XTCの曲を取り上げることはこのカテゴリーを設けた時から考えていた。今年はXTCのデビューから20年で、その年月はポップスの分野では古典がちょうど出来るほどではないだろうか。

そして、XTCの音楽は古典になったと思える。最近TVの深夜番組でXTCの「LIVING THRPUGH ANOTHER CUBA」がテーマ曲に使われていることを知ったが、プロデューサーはきっと30代後半か40代であろう。同曲を知らない人にとっては、それが1980年代に発表されたものとは思えないだろうが、あまりに特徴的なその音楽を聴いてXTCに関心を抱く人もわずかにはあるだろう。そういう意味でもXTCはもう古典になっている。CDケースに直接印刷することはあまり珍しくはないが、XTCがLP時代を越えてCD中心になってから発売した『NONSUCH』もそうで、古城のイラストが印刷されていたが、筆者は気になりながらも、そのうち中古で入手すればいいと思い、先ほど調べると、それからもう16年も経っている。その1992年以後、XTCはアルバムを2枚出したようだが、未発表曲集や編集もののようで、実質的には『NONSUCH』が最後のものと言っていいのだろう。アルバム・タイトルにあるように、「比較すべきものがない」ほどの力作を出した後はもう引退するしかないと考えたか。あるいは、リーダーのアンディ・パートリッジがなかなか人を和を持つことが出来ないのか、どのグループでもよくあるように、結局リーダー的存在だけが目立ち、自分ひとりでも音楽作りが出来ると思うことが他のメンバーに伝わってグループは解散ということになる。アンディがソロ・アルバムを出しているのかどうか筆者は知らないが、頭の中にあらゆるポップスが詰まっている才能であれば、自作自演をせずとも、業界ではいくらでも生き延びて行く方法はあるのだろう。あるいは人気の持続が難しい業界であるからには、それもまたなかなか難しい問題であるかもしれない。アンディは1953年生まれで、1992年の『NONSUCH』時は39歳であった。まだまだ活躍出来るはずなのに、その後めぼしい新作がないのは、ちょっともったいない。『NONSUCH』に至るまで、XTCはアルバムを10枚出している。筆者がXTCのアルバムを初めて聴いたのは、このカテゴリーでよく書くように、妹の友人のEくんと大阪で1か月ごとによく会ってレコードの貸し借りをしていた80年代前半のことで、Eくんからは最初の3枚を借りた。もちろんまだLP時代のことだ。その3枚はEくんから借りたレコードの中でも最も衝撃的な部類に属する。ともかく、一度聴いて即座に創造性を感じた。ニュー・ウェイヴ、パンクといった言葉で当時誰でも想像するような音ではあったが、それに収まらない不思議な香りがあった。洒落た都会的センスと言えばそうなのだが、知的であり、冷たくなく、また女性ファンを意識したような甘さがない。簡単に言えば格好いいのだ。
EくんはXTCのアルバムは最初期の3枚しか所有しなかったので、関心を抱いた筆者はその後の彼らの音楽の展開が気になり、1、2年後にレンタル・レコード店で『THE BIG EXPESS』を見つけて借りて来た。レンタル・レコードからLPレコードを借りたのは後にも先にもその1回だけであった気がする。また、どういうわけかそのほかにアルバムはなかった。同アルバムは84年10月の発売であるから、筆者が聴いたのはその翌年だろう。そして、初期の3枚と違って、全体に落ち着いた、言葉を変えれば、どこか暗くて渋く、そして広々とした空間を感じさせる音楽にまた感心した。そして、同アルバムを聴いたことによって、彼らのその後の展開が予想出来る気がした。これはたとえばビートルズを例に挙げればよい。表現者は、初期の力強い、そして素朴で率直な表現から多様化に向かうのがだいたいのコースで、ビートルズと同じイギリスに生まれ、またビートルズを手本にして同じようなポップスの名曲を生み出そうとするXTCのようなバンドもその例に漏れないことは、初期作3枚と数年の間を置いた同アルバムを聴くだけでよくわかる。