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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『生誕二九〇年 木喰展-庶民の信仰・微笑仏-』
数券が2枚ほど残っていたので、京阪電車に久しぶりに乗った。車内の吊り広告をふと見ると、守口の京阪百貨店のギャラリーでこの展覧会が開催されているのを知った。



●『生誕二九〇年 木喰展-庶民の信仰・微笑仏-』_d0053294_2353734.jpg京阪神で開催されるほとんどの展覧会は注意して確認していると思っていたので、不意を食らった気がした。会期終了まで間近であったので、早速先月29日に行って来た。ある展覧会場に行けば、たいていは別の展覧会のチラシを置いてあるから、それだけでも情報把握はほとんど完全に出来るはずなのだが、この『木喰展』に関してはチラシを見かけなかった。京阪ギャラリーの前には明石で開催されたようだが、それを除けば関西では守口のみの展覧で、なぜ京都や大阪市内で開催されなかったのかと思うが、地味な内容と認識されたのであろう。したがって京阪ギャラリーもほとんど宣伝せず、京阪電車に乗る人だけが辛うじて知り得た展覧会であったと思う。筆者の記憶する限り、今回の『木喰展』は京阪神では初めてのことだ。それだけでももっと大いに宣伝されてしかるべきだが、宣伝するにも金がかかるということで、地味な内容の展覧会はそれにふさわしい扱いしか受けない。それにしても生誕290年とは中途半端で、10年後には国立博物館あたりで大規模展をするのであろうか。円空ほどには有名ではない木喰であるので、生誕300年展が開催されるかどうかは怪しい。それはさておき、近年で木喰を見たのは去年のことだ。京都文化博物館での『柳宗悦の民藝と巨匠たち展』に何点か展示された。甲府で木喰を発見して世に紹介したのは柳だ。筆者が柳のことを知ったのは10代の終わりで、20歳頃には大半の著作を読んだが、木喰仏は博物館に所蔵されていないこともあって、最も近い八木の清源寺まで大阪から国鉄に乗って見に行ったことがある。駅前からタクシーに乗ったと思うが、丹波のえらくのんびりした田舎に来たという感じがした。今は様子も違っているかもしれない。老いて小柄ではあるが、元気な住持に、ずらりと並ぶ木喰仏を目の前に説明をしてもらったことがまだ鮮明に記憶にある。それから35年ほど経って、ようやくこうした『木喰展』を見ることになって感慨深い。図録は2000円と安かったので迷わずに買った。2、3年前に古本で買った円空展の図録ととてもデザインがよく似ていて、版形も同じだ。そう言えば筆者はまだ『円空展』なるものを見たことがない。1994年に大阪で開催されたが、当時は知らなかった。あるいは、新聞で知ったからもしれないが、行かなかった。
 あまりに有名な円空は子どもの頃に名前を知ったが、筆者はその厳しい表情の仏はあまり好きではない。円空とよく似た生涯を送ったのが木喰で、ふたりはよく比較されるが、木喰は円空が死んで10数年後に現在の山梨県に生まれた。木喰がいつの時代の人かと言えば、ほとんど若冲と同じと思えばよい。年齢も3つ4つしか変わらない。だが、木喰の年齢は正確にわからず、10年の差があって、享年は93か83のどちらかだ。どちらにしても長生きしたことには変わりはない。「木喰」とはそのまま考えれば「木を喰べる」で、乏しい菜食で生きる僧を思わせるが、おそらくそのようにかなり粗食だったのであろう。しかも、精力的に歩き、しかも全身を使って木を彫り続けたので、もともと頑健な体であったとしてもなおのこと健康を保てた。人は粗食であるほどさして病気もせずに長生きするはずで、毎日ご馳走を満腹になるほど食べていると、ふくよかと言えば聞こえがいいが、言い換えればでっぷりと醜くなって、癌にでもなって早死にする。それに、だいたい美食しか望みがないでは精神が貧しいから、それがそのまま顔に出る。しかし、そういう人に限って粗食する人を貧乏だと見下すのであろうが、そうなればなおのことその人は醜い表情になる。ご馳走もたまに食べるからいいのであって、ほとんど毎日では体に毒を詰め込んでいるのと同じだ。そうは言っても、粗食を毎日食べるくらいなら死んだ方がましと思う人もいるから、世の中は釣合いが取れている。話を戻すと、柳が木喰仏を発見してすぐに関心を抱いたのはさすがと言うべきだ。誰も何の評価もしていないものを、堂々と声高に「すごい!」と断言し、自分の足で調査を徹底してするのは、そう誰にでも出来ることではない。柳が木喰仏をを発見して集中して日本中を動き回って調査をしたのは、大正13年から2年ほどで、木喰が死んで100年少し経っていた。当時柳は30代半ばだが、まだ若かったことも木喰の跡を辿って調査を集中して行なうことも出来た。だが、35歳くらいの人物に周りの人もよく協力し、柳の木喰仏発見を当時の新聞が積極的に紹介したのは、柳が当時すでにそれほど大物であったことであり、今はそういう人がいるのかどうか、何とも複雑な気持ちにもなる。