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●ドゥイージルのアルバム『Go With What You Know』解説、その2
撃度がどの程度かによって名作度が決まるが、アルバムでは1曲でもそういう曲に出会えれば幸福だ。



DWEEZILの最新アルバム『GO WITH WHAT YOU KNOW』を手にして筆者が最初に聴いたのは、11曲目の「PEACHES EN REGALIA」で、これには驚いた。同アルバム全13曲のうち、ドゥイージルは父に関係する曲として同曲と「ALL ROADS LEAD TO INCA」を採り上げた。そして、ジャケット見開きの曲目データ記載において、これら2曲のみに対して短い解説を書いている。つまり、同アルバムでの最重要曲は「PEACHES …」と「ALL ROADS …」と見てよいし、実際アルバムを通して聴くと、この2曲が最も特徴的で際立っている。これはドゥイージルの才能が父に及ばないことを示すと言えそうだが、そう断言しては息子の浮かぶ瀬がない。ザッパ・ファンからすれば「PEACHES …」と「ALL ROADS …」があまりに異質であるため、他のドゥイージル曲とは宇宙感覚が違うだけであって、ドゥイージル曲はそれなりにまとまって父とは別の個性を表わしているから、ドゥイージルにすれば自分が持っているものの中に父的要素を取り込んでみましたということなのだろう。そして「PEACHES …」と「ALL ROADS …」の2曲を収録したのは、息子が父親にまともに対峙し始めたことの宣言で、ZPZの始動以外に、父の遺した録音が今後どのような形で改変され得るかの、ザッパ・ファンにとっては非常に興味ある問題を提起している。ZPZはツアー・バンドが本来の目的であるから、それを始めるに当たって、ドゥイージルは父のギター奏法をまず習得する必要があった。その途上での収穫が「ALL ROADS …」で、タイトルが『すべての道はローマに続く』のひねりである一方、『ローマは1日にしてならず』を想起させて、ドゥイージルの覚悟が伝わるが、父のギター奏法を研究することは父の曲の分析であって、それはもうひとつの形として立ち現われる。父が遺した多重録音のうち、ギター・ソロを中心として、各パートをも聴くという立場で、その態度からは多重録音の各トラックを別の録音で置き換えるという考えが自然と導かれる。そのことがZPZのツアーでは、父が演奏する画面に合わせてドゥイージルがギターを演奏するという演出となり、また『GO WITH WHAT …』の「PEACHES …」という形にもなった。ドゥイージルはかつて父の曲をカヴァーしてアルバムに収めたことがあったから、この動きは当然予想されたが、父の録音テープそのものに手をつけるという新たな段階に入ったのは特筆に値する。
●ドゥイージルのアルバム『Go With What You Know』解説、その2_d0053294_10522910.jpg

 ザッパが「PEACHES …」を録音したのは1969年夏のことで、『HOT RATS』の冒頭に収録される。アルバムには生まれたばかりの息子ドゥイージルへの献辞が書かれている。それを長じて知ったドゥイージルは、同曲に特別の愛着を抱いた。同曲は多重録音によった曲で、オーケストレーションに大きな聴きどころがある。つまり、ジャズやロック調ではあるが、多くの楽器を使用する点では管弦楽曲と言ってよい。また、『HOT RATS』を収録するに当たって、ザッパは音大出のイアン・アンアダーウッドを片腕として起用したが、これはザッパが演奏したギター・ソロに合わせて後から管楽器や鍵盤楽器を多重録音で重ねる作業に必要で、同じことを当時のザッパは頻繁に行なっていた。ドゥイージルが同曲をどうリニューアル出来るかを考え、父の助手となったイアンの立場になろうとしたのはよく理解出来る。今の自分ならばそれが出来るとの思いだ。そうして注意深くイアンが録音したパートをすべて音色を変えたギターで多重録音し直した。父のギターは残し、それにユニゾンで自分の演奏を重ねるというのは、父と息子の理想的な共演だ。