人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●アルバム『Joe‘s Menage』解説、その2
角関係という言葉を連想させるのは、なかなか意味深長なタイトルだ。それは『Joe‘s Menage』のライナー・ノーツを読むとなるほどと納得が行く。



●アルバム『Joe‘s Menage』解説、その2_d0053294_083253.jpgこれはどういうことかと言えば、FZと熱烈なファンとそしてゲイルという3人の関係で、今までのFZのアルバムにはなかった経緯によって今回のアルバムは世に出たことを示す。ジャケットは6つ折りで、追々説明するが、文字面は3つの、つまり3角関係を意図してか、Lで始まる3パートに分かれている。最初は「The Litany」、次はライナー・ノーツである「The Laundry」、3つ目が「The Latex Solar Beef」だ。それぞれどういうつもりでこんな題がついたのか気になるところだが、「The Litany」はお決まりの必要不可欠な基本的情報で、ゲイルがこのアルバムの由来を書く。「The Laundry」は何をどう洗濯するのだろうかと思うが、これはデンマークのFZファンであるOle M.Lysgaardが書いたもので、なかなか面白い内容だ。「The Latex (Solar) Beef」はザッパの曲をよく知る人ならどのアルバムからとわかるが、ここではレストランの入口にあるろう細工のメニューを思い出せばよいか。食べられないビーフ、味気ないことのたとえで、「The Litany」と同じくアルバムにはつきものの誰がプロデュースしたとか、謝辞といった内容だ。重要なのは当然中身としての2番目、つまりライナー・ノーツだが、FZが生きている時ならば、まず載せられなかったものだ。CDが届いてすぐにざっと目を通したが、FZの熱心なファンなら誰しも心に甘酸っぱく響くものがある。そのため、今回のCDはほとんどこのライナーに価値があると言ってよく、その背景をあれこれ想像しながら、ザッパがファンをどう見ていたか、またファンはどうあるべきかなど、実にさまざまなことを考えさせられ、それをよく理解したうえでこのCDを出したゲイルに素直に拍手を送りたい。収録曲はすでにどんなものが出てもファンはほとんど驚かなくなっており、今回も日本公演前の同じようなメンバーによる同じような曲ということで、新鮮な驚きはほとんどない。だが、これら元は45分のカセット・テープにザッパ自身が収録した内容を今聞くと、FZとOle、そして聞き手の3者が3角関係を形成していることに気づくし、そうした関係を予想してのこのアルバム・タイトルであるところがなかなかウィットに富んでいて楽しい。ゲイルにすればぜひともこれはしかるべきタイトルで公式に発売すべきものだったのだ。

●2003年3月17日(月)深夜 その2
●アルバム『Joe‘s Menage』解説、その2_d0053294_091372.jpg『無言歌集』をおまけで送ってくれた青年は、「若い人は時間があっても頭がなく、老いるとその逆で矛盾を感じる」と何度目かのメールに書いて来た。これは一見そのとおりでも、本当はどうだろう。若くても賢い者もいれば、老年になっても知恵のない人々はいっぱいいるから、この言葉にも矛盾がある。前にも書いたが、男の30歳は人生の方向を決める重要な年齢と思う。その年齢で自分が進むべき道である程度のことを成していない者は、その後の発展は期待できないと言ってよい。したがって先の青年が現在自分のやりたい道に今まっしぐらに向かっているのかどうかが気になる。あっと言う間の人生だからだ。若かろうが老いていようが、避けがたい現実、動かせない事実は常に眼前に存在しており、それをどう捉えて前に進んで行くかが人間の宿命だ。『肝っ玉おっ母』はそんな意味できわめてポジティヴな人間像を描いていたし、であるからこそ名作として後世に伝わる。仮にあの母親が子どもが死んだことでくじけて自分も後追い自殺でもすれば、ドラマにはなりようがない。現実的にはそんな場合もあるだろう。だが人々はそんな現実をドラマで観たいとは思わない。わけもわからないが、とりあえず人間は今後も前に向かって生きて行く動物であるからだ。ネガティヴなことに囚われるのも人間の姿だが、とにかく息をしている間は生き続けてみるというのが、ごく自然な人間の魂が向いている方向だ。植物を見ていてもそうで、寒い季節に向かって枯れ行く花でも必ず小さな蕾をつけている。結局はその蕾は冬将軍に破れてそのまま枯れてしまうが、その常に前向きの子孫を残そうとする姿は、その植物の遺伝子に組み込まれている生命継続のポジティヴな力以外の何物でもない。こんなことを書くと、人間は無言の植物とは違うと屁理屈を言う人もあろう。しかし、動物も植物も同じ生きものであり差はない。昨夜村上隆がTVに出た時、彼のアトリエがしばし映った。ミニ盆栽がたくさんそこにはあって、村上は植物を毎日そうして眺めるのが好きと語っていた。それは乾いた表現の彼の作品の背後に実際はウェットな何かを指向するものが隠れていることがうかがえて興味深かった。そうそう思い出した。スーパーフラットは熊谷守一の油絵などにひとつのよい先例がある。ある時から熊谷は物体を描くのに影をつけなくなり、輪郭線を細く描いてその中に色を平面的に塗り込めた絵ばかり描くようになる。筆者も10代後半に油絵を少し描いた頃、熊谷のそうした絵は知らなかったのに全く同じ手法の静物画を描いたことがある。また昔は熊谷の絵はあまり理解できず、実物を最初にたくさん観た四半世紀前のある展覧会でも否定的な印象を抱いたものだ。しかしこの年齢になると、また見え方が違って来た。今は熊谷の後年の絵は特に面白い。熊谷が自然をどう見ていたかは作品が証明しているが、それは誰も真似ができないもので、そうした独特の絵の味わいを一旦覚えると、ますます熊谷の才能が自分の心の中を占めて来るのがわかる。それにその作品は老いても時間はあることをはっきりと示している。30歳の青年よ、熊谷が生きた百歳近くまでまだ60年以上もあるのだよ。晩年の熊谷が東京の自宅の庭の木々や草花を全く刈らずにそのまま伸び放題にしていたのはよく知られた話で、やはり自然と毎日対話している者こそ独創的な作品を生むことの証であると思える。BGMの『無言歌集』がもうとっくに終わっている。無言の夜の中でワープロのキーだけが響く。今日はこれまで。パチパチパチ。
by uuuzen | 2008-10-18 00:09 | 〇嵐山だより+ザッパ新譜
●アルバム『Joe‘s Men... >> << ●アルバム『Joe‘s Men...

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?