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●『ムンク展』
ンクの名前と作品の「叫び」は、小さな子どもでも知るほどに有名になったが、その理由は、名前が単純で覚えやすく、一目で心に深く刻まれるその絵とすぐに結びつくことにによる。



●『ムンク展』_d0053294_235134.jpg一目で印象的であるというのは、絵が単純な形と色合いをしているからで、これを漫画的、記号的と言い換えてもよい。「叫び」一点にムンクの様式が凝縮しているため、別のムンクの絵を見ても、すぐに「叫び」と共通した味わいを感じ、なおさらその様式が深く理解出来るようになる。ムンクが日本で愛されて、頻繁に展覧会が開催されるのは、そうした特徴的な様式が日本美術の装飾性にも通ずるからだ。装飾的と言えば、すぐに模様を思い出して、そこには芸術家の苦悩など入り込まないし、また芸術家が携わるべきものでもないような感じを抱きがちだが、襖や壁を飾る絵画は装飾的であるし、ローマ時代のポンペイでもまた日本の江戸時代でも盛んにそうした絵は描かれた。ムンクが、『わたしは男たちが本を読み、女たちが編物をしている室内画を描くのをやめなければならない。呼吸し、感じ、苦しみ、愛する生きた人間を描かねばならない』と言ったのは有名だ。この言葉は、自分の描く絵が装飾的などではなく、切れば血の出るようなもっと生々しい感情をたたえたものであることを宣言しているように受け止めることが出来るが、ムンクは「生命のフリーズ」と題して、自作が個々に独立して鑑賞は出来る一方、一連のまとまったシリーズのように構成されることを死ぬまで考え続けていた。ムンクは自作をあまり売ることを好まず、売れてもすぐに同じ絵を描いたので、「叫び」にしても少なくとも3点は存在するが、それは記号的にまで象徴性が高められて完成度の高い作品どれか1点でも欠けると、「生命のフリーズ」という大シリーズが不完全なものになるとの思いを抱いていたからだ。ムンクは大作を描ける大きなアトリエを所有して、そこに自作を並べては、自分の代表作としての「生命のフリーズ」を試行錯誤し続けた。それは結婚せずに子どももいなかったため、絵こそがかわいい自分の子どもと思えていたことからすれば理解は出来る。自作を並べてひとつの理想的空間を構成するという考えは、簡単に言えば自分で自分の美術館を作ることだ。絵は壁にかけるものであるという事実からすれば、壁を自分の絵で埋め尽くし、しかもそれらが有機的に相互に関連して響き合うことをもくろむのは当然のことであるし、「生命のフリーズ」の構想は不思議でも何でもなく、ムンクでなくてもどんな画家でもやりたいことだろう。ただ、ムンクの場合は、それが壁紙のような単に美しい色合いを表現する装飾ではなく、あくまでも「呼吸し、感じ、苦しみ、愛する」ようなものである必要があった。
●『ムンク展』_d0053294_24966.jpg 今回の展覧会は、ムンクのその「生命のフリーズ」を中心として、「全体として生命のありさまを示すような一連の装飾的な絵画」というムンクの思想にしたがって、ムンクがどのように1点ずつの絵を構成しようとしたか、また実際注文を受けて描いたそうしたシリーズ作品や壁画などをまとめて確認しようという趣旨によるもので、日本で初めてムンク展が開催された1970年からすれば、これほど充実した内容のものがようやく開催されるようになったかという感慨があった。筆者は1970年のムンク展は学校をさぼって初日に出かけた。図録を見ると、11月18日となっている。神戸西灘の兵庫県立近代美術館で、当日のことはよく記憶している。その美術館は阪神大震災で被害を受け、その後、そこから浜に向かって徒歩30分ほどのところに兵庫県立美術館で出来て、今回のムンク展はそこで開催されたが、それは70年のムンク展を開催したことの実績や自負が多少反映したためであろう。