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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『カンナさん大成功です!』
名はあまり覚えやすくないが、「大成功」という文字を入れるからにはよほど自信があったものと見え、結果的にこの映画は大ヒットした。



●『カンナさん大成功です!』_d0053294_21521630.jpgいかにもタイトルの重要性を思うが、ネットで調べると、この映画の原作本となった日本の女性向け漫画の題名をそのまま邦題にしたようだ。韓国の原題はどうだか知らないが、『200 POUNDS BEAUTY』という英語のタイトルがあって、映画の配給会社がワーナーであることを最初に知った。これには驚いた。日本では去年12月の封切りで、アメリカで公開されたのかどうか知らないが、きっと世界的に売れると踏んでこの映画の配給権利をワーナーは獲得したのではないだろうか。日本の漫画を原作にし、韓国が俳優を使って撮影し、それをアメリカが配給するというのは、いかにも国際化を示すようで面白いが、今後はこういう動きはもっと多くなるだろう。以前の新聞に、日本の脚本家が書いたシナリオを韓国が映画化する動きを伝えていた。この映画もそういう傾向に拍車をかけるに違いない。この映画がヒットしたためかどうか、日本でも近いうちに映画化するそうだが、この映画を越えることは最初から無理なような気がする。独創的なシナリオを練る才能が韓国に乏しいのか、日本では優れた俳優が枯渇していることからすれば、日韓共同で面白い映画が生まれるのはいいことだ。この映画の原作漫画を読んでいないので何とも言えないが、映画はとても編集がうまく、間延びした無駄なシーンがない。映画の中で歌われるポップスと同様、スピード感が溢れ、それが映画を成功に結びつけた大きな理由だ。そのスピード感はセンスの問題で、ハリウッド映画はどれもそういうことを計算し尽くしている。そして、韓国がそれに追いついていることをこの映画ははっきりと証明している。撮影した場面をいかに無駄なくつなぐかは、映画の最終的な仕上がりを左右し、ほとんどそのことでせっかくの映画が成功するかどうかが決まってしまう。いかに原作がよくても、また俳優たちの演技やカメラ・ワークが優れていても、完璧な映画として見せるには、各場面をどうつなぐか、その0.01秒単位の間の取り方がよく機能する必要がある。そうした編集の妙によって、映画を見た後に内面に消化不良を生じさせず、すっきりと楽しめたという記憶だけが残る。筆者はこの映画を4月の下旬に観たが、それがいつであったかもう正確には思い出せない。しかも映画の内容も、こうして書こうとして思い出そうとしているのだが、記憶から消えている部分がぽつぽつとある。そんな状態ではここで何を書きたいのか、本当のところ心もとないが、このカテゴリーは久しぶりでもあるので取り上げておこうと思う。また、TVで見るドラマとは違って、映画館で見るのはやはり迫力が全然違う。いつものごとく祇園会館で観たが、韓国映画ファンとおぼしき女性たちが多く、しかもみんなよく楽しんでいるようで、そうした雰囲気もまたよかった。
 迫力があったというのは、コンサート・シーンだ。大勢のエキストラをどのように動員したのか、金のかけようや俳優の演技のうまさははっきりと伝わった。また韓国に実際にあのような大きなライヴ会場があるのかどうか知らないが、ほとんど日本の若い歌手たちが楽しむコンサートと同じ光景が韓国にもあることを実感した。それは当然のことだが、やはり隔世の感を強くした。コンサート・シーンがあるということから想像出来るように、この映画は音楽業界の話をテーマにしている。主人公の極端に太ったある若い女性は声がよく、歌の下手な人気歌手のゴースト・ヴォーカリストをしている。そして、その歌手を売り出している若くて格好いいプロデューサーに密かに恋をしている。このシチュエーションは実際にはよくありそうな感じで、虚飾にまみれた芸能界は日本も韓国も同じであろう。だが、そういうことを批判するためにこの映画は作られたのではない。そういう業界内の話はいわば当然のこととしながら、それでもなお人間的な部分をそこに見ようという、いわば大人の気持ちを前提にした内容をしている。それだけ時代が進んだのかどうか、作られた存在の芸能界であることがわかっていても、それは華々しいこととは無縁の若者たちにとってそれなりに必要なものであることを示し、そこに妙な人間臭さが漂って観る者の心にぐいぐいと入って来る。つまり、芸能人もそうでない人も、結局はひとりの人間であるという事実を伝えており、かつてのように芸能人が一般人とは違った手の届かない場所に住むスターではなく、誰もが腹をくくればそれなりに栄光の待つ世界に足を踏み入れることが出来ると思わせる点において、内情暴露的ではあるにしても、きわめて現実的なことを提示している。