柳によって発見されるまでにすでに消失したものも少なくないはずだが、現在は700体が確認され、そのうち600ほどが所蔵先がはっきりしている。柳は2年の間に350ほど発見したが、その憑かれたような熱気は、木喰の異常なほど過剰な数の創作力と重なって20歳頃の筆者に充分伝わった。当時驚いたのは、木喰が全国を歩き回りながら仏を彫ったが、50(あるいは60)を過ぎてであったことだ。その年齢の半分にも至らない筆者はこれからいったい何をどうして行くだろうという不安混じりの期待を抱きもした。今、筆者は木喰が仏を彫り始めた年齢に達したが、それでも熱意さえあれば、80か90で死ぬまでに700体の仏に匹敵する量の仕事が出来る。いや、そう思えるだけでも、木喰の存在は人々に勇気を与える。
 その木喰の活力の源がいったいどこにあったのか、今も筆者には不思議だ。仏を彫り続けた点からは、当然信仰心の賜物と思うが、江戸後期にもまだそういう信心深い人物がいて、それを支える同じような素朴で宗教心のある人々が全国に住んでいたことに、何か今となってはすっかり手の届かない遠い日本を感じて寂しくなる。現在もしも木喰のように生きようとすれば、まず乞食と思われるか、すぐに強盗に遇うか、あるいは名前がマスコミに出て、TVで特集されて有名人になるかで、どっちにしても木喰のようには生きることは出来ない。木喰は自分の作った仏が永遠に大切に保存され続けると思ったであろうか。おそらくそんなことはあまり考えずに、自分が納得出来るものを作り、それが人々に喜んでもらって、手を合わせて拝んでもらえればそれでよかった。その意味で、売名行為第一主義から遠く、いやらしさからは免れていると見るべきだ。柳が注目したのもそれゆえであって、初めて見るような仏像であっても、それにいやらしさが露になっていれば、気に留めることもなかった。あるいは叩き壊したかもしれない。造形は不思議なもので、人柄をそのまま示すから、時として見ていて非常に不愉快になる作品は多い。だが、本人は悦に入っているし、またその作品をいいと誉める人もあるから、やっかいなのだ。だが、筆者の年齢になると、もうおべんちゃらを言ってまで当人に擦り寄るつもりは毛頭ないから、黙ってその場を離れるだけだが、いやなものを見たという気分は長く残るので、あまり何でもかんでも見たり聴いたりするのは考えものだ。個性と言えば、何だかいいようなものばかりを思ったりもするが、いやなものもあって、これを世間では肌に合わないなどと表現するが、なるほど嫌いなものでもそう言っておけば、さほど差し障りもなくてよい。さて、円空仏がそうであるのと同じほど、どの木喰仏も個性的で、一目で木喰とわかるが、ここから思うのは、全国を行脚する以前、相当早い時期から仏像を彫り、自分の個性を完成させていたであろうことだ。柳が関心するほどであるので、それは民藝的な味わいの濃い、つまり健康的で無名性に近い庶民を対象にしたものと言ってよいが、ふてぶてしさがかなり濃厚と表現してよく、一種のアクの強さがある。それを好むかどうかで木喰の評価が分かれるが、木彫りであるから彫り直しはきかず、しかも休まずに彫って4、5日で1体を彫ったほどの精力的な活動であったというから、中には失敗とまでは言わずとも、出来のよくないものも多少は混じったであろう。それも含めて木喰であり、そこにアクの強さの由来があるかもしれない。それに、現在は江戸時代とは違って、仏教への信仰心は相対的にかなり低下していて、ありがたみを持って手を合わせるということもない。つまり、木喰の意識がなかなか感じにくくなっている。
 八木で実際に見た木喰は、本で知った以上の感動のようなものはさほどなかった。そのことをこの35年間ずっと棚上げにしながら思うのは、先のアクの強さで、それは芸術家の個性にほかならないと思える一方、仏像がそうしたものたり得るかと考えた時、どうもしっくり来ない何かがある。それは円空仏でも同じだ。つまり、通常のよく見慣れた仏像とは相当違って、無名性にたたずもうとすることとは反対の、作り手の個性があまりにほとばしり過ぎている現代性に戸惑う。木喰は仏を彫ったが、同じ才能が現在あれば、全然違ったものを作っていた気がする。そのため、木喰は信仰心から作らずにいられなかったと言うよりも、自分の芸術的満足心を満たすために突き動かされたように思える。これは現代の芸術家と完全に同じで、素朴な信仰心のみでは済まない、自己表現、自己主張を積極的にするという動機が木喰にあったのではないだろうか。だが、50や60を越した年齢で故郷を出て全国を歩いて各地で仏を作って回るというのは、単に自己表現を尽くすという思いからは出来ない。地元で動かずに作ることも出来るし、またその方が気楽でもあり、より多くの作品が出来るように思うが、それは現代の作家的な見方であって、全国を回ることで各地で喜捨を得て、作り続けることが可能にもなったのであろう。それは旅芸人と同じ生き方で、そうした存在は日本では江戸以前からあった。つまり、好きなことをするには歩き回る必要があった。