薬物検査で相撲界が揺れている。海外の映画では、麻薬を吸引する時によく鼻から吸っている。煙草もそういう吸い方があったことを示すのが鼻煙壺だ。

口は味、鼻は匂で、両者が重なって食べ物がおいしく感じるが、香水が盛んな西洋では、嗅覚はより発達したのかもしれない。日本では煙草は17世紀初頭に入って来たが、煙を発して吸うことしか定着しなかったので、鼻煙壺に馴染みがない。もし日本でも煙草を鼻で味わうことが流行していれば、「根付け」と同じように、さまざまな工芸分野で精緻な造形が発達したに違いない。煙草を吸ったこのない筆者は、どんな味か想像も出来ないが、昔読んだところによると、煙草を吸う人は、煙を楽しんでいるところが大で、もし煙草が無煙ならば、大半の人は煙草を吸うのをやめてしまうだろうとあった。これは、煙が拡散すると同時に自分が大きくなったように感じ、対面あるいは同座している人々に優越を感じるという理由があるらしい。どこまで本当かどうかわからないが、となれば、煙草を吸っている人から煙草を取り上げれば、人前ではおとなしくなるか。これも昔、職場で20代前半の女性がみな煙草を吸っていたが、彼女たちはある日、酒がよくてなぜ煙草は嫌われるのですかと筆者に質問した。先日バスを待っていると、街宣カーが煙草値上げ反対を唱え、なぜ酒がよくて煙草は駄目なのかと叫んでいた。煙草はとにかく発癌性があり、そばにいる人が煙を吸うのがなおよくないという検査結果が出ているらしいが、となれば、煙草を吸わない人にすれば、煙は毒ガス同然で、どこか遠くで勝手に吸ってほしいと思う。50メートルほど離れていても、風下ならば煙草の臭いが鼻につくが、火も煙も出ない煙草が発明出来ないものかと思う。それがかつて鼻煙壺に入れて使用していた煙草の粉末だとすれば、今からそれを世界的に流行させればいいのではないだろうか。これは最近、息子が2週間入院し、見舞いに行ったところ、バス停でタバコが健康を害するという、西洋人の双子を使った写真つきの実例報告があった。片割れは確か10代頃から20年ほど吸い続けた。「どちらがいいと思いますか?」と大書きしてあって、その下で双方が肩寄せ合って笑顔で写っている。ひとりは全く皺がなく、ひとりは全くの老婆だ。今はタスポだったか、成人でないと煙草が買えないシステムになっているが、それでもまだどう見ても10代半ばの女子高校生がよく煙草を買っている姿を見るし、街角でも実際吸っている。1箱1500円になれば少しは減るだろうが、アメリカは自国では売れなくなった煙草を第3諸国に猛烈に売りつけて安く流通させ、深刻な健康被害をもたらしているが、どうせ日本もそうする。発癌性物質を平気で売って金儲けするのが国家目的であるならば、企業が薬品で汚染されたものを少々混ぜものをしたり、3流品を1流品と偽って売るくらい、全くささやかなことだろう。
筆者が鼻煙壺の存在を知ったのは20歳前半だった。今でも作られるのかどうか知らないが、当時は何万円もする豪華本がよく出て、その内容見本というものが本屋によく置いてあった。筆者はそれをよくもらって来た。高価なそうした本が買えないのであれば、せめてそうした本が存在し、内容をわずかに知ることはよいと思ったからだ。そうした内容見本が段ボール箱に2、3個溜まったが、本は限りなく増えるから、少しずつ古新聞と一緒に処分し、今はごく少数しか持っていない。その内容見本の中に鼻煙壺のものがあった。誰のコレクションを豪華本にしたものか知らないが、小さな工芸品として鼻煙壺が存在し、外国ではそれなりにコレクターがいることを理解した。だが、その実物を見ることは展覧会では数個ほどしかなかった。今回、日本の沖正一郎という人が1200点の収集品を東洋陶磁美術館に寄贈し、それを記念して1000点が分類されて一同に展示された。鼻煙壺の存在を知ってから30年目の出会いだ。これは見なければならない。1200点の収集は世界的にも最大級のものらしい。これだけのものを系統的に集めるには、金と時間と執念が必要だ。そして、最後はぽんと寄贈するという思い切りもいる。こうした工芸品は価格はピンからキリまでだ。