メロディが分解と結合して違う曲になって行くことが『LUMPY MONEY』からはよくわかる。
それはザッパの初期には特に言えることだが、このザッパの初期というものをどう捉えるかは、たとえばビートルスならばEMIから正式にレコードを出す以前の録音があるように、ザッパにも準備期間と言えるものがあって、それがまた5、6年という長さにわたったので、これがもっと解明されなければ『LUMPY MONEY』の複雑さもなかなか理解出来ない。『LUMPY GRAVY』にしても、今回の『LUMPY MONEY』で初めて最初のキャピトルでの録音が発表されたが、レコード会社の契約の関係で、それは没になり、VERVEを支配下に置くワーナーがそのテープを所有することになった。そのテープに会話を刻み入れることで『LUMPY GRAVY』は完成するが、レコード会社の権利問題がなければザッパはキャピトル録音をそのまま発売したであろうか。これはザッパに訊ねてみないとわからない問題だが、半年の間にとにかくザッパは最初に録音では満足出来なくなった。その思いが60年代前半のザッパの勉強期間における上昇志向の反映と見ることは出来るだろう。いや、そうとしか思えない。その勉強期間においてザッパはロックから映画音楽、現代音楽、それに録音機器の扱い方から編集方法、大勢のメンバーを指揮することやまた自身のギター演奏など、あらゆることに挑んでそれなりにモノにしていた。この事実の意味するところは大きい。それが全部詰め込まれたのが『LUMPY GRAVY』だが、そうしたあたりまえの音楽家としての立場以上に、ザッパには突飛なアイデアを実行するという才能もあった。それが『LUMPY GRAVY』での会話部分の録音方法だが、同じようなことは自転車を使った協奏曲にも表われていた。そういう一種奇妙な態度が変に誤解されると、ステージ上で雲古を食べたといったアホな噂がひとり歩きし、いまもってそれを真実だと思って面白がっている連中がいる。それもザッパの撒いた種なのかどうか、とにかくザッパは誤解されやすかった。それが筆者が言うアメリカでは芸術は育ちにくいというところとある程度は関係するが、ま、この話はいいだろう。
『LUMPY MONEY』のディスク3の最初の曲は、室内音楽風のジャズ・ピアノの音から静かに始まるが、どこかで聴いたメロディだなと思うと、『WE‘RE ONLY……』のB面最後から2曲目「MOTHER PEOPLE」の最後に少しだけ引用されるクラシック音楽的映画音楽的な曲の主題のようだ。そしてそのピアノを中心としたメロディはサビ部分としてヴィヴラフォンによる別のメロディに変わるがそれは『DUKE OF PRUNES』であり、また元の主題に戻った後、今度は「OH NO」に変わる。これはかなりまともに演奏され、『LUMPY GRAVY』に使われる。そのほか「KING KONG」ももちろん奏でられるが、後のザッパ/マザーズが長年にわたってステージでロックやジャズの形で演奏する曲がすでに見られることが、60年代前半の準備期間の重要さや、またザッパの全生涯の仕事が『LUMPY GRAVY』に見られるメロディの断片を別の曲に変容させたり、またある曲を別の素材と対峙させてそこに新たな変化を生むといった手法で説明出来るものであったことをよく示す。つまり、ザッパの脳裏には常に何か混沌としたものがって、それをその時々において形にして聴かせたということだ。「その時々」とは自分本位だけとは限らないことはビートルズの『SGT. PEPPER』のパロディとなった『WE‘RE ONLY……』から明らかで、ザッパには周囲の動向を常に監視するという態度があった。それは批評家精神と言えるが、流行音楽でメシを食うための必然でもある。VERVEから正式にデビューする以前にザッパが音楽家として多方面の才能を身につけたのは、どういう状況になっても食って行くための能力を持っていようという考えもあってのことだろう。とにかくVARESEのように仕事がなくて生活に困り、そのために作曲もままならないという状態に身を置くことは出来なかったし、したくなかった。VERVEからのデビュー後、ザッパはすぐに子どもを作るが、もうそうなれば生活の糧を求めてとにかく音楽活動で収入増進を図るしかない。その過程で生み出されたのが、数々のアルバムということになるが、そうした自身の食っていかねばならない芸術家像というものをザッパはどう批判的に見ていたのかそうでなかったかは、なかなかインタヴュアーとして質問しにくかったであろう。