日本のTVでは、お笑い芸人が次々と登場し、ちょっとしたギャグですぐに顔が知られ、いくつもの宣伝に姿を見せることになるが、つい先日までは売れない芸人として生活していた者がそのように有名になるのは、たまたま運よくギャグが受けたということもあるだろうが、当人が腹をくくってある状態を脱したと言えばよいか、つまりプロ根性を照れなく発揮出来るように成長したからであって、その堂々とギャグを連発する向こうにうっすらと見え透くかつての小心と相まって、当人もまたTVを見る者たちと同じはかない人間であることを感じさせる場面が多くなった気がする。それは筆者が年齢を重ねたからであるかもしれないが、一方では芸人なるものが簡単に有名になって次々に消費されて行く存在でもあるからだ。つまり、軽くなっているのだが、その軽さを最初から見せる方がかえって人間味があって人気が持続するという現実もあるように思う。誰も怖くない大物ぶりの態度は、今では傲慢さと受け取られかねず、よほどビッグにならない限り、TV界では頻繁に登場させてもらえない。芸能人が様変わりして来ているとすれば、それはおそらく韓国でも同じだ。そういう内情をそのまま映画のネタとして据えているのがこの映画と言ってよい。
 主人公の太った女性は声がいいから、後はスリムな体と美しい顔を持てば、好きな男に振り向いてもらえて、人気歌手の座にもつけると思い始める。そしてそれを実行するのがこの映画のストーリーだが、全身美容整形をするには数百万円のお金がかかる。それをどうクリアするか。女性はゴースト・ヴォーカリストだけでは食べて行けないために、空いた時間で自宅でテレクラのアルバイトをしている。これもなかなか現実的な設定で、そういうことをする女性はけしからんと思う向きにはこの映画は最初から観ない方がよい。女性にナイスなバディがあれば、テレクラではなく売春をするかもしれないが、映画はそこまでは問わないし、描かない。テレクラでたまたま知ったある医師が美容整形医で、女性はその医者を脅迫して無料で手術をしてもらえることになる。太った女性の役と、手術をしてナイス・バディを手に入れた女性の役は同じ人物が演じているが、映画前半の太った役は見事な変装ぶりで、両目の間が狭いので多少違和感はあるが、それは後で同じ人物が演じていることを知ってからの思いであって、とにかく見事な変身ぶりの特殊メークの技術進歩には驚く。だが、痩せている者がそのように太ることは出来ても、もともと太っている人は痩せる特殊メークは出来ないわけで、その現実を突きつけるこの映画は、実際に太っている女性にはむごい。だが、世の中には太った女性が好きな男性もいるから、女性が太っていることをそれほど気にすることはない。ただし、その太り具合もさまざまで、極端に太っていることは、食生活が異常か、あるいはそれはそもそも精神的に弱かったりするので、その点において男性は近寄りたくない。そうした女性が仮に全身整形手術を受けたとしても、相変わらず同じ精神のままであれば、やがてまた同じように太ってしまうのではないかと想像するが、そうとはばかりも言えず、痩せたことに対する感謝の気持ちから、すっかり精神も入れ換えることになるかもしれない。筆者も運動不足からこの1、2年の間に急速に体重が増えたから、あまり太っている人のことはとやかく言いたくないが、太り過ぎると病気に関係する異常が起こりやすくなる。そのため標準体重を維持するに越したことはない。それに急激に太ると着る物も合わなくなって不経済だ。で、映画の話に戻ると、スリムになった主人公の女性は、自分の元の姿を隠して歌手のオーディションに応募し、そして才能を認められ、かつて憧れていたプロデューサーから色目を見られるようになる。つまり、夢の達成にほとんど成功する。だが、黙っていないのは、歌の下手な女性歌手だ。突然出現したスリムな女性の正体を見破ろうとと画策する。
 その大きな手段は、太っていた女性に言葉を発することの出来ない痴呆性の父親がいて、病院にいるその父親のもとにいつか娘は戻って来るとにらんで、病院で待ち伏せすることだ。その策略を悟った主人公は、父親を捨てる決断をする。そして大観衆を前にしたデビュー・コンサートを迎えるが、歌の下手な歌手は会場に父親を連れて行き、歌っている最中の主人公の前に立たせる。そこで耐えられなくなった主人公は涙ながらに自分が整形手術をしたことと、眼前にいるのは父親であることを観客に告白する。その結果は賛否両方ながら、告白した勇気を讃えるファンが多く、主人公は歌手としての地位を確保する。だが、映画は完全なハッピー・エンドで幕を閉じるのではなく、憧れていたプロデューサーとは結ばれる筋立てにはしない。全身整形の歌手がデビューする話は、そうとうなブラック・ユーモアだが、そうしたことが現実にあっておかしくないほどに、今は人間も含めてあらゆるものが作られる時代であることをみんなは知っており、むしろ体だけではなく、精神までもさっさと作り変える芸能人が多いであろうこともまた気づいている。怖いのはむしろ後者の方だ。だが、先に書いたように、それもまた芸能人であればそんなこともあるだろうという暗黙の了解のもとに人々はいる。