ライヴ演奏のいいところは、アルツハイマーにならない限り、自分の経験として長く記憶されることだ。
CDやDVDはひとりで音の隅々まで楽しめるが、それはライヴ演奏とは全く別物だ。こんなあたりまえのことが、ZPZのステージでよくわかった。ただし、FZの映像と音に合わせた演奏部分は、どこからどこまでが本物の生演奏かわからない部分があって、そう考えると、ZPZの演奏全体が本当は口パクならぬ、指パク身振りパクであったような気もして来る。これはFZの曲をきっちりとカヴァーする姿勢に必然的に忍び込むもので、Dweezilにしてもどこまで自分の個性が出るのか、あるいはそうでないのか、さらには出せるとしてどの程度までそうするかといった、さまざまな段階の悩みがあることと思う。パンフレットには70年代の音を再現するためにFZの使用したギターに限りなく近いものを使っていると書いていたが、ゲストのスティーヴ・ヴァイがいつものとおり愛用のIBAZEZを使っていたから、Dweezilは本当はそんなことまで考えなくてもいいようなものだが、ゲストはゲストで、自分たちのバンドとは一線を画するとの思いがあるのだろう。とにかく、ZPZの細部をあげつらうと切りがない。そんなことよりも総体としてZPZがいい生演奏をするのであればそれでいい。とはいえ、アメリカでの2度目のツアーとなって、入場料も下がったようで、やはりFZのツアーのように、全く何が飛び出すかわからない演奏ではなく、最初からハンディのようなものがつきまとっていて、よほど新鮮味を絶えず追求しなければ飽きられるのも早いかもしれない。だが、おそらくそうなったらそうなったで、また何か別のことを考えるだろう。今はDweezilは父の音楽を次世代に伝えようと確信を持って行動しており、その成果が具体的にどのような形で納得出来るのか知らないが、何かそういうひとつの到達点に至ればバンドを解散するのだろう。だが、そんな到達点はあるはずもないし、現在のZPZの活動は筆者には先の見えない賭けに思える。どうせロックは賭けであるし、また先がわからぬまま活動する方がファンにとっては楽しい。少なくとも筆者はそういう思いがあったので、Dweezilに対するインタヴューなどどうでもいいと思った。今後どんなゲストを呼ぶか、どんな曲を今後やるか、いつ頃まで続けるかなど、こうした質問は答えを知ってしまうと面白くない。楽しみとして取っておくべきだ。また、逆に言えば、それだけZPZは話題に限界があるバンドとも言える。
さて、前に書いた泣けた曲は「Pygmy Twylyte」と「Muffin Man」のギター・ソロで、どちらも短調であったことも影響した。「Pygmy Twylyte」は『ロキシー・アンド・エルスウェア』ヴァージョンではギター・ソロは含まれない。これは麻薬中毒患者の哀れさを歌う曲なので、ギター・ソロが入るのであればマイナーであるべきだが、FZはLPの収録時間のつごうか、あるいはアルバム全体をからりと陽気なものにしたかったのか、ともかくギター・ソロは含めなかった。FZファンがこの曲のギター・ソロを聴いたのは、80年頃に出た海賊盤で、74年12月にロサンゼルスのKCET-TVの演奏を収録したものであった。そこにはマイナーのソロが含まれ、当時筆者は驚き、そして何度もその個所を聴いた。その後『オン・ステージ2』でもギター・ソロが入ったが、Dweezilはおおむねそれを模倣し、さらに長く、また感動的に展開していた。その展開の具合は「Muffin Man」と似て、音形を何度も上下させながらメロディをたたき込み続けるもので、ライヴならではのスリルを感じた。それは演奏者が観客の反応を感じながら奏で、その様子をまた鑑賞者が感じるというインタラクティヴの1回限りのものであって、CDで聴いてもなかなか同じものは蘇らないと思う。伝わってもそれは傍観者でしかあり得ず、自分は一種の死人か幽霊と同じ存在であることを噛み締める。ライヴの醍醐味は文字どおり、「LIVE(生)」感を感じることにある。そういう記憶を幾分かでも作ってくれることを期待してステージを見るわけで、でなければCDで充分だ。「Muffin Man」は76年のザッパ/マザーズの京都公演ではアンコールの最後に静かに、そして過激に演奏された。ふとその時のことを思い出して泣けたのだ。それにドラマーの背後に映し出される77年のハロウィーン・ライヴにおけるFZの痩せた姿を見ながら、それがもう30年も前のことだと納得すると、あまりに時の経つのが早いことに妙に感動してしまった。それもソロが短調であったためであろう。ZPZは日本での3か所はみな演奏曲を3分の1は取り変えた。東京では「Black Napkins」「Doreen」「Zoot Allures」 「Ship Ahoy」「Black Page」、横浜では「Joe’s Garage」「Wind Up Workin' in a Gas Station」「San Ber’dino」 「What's New in Baltimore?」「Peaches En Regalia」「Yo’ Mama」を新しく演奏して、全30曲をやったことになる。FZも必ず設けたたメンバーの腕の見せ所を含めた曲は「デュプリーの天国」で、大阪ではレイ・ホワイトがDweezilの紹介で、寿司を歌い込んだ短調のスキャットを披露した。「ワサビー」と歌いながら、おどけて辛い表情を見せていたが、レイは日本に滞在中にうまい寿司を食べたのか気になった。