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●『濡れ髪三度笠』
由はいくつかあるが、少年時代の筆者は時代劇より西部劇の方が断然面白いと思っていた。近所の友だちと遊ぶ時、そのどちらになり切って遊ぶか意見が分かれたものだったが、チャンバラ・ゴッコは苦手だった。



●『濡れ髪三度笠』_d0053294_23355993.jpgその頃、つまり昭和30年代は大阪市内でもまだ空き地があちこちに残っていて、そうした場所に勝手に出入りしても誰も叱る者がなく、よく西部劇ごっこをしたものだが、今では7階建てのマンションなどが林立する。畳1枚の小さな土地でも税金がたっぷりとかかるから、所有者は有効利用に余念がなく、町中で子どもたちがのんびり西部劇ごっこも出来なくなった。西部劇がよいと思っていた理由のひとつは、拳銃がかっこうよく見えたからだ。時代劇ではほとんどそれは登場しないし、出て来るとしても悪者が使う卑怯な道具という扱いで、実際この『濡れ髪三度笠』でもそういう文脈で使用されていた。日本の武士道では刀で斬り合うのが男たるもので、離れた場所からズドンなどというのは臆病者がやることといった通念があったのだろう。2年ほど前のタモリのTV番組で、鉄砲の玉と日本刀のどちらが強いかを実験していた。発射された拳銃の玉が固定した刀に当たった瞬間、玉は真っ二つに割れて飛び散った。刀はそれほど強く鍛えられているということで出演者はみな感心していた。それが日本が欧米より上位にあるという自負のような思いにつながるのであろうが、そういう強靱な刀を造る技術が今の日本のどこの分野にどう変化して表われているのか、あるいはそんなことは望めなくなっているのか、判断は難しい。かつて日本映画は時代劇をせっせと作る一方で、別の映画会社がそれに対抗して拳銃がよく発射されるヤクザ物を作ったりしたが、時代の趨勢は後者に移って行ったのではないだろうか。その理由のひとつは、日本が戦争に負けて、よりいっそう生活が欧米化したことと、それに比例して時代劇を撮影するのにふさわしい江戸時代の風景がなくなって行ったことも理由としてあるだろう。今でもたまに時代劇はTVドラマや映画でも撮られるが、昔の全盛時代に比べると見る影はない。近年は木村拓也を使った時代劇がヒットしたようだが、ほとんどアイドル人気に便乗した悪あがきに思える。もう時代劇は過去のものになったのだ。第一、役者がいない。それに味のある脇役が枯渇しているし、時代考証を丹念にして、小道具のひとつずつにこだわるということもない。仮にそれが出来ても観客の方に知識がないので、ほとんど無意味と言ってもよい。それにエキストラをたくさん使った大がかりなロケは不可能であるから、コンピュータを使って映像を作り出したりするが、それによってますます現代が江戸時代から遠い存在になったことを自覚させられ、見ていて白ける。
 『濡れ髪三度笠』という映画を3日に京都文化博物館の映像ホールで見た。いつも書くように、ここは展覧会を見たついでに同じ券で映画も見ることが出来る。翌日の4日にしようかと迷ったが、当日は『悪名』の上映で、それはTVでも見たことがあるので、気が進まず、それで何の前知識もなく、『濡れ髪三度笠』にした。先頃、映画監督の市川昆がなくなったが、今回の映像ホールでは、市川昆と、その3か月ほど前に88歳で亡くなった田中徳三監督の作品が計8本が日代わりで上映されている。『濡れ髪三度笠』はその田中監督の作品だ。市川監督の死去はTVや新聞で盛んに紹介された。先月だったか、「NHKアーカイヴス」という番組で、題名は忘れたが、同監督のTV用時代劇を丸ごと1本紹介した。その1回のみで話が終わるとばかり思って見たが、数回の連続物で、しかも残りの分の放送予定はなかったのでがっくり来たが、その初回分だけ同監督がかかわったので、それも仕方がなかったのだろう。80年代の作品だったと思うが、とても面白かった。今放送してもそのまま通用する内容で、古さを全く感じさせなかった。時代劇において古さを感じさせないと言うのも何だか変な表現だが、しっかりと作られていて、感心することしきりであったのだ。それは役者の力量なのか、監督なのか、あるいは制作当時の空気なのか、おそらくそれがみな一体化した中から生まれたもので、今でも同じような風格のものを作り得るであろうか。そのことを否定すると、今の若い人からは時代錯誤とばかりに嫌われるだろうが、時代劇をしっかりと作れる監督がいた時代と、そうした時代劇全盛の空気を知らない監督ばかりの時代とでは自ずと時代劇作品の風格に差が出る。