そして、それが毎日新しい人々との接触という刺激にもなって新作を生む力になった。その意味で木喰は人好きな性質であったはずで、それが作った仏の表情にも表われた。円空仏はもっと厳しく、しかも木喰仏より小型で、しかも彫りの手数はかなり少ないので、4500体といったように木喰仏より数がはるかに多いのもうなづける。木喰は50歳以前に円空仏を知っていたであろう。知っていなくても、全国を回る間に見たはずだ。だが、同じような生き方をしたのに、双方の仏はシャープとソフトといったように正反対で、木喰が円空仏を意識した様子は少なくとも作品からは見えない。もし木喰が円空仏に似たものを作っていたならば、柳の注目するところには決してならず、埋もれたままであったはずだ。柳は宗教にも強い関心があり、木喰仏を庶民が拝むにふさわしいものと考えていたであろうが、すでに各地では忘れされたような存在になっていて、その点においては拝む対象としての役割を終えていたことを実感したとも言える。仏像を拝む対象としてではなく、美術館や博物館で芸術品として鑑賞することが当たりまえになった現在、木喰仏もまた造形的な側面からもっぱら論じられることになる。だが、厳然として木喰が日本中を歩いて作り続けた事実は残るから、その途方のないエネルギーを思うことが、木喰仏の鑑賞に必ずついて回って、先に書いた「強いアク」を相変わらずこれからの人も感じ続けるだろう。そしてそれは今後ますます理解に苦しむものとなるはずで、芸術家として見た場合も、ひとつの大きな批判的見本となり続ける。
 今回の展覧会は筆者が初めて見るものばかりで、小さな会場ながら、かなり内容は充実していた。保存状態の差にもよるが、かなり黒っぽくなったものから、茶色のものまで、色合いはさまざまで、一堂に会するとその年月を違う状態で経た様子が面白い。また、かつて村で子どもたちが橇として使用したものが1体展示されていたが、目鼻が擦り減って見えなくなっており、それはそれで惜しいと言うよりも、微笑ましさを感じた。それは木喰自身を彫った自刻像だが、「強いアク」は自刻像が多いことにもよる。他の仏に混ぜてこの自刻像を紛れ込ませていたりするが、この態度もまた仏師と言うよりも、まるで現代の作家と同じで、そのあっぱれと言うしかない自意識に呆れると言えばよいか、何か親しみの湧く縁起物を見ている気分になる。それは木喰の意図するものであったろう。筆者は全体に木喰仏は、恵比寿や大黒天を見るような感じがするが、庶民にとって木喰仏は豊かで微笑ましく、また縁起のよいものとして映ったと思える。苦労を笑いで吹き飛ばすという意識も働いたかもしれない。深刻なものより、わかりやすいもの、楽しいもの、健康なもの、まさに民藝の本質にそのまま沿った制作態度を木喰は抱き、人々と日々交わる中で、人々が目を丸くして驚く中で、ざくざくと彫り進んだであろう。今回初めて見たが、像の背面には木喰の作った年月と像の名前、そして木喰の年齢と花押が墨で全面に書かれている。木を用意するのは力仕事であるし、また村人に切り倒してもらう必要もあるが、何より彫刻の道具もかなりの重みになったはずで、その手入れも考えれば移動も大変であったと思うが、弟子のような人物がつき添っていたことを知った。それにそうした人物の作品も残っていて、時として木喰仏と思われて来たらしい。老齢の木喰のことであったから、当然そのようなつき添いは必要であったが、そういう生き方に同調し、ともに行動して仏を現地生産出来る世の中があったことはうらやましい気もする。今回の展示では木喰がつけていた日記類も公開され、それによって足取りがわかるのだが、柳はそれを見て短期間に多くの像を発見することが出来た。また、木喰は木彫りだけではなく、仏画や「南無阿弥陀佛」の書も多く描いており、今回はその展示もあった。「強いアク」はこの書画によってなおよく伝わる。特に「南無阿弥陀佛」の筆跡は、上手に書こうという書の常識を全く越えて、個性と工夫の表出が著しい。左手の3本指をあちこちにバンバンと押し、しかも印章もあえて斜めに目立つ箇所に押すなど、とにかくびっくりさせられる、そして一度見れば忘れられない強烈さがある。菩薩の版木も展示されていて、これは摺ったものをお礼代わりに配付でもしたのであろうか。筆者は木喰その人よりも、それを支えた人々の社会の方に今回は関心を持った。そういう社会が現在の日本のどこにもないとすれば、これは大いに考えるべき問題を提起している。芸術とは何かという根本問題ともそれは関係しているのは言うまでもない。また、老人がのんびりと年金で過ごすといったこととはまるで正反対の激しい生き方によって作品を体現することが第一義であることを突きつけており、アホらしいグルメ番組や、大食い女を出すTV番組を垂れ流すより、木喰をもっと紹介すべきだ。
●『生誕二九〇年 木喰展-庶民の信仰・微笑仏-』_d0053294_13594911.jpg

by uuuzen | 2008-04-11 23:07 | ●展覧会SOON評SO ON
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