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●『現代美術の超新星たち アトリエインカーブ展』
期間の展覧会で、チラシを見た時、サントリー・ミュージアムが貸し会場として利用されたのかなと思った。いつものごとく前知識なしに2日に行って来た。今日はこの展覧会のほかに、このカテゴリーの補遺となるようなその日の出来事をついでに書く。



●『現代美術の超新星たち アトリエインカーブ展』_d0053294_2217220.jpg大阪に出るには時間もお金もかかるので、用事をいくつか作ることを常としているが、その日は大阪のふたつの大きな図書館で調べものがあった。その最中に、大正5年の美術雑誌に、鏑木清方の「世渡りの話」と題する文章が目にとまった。先週のこのカテゴリーに清方展のことを書いたが、書き足りないと思っていたことがあった。それは、清方の住んでいた鎌倉の家は現在記念美術館にされて挿絵集などの叢書を発刊しているが、清方が経済的には不自由のない恵まれた生活を送り、そういうことが可能なほどに描く絵が高額で取り引きされていたと書きたかったのだが、まさにその内容の答えのような文章が「世渡りの話」であった。大正5年は清方はまだ38歳で、人生の半分にも至っておらず、門下生が郷土会を結成してくれて2年経っていた頃だ。文章の中で清方はまず、傍から暮らしが楽に見えていても内実は火の車といった一種の言い訳をしているが、これはまだ38歳の年齢では真実であったのだろう。清方は、画家が食って行くには3つの方法があるとまず書く。これは依頼を受けて絹などに描くことと、画会を起こすこと、そして版下描きや意匠図案を描くことだ。最もいいのは最初の注文を受けることだが、若手ではなかなかそういう境遇にはなれない。それで清方は3番目の挿絵描きをして頭角を表わしたが、これは現在で言えば横尾忠則を思えばよい。つまりデザイナーのようなものだ。清方時代に最も多かったのは、2番目の画会を起こすことだ。これは筆者には思い当たる経験がある。昔、ある漆作家に出会った時のことだが、工芸作家として人並みに食べて行くには、この画会とやらをするのが手っ取り早く、自分もそうしているというのだ。まず毎月5000円か1万円程度を支払ってくれる20人程度を集める。1万円で20人ならば20万円が毎月作家の手元に入るわけだ。その代わり、作家は毎月1点、20万円程度で売ってよいと思える新作を1点用意する。これを20回続けて20人に順に配付するのだ。簡単に言えば頼母子講だ。ところが清方はこれをあまりよく書いていない。20人が最後まで揃うとは限らず、自分の分が入手出来ればさっさと姿をくらます人間が多かったり、また手わたした作品が集まったみんなの前ですぐに転売、転々売されることはしょっちゅうで、会員は単に金儲けの手段としか考えていないというのだ。
 清方が肖像画を当初描かなかったのは、それが売れないからであった。重要文化財になった圓朝の肖像にしても、普通の金持ちはまず家に飾ろうとは思わない。つまり、肖像画を描いていたのでは食べていけない。当時一番金になったのは、南画の山水を描くことで、これは飾って無難で、しかも当時最も人気のある絵画ジャンルであったからだ。だが、当時そのようにして描かれた絵のほとんどは今はガラクタ同然になっている。また、当時にも人気画家は当然いたが、ものの数年で忘れ去られるあり様で、今の芸能界と大差なかった。清方は文章の最後で柴田是真の逸話を書いている。それは是真のもとにある金工家が来た時、是真は暇だとこぼすと、相手は暇でなければいいものは作れず、それはめでたいことだと言って笑った。実際そのとおりで、時間がたっぷりあるのでなければ名作は生まれない。これは金のことなど考えずに仕事に没頭することを言うが、清方はそのような境遇を文展に入選して名を上げることで手に入れた。