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●『最高の人生の見つけ方』
べっさんに出かけるついで、あるいはこの映画がゑべっさんのついでであったかもしれないが、先週初め祇園会館で観た。



d0053294_17143885.jpg祇園会館はいつも2本立てで、似た映画を組み合わせてくれるのがいいが、今回は「感動物」だ。アクション物や邦画など、組み合わせにはいくつかの種類があるが、感動物はアクションものより少なく、韓国映画は年に1、2度で、たいていはコンピュータ・グラフィックス多用のハリウッドのアクション映画だ。そういう映画を観るならアニメ映画の方がましだが、感動物もハリウッドが作れば、どこでどう感動させるか、なかなか壺をよく押さえているから、その完璧な作り物という手腕にむしろ感動させられ、肝心の映画の内容はやはりコンピュータ・グラフィックスを使用した現実にはあり得ない絵空事として、観たその日のうちには白けている。結局ハリウッド映画は、よく作られてはいるが、工場製品そのもので、芸術における予想外の味わいや、何か不思議で心に引っかかる謎めいた要素に非常に乏しい。いや、皆無であると言ってよい。それだけ合理性に富むが、人間の生活はいつもそんなに合理的ではない。そのことを短い作り物としての物語の中で端的かつよりくっきりと浮かび上がらせるのが劇や小説、映画だと思うが、そんな奥行きのある味わいの作品は現在は好まれないのか、あるいは作り手の才能が枯渇したのか、つい昔の映画と比較してしまう。それだけ筆者は老化しており、現在の作品をあまり楽しめなくなっているとも言える。ないものねだりをしても仕方がないので、今ある映画を積極的に評価するという立場に立てば、それはそれで昔にはなかったいい面も見えて来るはずで、そういう考えに傾いて感想を連ねるならば、若い人にも同感を得るだろうが、自分から抜け出て別の視点を持って書くことはなかなか出来にくい相談で、つい本音が出る。他人から老化と言われようが、自分は自分の意見を堂々と書けばよいと割り切ればいいようなものではあるが、内心老化の頑固さを認めたくないとは多少は思っているから、つい迎合的な意見にも食指を動かされそうになる。そして、そのことに対して嘘を書くのではないと自分に言い聞かせはするが、どこか後ろめたさもあって、その心の揺れをどう扱っていいものかと思案しながら、何事か感想を書いておこうと思うがこのブログだ。こうして書きながら、筆者の心は実は別のところにあって、以上書いたことはそれに関係して図らずもほとばしった内容だが、ふと思い返すと、うまい具合にこの映画の内容にもある程度は重なっているかと思い、このまま筆を進める。
 この映画の紹介は去年の春頃だったか、TVで見たことがある。ジャック・ニコルソン出演の老人問題を扱う映画と知って、いつか観たいなとその時思った。そして先週満員の祇園会館の前方の席に身を静めて観た時、初めてこの映画がそのTVで紹介されたものであったことを知った。『最高の人生の見つけ方』という題は覚えにくく、今こうして書いていてもすぐに忘れてしまうほどインパクトに欠けるが、原題は『The Bucket List』だ。棺桶に入る前にやっておきたい事柄を列挙したものという意味で、棺桶に入る前に最高の人生を経験しておけよという、一種教訓的でもある人生讃歌の意味を含む。アメリカ生まれの活動だったと思うが、病弱の子どもに何か夢をかなえてあげる団体とその運動がある。この映画はその自発的活動の大人版を思えばよく、癌のため半年後に死を迎えることがわかっている老人が残りの人生をどう有意義に過ごすかをテーマにする。これは誰にも訪れることと言ってよく、深刻なテーマとして扱えば暗い内容になるが、それではハリウッドではないので、夢の明るい部分のみをことさら強調する。そこにはアメリカ人の伝統的価値観が反映されているはずで、湿っぽい日本から見てとやかく言う筋合いはない。そうした意見を吐いたところで、アメリカ人はこの映画を夢物語であると言下に否定はしないはずで、実際アメリカでは大いに受けた。だが、同じ脚本を日本が使用して映画化すれば、あちこち作り変える必要のある部分はかなり多いだろう。となれば、アメリカと日本とでまるで人間が違って、両者は相入れることがないと悲観的な考えが頭をもたげる。だが、人間の本質部分でのみ見ると、この映画の本質はどの国のいつの時代の人間でも理解出来ることであり、監督はそのことを見てほしいのだろう。だが、派手なハリウッド映画は、表面上の華やかさで観客の心をまず鷲づかみするから、そうした本質は見過ごされやすい。そして、そこが作品として問題で、さまざまな映画というものにすれっからしになっている人々は、本質的内容に感動する以前にその映画の嘘さ加減をあげつらう。また、この本質というものは、映画でわざわざ示されなくても、常日頃誰しもよく知っていることであるし、その知っているにもかかわらず、現実は思いどおりにならないという苦悩もまた熟知しており、その苦悩や葛藤を少しでも忘れたいために娯楽としての映画を見るということにもなる。