雷雨もこれだけひどいのは初めてだ。昨日神戸に出かけて、この展覧会を見たが、電車でわたった川が今日は一転して増水し、死者が出た。明日はわからないもので、人生夢のごとしの感を強くする。

横尾忠則展は筆者は記憶する限り、過去に2回見ている。最初は兵庫県立近代美術館であったから、阪神大震災以前のことだ。その次が確か八尾の西武百貨店で、図録プレゼントに応募して当選した。筆者は横尾の作品はほとんど関心がないので、今日の記述もそれに沿うことになる。横尾がモダニズムに対抗して、まるで明治の錦絵になぞらえたような独特の色合いとデザインで人気を得た時期は60年代末期から70年代にかけてであったが、筆者はほとんど関心がなかった。それは横尾がデザインするジャンルが筆者の関心と重なっていなかったからだ。やがて横尾はビートルズを取り上げてデザインもしたが、それは筆者がビートルズ・ファンになるよりずっと後のことで、もうビートルズが解散する直前か、直後のことだったと思う。その流行に乗り遅れたところからは、筆者にとっては横尾が先鋭的な感覚を持っているとは思えなかった。流行に敏感であるはずの才能なのだが、そこには世代の差というものがあり、筆者は横尾の関心とは別のものに関心があった。また筆者がザッパに強く関心を抱いた頃、横尾はロックに関心はあってもザッパには興味を示さなかった。それも筆者が横尾の作品を意識することがなかった理由だ。横尾とロックと言えば、すぐにサンタナが思い出されるが、筆者はサンタナにもさほど関心がなかった。サンタナのラテン調のギターは確かに歴史に残るものではあるが、サンタナの顔にはザッパのような知性は感じられない。日本ではサンタナの名前の方がザッパより数十倍有名であろうが、そのあまりに有名であるというところもまた、ビートルズ以降ではかえってうすっぺらいものに思えたものだ。横尾はデザイナーとして有名になったから、ジョンとヨーコやサンタナ、そして日本の映画俳優や舞台俳優など、多くの有名芸能人と知り合いになって、その有名度は相乗効果をもたらしたが、横尾のその芸能人的なところを好むか好まないかでその作品の評価が分かれる。戦後TVが一気に普及して、TVに出た者勝ちの風潮がはびこった。そうなると、かつての芸術もみなTVによって価値が再編されるようになった。だが、墓下の芸術家はそのことをどう思っているか。有名になるのであるからいいではないかとTV関係者は傲慢にも思うかもしれないが、よくザッパが語ったように、儲けるのは巨匠と持ち上げる側で、著作権も切れているから、勝手に音楽でも画像でも使い放題だ。
横尾は今72歳だが、その年令では筆者と関心が擦れ違っても仕方がない。だが、結論を先に言うと、筆者も50代半ばになって、横尾が興味を抱くものが理解出来るようにもなっている。そのあたりのことを今回は少し書いてみたいと思う。TVや雑誌、広告などが毎日映像を巻き散らし、世界はかつてないほど無数の映像と色が氾濫するようになった今、芸術は、その映像との対決といった形になり、いかに誰も見たことのない映像を提示するかに腐心する。横尾がそこで考えたのは、横尾個人の原体験的、そして睡眠中に見た夢も含めての表象から、誰もが知る名画や観光名所など、さまざまな映像を動員して超現実的な画面を構成することだ。これは20世紀になってシュルレアリストたちがさんざん実験し、また作品づくりをしたのであって、方法論はすでに出揃っている。今回横尾のタブローをたくさん見ながら思ったのは、その古臭い手法とパロディを基本にする点で、そこに横尾個人の憧憬的悪夢をまぶしたものと言ってよく、展覧会に行かずともわかっていたことを確認しただけであった。だが、横尾が睡眠中の夢を大きく取り上げて絵画の源泉とするところには、筆者もこのブログで「夢千夜(むちゃ)日記」をたまに書くこともあって、興味がないではない。去年だったか、若冲人気が高かった頃、横尾がTVで発言した。その時の横尾の意見は若冲のような画風、筆法は過去のもので、何を今さらといった否定的なものであった。その言わんとしていることはわかる。横尾はとにかく流行の先端を行くということに命をかけて来たデザイナーであるから、画家に転身した時も、最先端の絵を描こうという自信があってのことだったろう。