そして今は記念美術館となる別荘を購入することも出来たが、結局「世渡り」がうまかった。これは絵の才能だけの問題ではない。やはりお金がほしいと真剣に思ったからだ。それは自分が使える時間、つまり好きな絵を描く時間を確保したかったからだ。筆者は毎日家にいて時間は清方と同じほどあるが、お金の方にまるで無縁で、そのために時間があるとはいえ、それは単に無職なだけの状態と言ってよい。図書館を出た後、もうひとつの図書館に地下鉄に乗って行ったが、時間がたっぷりあったので、次のサントリー・ミュージアムのある大阪港まではバスで出ることにした。地下鉄とバスの乗り継ぎ券を利用したが、100円程度安くなる。地下鉄で行けば1時間ほどは短縮出来るが、図書館で借りたばかりの本を急いで読みたかったので、バスを選んだ。ところが、大きな勘違いをしていて、図書館から大阪港行きのバスに乗るには2、3キロほど歩いた。途中で逆方向に歩いたことを悟ったが、そのまま道を北上した。きっとここだろうと思った大通りに出ると、バス停もなく、バスも走っていない。それでまたどんどん北上して、やっとのことで大阪港行きのバスが走る道に出た。その時のことだが、ふと振り返ると、真後ろに大阪の教育委員会が建てた宮武外骨に因む石碑と看板があった。宮武外骨に関しては先々週のこのカテゴリーに書いた。石碑のある場所には『滑稽新聞』を発刊した新聞社が建っていたのだ。筆者はその辺りを歩くのは初めてで、バス停を探しながら思いもよらぬものを発見した。100円をけちったおかげで、そういう出会いがあるのが面白い。目的地まで最短距離で行くより、そういう寄り道は記憶に底に大きな何かを残す。おおげさに言えば人生の面白さで、歩いていて眼前に見知らぬ街並みが次々と展開するのは、まるで夢と同じように思えて来る。考えてみれば、人間が目覚めている時も夢みたいなもので、現実とどう区別出来るのか、筆者には時としてよくわからなくなる。バスはすぐにやって来た。そこから大阪港まで3、40分はかかる。バスの中で借りた3冊のうち1冊の大半を読み終えた。
●『現代美術の超新星たち アトリエインカーブ展』_d0053294_22213527.jpg

 さて、ここからアトリエインカーブ展についてだ。「インカーブ」は「incurve」で、内側に曲がっているという意味だ。大阪在住の5人の知的障害者が描く絵の展覧会だ。会場に入ってそのことを知ったが、わざわざ足を延ばしてやって来たことを嬉しく思った。それほどに新鮮で見応えがあった。大作中心で、その描き込みの密度の濃さ、またカラフルな色使い、丁寧な彩色や線描に驚いた。知的障害者と言われなければとてもそのようには見えない作品だ。先月の新聞に見開きに大きく草間彌生の紹介があったが、その草間が描くような絵にそっくりと言えばよいか、アメリカの画廊が驚いて紹介に努めるのはよくわかる。芸術家は狂気の人と言ってよいが、草間を見ていると知的障害者を一瞬思うし、知的障害者を見ていると、そこに究極の純粋が宿っているように思える。大阪の住吉だったか、25人ほどの知的障害者を抱える施設があって、そこが『アトリエインカーブ』と呼ばれてアート・スタジオになっている。25人の中から選ばれたのが今回の5名で、特に強い独創性を持つのだろう。前回サントリー・ミュージアムを訪れた時、1階のグッズ・ショップでまるでニキ・ド・サンファールに似たイラストを縫いぐるみのようにしたものが売られていることに気がついた。その絵の作者が今回の5人中のひとり、新木友行であった。彼はプロレスが好きで、男ふたりがプロレスの技をして組み合っている姿ばかりを畳1枚サイズの大きな画用紙にフェルト・ペンと色鉛筆で描く。決して白場を汚さず、仕上がりはとても美しい。ジミー大西の絵をやや思い出させたが、人体の絡みにこだわって描くところが面白い。極端にデフォルメされたふたりの男の顔や体は、描こうと思って描けるものではなく、気分が乗った即興で描くことでしか生まれない形と色だ。