まさかギャラが安いので100円の回る寿司に行ったのではないだろうな。それではワサビの辛さの涙と混じってあまりに悲しい。レイは曲の途中の出番でない時にしばしば下手に引っ込んで、椅子に腰を下ろしているのが筆者の席からはよく見えた。それが多少疲れ気味の年配者であることを表わしているように思えた。アンコールはFZの時のように、拍手に迎えられて何度もステージ出直して来るというものではなく、スマートになって客も心得ていると言おうか、、最初から計算されたように1回だけであった。最後はメンバー全員が横一列に並んで肩を組み、深々とあいさつをすることで終わったが、これはDVDやパンフレットでもわかるように、どの会場でもやっている決めた様式だ。それを思うと、演奏の最初にも儀式的な何らかのこだわった演出がほしかった。FZは常にそれをしていたものだ。

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●2002年9月8日(日)深夜 その6
さて、話はいよいよ原爆に関連づいて来た。もう深夜で、9日になった。かなり眠いが、もう少し核を書く。今年は広島を見たから、ぜひ長崎の原爆跡も見ておくべきと思うようになった。長崎行きの大きな目的はそこにあった。広島に比べると長崎は観光すべき場所が多いためもあってか、原爆の印象は広島ほど大きくはない。それは二番目に原爆を落とされたということと死亡者などの被害の差もあるだろうが、それでも忘れてはならないものだ。『本当の物語』を書き初めてすぐの9月11日にアメリカで同時多発テロが起こった。ツイン・タワー・ビルが崩壊してもうすぐ1年になる。戦争で本土の被害を被ったことのないアメリカとしては、その事件がよほどの衝撃があった。しかしテロ事件後、巷では日本の原爆はもっとすごい被害であったという声があった。事件が起こった当初は、アメリカの御機嫌を伺うあまり、そういう意見は表立って言いにくい雰囲気があったし、今も戦争とテロを同列に言うのはけしからんという意見もあるだろう。だが、大勢の人が人の行為によって理不尽に死ぬということだけを採り上げるならば同列に考えられるし、原爆で一気に死んだ人は同時多発テロの10倍ではきかない。犠牲になった罪のない人を思うとテロに歯ぎしりしたくはなるが、同じようにアメリカは報復爆弾を落としてアフガニスタンの庶民を死亡させている。お盆に妻の実家を訪れ、跡を継いでいる長男としばし話をした。筆者より6歳ほど年長だが、消防士をしている。つい最近、消火中に煙に襲われて息ができなくなり、消防士になって以来、初めてもう死ぬかという目に遇ったという。一瞬の判断と迅速な行動によってそれは回避されたが、危険とそして絶え間ない精神の緊張にさらされているそうした職業には頭が下がる。笑顔で話す義兄を見ながら、同時多発テロでニューヨークの多くの消防士が殉職したことをふと連想した。
しかし人は身近な被害には敏感になって、遠いところでの出来事には関心を大きくは持ちにくいものだ。それが人間の限界でもあるし、また考えようによっては、生きるために必要なように備わった本性でもあろう。遠くの悲惨な出来事まで全部嘆いていると人間はとても生きては行けないからだ。そこである程度の線引きを行なう。自分にとってより近い存在の滅亡に対してより嘆くということを誰しもやることになるが、おそらく人間のそうした限界が環境汚染の問題にもつながって、いずれは人間そのものを滅ぼすだろう。それはさておき、筆者がニューヨークに住んでいるアメリカ人ならばまだしも、ツイン・タワー・ビルの崩壊はあまり実感がない。むしろ阪神大震災の揺れの方がまだ生々しい。その揺れでさえ、東京の人にとっては実感がないだろう。震災でも大勢の人が死んだが、とかく昔から自然災害の多い日本に住んでいると、一気に多くの命が奪われるということに対してはさほど驚きがないのかもしれない。同時多発テロと同じようなことが今後どのような形で拡大化するのかわからないが、核爆弾や毒ガス、あるいは細菌爆弾が使用されて、もっと広範囲に被害が及ぶという想像は充分にできる。絶えず敵を作らずにはおれないアメリカは今度はイラクを攻撃しようとしており、今のところ国際的には意見の一致を見ない。それはそうだろう。それをした後にまたどんな恐ろしい報復があることやら、あまり急いで愚かな爆弾の雨を降らせることはしない方がよいに決まっている。爆弾をせっせと作って、それを使用してもらう方が儲かるという産業をアメリカが抱える限り、どんな理由をつけてでもアメリカはどこかに爆弾を落とし続けるだろう。原爆以後のアメリカの水爆実験で日本の漁船が被爆した事件もあったが、そうした経験を通じて日本こそは原水爆や放射能汚染に対しては世界に堂々と意見して、それらの被害を一切なくするように働きかける責任がある。ところが戦争放棄を抹消した憲法を制定しようとの動きがマスコミから出て来たりする昨今、いつまたこの狭い日本に大きな爆弾被害がないとも限らないかのような方向が、チラチラと見え隠れしているかのようだ。愚かなことだ。テロ行為は確かにキ印の沙汰だが、テロを受けた方がただちに反撃するでは狂気は増すばかりだ。その点、原爆の後、アメリカ主導にせよ、日本が憲法で戦争を放棄したのは懸命な選択であった。何だか話の核を欠いてトンチンカンかつチャンポンになっている気がして来た。核が爆発して話の尻も支離滅裂か。続きは明日にします。といってももう時計は午前3時で、その明日の頭に入っているが。