そうして出来上がったのがドゥイージルの「PEACHES …」で、それを収める『GO WITH WHAT …』をドゥイージルは自分の娘に献呈した。そうした連鎖を思えば、いかに「PEACHES …」が重要曲であるかがわかる。さて、ザッパの「PEACHES …」が実際はシュガーケイン・ハリスのヴァイオリン・ソロを含む演奏であったことは知られるが、ドゥイージルが改作録音したのは、『HOT RATS』収録ヴァージョンで、フェイドアウトする箇所がそうされずに収録されたり、また曲の前後に新たなパートを加えるなど、トラックの一部を録音し直す以外に装いが新たにされた。そこには今後ハリスのヴァイオリン・ソロを含むヴァージョンの発表や、あるいはザッパがかつてインタヴューで語ったように、存在するかもしれない『HOT RATS』収録ヴァージョンのギター・ソロをザッパ自身が録音し直したヴァージョンの発表が予想もされる。そして、「PEACHES …」だけではなく、ドゥイージルがZPZツアー以外に、スタジオにこもってせっせと父の録音に手を加えた曲を発表する可能性をも感じさせる。思い返せば、筆者がそうした可能性を予想したのはザッパについた初めて書く以前の1980年かそれ以前のことであったが、そのことがついに実現したのが、『GO WITH WHAT …』の「PEACHES …」であった。ほとんど30年ぶりに筆者の想像が実現化したのであるから、同曲を聴いて筆者が驚いたのも当然だ。そして、実現してしまったことへの一抹のさびしさを思う。

●2003年3月12日(水)夜 その1
●ドゥイージルのアルバム『Go With What You Know』解説、その2_d0053294_10513478.jpgドイツ文化センターには行かなかった。『母』という140分ほどの映画だが、明日の最終日に同じ女優が名演技を見せる『肝っ玉おっ母』をやるので、そっちを観れば充分かと判断した。それに今日は足の筋肉が張っている。税務署にはようやく行って来た。去年は2月初めに行ったが、今年はとにかく振袖を完成させるのが先で、支出の集計をする時間が見つからなかった。ワープロに毎月の経費を打ち込むのだが、収入が年に数回であるから、計算はもっぱら細々とした支出が中心となる。パソコンがあるのだから、それで帳簿をつければいいと友人は言うが、エクセルの使い方がまだわからない。それで一昨日は毎月の出納表をワープロで打ち出す時、インク・リボンを必要としない感熱用紙がB5しかないことに気がついた。毎年使用しているA4を買いに走るのは面倒で、B5を糊で貼り合わせてA4にした。こういう作業は慣れている。『大論』はまず紙に鉛筆で下書きをすると以前に書いたが、その用紙は反故になったものを切り貼りしてB5にする。B5の感熱紙をA4に改造する前に、インク・リボンが何個かあったことを思い出して、それをセットして普通紙に印刷しようとすると、どれもタイプが異なって合わなかった。それで次に考えたのは、ワープロのフロッピーをMS-DOSに変換して、パソコンで印刷することであった。そうしてみたところ、罫線が破線になったり、しかも表の各段がずれて、まるで出鱈目な数字の羅列が印刷された。それでようやく用紙改造をして、ワープロで印刷することに決めた。その印刷ができないと年間の集計ができず、つまり税務署への申告用紙に記入できないので、いらいらしながらの作業であった。筆者のような小さな商いでも税務署へ申告するための集計は1日では無理であるから、平均的な中小の自営業者は税理士を雇わなくては到底記入し切れない。さて、税務署では申告の締切日が残り数日であるため、たくさんの人が列をなしていた。控えの用紙に受領印を押してもらってすぐに返されるので、ものの10秒で用事は済むが、これが修正申告やあるいは疑問点を質問しようものなら、別の部屋に通されて特別の応対にたっぷり時間がかかる。これは去年の日記に書いたはずだが、去年は源泉徴収されていた分が戻って来るのにそれを書かなくて、一旦納めた用紙の修正を求めることにした。