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●『フェアリーテール・シアター/THE NIGHTINGALE』
い方がいいので、前売券を買った。ザッパ関連で書くつもりでいたが、年越しをしないで書いておこう。9月中旬に見たが、東京と関西とで上映作が異なるのかどうかは知らない。



●『フェアリーテール・シアター/THE NIGHTINGALE』_d0053294_1312582.jpg京都九条のみなみ会館ではチラシに印刷される4本とは別の何本かの作品を一夜限りのオールナイトでまとめて上映した。チラシで紹介される4本はどれも1時間未満であるので2本セットでの上映で、筆者は今日ここに書く『ミック・ジャガーのナイチンゲール』と、そして『クリストファー・リーとフランク・ザッパのこわがることをおぼえようと旅に出た男』の回を見た。ロック界の人物を配する点で共通する作との理由だが、『ナンチンゲール』でのミック・ジャガーの貫祿充分の主役とは違って、ザッパの登場する後者は音楽も平凡、しかもザッパはチョイ役だ。ミックに比べるとロック界でのザッパの位置がよくわかると言ってよいほどの扱いで、正直な話、ザッパ・ファンは見ない方がよい。役柄上仕方がないとはいえ、ザッパが惨めに蹴飛ばされたり、セリフが一言もない姿を見るのは辛い。館内は20人ほどの客がいたが、ザッパが出て来る場面では笑いが起きた。それはザッパを名前だけ知り、ザッパは下品こそが売りと思っている人物が発する嘲笑の気分が混じっていた。なぜザッパが出演を引き受けたのは、おそらく「せむし男」の役柄が、かつて自作曲に登場させか関連があったことと、映画に対する興味が強く、申し出があればどんな役でも引き受ける、またうまい具合にそう出来るスケジュールであったためであろう。撮影は1984年で、ツアーの合間に気晴らしにやるにはよい経験であった。ザッパの演技を確認するのが目的で出かけたのに、結果は『ナンチンゲール』の方が10倍以上面白かった。チケットやチラシはまるでクリームのアルバムのようなデザインだが、中央右に写るのがミックで、おそらくこのシリーズ中ではもっともよい出来であったのだろう。ミックはセリフの多い役者としても充分通用する度量を見せ、中国の皇帝を違和感なく演じ切っていた。さて、「おとぎ話」の「Faerie Tale」は、辞書では「Fairy Tale」と載るが、アメリカで1982年から87年にかけて子ども向きTV番組として製作された時は前者の綴りが用いられた。古典として有名な童話を、有名監督や一風変わった人物に演技させる喜劇仕立てで、全26話だが、今はDVDで見ることが出来る。話によって収録時間は異なるが、『ナンチンゲール』は1983年作で53分、ザッパのは55分だ。どちらもスタジオのセット内で撮影されたもので、正式の映画のようにお金をかけることは出来なかったチープさが面白さの理由にもなっている。ザッパの登場した作はグリム童話原作で、舞台はドイツの田舎であるため、撮影に当たってはアメリカの開拓時代の雰囲気でほぼ代用出来るが、『ナンチンゲール』はアンデルセン原作で、しかも舞台は清時代の中国であるから、これは少し工夫が必要だ。19世紀のデンマーク人のアンデルセンが創造した中国を舞台にした物語を、20世紀後半のアメリカが脚色し、イギリスのロック・スターを起用して描くという、かなり無謀になりかねない時代と場所のズレによって、本来アンデルセンが意図しなかった笑いが盛り込まれる仕上がりとなった。だが、それは監督グレーム・クリフォードが子ども向きにあえて考えたことであり、大人もそのズレさ加減を楽しめばよい。
●『フェアリーテール・シアター/THE NIGHTINGALE』_d0053294_132725.jpg アンデルセンの原作は『皇帝とナイチンゲール』と題される。10数年前、筆者はあるバザーで子ども向けビデオが何本か売られていることに遭遇した。その中からビデオアーツ・ミュージク発売の『皇帝とナイチンゲール』ともう1、2本を買った。ビデオアーツのロゴは現在のものとはデザインが違う。その後筆者はザッパのCDの解説の仕事をビデオアーツから依頼されることになって、つい先日もザッパの再販のCDのサンプル盤をまとめて送付してもらったが、80年代はこんなビデオを発売していたのかと興味深い。このビデオを先日久しぶりに引っ張り出して見た。