この映画で面白いのは、音楽プロデューサーは歌手の才能を見つけて育てる才能ではあっても、その背後に金を出す人物がいるという、まさに業界内の黒さ加減をよく見せている点で、使い者にならなくなった歌手はさっさとネット上に猥褻画像な流して最後の儲け口になってもらおうと黒幕が発言する。日本ではプロデューサーたちがデビューしたての若い女性と性向し、その写真や動画がネット上に流れるといったことは珍しくもないようだが、つまりそんな業界内の裏事情をこの映画はほのめかしもしており、そんな芸能界からすれば、太った女性が全身整形を受けてデビューすることくらい当然と思えて来る。また、この映画の泣かせどころは、主人公の女性がテレクラをしていたり、入れ墨を入れたりする現代っ子ぶりを示しながら、太っていた時には憧れの男性から見向きもされなかったことの記憶があって、好きな人を陰で見るしか出来ない人の気持ちをよく理解しているという設定だ。一流の芸能人としてはいささか失格ともなりかねないそうした同情心は、この映画では欠かせないプロットして使用される。その同情心は、主人公の女性の目の前で出前の麺の鉢をぶちまけてしまう配達人に対して向けられる。そして親切にしてもらった気弱なその男性は密かに彼女のファンになり、彼女の姿を彼女から知らない間に自分が楽しむためにビデオ撮影するが、そのことが音楽プロデューサーに見つかってしまい、ストーカー行為をするなと暴力を加えられかけるが、彼女は気弱な男性の気持ちを思って擁護する。その結果、デビュー・コンサートの時に彼女が全身整形をしたことを告白しても、その気弱な男性は彼女を客席から励ます。かつて親切にしてもらい、彼女の精神が美しいという理由からだ。
 誰でも人間的な温かみは大なり小なり持っているが、日本の若い歌手を見ていても、人間的に優しいと思わせる者はほとんどいない。有名になるということは、それだけ才能もあってのことだが、まず自分こそが一番、人を蹴落としてもかまわないという根性もあるからで、先に書いたように、精神をそのように無慈悲に徹底して作り変えている者が人気者になる。そして、人々は、そうした有名芸能人が、いつか何かの失態によって失脚すると、ざまあみろといった思いを抱く用意をしている。もちろん、そうではなく、あまり敵愾心を抱かせない芸能人もいるし、ファンとは純粋な気持ちでつながっている者も多くいるだろうが、芸能人が見せる人間味というのはなかなか難しい問題で、弱みに見えるようではいけないし、過剰に温かみを演出すると嘘臭くなる。その中間の綱わたりをうまく長くやって行く者が、より長く業界で生き残って行く。そして本音をいつでも言える状態にあることが、その大きな手法のひとつだ。考えて見れば、この映画の主人公がステージで告白したことも、本音を正直に打ち明けた行為であって、その最後の賭けが成功するかどうかは、運次第でもある。この映画が、完全なハッピー・エンドにされなかったのも、その運がどこまで続くかという、きわめて現実的な観測を前提にしているからで、そこにもこの映画が完全な作り事でドタバタ喜劇でありながら、全く現実そのものであると共感出来る部分がある。芸能界の内情を描いた映画は少なくないが、この映画は現在のそれと、そして芸能人とファンとの差や関係ということも見せてくれる点で、ほとんど楽屋落ち、それゆえ面白くないと言えば言える内容なのだが、最初に書いたように絶妙なテンポと、そして秀逸な俳優の演技によって、非常に見所の多い作品となっている。特に脇役がよくて、気弱な麺配達人や、あるいは美容整形医、それに主人公の痴呆となって口がきけない父親などの演技に目が行く。整形医は「風の息子」や「春のワルツ」などで有名なイ・ハヌィで、この人はチンピラ役からこうしたコミカルな役、シリアスな演技まで何でも来いで、韓国映画界では欠かせぬ脇役だ。同じことは父親を演ずる「チャングム」に出たイム・ヒョンシクにも言える。主人公の女性はオーディションで抜擢された新人のようだが、歌は吹き替えなしで担当したから、今は歌手としても活躍しているのかもしれない。スリムな体はとてもセクシーに見えたが、筆者の好みではない。プロデューサー役の男性はTVドラマで見たことがないが、それだけ韓国には大勢の俳優がいるということだ。どんな映画にでも対応出来るだけの才能が育っているのはいいが、俳優の間で熾烈な競争があるはずで、それを思うと、この映画はまさにそうした業界内の実話に思えて来る。誰でもスターになれるほどに芸能人は軽くなったが、大ヒットする映画はなかなか制作が難しく、裏方の才能が充実してこそという、これも楽屋落ちのような現実をこの映画をよく示していると言える。
by uuuzen | 2008-05-05 23:59 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画
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