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●『2008 日本アンデパンダン京都展』
ねたチケットの半券を数えてみれば、今年に入って見た展覧会の数が23であった。この調子で行けば、年間の鑑賞回数は去年と同じほどになるだろう。



●『2008 日本アンデパンダン京都展』_d0053294_024392.jpgそのすべてをこのブログでは採り上げていないが、より面白いと思ったものからなるべく書くことにしているから、採り上げないものはさっさと忘れて、記憶の中では見ていないも同然ということになるのだろう。2年前にもこの日本アンデパンダン京都展を見た感想を書いた。去年も見たかったが、開催日を知った時には終わっていた。今年はネットで調べると、5月上旬とあった。だが、4月27日までであった。24日に岡崎の図書館や、毎回出品者の吉川弘さんから送ってもらう招待券があったため、京都市美術館に創画展も見に行った。その時、1階北側の部屋でこの展覧会をやっていることを知った。創画展をざっと見た後に見たが、正直な話、創画展より面白かった。創画展は出品の規約があって、誰もみな同じような大作を描いているが、大画面ぶりを持てあまして、技術がないのに無理している作品が9割以上ある。だが、描いている人たちは真剣で、芸術をやっているという意識は並み以上に強いだろう。それがひしひしと伝わる分、なおさら見ていて白けると言おうか、どうぞ勝手にやってくれという気になる。ところが、自主独立主義を標榜する日本アンデパンダン展は、出品料を支払えば、誰でも作品を美術館に展示してもらえるから、会場はまとまりに欠けがちだが、その分自由な空気が漂って、見ていて意外な作品に出会える確率が非常に大きい。それに芸術至上主義を思うにもかかわらず作品がそれに及びつかない創画展より、描いている人はもっと純粋に描いて発表することを楽しんでいる様子がある。それが見ていてこっちに伝わる。表現技術が未熟であったりする作品は当然目立つが、それを言えば創画展はある意味ではもっとだ。結局絵で何が大事かとなれば、見る人に対して訴えかける作者の人間性で、有名な画家になってやろうといった変な野心が見られない分、この展覧会には最初からしがらみから解き放たれた開放があって、見ていて心が和む。創画展の出品者の1000人にひとりくらいは有名になって絵だけで食べて行くことが出来る存在になるのだろうが、そういう現実を知っていると、会場に並ぶ大部分の絵が妙に悲しいものに見えて来る。そんな生き残りレースなどどうでもよく、自分が好きで描くのが本当の絵画であるはずだが、ひたすら絵だけを描いて生活するには有名になって絵が売れる必要があるから、ある意味ではそうした生き残りレースに参加することは仕方がない。そして、創画展に2、3度でも入選すれば、それなりに先生と呼ばれてちょっとした画塾を開いて素人を教えることで食べて行くことも出来るであろうから、やはりなくてはならない存在として出品する若者は跡を断たない。
 創画展を見ていてもうひとつ思うのは、100号以上の大きな作品を自宅のどういう場所に収納しておくのだろうということだ。売れるはずはないから、10年も描き続ければ、一部屋はまるごと塞ぐ。おそらく古いものから順にゴミとして燃やすなりするのだろうが、そう考えると最初からそのような大作ではなく、もっと小さな絵をたくさん描くか、掛軸作品を描くかすればいいのだが、小品では腕を発揮出来ないといっぱしの理屈をつけて取り合わない。それに掛軸になるような作品は最初から望むのが無理で描けない。油絵と同じように日本の顔料を使って膠で画面を盛り上げる日本画が世界的に認められているかと言えば、欧米の認識はいまもって江戸時代の絵画にあって、それは今後も変化ないように思う。日本が勝手に進化したと思っているだけで、すでに日本画なるものは終焉をとっくに迎えたと割り切るのがいいのではないか。だが、たとえば明治時代の状態に戻れるかと言えば、すでに当時の技術はすっかり途絶えて、誰もそれを継承発展させることは出来ない。絵画は時代につれて変化するものであるからそれもよしと肯定的に考えることも出来るだろうが、相変わらず住環境が貧しい日本を思えば、若者が一縷の望みを持ってせっせと描いて出品する100号や200号の絵画はいったいどこに飾ることが出来るのかと暗澹たる気持ちになる。