1点平均いくらするのか見当がつかないが、10万円程度とするとざっと1億か。趣味に1億円費やすのは金持ちだが、それでもさほどでもない。絵画なら1点でそれだけするものはざらにある。だが、収集家は費やした金が問題ではない。自分が生涯の大半を費やして集めたものを散逸させたくないと考え、そして出来るならばそれをまとまてどこかの機関に寄贈したいと思うのはごく自然なことだ。だが、だいたいはそうした寄贈先がない。寄贈しようとしても断られるか、また寄贈が受理されても、死蔵されて研究されないままか、あるいは扱いがまずくて時には破損する。誰も収集家ほどに愛着がないし、また寄贈を受けた機関にしても収蔵や展示に経費がかかる。そのため、ほとんどの人の収集なるものは、その人がなくなった後に全くのゴミ同然に捨てられるか、運よくても信じられないほどの二足三文の安い価格で市場に流れる。ならば生前に自ら整理しておく方がよい。ネット・オークションを利用すれば、時には買った時より高価で売れるだろう。どの部屋も本で占拠された筆者もいよいよ本気でそういうことを考えなければならないと思っているが、昨日も段ボールいっぱいの本が届いた。煙草と違って、人に迷惑はかけないと思うが、家内にすれば煙草の方がましだと思っている。とまあ、そんなことで今日は筆者は朝から中之島の府立図書館に調べものをするついでにこの展覧会ともうひとつ見る予定を立て、家内と館内で落ち合うことにし、鼻煙壺の陳列の前で家内から声をかけられた。
図録は2300円だったか、全点がカラーで掲載されるので、かつての豪華本を思えば安いし、またこれしかないというほど安い類書は存在しない。だが、買わなかった。会場は撮影禁止と思っていたが、数人がデジカメで撮影していて、改めて館内の注意事項を読むと、ストロボと三脚のみ禁止で、撮影はOKであった。それで筆者はいつものメモ代わりに説明パネルを全部写した。それをパソコンで印刷すると、図録の説明の大半は得られた気がする。説明は基礎的な内容に過ぎないが、このブログにはちょうどよい。まずタバコの起源だ。タバコはアメリカ原産のナス科の植物で、「タバコ」はアメリカ大陸に起源を発するという。祭祀や占い、医療などに利用されていたものが嗜好品として普及し、「葉を燃やして煙を吸う」「口の中で噛む」「粉を鼻で嗅ぐ」の3種として用いられる。西洋に伝播するのはコロンブスのアメリカ大陸到達による。まず新大陸の入植者の間に消化促進、疲労回復、覚醒作用の薬効があるとされて広まり、16世紀半ばにヨーロッパの王立の植物園で栽培が始まった。民間に普及するのは16世紀後半で、その頃からアジアにもたらされた。煙草に香りをつける習慣は17、8世紀のヨーロッパで流行し、煙草の火の不始末による火事や肉体的精神的悪影響から、次第に喫煙時の煙や臭いは野蛮とされ、
王侯貴族を中心に嗅ぎ煙草が広まった。それが清国皇帝への贈り物として中国に持ち込まれたのは17世紀後半だが、日本は鎖国していたため定着しなかった。沖コレクションの鼻煙壺はみな中国製で、陶磁器のみではなく、ガラスや貴石、金属、象牙や鼈甲、木の実や鮫皮などの材質もある。会場では説明がなかったが、当然ヨーロッパでも作られたはずだ。そうしたものと中国の影響関係を知りたいと思うが、それはまた別の話で、別のコレクションを持って来る必要もあるだろう。そして、清王朝は空前の工芸技術の発展を見たから、ヨーロッパ製のものより精緻で芸術的であるのは充分想像が出来る。ちょうど日本が浮世絵でそうした技術を発展させたのと同じように、中国では器物の工芸品に人間技とは思えないほどの贅と工夫を凝らした。これは宝石を見るのと同じ感じがある。つまり「宝」だ。鼻煙壺は掌中にすっぽりと収まるほど小さなもので、なおさらそれは宝石のイメージが強いが、それは言い換えれば女性的でもある。鼻煙壺に近いものとして煙草のライターがある。アメリカ製のジッポは実用本位で、宝石のような味わいはないし、またヨーロッパの服飾デザイナーのブランドが作るライターには宝石をイメージした高級品があるが、それでも今回展示された手作りの1品ものである鼻煙壺のような豪華さから遠く、もっと無機質だ。