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●『ジェシー・ジェームズの暗殺』
病と卑怯は意味が違うが、英語のcowardはどちらの意味にも使われる。「ジェシー・ジェームズの暗殺」は、ジェシー・ジェームズが暗殺したのか、暗殺されたのか、曖昧な表現だが、映画は後者の意味で使っている。



●『ジェシー・ジェームズの暗殺』_d0053294_17593011.jpg原題「The assassination of Jesse James by The coward Robert Ford」(卑怯なロバート・フォードによるジェシー・ジェームズの暗殺)からは、それがよくわかる。なぜこのような長いタイトルになったかだが、ジェシーとロバート(ボブ)の関係を描く原作の歴史小説がそうなっていたためだ。ジェシー・ジェームズの名前はアメリカの時代劇、つまりカウ・ボーイ映画をよく知っている人は別として、日本ではあまり有名ではないだろう。この映画の中で、ジェシー・ジェームズの名前はマーク・トウェインの次にアメリカ南部では有名だというセリフがあったが、なぜそんなに有名なのかは、卑怯者のボブによって殺され、彼がその後ジェシーを殺したことを宣伝して金儲けするなど、ジェシーの伝説化に大きく貢献したからだ。もし、ジェシーが悪党から足を洗い、名前を変えるなどして田舎で目立たずに暮らして生涯をまっとうしていれば、その名前はマーク・トウェインに次ぐほどのものにはならなかったのであろう。あるいは、筆者はもどかしいが、この映画がジェシーとボブの関係に焦点を当て、ふたりの死までを描きはしても、ふたりがなぜ悪党になったか、また当初のその行動の説明が全くなされないので、ジェシーがなぜ有名なのかがよくわからない。そこはネット時代、簡単にジェシーについて調べることが出来る。それによると、ジェシーは日本で言えば鼠小僧的な義侠心があったようで、南北戦争時代は南部側のゲリラ兵として活動し、戦争後に銀行強盗や列車強盗をするが、決して南部の人間からは奪わなかったとかで、南部の人々には人気があったらしい。どこまで本当かわからないが、法律を無視するアウトロー(outlaw)であることは確かで、南北戦争後あるいは現代の感覚からすれば、単なる人殺し、悪党ということになる。この映画は、証言など、わかっている事実をもとにして、小道具や風景、家屋、町並みなど、限りなく当時の雰囲気を再現して撮影しており、フィルムをまるでピン・ホール・カメラの映像のようにぼかし、またセピア色気味にするなど、近年の映画にありがちな画像加工がはなはだしいが、その凝った映像表現は見応えがあって、200数十年前のアメリカ南部の空気がよく感じられた。上映は2時間40分という異例の長さで、途中でかなり長いといささかあくびが出かかったが、それだけの時間を費やしながら、各シーンを凝縮した形で見せているので、本当はもっと長い時間が必要であったと思える。
 先月13日、いつものように前知識なく、祇園会館の2本立てのひとつとして見た。ブラッド・ピット主演だが、ロバート・レッドフォードの再来と言われて華々しく登場した彼の映画は、今まで何を見たのか記憶にない。最近アンジェリーナ・ジョリーとの間に双子の娘を得て、その撮影料が10億円ほどだったか、とにかくびっくりするような金額が話題になった。金儲けが過ぎるかと思えば、それをどこかの施設かに全額寄付したというから、日本の俳優とはかなり桁が違う。彼はこの映画の原作を読んで、自分の会社で、しかも自分が主役を演じることを決めたが、ボブ役を誰にさせるかは苦労したのではないだろうか。ジェシーやボブの肖像写真は残されている。こうした史実に忠実であろうとする映画ではどうしても俳優を現実の人物とどれほど似ているか否かを考えてしまうが、本物のジェシーはブラッドとは違って、もっと細表の美男子で、画家か小説家のような風貌がある。一方のボブは、まだ子どものような顔をした、それなりに美男に写る写真が伝わる。それは20歳の時にジェシーを背後からピストルで殺した後の撮影のはずで、幼い印象があるのは当然だろう。