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●「LOOK SHARP!」
奇的な彼女という韓国映画の題名が新鮮に響くのは、女は男のように猟奇的ではないと思っている社会通念があるからだが、現実的にはそうではないことが最近のニュースを見ているとわかる。



●「LOOK SHARP!」_d0053294_1781897.jpg女が夫を切り刻んでゴミ箱に捨てるかと思えば、男も猟奇的な事件を次々に起こす。そしてTVを見ていてみんなが思うのは、容疑者がそういう事件を起こすような顔に見えないことで、そこにかえって不気味さを感じてしまう。だが、残虐そうな顔をした者がかえってそういうことをしないかと言えばそうではない。人間は顔ではわからないものだが、近年はますますそういうようになって来ている。これをケータイ文化のせいにするのは社会評論家に任せておくとして、筆者が不思議に思うのは、自分の部屋の隣の隣に帰宅したばかりの女性を襲うという、常識では考えられない短絡さだ。通常は別のマンションに行くなりするだろう。自分の部屋に引きずり込んでことに及ぼうとしたとして、その後どうするつもりだったのか。結局猟奇的なことをするつもりであったとすれば、これは小説のネタにもならないほどに後先を考えないおそまつな行為で、ほとんど自殺行為に等しい。そこで、自殺するのが怖くて事件を起こしたのかと思いもするが、事件の猟奇性もそうだが、事件を起こした男の頭の中の壊れ方がむしろ不気味だ。そして、その男はロック音楽などおそらく聴かない人物であったのだろうと思う。ロックを聴くことで悶々を発散出来るとは限らないが、ロックを聴いて、人から見てそれなりにどこか尖った印象を持つようになると、それなりに女も寄って来ると思うのだが、そういう発想も関心もそもそもなかったほどの無骨な、つまり言葉を変えて言えば面白味のない、女から見て魅力のない男であったからこそ、自分でも欲望をどうしようもなかったのかもしれない。そういう事件を起こした男の心境をテーマにした歌詞のロックがあるのかどうか知らないが、そんな歌詞を書いたところで、そうしたタイプの男はロックを聴かないから、ミュージシャンにしても得るところがなくて書くことはない。だが、ロックを聴く男というのは、いつの時代でも少数派かもしれない。1960年代半ばの頃はクラスに2、3人もいなかったが、今でも事情は変わらないかもしれない。ロックを聴かない男は何に興味を持つかと言えば、今ならコンピュータ関係のあれこれか。また、ロックも細分化したから、ロックを聴けと言っても何を指すかはなかなか難しい問題でもあり、その聴き方の熱意にも差がある。それで改めて思うのは、猟奇的な「彼」が音楽を聴いていたかそうでないか、聴いていたならばどんなものであるかだ。ところで、そのこととは関係なく、筆者はこの3週間ほど、毎日ジョー・ジャクソンの古いアルバムだけを聴いている。
 筆者は日本のロックに関心はないので、先頃サザンが活動をやめたというニュースを聞いても、「ああそうですか」以上の感慨はない。まともに彼らの音楽を聴いたことがないので、これは断片的な感想だが、10年ほど前、友人が車の中で彼らのアルバムをかけていて、その時ほとんど吹き出したのは、そのあまりの剽窃のうまさであった。ほとんどどの曲のどの箇所も欧米のどの曲から引用したかがわかる。日本文化は大昔からそのように海外から入って来るものを巧みに模倣して来たから、サザンのその行為もいわば日本の歴史と伝統に則ったごくまともな行為とは言える。だが、彼らはそのアルバムを大量に売り、億万長者になっているのであるから、「ちょっとそれはないぜ」と思いたくなる。だが、創造性に収入が見合わないのはいつの時代でもであって、真に創造性が高いほど凡人にはわからず、現世では無視される。つまり、今売れている連中の大半は贋物と思っておいてよい。創作というものがなくても、現代の日本ではいかに巧みに剽窃するかで有名で大金持ちになれる。その見本が彼らに思えたものだった。そしてそういうことを彼らのファンの99パーセントは知らない。