせて前評判を煽ろうという大きな目的による。ZPZの去年1月の最初の来日はこのブログに何日かに分けて感想を書いたが、当時ZPZの演奏を除いて筆者が一番印象を強く抱いたのは、
プロモーターの南部さんであった。そのことは当時のブログに書いたが、筆者は大阪市中心部の南部(語呂合わせになるが)にある南部さんの会社SMASHの内部で初対面で話をしながら、とても温かい人柄を感じた。そして演奏会の当夜、会場で再会して握手を交わしたが、なおさらその人間的魅力を感じたものだ。ブログには、もう二度と会う機会はないかもしれないがといったことを書いたが、それが1年経ってまた出会いがあった。筆者としてはそれがとても嬉しい。実際は南部さんは去年のZPZ来日の際に飲み会のような何かイヴェントを企画しようとしたが、結局FM放送でZPZを紹介するといったことで終わった。南部さんとの当時の話の中で、筆者は再来日の可能性に言及すると、南部さんはチケットの売り上げからして二度目はもうないだろうといった感じであったが、それが1年少ししてまたやって来ることになったから、南部さんは驚いたのではないだろうか。ただし、ZPZのギャラや会場の規模など、現実的な条件を提示し、合意があっての再来日であり、またそれにもかかわらず大阪公演は流れてしまった。東京渋谷での2回の公演でどれだけの観客を動員出来るか、残り1週間の勝負というところだが、ぜひ東京のザッパ・ファンはかけつけてほしいと思う。会場は収容500人ほどのところだそうで、舞台の間近で鑑賞出来る分、DVDやCDでは全く味わえない迫力はある。何にでも功罪はあるが、DVDは特に罪の部分が大きくて、実際のステージのように勘違いさせる。ネット世代にとってはその感覚はもっとであるだろう。だが、生身の人間を前にすることは、ましてその演奏を聴くことは、画面の中に手を届かせることの出来ないDVDとは全くの別物だ。それこそ一期一会で、そうした機会に得られる感動は生涯長く持続する。そんな一期一会は筆者の今回の東京行きであった。これは会場でも話をしたが、半年前に結婚式に出席するために20年ぶりに東京を訪れたというのに、意外なところでお呼びがかかった。交通費と宿泊費を南部さん側から出してもらえるという条件で、筆者に文句があろうはずはなかったが、取りかかっている仕事の区切りを連日苦闘しながらこなそうとしていた時期に重なって、今月は猛烈に考えることが多く、パソコンの前に座り続けた。そして、どうにか東京行きの前日に仕事の長い区切りを終えたから、晴々とした気分で出かけることが出来た。対談の終わった後、南部さんら合計6人で近くの店で10時半まで飲んだが、その時南部さんはさり気なく封筒を筆者に手わたした。中にはお金が入っていた。当初なかったはずなのにありがたいことだ。店を出た後、南部さんと地下鉄を乗り継いで青山のホテルに向かったが、エレヴェーターが4階に着いた時、別々の部屋に向かうため、挨拶を交わして別れた。翌朝南部さんの方がホテルを出たのは早かっただろう。
何かイヴェントをしようという考えの中に、筆者の講演会というのもあったようだが、ひとりで話すのは苦手であるから、そうなればどう理由をつけて断ろうかと思っていたが、話は誰かミュージシャンと対談するのはどうかという方向に進んだ。それで何人かが候補に上がって、それらの名前を筆者は前もって耳にしたが、日本の音楽に全く詳しくないので具体的なイメージは湧かない。結局カーネーションというバンドの直枝さんが決まった。何を話すかは予めだいたいの方向は示唆された。ZPZのチケット売り上げに貢献するような、つまりDweezilのことに最後は結びつけるという条件が前提で、ザッパ没後のアルバムから10点を選んで語るというものだ。そして、会場で配付するCDジャケット・サイズの没後アルバムの資料を、対談当日までに作ることになった。そのデザインはザッパの紙ジャケ・アルバムの全デザインを手がけている梅村さんが担当することになり、また文章は筆者が書くことになった。対談ではアルバムを10に絞るということなので、実際はその10枚のアルバムについてのみ書けばいい気がしたが、梅村さんはせっかくの機会というので18枚に増やした。どうせ増やすなら没後の全アルバムがいいと筆者は内心思ったが、印刷スペースも考慮すればそういうわけにも行かなかったのかもしれない。