小さなものを作るのが得意であった日本は、絵画でももっと小画面に向かえばいいと思う。それが出来てからの大作であるのに、全く本末転倒のことを公募展は暗黙のうちに強要している。その原因は欧米並みの美術館をどんどん建て、そこに飾られるべき作品が必要となったからだ。もしも日本から美術館がなくなれば、画家を目指す人はどれほど減少するだろうか。そして美術館がなければ、人々は今よりもっと家庭で絵を飾りたく思うだろう。また、画家は美術館があろうとなかろうと、とにかく好きで描く必要があるはずだが、美術館で展示されて売名をすることによって絵を売ることにつなげようとするのが現実であるから、今では美術館はもはやなくてはならない存在になっている。アンデパンダン展もまた美術館があってこその展示であるから、その意味では創画展などの公募展と大差ないとも言えるが、審査員の権威によって序列がつけられたりしない分、画家の自由性はより作品に露に出る。つまり、妙な下心がない分、絵がいやらしくなることから免れている。そこには虚飾をはぎ落とした人格が見えていると言い換えてもよい。創画なら創画、アンデパンダンはアンデパンダンの色合いがあって、結局は団体としての何らかのしがらみに囚われているという意見があるかもしれないが、ふたつを見比べればわかるように、後者はまとまりがほとんどなく、そのまとまりのなさこそがアンデパンダン展のよさと言える。
 今回、出入口で出品者目録をもらった。それを挟んであるタトウ紙の表紙には、「日本美術会とその周辺作家による」との但し書きが印刷されている。これは2年前にはもらえなかったので知らなかった。「日本美術会」なる会があることになれば、自主独立とはいえ、運営委員会のようなものがあって、会を引っ張って行く人がいることになるが、そうした人々の権力がどの程度のものなのか、それは筆者にはわからない。ネットで少し検索すると、かつては共産党と強く関係したところから出発した会で、今年61回目というから、戦後すぐに始まった。表紙を今めくると、こんな記述がある。『60余年前、日本軍国主義の専制と抑圧の体制が崩壊し、新しい国への模索の時期、平和・民主主義・真の自由を求める国民の運動と連動して、全く新しい形の美術団体として日本美術会が誕生しました。…』 こうした歴史を今改めて知ると、2年前に見た作品の意味がよくわかるし、今回の展示もなるほどと思わせられるものが少なくない。広島と京都への巡回は数年前かららしいが、道理で筆者は2年前まで知らなかった。東京では今年は国立新美術館で開催し、ネットで見ると、出品者数は京都の数倍はあろうかと思われるほどの盛況ぶりだが、京都に巡回するにはまた別料金がかかるはずで、いわばやる気のより強い人、経済的にもゆとりのある人の出品が中心となっていると考えていいだろう。タトウ紙を開いた右側には「日本美術会の趣旨」と題して、8つの項目が列挙してある。その6つ目が、『かつて戦争は日本の美術を傷つけ破壊した。戦争に反対することは美術家の責務である。われわれは人類の生存を脅かす核兵器廃絶をめざし、戦争と侵略をやめさせ、ファシズムを防ぎ、表現の自由を確保し、平和な世界をつくるために美術家としてあらゆる努力をする。』とあって、なかなか見事な宣言はジョン・レノンもびっくりといったところだ。こうした覚悟は、日本がもしまた極端に右に傾いて、戦争をしかけるようなことがあった時、さてどこまで通用するかなかなか疑問にも思えるが、こういう態度を表明する美術団体がひとつくらいなければ日本全体としてバランスが取れず、この会の趣旨をとやかく言うことはあるまい。また、こうした趣旨をよそに、ただ自分の表現したものを手数料を支払って美術館に展示してもらいたいと素朴に考える人があってもよい。そうした受け皿がないでは、描くこと、作ることが好きな人は自信を得ることはなかなか出来ない。個展やグループ展という手段はあるが、やはり大きな美術館の壁に飾ってもらいたいと思うのは人情だ。そして、出来れば少しでも人に自作を見てもらって何らかの手応えがほしいと思う。そうした気持ちがよくわかるからこそ、筆者は今回は早速この展覧会について何か書こうと思った。