70年のムンク展は翌年1月20日から京都国立近代美術館で開催され、それも含めると3、4回は出かけたが、それほどに筆者はムンクが好きであった。それ以降7、8回以上は開催されたムンク展のはずで、今回もまたかと思ったが、1970年に生まれた人でも今は38歳であるから、ムンク展は今後も何度も開催され続ける必要がある。それに毎回趣向を変えて開催されるので、筆者のような人物が見ても面白い内容となるのには感心する。今回は若い人が目立ったが、それはいいことだ。ムンクは代表作を30歳頃までにほとんど描いているので、若い人向きと言ってよい。もちろん晩年になって手がけた画題もあって、今回はそうした作品がかなりまとまって来たことが筆者にとってはとても面白かったが、ムンクの晩年作に関してはあまり評価は芳しくない。色彩がかなり明るくなり、またよりラフな描き方となって、ほとんど未完成かと思う人も少なくないだろうが、そうした一見雑な描き方の部分を越えて、やはりムンクしか描けないフォルムや色使いがあって、筆者は昔から晩年のムンクには大いに関心がある。「叫び」は1893年の作品で、ムンクは1944年まで生きたから、「叫び」以降半世紀も描き続けたことになる。ムンクを「叫び」だけの画家と思ってしまうのは大きな間違いと言ってよい。今回チケットやチラシに使用されたのは「不安」で、これは「叫び」と同じ背景を持つが、小太りの女性や髭を生やした老人、細長い顔の男といった、どれも漫画的な人物がこちらを向いていて、これは通常の美しい絵かすれば、グロテスクの極致が、そういう絵のどこがいいのか、むしろ笑えて来るという人もあるだろう。だが、一目見て忘れられないそうした絵を描くことは、並大抵のことでは出来ない。それが許されるのは天才だけで、ムンクは紛れなくそうしたひとりであった。
 一目見て忘れられないムンクの絵は多いが、その中に「接吻」があって、筆者はその木版画が特に好きだ。エッチングでは抱き合う男女が裸でかなりなまめかしいが、木版画ではどちらも衣服を着ていて、エロティックさは減じている。だが、接吻してくっついた顔が溶け合って一体化しており、そこに異様な熱が渦巻いている。それもまた漫画的な手法と言えるが、実際は日本の漫画に先んじてムンクの「接吻」があった。筆者はムンクの「接吻」の木版画をリトグラフで再現したものを今でも部屋の目立つ壁に飾っているが、これは25年ほど前の「ムンク展」の際に15000円ほどで買ったたと思う。本物より絵の寸法は少し小さいものの、紙はアルシュか何かで、実際のものと同じか近いはずで、複製具合はかなり真に迫っている。なぜそう言えるかと言えば、展覧会の会場で見た後すぐに売店で買ったから、比較が充分に出来たのだ。当時刷られただけで、その後は生産されなかったと思うが、ネット・オークションでは現在10万円以上で売られたりしている。ムンクの複製版画のうちでは最も質がよいはずで、この価格でも考え方によれば安い。本物は当時でも2500万円以上はしていたと思うが、今ならもっとする。それはいいとして、この「接吻」も「叫び」と同様、形がほとんど交通標識に近いほど極限にまで単純化され、ごくわずかな曲線と、目立つベタ塗りと白抜きの対比から出来ている。ムンクが木版画を頻繁に作ったのは、日本の江戸時代の版画の影響がある。「叫び」の画面上部のたなびく夕焼け雲は、いかにもアール・ヌーボーだが、ムンクは26歳にパリに学び、後期印象派やゴッホやゴーギャンの絵を見て、アール・ヌーボーと結びついたジャパネスクを身近に知った。ムンクの絵が日本で人気があるのは、簡単に言えばそのせいで、次に「ムンク展」が日本で開催されることがあれば、その時は日本美術とムンクの関係に焦点が当てられるかもしれない。「ゴッホと日本」という形ではすでに馴染みがあるが、そこにムンクを絡ませるとどうかという問題設定だ。