局地的豪雨の多かった夏だが、ここ2、3日はどんより曇った天気で、一気に秋に変わった感がある。このまま涼しい秋に突入すると思うのは早合点で、また暑さはぶり返すだろう。それでも確実に秋に向かって行く。

夏から秋への季節の変わり目はしみじみした気分にさせ、聴きたくなる音楽も変わる。気づけばこのカテゴリーは毎月1回の投稿となっているが、次に何の曲を取り上げるかは数日前から当日に決める。今日はつい先ほどまで別の音楽をぼんやり思っていたが、先ほどマイク・ケネリーのオーケストラ物のCDを2枚聴いたこともあって、ふとザッパつながりでジョージ・デュークを連想し、彼の音楽に決めた。筆者はジョージのアルバムは30点ほど所有するが、ここ2、3年に出たものは知らない。聴いていないのでわからないが、それまでのアルバムからしてどういう音楽かはだいたい想像出来る。ジョージも年を取ったと言おうか、昔のように激しいロックやディスコ調の音楽はやらず、ムーディなものに少しずつ変化して来た。そうしたものの中に一時期大いに聴いて好きな曲もあるが、ジョージの音楽を1曲で代表させることはとても無理だ。このカテゴリーでは筆者が好む代表曲をひとつ挙げることにしているので、世間一般の評価とは関係がない。つまり、好みの曲について書くことで、筆者のことを語ると言うにふさわしい。筆者は多くの人が投票することによって、あるミュージシャンの人気曲を調査するということに全く関心がない。そんな平均値を知ることで平均的人間になってどうするというのだろう。自分が楽しければそれでいいのであって、世間がいいと言うから聴くというのは、自分の考えが無視されるようでアホらしい。世間がいいと評価するものに接すると、最短距離で良質のものに出会えると反論する人もあろうが、そういう合理的な考え自体が間違っている。簡単に手に入ったものはそれだけの価値しかない。昔はLPはとても高かったが、そのような高価なものをわざわざ小遣いを始末して買うということにまず大きな意味があった。ウィニーを使ってパソコンから無料でダウンロードすることでCDを買うお金が節約出来て得した気分になる人が多いだろうが、自分がお金を出すことで良質の音楽に出会え、自分の人生を自分で作るという経験が出来ない分、それはむしろ不幸なことで、結局大きな損をしているのだ。さて、ジョージ・デュークのアルバムは筆者はどれもどこでどのようにして買ったかをよく記憶する。中古レコード店をくまなく探し回ったりした記憶もあるが、その中には妹宅で自転車を借りて3、40分ほどの距離のところまで地図を頼りに初めて訪れた店で偶然見つけたものもある。それは桜が咲く艶めかしい季節の夕暮れで、レコードを買った帰り道はとっぷり日が暮れて、家々の明かりが路上に明るくこぼれていた。それはもう20年以上も前のことだが、不思議とジョージ・デュークのLPからはその時のことをよく思い出す。人生の思い出は、他人にとってはどうでもいいそんな個人的な事柄の連続だが、筆者が音楽や絵など、創造作品について語りたいのは、作品そのものの無味乾燥な感想ではなく、自分がその作品とどう出会ったか、どう過ごして来たかに絡めてであって、その文章を他人が面白く思うかどうかなど全く考えてはいない。作品のデータ的なことや、世間の一般的平均的な評価の類は無数に溢れているから、個人の呟きを書く方に価値がある。