 出品は200名足らずで、ここで全作品について感想を書きたいところだが、その余裕もないので、会場で特に目に止まった作品を簡単に列挙する。見た順ではなく、目録にしたがってアイウエオ順とする。石野泰之の「手結の港」は60号の横長の油彩。どこか田舎の港の風景を写実的に鳥瞰した作で、なかなか手慣れたタッチで温かい人柄も感じた。この作品が気になったのは、画面左上に風景には馴染まないものが描かれていたことで、これがしばらく見続けても何か理解出来なかった。それは木枠のガラス窓のようなものを空中から斜めに差し出して港の上に被せた表現で、ほとんど見過ごすほどの大きさだ。港に設置した何かの装置かと思ったが、そうではないことは形や大きさからわかる。前に描いたものを塗り潰すのを忘れたものかと思えばそうでもない。この意味不明のガラス窓ひとつによって、風景全体をシュールなものに転換する意味があるようにも見えなかった。とにかくその点において不思議な絵であった。岩崎孝の「家路」は80号の油彩で、背景の無地の黄色からして真夏の夕暮れ時だろうか、帰宅を急ぐふたりの若い女性の横向きの上半身を写実的に描く。なかなか巧みな技術で好感が持てたが、プロではないだろうか。木村悦朗の「都市の形成」は130号の油絵。銀座の鳩居堂前辺りの夜景を縦長画面に描く。黄緑色の蛍光色の使い方が非常に新鮮で、昼間のように明るい大都会の夜景を実によく表現し得ている。これほどにうまく描いた夜景は筆者はあまり見たことがない。鯨井洪の「米兵はイラクから出て行け!」は120号を3つ横並びにした超大作だ。タイトルから連想出来るように、数多いアメリカ兵がイラク人と一緒に描かれる群像で、ピンク色やえんじ色の多用と、ココシュカを連想させる激しい筆さばきによって現代の表現主義といった画面を作り出している。そのエネルギーはアンデパンダン展ならではで、他作を圧していた。坂下雅道の「いつ帰れるんだ!」は、100号の横長画面にアクリルでドクロ3体を漫画的に描く。かつて戦争で南方に散った人々の亡霊のようで、どこか戯画的に見えるところには、悲惨さを通り越して、描き手の思いが兵隊として徴られた者の怨念と重なって、今も静まってはいない逞しさのようなものを伝える。筆者はこうした作品はとても好きだ。佐藤俊夫の「削られる山」は縦162、横103センチの画面に油彩で文字どおり削られて明るい地肌を見せる山を描く。その地肌が独特の模様となってほとんど抽象画に見え、タイトルがなければ何を描いているかわからないが、そうした絵となる場所を切り取る手腕はなかなかのもので、もっと他作を見たい思いにさせる。武田美雄の「靴を喰う兵士」は、高さ85センチの鉄製の彫刻で、骸骨となった日本兵が靴を食べているところを表現する。まるでチャップリンの映画のようだが、この作品には笑いを通り越して悲哀がしみじみ伝わる。こうした作品を作る人は何歳かと思うが、戦後生まれとすれば、戦争に対する思いはそうとうなもので、アンデパンダン展の趣旨に見事に沿った代表作と言える。この会の出品は、2年前もドクロを表現したものが目立ったが、戦争を初め、現在の環境危機などを表現するには、それがもって来いという理由もあるからだろう。その意味で使い古されたモチーフと言えるが、実は人間は本質としてドクロをみな持っており、それを自覚するうえでもこうしたドクロ主題の作品は今後もなくならない。
 田村政雄の「鍛工場」は20号の油彩画で、小品ながら、しみじみとしたいい味わいが出ていて、強く印象に残った。3人の工員がオレンジ色になった鉄の輪を機器を使って鍛えている場面を描く。オレンジ色以外は灰色と黒が中心で、ものさびしい工場を感じさせるが、オレンジ色の鉄輪を扱うところに、工員たちの内面が象徴的に表現されている。この絵を描いた人は同じような工員かどうか知らないが、職業に対する眼差しには強い共感が感じられて、作者の人柄をそこに想像する。坪井功次の「累々」は高さ135、横は655センチという大作で、包帯のような布で全身を包まれたさまざまな人体が縦並びで多く描かれる。親子もいれば老人もいるといった状態だが、国籍は不明で、どこの国にでも生じ得る大量虐殺の一例を示しているように受け止められる。背景は濃い灰色であるため、全体はモノトーンを呈しているが、この包まれた人体はヘンリー・ムーアからの影響を強く感じさせた。