だが、どこかこまっしゃくれて、大阪弁で言えば「格好つけ」の感じ、そしてずる賢い印象が滲み出ている。それはボブがどういうことをしたかをよく知って見た先入観と言われるかもしれないが、たった1枚の写真でも当人のありのままの心を写し出す場合はあるもので、ボブの写真からは、明らかに悪党らしい臭いが漂っている。その難しいボブ役をケイシー・アフレックが演ずるが、筆者は違和感を覚えた。ボブの肖像写真から感じられる雰囲気とはあまりにかけ離れていて、ケイシーは「臆病」な面をよく演じてはいても、「卑怯」な面は引き出していなかった。それを演ずるには、もっと表情に癖のある、チンピラ役を演じさせれば逸品といった俳優でなければならない。ケイシーはその面では全く力量不足で、学校の先生か神父を演ずるとちょうどよい甘い顔をしている。ブラッド・ピットはこの映画での演技でアカデミーの主演男優賞を受賞したが、寡黙なジェシーを演ずるとなると、彼でなくてもよかった気がする。なぜブラッドがこの映画に力を入れたかだが、オクラホマ生まれで、南部に愛着があり、その自然を映し出すことに関心があったからではないだろうか。もしニューヨーク生まれであったとすれば、おそらくこの映画のプロデュースすることはなかったと思う。ジェシーとボブとの心理的戦いがこの映画の見所と言われるが、それはボブの方の態度から説明され、ジェシーは内面を全く見せないロボットのような不気味さとして動く。映画の中盤はこのふたりの関係をいささか長ったらしく描くので、緊張を強いられながらもやや退屈な感があって、二度同じ映画を見る気にはならない。これは映画としては失格かもしれないが、見た後に何か長く残るものがある。それは煮詰めればアメリカ南部の平原に吹く風といったものかもしれない。そして、開拓時代に荒らくれ者がたくさんいて、法律を無視して簡単に人殺しをする風潮があったという事実を改めて知り、現在のアメリカが銃社会から脱し得ない理由もわかる気がする。また、ジェシーは奥さんや小さな子どもがいる家の中で殺されるが、その後それら家族がどう暮らしたのか、そのことも気になった。
 この映画はやはりジェシーについては前知識のあるアメリカ人向きで、それがないままに見ると、わかりにくい場面がいくつもある。映画はジェシーが名前を変えて各地を転々とするところから始まるが、それを語るのは確かジェシーの息子であった。つまり、映画はジェシーの息子の回想録かなと思っていると、それっきりで、長じた息子はその後登場せず、ジェシーが殺された時も子どものままで、しかも父親の死を見る場面も描かれない。ボブの登場は、ジェシーが兄や従兄弟などと一緒に夜に列車を襲おうとしている日の昼頃のことだ。この時、すでにボブの兄チャーリーはジェシー仲間に入っていたが、ボブ兄弟もまた元来悪党仲間としてあちこちで事件を起こしていたのかどうか、そのところは映画を見る者にはわからない。だが、ボブがジェシーを英雄に仕立てた漫画や小説などを盛んに集め、自分もそういう生き方をしたいと思っていた事実はしっかりと描かれる。実際にジェシーに初めて出会ったのは1880年、当時ジェシーは33、ボブは18歳であったが、その後ボブはジェシー一味がミズリー州の山奥で列車強盗を企てている現場に赴き、懇願した挙げ句、仲間に加えてもらい、その日の夜に初めて一緒に仕事をする。それが81年9月のことだ。映画は事件が起きた季節に忠実にロケをしたはずで、アメリカ南部の自然が昔のカウボーイ映画とは別の意味でよく表現されていた。そうした自然の味わいはNHKなど、いくらでも今は見ることが出来るが、南北戦争時代に遡った設定で、しかも事件の再現として撮影すると、見え方がまた違り、妙に自然が生々しい。ピン・ホール・カメラのようにぼかした部分が目立つにもかかわらず、映画を見る者はまるで当時のその現場にいると錯覚をする。これがこの映画の秀逸なところで、冗長感もまた当時ののんびりした空気を表現するのに必要なものと思える。もっと場面を切り詰め、テンポよく見せてほしいという意見はあろうが、そうした現代に見合った忙しい見方では、当時の空気が感じられないだろう。