つまり昔の欧米のロックやポップスなど聴かないからだ。また、聴いて知ったところでファンをやめないだろう。軽く楽しめればそれでよしなのだ。ロック、ポップスとは本来そういうでもある。さっさと儲けてさっさと引退して楽に暮らす。あるいは貪欲にもっともっと稼ぎ続けるか。ロックは70年代以降はすっかり金儲けの手段になった。手っ取り早く有名になって大金を稼ぐのはロックをやるかお笑いをやるかで、そのふたつとも持ち合わせていれば怖い物なしだ。日本のロックの原点がどこにあるかと言えば、筆者にしてみればロカビリー歌手たちがステージで騒いでいたことだ。事件を起こしたためであったか、今はもうマスコミから消えてしまったとある歌手が、ジェニ・ジェニなどと体を揺すりながら歌っていたもので、それは直接的にはプレスリーの物真似であったが、ブギはもっと以前に日本には入って来ていて、それなりに評判を得ていた。筆者がビートルズを聴くようになって、最初に文句なしに好きになったのは、そのブギのリズムであった。ロカビリーの洗礼をラジオによって10歳以前に受けていたから、それは避けようもないことで、ビートルズはオリジナル曲によって新鮮さを撒き散らしてはいたが、それとともにブルースの12小節循環コード進行に乗るブギのリズムが楽しかった。ビートルズの本質はそこにイギリス民謡のメロディを加えたもので、日本のサザンが欧米のロックやポップスを片っ端から噛み砕きながら、そこにヨナ抜きのメロディを合わせるのと、ある意味では同じ行為であった。だが、物事はコロンブスの卵であって、ビートルズがやったことを分析すれば、サザンのような方法論は容易に導き出される。ビートルズ以降、すべてのロックはそうであって、方法論的には進歩は何らなかった。サザンの音楽から取り除いて残るヨナ抜きの部分を、「図らずも出て来る国民性」と表現することも出来るかもしれないが、総体的に見た場合、図ってやっていることが9割以上だ。だが、ビートルズ以降、どんなミュージシャンも大なり小なりその影響から免れることは出来ず、いわば恩恵を被った形でレコードを作って来た。その労苦は理解出来ないわけではない。何をやってもビートルズのどこかに似てしまうとすれば、いったいどのようにして創作すればよいか。だが、パフィの音楽のように、あえてビートルズ調を前面に押し出す厚顔さがまた新鮮ともてはやされるほどに音楽に金儲けは巧妙になっている。
 去年の大西さんからのザッパ・メールによって、ジョー・ジャクソンがステージでザッパの「ダーティ・ラヴ」を歌っていることを知った。ジェスロ・タルのイアン・アンダーソンも同じ曲をザッパのベストと発言していたので、ジョー・ジャクソンもそれにならったのかと思わせられるが、ステージで歌うとなれば、やはり好きであるからだろう。そして、ジョー・ジャクソンがザッパの曲をカヴァーするのはよく理解出来る。筆者がジョーのアルバムを最初に聴いたのは、下の妹の友人のEくんからレコードを借りてのことで、針を落とした途端にその才能がよくわかり、たちまち好きになった。そこには天才と言えばおおげさだが、それに近い才能の閃きがある。Eくんからはジョーのデビュー・アルバムの『ルック・シャープ』と『ビート・クレイジー』、『マイクス・マーダー』などを順次借りた。あまりに格好いいので、レンタル・レコード店から『ボディ・アンド・ソウル』ともう1枚何かを借りた。全部LPで、80年代半ばのことだ。ジョー・ジャクソンという名前はアメリカの黒人にありがちであまりぱっとしない。顔は若いのに額が禿げかけていて、しかもいかにも聡明そうで、そこがなかなか骨のあるところを思わせて好感が持てた。男が格好いいのは、顔から聡明さが感じられることが絶対条件であると筆者は思っているが、その基準にジョーは合格した。ジョーの歌声はあまりよくない。懸命に歌ってはいるが、ヴォーカリスとしては並みの部類かそれ以下で、どこか素人っぽいところがある。だが、自作曲を歌う自信から勢いがあり、どの曲もよく計算され、しかもどのアルバムもみな個性に溢れていることにびっくりさせられた。