人気ブログランキング | 話題のタグを見る
👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱11月2日(土)、京都大宮高辻Live & Salon『夜想』にて👻👻『ザッパロウィン24』午後4時15分開場、5時開演。前売り3500円👽筆者の語りあり。

●ネット上のおどろ木
esetという概念は江戸時代にはどういう形で存在したのだろう。たとえば出家するといった形であったか。



三遊亭円朝の落語を速記で書き留めた『真景累ヶ淵』の最後の方に、かつて人を殺した女がその後は尼になって暮らしているという話が出て来るが、美談としてめでたしの結末を迎えるかと言えば決してそんな筋立てではない。そこに江戸時代も末期頃における僧や尼の実体が垣間見え、そこに当時の、なるものがなければ僧か尼かにでもなっておこうかといった安易な考えが浮かび上がっていて、仏教衰退を示すと言ってもよい。だが、なるものがなければ、つまり人間が職業なくしてどうにか食って行くには、僧や尼という受け皿が必要でもあった。これはこれで社会的にはよく出来た仕組みで、たとえば生まれながらにして不幸を背負っている人が存在することは江戸時代でも今でも変わりがないが、そうした人が通常の農業や手工業、商売に携わることが出来ないのであれば、別の何らかの社会的機能の枠組みに収まる必要がある。人生の途中で挫折感を味わって、今からではやり直しが利かないと思いつめる人が近年増加していることを、先日の秋葉原でのナイフによる殺傷事件から想像してみることはたやすいが、江戸時代ならば身分が決まっていて、生まれながらにして差別があったとしても、それは最初からわかっていることであって諦めもついた。ところが、今は小さい頃から塾やら何やかやと両親は教育熱心で、子どもも自惚れが強くなり、そして高学年になった時に自分の能力を知り、不満を溜め込み、やがて自分の浮かばれない立場を周囲のせいにしてしまうことがある。筆者は母子家庭でもあっていっさいの塾に通ったことがなかったが、塾に関しては息子にも同じ体験をさせた。週の4、5日も毎日違う塾に通ったところで、何ひとつものにならないどころか、逆に大人になって、塾で学んだ絵描きやピアノ、英語などすべて大嫌いになるというケースの方が多い。つまり、芸術や学問嫌いの人間を作り上げるには、子どもの頃にせいぜい塾通いさせる方がいいからだ。実際、塾通いに熱心な親ほど芸術や学問とは無縁の顔をしている。子どもがうまくそれを聞いて熱心になったところで、どうせプロとしてものになるはずがない。人生をリセット出来ないと思って生きた来た親は、子どもにそのリセットを託す。そして成長した子どもに裏切られるという構図だが、親がリセットしたいのにそれをせずに生きていると、その夢のない姿を直感で知る子どもの心中はいかがなものだろうか。かわいそうなのは親もだが、むしろこれからの人生が長い子どもの方だ。尼や僧に簡単になれて、しかも最低限は食べていけた江戸時代とは違って、今は世間体もあり、また現金がなくては自給自足の出来ない世の中で、人生のリセットは非常に困難になっている。物欲を限りなく少なくして貧乏でも平気という気持ちになれればいいが、なかなかそういわけには行かない。それで、ロボットのような仕事でも毎日出かける。そんな仕事でさえも就けない人は大勢いるのは現実だが、それが実感出来ずに育った若者は多いだろう。
 先日TVを見ていて思ったが、日本は韓国のように徴兵制度がない分、すべての若者に対して2年間の老人介護を義務づければ、介護保険の問題、若者が介護師をどんどんやめて行く問題は一気に解決する。そのうえ、老いとはどういうものかという実体験を得て、もっと生の現実を知ることにもなってよい。ただし、そんな法律を作ると、きっとそれを金や権力で免れようと企むずるい奴らがいるから、そっちの問題を処理する必要が生ずる。介護師をやめる若者は、人生をリセットするわけだが、時間給にすればあまりに悲惨な境遇ではそういうことが増加しても仕方がない。いや、若者は金もだが、仕事に報われようのない気分を抱いている。自分はロボットであり、自分がやらなくても別の誰かがすぐに代わりをするという現実をよく知っている。ここでまた思い出したが、先日手元に転がっていた本を気分転換にぱらぱらと読んだ。法隆寺を改修した棟梁の西岡常一の本で、戦後すぐの話のところで目を吸い寄せられた。普通の大工の日当が50円の時、法隆寺を修理する宮大工の西岡の日当がその10分の1であったという。国の仕事であるからそのように安いのだが、それでは生活出来るはずがなく、闇市で長靴を売ったといった話が書かれる。法隆寺のような1000年を越える建物の修理に携わる、大工としては日本一の腕前の人が、通常の大工の10分の1しか賃金をもらえない。この現実を知っても入門を願う若者がある。そして、そういう人の中から次世代を担う才能が生まれる。西岡常一は自分を大きな幸福者と思って亡くなったが、それは金には代えられない重要な仕事をしたという自負があってのことだ。世界的に有名な法隆寺を自分が守ったという意識がある限り、どんな極貧にも耐えることは出来た。この職業に対する誇りというものが、今の世の中にどの程度残されているだろう。派遣社員となって工場で残業だらけで働き詰める人生に若者が幻滅するのは、チャップリンの映画にあるように、時代が工業化した途端に始ったが、製品が精密になるのと呼応して会社、工場もそうなって、仕事がギリギリの状態に置かれることは目に見えている。一方、芸能人で有名になれば、顔は売れてしかもがっぽり稼げるという現実を思うと、自分も派手なことをして昼のワイド・ショーで話題になってやろうと考えたとしても、それは何となくわかる気がする。もう人生のリセットは無理だと思っていたならばなおさらだ。だが、25歳やそこらでそう思い詰めていたとすればやり切れない。筆者は学校、会社といった通常の人生コースからわずか3年で早々と撤退し、当時周囲の全員から大ブーイングを一斉に浴びたが、その後時代は激変して、定年間近になって会社をやめて別の仕事をする者が目立つ。筆者はもう枯れて来たこともあって、いつか仙人になってやろうという気持ちが強く、そのためにはどうリセットすればよいかを日々考えている。そして老いぼれ仙人になった時、どんな介護師の世話になっているだろう。面白い話をして笑わせるネタを今から溜めておこうと思う。『ふぎゃふぎゃ、わしゃにゃ、昔マニマンなぞと言うちぇな、ひとりよがりの日記をブログに毎日載せておったのじゃがな、あっと言うまににゃ、こんな耄碌爺になってしもうたがにゃ。だがにゃ、あんたのようににゃ、若い人生にリセットしたいとはもう思わんがにゃ。ふぎゃふぎゃ』