ともかく、前段に200字の紹介をまず置き、その後に各アルバムについては120字で書いてほしいと言われ、文字数はぴったり過不足なくそのとおりにまとめた。これは厳密な俳句作りと同じだが、筆者はそういう条件を示されるとかえって気楽で、合計で原稿6枚分を一晩で書いた。それは当然ノー・ギャラと言うか、旅費と宿泊費に含まれるという扱いだが、ザッパのためならそういう一肌も脱がねばならない。そして、そうした依頼があって、即座に対応してそれなりに読ませる内容を書き上げるには、ザッパのアルバムについてよく知っていることはもちろんにしても、やはり何かをまとめ上げる才能は必要で、そしてそれは筆者の場合、今までに書いて来たザッパ絡みの文章との兼ね合いやまた新しい実験的なことを盛ろうとする気持ちが当然湧くものであって、実際そのようにして文章をまとめた。それはザッパが言うところの「コンセプチュアル・コンティニュイティ(概念継続)」であって、筆者が自分の解説を通じて、少しでもザッパ世界の神髄を垣間見させたいと思うことの表われだ。対談の告知チラシや、この3つ折りのCDジャケット・サイズの没後アルバム解説の印刷は、みな南部さんの会社が引き受けたが、とにかく突貫作業で、よくもまあ期日内に仕上がったものだ。没後アルバム解説は数百部は印刷されたはずだが、対談当日にディスク・ユニオンに集まった人々に1枚ずつ配付された残りがかなりあって、それらから筆者は50部ほどをもらったが、残りは南部さんが段ボール箱に入れたまま、ずっとホテルまで持って歩いた。あのような大量の残りをどうするのかと思うが、来日したDweezilに見せると言っていたので、いつかDweezilから反応があるかもしれない。来場者への特典は以上のような、ZPZのライヴに収斂させつつ、没後アルバムの解説ということになったが、さらに別の特典を用意することになった。それは、会場で『大ザッパ論』や、また南部さんが売るZPZのチケット専用のもので、意外な形に話は進み、筆者がまたそれ用に文章を急きょ書くことになった。それはザッパの音楽を詰め込んだCD・Rなのだが、梅村さんと電話で相談してその収納袋に筆者の文章をびっしりと印刷しようということに決めた。確か2000字ほどを即日に書いたが、会場で初めてその実物を見せられ、もっと字を小さくするために文字数を増やせばよかったと思った。虫眼鏡で見なければ見えないような、ルビよりもまだ小さい字と思ったのだが、隙間なく字を印刷すると、予想外にもCDジャケ・サイズに2000字ではかなり文字は大きくなる。筆者の予想不足で、細かい字に合わせた文章内容にしたつもりが、仕上がりはちょっとちぐはぐなものになった。あるいは文字の大きさは仕方がないとしても、地を黒に、文字を灰色にするなど、とにかく読むのに苦労するものにすればよかったか思う。その文章を読む人はその特典CD・Rを入手した10人前後に限られるが、ほかに転載する気はないので、それでもいいかと思う。さて、その音楽内容だが、実はそれについてはまさにその2000字の文章に書いてあって、説明にはたと困るが、対談の間その音楽がずっと流されていて、筆者はどこかで聴いた選曲だなと内心思っていたが、後で耳にしたところ、やはりそうで、筆者としては自分が選んだザッパ曲をBGMにしながら対談を運ぶことが出来た。それについて少し書いておくと、その選曲はJRの西川口駅から東北へ徒歩5分ほどにある「亥の刻」という名前の蕎麦屋からの依頼で作ったものだ。「亥の刻」には対談当日の午前中、初めて訪れた。店内にはザッパの音楽が鳴っている。予定があるので長居出来なかったが、なかなか趣のある店で、関東のザッパ・ファンは一度は訪れてほしい。