そこには合理性といったものは見られないが、絵画はそういう観点で見るものではなく、基本的には見て即座に「いい!」と反応出来ればそれでよい。これら5人の作品はさまざまなグッズや、あるいは版画に展開されてアメリカで販売されているが、そこには仕掛け人がいる。知的障害者であるので、商売となれば手助けが欠かせない。だが、自作が評判になり、収入が入って来るということは、そうした人々に生きる意味を与えるはずで、もっとよい絵を描こうという意識にもつながる。5人はそれぞれ差のある画風をしていて、全員が大きな画面を埋めることが得意かと言えばどうもそうではなく、大作は先の新木と寺尾勝広で、特に寺尾はベニヤ板の大きなものにびっしりと線や記号を埋める。白地に黒か、あるいはその逆で、そのモノトーンがまた迫力がある。丸や四角の小さな模様を鉄骨を表現した内部に埋め尽くすのだが、直線は小さな十字形であっても必ず定規を使用していて、そこが見ていて眩暈を生じさせる気がした。通常なら確実にその十字形はフリーハンドで描く。それがそうなっていないところに知的障害者特有のこだわりあるいは脅迫観念のようなものがあるのかもしれない。だが、寺尾の作る画面は非常に美しい。パウル・クレーが見たならばどう言ったであろう。
 武田英治の作品は、作画状況を見せるビデオを見たが、やはり独自のこだわりが強くあった。彼は商品の文字やロゴに強い関心があり、それを拡大して描く。さほど大きな画用紙ではなく、新聞紙程度だ。まず鉛筆で文字の輪郭をしっかり描く。何度も線を描き直し、納得の行く形に仕上げる。その後、文字を避けて地を絵具で埋める。そして今度は文字の内部に色を塗るのだが、その時に最初にしっかりと描いた輪郭にほとんど囚われずに濃い色をどんどんと塗る。そのように塗るのであれば、最初の苦労した鉛筆の下書きに意味があったのかと思うが、仕上がりを見ると、絵具の下からかすかにその張り詰めた線が見えている。それが絵の効果となっていて、決して最初の真剣な線引きは無駄ではないことがわかる。これはもう完全に独自の手法を確立したプロのやる技であり、一見合理性を欠いているようでいて、そこには要した手間はそのまま作品に立ち表われていることに驚く。湯元光男の絵は、初期のカンディンスキーとシャガールを足したような色合いの風景画で、その色彩感覚は60年代末期のサイケデリックそのままだ。絵具などの画材は指導者が選別して与えていると思うが、どの作家の絵もみな端正に仕上げられ、決して落書きのような、つまり汚れた印象は与えていない。そこが街角で見られるビル壁の落書きとは全くの別物で、そうしたタギングを芸術と称して描く連中は虚心に学ぶべきものがある。どの作家も時間をたっぷりと費やし、ゆっくりしかも着実に描いている点が、作品に大きな充足感を与えており、それが鑑賞者に芸術として伝わる。ビデオからうかがえる作者の表情や顔は、誰が見ても一瞬で知的障害者とわかるが、その手から生み出される作品は、現代芸術の最先端として見えるのであるから不思議だ。こうした人々の作品は昔からアウトサイダー芸術として分類され、フランスではアール・ブリュットと命名されて日本で展覧会も開催されているが、絵の不思議、その可能性というものをこうした展覧会で確認するのはとてもよいことだ。先の清方ではないが、暇でなければ、つまり時間に追われるのでない限り、いい作品は生まれない。ニューヨークの画廊が目をつけてどんどんビジネスとして定着するのはいいことで、こうした人々の作品に画家としての一本筋の通った発展や成長が見られない、あるいは望めないとしても、それはまた別に論じるべきことであって、描かれた1点がその場に磁力を持って人に何かを与えるというその真実だけをともかくは確認するだけでよい。館を出て、駅に向かう途中、展覧会を見た後の知的障害者を連れた若者がいた。ちょうど信号をわたる時、知的障害者のひとりが大声で泣き始め、体を信号待ちする車の前に横たえた。保護者の若者は、それを抱き起こし、なだめていたが、泣き声はなかなかやまず、遠くまで響いた。知的障害者の誰もが絵の才能を持っているとは限らない。それは健常者も同じだ。その意味において、大切なのはその人の持つ才能という意見もあるが、誰かの支えがなければ生活出来ない知的障害者は、やはり健常者と同列に扱って放っておくわけには行かない。