ムンクが浮世絵を所有していたのかどうかは知らないが、ゴッホやゴーギャンをどのように見ていたか、そこに日本美術からの影響をどう見ていたかという視点から「叫び」を始め、「生命のフリーズ」の特質が再評価されるのも意義があるだろう。そうした新たな視点を通じてムンクの絵が吟味し直されるほどに、ムンクは今なお新しいものを秘めていると言うべきで、むしろこれからの方が新しいムンク論が導き出される予感がある。だが、そうなるとしても、その原点には、ムンクが孤独に生きて、ひたすら描いたという事実が厳然と立ちはだかり続けるはずで、画家たるべき者が見習うのもまさにそこにある気がする。
 ムンクの絵が漫画的で記号的であるというのは、その無駄が省かれた単純なフォルムから誰しも納得出来るが、装飾的という側面は、たとえば「叫び」がTシャツにそのままプリントされたり、あるいはビニール製の大きな人形が作られたりすることからしても言える。つまり、ムンクの絵はグッズになりやすい。これは商品化に最適という意味だが、ムンクが生きていればそのことをどう思ったことか。だが、筆者が面白いと思うのは、「叫び」がいくら商品化されて、キッチュなグッズが登場しようとも、原画の迫力は全く変化せずにそのまま凝固していることだ。これはすでに「モナ・リザ」と同じほどの名作の域に達した証拠と言えるかもしれない。そして、ムンク=「叫び」で、他の作品は見るものがないと思うと大間違いで、昔から筆者が感心するのは、ムンクのどの作品もムンクそのもので、「叫び」はその中のほんの小さな1点に過ぎないという現実だ。「生命のフリーズ」では、ムンクは「叫び」だけに重点を決して置かず、それは他の多くの作品中で同列の1点に過ぎないものとみなしていた。もうひとつ驚くのは、ムンクは本来素描家で、ごく単純な、そしてわずかな線の数で描く、それこそ漫画的なものでも、ムンクそのものの息づかいがそこに宿っていることだ。その驚くべき的確な素描技術を獲得していたからこそ、「叫び」その他の名作は、いつでも全く同じように描けるほどの手癖が身についていた。それは、それらの作品が無駄を省いた完成形であったためでもあるからだが、西洋でそのような絵画はそれまでに例があったのかどうかと思う。ゴッホと同じオランダに生まれたヴァン・ドンゲンの絵画にはかなりそれに近いものがあるが、筆者がヴァン・ドンゲンの絵を非常に好むのは、おそらくムンクのように単純なフォルムであるのに、即座にドンゲンとわかる特徴を持っているからだ。それはある意味ではどのような画家でも持っていた様式、個性と言い換えられるものかもしれないが、省略と誇張を押し進めて、シンボル・マーク的な記号的単純さを持った人物を描くという点では、そして北欧の強烈な香りを持ち、より先駆的であったのはムンクであり、他のどの画家よりもそれは早かったと思う。このムンク的単純さはムンク以降現在の美術において、最も有力な画家の手段となったと言えるが、ムンクのような「呼吸し、感じ、苦しみ、愛する」ことを目的とせず、ただ一目見て印象的でありさえすればよい、そうしさえすれば必ずより多くの人の知るところとなって名前が売れ、作品も売れるという、本末転倒的なムードが支配的になって来た。その最初の大きな例はアンディ・ウォーホルだが、人々は切って血が流れるような絵よりも、むしろ本当に装飾的であることだけを求めるようになったと言ってよい。つまり、ディズニーのアニメと同じように、愛らしいものであればそれで充分という鑑賞眼が大手を振るうようになった。