現在のザッパ・ファミリーはザッパ曲の他人の演奏に対して訴訟を起こすなど、ことだが、その本質は結局は誰がどう支払うかという金にまつわる問題に過ぎない。ザッパはビートルズの『SGT. PEPPER』を聴いて、ビートルズは金のためにやっていると意見を吐いたが、それはどうだろう。実はザッパこそそうではなかったか。確かに全く儲かりそうにない『LUMPY GRAVY』を作る点では金に興味はなさそうだが、そうであればザッパの音楽はもっと違った方向に進んだ気がしてならない。ザッパは億万長者で死んだが、経済的な成功者となるにしたがってザッパの音楽は似たことの繰り返しに陥った。それを作家的完成と見るか、退化と見るかは人によって異なるが、大人になって老化に向かうと誰しもやることに変化が乏しくなるのは事実であり、その意味でザッパの生涯の音楽活動は動物的な経年変化に応じたごくまともなものであったと言える。だが、音楽ファンはそうではないものを常に求め続ける。そのため、いくらザッパの音楽を好むからとはいえ、また別の作家のものを知りたいと思うのは人情なのだ。
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●2003年3月22日(土)昼下がり一転して雨空。だがバグダッドには爆弾がどっと降り注ぐ。「驚異と恐怖」の作戦という名称だったか、あまりにもひどくてセンスのない言葉で、こんな表現を思いつくのは馬鹿な残虐者そのものの気がするではないか。恐怖に陥れられる方はたまったものではない。独裁者だけならまだしも、一般市民の巻き添えは不可避であり、そういった人々を解放するという大義がイスラムの人々に通用するだろうか。よけいなおせっかいと思われないとも限らないではないか。まさにアメリカは能天気なカウボーイ国家だと思わせる。ザッパが生きていたらまたカウボーイ・ソングで今回のことを皮肉ったろう。もしニューヨーク市内に爆弾の雨が降るものならば、人々はぐっすりと眠ることができるか? アメリカ人以外は人間ではないとでもいったような今回の先制攻撃だが、フセイン政権を倒すというのであればもっと別の手段があるだろう。新型爆弾や兵器を平気で使用する市民の巻き添え攻撃は、広島や長崎の原爆投下から何ら変わっていない精神構造だ。立派な建物を作るのは長い日々と労力が必要でも、爆弾はそれらを一瞬で破壊する。アメリカ市民がテロの恐怖から完全に逃れるには、フセイン政権を妥当すれば済むとでも言うのだろうか。たとえば雑草でも、すっかり除去したと思っていてもいつの間にかまた生えて来る。抗生物質で徹底的に菌をやっつけたと思っていても、どっこい菌も強く、やがてどんな抗生物質も効かない進化菌が出現する。適当なところで折り合うことが必要だ。フセインをやっつける過程で一般市民を巻き添えにすれば、その市民の中からまたアメリカを恨む者が出て来る。それがたったひとりであっても、そのひとりが指導者になればいずれまたアメリカにテロをしかける。そんな想像ができないとすればよほど貧困な脳細胞だ。何でも根絶やしできると思い込むのいは勝手だが、物事はそんなに単純ではない。人種混合国家ゆえアメリカは単純が好きなようだが、その単純が世界をとんでもない方向に導いて行くとすれば、これは黙っているわけには行かない。それで世界各地で戦争反対の声が上がる。一方で日本は原爆を2個も落とされたにもかかわらず、それをすっかり忘れているかのような日和見主義だ。戦争より別の方法での解決の道を探ることを提唱できないのであろうか。戦争後の後始末に精を出す方針もいいが、戦争開始を止めることに寄与するのがもっと合理的だ。ま、この話はこのくらいにしておこう。戦争は始まってしまった。それがすぐに終わることを願うしかない。昨夜NHKで『おしん』を観た。ここ数日間、ほぼ毎日夜に編集版を放映していたのを欠かさずに観た。この番組がかつて朝の連続ドラマでやっていた時には、あまり熱心には観なかった。毎日でなくても、おおよそ内容がわかったからだ。このドラマが世界各地で放送されて、中東イスラム圏でも大人気を得たというのはよく知られている。きっとイラクでも放送されたことだろう。アメリカではどうだか知らないが、中東イスラム諸国の人々ほどには歓迎はされなかったに違いない。