確かそれは80年代最初の頃であった。ちょうどアメリカでニュー・ペインティングという、全くのヘタうまのような、つまり落書きに近いタッチの油彩画が大流行した。あのような絵を見れば、たいてい絵心のある人は自分でもという気になる。筆者の見るところ、横尾はそのアメリカで一気に活性化した絵画の流行に乗ろうとした。だが、時代や流行はすぐに変わる。横尾の現在の作品のタッチはその画家として出発した頃と変わらないが、今ではそれは古く見える。そこに、かつて横尾が遅ればせながらビートルズを取り上げたことを筆者は思い出す。横尾は確かに新しい画題を次々と発見し、近年のY字路シリーズは筆者も知っていたが、そうしてマイ・ブームを作り出しながら、そして自作引用を執拗に繰り返して作品をまるでザッパの曲のように相互に関連させて一種シリーズ化させながら、横尾の描くイメージの氾濫はとどまるところを知らないように見えるが、今回筆者が感じたのはとりとめのない広がりよりも逆に狭さを感じた。無数のイメージの氾濫であるにもかかわらず、それらイメージはごく少数のものに収斂し、多くの絵を見たという気にさせず、むしろ小さな小さな私小説的な落書きに近い絵を1点だけ見たという気がして来る。それは横尾が見る夢の反映なのであろうが、その夢は横尾個人のものであり、それがどうしたという気がする。筆者にとっては『荘子』の胡蝶の夢の話ひとつの方がどれだけ鮮烈かと思える。
レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、いやそれ以前のヨーロッパ中世絵画から現代はピカソやルソー、ニキ・ド・サンファルなど、横尾が引用する過去の作家は多いが、欠落しているものの方が多い。たとえば中国や朝鮮の絵画に詳しい人が見ても何の感銘も与えないだろう。今後横尾が中国の山水画に強い関心を抱いて、それをさらに自作に引用してコラージュすることがあったにせよ、そのことで横尾が中国絵画を制覇したことにならず、ただちょっとかじってみたという程度にさえならない。それは絵画がイメージだとはいえ、絵具や筆法など表現媒体に多大なものを負うからで、ニュー・ペインティング的な描き方で模倣出来るのは、結局は過去のイメージのうわっ面すらでない。そのためもあって、絵はがきや雑誌から切り抜いてそのまま画面に貼りつける横尾だが、それとて安っぽさを表現するだけであって、イメージを飲み込んで自作に取り入れたことにはならない。横尾の絵画を見ていて思い出すのは、昔の銭湯の浴槽の壁にあった風景画や映画の看板だ。それら独特の安っぽさ、キッチュ性を横尾は自身の法則として絵画に持ち込んだ。であるから、その作品が安っぽく見えるのは当然なのだ。それを横尾はきっと自覚しているはずで、その開き直りの中で、なお自分に忠実に、自分を信じて想念に浮かぶものを捉えて描こうとしている。筆者が横尾において美しいと思うとすればその無垢と言える態度のみかもしれない。だが、それだけでは名画は生まれない。横尾の絵はどれも決して名作にはならないに違いない。だが、デザインしたものが時代のひとつの風潮の記録であったことからすれば、一時代が見た夢として価値を持つ可能性はある。つまり、イメージ氾濫のTV時代、消費社会の典型としてだ。だが、それはTVと限りなく等しく消費されておしまいになりやすい。つまり映画の看板と同じで、描かれた時が最も新鮮で、そのことで役目を終える。今回は横尾の夢日記に施した小さな24枚の絵と、その絵から発展したシリーズからも何点が展示された。横尾の夢で見た光景は筆者が見る夢とよく似て、どれも夜景であったが、夢を絵画に固定して様式化するのは、さんざんシュルレアリストたちがやったことであるし、横尾が自身の夢をいくら掘り下げたところで、それが普遍的絵画の成立にどう結びつくのか。その夢もまた月並みなイメージに見えるし、それを手変え、品変え羅列しても、混沌に留まるしかない。だが、それこそが横尾の目指すところか。横尾が若冲を古いと言うとすれば、横尾の絵もまた描いた尻から瞬時に古臭くなっているのではないか。あらゆるイメージを積み重ねて、誰も見たことのないようなびっくりするような絵を作り上げることが出来ると考えること自体がすでに時代遅れと言えばよい。最晩年のロジェ・カイヨワが横尾の絵を見ればどう思ったか。筆者はそのカイヨワの心境に近いかもしれない。カイヨワはシュルレアリストとして出発したが、やがてそれと訣別する。シュルレアリストたちがミシン台にこうもり傘といった突飛な物の組合せで新しいイメージづくりを行なうことの道義を問題にしたからでもあり、またその限界を知っていたからだが、結局物言わぬ石ころに強い興味を抱いて世を去る。石の中には人間が描くあらゆる絵がすでに存在しているということを実感したカイヨワだった。