そして、そういうことをよくよく知るハリウッドは、せめて映画を観ている間は現実を忘れることが出来るようにと、作品に陽気や華やかさ、あるいは爆弾炸裂によるストレス解消手法をふんだんに盛る。この映画はそういう観点からして完璧に作られている。人生がまるで幻のごとしということをそっくりそのまま幻としての映画で示すことで、映画を観る者に対して人間はみな同じで、共同体のひとりであるということをしばしの間でも実感させる。老化は誰もがたどる道であるし、余命半年と宣告された時に、何をなすべきかとなれば、結論を言えば家族愛と友人愛、あるいは人間愛であり、家族のない孤独な人がこの映画を観てもそれなりに納得させられるように作られている。
 と、ここまで書いて先日から気になることがある。日が沈むと運動がてらに片道3、40分かけて遠くのスーパーに買い物に行くが、その途中の大通りで大量の荷物や袋をくくりつけた4輪の古い乳母車を見かけた。それだけならホームレスの持ち物でどおってことはないが、その乳母車は車道の一番端の自転車がよく走る路線から車道にはみ出て停めてある。そのため、暗がりを急スピードで走って来る自転車はぶつかりそうになり、バスやタクシーもぎょっとしているのがよくわかる。その持ち主は近くのバス停小屋で休憩しているのか、一泊を明かすのか、寒さをしのぐために全身着膨れして片隅の椅子に座っている。もう少し遠慮して乳母車を停めるか、あるいはいっそのこと歩道に上げるかすればいいが、そんなことは思いもつかない様子だ。というのは、その翌日も、またその翌日である昨夜もそうで、ほとんどその場所が自分の乳母車の駐車場と思っているらしい。昨日はついに警察官が来ておばあさんと話していたが、話にならない様子であった。おばあさんのホームレスは珍しくないだろうが、そのおばあさんは余命を考えることがあって、また何か楽しい思い出に浸ることをするのであろうか。友人はなく、家族はあっても縁が切れているのだろう。あるいは家庭を持たなかったのかもしれない。そういうおばあさんがこの映画を観るとどう思うことだろう。映画を映画館で楽しむというのは、そうしたおばあさんと比べれば、もうそれだけで本当は幸福な境遇にある者と言える。また、ハリウッドはそうしたことをよくわきまえているから、ごく平均的な幸福な人を対象に映画を作る。そうしないとたくさんの客を動員出来ない。となると、この映画を観た筆者は、散歩中にホームレスの老婆の常識外れな行為を目撃した後は、なおさら映画が現実離れしたものに思えて来る。そうしたホームレスを含んだ形でこの映画を論ずることが可能かどうか。と、そう思ってこの映画を反芻すると、「見知らぬ人に親切にする」という項目がバケット・リストにあった。これはインドに出かけた際に小銭をばら蒔く、あるいはバケット・リストを共有してともに行動するふたりの主人公である老人がお互いを見知らぬ人として位置づけ、お互い親切にし合ったということで、実行済みとされる。「見知らぬ人」と「知人」「友人」の境は、知り合ってからの年月の差に負う面が大きいが、人生最期に知り合った老人は、おそらくもう最期の「知人」であり、また「見知らぬ人」を、「人生最高の友人」とみなすことで生涯を閉じるというこの映画は、もうそれだけで夢物語なのだが、案外そういうこともあり得るかなとも思わせられる。それが錯覚と他人から言われようともだ。
 この映画の主人公はジャック・ニコルソン演ずる大金持ちと、モーガン・フリーマンが演ずる平均的労働者の黒人だが、この童話的な対比はそれだけで映画がどう展開するかを最初から予想させる。ふたりはたまたま病院で相部屋となって、ともに癌を宣告され、すぐに「バケット・リスト」を作ってふたりでそれを実行するために旅に出る。ベッドに横たわったまま、薬の実験台になるか、管だらけの体にされたままになるかより、その方がはるかに人間らしいという考えによる。この設定は身近に同じような癌で死んだ人を何人か知る者にとってはなかなか現実的で辛い。そういう気ままな旅を実行するには、まだ余裕として残っている体力と、そして何よりお金が必要だが、ニコルソンの方は当の病院を経営し、また百億以上も稼いだことのあるアメリカ有数の金持ちで、お金の心配は皆無で、彼はフリーマンを誘ってふたりで大きく散財をする。高級女を買い、海外の高級レストランに行き、また秘境に立ちと、とにかく男なら一度はやってみたいと思うことを存分に楽しむ。そういうごくあたりまえの欲求は全部すぐに満たされるが、フリーマンは体調が急変し、バケット・リストは全部消化されないままふたりは帰国し、そしてフリーマンは死ぬ。その前に、旅の途中でふたりはお互いの身の上を知り合う。フリーマンは妻を初め温かい家族があるのに対し、ニコルソンの方は4回も結婚して今は独身、そして娘とは交流がなく、孫の顔さえ見たことがない。