面白いのは、煙草が急速に害と言われるようになってから、沖氏が寄贈し、こうした展覧会によってそれが宝物として鑑賞されることになったことだ。女性が持つピル容器も小型で美しいものがあるが、それは煙草よりもっと密かでしかも人には見せない持ち物で、鼻煙壺のようにさまざまな材質とデザインのものが作られることはないに違いないが、世界は広いのでそうしたものを収集し、いつかそれをまとめてどこかに寄贈する人があるかもしれない。そして、そういう容器に施されるデザインによって、人々は20世紀以降の造形感覚や文化を感得するだろう。それと同じ意味から、今回の鼻煙壺によって中国の工芸の何たるかを鑑賞者は端的に知る。

沖氏の収集は陶磁器よりもむしろガラスが多いように感じた。ならば東洋陶磁美術館とは別の場所に寄贈されてもよかったかもしれないが、中国の陶磁を知るうえで他の工芸技法を踏まえておくのは意義が大きく、やはりこの館が理想であったろう。また、この館は清時代の陶磁器の収集は比較的少ないので、それを穴埋めもする。1000点は見応えがあり、会場はいつになく人が多かった。だが、どれも小さなものであるので、館のすべてを使う必要はなく、いつもどおりの西端の特別展示室と、そして館中央の朝鮮陶磁の常設に充てられている部屋を使用していた。小さなものであるので、模様は虫眼鏡で見るほど細かい。これは大きなものを作るのと同じ熟達した技術と別の神経を使う。勇壮さといったこととは無縁だが、美しさにおいては小さなものにむしろ発揮されやすく、その点からも「宝物」の印象は強い。展示順に説明すると、まず陶磁製のものが並べられた。壺や瓶、碗と同じ技法を使用し、「釉下彩」として「青花」「釉裏紅」およびそれらを基本としたものの3種があるが、輸出用に描かれた簡略な宝相華唐草、山水などが見られ、同一文様を青花、釉裏紅、紅彩などで描き分けたものがあって、量産されたことがわかる。釉裏紅は赤より茶色に近い微妙な味わいのある色が多いが、これが青花を主体にした小さな鼻煙壺に細筆でごくわずかだけ表現されているのを見るのは、いかにも繊細な感じで、大事にしたい思いにかられる。次に「釉上彩」としては「五彩」「粉彩」「夾彩」などがある。粉彩は不透明な白色顔料で文様の下地を作り、そこに色の顔料で絵つけをする。夾彩はその一種の技法で、余白を残さずに顔料で塗りつぶす。どちらも西洋の無線七宝技法の影響を受けて雍正年間(1723-35)に完成した。「粉彩」「夾彩」は金や銀泥も使用した西洋画を思わせる華麗で微妙な色合いで、いかにも清時代の完璧性を感じさせる。日本では明治以降にこうした技法を模倣したものが作られ、それが明治のいかにもいかめしい雰囲気に似合っているが、清のものはまた感じが違って、洒落た雰囲気があるのは、それだけ意識もヨーロッパに近かったからか。こうした宮廷の華麗さを表現したようなものとは違って、鉄分の多い土を使用した江蘇省で作られる無地のものがある。これまた渋い味わいが男性的でとてもよいが、日本の常滑の急須を思い出せばよい。「茶葉末釉」「炉鈞釉」「紫砂」があり、それぞれ緑や青、紫を基本にしながら微妙に色合いが異なる。
次の部屋はガラスだ。康熈年間(1662-1722)にヨーロッパの技術を導入して宮廷にガラス工房が開かれ、それと同時に鼻煙壺の生産が行なわれた。「透明ガラス」「雪片ガラス」「不透明ガラス」の3種に分けられ、雪片ガラスは全体に気泡が入る。不透明ガラスは赤、白、青、黒などの色合いのものが作られたが、中国には古代より「玉」を珍重する歴史があるので、それに近い質感が求められた。装飾方法は文様を彫り磨く「雕琢」、異なる色ガラスを熔かし合わせる「熔着」、そして「彩画」があるが、「雕琢」と「熔着」の混合技法に乾隆年間(1736-95)に完成した「被(き)せガラス」がある。日本の漆芸でも同じ技法があるが、これがガラス製の中では一番の見物であった。後のアール・ヌーヴォーのガラス工芸に影響を与えたというが、鼻煙壺を見た後ではガレの作品はあまりに大味で雑に思える。この技法は元となる本体全体に色の違うガラス全体をまぶし、後で彫って下地の色ガラス層を見せて文様を表現する。