人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●当分の間、去年の空白日に投稿します。最新の投稿は右欄メニュー最上部「最新投稿を表示する」かここをクリックしてください。

●「NEW YORK MINING DISASTER 1941」
衛隊のイージス艦が漁船を沈没させながら、誰も助けようとしなかった。衝突したのもおそまつなら、助けなかったことはもっと救いようがない。



●「NEW YORK MINING DISASTER 1941」_d0053294_1454548.jpgこれが今の日本の現実だ。保険というものは、板一枚で海底と隔てられている仕事をする漁民たちの間の相互補助から芽生えた。村のいつ誰が海難で死ぬかもしれない。もしもそんなことになれば残った家族を誰が支えるかという知恵の産物だ。同じような危険な仕事の代表は炭鉱夫ではなかったろうか。23日の夜、TVで見るともなく映画を見た。最初の20分は見なかったが、50年代の、ビートルズがカヴァーしたアメリカのさまざまなオールディーズが鳴り、何だか過去に見たような感じの映画だなと思って白けていたが、途中から俄然面白くなり、しかもそうした音楽は一切鳴らなくなった。アメリカの田舎町の高校の科学実験クラブの学生たちがロケットを飛ばす研究をし、やがてその中のひとりが夢をかなえてNASAに勤務するということが予想されるところで物語は終わるのだが、その優秀な生徒の父親は炭鉱夫で、息子にも同じ仕事に就かせようとする。一時は父親が事故に遇い、代わりに炭鉱に潜る生活をするその生徒は、やがて本来の自分のやりたいことを貫き、全米の科学実験発表会で優勝して奨学金を得る。いかにもアメリカン・ドリームの体現だが、その小さな田舎町では、奨学金を得て大学に入るための最もあり得る道は、フットボールの優秀な選手になるしかなかった。そしてそういう学生が女に持てた。日本でもロボコンが高専から始まって今はもう20年近くなり、市民権を得るほどに有名になったが、相変わらず高校野球がだんとつ人気で、学生はスポーツをこそすべしという一般的認識は強い。その映画が面白かったのは、アメリカでもそうである事情を示しつつ、一方では国の威信を世界的に高めた背景には、学業優秀な人物の地道な努力しかなかったという現実を見せていることだ。これは本当に人類にとって基本中の基本であるにもかかわらず、科学は悪者扱いにされ、まるで地球をだめにしている元凶とも思われかねない。そのためかどうか、日本ではお笑い芸人ばかりが持てて、大学を出てもそういう道に行くことを希望する連中が増加している。芸人はすべて川原で乞食をしてもかまわないほどの心がまえがある者だけがやるべきで、そういう根性のない者の芸など、最初から立派な芸になるはずがない。話がそれついでに書くと、東京の人気漫才師で、大学でさまざまな研究をしている先生のもとに行って面白おかしく話をし、先生の研究をTVを見ている人々に簡単に伝えるという番組がある。2、3回見たことがあるが、そのうちにつまらなくなった。それはほとんどインタヴューする芸人の自己主張の番組で、肝心の先生は毎回かなりおちょくられる。まるでお笑い芸人がどんな科学者よりも偉いかのような錯覚をさせかねない。その番組を見て筆者はその芸人が大嫌いになった。だが、東京ではそのような一見知的な芸人が受ける。これは大きな間違いだ。中途半端な知識を見せびらかして自分がいかにも賢いかのように振る舞うのは、芸人でも下の部類だ。そしてそういう芸人を東京はもてはやして面白いと思っているが、いかにも田舎じみている。筆者はお笑い芸人にはそうした大学の先生とわたり合う知識は一切不要だと思っている。それが目的ならば、その芸人は大学で専門に研究する先生を目指すべきだが、それだけの根性もなかっただけなのだ。それがなぜ恰好いいのか。