英語字幕はなく、ナレーターの竹下景子の言葉が、日本人向けにかなりニュアンスを変えたと思える箇所がひとつふたつあって、これは中国と日本の国際問題にも関係する微妙な問題でもあるので、正確なところを知りたいと思った。それはさておき、映像は静止画像主体のアニメだが、なかなかよく中国の人物を描写し、マーク・アイシャム作曲の中国風の音楽もなかなかよい。筆者はこのビデオを幼い息子に見せるつもりもあって買ったが結局見せなかった。買った理由は、ストラヴィンスキーのオペラに同じアンデルセンの物語を脚本にした『ロシニョール』があるからで、それと比べてたかったからだ。「ナンチンゲール」はフランス語で「ロシニョール」と言うが、日本語に訳すと「夜鳴き鶯」で、夜に美しい声で鳴く小鳥だ。日本にいないのでイメージしにくいが、ヨーロッパと日本の違いがそんなところからも実感出来る。これは韓国に行けばよく鳴く大型の鳥のカササギがとても多いのに、日本では烏ばかりが目立つことと同じ差でもあって、文化の差より前にまず自然の差が横たわっていることを実感する。夜にうつくい声で鳴く鳥はそれだけでも幻想的だが、それを主役にするところ、アンデルセンの着眼は鋭いものがあった。アンデルセンは1844年、39歳でこの物語を書いたが、中国を舞台としつつ、そこに日本から中国皇帝に献上された機械仕掛けの「ナンチンゲール」を登場させるため、当時のヨーロッパ人におけるアジア観がうかがえる。ヨーロッパの中国趣味(シノワズリ)は大航海時代以降に盛んとなり、アンデルセンが生まれる半世紀ほど前に絶頂期を迎える。北欧のデンマークでもその波は襲ったはずで、旅好きのアンデルセンが中国をどのように夢想していたかはこの物語がよく示している。だが、中国だけではなく、そこに精密な歌う機械人形、つまりオルゴールのもっと複雑なものを思えばよいが、そうしたものを日本が造ることの出来る能力を持っているとする物語の設定からは、日本の精緻な工芸品がヨーロッパ各国の王宮で持てはやされていたことを想像させる。その中国人も驚く日本人の器用さという観点は、アンデルセンのこの物語から150年以上経って、自動車や電気製品、カメラとなってヨーロッパや中国に輸出され続けているから、アンデルセンの日本に対する見方はかなり正確なものであったことになる。一方、中国はその後どうなったかと言えば、王朝時代は終焉を迎え、『ナンチンゲール』に描かれる宮廷や自然、人々はもうないと思ってしまいがちだが、それは間違いだ。共産主義も政治の頂点を司る人物が相変わらずいる点で、形を変えた王朝時代と言ってよいからだ。つまり、『ナンチンゲール』は決して古い時代の物語ではなく、きわめて今風、いや精密な機器であるコンピュータ時代になったからこそ、今後も繰り返し論じられるべき重要な視点を含む点で、今後も新しく捉え続け直される。
●『フェアリーテール・シアター/THE NIGHTINGALE』_d0053294_1325088.jpg ヨーロッパにおける中国趣味の流行の後に日本趣味(ジャポニズム)への関心が起こる。それは『ナンチンゲール』における日本の使者の捧げ物が「械仕掛けのナイチンゲール」という設定からもわかると言える。それはヨーロッパに広くオリエンタリズムが流行したこととの関係において見る方がいいかもしれないが、ヨーロッパを世界の中央とした時に、その周辺の国々への文物に関心が増大し、たとえば音楽ではロシアのストラヴィンスキーがアンデルセンが亡くなって30年ほどして頭角を現わし、パリで一旗上げようとやって来る。ディアギレフのロシア・バレエ団は中央ヨーロッパの人々に対してそうした異国趣味をふんだんにばら蒔く役割を果たしたが、もともとロシアは中央アジアに近く、アジア的なものを文化に取り込む伝統があって、それをロシア・バレエ団やストラヴィンスキーが中央ヨーロッパのそれまであった根強いオリエンタリズムに呼応して供給したと言ってよい。ストラヴィンスキーは最初リムスキー・コルサコフに学んだが、当初は師の作風やチャイコフスキーを模した音楽を書きながら、ディアギレフと組んで『火の鳥』や『春の祭典』を書いた後は一気にリズムを強調した力強い独自の作風を確立し、地位を揺るぎないものにする。それは第1次世界大戦前夜のことだ。ストラヴィンスキーの全3幕、演奏時間約50分の『ロシニョール』は1907年に作曲が開始され、チャイコフスキー風の第1幕を書き上げた後、『火の鳥』や『春の祭典』の作曲を挟んで4年間の中断があった。