ドキリとさせられることが体と心にいい場合とそうでない場合があります。先日、ママーニはマニマンのすぐ横で大きな悲鳴を上げて転びました。マニマンのパソコンのそばに置いてある小さなオモチャの蛇を本物のムカデと間違ったのです。マニーニは「ドキリ」どころではなく、「ドドッキリ」で寿命が縮んだと言って、マニマンをしっかり叱りました。でもそんなひどい「ドドキッリ」ではなく、適度にはっとさせられる「ドキリ」は、日常のスパイみたいなスパイスで、それがなければ退屈の世界に屈するのです。マニマンはそんな「ドキリ」を『おにおにっ記』に書き、自分も他人もいつも「ドキリ」とさせたいと思っているのです。デビルさんになってたまにキミドリ社をお邪魔するのも、そんな理由からです。「キミドリ社」の中に「ド・キ・リ」の文字が含まれますが、キミドリさんからミキドリが生まれたのは、「ドキリ」なことです。そして、いい「ドキリ」が絶えなければ、誰でもドキリミさんになれますが、マニマンは自分が高い「ミリキド」(魅力の度合い)を生む才能があまりないのが残念なのです。 ● ● ● ●the special linking series - written by permission of KIMIDORI-SHA