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●アルバム『ONE SHOT DEAL』解説、その3
興演奏をそのまま聴かせるのではなく、後にスタジオで聴き直し、多いと感じられる繰り返し部分やミスと思える箇所を削り、価値ある部分のみを抽出するザッパの行為は、頭の中でどういう一連の創作作業が行なわれるのか、これは非常に興味深い脳科学のテーマと言える。



クラシックの作曲家なら、楽譜に作曲したものが残るが、ザッパのギター・ソロは、練習の過程である特定の音階における気に入ったフレーズをいくつも作っておき、それを随所にはさんで即興で演奏をするのだが、そこからまた新たなメロディを発見するという、冷静と熱気の相互作用の産物であって、これはどんな即興演奏でも同じであるとも言えるが、ザッパの脳内における作曲はモーツァルト時代の音楽家と変わらないものではなかったか。ただしモーツァルトは人前でピアノ演奏を披露し続ける過程で少しずつ変えた演奏内容を、わざわざ紙に音符を書きとめる暇がなかったが、ザッパにしてもそれは同じでも、録音で代用することが出来、そして後に冷静に聴き比べて、最良のソロの最良部分を取り出し、それをレコードに収録した。また、同じヴォーカル曲を何年にもわたってステージで演奏しながら、中間部のギター・ソロを時代に応じて変容させたから、それらを聴き比べることで、特徴的なフレーズの種類とその変化を跡づけることが出来るだろう。そのことをたとえば「INCA ROADS」で試してみるとよい。昨日書いたように、数年の間に演奏メンバーや演奏場所、使用ギターが異なることとともに、レコード収録時にさらに音を加工したから、同じ曲のソロとは思えないほど、つまり別に新たな曲名をつけなければならないほど、ソロが与える印象は違うものになった。それはコンピュータ音楽とは対極にあるライヴ演奏ならではのリアル・タイム感が内蔵され、ザッパにとって最良の演奏はライヴ曲にあるという思いを強くする。予め多大な練習を重ねること抜きにして、即興演奏がすぐれたものになるはずはないが、10人近いメンバーが一体となり、またザッパにすれば珍しい都市での演奏となれば、観客もザッパも緊張感を増し、その熱気が演奏にスタジオ録音では得られない未知のエネルギーを惹き起こし、即興演奏の間の感覚が得難い力を秘めたものになる。
●アルバム『ONE SHOT DEAL』解説、その3_d0053294_84912100.jpg

 『ONE SHOT DEAL』のちょうど中間に収録される「OCCAM‘S RAZOR」はまさにそういう演奏だ。これは79年3月21日のハイデルベルクでの「INCA ROADS」の中間部ソロ全体を収録した9分11秒の長さで、ヴォーカルが終わった直後から次の同曲の主題の合唱冒頭までを含む。嬉しいのは、ギター・ソロが終わった後、主題の合唱まで収められているところで、そのことによってこのソロが「INCA …」のものであることがわかる。同じ年の2月中旬、つまり「OCCAM‘S …」より1か月前のロンドンでの演奏は、3枚組LPのギター・アルバム『SHUT UP’N PLAY YER GUITAR』にアルバム・タイトル曲として3ヴァージョンが収録された。そのことから、ザッパは「INCA ROADS」のソロを重視し、しかも非常に気に入っていたことがわかるが、同ソロを写譜した通販で入手可能な楽譜本では、ソロ直後の主題の合唱冒頭まで含めて記述されるのに、同アルバムでは主題の合唱に入る直前で、つまりギター・ソロのみが収録されて、レコードを聴く限りは3つの「SHUT UP’N …」が「INCA …」のソロであることは知らされなかった。もちろん熱心なファンはそれを知ったが、ザッパは表向き、「SHUT UP’N …」を「INCA …」のソロを演奏し始めた初期のものに比べ、どれだけ遠くまで発展させ得るかのひとつの実験曲に位置づけたため、このたびようやく発表された「OCCAM‘S …」は、1か月前の演奏である「SHUT UP’N …」とも様相を変えている。