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●『絹谷幸二展』
い文句は「情熱の色・歓喜のまなざし」。これでおおよそどんな色合いの絵かわかるが、抱いていた絹谷幸二のイメージとは異なる絵がいくつかあって面白く見た。



●『絹谷幸二展』_d0053294_21424035.jpg絹谷はアフレスコで有名で、筆者が知ったのは80年代初めだったと思うが、実際の絵をまとめて見るのは今回が初めてだ。そのためこれは見ておこうと考え、先日の雨天、京都高島屋で見たが、会場はがらがらで、じっくり鑑賞するにはとてもよかった。日本で絵となると、日本画家か洋画家にまず分けるが、絹谷はイタリアでフレスコ壁画を学んだことからも洋画家であることがわかる。だが、大正時代の日本画家はイタリアで壁画を見てその画風を取り込んだりしたので、外国で絵を学んで帰って来たということだけで洋画か日本画には必ずしも分けることは出来ない。そのためか、絹谷の絵は国籍不明でしかも洋画日本画の枠を越えた異端さがある。今回80点の大作ばかりの展示で、スティロフォーム(発泡スチロールの類でもっと硬いものだそうだ)製の彫刻3点ほどのほかは全部平面絵画だが、その大半も画材は「ミックスト・メディア」と書かれていた。これはキャンヴァスの麻地を通常とは違って裏側にざらついた面に描くことがあって、その必要上、絵具を独自に工夫する必要があって、それを秘密にしているためという。つまり、絹谷はフレスコ壁画を学ぶかたわら、独自のマチエールを求めて、もはや洋画でも日本画でもない技法を獲得した。そうした技法で描かれたものが、変色を含めてどういう経年変化をもたらすのかは不明であるので、大きな実験に思えなくもないが、原色中心の派手な色使いの画面は絵具をあまり混ぜ合わせていないようで、色が濁る心配はなさそうだ。だが、先日キトラ古墳壁画だったか、絵具剥落防止に使用した樹脂接着剤がカビを増殖させた疑いがあると新聞に出ていた。高分子の樹脂製品万能と思い込むのはまだ早く、使い方によってはどんな取り返しのないことが生ずるかわからない。人間はせっかちでものぐさであるから、便利と思える素材が発見されると、一気にそちらへなだれ込むが、自然はもっとゆっくり変化、対応し、人間の浅はかさを笑う。人間による環境汚染の問題の根源はまさにそこで、一時の素早い便利さの追求が後でとんでもない不便になってはね返って来る。それでも人間はひとまず自分が大事であるから、自分に直接危機が迫って来なければ環境など全くどうでもいいことに思っている。ああ、また話が変な方向に来た。だが、情熱の色と歓喜のまなざし主義の絹谷にしてもそのようなことをよく思うらしいことは今回の作品からわかった。いわゆる情熱の色と歓喜の眼差しとは正反対の暗い画面だ。そんは戦争反対、環境汚染批判といったような半ば漠然とした憤りによるものだが、そういう画面や色合いは実は東京芸大の卒業製作の絵にも多少は潜んでいたことがわかり、絹谷はひょっとすれば世の中の暗い面をしっかりと見据えながら、それでもなお情熱の色と歓喜のまなざしを持とうと覚悟したかもしれないと思えて来て、そこに人間絹谷の正直さや面白味を筆者は感じる。
 ある芸術家の作品を好むかどうかは、突き詰めれば好きか嫌いだ。もちろんそこには無限の階調があって、好きでも嫌いでもないといった程度のものもある。そして、あるひとりの作家の作品においてもそうだ。絹谷の絵は筆者にすればやや好きなといった感じで、それは多少気になる存在との意味にもなるが、独特の明るい画面を作り上げていて、それを見ていて、よく一般に言われる言葉を使えば、何だかエネルギーをもらえる気になるからだ。絹谷はあまり理屈をこねまわして哲学めいた画風を求めるタイプではない。もっと図太くて、単刀直入だ。そのため、誤解も受けやすいと思える。今思い出したが、岡本太郎の現代版という感じもする。その原色中心の画面は、日本の大漁旗を思い出させるもので、子どもの絵に近い。岡本太郎はそうしたものを礼讃した。