ジョージ・デュークの音楽を聴くようになったのは当然ザッパつながりだ。筆者は1976年にジョージとジャン・リュック・ポンティがニューヨークのボトムラインで共演したライヴが当時民放のFMで放送され、それを45分のカセット・テープの両面に別々に録音したものを所有する。ジョージはザッパの「ECHIDNA’S ARF」も演奏し、それはジョージのアルバムに収録されるヴァージョンとは違ってもっと迫力のある、まるでザッパが演奏しているような感じがあるが、筆者がジョージの演奏で最も好むのはその当時、つまり70年代半ばのものだ。実際はジョージの人気はそれ以後のファンクを前面に押し出したサウンドで拡大したが、聴きやすい、そして軽めのそうした音楽は当時はまだしも、今はとても古臭く錆びたものに思える。人気の大きかったものほどそれが去れば何も残らない。あるいは内容が乏しかったので大きな人気を得たとも言えるか。渋めのものはいつの時代でもごく少数の人しかわからないし、それは表面的には変哲がないように見えるものだ。それを悟ることが出来ず、派手に目立つものを誉めている人をたまに見ると、「馬鹿の壁」という言葉をふと思い出す。それはいいとして、ジョージの70年代半ばは、ザッパとの関係において複雑なものがある。ザッパを見出したマネージャーのハーブ・コーエンが、ザッパとの関係を悪化させ、ジョージ・デュークにマネージメントを鞍変えしたのだが、そのためにザッパの76年の来日はジョージもハーブもやって来なかった。当時ジョージは黒人ドラマーのビリー・コブハムと共演し、アルバムも1作出した。ザッパは72年以降黒人を積極的に起用したが、その契機にジョージは大きく寄与している。そして、ハーブがジョージに鞍変えした頃からザッパの音楽性はかなりカーヴを描いて単質なものに変化した。悪く言えば糸の切れた凧のようにで、たとえば『200 MOTELS』のような壮大な企画は鳴りを潜め、ロック一辺倒に傾く。ザッパはジョージと一緒にずっと演奏したかったのだと思うが、ジョージが独立してザッパから離れるのは、その熟した才能からすれば避けられないことであった。また、ザッパのバンドに参加する以前からジョージには自分のやりたい音楽があったし、黒人という意識を忘れたことはなかったはずだ。70年代半ばのジョージのアルバムを見ると、ザッパのアルバムに参加したほとんどのメンバーが顔を出す一方、それとともにザッパとは無縁のミュージシャンも多く見出せる。その点において、ジョージの人脈の広さを思わないわけにはいかないが、ギタリストはマイケル・センベロといった腕のよいスタジオ・ミュージシャンを雇ったりして済ます傍ら、ベースを重視し、そこにザッパとは演奏したことのないスタンリー・クラークを起用する。その後スタンリーとはかつてビリー・コブハムと一緒にやったようにプロジェクトを組み、来日公演を果たしながら、アルバムを3枚も出し、黒人のアイデンティティを大きく主張したように思える。軽快なリズムとヴォーカルによるファンク・アルバムを矢継ぎ早に出すのもそうしたことが理由にあったのだろう。アース・ウィンド・アンド・ファイアという大きな存在からすれば、ジョージのその手の音楽はどこか底が浅い感じもあるが、それはそれで個性でもあって、とにかくジョージは長らく独創を貫き、毎年アルバムを出し続けた。それはザッパのバンドに在籍した数多いメンバーでは筆頭に挙げるべきで、ザッパ後半期のスティーヴ・ヴァイと双璧を成している。
キーボード奏者のジョージは子どもの頃から音楽を学び、まずジャズに進んだ。その後ザッパと出会ってロックに開眼するが、筆者が最も好む、そして最もよく出来たアルバムと思うのは77年の『FROM ME TO YOU』だ。このアルバムはまだCD化されていないと思うが、その理由は知らない。全10曲はどれもよく出来ているうえ、曲順が巧みでビートルズの『アビー・ロード』のような貫祿がある。誤解を招かないように言っておくが、同作のような音をしているのではなく、アルバムが全体として充実度が高く、ジョージのアルバムでは曲順を含めてそのことが筆頭に挙げられるという意味だ。後のファンク・アルバムではそうした構成はもっと高められるが、残念なことに、曲が単一の色合い、つまりファンク色に染まるため、アルバム全体として脹らみや多彩さに欠ける。