と、そのように思った。そして心のどこかに気になりつつも彼らの新作を聴く機会がその後長らくなかった。いや、正確に言えば一度ラジオで彼らの新作が流れ、それを『THE BIG EXPESS』を録音したカセットの残りに録音したことがある。それはいまもってどのアルバムからのものかわからないが、紛れもなく彼らのサウンドで、しかも『THE BIG EXPESS』の延長上に作られたことがわかる。つまり、やはり初期の3作と同アルバムを聴くだけでその後の彼らの辿って方向が見える。機会あれば残りのアルバムを聴こうと思い続けて、その後現在に至るまで、『BLACK SEA』『ENGLISH SETTLEMENT』『ORANGE & LEMONS』の3作を中古CDで購入して聴いたので、聴いていないのは10枚のうち3作のみとなっている。本当は全部聴いてここに書きたいところだが、この調子ではまた数年は経つような気がするので、今日取り上げておこうと思った。それに、残りのアルバムを聴いたところで、筆者が最もよいと思うアルバムは3作目の『DRUMS AND WIRES』以外にはないと思うからだ。同作はBBCでのライヴ演奏もCD化されていて、MSIがかつて発売した。どのようにライヴで演奏するのか、かなり気になりながら、やはりまだ聴く機会がない。初期のXTCは若さ溢れる力強い演奏で、同作の時期のライヴはきっとそれが倍加したものではないかと思うが、その一方で、後のアルバムからわかるように、多重録音の凝った音作りやミキシングの妙がライヴでは実現出来ず、悪く言えば素っ気ない演奏を想像もする。
その凝った曲作りの姿勢というのは、初期の『WHITE MUSIC』と続く『GO 2』を聴き比べても明らかであった。『GO 2』はアルバム・ジャケットは文字ばかりで、確か内袋にメンバーの4人の顔写真があったが、ザッパがよくやるように、『WHITEMUSIC』収録の別ヴァージョン集で、ある曲をもとにしてどのように全く違う様相をまとわせることが出来るかのよき見本となっていた。それをデビュー当時のバンドがやることは、そうとうな自信を持っていたことを示すし、またそういうことが許されるほどの力量があったからであろうし、実際優れたセンスを発揮していた。だが、もっと驚いたのはその次の79年の『DRUMS AND WIRES』だ。これはジャケットもがらりとカラフルかつシンプルに、また何より音楽が前2作以上にこなれて、これぞ80年代の最先端という気がしたものだ。そのセンスは60年代のビートルズにもないし、ビートルズ直後にブームになったギタリストのソロを長く披露するアート・ロックとも全然違い、あくまでドーナツ盤にシングル・カットしてラジオでヒットするといった、耳馴染みすいポップス路線上は花開いたものだ。同じ路線を狙ったのが後のザ・スミスで、イギリスには、いやアメリカもだが、そういうメロディアスで歌詞を伴う短い曲の伝統があるが、アンディ・パートリッジの姿勢は長くてもビートルズの「ヘイ・ジュード」を越えない程度で、通常は2分から3、4分の間に収まる曲を、ビートルズのようにアルバムに10数曲収めるという姿勢を保った。3、4分で勝負となると、個性の発揮はザッパのようにギター・ソロに重点を置くということは出来ず、いかに歌と楽器の音を今までに誰も聴いたことのないような組み合わせにするかにおいてしかあり得ない。そこでは歌詞もまた重要性を帯びるが、音が独特であれば歌詞もまたそうであるのが誰しも想像出来ることであり、XTCの音楽は、面白い音をしていれば歌詞もまたそうなっていると思ってよい。だが、あらゆる可能性が実験し尽くされて来ているポップス界において、数分の曲の中で誰も作曲しないような、それでいて誰をも耳馴染ませて納得させる音作りはそう簡単なことではない。最初は必ず何かの、また誰かの模倣をする。XTCにとってはそれがビートルズとよく言われるが、ビートルズをよく知る筆者に言わせれば、必ずしもそうとは言えないと思う。