これがファンには驚きであり、ありがたさであるが、これは先に書いたように、さまざまな要因が影響している。もちろん一番大きなそれは、ザッパが同ソロを変化させようと絶えず味のある未知のメロディを追求し続けたことだ。「SHUT UP’N …」と「OCCAM‘S …」を聴き比べると、後者が圧倒的に熱気がある。これは1か月の間にツアーに馴れて、演奏がこなれたことを示すが、ザッパが毎年ツアーを数か月単位で続けたのは、こうした良質の予期せぬ演奏が得られる思いもきっとあったに違いない。「OCCAM‘S …」は、冒頭のフレーズをギターがもう一度繰り返すところでは、ヴィニー・コライユッタのドラムスや、トミー・マーズのキーボードがザッパに合わせて絶妙の間を取りながら的確かつスリリングな演奏をする。実際同曲の最良の部分はこの冒頭部分だ。
 ザッパは「INCA ROADS」では、ヴォーカル後のソロに入る時、最初にどのような音を出すか毎回工夫した。その特徴ある成果が「OCCAM‘S …」だ。だが9分はさすがに長い。後半はやや中だるみの感があるが、後半部にも面白いフレーズはいくつもあって、ザッパはそれらを全部「TOAD-O LINE」に活用した。テープの回転速度を何割り高めて移調したか、またどの部分が「TOAD-O LINE」に使用されたかを細かく分析すると興味深い事実がわかるが、まず言えることは、79年ツアーでは、「INCA …」のギター・ソロが最大の収穫のひとつであったことだ。ザッパは同ツアーから「TOAD-O LINE」に使用し、さらに別の4ヴァージョンを『SHUT UP’N …』に収録した。4ヴァージョンと言うのは、同アルバムにおける「GEE,I LIKE YOUR PANTS」もまた「INCA …」のソロであるからで、それは「SHUT UP’N …」とは同じ曲とは思えないほど変化が見ら、ザッパがいかに同じ曲のソロであっても違う演奏を心がけていたかがよくわかる。そして、79年ツアーの「INCA …」のソロでは、「OCCAM‘S …」を最も捨て難く思い、まず『ジョーのガレージ第1幕』に「TOAD-O LINE」として収録し、その後4つのヴァージョンを『SHUT UP’N …』にたっぷりと聴かせるべく収めたから、そして「TOAD-O LINE」の未編集ヴァージョンが「OCCAM‘S …」であるから、ようやく79年ツアーの「INCA …」の最良ヴァージョンが手元に届いたことになる。「TOAD-O LINE」に使われた部分で面白いのは、ザッパがいかに厳密に良質の部分を選り分けたかがよくわかることで、後半部の中だるみ感のある箇所をCENTRAL SCRUTINIZER役の自分のナレーションを重ねることで消し、主題の合唱直前で演奏を絞って次曲の「WHY DOES IT HURT WHEN I PEE?」の高まりに巧みにつないでいることだ。また、「TOAD-O LINE」の伴奏は、「OCCAM‘S …」とは全く別のバイオニック・ファンクのダンス・ミュージック・リフに取り変え、しかもCENTRAL SCRUTINIZERの声が入る直前で別の素早い速度で演奏する、いかにも個性的な、つまり通常のロックやジャズではまず演奏されないようなリフを登場させた。こうした凝り様は60年代のザッパにすでに顕著であったが、ザッパ自身がよい演奏と判断した「OCCAM‘S …」をさらに加工して別の曲に嵌め込むことに代表されることで満足の行く『ジョーのガレージ』を作り上げたかを認識すれば、ザッパの職人的な才能と多大な仕事量に今さらに驚くだろう。聴くのは簡単でも、簡単に聴いて済ますのは理解したとは言えない。簡単なように見えるものほど、本当は熟考され尽したものである場合が多い。

●2003年3月10日(月)深夜 その1