さて、対談相手の直枝さんは、近年著作を出版しており、その中にはザッパについての多少まとまった内容もある。そういうことを知って、筆者との対談がふさわしいということになったのだろう。筆者は最初に対談の話を聞いたのが工作舎の石原さんからであったので、石原さんが話を進めたに違いない。対談後の飲み屋で聞いたところによると、南部さんはカーネーションのプロモートをしたことがないという話であったが、カーネーションは名古屋や大阪、京都でも1年に一度程度は演奏に来ているので、当然ファンは全国的にいる。そういう人気もあって、対談の人集めにはいいということになったし、無名の筆者としてはそれに乗りかかれば楽であるから、当日の集客にはあまり心配はなかった。実際、直枝さん目当ての女性が何人も固まっていたから、さすがミュージシャンは違うなと思った。また、南部さんのマネージャーの女性は美人で、ロッカーの周りに女性が多いのは全くうらやましい。ザッパもそれを思って毎年ツアーを続けたというのが正直な理由でもあるだろう。それはそうと、直枝さんが対談相手と決まって、早速彼の著作がマネージャーを通じて筆者に送られて来た。その一方、石原さんはカーネーションのCDを2枚届けてくれたので、バンドの音、直枝さんの音楽性は多少それで把握することが出来た。本にはなかなか印象深い写真が多く、表紙の写真もとても情緒があってよい。さらに本の最後にはCDもついているが、この本1冊で直枝像が把握出来るという寸法だ。ただし、本付属のCDはバンドとしての音とは全く違って、アコースティック・ギター1本と歌のみとなっている。バンドの音はとてもカラフルで洒落た世界が繰り広げられ、それは一言すればやはり東京のセンスで、大阪の泥臭さはない。また、育ちのよさと言うか、直枝さんの人柄が滲み出ている。この育ちばかりはどうしようもないもので、大人になってそれなりに洗練を心がけても、どこかで地が出てしまう。育ちのよくない筆者はつくづくそれを感じるが、今さらどうしようもないので、もうこの齢になれば開き直りしかない。直枝さんは音楽界きってのレコード・コレクターとしても有名で、著作にはそのコレクションを撮影した写真が何枚か掲げられている。うらやましいのは、壁に作りつけた棚で、そこにびっしりとレコードが収まっている。筆者はすでに壁面すべてが本などで塞がっていて、今は床に何でも積み上げている状態だが、埃も積もっている。直枝さんの部屋はきれいに整頓され、筆者の倉庫同然とは全くの正反対で、それが人間性の差にもなっているかと思う。筆者は今でも毎晩かなりのくしゃみをするが、それはどうやら花粉もあるが、きっと掃除しないゆえの埃である気がしている。それはさておき、ディスク・ユニオンお茶の水駅前店の地下中央の喫茶店で4時に待ち合わせをしたが、石原さんと南部さんが先にいた。間もなく直枝さんがマネージャーと一緒にやって来て打合せということになったが、あまり話すと本番の緊張がなくなるので、差し障りのない話で済ますようにとの石原さんの指示があり、なるべくそうした。5時前に、会場内上部にザッパ関連のアルバム・ジャケットを展示する役目を終えた梅村さんが顔見せにやって来た。そして、5時になれば迎えに来ると聞かされながら、誰もやって来ない。直枝さんが、「もう5時ですが、誰も来ませんね」などと言っているうちに、ようやく迎えが来たので地下から地上に出た。
直枝さんは黒のジャケットだった。筆者はコートを着ていたが、下には白のジャケットを着ていたので、コートを脱げばよかった。ここ数日花冷えの寒い日が続き、風邪をぶり返しては面白くないので、コートを着て出かけたが、会場内は人が集まってそれなりに温かく、筆者は顔が紅潮した。コートを脱げば、直枝さんとは白黒の対照で、まるでチェスみたいになったのにと思う。1時間の対談ということを聞いてはいたが、9時まで営業しているので、最高その時まで延びてもよいということであった。だが、大半が立ち見であり、そんなに長く聞き続ける人はいないし、筆者は1時間を気にしながら、腕時計を途中で2度見た。そして話をZPZにどうつないで行けばいいかと、それを気にしながらザッパ没後のアルバムの話をしたが、最初に選んだ10枚のアルバムに沿いながら、総論めいたことが中心になった。選んだ10枚というのも本当はあまり意味がないし、それよりも没後のアルバム・リリース状況と、Dweezilの活動ということに的を絞るのがいいと思った。だが、対談であるので、いかに直枝さんから面白い話を引き出すかが肝心で、それが今回は難しかった。直枝さんの好みのザッパの音楽や、それからの影響などをもっと突っ込んで質問すべきであったが、直枝さんの音楽世界に話の比重が移り切ってしまうのはまずしいし、また筆者はそれを聞いて納得出来るほどに数多いカーネーションのアルバムを聴いてはいない。直枝さんの音楽世界を対談の俎上にもっと載せるには、ザッパ以外の音楽の話を持ち出さねばならない。