映画が大きな娯楽であった頃と今では、時代劇というものが確実に小さくなり、変質したのだ。確かに仰々しい内容ではなく、武士を今のサラリーマンの一員になぞらえたような、社会のほんの片隅のドラマを人間的に描写する時代劇はあるだろうしあるはずだが、それはそうしたものしか撮れないほど時代劇が萎縮してしまったからと見ることも出来る。江戸時代の下級武士の悲哀を描くのであれば、何も時代を江戸時代にせずとも、現代劇でも充分であるはずで、筆者としてはそんな重箱の片隅に焦点を合わせた小さな時代劇は見る気がしない。昭和30年代の時代劇はもっと娯楽に徹したものであった。必ずチャンバラの場面が何度かあり、大勢の人がバタバタと死んだ。それは子どもが見てもマンガとわかるようなもので、倒れた人がまた次のシーンで生きて斬り合いをしているのであったが、チャンバラすなわち斬り合いがないことには、子どもも大人も満足しなかったのであろう。刺激がと乏しい時代はそうしたものが何かで生産される必要があった。今は刺激がきつ過ぎる時代であるから、時代劇も先に書いたような大人しかわからない純文学的なものが作られる。それに子どもが映画館に足を運んで大人と一緒に楽しめる娯楽映画というものの必要がなくなった。子どもは子ども、大人はそれこそアダルトなものをということで住み分けるようになったのだ。そうでなかった時代、つまり先日このカテゴリーでも書いたイタリア映画の『ニュー・シネマ・パラダイス』が舞台とした時代では、大人も、また子どももそれなりに求める刺激的なエロ・グロ・ナンセンスを、1本の娯楽映画にどのように配分するかは監督が求められる手腕であったが、日本では特に、子どもが見るのであればエロはほとんど拒否されるから、グロとナンセンスが強調された。そして結論から言えば、『濡れ髪三度笠』はグロ抜きで後者の要素が大きかった。今は時代劇をチャンバラなどと呼ぶことは全くなくなったし、子どもたちがそうした映画を見なくなったのも、TVが登場して時代劇が衰える一方、コンピュータ・ゲームが発明されて子どもたちがそれに向かったためだが、おそらくエロ・グロ・ナンセンスはそうしたゲームに巧みに盛り込まれているのであろう。
 『濡れ髪三度笠』は題名からも想像出来るように、艶のある股旅物で、娯楽に徹した喜劇だ。艶の部分は俳優に負うが、それをヤクザ役の市川雷蔵が主に担当し、その相手役の淡路恵子もかなり色っぽい雰囲気を漂わせていた。この両者の色気というものは、今のポルノとは対極にあるもので、そこはかとなく零れるように漂うものだ。だが、それは8歳の子どもでも感じることの出来るものだ。この映画はそこにもうひとりの若い男、幕府の殿様となることが約束された本郷巧次郎が出るが、市川雷蔵の男ぶりに惚れ込む筋立てで、映画の最後では褌一丁になって川面を舟で下る市川を追いかけ、ついに川の真ん中でふたりは抱き合うという場面で映画が終わるのだが、見方によってはホモが大喜びで、エロの部分はかなり屈折した状態で表現されてもいる気にさせられる。そのほかにこの映画で顕著なのは、道徳的と言えば語弊があるかもしれないが、市川が本郷を殴りつけて諭す場面で、殿様となる人間は、それなりに我慢もし、人から尊敬されるべき存在であらねばならないといった人の道理を口にする点で、これは昨今の映画ではまず発せられないセリフであろう。映画の内容を簡単に言うと、徳川家斉に50人ほどの子どもがいて、その中から跡継ぎを誰にしようということになり、結局甲州藩の本郷が籤引きで決まるが、それを快く思わない備前藩の連中が本郷を殺そうと企てる。そこにひょんなことで市川と本郷が出会い、やがて市川が本郷を無事に江戸まで連れて行くことになる。その間のさまざまな事件が映画の中心をなしている。ヤクザ者が格好よくて、幕府の殿様を始め、権力者はみなすっかり馬鹿者扱いされていると言ってよいが、これは喜劇であるからこその設定で、大衆はそれをよくわかったうえでこうした紋切り型の内容を好んだ。で、そんな量産映画であるにもかかわらず、筆者は実にこの映画を面白く見たが、何が面白かったのか自問すれば、ようやく筆者の年齢になってわかることがたくさんあったからだ。この映画は1959年封切りで、当時筆者は8歳であるから、おそらく映画館で見たかもしれない。だが、8歳の子どもにどのように理解出来たかとなると、面白いと思ったのはチャンバラ・シーン程度であったかもしれない。当然今見ると、懐かしさも手伝ってだが、すべてのシーンが無駄なく構成されていることに驚き、当時の日本の映画の質の高さに唸ってしまう。