●「BLACK PETER」
隷の末裔の黒人が大統領になる時代が来ることを、60年代のアメリカ人は想像出来たであろうか。アメリカの知識人の誰かが新聞に書いていた。



d0053294_22422449.jpgオバマが大統領になれば暗殺されるだろうと。もしそうなれば日本の嫌米派はきっとアメリカはまだまだ野蛮な国だと思って喜ぶか。そうした人々はアメリカとは陸続きでもない日本がアメリカの言いなりになっている、いわば事大主義を好ましく思っていないが、アメリカが東アジアで戦争してくれたお陰もあって日本が戦後の好景気を迎えて現在のような豊かさを得たことをどう考えるのだろう。だが、この点は問題は複雑で、豊かとは何かを明らかにする必要もある。物が増えただけのことで、その分、自然を破壊して「美しき日本」の景色のほとんどが消失した。世界遺産などと称して日本のごく一部を讃える動きがここ10年ほどの間に活発化したが、戦後すぐまでの日本は国中どこでも世界遺産として恥ずかしくない景色だったのではないか。物が豊かになって人心が荒廃したとも言え、それをまた一部の知識人はアメリカのせいにするだろうが、漱石が小説で書いたように列強の仲間入りを目指した時にすでに現在の日本の姿は予想出来たし、このまま行くと日本は滅びるということになる。人の住まないマンションが210万戸存在すると先日のTVが言っていたが、これは1000万人が住むことの出来る分と考えてよく、11軒のうち10軒しか人が住んでいない計算だ。また、夜は誰も住まない会社もたくさんあるから、日本は家だらけ、つまり空間としての穴だらけで、一方大都市には地下鉄が発達し、高層ビルが林立し、これだけたくさんの穴を作ってどうするのかという気がする。それが物が豊富になった意味での豊かさの象徴だが、荒廃に向かうことはそういうところからも見えている気がする。ところで、日本より国土がはるかに広いアメリカではどうか。ニューヨークやシカゴなどの大都会はアメリカのごくごく一部であり、大部分はまだ自然豊かな田舎と言っていいが、都市と田舎の対比は60年代にヒッピー文化時代に若者たちにとっても関心事であったし、それは日本でもかなり遅れて、あるいは当時から形を変えて存在した。かつてアメリカの大きな国土を開発するうえで入植者たちは人手が必要となり、イギリスのリヴァプールを通じて黒人奴隷がアメリカやカリブ地域に運ばれたが、60年代のアメリカの民主化運動の高まりの中で少しずつアメリカは自省し、21世紀になってついに黒人の大統領を生むまでに至った。オバマが人格的にどうであれ、これは人種差別問題の点から見れば、アメリカにとっては大きな精神的進歩と言っていいが、暗殺といった事態になれば、それが幻想であったことが一気に証明される。
 ヒッピー時代にアメリカの流行音楽は大きく様変わりしたが、それ以前に民主化運動の活発化を促すフォーク・ミュージシャンの活動もあった。それがビートルズのアメリカ上陸に触発された商業主義と結びついて60年代後半に大きなうねりとなったが、日本の演歌歌手以外のいわゆるグループ・サウンズやフォーク歌手はみなその模倣から出発し、民主化運動の精神をほぼ置き去りにしたか、あるいはマス・メディアの圧力によってせざるを得なかったかで、70年代初頭まではまだしも、その後は全く高度成長日本の軽佻浮薄さをそっくり体現する、メッセージとしては中身のない、あるいはきわめて変質化した音楽だけが際限なく再生産され続けて来ている。その人工甘味料が利き過ぎた甘ったるい音楽は、筆者は耳に毒の騒音にしか感じないが、そこでアメリカにはまだ良心があって、もっと大人のための、あるいは大人びた音楽があったと言えば、きっと反論も多い。日本がアメリカやイギリスのポップスをあれこれ真似し続けて来ているのは音のみで、歌詞の背景の思想ではない。これは大多数の人が英語がわからないから、あるいは理解するのに面倒だからという理由のほかに、民主主義の大事さ加減がわかっていないからで、今後も同じ状態は続くだろう。外国の曲で歌詞がいいから聴くという人はごくごく少数派だ。そう言う筆者もほとんど似た部類だが、不思議にいいメロディにはいい歌詞がつくことが多く、そこにまたアメリカやイギリスの良質なポップスを思う。歌詞は詩であるから、最小限の言葉で最大の効果を上げるように作詞者は工夫をするが、今の日本の流行歌はほとんど江戸時代末期以降の退嬰化した漢詩のように、決まった熟語からいかに組み合わせるかのジグソー・パズル・ゲームになっている。