それは彼の本からわかっていたことだが、1時間では無理な話だ。また、ザッパの音楽からの感化に話を絞るとしても、それは人によってさまざまで、そのあたりまえのことを筆者はまず筆者のビートルズ体験を持ち出してほのめかしたが、筆者がビートルズやザッパの音楽を聴いたようには今の世代は必ずしも聴いているとは限らず、またそのことを話し出すと、最後はその人の生き方にまで話が及ぶ。社会のどういう部分に身を置いてザッパの音楽を論じるかは、筆者はかなり大事なことと思っている。簡単に言えば、たとえば大学の教授といったような人にはザッパは理解出来たとしても、それは結局は皮相的ではあるまいかということだ。だが、筆者は対談ではそこまで話を進めるつもりはなかったし、今もそうだが、そういう話をたとえば直枝さんとするには、初対面ではあまりに図々しいし、もっと別の機会の別の場所が必要だ。対談は結局筆者がよくしゃべる方に回った。これは直枝さんを無視したことにも取られかねず、かなり反省しているが、無言の空白が出来ることを恐れたので、それも仕方がないと理解していただきたい。直枝さんはソフトな人で、歌にはなかなか適する渋い声をしている。それに姿顔を見せるのが仕事でもあるので、当然そういうオーラがある。別の何かの機会でまた話すことがあればと思う。その時は直枝さんの音楽観をもっと訊いてみたい。
さて、この対談は南部さん、石原さん、梅村さん、それに筆者と直枝さんがかかわって実現したが、縁とは面白いもので、南部さんは20年もっと前に石原さんと出会っていた。石原さんは司会を担当し、よく宣伝も絡ませながら落ち着いた口調で、対談の口火を切ってくれた。対談は1時間を10分ほど超えたが、ディスク・ユニオンという会場提供もあってのことで、関係者に感謝したい。梅村さんはLPジャケットを脚立に乗って設えたが、手作りの企画なので、いろんなことを引き受けねばならない。対談の最後に梅村さんの登場もあって、空気が和んだと思う。梅村さんと筆者の出会いは、『大ザッパ論』の執筆の後半期だったと思うが、どこの出版社から本が出るのですかと電話があったことに遡る。MSIでCDの解説を担当していたので、梅村さんはそこで筆者の本の執筆について耳にしたのだ。そして、本のデザインをしたいと考えたのであった。筆者は工作舎から出ると返答したが、梅村さんはがっかりした様子で、専属のデザイナーがいる会社なので諦めますと返事した。だが、せっかく電話をくれたのだから、一度工作舎に行ってみればと助言した。するとそのとおりにして、梅村さんは石原さんと親しくなった。その後梅村さんは何度も京都に来て、そのたびに筆者とは会っている。そういうわけで、先に書いた来場者特典の没後アルバム解説は、南部、石原、梅村、筆者の計4人の合作のような形の産物だ。小さな印刷物に過ぎないが、その裏には長い年月の交際がある。対談はほとんど筆者は直枝さんの方を向いて話をしたので、前にいる人々を見渡すことはなかったが、対談後声をかけてくれた人の中に、初対面の宇田川さんがまずいた。何年も前からメールでやり取りしていたし、写真でも顔を知っていたが、対談後の跡片づけをするバタバタの中で挨拶程度で終わったのが残念だ。またこれもザッパ・ファンだが、大平さんとも何度もメールを交換しながら、初めて面識を得た。他のザッパ・ファンと引き合わせるつもりでいながら、やはり挨拶程度に終わったのが申し訳ない。そのほかもう何年も前に京都の筆者の個展で会った依頼のザッパ・ファン数人や、名刺をくれたレコード会社関連の人、名乗りはなかったが、しっかり握手をしてくれたザッパ・ファン、また若い人で『大ザッパ論』を読んでくれている人など、当初思っていた以上にたくさん集まっていただいて、まずは盛況だった。どうせ売れないだろうと思って石原さんが持参した3冊の『大ザッパ論』は完売で、本の扉に筆者はサインをしたが、そういうこともあるだろうと予想して落款を持参し、それを捺印した。筆者は今までに『大ザッパ論』にサインをしたのは、確か3冊のみで、しかも捺印したことはない。また、南部さんが持参したZPZのチケットは8枚売れたそうで、これもあの集まりではよい方だったろうか。とにかく、後1週間、南部さんやDweezilのためにチケットがもっと売れてくれればと思う。