その多彩さは、当然彼がそれまでに出会って来た音楽によって培われたものだが、ザッパの影響は『FROM ME TO YOU』の随所に紛れもなく表われていながら、それが全く剽窃とは感じさせず、むしろ逆にザッパが本来ジョージが持っていたそうした素質に学んだのではないかとさえ思わせられる。それはマイク・ケネリーがザッパ風の曲をやるのとは大きく違う点で、ここにはジョージとマイクの年令差や基盤とする音楽の差とは違う、もっと本質的な創作家としての資質の違いがある気もする。今はそれ以上深入りして書くことはしないが、ジョージが背景に持つ音楽性は、70年代半ばの時点において非常に多様かつ質が高かったとだけ言っておく。それはひとつには、ジョージが鍵盤楽器奏者であったことに起因するかもしれない。ザッパの晩期の作曲はシンクラヴィアを使用してであったが、同じことをジョージはもっと早い段階で実行した。この意味は小さくない。ザッパはジョージ以降、何人かのキーボード奏者を雇うが、常にギターの添え物として扱い、また彼らはリーダー・アルバムを作るほどの才能も根性もなかった。そのためにジョージのいなくなったザッパは自分のギターをますます押し出し、それをツアーの大きな演目にした。それはそれでギター・アルバムを生むなど、ファンにとっては喜ばしいことであったが、ではなぜ鍵盤楽器のシンクラヴィアを導入したかだ。そこには総合的な、交響曲的な音を望む姿勢があったが、それはジョージの在籍時代にジョージの存在によって賄われたふしがある。あるいはジョージでなければイアン・アンダーウッドがその代わりをしたが、アルバム『HOT RATS』におけるイアンの活躍ぶりは、まさにひとりで管弦楽団を演奏しているも同然であった。そしてそのことはシンセサイザーからシンクラヴィアにつながる総合楽器が代替出来ると言ってよく、ザッパの晩期のシンクラヴィア音楽は、実は60年代にすでにザッパの脳裏には芽生えていた。そして、そこにジョージを重ねると、ザッパとは別にそうした総合的音楽を見つめ、また演奏もしていたことに気づ
く。

ジョージの76年録音のアルバムに『THE DREAM』がある。ドイツのMPSレーベルで、日本盤はテイチクから出たが、CD化されたかどうかは知らない。このアルバムは全体に音が暗く沈んだ印象がある。ザッパと別れた直後のアルバムであるため、何か深読みしたくなるが、ジョージの当時の個人的な心境はわからない。このアルバムの特徴は、全曲をジョージひとりが録音したことだ。それは珍しいことではないが、ジョージにとっては唯一の作だ。そしてひとりで録音したにもかかわらず、曲は起伏に富み、ジョージが歌を初め、どんな楽器でも演奏出来たことをよく示す。このアルバムの中に「TZINA」という長さ6分間のインストゥルメンタル曲がある。シンセサイザーを主に使った静かな曲だが、オペラ用に書いた曲らしい。76年のアルバム『LIBERATED FANTASY』には、同じタイトルで「第2幕第2場」と題する曲が収録されるが、当時同オペラの全曲の発表はなかった。ジョージが独自にオペラを想定して作曲したものかもしれないが、そうだとしてもジョージの好みがよくわかる。「TZINA」は叙情的なメロディだが、甘ったるい感じはない。むしろザッパの後のシンクラヴィア曲の先駆にも思えるほどに現代音楽的だ。こうした曲を、そしてこうした録音を70年代半ばにジョージがなしていたことはもっと注目すべきだ。ジョージはその後のファンク・アルバムによって評価される嫌いがあるが、筆者はそれ以前のこうした曲に豊穰な才能の片鱗を見る。だが、それが充分開花したとは言い難い。それはなぜだろう。「TZINA」1曲を展開すれば、充分にアルバム2、3作を生めたはずだが、ジョージはいとも簡単に同曲を扱って、その後同様の曲をほとんど作らなかった。金にならなかったためか。それもあるだろう。あるいは黒人ということに目覚めて、もっと直截な音を欲したことも理由か。