画家の応挙は自分ほどに練習する者は誰でも自分のような絵が描けると言ったが、誰にも負けないほどに練習するということの意味が重視されないことがある。
昔、筆者に「自分に家族を半年間だけ養えるお金をもらえるなら、その間にゴルフの練習を重ねて尾崎と同じほどの才能を身につけて見せる」と言った男がいた。つまり、自分が尾崎ほどの有名人になれないのは、お金がないからで、そのために充分に練習出来ないと言うのだ。これは『自分は天才だが、それが発揮されないのは経済的に恵まれない、世の中のせいだ』とする激しい自惚れと甘えそのものだが、同じように考える人はきっと多い。そして、そういう人に限って努力を格好悪いと考える、単なる「格好つけ」に過ぎない。だが、そういう口先男が女に持てるというのが現実で、人間世界はそんな愚かな人物を主体に動いている。一昨日北京オリンピックで、北京の陸上選手が土壇場になって走るのをやめた。すぐにネット上に非難が集中した。それはほとんどが経済的成功者への妬みによるもので、そこには人の何十倍もの努力をして頂点に昇った人物を賞賛したいというより、自分ももし同じように恵まれた地位にあれば同じ記録を作ることなど簡単に出来るという思い上がりがある。これは、TVで有名になって豪邸に住むといった芸能人が跋扈する今の日本でもきっと同じはずで、何かちょっとした幸運によって有名で大金持ちになれるという幻想がばら撒かれ続け、その陰でこつこつと努力することの意味が限りなく過小評価されて行く。それが格好悪いことに見えるのは、努力の積み重ねで天才的技術を発揮出来るとすれば、自分もいつでも同じ努力によってそうなれると、天才的技術を自己の卑小さに引き寄せるからだ。つまり、『なんだ、そうか、では自分もいつでも有名人になれるのか』というわけだ。天才的な仕事をなす人は、生涯働かなくても資産があるとか、あるいはどこかの機関から経済的保証があるとは限らない。家族があれば、それをどう養うかの格闘の中で、いかに才能を伸ばす努力を積み重ねるかの立場にあるのがほとんどだ。『家族を養えないので定職に就き、本来の希望は断念しました』というのは、才能の有無以前にもうその時点で脱落している。家族をどう食わせる、自分がどう食って行くかなど、他人からすればどうでもいい問題だ。そんなことは自分でどうにか処理したうえで作品づくりを続けるということの中で、ごく希に成功者が出る。しかもその中からさらにごく少数が歴史に残るかもしれないほどの作品を生む。それはそういうこととは無縁の人からすれば狂気の生き方に見える。だが、応挙が言う誰よりも努力すると豪語することは狂気そのものであって、そういう狂気を狂気とも思わず、表面的にはやすやすとやれる人物こそが天才ということだ。
この誰よりも努力するということがなかなか凡人にはわからない。凡人とは人並みに努力する人であって、それ以上の存在を思い描くことは出来ない。そのためそれが狂気に見える。そういう凡人には狂気の実体はわからないから、結局凡人には天才がわからず、天才の作った作品も誤解するか、意味を十全に把握出来ない。そこでザッパの話になると、ザッパもまた誰よりもギター演奏を練習したのであって、そのギター・ソロは天才の領域に属するものだ。これをそうした努力をせずして自惚れる人物にわかるとするのが本来間違いであろう。だが、ザッパはレコードをたくさん売って、あるいはステージに多くの人が来てくれることで経済問題を解決する必要があったから、自己の努力の跡をそうとは見せない方法を採る必要に迫られた。それを主に笑える歌詞や単純なダンス音楽のビートに託したが、その一種の不純性をザッパは娯楽と称して割り切り、なおかつその一方でシリアスな音楽を考えてもいた。ザッパの本質を知るにはその側面は無視出来ない。