元旦に1年の計があるというのであるから、初夢の内容が大切であるのは言うまでもないが、その点から言えば、どうやら今年も波瀾ばかりのたいしていい年にはならないようだ。
その初夢は、元旦の夜に見たものを言うようだが、本当は大晦日を過ぎて元旦の朝に見た夢が年の初めのものではないだろうか。その意味で言えば、今は元旦の正午過ぎだが、さきほど目覚める直前に見た夢が初夢になる。それはそうとこのブログ、元旦は去年同様に「新・嵐山だより」でも書こうと思っていたが、変化に乏しい日々でもあり、書くことがない。そのため、先日に続いてまた夢を記録しておこう。ところで、先日このカテゴリーに書いた夢は去年唯一の投稿だった。そんなに疎かにしていては、せっかく設けたカテゴリーの意味がないが、そんなことを考えながら、その後すぐに書いておきたい夢を見た。内容を簡単に書けば、自分の体が上空に浮遊し、地上の各地で大規模かつ出鱈目に繰りひろげられる噴水ショーを見下ろして面白がっていると、次の瞬間、宇宙の真っ暗な空間に一気に上昇し、そこで氷が貼りついてくになった四角く白い人工衛星をすぐ間近に見て、その氷を溶かすために息を吹きかけるといったことをするもので、体が浮遊する面白い感覚は今までの夢にないものであった。だが、目覚めてすぐ、噴水は膀胱が満杯になってトイレに行く必要があったゆえのことだと気づき、それでこのカテゴリーに書くに値しないなと判断した。同様に、去年見たたくさん夢は、目覚めた後でその源がたいてい推察出来る場合がきっと多かったのであろう。筆者が面白い夢と考えるのは、なぜそのような夢を見たのか理由が推測出来ない場合だ。しかもこのカテゴリーにわざわざ書くのは、筆者のよく知る特定の人物、つまり身内や友人が出て来なかった場合におおむね限っている。そのため、夢はみな似た感じのものになって、しかも孤独感や恐怖感に彩られることが多い。そのような悪夢を元旦早々こうして書こうというのは、悪趣味の最たるものだが、月並みな元旦の感想よりかはましかと思い直し、つい3時間ほど前に見た内容を思い出せる限り書いておこう。とはいえ、最初と最後が朧気でもう思い出せない。実際はこの最初と最後がとても印象的であった記憶があったのに、目覚めた後、布団の中で七顛八倒してもなかなか思い出すことが出来なかった。特に最初がそうで、ここに書くのと同じかそれ以上の量があった。仕方がないので記憶にある部分から書く。
筆者は列の最後尾に並んでいる。手にはよれよれになりかけたメモ用紙やら半券、レシートのような小さな紙片を4、5枚持っている。2、3列になっていて、前に見えるのはみな茶や黒のコートを着た60歳以上の年配者だ。緑の葉がたくさん生い茂る大きな木の下に小さな机をひとつ持ち出して、係員が2、3人応対しているようだ。順番を待つ人は全部で10数人ほどか。2、3列に並んでいるのであるから、机はその列に対応した数があればいいのに、実際はひとつであるから、列からはどのような順序で人が前に出て係員に応対してもらえるのかわからないが、ともかく思うより早く前に進むことが出来て、一気に筆者の前に机に座る係員が現われた。丸坊主で痩せ型、どこかで見たような顔だが思い出せない。ゴッホとヨハネス・イッテンを足したような知的で神経質な顔で、襟なしの白シャツを着た中年男だ。その男が残念そうに筆者に言う。「せっかく並んでもらいましたが、ちょうどあなたの番になってこのようにもう小銭が少ししか残っていません。そのため引き換えは後ろのあの水道局のビルの○階へ行って下さい。そこできちんと精算しますから」。男は1円玉や5円玉の何枚かを両手間でチャラチャラと行き来させながら、そのように言った。筆者は実は電車に乗ってどこかへ行く途中であった。だが、電車が予定とは違って故障したか何かで、料金を精算してくれるらしかったのだ。筆者はポケットを確認するまでもなく、自分が文なしであることを知っているから、精算して少しでもお金が戻って来ることをとても期待している。いや、それがなければ次の行動が出来ずに困ると思っている。それでもとにかくすぐ後ろに見えている古ぼけたビルの水道局に行けばどうにかなるとのことで、大きな木とは反対方向目指して歩く。すぐにビルに着き、誰もいない中を階段を上がり、目的の○階を探す。ビル内部はひんやりとして人気がない。突如階上から男の歌う声が聞こえる。その調子から知恵遅れの若い男性であることがわかる。男はどうやら無断でビルに入って遊んでいるらしい。だが、その男に出会えば面倒なことになるかもしれないと思い、とにかく○階を目指そうと、階段を急いで駆け上がり、どうにか男に見つからなくて済む。ところが着いた部屋は四角い8畳部屋ほどの広さしかなく、しかも窓もない。四角の部屋の四方の壁際には人がひとり歩くのにちょうどよい幅の階段模様が描いてあって、本当の階段ではないのだが、その範囲内しか歩けないと思って筆者はぐるりと壁際に沿って回る。そうしながら部屋の階段模様以外の中央部分を見ると、階段模様と同じ平面でありながら、じめっとしていて、泉のように水気が下からうっすらと滲み出ている。そのためなおさらその領域には足を踏み入れてはならないと思う。『このように床が湿っているのは水道局であるためか』などとも考えるが、とにかくその部屋は目指す部屋でないこと確かで、急いでそこから出ようと考え、部屋の隅、つまり階段模様のとある一隅に来ると、そこが正方形に黒く塗られていて、下にするりと下りる穴になっている。辛うじて体ひとつを通過させ得る穴で、両手を穴の縁にかけて体をすっぽりと嵌めて下に下りようとすると、階下はどうにか身長の高さとほぼ同じ天井高さになっていて、すぐに足は床に着いた。
