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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『内藤ルネ展』
か切り抜きをしたと思って今探したが見つからない。新聞はもうやめておこうと思いながら、1年ごとに契約し直して、また今年いっぱい取ることにしたが、3か月分はサービスだ。



●『内藤ルネ展』_d0053294_23392931.jpgだが、それはもう常識化しているらしく、1か月1000円という破格で月極めしている家庭もあるという。それでも新聞社や販売店に儲けがあるとすれば、筆者が1年契約で9か月分支払う合計35000円ほどは、3倍近い価格ということになる。ここ1年ほどは新聞を広げる暇もないほどで、毎月の古紙回収日の前日に慌てて、丸1日費やして全部見ることになるが、その時間もないほどであるから、新聞はもうほとんど不要になっている。筆者は株式欄やスポーツ欄には関心がないから、そういうページをカットして配達してもらって、その分料金を割引きしてくれればいいのにと本気で思うが、新聞のそうした不合理、不経済性から新聞を講読しない人が増えているのだろう。それにTVやネットの方がニュースは早い。週刊誌の広告は電車内に吊ってあるし、新聞の意味がなくなって来ている。読まない人が増えると悪循環から値下げ競争がまた加速化する。だが、新聞にはいいところがある。切り抜きが出来ることと、ネットでは出会えない情報にたまにぶち当たることだ。そして、その両方がこの『内藤ルネ展』の場合にはあった。この展覧会のチラシは去年12月に見た『原画’(ダッシュ)京都展』の会場で最初に見た。『知らない名前だが、若い女性向きのイラストレーターの展覧会だな』と思いながら、見に行くことを決めた。そして確か1月下旬、展覧会が開催される直前だったか直後に、内藤ルネについての写真入りの記事が出た。その記事の切り抜きを探したが見つからない。それで別の展覧会について書こうかと思いながら、やっぱりこの展覧会について書いておく。新聞記事を見て少し意外であったのは、白っぽいジャケットを着た内藤ルネの顔だ。最初は60代半ばのおばさんかと思った。記事を読むとそうではなく、男であることを知ったが、「内藤ルネ」の響きには中性的なものがある。これが「藤内ルネ」ならばまだそうではない。名前は不思議なものだ。切り抜きが見つからず、図録も買わなかったので内藤の本名は知らないが、あまり目立たないものだったはずだ。おばさんっぽく見えたのは、老齢になると誰しもそうで、さきほど夕刊を見て、最近とみにぽってりとした顔つきになった養老孟司が、まるでおばさんに見えた。それを言えば、2か月前、草間彌生の特集を新聞で見た時、どこのおっさんかと思って、しばらく誰かわからなかった。老齢化すると、ホルモンの関係から中性化し、女は男っぽく、男は女っぽくなるのだろう。
 だが、内藤ルネの場合は、それがもっと極端で、最近よく話題になる性同一障害者を思わせる。チラシの裏面に、腕に薔薇の入れ墨をした若い男性の素描がある。それを見て即座に連想したのは、男の同性愛愛好家の雑誌『薔薇族』であったが、会期終了2日前にようやく展覧会を見に行ってそれが間違っていなかったことを知った。ほとんど最後近い壁面に、同誌のために描いたイラストが20点ほど展示されていた。同誌を発刊した社長と内藤は同志的な間柄で、晩年の内藤は同性愛を隠さなかったようだ。今でこそTVにはそうした人々はたくさん出て人々の偏見もないように見えるが、『薔薇族』が出た当初はまだまだそういう雰囲気ではなく、内藤らの行為はかなり勇気のいることであった。展示の説明に、当時美輪明宏やそのほかの人物が賛同したことが書かれていたが、内藤がもっと長生きしていればTVなどに登場したであろうか。会場は女性を中心に多くの若い人々が来ていたが、『薔薇族』のイラスト群の前では、みんなかなり驚いていた。それらに描かれる若い男性は、逞しい肉体を誇示しはするが、どこか女性的で、独特のエロティシズムを放っている。顔はみな似ていて、若い頃の内藤を下敷きに、それを思い切り理想化したものと言ってよい。内藤は強いナルシストであった。内藤は1932年生まれで、去年秋に急逝したが、新聞の切り抜きによれば、確か少年時代、中原淳一のイラストを雑誌で見て、それを切り抜き、宝物のように大事にして防空濠の中にまで持って行ったことが書かれていた。