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●「EN BLUE JEANS ET BLOUSON D’CUIR」
は降らないが、風がとても冷たい。毎晩スーパーへの買い物に出かける時、帰りは早足で運動したこともあって、体はほんのりぬくもっているが、昨夜は帰りも行きと同じようにとても寒かった。



●「EN BLUE JEANS ET BLOUSON D’CUIR」_d0053294_16312951.jpgそんな寒い夜を歩きながら、ここ1、2か月はアダモの「雪が降る」のメロディがよく口をついて出る。真っ暗な中を歩く時に似合い、しかも音楽のリズムがちょうどいいのだ。去年もそうであったことは、つい数日前の『おにおにっ記』に投稿した「雪が降る」からもわかる。それを書いたのは実際に雪が降ったからだが、アダモの曲が念頭にあったことにもよる。つまり、1年前からこの曲について書こうと考えていた。アダモの同曲は1963年にヒットし、日本では日本語ヴァージョンが流行した。翻訳は岩谷時子だったろうか。短い歌詞が日本人の好みによく合った。雪は日本独特のものと思っていると、ヨーロッパでももちろん降る。アダモが日本人の感性にぴたりと来る雪にまつわる曲を書いて歌ったところに、日本でファンを人気を得た理由が大きい。また、当時の東芝音楽工業が、ヨーロッパの新しいヒット曲をすぐに日本でも売ろうとし、出来れば翻訳して日本語で歌わせたのは、今よりももっとしたたかで、自己主張があり、しかもより国際的であったと思える。外国のミュージシャンが原語でヒットしたものを日本語訳で歌うことは、近年はとんと聴かないが、原曲オンリーのいわゆる世界基準のようなものが定着したのはビートルズの1967年のアルバム『サージェント・ペパー』以降からと考えてよい。ビートルズもそれ以前はドイツのファンのためにドイツ語に翻訳して歌ったことがあるし、もう少し当時の東芝音楽工業が頑張れば、日本語ヴァージョンの「抱きしめたい」や「シー・ラヴズ・ユー」が歌われていたかもしれない。アダモが「雪が降る」を日本語で歌ったのは、レコード会社の勧めもあるにしても、自分の書いた歌詞がダイレクトに聴く者に伝わることを望んだ理由も大きいだろう。歌はメッセージ性こそが重要と考える立場を採るならばそうだ。翻訳がうまく行なわれるかどうかは二の次で、ほぼ作詞者の意図が伝わればいいとする考えもそこには見える。アダモがそうしたメッセージ性を重視した曲を書いたとすれば、それはアメリカで民主化運動が盛んになった60年代的なことと軌を一にする考えてもよいし、またそこにアダモの出自も見えて来る。アダモが当時アメリカで売れたかどうか知らないが、日本以上では決してなかったであろう。ここには60年代前半の日本がアメリカ一辺倒ではなく、ヨーロッパからの、しかもアメリカと深く関係するイギリスからだけではない、流行歌を享受する態度があったことが見える。それが先に書いた「より国際化」の意味だ。だが、それを打ち砕いたのがやはりビートルズで、その出現以降、日本ではグループ・サウンズと称してアメリカ・イギリスの物まねバンドが急増する。そして、他のヨーロッパ、あるいはもっと広く、他の大陸の音楽はほとんど無視されるようなことになった。
 アダモの正式な名前はサルヴァトール・アダモだが、普通は「アダモ」で通用し、今日採り上げる「ブルージーンズと皮ジャンパー」もそう印刷される。最初のヒット曲は63年の「サン・トワ・マミー」で、これは日本では他の歌手も盛んに歌って長らくラジオから流れ続けた。アダモの曲は、当時中学生でラジオにかじりついて音楽を聴いていた筆者にとっては大人向きの曲であった。しかもどこか不思議な、孤立した人物という気がした。フランス語で歌うので、フランス人とばかり思っていたが、1943年シチリア島の生まれで、数歳の時に一家でベルギーに移住したという。ベルギーはちょっとややこしい国で、半分フランスと考えてよいが、アダモはそこでやがてギターを持って歌うことを覚える。「サン・トワ・マミー」は20歳の時の大ヒットであるから、10代には音楽の才能を発揮していたことになる。その年齢では音楽にとって早熟とも言えない。シチリア生まれで大陸への移住というのは、ザッパの父親と同じく食べるのに困ったからで、少年アダモにこれが大きな影を落としたであろうことは誰にでも想像出来る。アダモのどこか寡黙でさびしげな雰囲気はそうした生まれ育ちが関係しているかもしれない。だが、その後ヨーロッパを股にかけ、日本も含めての国際的活躍の中で、萎縮せず、むしろ歌により責任を込めようと思ったであろうことも想像出来る。