それだけ手持ちの材料が多いのだが、デビューしてわずか数年におけるその変遷ぶりは、他のミュージシャンにはほとんど見られない突っ走りぶりで、『ボディ・アンド・ソウル』を聴いた後、もうこの先はないのではないかと思った。実際筆者はその後の彼の行動を知らないし、また興味を失った。さきほど調べてみると、やはり何年か活動の中断があったようで、大人向きのジャズ的な音楽をやり、また最近は原点のロックに戻っているようで、それは1979年の『ルック・シャープ』から84年の『ボディ・アンド・ソウル』を聴くだけでも充分想像出来る。こう言えば彼にはむごいが、その才能はその当初の5年が頂点であったのではないか。『ナイト・ミュージック2』とかいうタイトルのアルバムで、ニューヨーの街中と、そこを走るタクシーのバック・ミラーにジョーの顔が写る見事な白黒写真をジャケットに使用していたが、音楽を聴かなくても、ジョーの何とも言えない渋面によって彼の気持ちが手に取るようにわかる気がする。それがまた格好よく、同じものはデビュー・アルバムの『ルック・シャープ』にあったが、沈痛な趣は齢を重ねるごとに深まったようだ。機会があればまた同アルバムを聴いてみたい気がする。
 ジョーがザッパの曲をカヴァーするのは、ザッパを少なからず尊敬するからだろう。ジョーは最初クラシックを学んだ。そしてロックをやり始めてからはすぐにジャズにのめり込んだ。『ボディ・アンド・ソウル』はそうしたアルバムであったが、サックスを吹いてギターを演奏しない点で、ギター中心のロックとは縁がなかった。だが、『ルック・シャープ』は3人のメンバーをしたがえたストレートなロックで、ほとんどロカビリーの乗りに近い短い曲ばかりだ。その一発勝負とポップさの点で筆者はこのアルバムを最も好む。いや、本当のところは『ボディ・アンド・ソウル』の方がもっと大人びて風格があるが、初々しさやギラギラした様子がよくうかがえる『ルック・シャープ』が、何となく永遠のストレートなジョーという感じでいい。筆者はいくつかカヴァーしてギターを弾きながら歌ってみたい曲があるほどだ。このアルバムを聴いていて思うのは、ジョーはビートルズをかなり研究もしたであろうことだ。ジョン・レノンが生きていればジョーと一緒に演奏したのではないかと思わせられる曲が揃っている。アルバム・ジャケットはジョーが履く白の革靴で、これがまた格好よく、確かアルバムを聴いた当時筆者は白い革靴を買い、今でも夏は白の革靴を履きたいと思っているほどだ。ジョーのアルバム・ジャケットはみなよく出来ていて、独特のセンスに溢れているが、その全体的なとりとめのなさからは、ジョーの活動の困難さもまた想像してしまう。90年代になって流行音楽の様相が変わったことと、すでにあらゆることがなされている中で、ジョーのようにアルバムごとに考えを巡らせて全力投球をする音楽家にとって、芸域を拡張するのはよほど困難であろう。そこでザッパの曲をカヴァーするというのであるから、ザッパを手本にひとつの可能性を見ているのかもしれない。だが、ザッパのようなクラシカルな曲を書くという方向に進無のは経済性で問題があるし、またそのつもりもないだろう。残るはジャズかロックということになる。そのどちらもかつてのように新鮮味を出すことがどこまで可能だろう。結局またデビュー以降5年間の華々しいアルバム群を思い出してしまう。だが、70年代後半からイギリスから出て来たロック・ミュージシャンは大なり小なり同じことを経験しており、彼らの苦悩がその後のミュージシャンにどのように伝達されているのかと思う。