戦後、夢をかなえて、中原淳一に招かれ、ひまわり社に入り、『ひまわり』や『それいゆ』にカットを描き始め、やがて中原が病に倒れてからはその仕事を引き継いでひまわり社の看板スターになる。去年『原画’(ダッシュ)京都展』の感想の中で、少女漫画の主人公の瞳がとても大きくて中に星がいくつも光るスタイルの創始者は中原ではないかと書いたが、内藤はその中原スタイルをそのまま踏襲しながら、確実に時代感覚に合わせた新しい表現をしている。これは意識してそうなったのではなく、ほとんど本能で、同時代の俳優の化粧やヘヤ・スタイルなど、あらゆるものから影響を受けて、自ずと時代に沿った表現をした。中原が長生きしてもそれは無理なのだ。つまり、いつの時代でも若い人がそうした流行の先端部を担う。したがって、現在の目で内藤のイラストやグッズなどを見ると、昭和30年代の感覚があって、すでに骨董に見える。描く才能の問題ではない。肌で時代を感じて、同時代の若い人々に気に入られる表現が出来るのは、せいぜい30歳頃までのことなのだ。その頃を境に精神にひとつの壁が自然と出来て、その後の新しいものを受けつけなくなる。意識して取り込むことは出来るが、それはすでに同時代の若い人々を追い掛けることになって、かえってみじめさを露呈する。流行に大きく乗るものほどそうだ。そしてそうであるからいいとも言える。
 では内藤の描いたイラストや、デザインしたパンダや果物のキャラクター・グッズは芸術の範疇で語られるべきものではないのかと言えば、それは時代を経なければわからない。後世の人々がそこに古い流行以上の何かを認めるかどうかだ。だが、中原淳一の絵が時代を如実に反映しているのと同じように内藤の作品は60年代から70年代を表現し得ており、歴史的資料として大いに意味を認められる形では残るに違いない。いや、それも本当はその時代はロック文化であり、あまりにも多くのグッズやヒーローが登場したので、内藤の作り上げたキャラクターが人々の記憶に残って行くかどうかはわからない。60年代と70年代と書いたが、チケットやチラシに大きく印刷される女性のイラストは、50年代後半の空気を保っていて、70年代はもはや内藤の時代ではなかった。その頃の内藤は、いちごやトマトなどの、小中学生が喜ぶようなシールや、また今でもよく見かける陶製の人形をどんどんデザインしていた。それらのデッサンが展示されていたが、どれもごく簡単なスケッチで、商品化するに際してのきっちりとした版下を描くことや、また人形としての立体化は別人に委ねていた。山梨県の、サンリオとして有名になる前身の会社がそうした内藤グッズを引き受けていたようで、その点、内藤は現在のキャラクター・グッズの先駆者のひとりであった。もちろんそれはひまわり社にいた頃に培った才能だが、ひまわり社や、それ以前の雑誌社が、少女向きの着せ換えの切り抜きを付録にしていた頃から広く人々から求められていたもので、高度成長期に準じて時代がそうしたかわいいグッズを求めるようになって来た。つまり、「かわいい」の先駆は内藤ひとりにあるのではなく、それ以前の日本の、主に子ども向けの雑誌に混沌とした状態で濃厚に漂っていた。瞳がぱっちりと大きいというのは、日本の浮世絵を見てもわかるように、日本のものではない。それは日本にもたらされたアメリカ映画のヒロインやそれをいち早く真似した日本の女優のもので、たとえば朝丘ルリ子を思えばよい。つまり、50年代だ。50年代は内藤は20代で、先に書いたことからすれば、貪欲に周囲のものを取り込んで自分の才能の核を作り上げる時期に相当した。今回の展示は非常に数が多かったが、70年以降のものは、先の『薔薇族』のイラスト程度が見物で、ほかに注意を引くものはなかった。「浅丘ルリ子」で思うのは、「内藤ルネ」がそれに近い印象があることだ。つまり、同時代感覚の産物だ。内藤は当初「ルネ」に「瑠根」という漢字を充てていたと思うが、会場で筆者はこれを「るこん」と読んで、なるほどやはり男かと思ったものだが、結局片仮名表記をもっぱら使用することになって、中性化が促進したように思える。内藤は自分の最も楽しかった時期を30歳半ば頃と考えていたようで、当時の写真をゼロックスでコピーし、そこに白い羽を描き足して天使のように自分をなぞらえたイラストを亡くなる直前に関係者に送っていたそうだ。男前ではなく、またスタイルもよくない内藤がそのように自己陶酔するのは、見る人によっては気持ち悪いだろうが、そこまでナルシストであり得たからこそ、あれだけの多くの仕事が出来たとも言える。