筆者がアダモのヒット曲として最後にラジオから聴いてよく記憶するのは、67年の「インシャラー」だ。この曲のメロディは40年後の今でもなお時々脳裏に蘇る。この曲は不思議なアダモをさらに謎めかすに充分で、当時アダモに中東の血が流れているかと思ったものだ。「インシャラー」は「アラー」の神に捧げる祈りの言葉で、67年当時そのような言葉をタイトルに持つ曲はどこにもなかった。アダモはビートルズと同世代だが、ビートルズとは全く違う世界の見方をしており、それが「インシャラー」に表われていると思わせられが、中学生の筆者としてはそれ以上に深入りすることはなかった。それにしても、そうした曲がビートルズと一緒にヒット・パレードの上位に食い込んでいた事実を今のビートルズ・ファンは知っておいた方がよい。先日も書いたが、その後ビートルズだけが巨大に認識されてしまい、そのほかに起こっていた音楽が往々にして認識されない。これはそうした音楽がつまらないからでは決してない。ネットで調べると、アダモが「インシャラー」を書いたのは66年の中東旅行がきっかけになっているらしい。当時も今もそうだが、同地はずっとパレスチナ問題で揉め続けており、そうした状況にアダモは何らかの心を動かされる、またそれを歌にしなくてはおれない衝動を抱えたのだ。これが日本の歌手ならどうか。当時の日本の歌手はまだ自分で作詞作曲する人はほとんどいなかったし、演歌に限れば今でもそれは大差ないが、そうではないグループ・サウンズの連中にしても、そうした視点を持って流行歌を歌う考えは皆無であった。これはレコード会社が認めなかったというより、歌手側の求められてもいないのに自主規制する思いが大きい、あるいは社会の矛盾を突く曲を書くといったところまで意識が成熟していなかった。それは現在もなお日本の大きな伝統と言ってよい。グループ・サウンズとほぼ同時に興ったフォーク・シンガーたちならまだそうした社会問題に敏感であったが、それが現在はどうかと言えば、使い古された愛の言葉の羅列以上には出ず、若者の関心はただ自己とそれに対する異性との関係のみの、小さな小さなことを対象とするように萎縮している。そして、そこからは逆にアダモのような社会性や風刺の利いた歌詞は60年代的であったことが証明される。
 「インシャラー」はそれなりに日本で大ヒットしたが、それ以前の「雪は降る」に比べて人々が歌いたがる、また歌えるような曲ではなかったところに、アダモを限定的に捉える日本というものも浮かび上がる。簡単に言えば、「アダモの国際性対日本の局地性」で、もっと言い変えれば、「アダモの全人格を需要するヨーロッパの大きさ対限定的に享受する日本の卑小性」だ。それは見方を変えれば昨日書いた『皇帝とナンチンゲール』に見える、ヨーロッパ人が見る「中国対日本」の図式でもあって、アンデルセンがどこまでも中国をヨーロッパに比肩する王の国と見定め、日本はそれに貢ぐ技術小国に過ぎないと見据えたことは、「アダモ対日本の流行歌手」の図式からも見えて来る気がする。ところで、アダモの「雪は降る」は日本の演歌歌手がレパートリーにするにはふさわしい感じがあるが、アダモのしわがれ声とルックスからは、筆者は日本の森進一を思い起こす。案外日本のレコード会社はそういうことを考えて森を発掘したかもしれない。ちょうどジョン・レイトンを克美しげるになぞらえたのと同じようにだ。だが、森は例の「おふくろさん」の歌詞つけ足し事件によってもわかるように、自分で作詞作曲はしない。そこがアダモとは桁が違う。自作曲ならば歌詞をどう変えようが誰からも文句は言われないが、作詞作曲と歌唱力を兼ねた才能は稀だ。だが、60年代は世界的にそうした才能が爆発的に登場し、以降それが若者の音楽にとってはごくあたりまえのことになり、その一方で相変わらず演歌では偉い先生による作詞作曲をさして頭もよくないと思わせられる歌手が歌うという図式が定着し、今に至る。そういう日本の演歌の常識から見れば、アダモの存在はかなり風変わりだ。そこが日本でアダモが根強い人気を獲得し続けて来た理由かあるだろう。つまり、フランス語で歌うハイカラなイメージと、演歌に通ずる親しみやすさだ。そこに真面目さを加えてよい。その真面目さは「ワイルド」なイメージとは正反対という意味でのもので、プレスリーやビートルズに対峙するものだ。アダモがそのようなイメージを引っ提げて音楽界に登場しなかったのは、時代の要請ではなく、アダモの資質に負う。いわゆる行儀のよい、しかも教養豊かか、そうでなければせめて教養を否定しない素振りを示さないことには、ヨーロッパ、特にフランスでは人気を博すことは難しかったかもしれない。アダモが全く不良崩れのような青年であれば、それはそれでレコード会社はそれを認めて、それを前面に押し出すことで売り出したと思うが、そうではなかったところにアダモらしさがある。それをプレスリーやビートルズとは違って田舎っぽく、また時代遅れと思うかどうかは人の勝手であるし、結果プレスリーやビートルズのファンはアダモを何ら意識しなかった。筆者もその部類だが、その独特の声や先の「インシャラー」から伝わる謎めきは、プレスリーやビートルズにはない大人びた何かを思わせ、それはそれで認めるべきものという気がする。