ビートルズが80年代まで活動したならばXTCのような音楽をやったかどうかははだはだ疑問で、XTCの最初期の活力はビートルズの最後期からは全くイメージ出来ないものだ。そこには世代の差がはっきりとあって、ビートルズはビートルズ、XTCはXTCで、両者は全く無関係だ。だが、先にも書いたように、ある創造的存在における論理的発展はビートルズが端的かつ最良の形で示しているように、後期になるほど多様で多彩に向かうし、その点はXTCも同じで、しかもアンディは明らかにその論理をビートルズを大きな範としているため、全体として、つまりXTCの10枚のアルバムの流れは、ビートルズの20年遅れの繰り返しに見える。その意味において、XTCをビートルズと対比させ、影響を受けていると考えるのは正しいであろう。そして、やはり後発の者は何をやってもそこに模倣の跡を認められてしまう点においてXTCはビートルズより大きく損をしているし、またアンディ中心のバンドという点において、作曲能力がビートルズより大きく見劣りするのもまた仕方がない。それは、筆者はビートルズを10代で聴いたが、同じ10代でXTCの音楽を聴けなかったことも影響しているかもしれないが。
さて、聴いたことのない音楽が詰まった『DRUMS AND WIRES』であったが、厳密にはそうは言えないかもしれない。これはポップス論の根幹にかかわる問題で、XTC論の本質を述べることにもなるが、彼らは「どこかで聴いたことがあるかのような断片」を予想のつかない組み合わせでつなぎ合わせることで、「聴いたことがない」音楽を作り上げていると言い換えてよい。どのような創作にも元ネタはあるが、その元ネタが何であるかがすぐにわかるものは2、3流であって、似ているようでいてそうではないと納得させ、なおかつその作品が文句なしに素晴らしいと感じさせるものがXTCの音楽と言える。その最初の成果が同アルバムで、以後はそれを元にして明暗や彩度、音の広がりや使用楽器の組み合わせなどを変えたもので、自己模倣の部分が目立つと筆者には思える。その変化を辿ることもまた面白味だが、筆者は『DRUMS AND WIRES』を聴いた時の衝撃以上のものはその後のアルバムからはついに感じることが出来なかった。確かにどのアルバムにも耳に残り、ふとした拍子にそれが蘇って、歩きながらも楽しい思いをするという曲は2、3はあるが、アルバム全体に粒よりの曲がばら撒かれているという感じはない。より凝った音作りをしているのはよくわかるが、そのことが音楽をより成功させるとは限らない。そして同アルバムを最初に聴いた時から現在もなお最も筆者の耳奥に鳴り響いているのは、「TEN FEET TALL」だ。この曲を同アルバムのベストと考える人は少ないだろう。であるから、筆者が同曲を選ぶのは、XTCの個性りも、筆者がどういう人物であるかを伝えることになるかもしれない。この曲で面白い部分はいくつもあるが、中間部の短いギター・ソロがベンチャーズの何かの曲を思い出させるように60年代的であるところはいつも聴きながら微笑んでしまう。かつての名曲のいい部分をさり気なく引用改変し、それを全く予想もつかない部分に嵌め込む手法はXTCだけではなく、さまざまな作曲家が行なうが、XTCの場合はそれを自分たちの大きな方法論にしている点で筆者にはきわめて80年代的ポップスに思える。これはXTCがいつも他人の曲の引用ばかりしているというのではない。むしろ他人の引用はほとんどない。にもかかわらず多くの断片をつなぎ合わせて曲を作っているという感がある。ブールスを基調にする、あるいはそこからあまり離れないような姿勢にあるミュージシャンのロックは、短い繰り返しのメロディ、つまりリフを基本にして、全体に色合いを整える場合が多いが、XTCにはそれはない。リフは使用するが、数分の曲をそのリフによって単調に染め上げることを全く好まず、ある基調となるリフに対して意表を突くような別のメロディを持って来たり、また奇妙なとでも言うような音色をたくさん重ね合わせることで、どこにもないような色合いの曲を作る。メロディのつぎはぎだけを取り出せば、キャプテン・ビーフハートを色濃く連想させるが、曲調は全く違って、もっと繊細ないぶし銀色を帯びた、紛れもなくイギリスの空だ。それは突き抜けるような青空でなく、いつも曇って多層性が感じられる分、アンディはXTCの活動の後期に至るほどに何か迷路のような中で道をついに見失ったのではないかと思ってしまう。アンディは20世紀ではなく、もう100年か200年ほど前に生まれていれば、管弦楽曲のいい作曲家になったのではないだろうか。