そのことに触れられるとニコルソンは激怒してフリーマンを罵り、そのことでふたりの旅は終わったのだが、病床に就くフリーマンは思いを曲げず、友人としての思いから、娘との和解を勧める手紙を遺言でしたためる。ニコルソンがフリーマンを罵る場面は、金持ちの優越感をそのままぶちまけるため、フリーマンとしては一気に旅の楽しい思いも冷めるという感じであったはずだが、この映画の非現実的と思える点は、金持ちが一切の経費を持って貧しい者とふたりで楽しい旅行を続けるとして、貧しい者が卑屈にならないかどうかだ。億万長者になれば、通常の金持ちとは違って、それぐらいの散財は何とも思わないはずだが、金のない方はおごってもらうという遠慮が心のどこかにあるから、ふたりはなかなか対等には話せず、また楽しめないのではないか。だが、そこがフランクなアメリカであって、金を出してもらう方は、自分がつき添うことで金持ちは楽しむのであるから、堂々とするというのだろう。少なくともフリーマンは卑屈さを一切見せず、むしろ友人として対等に忠言する。そして、そういう経験がおそらく全くなかったニコルソンはそのことがとても意外で、また人生の最期の段階に来ていることを改めて顧みて、今しておかないと後がないと実感し、フリーマンの言ったとおりにフリーマンの没後、娘に会いに行って和解し、そして孫にキッスをする。その後、ニコルソンは「バケット・リスト」の「世界一の美人にキッスをする」という項目を線で消す。女遊びの激しかったニコルソンは、世界一の美人は孫であったことに気づくのだ。
 この映画の童話的なところはほかにもある。富める者が孤独で、そうでない者は家族愛に満たされているという設定だ。トルストイは金持ちはどの家庭でも似ているが、そうでない者の家庭はさまざまだと書いた。これも見方を変えれば現実をよく言い表わしているのではなく、いかにも小説的な条件づけと言ってよいが、金持ちはともかく金回りがよくてにこにこ顔で幸福そうに見えるのに対し、金がない者がさまざまな悪条件を抱えるのは事実だ。そのため、この映画を、たとえばニコルソンが大金持ちであるとともに家族の愛に恵まれ、フリーマンが貧しく孤独で身寄りもないという設定に置き換えることも出来る。いや、現実にはそういう場合の方がはるかに多いだろう。だが、そういう現実を映画化してもほとんど誰も喜ばない。こうした映画を観るのは、大金持ちではなく、大部分は平均かそれ以下の人々であるに違いなく、そうした人々に夢を与えるには、家族を大切にせよとのメッセージを心から納得させる必要がある。それはこの映画のフリーマンのようでなくても、たとえひとりの親、あるいは子でも充分で、ともかく肉親との愛情を通わせること、そして出来れば次の段階として見知らぬ人に親切心を示すというわけだ。これは先日観終わった韓国ドラマの『ファンタスティック・カップル』とほとんど同じメッセージ、しかも物語の設定でもあるが、そうした非現実的な童話と同じ内容の物語を一見そうではないように面白く見せるというのが、ハリウッド映画の伝統であり、それを韓国ドラマも受け継いでいると見てよい。あるいはしたたかなハリウッドであるので、とっくに韓国や台湾のそうした新しいドラマの筋立てを完全に分析し尽くし、いいところをそっくりそのまま模倣して映画を作っているとも言える。人間は温度を保った生身を抱える存在であるから、どうしても同じ温かい肉体を持った存在と接する必要がある。この映画ではごくわずかな場面で、その奥に広がる人格を示す場面がいくもある。そうしたひとつに、ニコルソンが病室で秘書に向かって、もう美術品の競売には関心がなくなったことを言って、モディリアニの絵が表紙に印刷された図録を放り出すシーンがある。金持ちが金を使う最後に美術品に向かうことはよくある話だが、余命半年を知ったニコルソンはその興味を失う。また、フリーマンと世界中を旅する間、ある貸切りのジェット機の中で、若い女性がニコルソンに見送られて、服装の乱れを直しながらトイレから出て来る場面がある。これは、女への関心をそういう体になっても失わない男の本能を示して何だかわびしい。お金の力でそういう性の願望を晩年になってかなえられる身は恵まれていると言うべきだが、同じような行為をニコルソンから勧められるフリーマンは、肉体だけの女には関心はなく、むしろ妻への忠実な愛を守る方を選ぶ。ここにも、人生の最終段階に至って何が大切かを問う姿勢がある。つまり、金で買えるものはたかが知れているという事実だ。大金持ちのニコルソンが娘や孫に長らく会うことが出来なかったのは、そのことを知らなかったからであろう。本当に富める者とは、金持ちのことではないというセッセージをこの映画は発しているが、さて、路肩の車の通行に邪魔になるところに荷物満載の乳母車を停めるホームレス老婆ならどう思うか。そして、筆者が余命半年と宣告されれば、真先にバケット・リストに何を書くかな。
by uuuzen | 2009-01-18 23:59 | ●その他の映画など


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