それとも本来陽気な性質もあって、文句なく楽しいという音楽を提供することに決め、やや難解な曲、そして静かな曲は他人に任せようとしたのか。「TZINA」は『THE DREAM』自体が地味なアルバムのため、ほとんど誰も注目しないに違いないが、同曲の路線はその前後のアルバムにごくわずかに見受けられるが、そうした曲のひとつに「SEASONS」がある。同じように筆者が好きなのは、先に書いたボトムラインで演奏されもした「GIANT CHILD WITHIN US-EGO」という曲だ。「誰にも潜む大きな子ども-エゴ」というタイトルがなかなかよく、これは誰のことを思って書いた曲かと推察したくなる。75年のアルバム『I LOVE THE BLUES』に収録され、6分半の長さがあるが、主題は前半のみで、後半はそれとはほとんど関係のない即興演奏になる。この主題がとてもよい。それはザッパから学んだものではない。ジョージは一体どこからこうしたメロディを生み出したのだろう。今ふと思い出したのは、ザッパがジャン・リュック・ポンティと共演した「CANARD DU JOUR」のある部分に近いかもしれない。同曲はポンティがクラシック音楽から導いたメロディや雰囲気が中心を占めるもので、たとえばエネスコのヴァイオリン・ソナタは大きなヒントになっているだろう。ジョージもおそらくそうしたクラシック音楽から着想を得ている。あるいはジャズから学んだかだ。
『FROM ME TO YOU』はビートルズの曲名のぱくりだが、このアルバムはやはりビートルズっぽいポップさが特徴的で、ジョージは他に同じような雰囲気のアルバムを作らなかった。ビートルズが77年まで活動を続ければ、おそらく新しい黒人音楽を取り入れてこうした音を作ったのではないかと思わせられる。ほとんどの曲でジョージは歌っているが、ジョージが歌の才能を開花させたのはザッパのおかげで、「INCA ROADS」で歌ってからだ。裏声を主に使うが、地声で歌っても貫祿がある。ヴォーカルは楽器の演奏より目立つもので、特徴的な声を持つことは大きな財産だが、ジョージはやや素人っぽいながら、自作ではよく歌う。その様子はこれまたマイク・ケネリーに比べると、プロとしてはより優れている気がする。ザッパはジョージ以降に必ず黒人ヴォーカリストを起用したが、そこには厚みのある声を求めた姿勢がよく感じられる。さて「SEASONS」は、同アルバム中では3曲あるインストゥルメンタルのひとつで、別段取り立てて秀作と言えるものでもない。ほとんど記憶に残らないほどの小品だ。にもかかわらず、筆者はこの曲を最初に聴いた30年ほど前からずっと懐かしさのようなものを感じて気に入っている。季節の変わり目に聴くのが特によく、小さな秋が見え始めた昨今ではなおさらだ。思索的な思いにさせることはクラシック音楽に特徴的なものだが、それが本曲にはある。筆者が好むのはそうしたジョージの内面性の吐露が感じられるからだ。ファンク音楽ではそれが一気に消し飛ぶ。スタンリー・クラークのベースとマイク・センベロの特徴あるギターの音が大きな存在を占め、ジョージの影はうすいようだが、冒頭の短い主題が何度も繰り返される様子は印象的で、作曲能力の高さをよく示している。そのザッパにはないセンスはジョージのオリジナリティを如実に伝え、アルバムの他の曲と見事に調和していることに感嘆する。ザッパはこのアルバムをどう聴いたことであろう。77年以降、ふたりの関係はますます遠のき、もはや交わることはなかった。「SEASONS」をあえて分類すれば、「TZINA」や「GIANT CHILD WITHIN US-EGO」の延長上に位置するが、アップ・テンポで活力がいかにもみなぎるのは当時のジョージの意気を伝える。こうした曲をもっと作ってほしかったが、今のジョージはまた違う境地にあり、70年代半ばの音を生み出すことはもう出来ないだろう。