もし歓迎したとしても黒人の間ではないだろうか。かつてアメリカの黒人の間で『ルーツ』が大歓迎され、すぐに日本でも放送された。筆者はとても感動したのに、同じように感じた人々は筆者の周りでは非常に少なく、それがとても奇異であったことを記憶する。それは奴隷に対して実感がないせいだろう。『ルーツ』の後に『おしん』が作られ、その田舎の貧しい女の子が教育の必要を感じてやがて金持ちになって行くという物語は、発展途上国の人々には理解しやすくても、もはや豊かになり切った国には感動をさほど与えまい。『おしん』の少女編以降の展開は全く知らないのだが、少女編を観終えた限りでは、将来金儲けをしようと決心する少女の気持ちが筆者にはどうもやり切れないものであった。筆者も少年時代は極端な貧乏暮らしであったが、それでも将来金を儲けてやろうとは全く考えなかった。母は本だけはいつもよく買ってくれたが、それでも金持ちになれとは言ったことは一度もない。勉強することが経済的貧しさから脱することが第一目的であるとすれば、それこそ貧しい脳細胞だろう。学問をして立派になる人ほど、本当は人々のために尽くし、自分は貧困に甘んじるべきではないか。ところがそんな考えは今の日本では嘲笑されるがオチだ。ちょっとでもいい成績を取って医者にでもなれば、みんなから尊敬されて金もたっぷりと儲かるとばかりに、子どもを幼児教育に追い立てる。『おしん』は日本が辿った典型的な経済発展の寓話であるが、それにしても少女編における商売大事の描き方にはいささか疑問を感じた。その点、イギリス映画の『リトル・ダンサー』は同じように貧しい労働者階級の男の子が王立のバレエ学校に入って学ぶ物語で、その芸術を大切に描いている点で『おしん』とは比較にならないほど国家の成熟ぶりが見られる。日本ではまずそんな風に芸術ないし芸術家を神々しく描く映画など撮られまい。ましてや子どもが観ても感動する映画ではなおさらだ。そのあたりに日本のまだまだ精神的な貧しさを露呈した様子が垣間見え、エコノミック・アニマルと言われるおも仕方がない。『おしん』の主人公がもし貧乏にもかかわらず芸術の道に開眼して、やがて立派な作品をものにするようになったという物語であれば、あれほどの視聴率を得たとは全く思えない。それどころか企画の段階で没になったはずだ。『おしん』の「しん」が「信」や「神」、それに「辛抱」の「しん」であるといったセリフがあったが、この辛抱が金儲けを前提とした辛抱であれば情けない話ではないか。その儲けた金で貧しい人や芸術家を援助するならまだしも、そんなことが『おしん』では描かれてはいないだろう。辛抱して金を儲け、それで世界から尊敬されると勘違いしてはなるまい。ところで、小学生6年生の時に講堂に集められて、あるおじさんの40分ばかりの話を聞かされたことがある。そのおじさんは話し方がとてもうまく、それを商売にしていることが子ども心にもわかった。壇上でそんな巧みに話す大人を間近に見たのは初めてであったので、鮮明にその時のことは記憶している。おじさんは背後の黒板に「金」という一字を書き、その筆順を示しながら「金ニハ芯棒(辛抱)ガ第一」と語った。つまり「金」を分解すると、「ニ、ハ、辛抱である縦棒、それに最後の横棒の一」があるということを示し、「君たち将来は金を得るには辛抱が大事ですよ」という話をするのであった。どこか詐欺師めいた風貌のそのおじさんのプロの話ぶりには舌を巻き、今も覚えていまのに、話の内容はみな忘れてしまった。それでよかったのだろう。芸人ないしプロという人を最初に見たのはそのおじさんで、その芸は買いたい。漢字を分解して意味づけるということを知ったのもその時が最初で、そのユーモアも同時に理解した。「金ニハ辛抱ガ第一」というのも実際そのとおりだと思うが、それでも辛抱の目的が金儲けこそでは人生はあまりに辛い。安藤忠雄が先日新聞のコラムで、日本はもっと芸術を大切に思う風潮を育てる必要があるなどと書いていた。これに賛同を寄せる人がどの程度あるのかと思う。『おしん』は近々全編が再放送されるというが、NHKは『リトル・ダンサー』張りの芸術家を育て上げることの重要さを教えるような番組を作った方がよい。ところがだ。そんな手本となるような芸術家がさて日本にはいたかどうかとなると、これまた難しい問題だ。仮にいても一部の人にしか知られないから、いないも同然だ。NHKが力を入れて宣伝するような現役の中央画壇の画家の大半は、筆者には全くどうでもいい。