そして、絹谷の一時期のトレードマークともなった、片仮名や平仮名のオノマトペの挿入によって、なおさら自由奔放のイメージがあるが、イタリアのフレスコ壁画にはそうした文字はなかったから、絹谷が何に影響されてこの目立つ文字を書き込むことになったのかは知らない。英語もあるが、大半は日本語による擬音語であるため、明らかに誰が見ても漫画の影響としか考えられない。いつからそのような文字を書き込むようになったのかは知らないが、文字に関心があることは、最新の日本各地の祭りに取材したシリーズにも根本的に見られる。たとえば祇園祭りを描いた作品は、画面全体が勘亭流か相撲文字か、いかにも祭りにふさわしい肉太文字の輪郭中に祭りの光景を描く。そんな文字枠の中に描かなくても祭りを描いたことはわかるのだが、わざわざ文字枠を設けるところに、小学生か中学生レベルのあっけらかんとした遊び感覚がある。こうすれば恥をかくかなといったことを考えるより前に手が動いているのであろう。描くことの好きな子どもがそのまま大人になっても同じことをしているという感じで、これはなかなか見上げた態度ではないだろうか。だが、東京芸大出であるから許されるという面もある。これがたいした大学でないか、あるいは芸大を出ていなくて同じことをやればきっと下品とみなされる。あるいは絹谷は東京芸大出であっても、かなり異端の部類に入るのではないだろうか。よくは知らないが。絹谷は1943年生まれで、筆者より8歳年長だ。昭和30年代の漫画世代には属すると言ってよく、また70年代の大学生による漫画指示ブームも傍目で見て来たはずで、いつの時点かに漫画やイラストという仕事に関心を抱いたのであろう。絵に文字を描き込むことは歴史が長いので、別段絹谷の作品が特異であるというわけではない。ただし、明らかに漫画的な文字を書き込むと、絵に動きが出るが、絵の仕上がりが時として破綻を来す、あるいは完成度が低いものになりかねない危険を孕む。実際絹谷の絵にはそうしたことがまま見られる。だが、不思議なことにそうした欠点を飲み込んで見せてしまう力がある。それは絹谷が絵を信ずることにおいて正直であるからで、せめてその精神だけは後世に伝えたいと思っているに違いない。
 オノマトペは動きを示すから、絹谷は漫画よりもむしろアニメに関心があるのだろう。祭りを題材にする、あるいは各種のスポーツを描くにしても、どれも動きある体をどのように静止画面上に動きを感じさせるかの思いから発したもので、目を共有して顔が連なったように描く絵もまた同じく苦しまぎれの動きの表現の解決に思える。そこには当然ヨーロッパ美術を学んだ成果とは言わないまでも影響がある。ピカソのキュビスムやあるいはバルラの未来派でもいい。20世紀初頭に実験され、ひととおりの成果のあった西洋画を今度は日本の漫画やアニメ文化をフィルターを通して再生産したものだ。おそらく批評ならそうした立場から絹谷の絵画を論じ、きわめて今的かつ伝統的、そして東西融合的でしかも宗教的ですらあると書くだろう。だが、美術ファンであれば誰にでもわかるそうした理屈よりも、筆者は絹谷が一種無邪気に自分のなすべき仕事を念頭に忠実にしたがって、とにかく描くことを楽しんでいるように思える。この楽しみの中には当然苦しみが混じっている。その苦しみは人間の明るい部分を見つめるからこそ、その一方で拭い去ることの出来ない深刻な暗い部分が浮かび上がるからだ。それを知りながら、画家があえてそれを一切描かない立場は過去からあるし、絹谷も概してその部類に属すると言ってよいが、時として現実を凝視せざる得ず、憂鬱が襲うのだろう。それはそれだけ正直であるからだ。絹谷はそういう暗い絵も含めて自分があり、世の中があることを改めて提示したがっているのだろう。絹谷は目がギョロリとして、その点でも岡本太郎を思わせるが、TVにたまに出ているのを過去に何度か見た時は、がっしりした体格でいかにも大物の風格があったが、今回は還暦を過ぎて老いの始まりに立った姿の写真が展示されていて、腹が出て頭もはげかかり、完全な人のよさそうなおじさんになってしまったのは当然として、どこか悲哀らしきものが漂っているようにも感じた。