一度それを全部捨て去るかしなければ斬新なものが生まれないが、そこは作詞者もきっと同じことを日々考えていて、結局のところ日本語をどうするかという問題にぶち当たりもする。そこで、一時、いや今も同じだが、英語をそのまま何行か混ぜるといった国籍不明の曲作りがされる。ここにも日本崩壊の兆しがあると見ていいかもしれないが、その反対に日本語はそれだけ柔軟で、どんどん進化していると賛美する評論家もある。筆者が思うのは、英語をいくら混ぜようが、歌詞全体として何か心を打つようなことを言っているかどうかだが、外国後を深い意味なく混ぜることで、そういう感動は減退するのが落ちだ。いや、もはや流行歌が心を打つという考え自体が古臭くて、整形手術をした可愛い女の子が毎年湧いて出て、セックス・アピールさえすればいいのだということになっている。そして、そういう文化について行けない大人はさっさと昔聴いた音楽の郷愁に浸り、独り言を書き連ねるだけでよいということだ。と、今回はえらく前置きが長くなった。
d0053294_22431390.jpg 今日採り上げる曲は、2、3年前から予定していたものの、いつにしようかとずっと迷っていた。ところが、先日東京に行き、UさんやIさんに会ってグレイトフル・デッドの話になったところ、筆者はその2、3年前からこのカテゴリーに採り上げようと思っていたデッドの曲のことを語り、その時、今日のブログにその曲について書こうという気にもなったのだった。Iさんは工作舎の編集者で、4年前にUさんが表紙のデザインを担当した『スケルトン・キー:グレイトフル・デッド辞典』を発刊した。筆者は当時その本をIさんから送ってもらったが、あちこち拾い読みしただけで、全部を通して読んではいない。また、辞典(事典と言う方がいいか)であるので、そのようにして読むのは許される。その本をブログで紹介しようと思いながらそのままになってしまったが、今日ようやく言及出来る。Iさんによれば同書は今もコンスタントに売れているそうで、それだけ毎年新しいデッド・ファンが生まれ続けている。そういう人々を筆者は皆目知らないし、またデッドのファン(これをデッドヘッドと呼ぶ)がデッドのどういうところを気に入って、どういうアルバムをベストと考えているかもわからないし、また知りたいとも思わない。筆者は他人の意見にしたがって音楽を聴くことを全くせず、自分がいいと思ったものだけを何度も聴き、そうした曲の中から特に何か書いておきたいと思うものだけをここで採り上げている。さて、デッドのアルバムで最初に買ったのは2枚組みのライヴだ。ジャケットが薔薇の花の冠を被った髑髏のイラストで、その大味さは今も感心しない。発売は71年で、筆者が買ったのは72年後半期だったと思う。梅田のDUNという中古レコード店で、1500円か1200円だった。ロックのライヴ盤は当時ブームであったし、2枚組みというのが気に入った。そして、その少なくとも半年後にはこの「BLACK PETER」が収録される『WORKINGMAN’S DEAD』を買い、その次に73年発売の、これまた死神のような老婆を描いた変なジャケットの『WAKE OF FLOOD』で、これは翌年に買ったと思う。これら3枚で最も好きだったのはライヴ盤と『WAKE OF FLOOD』で、後者は今もとても好きな曲がある。その後ジェリー・ガルシアのソロ・アルバムを買い、それに75年の『BLUES FOR ALLAH』はラジオから録音して聴き、またレコードを友人から借りたこともあるが、さっぱり感心しなかった。筆者にとってデッドは確実に70年代前半のバンドで、今改めて最初のアルバムから順に聴く機会があっても当時ほど興味を抱けないだろう。実際CD時代になって、60年代のアルバムや海賊盤など数枚買って聴いたが、ほとんど数回しか聴かなかったし、感動もなかった。つまり、筆者のデッド体験は先に書いた3枚のアルバムに尽きるわけで、とてもデッドについて書く資格はないが、この3枚の世界がどれもあまりに違うことに当時とても驚き、そのとりとめのなさに恐れをなして、全部聴く気にもなれなかったと言ってよい。