あるいは意図としてはアバカノヴィッチだろう。中川結治の「さまざまな風景」は、はがきの幅程度の長い手織物を13枚束ねて垂らした作品で、ざっくりとした風合いと糸のそのさまざまな色合いがとても美しい。工芸作品で、社会的な意味はないが、見る人が自由に感じればよい。中村勝久の「北穂高岳」は130号の油彩画で、地元の人が描いた変哲のない山岳風景と言えばそれまでだが、夕暮れだろうか、全体に渋い紺色に染まる厳しい襞をした山の威容は、地元の人でしか描けない味わいがあって、こうした作品には共感が持てる。中森伸の「後継者」は30号の作品で、これも田舎の現実に取材した作品だが、現代の日本社会の現実を示して社会派的な眼差しがよい。収穫機の上に男性が乗り、それを年配者が指導しているが、指導される男性もさほど若くはないようだ。何を物語っているのかは正確にはわからないが、あれこれ想像するのもよい。藤井剛志の「幻想から解きほぐす刻」は、紺、赤、黄、藍、橙、黄緑色の色画用紙を使った切り絵で、横長の大きなパネル仕立てにしてあった。ピカソのリノリウム版画を思い起こさせるような半抽象の人物像で、絵具では表現出来ない面白さが際立っていた。星功の「襤褸のごときに」は183×282という大画面にボロとなった衣服の山を描き、全体に非常に陰鬱な感じがするが、よく見ると、ところどころに小さな黄色のユダヤ・バッジが描かれ、画面左下隅にはこちらを向くユダヤ人青年の上半身が描かれる。これは作者がアウシュヴィッツなどを見た経験によるものだろうか。ドクロを題材にするのと同じような視点に立った反戦絵画だ。
 星島澤子の「置き忘れた風景」は60号の油彩で、創画展に並んでもおかしくない作品だ。ベージュ色を主体にしたパステル調の色合いでまとめた抽象画で詩情がよく漂う。こうした作品が並ぶところにアンデパンダン展の幅広さがあってよい。万城目純の「FUMIE-SAN」は、三文判を大量に使用したインスタレーションだ。4つの寿司桶を田型に並べ、その内部にそれぞれ三文判をびっしりと詰め込むが、それぞれ中央部に「士」「農」「工」「商」の文字が判子の印面を、他の地部分は判子の印面の反対側の黒い部分を見せることによって表現される。あらゆる階級にあらゆる名前があるとでも言うつもりであろうか。眞住高嶺の「マルセイユ湾の眺め」は120号の油彩で、フォトリアリズム的に快晴の真っ青な海辺の景色を描く。中央に燈台が描かれていたが、マルセイユを旅した解きの思い出だろう。戦争とは関係がないが、素直な感動が伝わってよい。御笹更生の「こんないのちの形」は50号の油彩で、タイガー立石を思わせる遊び感覚とでも言おうか、画面の全体をほとんど白菜が占めるが、よく見ると、その向こうの平原に小さくゴッホの種蒔く人の姿が描かれる。白菜の強烈な表現と、形の取り合わせの面白さが相乗効果を上げている。森田隆一の「沈黙の譜」は3枚の縦長のパネルを並べた油彩画で、全体に渋い藍色の濃淡を塗り、それを引っ掻いて白線によるドローイングを生じさせている。パウル・クレー的な抽象とでも言えばよいか、どこか松本竣介の寡黙な画風に通ずるものもある。館秀夫の「巣立ち」は100号の油彩画で、青空の下、森があって、そこに円柱が立ち、女が3人描かれる。典型的な幻想絵画で、技術は非常に達者で、プロであろう。こうした幻想絵画は絵空事になりやすく、単なる面白味ですぐに忘れてしまうことが多いが、この作品は力量があって、強い印象を残す。山内比呂子の「村のまんなか」は50号の油彩で、これもクレー風ながら、裂地を組み合わせたような表現と、中央に赤がある点において女性らしい温かみの溢れた作品で、好感が持てた。山岸稔の「ダムに沈む山里」は60号の油彩で、ブルドーザーと農婦を主題にした山間部の一光景を描く。大阪在住の人で、地方に取材したのだろうか。タイトルと合わせて見ると、悲哀が感じられる。社会派的絵画に分類してよいのだろうが、こうした日本の現実を留める作品はもっと描かれてよい。
by uuuzen | 2008-04-29 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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