 これも会場後半だが、内藤の文章がいくつか紹介されていた。それは簡単に言えばラヴ・アンド・ピース主義なのだが、独身でしかも中性的な内藤にはふさわしい内容で、筆者は純粋なものを感じた。それは俗世間では浮世離れし過ぎて、時に生きにくかったのではないかと思うが、それを如実に示す事件が内藤の晩年にあった。それはある人物に騙されて、2億だったか3億だったか、とにかく全財産を失うことになった。内藤は自分の美術館を建設するつもりで資料を集めて整理していたのだが、それに乗じた詐欺だったようだ。だが、その後立ち直り、どうにか美術館の実現に向かっていた矢先に急逝した。そうした事件も、そして少女たちが見て戸惑う『薔薇族』の色っぽい青年たちのイラストも含めて内藤のすべてがあって、実際に内藤という才能は自身をなぞらえたような天使のようであったのではと思えて来る。有名になるには才能もそうだが、まず最初に通常の人にはない破格の人生を歩む必要がある。簡単に言えば波瀾万丈だが、それは人間の性にまつわる部分が大きいほどよい。これも簡単に言えば、セクシーかどうかだ。これは当然同性愛も含めての話だ。新聞で見たまるで太ったおばさんそのものの内藤の顔を見て、セクシーの言葉はとても似合わないが、それでも内藤自身の内部にそれは生涯大きく渦巻いていた。そのセクシーさがある特定の人物との関係において消費し尽くされるのではなく、そのエネルギーを同時に作品に注ぎ込んだと言えばよいか、これは芸術活動の根源でもあるが、その意味で内藤の作品は芸術であろう。今回の展覧会は展示数が1000点ほどで、これは数え方によるが、小さなイラストや似たようなグッズが多いので、その程度にはなる。内藤は印刷を前提にした仕事をしたので、グラフィック・デザイナーとなるが、『ひまわり』や『それいゆ』で描いていた頃は、今のような大量消費時代とは違って、まだ雑誌は読者に対して自分で手作りすることを勧めていた。色鮮やかなフェルト生地を買って来て、雑誌の付録にある型紙どおりに切って帽子や手袋に縫いつけるといったお洒落がまだ行なわれていた。高価なブランドものがお洒落の代名詞となった昨今の目からすれば、そうした手作りの飾りは、安っぽくて田舎じみて見えるが、はたしてそれが正常な感覚かどうかと疑う。そう言えば、筆者も若い頃は変わった形のシャツを誂えたり、とにかく人と違うデザイン、自分だけのものを着たいという欲求が強くあったが、現在の社会はユニクロの味気ない無名性か、高価なブランドかの二極化となって、人と大いに違う格好でもすればいじめに合いかねない。だが、先日百貨店の大きなウィンドウの中の女性マネキンを見ていて驚いた。そのスカートはカラフルなフェルトをさまざまな形に切って貼りつけたもので、まるで内藤ルネが60年代初めにデザインしたものとほとんど同じであった。会場出口では内藤グッズがいろいろと売られていた。人魚の花挿しがあった。赤いハート・マークが下半身の魚部分に水玉模様のように並んでいる。赤い帽子を被っていて、それが蓋になっているのだが、それを取ると花が一輪挿せる。確か2500円程度と安かった。帰宅してネット・オークションで調べてみると、内藤グッズの多さに驚いた。同じ人魚の花挿しがあったが、1万円以上の値がついていたと思う。よく見ると、昭和30年代のオリジナルで、筆者が会場で見たものと微妙に違う。つまり、もう骨董的価値がついているのだ。筆者はキャラクターものに関心がないわけではない。だが、「鉄人28号」の精巧なロボットを買ったり、「鉄腕アトム」の人形をほしいとは思わない。だが、自分のキャラクターはほしいと思う。そうして作ったのが、「宝珠男」こと「マニマン」なのだが、きっと筆者はまだ内藤と同じように自分で手作りするという世代の人間なのだろう。
●『内藤ルネ展』_d0053294_23481736.jpg

by uuuzen | 2008-03-12 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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