それが悪いというのではない。むしろ反対で、そうしたものをかもすほどに、より人間的になり、本当の仕事はこれからではないかと思わせられる。だが、人生は残酷なもので、本当に素晴らしい仕事が出来る頃になると体力が残っていない。今回の展示には、近年の作において、かなり大味でこれはまずいかなと思えるものがぽつぽつあった。やっつけ仕事と言えばいいか、即興性が成功していないのだ。体力か気力の衰えらしきものをそこに見たが、それが今後どうなるかは後の作品を見るしかない。また、奈良出身ということを意識した作品、つまり仏像や奈良を主題にした作品が少なからずあり、これはひとつの強みには思える。いかにもニューヨーク的なスティロフォームの彫刻を筆者は好むが、そうしたポップ性を強調した作品よりも、もっと自分のアイデンティティに立脚した表現に転向しているようであるのは、地球規模の環境や社会の問題を前にして、簡単に言えば祈ることしか方法はないという、そしてその祈りは奈良すなわち日本仏教の故郷に改めて対峙してみようという気にさせたのかもしれない。この仏教主題は、絹谷の作品を洋画よりも日本画の世界にかなり近づけた。また、必ずしも画面として成功しておらず、単なる仏像の引用にしか見えない作品もあるが、描く対象を一気に増加させるには仏教主題は恰好のものであった。
 絹谷の絵の手法は、原色中心に陰影を施す立体表現が特徴だが、それは各色が黒で縁取られるためにいっそう強烈なものになっている。この黒による隈取りを除去すればどうなるかを示す作品が今回は多かった。そこで気づいたのは、隈取りがない画面は原色を使用していてもとても優しく、どこか夢見がちな印象をもたらすことだ。その効果に絹谷は気づいたのかどうか、画題に日本の懐かしき光景を表現するものを選ぶようになった。そのひとつは先の仏像もだが、筆者が面白いと感じたのは明治大正の日本の土人形や郷土玩具だ。その嗜好は「祭り」を主題にする近作と通ずるが、土人形ファンの筆者にすれば、絹谷が土人形を描く意味を知りたいと思う。それは必ずしも回顧趣味だけではなさそうであるからだ。どういう隠喩を込めているのかわからないが、日章旗を掲げる兵士の土人形を描くところからは、戦争のイメージがどうしても連想され、それが先に書いた絹谷の暗い絵につながる気もする。だが、それは少々うがち過ぎであって、絹谷の色鮮やかな画面の原点として、子どもの頃にあった土人形を思い出しただけかもしれない。また、隈取りやそれを採用しない技法のほかにも特徴がいくつかある。金泥(紛い物に見えた)や金箔を多用することや、点描だ。前者はますます日本画に近いものに見せるのに効果的で、現代的琳派と言えるような作品もある。後者はスーラを想起させるが、光の分割主義ではなく、絹谷の思うのは物質の解体主義とでも言えるような、あまり心地よいものではない。そのイメージは仏教と戦争が混ざったものとも思えるが、一方で日々TVなどで消費される膨大なイメージのはかなさの表現とも言ってよい。「蒼穹夢譚」(2000年)がそれで、画面の上4分の3が青地で、そこに三十三間堂のものだと思うが、風神雷神が向き合って地上を見下ろしている。その地上とは画面下4分の1で、そこは点描の砂漠で、大きな3つのTV画面が半ば埋もれて、その間に横たわる人体がほぼ砂と化している。その横たわって砂に埋没するイメージはよほど気に入ったのか、スティロフォームによる彫刻らしからぬ彫刻も展示されていた。無常の表現、あるいは現代文明風刺で、日本画的常識の鑑賞絵画から見れば、邪道とも言える絵だが、絹谷の苦悩のようなものを見て印象は強烈だ。琳派的装飾性の強い画面を描く一方でどうしても顔を覗かせるこのような絵があることで、絹谷は心のバランスを保っているのかもしれない。もしそうだとすれば、それだけ純粋で、「蒼穹夢譚」の境地をもっと深めてほしいと思う。そうした仕事はアンデパンダン展に出品する、つまり在野の画家にすればほとんどあたりまえの主題で、全く珍しくはないのだが、東京芸大出で日本芸術員会員の絹谷がやるところにそれなりの意味がある。絹谷はおそらくそのことをよく自覚しているだろう。絵を上手に描くということも大事だが、今何を描くかという問題を意識することはもっと大事で、その困難なところに失敗を恐れずに挑戦しているように筆者には思える。