 日本のサザンが巧みな剽窃をしたのと、ジョーが過去の遺産から学んで表現したことの間に差があるかどうか。イギリス人が同じイギリスの音楽から取るのはよくて、日本ではなぜそれがいけないのかいう意見がきっとあるに違いない。要は真似しているなと思われてしまう度合いであって、ほとんど原型がわからないほどに消化していることが格好よさには必要なのだ。したがって、筆者にすればサザンは格好悪くて、ジョーは格好いい。『ルック・シャープ』は、ジョーの歌声を支えるバックの3人の演奏が単純で、レゲエを取り入れたり、ブギをアレンジした曲など、伝統性と新しさの同居性が顕著だ。それが今聴いても新鮮なのは、混じり気のない若さの勢いという理由も大きいが、それはいつの時代でも模倣出来る、また模倣すべきひとつの大きな手本に思える。なぜかと言えば、文句なしに格好いいからで、ロックンロールの楽しさに溢れ、また歌詞はどれもかなり皮肉が利いて、若者が感じる恋や身辺の事柄などを歌う。ザッパと通ずるとすればそうした歌詞の側面は大きい。この歌詞は『ビート・クレイジー』ではもっと進化し、最初のタイトル曲「ビート・クレイジー」では、いきなり「今時のガキはみな同じだ」といった歌い出しであるし、最後の「フィット」では「笑うなよ、この世の中にはな、男に生まれながら、女になりたいと思って戦っている連中がいるんだ」から始まり、社会に対する眼差しがより強まっていることがわかる。音だけ聴いているとまさかそんな歌詞とは思わないところが凄味であって、日本のお軽いロックではまず無縁なものだ。『ルック・シャープ』では最初の「ワン・モア・タイム」からしてかなり変わっている。「君の手を握っている時にもう一度言ってくれ、愛していないって。……」から始まる。これは通常のラヴ・ソングとは全く反対のことを歌っている。「ベイビー、ベイビー、ぼくの愛などほしくなかったと言ってくれ」という歌詞をどう理解すればいいのか戸惑うが、この否定精神はロックのひとつの神髄で、日本のロックやポップスに「愛している」が連発されることにヘドが出ると思うような筆者は、ジョーのデビュー・アルバムの最初の曲がこうした歌詞であることにとても感心する。次の「日曜日の新聞」は、老齢になって養老院にいる母親が新聞によって何でも知り、外出しない様子を歌うが、新聞で何事もわかるというこの皮肉と真実は、今ではネットということになった。3曲目「彼女は本当にあいつと外出してるって?」は、かわいい女性がゴリラのような男が歩いていることに幻滅する様子を歌う。これは持てない男の思い上がりと言うより、女はみんな男を見る目がないという男の正直な気持ちだ。美人ほどごくつまらない男にころりとなることは事実であり、どんな男でも日常的に実感している。4曲目「幸せいっぱいのカップル」はタイトルだけでどういう内容か想像出来るだろう。5曲目「捨ててしまえ」は、「貧しい者はどんどん貧しくなり、金持ちは太り続ける」といった内容で、そんな社会を理解しようとはせず、手中に持っている答えを捨ててしまえと歌う。だが、ジョーは社会に組み込まれずに何をすればよいかまでは歌わない。「ベイビー、待たせるなよ」は、家にいてじっと座っていずに早く出かけようと急かす男の気持ちを歌う単純な曲で、次がアルバム・タイトル曲「ルック・シャープ」だ。リフレイン部分が歌詞の最も言いたいことで、それは「You gotta look sharp,and you gotta have no illusions.Just keep going your way looking over your shoulder.」となっている。「シャープに見えていなければならないのさ。そして幻想を抱かず、肩の向こうに進むべき道をずっと見続けなくてはいけない。」ここにデビュー・アルバムを出した後のジョーの決意と、その後自分がどう活動するかを見定めた思いを汲み取ることが出来る。尖って見えている、つまり目立つ必要があるというのは、男も女も格好よいことの絶対条件で、これは昔も今も、また若いも老いもない。ところがこれを今はいじめの対象にして、一方では理解しない、あるいは吐き違えた連中が猟奇的な事件を引き起こす。ジョー・ジャクソンのロックを聴いて楽しんでいれば、猟奇的な「彼」も事件を起こさなかったと思うのだが、これ以上は書くまい。ところで、今の日本のTVに聡明な顔をした男が何人出ている?
by uuuzen | 2008-05-27 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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