シリアスな音楽を楽譜に書き、交響楽団に演奏してもらうには、多大なお金が必要だが、それを実行するのは狂気そのものと言ってよい。つまり、ザッパは狂気の人であった。これは凡人から見ての話で、狂気に徹することの出来るごく一部の人からすれば、自分たちを狂気と言う平凡な人こそが狂気に見える。いや、これは筆者の意見ではなく、ザッパが言ったことだ。ともかく、優れた仕事は人並みにやっていたのでは成就出来ない。それは狂気と言われるほどの練習、努力の産物だ。作品が本当に輝いて見えるのは、そうした努力が背後にまずあって、そこにそうした努力を続ける者だけが遭遇出来る幸福な作品誕生の契機のようなものが重なる時だ。すなわち、いずれにしても基本は練習の積み重ねだ。そして、いつの時代でもそれに挑んで成功を勝ち取るにはごくごく一部の人だ。そして、何事もそうした努力に応じて見えて来るもの、およびその度合いの差がある。誰でも自分にとって必要なものは独力で遭遇して行くと筆者が言うのはそこだ。身の丈に合ったものしか人には見えない。全くあまりまえのことだが、努力をしない人には努力をしない分しか物事は見えない。クラシック音楽に全く今まで関心のなかった人が、1年や2年でそれを知ろうと考えるのは、結局その侮り程度にしか把握出来ない。ザッパの人気が小さいとしても、それは当然の気がする。今後古典として輝くには、それで充分ではないか。
※
●2003年3月11日(火)深夜 その1深夜は深夜でももう1時を回っている。少しだけ書こう。今日は税務署に行く時間がなかった。振袖の下に着る襦袢を仕立て屋に持参したからだ。この仕立て屋のおばさんはもう何年もお世話になっているが、電話で話をするのみで、実際に会ったことはなかった。それで昨夜襦袢を仕立てに出す段取りができて、本来ならそれを郵送するのだが、届くのに1日かかる。その1日が大きい。何しろ19日に着るのであるから、1日でも早く仕立てて九州まで発送しなければならない。それで昨夜、持参することに決めて、住所を頼りにインターネットで地図を出し、2枚印刷した。場所は京都ではあるが、行ったことのない久御山町で、最寄りの駅から4、5キロはある。そのあたりは宇治市や八幡市、それに京都の伏見区が入り組んだ地域で、まだまだ田畑ばかりが目立つ地域だ。近鉄電車ではおぐら駅で下車して西に一直線に行ったところにあるが、タクシーに乗るのも贅沢であるし、5キロ程度は平気とばかりに歩いた。ところが小雪がちらほらと降り、殺風景な荒れた平原を大型トラックの頻繁な通行に脅されながらで、山頭火の「まっすぐな道でさびしい」の句そのものであった。歩道際の枯れて白くなった芦は、同じ方向から吹く風が強いためか、みな同じ方向を向いていた。それがなかなか形がよく、榊原紫峰の芦の中を白鷺が飛ぶ屏風を思い出した。天気がよく、時間が許せば写生したかったが、とにかくまず生地を届けなくてはならないから、立ち止まらずに競歩並みモードのまま歩いた。いや、一度だけ立ち止まった。それは用水路の向こう岸に1本の大きな枯れ木があって、その枝が初めて見るような面白い形をしていたからだ。どの枝もねじり飴のようにくねくねとねじれている。エンジュの木がそんな形の枝をしていたと思うが、その木を見て今度は村上華岳の山を描く絵を思い出した。墨の線が同じようにくねくねしている。約5キロの道を40分で歩いたが、もうそろそろ近くまで来たはずだと思って、近くで公衆電話を探したところ、これがなかなか見つからない。そもそも人家が少ないのでなおさらだ。遠くに数年前に複合映画館を併設して話題になったジャスコが見えるので、そこまで行ってやろうと決めたところ、前から自転車に乗った太ったおばさんがやって来た。電話のある場所を訊ねると、「ジャスコまで行けばあるでしょうけれど、遠いですよ。