 話を元に戻して、先の映画のタイトルは『遠い空の向こうに』といって、1999年の作品だ。実話に基づいた話で、主人公とその父親はなかなかいい味を出していた。特に父親はほかの映画でも見た記憶があるが、なかなかの恐面で、名脇役だ。アメリカでも日本でも、ラグビーやフットボール選手が恰好のよい代表と思う女性は相変わらず多いはずで、それに別段文句はないが、もういい加減、そうした単純な見方をやめてはどうかと思う。恰好いいと言えば、先の映画に出て来る炭鉱夫の父親も全くそうだ。真面目に自分の本分を日々こなし、真っ黒になりながら毎日地底に潜って行く。それは立派な姿で、誰かがそれをやらなければならない。映画では、ある日落盤事故が起こって何人かが死に、そして父親は目に負傷する。一方、炭鉱は不況で、組合はしばしばストをして賃上げを要求するが、そんなことをすれば元も子もなくなって、炭鉱が閉鎖になるという状況を父親はよく知っている。映画の最後の字幕で告知されたが、父親は炭鉱が閉鎖になった後、肺が真っ黒になる病気で死んだ。職業病だ。同じような人生を歩んだ炭鉱夫は無数にいた。それは単純な人生かもしれないが、そういう父親をNASAに勤務するようになったこの映画の主人公は誇りに思っている。そこがこの映画のなかなか泣かせる筋立てで、結局アメリカが月面に到着したのも、そういう人々の支えが陰ながらあったおかげだ。全員がフットボール選手を目指していれば、アメリカの栄光などなかった。日本は今理工学部が人気がないというが、これは国をいずれ滅亡に追い込む。ま、その前にさして面白くもないお笑い芸人たちが連日TVに出て馬鹿騒ぎし続けるだろう。さて、前置きが長くなったが、実はこの映画を今日は『その他の映画』のカテゴリーで取り上げようかと思っていながら、最初の20分ほどを見ていないこともあってやめることにした。その代わりに、炭鉱つながりで去年の今頃から取り上げようと思っていた古い曲にする。ビージーズの「ニューヨーク炭鉱の悲劇」だ。原題には「1941年」と最後におまけがつくが、この当時は世界的に炭鉱ブームだった。先の映画でも同じで、結局1965年に閉鎖されたが、つまりビージーズのこの曲が世に出る直前には、炭鉱ブームは去ったのだ。この曲は筆者は67年にラジオから聴いて、なかなかすごいバンドが登場したと思った。当時はビートルズの『サージェント・ペパー』が出て評判を奪っていたが、ビートルズとはまた違ったハーモニーを聴かせるバンドとして深く印象に残った。そのため、筆者はビージーズと言えば、必ずこの最初のヒット曲を思い出す。もちろんこの後の矢継ぎ早のヒット曲の数々も思い出深いが、この曲はそのタイトルからして他のビージーズの曲らしからぬ雰囲気がある。一体どういう内容を歌っているのか、長年それもわからずに美しいメロディにただ浸り、今でもふとした拍子にこの曲を口ずさんでいることがある。
 ビージーズは最初ビートルズが違う名前で演じているのではないかと噂が流れたが、それを聞いて筆者は一笑したものだ。世の中には物事を明確に見聞き出来ない人がわんさかいる。つまり、何もわかっちゃいない人がいる。だが、そういうのに限って自分はよく知っていると勘違いしているから救いようがない。この曲はビートルズにはない独特のもので、特に曲の最後の余韻を秘めた終始音はそうだ。変ホ短調の音階にレの♭という1音を加えているが、終始音は属和音の完全5度音程のラを使っていて、それがこの曲のさびしげな雰囲気にぴったりだ。歌詞の意味を知るとなぜそういう音を持って来たのかがさらに電撃的に理解出来るが、その絶妙のドラマの作り方もまた残念ながらビートルズにはなかった。ビートルズ以上に洗練された歌詞の組立と、それと音との強い関係、そしてビートルズが決して書かないような物語の設定で、これがポップスとして大ヒットしたところに、日本とは大幅に異なる文化の成熟度のようなものも見る。ビージーズはバリー、ロビン・モーリスのギブ3人兄弟が作ったバンドで、仲のよい3人は共同で作詩作曲した。ハーモニーが素晴らしいのは、そのままビーチボーイズを思わせるが、それともまた違うヨーロッパの感覚がある。つまり、ビートルズのイギリスにビーチボーイズのアメリカを合成したよさと言えばよいが、出るべくして出た才能で、70年代に向けての新世代の先端にあった。後年ビージーズはディスコ・サウンドに乗ってまた再人気を獲得するが、そういう変わり身の鮮やかさは並みの才能では到底無理な話で、ビージーズはいわば通常の大物グループの2倍の才能と活躍をした。ザッパがビージーズの才能をほめて、「ステイン・アライヴ」のメロディをツアーでしばしば引用したことがあるが、それは息子のドゥイージルも同じで、やはりビージーズの才能を買っている。そういうビージーズの母親か父親はマン島生まれだったろうか、その後マンチェスターに育ち、やがてオーストラリアのブリスベンに移住して子ども時代を過ごす。