さて、憧れのジェシーと一緒に仕事をしたボブは、ジェシーの親類を装ってジェシー家族と暮らす。そして、列車強盗を最後にジェシーの4歳年長の兄は強盗稼業から足を洗い、離れて行くが、ジェシーは強盗稼業の仕上げとして、最後に銀行強盗を企てる。結局それが実行されないままジェシーは殺されるが、列車強盗以降、殺さるまでの間、ジェシーは次々とかつての仲間を訪れては殺す。その理由は映画を漫然と見ているとよくわからない。ジェシーには1万ドルという賞金がかけられ、ジェシーはかつての仲間が自分を売るのではないかと疑心暗疑にかられたことが一番大きな理由だろう。ここらあたりは、仲間を結成して強盗を働くとはいえ、みな一匹狼的に人を信用しない気質をよく表現しており、単なるヤクザ者の仲間割れを思えばよい。途中で仲間が色気の問題を起こすなど、いろいろ物語の進展があって、ボブはジェシー一家とは離れ、とある町で雑貨店に勤務する。ボブ兄弟はジェシーが仲間を殺していることを察し、次は自分たちの番かと恐れる。そして銀行強盗を決行するためにジェシーが真新しい銃をボブに買い与えるにもかかわらず、その銃でボブを撃つ。このシーンはボブの詳細な回想録が残っており、それを再現したのだが、部屋の中にかかる額が砂埃で汚れているのを見つけたジェシーは椅子に立ってそれを拭いている最中に、ボブとチャーリーは背後で顔を見合せながら、今しか機会がないとばかりに撃つ。ジェシーがボブ兄弟をすっかり信用して背中を見せたのは不思議な気がするが、とにかくそういうようにしてジェシーは殺された。1882年4月のことだ。
 映画はその後、ボブの生涯に移る。これはこれでひとつの独立した物語だ。そのため、この映画はジェシーとボブのふたり分の死を描いた結果、2時間40分にもなったと言うことが出来る。ボブがジェシーに接近したのは、有名人に憧れたからだ。この点は現代にも通ずる人間性であって、ブラッド・ピットにはそういう読みもあったろう。有名人に憧れた人物が、ようやく有名人に会い、そして一緒に仕事するようになり、やがて自分が有名人になろうとする。これは今でもよくある話で、形を変えてアメリカは映画にして来た。その典型がジェシーとボブの関係であった。人を殺した悪党を殺して有名になることのどこが悪いという思いがボブにはあったかもしれない。また1万ドルという、莫大な賞金にも目が眩んだかもしれない。だが、崇拝していた人物を消して、自分がその位置に就き、しかも大金もがっぽりでは、いくら悪党のジェシーであっても同情が出る。ジェシーを殺害した直後、兄弟は嬉々としてジェシーの丘の上の家を出て、町中に行き、そして電報でジェシー殺害を警察に告げる。それは自分たちがジェシーに殺されるかもしれないという恐怖からの脱出と、有名になれるという予感と、大金が転がり込むという思いが混じったものだ。映画では描かれないが、ボブは殺人罪で逮捕されるが、すぐに釈放される。映画を見ていて眠気が俄然覚めたのは、ジェシーが殺害される直前頃からで、特にジェシーの白い板壁の家はセットで造ったのであろうが、外観も室内もなかなか現実感があってよかった。この映画ではいくつかの家の内部が映し出された。それらはみな荒野の描写と釣り合って興味深く、また人が上がるとかすかに揺れるような階段など、西洋の木造の家を知る者からすれば、その現実感によって昔にいるかのような感じを覚えるだろう。当時の再現は、ボブのその後を描く場面でさらに強まる。ジェシーの死を舞台で再現するボブの巡業を描く場面で特にそうだ。ジェシー殺害後のボブの生涯はテンポよく進むが、場面が多い分、撮影も大変であったろう。ボブはまずジェシーの死体写真を大量に売りさばいて日銭を稼ぐ。次に人を雇い、また自分がボブ役でジェシー殺害を舞台で再現し続けるが、映画のない時代はそうした舞台劇が人気を博した。同じようなこととして、マーク・トウェインなど、著名な小説家が舞台でする朗読会があった。ボブが狙ったのは、そうした有名人による人前の実演であったが、思惑とは違い、次第に反感を買うようになる。舞台から野次が飛び始め、それに激怒するボブは客に殴りかかるようになる。そして、知り合った若い女性と暮らしながら安息を得たかに見えたボブだが、没落は止まらない。コロラドに移ったボブは酒場を経営し、その後銀鉱脈が発見されたクリードに移住して同じ商売をする。1892年春、ある男と飲んで街灯にぶっ放して逮捕されるなどした後、5月に両替所を経営するが、すぐに火事に遇う。そしてテント張りで酒場を開いた3日後にエドワード・オーケリーという見知らぬ男にショット・ガンで2発撃たれて即死する。このショット・ガンは鋸の歯を削り落として混ぜたもので、映画ではそれを作る場面まで描かれるが、オーケリー役は実際のオーケリーの肖像写真そっくりな人物が演じた。