すると数万円が還付されたが、あちこちの欄を書き直されて、結局国民健康保健やら他の税などが一気に増加し、それらの合計が数万の倍以上になったから、かえって損をしたも同然だった。さきほど友人にメールを送ると、年収が去年より200万円多く、それに対する所得税の増加が40万と書いて返事をよこした。年収が筆者とは1桁多い、つまり10倍なのだが、収入がたくさんあればあったでまた遣い道も増えてやりくりが大変なようだ。それに人を雇わずにひとりでそれだけ稼ぐには、当然仕事に縛られる時間も多く、ストレスも溜まる。筆者の仕事は好きこそであり、遊び同然とも言える。ただし真剣な遊びであって、怠惰に寝転ぶとのとは違う。ストレスもおそらく溜まるが、その種類が友人とは違うと思う。ところで、税務署は去年ノーベル賞受賞で一躍有名になった田中耕一氏が勤務する島津製作所の真向かいにある。田中氏はサラリーマンだが、ノーベル賞のおかげで別の収入がいろいろとあったろうし、それは自分で申告せねばならないから、それをきっと同じ税務署で行なったであろう。その時は署の人々も騒いだろうかなどとそんなことを思いながら、去年と同じ道を歩いて署まで行った。途中に小学校があり、運動場が見えるのだが、通りとの際に柳などの木が1メートル置きに植わっていて、剪定が無茶苦茶なこともあってか、ほとんどが枯れている。にもかかわらず、あるいはであるからこそと言うべきか、それら1本ずつの幹がみな変わった表情をしていて、そのまま描いても表現主義的ないし象徴主義的な面白い絵になるだろう。時間があればいつかこれらの幹を全部克明に写生して、六曲一双の染色屏風にするのもいいなと思うが、たちまちそのことを忘れて、また1年後にそこを通りがかって同じことを思う。もうそんな繰り返しで10年ほど過ぎた。今また急に思い出したことがある。これは8年前のことで、四捨五入すれば同じ10年だ。昨夜楠葉のことを少し書いた。8年前にある人の紹介で枚方の楠葉の小さな画廊で個展を開いた。その画廊を最初に所有したのは高校の国語の先生をしていたある女性Kで、定年退職後に趣味を兼ねてのことであった。Kは絵も描き詩の同人誌も出すなど、悠々自適に暮らしていたが、画廊の権利を別の女性Sに譲った。筆者がそこで個展を開いた時はSの権利の下でのことであったが、初日にはKもやって来て面識が出来た。とはいえ会ったのはその時の1回限りだ。Sは今も画廊を切り盛りしていて、つい先日の2月末、8年ぶりに訪れた。通りも店も何も変わっていなかった。京阪の楠葉駅前には40何階かの細長いマンションが建設中で、周囲に同じような高いビルが全くないため、あまりにも目立ち、異様な空気を発していた。その日楠葉に行ったのはSに会うのが目的ではなく、Sの画廊で個展を開くように紹介してくれた男性Yに会うためであった。60代半ばのYはキモノの白生地を長年販売していたが、昔のように売れなくなった頃、つまり10数年前のことだが、京都の友禅作家の家を訪れて反物を直接販売をするようになった。それでもそんな小さな商売も続かないほどに不況が深刻化し、また身体の不調も加わって、ついに7、8年前に廃業した。何もしないでも食べて行けるだけの蓄えや年金などがあるのだと想像するが、廃業してからも筆者の家にはたまに話をしにやって来る。とはいえこの1年ほどは会っていなかった。友禅作家の消息や業界の動向には詳しく、筆者はよくさまざまなことを教えてもらった。屏風作品を買ってもらったこともある。筆者の他にも染色作家の作品を少なからず買っており、反物を作家に売っても、その利益以上の分がそうした作品購入に化けているに違いない。これはなかなかできないことだ。絵など買わずにゴルフか飲むか競馬に費やすというのが世間の相場だろう。去年だったか、大橋巨橋がTVに出て、最近ようやく美術館に行って絵を観る楽しみというものがこの世にはあることを知ったと言っていたが、全くアホらしい話だ。日本のTVタレントの文化教養レヴェルがよくわかる。その楽しみを筆者は14歳で知っていた。
by uuuzen | 2008-08-23 10:52 | 〇嵐山だより+ザッパ新譜
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