その懐かしさの部分は今の若者には理解出来ないから、おそらくこの映画を見ても筆者のように感じず、平凡な作品と思うかもしれない。そして、もしそうならば、娯楽映画というのを時代を大きく隔てて見ると、質が変化してしまっていて、娯楽でも何でもなく、すでに消費し尽くされた無残な残骸に思えるかもしれない。この点を論じ始めると、ややこしくなるので深入りしないが、ひとつ言えるのは、映像作品は、時代を経ると、監督が予想しなかった部分において捉えられる部分が増えるということで、その解釈性はいわば無限と言ってよく、作品が消費し尽くされるということなど絶対にあり得ない。確かに時代を経ると、鑑賞者の知識のありどころが変化しているから、娯楽であった部分のすべては理解出来ないが、その分、批評的な目を自然と持って見つめることになって、その冷静な分析において面白いと感じる部分が増える。筆者がこの映画を見て面白いと思ったのもまさにそういうことにおいてと言ってよいが、ただし筆者はこの映画に登場する俳優や、あるいは制作された1959年という時代を知っているので、今後50年経って見る人とは見方が違うだろう。ただし、50年前に見た人とも違っているかとなると、そうではない気がする。つまり、50年前にこの映画を作った監督の思いがようやく今の筆者にわかると言おうか、作品をどう作ればどう面白くなるかといった方法論がとてもよく見え、しかもその才能や、それを表現した俳優たちに驚く。
 そこで思うのは、やはり今とは格段の差のある映画全盛期だ。当時の大人たちがこの映画をどのように面白いと思ったかを考えると、おそらく筆者が面白いと思ったのとほとんど同じではないかと思う。繰り返すが、そのことが50年後の大人が共有出来るかどうかとなるとかなり怪しい。だが、作り手側の目に立って、分析に見る目はより育っているはずで、そうなった時にもなおこの映画は一種完璧性を保った作品の評価を得ているに違いない。どこが完璧か。それは先のナンセンスの言葉を持ち出してもよいが、たとえば筋立てとは無関係に突如当時の流行歌を歌うグループが登場するといった部分にある。それに、この映画には大阪の漫才師のダイマル・ラケットが弥次喜多として登場する。ラジオやTVの人気者が映画にゲスト的に登場するのは今でもよくあることだが、演技のプロでもない漫才師にセリフを言わせるのはなかなかの冒険だが、そういう狂言回しを導入することでアホらしさは増加する。そこには「なぜ」という観客の思いを超越した問答無用さが最初からあって、その一種の迫力に観客は無意識のうちに納得させられる。映画は作り事であり、何でもありの世界と思って安心して見られるから、それを最初から保証する突飛とも言える配役は楽しさの道具になるのだ。ところが、今の若い人はダイラケを知らないから、なぜそうした素人臭い演技のおっちゃんふたりがしばし登場するのか理解に苦しむだろうが、その理解に苦しむところは実はこの映画が作られた当初からの見込みであって、その「意味不明さ」はそのまま飲み込むのがよい。同じように「意味不明」の配役は、先に書いた流行歌手の登場だ。これはマヒナ・スターズで、リーダーの和田弘は登場していなかったが、映画の終盤、大井川近くの宿屋に主役たちが投宿する場面で、突如彼ら歌いながら仲居の役割として客が居並ぶ部屋に入って来る。その場面は全部カットしても、映画の筋は何ら不つごうではなく、むしろそうあるべきなのだが、その違和感の塊のような場面こそは、映画全編を通じて最も印象深いと言ってもよい。無茶苦茶なナンセンスぶりの極致でありながら、一方では強引に筋立てに絡みも持たせられていて、ほとんど哲学的に問題とされる造形手法がそこにあると言っても過言ではない。作品の力というものを考えた場合、おそらくこの映画のマヒナの登場は、暴力的なまでに圧倒的で、芸術の崇高さが何たるものであるかを適切に表現し切っているとさえ思える。マヒナは2曲歌うが、江戸時代さながらの場面に、小さくスチール・ギターの響きが鳴り響いて来たかと思えば、すっかりミュージック・ビデオ的な流れに突入する。その部分で筆者は思わずビートルズの『ヘルプ!』を思い出したが、考えてみればこの映画は『ヘルプ!』の6年前だ。こうした歌謡曲の挿入は、ミュージカル映画からの引用手法だが、時代的に近い作品としてはエルヴィス・プレスリーの映画があった。つまり、アメリカナイズされた部分を確実に所有している。その延長上に現在があるから、この映画を時代劇の最たるものとして認識することは問題もありそうだが、それを言えば、時代劇の舞台である江戸時代そのものが、海外の文物をいろいろと取り入れた世界であったから、純粋な時代劇はいったい何かという問題にもなって来る。