そのため第2、3幕は作風の変化が顕著だが、なぜ第1幕を新しく書き換えなかったと言えば、その時間がなかったか、あるいはひとつのオペラの中に自分の数年間の変化を刻印するのもいいと考えたのだろう。ともかく、通して聴くと4年後の作曲が俄然激しくて面白く、その劇的な変化は文字どおりこの劇の展開にふさわしくなっているとも思える。ストラヴィンスキーがなぜアンデルセンのこの物語を作曲しようと考えたのかは知らないが、おそらくその中国趣味、そして機械仕掛けのナイチンゲールの登場が作曲家として想像力をかき立てられたことと、それを具現化した時、きっとパリを中心に大評判を得ることを認識していたからであろう。つまり、アンデルセンが心のどこかで憧れた遠い異国の文化が、本の挿絵といった小さな規模ではなく、舞台で動く人間によって、しかも音楽の形で聴かせることが出来ると考えたからだ。『ロシニョール』の魅力をここで書き始めると長くなるのでやめておくが、歌手たちの歌い方も前衛的ならば、第2幕の中間で奏でられる「チャイニーズ・マーチ」は、ストラヴィンスキーが考える中国風が色濃く出ており、しかもその迫力に誰しも度胆を抜かれる。それはロック音楽に似ながら、それをはるかに越える。筆者はこのオペラをレコードで知るのみで、映像は見たことがないが、ソプラノが歌う主役のロシニョールは、声のみの出演で姿を見せない脚色が普通となっている。これはオペラにすれば大きな欠点で、モーツァルトの『魔笛』のパパゲーノのように派手な鳥毛の飾りをつけて舞台に姿を見せて歌うこともあるそうだが、それは感興を削ぎかねない。アンデルセンは文字によって幻想的映像を読み手に想像させようとしたが、それを視覚化するにはアニメーションが最適であろう。そこで最初に述べた筆者が買ったビデオだ。だが、それは絵本をそのまま紙芝居のように見せられるだけで、動きに乏しく、鑑賞の主体はナレーションと音楽にある。
 そうした作品化を一方に置きつつ、ミック・ジャガーが主役の皇帝を演じた『ナイチンゲール』は、全く中国らしくない王宮と、まるでチンドン屋のような側近たちが登場し、欧米における中国趣味の固定観念が現代になっても200年前とほとんど大差ないことがわかる。だが、監督はあえて史実に忠実にあろうとしたのではない。低予算で衣裳その他を整える必要があって、異国風に見えるものは何でもまぜこぜにして使用し、そのことでアンデルセンの原作における、いつの時代とも特定出来ない雰囲気をかもし出そうとしたのであろう。実際は清時代とするが妥当だが、アンデルセンが中国の歴史や文物に詳しかったとは思えないし、またそうある必要もなかった。清は北方の満州民族が成立させた国で、一時キリスト教を容認して教会が北京にあったほどで、当時鎖国下にあった日本とは違ってヨーロッパ文化がかなり流入していた。つまり、中国という国そのものも固定したひとつのイメージでは捉えにくく、『ナイチンゲール』が中国らしかぬ中国として描写されるのはさほどズレたとも言えない部分がある。ナンチンゲールは灰色の目立たない鳥だが、映画では剥製のような玩具の小鳥が使用されていた。そして日本製の機械ナンチンゲールはフェリーニの映画『カザノヴァ』に出て来るような、金色でカラフルな宝石をいっぱい貼りつけた小型自動鳩時計、つまり今でいうロボットで、これがミック・ジャガーの演技の次に見物であった。アンデルセンは自然の鳥とロボットの対決を物語に仕組み、人間にとってどちらが美しいかを問うたのだが、この自然対芸術の永遠のテーマを音楽で表現するのは、作曲家としては腕の鳴る仕事であろう。であるからストラヴィンスキーも挑戦し、マーク・アイシャムも作曲し、またミックの登場するこの映画でもなかなかよく中国風のメロディをシンセサイザーを使用して機械音楽的に奏でていた。皇帝の主題に中国音楽を、ナンチンゲールにはヨーロッパ音楽を用い、機械ナンチンゲールには中国かつ日本的、そして特にメカニカルさを演出する必要があるが、日本人ならば機械ナンチンゲールの音楽の作曲を最も得意とするかもしれない。物語の粗筋を言うと、本物のナイチンゲールは気まぐれで決まった時間に同じように歌うことはないが、機械はそうではないという理由で、皇帝は機械ナイチンゲールを最も位の高い側近として優遇する。だが、やがて死の淵をさまよう病に陥り、そこにかつて王宮にやって来た歌ったナンチンゲールが再来し、王を救うというハッピー・エンドだ。