たとえば鼻煙壺全体がひとつの小さな桃色っぽい白菜に表現されたものがある。その先端にごく短い糸屑のような緑色が1本見えている。それは白菜に付着した青虫なのだ。これは白地の上に桃色、その上に緑色のガラスをまぶし、青虫のみ残して全体の緑色を除去して桃色肌を出現させ、さらにその桃色を削って下の色地を見せることで白菜らしく表現している。どのようにしてそういう削り出しが出来るのか説明がなかったが、まるでガラスを木材のように扱って細かい文様を表現するところに卓抜な技術と大変な時間を要していることがうかがわれ、見ていて美しいという以前に何だか恐いものを感じる。清の芸術のほとんどはそのように驚異的な何かを持っている。その驚異さは、ひとりの人間の時間と力など全く微々たるものに過ぎないという敗北感と、ひとりの人間がどこまで技術的に遠く到達出来るのかという勝利感が混じったもので、これは工芸に実際携わる者ならば誰しも感じるに違いない。そして、そうした完璧なそれこそ「宝物」と呼べるものを作り得ることが出来なくなった現代の工芸家は、みな素人に毛の生えた程度の表現を個性と称する。同じことは絵画でも見られるのは誰しも知るところだ。専門家やプロ意識が限りなく下落し、ただどこか今までとは違うということだけに意味があり、それが芸術と賞賛される。話を戻して、彩画は表面にエナメル顔料でも描く「上絵」と、内側に墨や水彩絵具で描く「内絵」がある。清末期から中華民国に盛行した。内側に絵を描くのであるから、ガラスは透明のものを使用するが、有名な絵つけ師がいて、その系譜は現在まで引き継がれているという。会場には特別の棚にアメリカの現在までの歴代大統領の肖像をひとつずつ描いた同じ形のものがずらりと並んでいたが、最初からアメリカの金持ちコレクターを相手に作ったもののはずで、鼻煙壺がもはや実用品ではなくなったことを感じさせて物悲しいものがある。
次のコーナーは貴石や石、金属、動植物を材料とするものだ。めのうを使ったものは天然の石肌そのものに見応えがある。人間がどれほどの時間を要しても作ることの出来ないそうしたものには特別の美しさがあり、正直なところ、筆者はどれかひとつを持って行ってよいと言われるならば、そうしたものの中から選ぶ。見ていて飽きないのだ。中国人はそのことをよく知っていて、自然石の模様を山水などに見立て、そこにほんの一筆だけ描き添えた石の絵画もある。同じような工芸的絵画はヨーロッパにも存在するが、日本では発達しなかった。それは日本ではそうした美しい模様の石が産出しなかったからだ。そこに日本の幻想画の異質さと限界があるかもしれない。中国は日本よりヨーロッパに近いと感じさせるのは距離だけではなく、やはり陸続きであるという点で、その中国がヨーロッパに近いということに対して日本は昔から羨んで来たと言ってよい。その反動が徹底して文化を西洋化しようということに表われている気がする。金属を使用したものは、金、銀、銅、錫、真鍮などの作例がある。チベット仏教の法具類に通ずる意匠のものは遊牧民族好みとあるが、落としても割れないということのほかに、金属はそれなりに古代から歴史があって、これだけを収集しても奥深いであろう。この金属を主体とするものの中に有線七宝を使用したものや宝石を嵌め込んだものも含まれる。動植物を材料とするもののうち、植物は瓢箪や椰子、木の実を使うものだ。材料が安価であるので、清朝以前から民間で広く行なわれていた。鼻煙壺はあらゆる形のものがあるが、中身が湿らないように、蓋はごく小さく作られる。その点は香水などの化粧品の瓶に似ている。現在の化粧品メーカーは鼻煙壺のデザインの歴史を学んでいるはずだが、あるいは洋酒メーカーもそれは同じだろう。容器のデザインに携わる者は一度は鼻煙壺を知っておく必要がある。最後のコーナーには、大きな器から鼻煙壺に煙草の粉末を移す漏斗状と耳かきのような道具があった。煙草を鼻に詰めるとどんな感じなのか筆者には想像出来ないが、慢性鼻炎気味のため、きっとくしゃみをして全部飛ばしてしまうだろう。そう言えば、アメリカ映画でせっかくの麻薬を鼻に詰め込もうとしたのに、くしゃみをして全部吹き飛ばす面白い場面があった。