 今改めてメモを見ると、作品は「祭り」「スポーツ」「愛(エロス)」「人間」「祈り」「讃歌」に分類されていた。やはり「祈り」はあったのだ。絹谷の絵で思い出すのは青い地色で、それをタイトルに繰り返し「蒼」の文字を適用している。「蒼に染まる想い(巡りくる時)」(2008)がまずそうだ。この絵は先に書いた土人形を描くもので、そのほかに少年少女、ジェット機、ヘリコプター、富士山が描かれている。昭和30年代のレトロな光景をつい思い浮かべてしまうが、当時想像した未来がつまり現在となって、そのふたつの時代が交差した不思議な空間を表現する。「蒼空のある自画像」(1997)も青地だが、芸大の卒業制作として描いたものが油彩画「蒼の間隙」(1966)であって、「蒼」はデビュー時代から続くテーマであることがわかる。だが、「蒼の間隙」はもうひとつの卒業制作である「諧音の詐術(トリック)」と同様、青地ではなく、むしろ苔むした裸婦と言えばよい渋い画面で、よく見ると色さまざまな細い線が絡み合っていて、後年の豊穰な色使いを予感させるが、平面的に塗り込めてからりとして画面を作り上げるのとは全く違って、もっと若者特有の暗さがある。そのことを絹谷は、コーナーごとに掲げられた絹谷自身の説明によれば、裸婦を目の前にしながら手をつけることの出来ない思いと書いていたが、そのエロスもまたひとつの大きなテーマとなって、その後手がけられたことは今回の展示でよくわかった。「妻と私」(1986)はアフレスコで描かれた自画像で、美人の奥さんとの幸福な結婚生活ぶりが見えたが、そのためもあって、「讃歌」の主題の絵も深化したのだろう。暗い絵というのは、「漆黒の自画像」(2006)がまず代表的だ。これは大きな自分の顔を描くが、目玉は埴輪のように真っ黒で虚ろだ。それが赤い薔薇を1本口にくわえているところがまだ救いがあるか。しかし背景にはゼロ戦らしき飛行機がいくつか飛ぶ。同じような戦争のイメージは、「ノン・デメンティカーレ(忘れないで)」(1994)にも見られたものだ。茶色を中心とし、兵士や大砲、原爆のきのこ雲、そしてオノマトペなど事物の輪郭はすべて赤で、絹谷の絵として珍しい画風だが、同類のものとして「イエス・オア・ノー」(1991)もあって、こちらはもっと派手な色使いの戦争画となっている。テーマごとに展示されていたので、年ごとに画風がどう変わったは把握しにくいが、いくつかのテーマを交互に描きながら、螺旋的に画風を変化させて来ているようだ。そういう中で目立つのはやはり仏教を主題にしたもので、今回最大の作品は「菩提心」(2003)の3点揃いで、左から順に白牛大威徳明王、温顔慈悲阿弥陀如来、降摩剣不動明王を画面いっぱいに大きく、赤を中心に描く。「祭り」シリーズでは現地写生の写真が展示されていたが、それを見る限り、絹谷は素描は達者とはとても言えない。おそらく写真を見て本画を構成している。そのため、「菩提心」も美術全集のようなものを参考に描いたものだろうが、そこには「蒼穹夢譚」に描くイメージの消滅といった何か恐れのような感覚があると思える。自分の絵はすぐに滅びても1000年も大切にされ続けて来ている仏像は今後も消滅しないという思いと言えばよいか、とにかく歴史の重みを改めて見つめ直し、侮れないものを感じている姿が見えそうだ。ポップでキッチュな絹谷の冒険が手を合わせたくなるようなありがたみをもって後世の人に認識されるかどうかはわからないとしても、この画家が成立しにくい現代において悩みながら描かずにはおれない才能があったとだけは人に伝わるだろう。まだ書き足りないが、長過ぎるのはよくない。
by uuuzen | 2008-10-08 21:42 | ●展覧会SOON評SO ON
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