●ネット上のおどろ木_d0053294_11350458.jpg  2007年07月22日●第 171 話

●ネット上のおどろ木_d0053294_10223711.jpg今日、マニマンは電車に乗って出かけ、駅で降りた後、いつもとは違う道を目的地まで20分ほど歩きました。あまり見覚えのない町並みは楽しいものです。夢を見ているような、あるいはちょっとした旅行気分になれますし、珍しいものがいろいろと目につきますからね。それで、小学校の塀がしばし続いた最後に、グラウンドの背の高いネットがありました。マニマンは驚きました。まるで磔になったように、ネットの目を縫うように木の太い枝が絡まっていたからです。それだけなら別に珍しくはないのですが、枝はあちこちで切られて、どうしてもネットから外せないものだけがそのまま放置されているのです。それがまるで空に無残に浮かぶ骨に見えます。学校の先生たちは、ネットと枝のどちらが大事か考えて、当然ネットを選んだのです。木はただでも生えて来ますが、ネットはお金がかかるからです。絡まる枝をそのまま生え放題にしておくと、ネット全体が頑丈になってかえっていいと思うのですが、整然とした網目が塞がれて美観を損ねるので、きっとそうは出来なかったのでしょうねっと。
by uuuzen | 2008-06-11 10:22 | ○お に お に っ 記 2
●キミドリさんのミリキド >> << ●『ぼくの神さま』

 最新投稿を表示する
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?