 そういう中にあって、より長く歴史を生き続けるものは、作品の質であるのは当然として、それをどう判断、評価するかは時代によって変化して行くだろうか。ムンクが「呼吸し、感じ、苦しみ、愛する」と言った背景にはおそらくナビ派のような絵を否定する思いがあったのであろうが、ナビ派から見ればムンクは否定されるであろう。これは結局のところ画家がどのような生き方をしたかどうかで、どのように生きるしかなかったことでもある。それは広義に見れば国家や民族の歴史や記憶を背景にして論じるべき問題でありながら、狭義には画家個人の意思と生活が関係することだ。ムンクと今の日本の画家とでどれほど差が大きいのか、あるいはそうではなくほとんど同じ立場でもあり得ると見るか、人によって考えはさまざまで筆者も判断に迷うが、悲観的に見れば今の日本はたとえば芸能人がどうしようもないへたくそな絵を描いて金儲けが出来る世の中で、そうした存在を歓迎する向きも一般にはあって、芸術というものが限りなく軽く、また必要ともされないものになっている。つまり、誰も「呼吸し、感じ、苦しみ、愛する」ような絵を求めてはいないし、また求めても描ける画家がいない。そういう画家が世に出て来れなくなったのか、あるいはそもそもそんな素質を持った存在がいないのかどうかは知らないが、そういう素質や志向を持った画家は生きにくくなっているのは確かな気がする。今の日本では、有名になれば「勝てば官軍」とやらで、何でも大目に見られるが、そうでない者は無価値とみなされ、美術館も後追い的に有名になった画家に注目してとにかく観客動員を図って存続することを考えねばならないせちがらい世の中だ。絵などわかる人間(これは必要とする人間の意味)はだいたい100人にひとりいるかいないかで、美術館た博物館は最初から税金の膨大な無駄使いを前提にした存在で、それをみんなで認めてそれを支えるのが国の度量と言うべきものだが、今の日本は世界でも精神的にきわめて貧しい国であるから、税金の無駄となればまず真っ先にそうした芸術から削ろうとする。「国宝」が絵画や彫刻であることを思えば、美術館や博物館を充実させることが、そして芸術を尊重することが国の宝を保持し、今後も積み上げ、新たに作り続けて行くことのはずだが、絵などわからない100人のうちの99人の意見がまかり通って、民主主義の時代には本当の芸術は栄えない。
 ムンクは35歳くらいの時に経済的な不安を抱えたことがあったが、生涯絵を描き続けることが出来たのは、それなりに生活が安定していたからで、これは画家にとっては必要条件だ。ムンクと同時代のノルウェーにほかにも画家はいたが、結局オスロ大学の壁画を数年にわたって描くことが許されるほどの存在になったのは、若い頃からパリに勉学に出るなど、また個展を開いて物議をかもすなど、目立った行動と実績を上げ続けたことの結果で、一方では家柄もそれなりによいうえに独身でもあって、経済的にはどうにかなったからだ。それに注文で描くこともあって、絵が売れたことにもよるが、今回はそうした注文によって描き、今でも施設に飾られる絵の紹介が映像や写真であって、これは1970年からすれば格段の進歩と言える。当時ならなかなかオスロのムンク美術館に行くことなど出来なかったが、今では海外旅行ははるかに安価で可能となって、その気さえあれば明日にでもムンク美術館の前に立てるようになった。とはいえ、筆者にはそんな贅沢は許されないが。それにオスロ大学の壁画は無理にしても、この38年間の何度ものムンク展で、ムンクの大半の作品は見たと思う。今回も初めてやって来た作品が何点かあったはずだが、そのように日本にいても珍しい作品が見られるから、わざわざムンク美術館に行かなくてもという気にもなる。であるので、行くならば、美術館もそうだが、何よりムンクが歩いて見た風景に立ってみたいという思いの方が断然強い。ムンク展が日本で何度も開催されるのは、ノルウェーとしてもぜひ日本から観光にやって来てほしい意味が強いためであろう。国際的な芸術家を抱えた強みというものだ。残念なことには日本はそれがない。それは国が意識して作りあげることが出来るようなものかどうかという問題もある。芸術家を援助して国際的に売り出すという手がはたして通用するかどうかということだ。先に書いたように、芸術は生き方の問題で、人気画家はみなドラマティックな人生をだいたい送っているもので、そこには不遇といった条件も勘案される。これはどういうことかと言えば、国の援助など受けずに孤独に制作をし続けてそのまま死ぬといったことであって、結局生きている間にさほど理解もされず、また当人もさしてそれを思ってもいなかったという場合が多い。となれば、今の日本ではたくさんの将来評価されることになる芸術家を生み続けているかもしれない。