そのような英語圏をわたり歩く経験が独自の才能を育むのにどのように影響したかと思う。マンチェスターにいたままでは、また別の音楽を書いていたに違いない。だが、この「ニューヨーク炭鉱の悲劇」は、イギリスの炭鉱に思いを馳せたと感じられる点で、自分のルーツを忘れていないと思わせる。実際はニューヨークではなく、イギリスのウェールズで66年10月に生じた炭鉱事故に触発されたものだが、そういう新聞記事になる社会事件を歌詞に書くというのは、ビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」を思わせる。レコード裏面の説明によれば、イギリスのNME誌では67年5月27日に15位で、それは『サージェント・ペパー』の発売直前であるので否定されるが、ビートルズと同時代にあって、同じようなアイデアを持っていたことを示すだろう。そうした点からもビートルズではないかと噂が出たのかもしれない。
 歌詞はなかなか日本語にはうまく訳すのは難しい。日本語で歌ってもほとんど意味不明の曲になるだろう。いや、原語でもそうかもしれない。タイトルが歌詞の意味をかなり説明しており、このタイトルがなければ歌詞は理解されにくいかもしれない。直訳すると、『ぼくに起こった重要な出来事の中にいて、ぼくはあんたに見せたいものがあるのさ。ぼくの知る大事な人の写真だ。ぼくの奥さんを見たことがあるかい? ジョーンズさん。ほかにそんな美人知ってるかい? 大きな声で話すんじゃない、落盤するじゃないか、ジョーンズさん。じっと耳を澄ましているんだ。たぶん誰か穴を掘ってる。それとももうみんな諦めて寝に帰ったかな。生存者がいてももうきっと死んでしまったに違いないと思って』という簡単なものだ。落盤事故に遇い、炭鉱の中でカンテラの光の下、息を潜ませて妻の写真を同僚に見せているのだ。極限状態の中、地上に残す妻を思う男の気持ちが胸に迫る。こういう歌詞はフォーク・ソングに似合うもので、それが兄弟3人の絶妙のハーモニーによって、しかもチェロの音まで交えて演奏されるところに、何とも言えないはかなさが増幅される。炭鉱の中のふたりの男が救出されのかどうかはわからない。曲がふっと終わるところからは、まるで命の火が消えたかのように感じさせるが、一抹の希望も見えている気にもさせる。イージス艦に沈没させられた漁船の家族がTVに映っていた。海の中で行方不明になっている夫と息子が冷たくてかわいそうだと、さして大きな声も出さずに切々と関係者に訴えていた。そうした人の身になれず、誰ひとりとして助けようとしなかったイージス艦の乗組員たちは海に生きる資格はない。南方の島々に今も無数に骨のまま放置される兵士がいる。国家の無責任は変わらない。ビージーズがこの曲を書いた背景には社会批判は一切なかったはずで、むしろ極限にあっても愛する者への思いを忘れない人間に内在する普遍的な優しさに眼差しを向けたかった。ビージーズのその精神はきっとその後の作品でもそのまま生かされ続けたに違いない。それはある意味では60年代のラヴ・アンド・ピースの遺産で、ビージーズが紛れなく当時のポップス界の脈絡の中で語られるべき存在であることを示している。この曲はわずか2分で、通常のシングル盤より数十秒短い。そのたった2分の曲が40年経った今でもこうしてよく記憶していることは、いかにこの曲が当時秀でていたかを示す。ビージーズのアルバムは聴いたことがないので、似たような曲があるのかどうか知らないが、その後のヒット曲には表面的には同じようなものはなかった。二番煎じをしなかった点は立派だが、その後のヒット曲に筆者は注目させられることはなかった。2003年に末弟のモーリスが死に、ビージーズという名前は使用されなくなった。
●「NEW YORK MINING DISASTER 1941」_d0053294_13563655.jpg

by uuuzen | 2008-02-25 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
●黒い卵 >> << ●烏? トンビ?

 最新投稿を表示する
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2025 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?