 マヒナ・スターズの歌う2曲目は「好きだった」であった。これがまた実によかった。喜劇ではあるのに、「好きだった」の泣き節のメロディと歌詞がぴったりとする物語も挿入されており、その顛末箇所にさりげなくこの「好きだった」を流すのだが、その部分的かつ一瞬のメロ・ドラマ調への変化は、この映画に大きな脹らみを持たせている。同じ手法、つまり失恋演歌の使用の、もっと濃厚なものは『チルソクの夏』にもあったが、その映画は喜劇ではなかった。「好きだった」を使用するセンスは娯楽作品として侮れないほどの象徴性の高さを帯びたものと言ってよく、古い歌謡曲の大ヒットはなかなか馬鹿に出来ない力を持っていることを今回は強く感じた。ここで思うのは、また50年後にこの映画を見る人の気持ちだ。筆者はマヒナも「好きだった」もよく知っている世代であるので、この映画にそれが登場するのは、映画が作られた時代としても全く理解出来るが、マヒナの曲やあるいは「好きだった」を聴いたことのない人がこの映画のこの場面を見ると、どう感じるだろう。これまた思うのは、おそらく先に書いたように、突如映画に侵入して来る、時代劇にふさわしからぬスチール・ギターと裏声で合唱する男性歌手たちの得体のしれない不思議な響きのナンセンスさに呆気に取られ、しかもその泣かせる歌詞と映画の内容とのさりげない合致に、ナンセンスさの威力と詩情と言ってよいものを感じるであろうことだ。この半世紀で日本の流行歌は著しく変貌し、マヒナ・スターズが歌うような曲はもう若い人にはすっかり無縁となった。ここでマヒナ論を繰り広げても仕方がないが、「好きだった」のメロディと歌詞の素晴らしさにここ数日筆者は思いに浸り続けている。それは若い人にはわからない、老いた人物の回顧の情に過ぎないものだろうか。今の若い人が筆者と同じような年齢になった時、8歳の頃に聴いた流行歌を、今の筆者が「好きだった」から感じるように思うだろうか。そうした流行歌の名曲と呼べるものが今もあるのかどうか。若い人はおそらくあると言うであろうし、今ある曲から何かを記憶するしかないのだが、娯楽が多様化した分、そうした時代を代表する曲というものも少なく、そもそも50代半ばになった時に8歳の頃の流行歌を記憶しているかという問い自体がおかしいかもしれない。それに正直なところ、今の若い人が将来何をどう思おうが筆者の知ったことではないし、単なる回顧の情に浸っているだけと思われようが、筆者は筆者で楽しいと思えるがことがあればそれでよい。さて、田中徳三の死去は、市川昆のようにTVや新聞で大きなニュースにはならなかった。それは市川監督のような芸術性がないと思われていたからかもしれないが、使い捨ての娯楽作品であっても、全力を投入して作れば時代を画する作品となり、時代を大きく経てもそれなりに人々を感動させる。そうした作品もまた芸術と言ってよいのではないだろうか。今回知ったが、田中監督は大阪船場の帯問屋に生まれた。つまり大阪育ちの大阪人で、それでこの映画でもダイラケを起用したのかと思うが、道理でこの映画の面白さは大阪人の発想やテンポのよさがもとになっている。同じ田中監督の『悪名』も原作が今東光の八尾を舞台にした小説であるので、田中にすれば持ってこいのものであった。大阪人の筆者は大阪出身の秀でた才能にはとても興味があるが、田中のような人が映画全盛期にこういう映画を作ったことは今後もっと論じられてよい。『濡れ髪三度笠』は大映の京都撮影所の作品で、ロケも保津川やおそらく下鴨神社など、京都中心に行なったはずだが、この半世紀で大変貌してしまった京都では、もう物理的に同じような映画を撮ることは不可能だ。それに同じような才能の監督もいない、俳優もいないでは、この映画を20世紀日本の時代劇の傑作として、日本という国がある限り保存して行く義務があると思える。市川雷蔵の色男ぶりはさすがで、夭逝が本当に惜しまれる。ダイラケもいないが、淡島や中村玉緒、それに楠トシエもまだ元気で、女が男より長生きする現実を見る。言いたいことの半分くらいしか書いていないが、長くなったのでこのくらいに。
by uuuzen | 2008-04-05 23:59 | ●その他の映画など
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時々ドキドキよき予告

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