「TEN FEET TALL」は浮遊感を歌う。形を変えたラヴ・ソングのようにも見えるし、また麻薬を感じさせるところもある不思議な歌詞内容で、歌詞を脳裏で映像化すると、シュルレアリスム的絵画を見る味わいがあるが、また独特のおかしさもあるといったもので、とにかく変な感じだ。そして変でいてなかなか格好いい。それこそがXTCの音楽の本質なのだが、ビートルズにはほとんど全くないものと言ってよい。この曲は不活性的な雰囲気が濃厚で、先に書いたどんよりした空気があるのだが、その空気は後のアルバムにも顔を出す。たとえば84年の『THE BIG EXPRESS』では「THIS WORLD OVER」という曲がある。曲調はポリスやスティングの静かな曲を連想させるが、やはりXTCのひとつの本質であって、どんよりと暗い感じの中に何か確信めいた力を感じさせる点がなかなかよい。だが歌詞は象徴的ではなく、かなりストレートなものに変化している。やはり女性が登場するが、これはラヴ・ソングではない。XTCも疲れて来ていたのか、あるいは自分たちをビートルズの活動になぞらえれば確実に後期に入っていることを実感したうえでの、ある種の達観が歌われる。82年の『ENGLISH SETTLEMENT』の3曲目「SENSES WORKING OVERTIME」もそれとは対照的で、前半はやや憂愁を帯びた雰囲気で始まるが、サビ部分はかなり陽気な雰囲気に変わる。それはビートルズのジョンとポールの対比とも言えるが、どうも釣合いが取れているとは感じられず、そのあまりのつぎはぎの対照ぶりに違和感を覚えるが、耳馴染むと、それに歌詞を見ると、そのように曲作りした意味が理解出来る。だが、それでも本来は別々の曲として独立させるべきメロディを強引にひとつにまとめた感が拭えない。それはといいとして、同曲では生きる喜びが謳歌されるのに、2年後にはそれが影をひそめるのは、やはり後期に入ったことゆえの退行かと思うが、筆者にはその没落の予感のようなものがまさにイギリスであり、そこに彼らXTCの美学があるとも感ずる。最初に書いた「LIVING THROUGH ANOTHER CUBA」では、歌詞の最初に1961年、最後に1998年のことが書かれ、およそ20年ごとに現象が繰り返されることが歌われる。これはビートルズとXTCを対比する時になかなか含蓄のある歌詞の下りで、デ・ジャヴ感を実感するアンディが見えそうだ。であるからこそ、同曲を収める曲は彼らの後期に位置するとも言える。ところで、『THE BIG EXPRESS』のLPは機関車の動輪をかたどった円形ジャケットだったはずだが、機関車というのがなかなかイギリスの意地を伝える。それは『ENGLISH SETTLEMENT』も同じで、走る豹か虎の猛獣の横から描いた図は、ナスカの地上絵のようにイギリスに実際にある古代の遺跡だ。『BLACK SEA』のジャケットは4人が潜水服を着て、これはビートルズのブッチャー・カヴァーのパロディかと一瞬思って、その仰々しい撮影に笑ってしまうが、やはりイギリスの北方の海を示すという点で自分たちの音楽の出所を明確化させたい意欲の表われなのであろう。XTCが元気であった80年代を過ぎて、90年代からこっち、いわゆるヒット・パレード向きのポップスというものが鳴りを潜め、良質の短い曲が生まれなかった気がする。XTCより20年遅れのバンドとなれば、90年代末期に登場していなければならないが、筆者にはそれが見えない。