ビデオ『皇帝とナンチンゲール』には、王は機械ナンチンゲールの歯車が擦り減って以前と同じように鳴くことが出来なくなったことに立腹し、それを壊そうとするが、本物のナイチンゲールは機械ナイチンゲールにもそれなりによさがあると皇帝を諭す場面がある。これが原作ではどうなっているかしらないが、『ロシニョール』では王宮からナンチンゲールが飛び去った後、王は機械ナンチンゲールを寵愛し、その後病になって本物ナイチンゲールがふたたび現われ、王を死神の悪夢から救うという、原作をかなり縮めた内容になっている。褒美を与えると言われたナイチンゲールは、王の涙こそ何よりもの賜物と応ずるが、ここにはヨーロッパの中国王朝に対する畏敬の念がそれなりに込められている。そして、それに引き換えて日本は貢物を携えて中国の王を訪れるという技術小国の扱いだが、これは国際的に見て今なお通用する見方であろう。映画ではミックが機械ナンチンゲールが壊れるのを見て、日本製は頑丈に出来ているはずだと口走るシーンがあったが、これは当然80年代半ばにおける日本製品の国際的評価を示した原作の書き変えだが、アンデルセンも日本の工芸品を見て同様に思っていたものと思える。であるからこそこの不滅の物語も生まれた。つまり、中国の王宮だけでは物語は成立せず、むしろ重要なのは、「機械」なのだ。その機械をヨーロッパではなく、日本が精密に造ることを19世紀半ばにアンデルセンは喝破していたわけで、当時のヨーロッパ人における日本観としてこの物語はひとつの重要な素材を提供すると思える。
 ザッパが『皇帝とナンチンゲール』の主役を演ずることはイメージ的にかなり無理があるが、音楽を担当することは出来たであろう。その時、ザッパはストラヴィンスキーの『ロシニョール』を参考に聴き、しかも子どもが聴いて中国を連想出来るような工夫をしたに違いない。それがどうに可能であったはわからないが、もしザッパがそれを担当したならば、その後80年代半ば以降のザッパの音楽は中国の音階を用いることにもなったであろう。だが、そうした中国風の音楽は、アメリカでは20世紀になってハリウッド映画がさんざん試みたことであり、ザッパの出来る範囲はそれを出なかったとも思える。また、ザッパは70年代前半にそうした音階を「チープニス」という日本の怪獣映画を主題にした曲で使用しており、ザッパにとって中国も日本も同じようなものとして映り、紋切り型のメロディ以上を越えたかどうかは疑わしいかもしれない。あるいは「チープニス」はそれこそそうした安っぽさを面白いと考えて主題にした曲であるので、あえて常套的な中国風のメロディの挿入でよしと考えたのであろう。また、ストラヴィンスキーがどれほど中国と日本の音楽の違いを認識していたどうかだが、歌曲に日本を歌ったものがあり、おそらくプッチーニのオペラを知り、日本のメロディの収集は行なっていたに違いない。ザッパは中国や日本の音階よりも、つまり民族楽器よりも、オペラ的総合性を好み、楽器においてはシンセサイザーの系列上につながる総合楽器を夢見た。そこでザッパがアンデルセンのこの物語において着目するならば、機械ナイチンゲールの奏でる音楽に違いない。そして、それをザッパはシンクラヴィアを使って80年代半ばから大いにやったと言える。後半期のザッパは、アンデルセンの「自然対機械」の主題における「機械」に大いに着目し、機械音楽がどこまで自然に接近することが出来るかの夢を見続けた。ザッパは死の床にあって、脳裏にどのような音楽が鳴り響いていたことだろう。それは機械ナイチンゲールの奏でる音楽では決してなかったと思う。機械は自然の代用であることはザッパは充分に知っていた。ザッパの墓が自然の樹木に囲まれたところにあって、鳥のさえずりを毎日ザッパが聴いていると想像することは救われる気分になれる。筆者がこの映画やストラヴィンスキーの音楽を聴きながら思うのは、本物のナイチンゲールの歌声に接することだ。幸い、わが家には小さな裏庭があり、自分で植えた樹木に毎朝さまざまな鳥がやって来てさえずってくれる。それを聴く、あるいは姿を見るのは、実に楽しいことなのです。
by uuuzen | 2008-12-30 13:03 | ●その他の映画など
●『「生活と芸術-アーツ&クラ... >> << ●「EN BLUE JEANS...

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