夢に強い関心を抱いたカイヨワが幻想的絵画と認めたのは、横尾が描くような絵とは正反対のもので、表現者が意図せずに描いたにもかかわらず、絵から幻想が零れ出ているというものであった。横尾は多くのイメージを結合させる中、好みのイメージを繰り返し描き、一種の連作を意図するが、70を越えた年令に達し、少年時の原体験的イメージをどうにか画面に固定しておきたい思いがあるのだろう。かつてシュルレアリストは社会の不安を反映した形でそのような表現に到達したとも言えるが、横尾は戦争反対や市民運動といった社会的な問題からは注意深く距離を取って、まるでそこに宝物があるかのように、自己の内面に沈潜する。そしてその内面に映るイメージを絶えず流動的に他のイメージと結合させる。それはデザイン仕事で培った表現が心底身についているからか、あるいはそれだけまだ娑婆に大きな魅力を感じているためであろう。そのいかにも安っぽい感じのすることろが横尾の魅力であるかもしれない。今ふと思い出したが、その安っぽさは加山又造の作品とそっくりと言ってよい。加山もまた過去の名画などからイメージをよく引用した。ただし、横尾とは違って、直接的な、つまりコラージュではなく、もっと大きな何々流派と言えるものから汲み取った。おそらく戦後の日本の芸術はすべてそのように安っぽい引用や模倣こそが主流になった。そうでない画家ももちろんたくさんいるが、傍流としてみなされ、そのことで逆にそうしたものが人々からは安っぽく思われた。ここにはTV主導による、知名度の高い者勝ちの思想がある。そしてそれは今はもっと加速化して、有名でない芸術家は無価値なのだ。横尾の絵はどれも大きくて美術館に飾るには持って来いだが、一方の美術館は観客を多く動員せねば成立しないものであるから、そこにちょうど有名人とは共犯関係を持ちやすい状態が生まれる。いや、ほとんどそれしか選択手段はない。したがって、巨大な美術館向きでないような画家や作品を良質のものとはみなさない「常識」が固定化し、美術館がますますTVや流行と同じものになって行く。これは芸術の多用性を生かすより殺す方に傾くだろう。現在の日本の美術館は、江戸時代で言えば、見世物小屋なのだ。横尾の作品はそういう見世物と呼ぶに実にふさわしい。さきほどチラシを見て記念講演会があることを知った。無料ではなく、2000円を徴収するのだが、横尾の対談相手は引田天巧ことプリンセス天巧だ。そのことがいみじくも見世物である横尾をよく示している。絵画の精神性がどうのこうのと言うのは、後でどうにでもこじつけが出来るし、またそれを担当する連中が出て来る。権力を持つ大きな人物が美術館と結託している現状を前にして、そうでない小さな、それでいて表現せずにおれない連中はどうすべきか。美術館に飾られることを願って、真面目に公募展に出品する人は跡を絶たないが、美術館など存在しなくても絵を描き続けるという人の中からしか、本当の絵描きは生まれないだろう。イメージが氾濫するこの世の中で、絵を見世物と思わない考えを抱くのも一考かもしれない。そして、見世物的存在に向かって、せめて裸の王様だと指摘することは許されるだろう。個人がどのような思いで生きて行くかは自由だ。芸術の存在意義は、その個人の思いの自由さを保証するからだ。その思いとは名声や金とは無関係なものだ。横尾が夢や原体験に回帰して、それを絵に留めたい、人に見てもらいたいと思い、そしてそれがかなえられるのは幸福なことだ。だが、どんな人でも個人的記憶はあり、毎日夢を見るし、それを反芻することは出来る。そこから何か表現すれば、それは横尾の行為とほとんど差はない。