 いや、実際はレコードを買うお金がなかった。70年代前半の頃、1000円の中古LPでもかなり高い買物であった。デッドだけがロックではなかったし、また筆者にとってはロックだけが関心事でもなかったからだ。若者はいつも金欠であるし、その少ない金をどう工夫して心の栄養になるものに使うかがその後の人生をある程度決定する。筆者が先の3枚のアルバムを熱心に聴いたのは、中古とはいえ、自腹を切って買ったものであるし、またCDのように安価でもなかったからだ。つまり、元を取るという気分が大きかった。結果的にそれは一番の作品理解の道であって、若い頃はあまりたくさんのものを必要とせず、むしろ良質のものを繰り返し味わうことに意義がある。3枚のアルバムのうち、現時点で振り返って筆者の心の中で最も大きく占めるのは、当時の熱意とは違って、『WORKINGMAN’S DEAD』になっている。最初このアルバムはとてもとっつきにくかった。フォーク音楽に分類出来るようなアコースティックなサウンドで、それは当時の筆者の好みではなかった。もうひとつ理由がある。筆者は日本盤を中古で買ったが、歌詞と解説書が入っていなかった。中古店に売った奴が紛失したのだ。そのため、このアルバムは他の2枚以上に謎めいたものであったが、音楽雑誌なるものを買って読んだことのない筆者はデッドのメンバーがどうのといったことにさっぱり関心がなく、日本盤につく解説は必要なかった。歌詞のないのは長らく残念であったが、ネット時代になって一気に解決した。このアルバムの歌詞、なかんずく、「BLACK PETER」のそれを知ったのは4年ほど前のことだ。思い出して検索したところ、やはりデッドと言えばこのアルバムの同曲が筆者にとって大きな位置を占めていたのだ。このアルバムではもう1曲似た感じのものとして「HIGH TIME」がある。筆者はこの2曲を歌詞が正しくわからぬまま、30年ほども心の底に秘め続けて来たが、同じような味わいをしたほかの曲を筆者は知らない。だが、それはデッドにとっての特徴的な持ち味かどうかも知らない。デッドの曲はむしろガルシアの透き通るようなギターが長く演奏されるものが人気が大だと思うが、実はそこにも本当は1本の筋が通っているガルシアの悲しみのような気分があって、それがこのアルバム全体に響きわたっている。フォーク調の素朴な音であっても、デッドのロックは元来それを基調したもので、ヘヴィ・メタ風の馬鹿でかい音を特色とするものでは決してない。これは前にも書いたと思うが、ガルシアの最晩年の2枚組みCDを10年ほど前に買った。ビートルズの「DEAR PRUDENCE」のカヴァーが入ったもので、当時愛聴したものだが、そこには筆者の知る70年代前半のデッドと変わらぬ精神があると感じた。
 デッドは必ずしもガルシアの才能のみで語るべきではないが、その巨漢の体つきに似合わず、声が哀調を帯び、しかもまろやかでとてもよい。『WORKINGMAN’S DEAD』はジャケ裏面に6人のメンバーの写真があって、中央上にガルシアがいる。収録される8曲のほぼすべてがロバート・ハンターとガルシアの共作で、『スケルトン・キー』を読むと、おそらくハンターが歌詞を担当したであろう。これら8曲はアルバム・ジャケットとタイトルからそのまま想像出来るように、古きアメリカ西部のあらくれ者たちの哀しい生活の断片描写で、ここにはビートルズらイギリスの労働者階級にはまねの出来ない世界がある。ジョージ・ハリソンはこのアルバムの音の世界を愛したと思うが、彼の曲にはこの世界は皆無と言ってよい。西部開拓時代と言えばマーク・トウェインを連想するが、デッドのこのアルバムはブルースを基調にしつつ、そこに画家で言えばアンドリュー・ワイエスが描く田舎の人々の生活の一面を鮮やかに浮かび上がらせる。そういう試みは同時代あるいは後の他のアメリカの白人ミュージシャンがしばしば試みたが、このアルバムにある枯れた味わいは誰も模倣出来ないもので、デッド自身にとってもそうであったと思える。黒人の初期ブルース・ミュージシャンたちが醸し出した鄙びた世界を、ここではやや湿っぽくなり過ぎている嫌いはあるものの、それこそがガルシアの声やハンターの作詞の能力のなせる技であり、このアルバム以降、アメリカの誰がこの世界を引き継いだかと思う。田舎でも都会化した今の日本を見ると、アメリカもきっと同じはずで、おそらく70年代初頭にはすでにこのアルバムで歌われるような西部開拓時代の味わいや生き方はもうとっくに過去のものになっていたのではないだろうか。だが、人間の本質は変化はないから、その意味においてこのアルバムの歌詞が当時も今も誰にでも理解出来るところにとどまっている。