●『現代美術の超新星たち アトリエインカーブ展』_d0053294_22181453.jpg その後また駅に向かっていると、とある店で看板を見かけた。『中國剪紙展』で、11日まで入場無料でやっている。これは見なければならない。若い女性が寒い中、店番をしていたので、ふと顔を合わせると、その展覧会は通りの向こう側の雪花の郷という店内でやっていると言う。それで通りをわたった。中国の飲茶店のようなところで、店主に聞いたところによると、去年出来た店で、夏は台湾のアイス・クリームを売り、冬場の今は中国茶を出しているとのことだったが、結局何も注文せずに帰った。「剪紙」は切り絵のことだ。中国にはその伝統がある。画箋紙に赤い絵具を塗り、それを小さな鋏で切って行くが、非常に細かい部分も同じ鋏で切るそうだ。筆者も多少切り絵をするが、全部カッター・ナイフで切っているので、鋏と聞くとちょっと信じられない。下絵はどのようにしているのか知らないが、まさか下絵なしでぶっつけ本番で作るものではないだろう。細い部分になると、1ミリ程度しかないが、筆者はカッター・ナイフで0.2ミリ程度までは細長く切るので、この点はあまり驚くには当たらない。作家は田曠という上海在住の人で、店の人がその作品に惚れて10数点ほど持ち帰って店内で展示しているのだ。鯉や馬、万里の頂上、年画によく描かれる富貴の童子、あるいは文字絵など、いかにも中国らしい作品ばかりで、それがちょっと不満でもある。というのは、この伝統的な剪紙の技法を駆使して現在の中国では現代芸術家も輩出しているからで、そこには技術よりもインスタレーション的な、つまり作品の置き場所と見せ方の工夫があって、その意外性によって人々に強い印象を与えることに成功している。伝統的な画題を繰り返し作り続けることは技術の保存の側面からは大いに意義があるが、現在の芸術においては個性が重視され、それはやはり絵に表現するしかない。その点で田曠は日本の大半の切り絵作家がそうであるように、細かい技術を主に見せることに主眼が置き、表現された絵そのものから伝わる新鮮なものはない。そこでまたアトリエインカーブに戻ると、5人の作家は伝統には全く根ざしていないし、またそうすることも出来ない知的障害者だ。何か名画のようなものを模写して学ぶというのではなく、自分が好む何かを描けば、それが自ずと他人とは違ったものになるだけで、芸術の歴史、あるいはどこそこの巨匠の絵に関心したという経験もないだろう。だが、絵は美術史の文脈に常に関連づけて鑑賞し、意味づけるものではない。田曠のような伝統のしがらみからは、最初から無関係に出発しているところに、完全な創作の手段があったというのは面白い。そうして描かれた絵が、どの美術とも無関係に立つとしても、それでいいではないか。人はあまりにも多くの名画を鑑賞し過ぎて、その世界から離れたものを正しく評価出来なくなっている。知恵知識のある者ほどそうだ。知的障害者がはるかに自由に飛翔していることを謙虚に見つめる必要はある。
●『現代美術の超新星たち アトリエインカーブ展』_d0053294_22174878.jpg

by uuuzen | 2008-02-05 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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