●アルバム『ONE SHOT DEAL』解説、その3_d0053294_8482639.jpg一昨日からドイツ文化センターで劇作家ベルトルト・ブレヒトの台本による映画の6夜続上映が始まった。毎夜違うフィルムが遺族の指示で1回限り上映される。それでブレヒトについて詳しく知りたければ、6日連続で出かけなければならない。1回600円で、初日にはドイツ語と英語で併記した全フィルムの解説書がもらえた。そんなものがきちんと用意されているところを見ると、世界中に散在するドイツ文化センターを巡回上映しているに違いない。『クーレ・ワンペ』や『三文オペラ』、それに『肝っ玉おっ母』といったよく知られたタイトルが並んでいるのを見た瞬間、これは全部観てやろうという気になった。そうそう、『大ザッパ論2』にブレヒトの名は1回だけ書いたはずだが、その時『肝っ玉おっ母』を念頭に置いていて、そんなことを匂わす文章にした。しかしブレヒトのことを知らない人はそんなちょっとした洒落のお遊びには気がつかないだろう。そんな文章をペダンティック過ぎるとそしることは勝手だが、一方ではそんなことはブレヒトの名に興味がある人にとっては当然の知識であって、ペダントリィでも何でもない。『大論2』の売れ行きが『大論』よりも鈍いということだが、それは二番煎じと思われているのが理由かもしれない。だが、双方はかなり内容も書き方も異なり、決して二番煎じやデガラシではない。知識が乏しいと理解できない箇所は多いかもしれないが、そんなことを言えばどんな本でもそのようなことはある。いったい平均的標準的知識の持ち主とはどんな人を指すのか、そんなことは誰にもわかるはずがない。コンピュータが人の脳に直結して脳の内部が全部他人に見られるような世の中が来ても不可能だ。結局のところ、著者は書きたいように書くしかないし、読者はわからないところはとりあえずわからないままに読み過ごす。いつか知識が増えるなりした時にまた読むことがあれば、前よりかは理解が進んでいるだろうし、あるいは逆につまらないと思うこともあろう。本とはそういうものだ。また、全部理解できると思える本ほど面白くなく、時間の無駄とも言える。ちょっとぐらい背伸びして読書しなければ、脳は絶対に鍛えられるはずがない。したがって『大論2』は知識の豊富さを衒って読者を煙に巻くことが目的ではなく、あらゆるものを提示してザッパの存在をあらゆる角度から浮かび上がらせようとするものだ。とにかく読む前に尻込みせずに、最後まで読んでから判断してほしい。さて、この日記は毎日何を書くかは全く決めていない。いきなりワープロの前に座ってとにかく書き始める。すると思いもかけない方向に話が進んで行く。そのために、書くと予告していたことがいつの間にかなおざりになってしまうこともある。ブレヒトの映画の話が急にザッパに移ったのもそのいい例だ。しかし今こうして書いている日記は、『大論2の本当の物語』と題されたまとまった内容の続編であり、その続編の最初の分、すなわち去年4月8日から書き始めたものは、工作舎のホームページの『週間媒体探偵団』の石原さんの執筆の番を借りて1か月ほど前に公表され始めた。そのタイトルは『嵐山だより』で、石原さんが命名した。アルフォンス・ドーデの『風車小屋だより』について『大論2』には少々書いたので、このタイトルは妥当な気もしている。『大論2の本当の物語、パート2』ではいかにも能がないし、またザッパ・ファンだけを念頭に置いたようで読者層が狭められる気がする。しかし『嵐山だより』では今度はザッパ・ファンがそっぽを向くか。それでこの日記を再開するに当たり、さてザッパに関する内容をどの程度書くのがよいか迷った。とはいえ『本当の物語』同様、ザッパのことも書けばそれ以外の筆者の興味も書くといったものにならざるを得ないのはよくわかっているし、またその方がいいだろう。というのは、ザッパ・ファンにはザッパ以外の面白いことを知ってもらい、ザッパを知らない人には他の話題からザッパを知ってもらえるだろうからだ。で、日記再開3日目にしてようやくザッパの名前や『大論2』の文字が出たので、うまく事が運んでいると内心にやりとしている。急にザッパに関する話題が飛び出すことになるだろうが、それだけザッパのことは潜在的に脳裏にこびりついているからだ。
by uuuzen | 2008-08-18 08:49 | 〇嵐山だより+ザッパ新譜
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