『スケルトン・キー』によると、このアルバムのアメリカでの当時の評価は筆者が3枚のアルバムを聴いた時の戸惑いと、そしてその後の共感と全く同じで、そこだけを確認して、同書をもう読む必要がないとも感じるが、このアルバムひとつから、デッドの個性と当時の音楽状況や若者文化など、あらゆることが論じられる気がする。歌詞をわからぬままに、しかもたいして興味もないようなフォーク・ソング風の曲になぜ30数年も引きずられているのかと思うが、そこにわずか3、4分の短いポップスの輝きを見る。もちろん筆者はデッドの曲が日本でシングル・カットされたどうかを知らないし、また70年代前半、ラジオから流れることもほぼ皆無であったはずで、ポップスと呼ぶには抵抗があるから、鮮烈な映像を喚起する文学的な香りを濃厚に持ったポップスと少々長めの形容をしておくのがよいだろう。
 先に書いたように、良質のポップスは歌詞とメロディが不即不離の関係にある。歌詞が全くわからないままにこのアルバムを通して聴き、そして歌詞の意味を知ると、落差が全くないことに気づく。つまり、最もメロディとして心に残った箇所の歌詞が最もよい。ハンターとガルシアのコンビが最高にうまく機能していたからこそで、他のアルバムではそれがどう変化したのかと思う。「HIGH TIME」は、「絶頂期」とでも訳そうか、最初から悲しい調子で始まる。だが、その悲しみは日本の演歌にあるものとはかなり違って、もっと大陸の風を感じる。悲しみの序ではなく、悲しみが終わった後にさらに続く諦念としての悲しみで、もうそうなればとにかく生きて行くしかないという状態での悲しみだ。日本の昨今のネット・カフェ難民の心にはこの歌詞の世界がどう映ることかと思う。肉体労働者の悲しみとは違って、もはや耕す大地や掘るべき鉱山も持たない都市難民には、この曲は悲しみよりもむしろうらやましい逞しさを思うかもしれない。「BLACK PETER」はもっとスローな曲で、ここでも同じ空気が流れているが、女性の存在が見える「HIGH TIME」とは違って、ここでは黒人の死に行く老人の姿がある。中間部のサビに入る直前、ややたっぷりめに間が取られる。ビートルズならその間は半分にしたが、ここでは長めの倍という感じだ。だが、それに続いて始まるメロディはこのアルバム中では最も忘れ難く、筆者がデッドを思うと真先に蘇るものだ。その歌詞を長年知らなかったが、知っても驚かなかった。予想したとおりの内容だったからだ。「See here how everything led up to this day.And it’s just like any other day that’s ever been.Sun going up and then,the sun going down,Shine through my window.And my friends they come,come around,come around.(今日まですべてがどう続いて来たのか見てごらん。それは以前にもあったようなもの。日が昇り、そして日が沈む。窓を通して輝き、そしてぼくの友はやって来る。)」。この後は「みんなは知っても心配しやしない。ピーターがぼくと同じように貧しいことを。ピーターを見てごらん。痛みのために横たわっている。さ、見に行こう。見に行こう。」と続くが、この情景と心理描写は映画さながらに印象的だ。もうすぐ死ぬ黒人のピーターを見に行こうとしている人々の設定は、ベルクのオペラ『ヴォツェック』の最後と共通する。そのオペラの最後の場面では、またヘルツォークの映画でも同じだが、池の辺で父ヴォツェックに殺された浮気した母を、ヴォツェックの小さな子どもが友だちに誘われて見に行くのであった。その悲痛さに比べれば、この曲のピーターにはまだ安らぎがある。いつの時代でも肉体労働者の死は取るに足らないものだが、ここではま共感のようなものがあり、また自然の中に豊かに抱かれている様子が伝わる。少なくも病院の中で管だらけになって孤独に死ぬよりましではないか。おまけに今や東京でも急患がたらい回しにされて死ぬ。何が豊かだ。
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by uuuzen | 2008-11-27 22:43 | ●思い出の曲、重いでっ♪ | Comments(0)


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