 「ブルージーンと皮ジャンパー」は原題の直訳だが、「皮」は「革」の方がいいのではないか。今でもブルージーンズと革ジャンパー姿の若者はどの国でもいくらでもいるが、この曲が流行した時代においては、それはひとつの紋切り型の反社会的なイメージを持っていた。アダモが歌うのは、そうした身なりで若者を惹きつけようとするある男に対する揶揄だ。この曲の発売直前、ハンブルクで歌っていたビートルズたちは、革ズボンに革ジャンという不良青年のイメージを振りまいていた。それがEMIからレコードデビューするようになると、マネージャーの勧めもあってスーツ姿に変わるが、ビートルズ本人たちも革ズボン革ジャンを紋切り型の時代遅れとみなしていたことによる。月並みなイメージを払拭するには、まずそうした不良イメージから真面目なスーツ姿に変わるという戦略の重要性をよく認識していた。アダモがこの曲を歌ったのも、すでに時代遅れとなった感のある不良イメージの服装のことだが、そこからはアダモの風刺精神と、不良っぽいイメージに憧れる男に忠告するという、いわばPTAから賛美を得るかのような、体制側に立つ意識の表明が見えるかのようだ。だが、アダモは不良イメージを嫌悪したとのではなく、またPTA側に立ったと言い切るにも無理がある。アダモはいい歳をした大人が若者と同じような服装をして人生にまともに対峙しようとしないことを皮肉るのであって、ここには男は年令相応に成熟すべきであるというアダモの処世感が表明されているに過ぎない。それは60年代前半、しかもヨーロッパのフランスという国を考える必要があって、現在の日本から推し量ることは難しい。話は変わるが、筆者がブルージーンズを最初に履いたのは10代終わり頃だった。それから10年ほど経った30歳前の頃、京都のある親類からジーンズは作業ズボンだから履かない方がよいと非難された。その時筆者はどこへ行くにもスリムなジーンズ姿にジャンパー(革ではない)で、ベルトもしていなかった。そのベルトをしない点も非難されたが、それから四半世紀経って、非難したおじさんは大のジーンズ党になり、70の年齢を越えてもどこへ行くにも上下ともにジーンズだ。そして昔筆者のジーンズ姿を非難したことをとっくに忘れている。そのことからして、アダモのこの曲の歌詞はもうとっくに時代遅れだ。高級化したブランドのジーンズがいくつも登場し、それで正統的とも言えるお洒落を競うことが可能になった。ではアダモのこの曲はもう死んだのかと言えばそうではない。この曲で歌われる、まるでズボンの広告がそのまま歩いているような格好をした男はいつの時代にもいるからだ。この曲が面白いのは、曲名にしたがってブルース曲であることで、アダモがそのブルースを使ってヒット曲が書けたというその才能だ。作曲家ならばたいてい誰でもそれは出来るが、この曲はなかなかメロディが素晴らしい。名曲だ。B面はハンブルク時代のビートルズが演奏するロックンロールで、これもアダモの時代を読む能力を感じさせる。ただ、筆者が脳裏に響きわたらせる「ブルージーンと皮ジャンパー」は実際のレコードで聴くものとはいささか違っている。レコードではエレキ・ギターの音があまりに安っぽく時代遅れだ。筆者はそれをもう少し現代的な音に変えて思い浮かべるのだ。そうすれば、この曲が半世紀近く前のものとは思えないほどになる。フランスでブルースはどの程度歓迎されたのだろう。ジャズを通じてそれはとっくの昔に浸透していたにしても、シャンソンにブルースはない。そしてアダモはシャンソン歌手ではないが、自分の考えを率直に歌い上げる点でそれに通ずる。風刺精神やウィット、叙情性、そして大人として、社会人としての自覚は、音楽活動においてよく表現され、それは日本の歌手には求めるべくもないヨーロッパ人の自信と自覚を伝えてくれる。
by uuuzen | 2008-12-31 16:31 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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