 オーケリーがどういう人物で、なぜボブを殺したのかは映画では描かれない。そのため、3時間近い映画の途中で眠ってしまって、オーケリーが伏線として登場していたことを見逃したかもと納得の行かない思いで映画館を出る人は多いだろう。このオーケリーについても今ではネットで簡単に調べられる。おそらくオーケリーはボブがジェシーを殺して有名になり、うまく金儲けして生きていることに我慢がならなかったのだろう。オーケリーはジェシーより11歳年下で、46歳で保安官に射殺されたが、残っている髭面の写真は晩年のもので、しかもかなり老けて見える。当時の荒れた社会の荒らくれ者とすれば、そのようにすぐに老けたのであろう。オーケリーもまた南北戦争時代に幼いゲリラ兵として手伝いをしたことがあったが、南北戦争の終わりに7歳であった計算だ。おそらく殺人の手助けもしたであろう。南北戦争はアメリカでは「Civil War(市民戦争)」と言われるが、人々が自分たちの利権を争って殺し合いをすることの中で、子どもたちもまた心がすさんだことは当然だろう。オーケリーにすれば、ボブが南部の英雄のジェシーを殺したことに我慢がならなかっただけかもしれない。つまり、ボブの卑怯さを思い知らせてやるために、ボブを撃ちに行った。あるいは、自分がボブを撃った男として有名になると考えたのかもしれない。だが、悪党ジェシーが悪党ボブに殺され、ボブがまた悪党に殺されるのは理屈に合っている。この殺人の連鎖は、日本のヤクザ映画を思わせるところが少しあるが、この映画は美談には描かない。オーケリーはその後服役し、10年経って病気のため保釈、その後ホクラホマにやって来る。同地では危険人物とみなされ、保安官といざこざを起こし、保安官に重傷を負わしながら、撃たれる。ボブのような人気者にもならず、犬死のような人生であった。そのため、『ジェシーを暗殺したボブを殺したオーケリー』といった映画は作られない。ジェシー・ジェームズを描いた映画はほかにもある。それは当然のことで、今後も映画化は続くだろう。アメリカ人にとって郷愁を誘うのに持って来いの時代と、伝説化したアウトローの格好よさに憧れる人はいつの時代にもいるからだ。政治家は法律を作るのが仕事だが、今の調子で法律が作り続けられると、世の中はかんじがらめになってきっと身動きが取れない。アウトローのボブがインローになった途端、人から侮辱され、惨めな死を迎えるしかなかったのはなぜか。同じインローになった人物にジェシーの兄がいる。彼は靴屋になったが、その後は歴史の表には出ることはなかった。この映画は、アウトローはアウトローなりに華々しく生きれば、それなりに後世の人々の記憶に残ることを示しているとも受け取れる。だが、それは危険な考えだ。昨今の日本ではむしゃくしゃするという理由から人を無差別に殺す事件が続発している。そうした法律を犯す行為が、誰かが映画化するにふさわしい内容を持っているだろうか。アメリカでも銃をぶっ放して多くの人々を殺傷する事件が跡を断たないが、ブラッド・ピットがこの物語に関心を抱いたのは、自分が有名人で、自分の後を狙う俳優が出て来る、そしてそれはそれで当然であり、好ましいことと思ったからではないだろうか。自分よりうまく演ずることの出来る才能があれば、喜んで自分は後釜として譲る。その気概を持ってこの映画の演技に挑んだ気がする。
by uuuzen | 2008-08-19 17:57 | ●その他の映画など
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