それよりそこの弁当屋で電話を借りれば?」と言う。それもそうだと思って中に入って愛想のよい主人に事情を話し、次に電話を借りた。どうやらバス停をひとつ分よけいに来過ぎたようであった。おぐら駅から一直線に西に向かって歩いている途中、小さな民営バスが追い越して行ったが、やがて通りかかったバス停で時刻表を見ると、3時間に1本ほどしか走っていない様子であった。それほど人口が少ない地域なのだろう。「あの、青い色のレコード袋に青のコートを着ていますので」「先生、まっすぐに戻って歩いて来て下さい。わたしはそっちに向かってこれから家を出ますので」。電話の5分後には会えた。仕立て屋のこのおばさんは以前は枚方の楠葉に住んでいたらしいが、旦那さんがコックで、新しく店を持つために久御山に越したらしい。ところがその旦那さんは去年病死して、今はひとり暮らしだ。キモノの仕立て仕事はお母さんから学んだという。「娘の結婚式に着る振袖をせめて豪華なものにしてやりたいと、わたしの古いキモノの裏地を利用して比翼仕立てにしたのです。赤い縮緬のいい生地だったので、全然たいした振袖ではなかったのが、その比翼のおかげで豪華になりました。先生のこのお振袖も比翼にすればもっともっと豪華になりますよ」「そうですね。一旦着用した後、先方の意向を聞いてからでも比翼を縫いつけることはできますね」「ええ、もちろん」。そんな風に話が進んで、仕立て上がった振袖を手わたされながら、頭の中ではもうその比翼の地色を考えていた。19日の卒業式でとりあえずこのまま着用してもらい、それから返送してもらってまた新たに染めた比翼用の生地と一緒に仕立て屋に送って、それを縫いつけてもらわねばならない。比翼のために新たに生地が1反必要で、染めるめにまた日数がかかるが、とことん豪華にするためにはそれもいい。この比翼とは本物のキモノの形をしておらず、あたかももうひとつのそれを重ねて着ているように見せかけるために取りつける別布で、襟回りや袖の振り口などのほんの少しの部分にちらりと覗く。そのほんのわずかに見えるところが色気の効果としても絶大で、キモノの美とはそんなところに強くある。振袖は表の生地だけで16メートル必要だが、裏地の八掛けを表と同じ生地を使用するため、12メートルの反物をふたつ要する。そこにさらに別布で比翼の1反、そして胴裏用の羽二重地、さらに下着の襦袢にまた16メートルの表生地が必要で、当然それにも裏地をつける。これらを合わせると4、5kgにはなろう。随分と重量がある。さて、楠葉にはつい先日、2月末に久々に訪れてある人と話をしたばかりだが、以前には個展も開いたことがある。この楠葉は久御山より西南にたかだか4キロ程度だが、電車が通っておらず、自動車がなければ移動はできない。仕立て屋でしばし話をした後、今度はそのまままた西に向かって5キロ歩いて宇治川をわたり淀に出るつもりでいたが、電話でタクシーを呼んでくれた。運転手にさっとお金を手わたした後、「もし足りなければ、先生、出して下さい」と窓越しに聞こえたが、走りだした運転手は「いったい、いくらくれたんかね」などとひとりごとを言いながらお金を計算していた。「どこまで?」「京阪の淀の駅まで行ってください」「淀まではこれでは足りんなあ」。結局1600円かかったが、やはり歩いた方がよかった。というのも道は予想したほど殺風景ではなく、宇治川をわたる橋の歩道も整っており、橋の上から遠くを写生するのも面白そうであったし、小雪も上がって青空が見えていたからだ。駅のすぐ近くまで来たところで下ろしてもらった。400円ほど追加で払った。運転手に郵便局の場所を訊ねると、かなり戻ったところと言う。それならもっと早く下りていればよけいな運賃を支払わずに済んだが、仕方がない。