 今回図録は買わなかった。筆者はムンクの本は図録を合わせて20冊以上は持っているが、今回の図録はいつか古本で買えば充分かと思った。展示は全8章に分かれていた。順に書いておこう。1「生命のフリーズ」:装飾への道、2「人魚」:アクセル・ハイベルク邸の装飾、3「リンデ・フリーズ」:マックス・リンデ邸の装飾、4「ラインハルト・フリーズ」:ベルリン小劇場の装飾、5「オーラ」:オスロ大学講堂の装飾、6「フレイア・フリーズ」:フレイア・チョコレート工場の装飾、7「労働者フリーズ」:オスロ市庁舎のための壁画プロジェクトで、これだけまとめてムンクの装飾への試みをわかりやすく展示する機会は今後100年ほどはないと思える。油彩画が中心であったのもよかった。ムンクの版画展はよくあるが、やはり間近で油彩を見る楽しみは格別だ。今回感じたのは、額縁にはめられたガラスの照りがほとんどなく、画面を裸で見ている感じがあった。これは真正面から見た場合、特にそうで、絵の10センチ前に接近してもガラスを感じなかった。照明がいいのか、あるいは特殊ガラスなのか知らないが、1970年の展示ではこれはなかったと思う。当時「叫び」は別として、油彩画にガラスははまっていなかったはずで、それだけまだノルウエーもお金がなかったと思える。日本などに何度も貸し出す中で資金を貯え、ガラスをはめるなど充実させたのだろう。一方ではムンクが遺した作品の整理や修復もあって、それが終ったものが順次また海外展に貸し出されるようにもなったはずで、今回の展示もそうした成果を踏まえたものであるだろう。1970年展に並んだ油彩が何点かまた来ていたが、昔とはやや色合い違って、落ち着いて見えたのには驚いた。これはそれだけ昨今の絵画がけばいものが増加し、一方でムンクの絵がより古典に昇格したからか。また時代が遠くなったからでもあるだろう。全8章のうち、興味深かったのは、3以降で、それぞれ作品数は数点と少なかったが、初めてまとまって見る作品ばかりで、新たなムンクを見た気がする。特に面白かったのは最後の7、8で、これは筆者が昔から関心のあるムンクの労働者を描く作品群で、見方によってはロシアの社会主義的な絵画を連想する。それは描かれる空間が他の作品とは違って、広々として冷たい外気、だが描かれる人々の内面は熱いといったいかにも集団的一帯感といった感情が表現されている、あるいは表現したがっているムンクが見えるからで、この一種のポジティヴ性は、「叫び」から感じられる孤独感の裏返しと言っていいのかどうか、とにかくムンクの人格の別の面が見えて、ひとりの画家としての広がりが興味深いのだ。ここには、「叫び」やそれに通ずる、つまり「生命のフリーズ」とはひとまずかけ離れたムンクがたたずみ、どこまでも進展しようとした画家像が眩しく見える。それは狂人ムンクから強靭ムンクへの脱皮を思わせ、晩年に向かってムンクがそうなって行ったことに画家、人間としての希望が見えているようで筆者には嬉しいのだ。晩年に近づいた筆者にとって今回の「ムンク展」は1970年以来の大きな出会いで楽しかった。
●『ムンク展』_d0053294_243132.jpg

by uuuzen | 2008-03-28 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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