だが、驚いたことに、そこはさきほどと全く同じ形の部屋で、壁際四方に階段模様の筋が黒い線で描いてある。仕方がないのでまたぐるりと部屋をさきほどと同じように回る。そして元の位置に戻ると、自然とそこが黒い穴になっていてまた下へと下りられるようになっている。同じような行為を何度すればいいのだろうかと思って焦りながら、4、5階も下りたところ、ついに広い空間に出た。相変わらずビル内部だが、天井は高く、そして暗い。そこに2、30人の研究員や係員が忙しく立ち回っている。何か緊急の出来事があったのだ。それは目の前で沸騰する実験器具のフラスコからもわかる。海老茶色の濁った液体が蒸気を発しながらフラスコから零れかけている。それを見た白衣の眼鏡をかけた女子係員は急いで飛んで来て、さっさと処置をした後、また奥へ引っ込んでみんなと慌てふためきながら事態の収拾に当たっている。どうやら飲料水の水源が何かで汚染されたらしい。壁には数字や文字を表示する大きな電光掲示板や計器などがあって、それらを睨みながら人々はどうすればよいか腕組みしている。神妙な顔つきをした人々は筆者に全く気づかないし、気づいても関心がないようだ。筆者は用のないところに紛れ込んだのだ。そして目的の○階はいったいどこにあるのかと改めて思っている。すると、目の前の研究員に混じって、さきほどの襟なし白シャツを着た男が座っていてこちらを向いている。筆者はすぐに駆け寄って、さきほど還付してもらえなかったお金をどうにかしてくれと頼む。男はうすら笑いを浮かべながらそれに取り合わず、無言で筆者を見返す。筆者はようやく騙されたことを知るが、水道局内部がこのような事態では筆者のちゃちな用事などとてもかまってはもらえないことを察し、そのままそこを出ようとする。すると、急にビルに入った時と同じ玄関が見え、その外に立っている。ふと気づくと、玄関の扉の前に木の台があって、そこにチラシが何枚か積み重なっている。そしてチラシが飛ばないように重しが置いてあるが、その重しにどうも見覚えがある。直方体で灰色のテープを包帯のようにぐるぐる巻きし、しかも各面が長方形であることを誇張するためか、各辺を青のマジック・インクで縁取りしてある。また3分の1と3分の2といった比率で前後ふたつに分離させられるもので、ふたつの部分はジョイントによってつながれ、4、5センチは離すことが出来る仕組みになっている。持ち上げると重く、しかも3分の2の固まりの方には古ぼけた紐がついて台に固定されている。それは誰かが持ち去らないようにとの目的からではなく、申し訳程度に結びつけてあるといった程度で、その重し自体には何の価値もないようなのだ。その重しは実は筆者が支払ったお金で水道局が購入したものなのだが、そのように役立たずの単なる重しに利用されていることを知って、筆者はお金を還付してもらえるどころか、そうしてくれると言われても、こっちが恥ずかしく辞退せねばならないほどだなと内心思い、もらえるはずであったお金はさっぱりと諦める。だが、無一文である腹立たしさもあり、このどうでもいいような重しを持って帰ってやろうと思い、紐を外して胸元に抱え込み、そして水道局を後にする。
いくら自分が支払ったお金で賄われたものとはいえ、まだ水道局のものであるのだ。無断で持ち帰ってはまずいという良心があるので、後ろめたさから振り返ると、さきほど筆者が立っていた玄関前からふたりの青いセーターを羽織った制服姿の若い女子職員が昼食を食べるためか、談笑しながら出て来た。筆者は灰色のテープを巻いた謎めいた箱を持ち去ったことがその女性たちに悟られはしまいかと思いながらどんどん前進する。どうせ50メートルほども離れているので追いつかれることはあるまいと思った矢先、ふたりの笑い声がすぐ耳元で響き、筆者のすぐ後ろに一気に迫っていることに驚く。少しだけ振り返ると、やはり1メートルと離れていない。彼女たちの歩く速度が早いのではなく、どうやら筆者の歩くのが異様に遅いようなのだ。それきり振り返らずにどんどん真っ直ぐに先を行くと、アーケードのある田舎の商店街で、多くの人々が影のように行き交っている。ふと左手にけばけばしい色合いのポルノ映画の看板が見える。それをじっと見ていることが後ろのふたりの女性に見破られては格好悪いので、そっちには何の興味もないという素振りで通り過ぎようとするが、看板は大きく、しかも通りに何枚もはみ出しているので、まるで昭和初期のストリップ小屋の看板といった感じのレトロな女性ヌードの絵がいやでも目に入る。場末にはこうした映画館がひとつくらいはあるもので、それもまた楽しい光景ではないかと思いながら、また先へと進むと急に様子が違って来る。商店街ではなくなり薄暗いトンネルのような気配だ。ここから先はほとんど記憶がないが、そのトンネル状の道を進むと、動物か男の子かよくわからないが、野性じみた何かが座り込んでこちらを向いている。危害を加える素振りはない。むしろあまりに見すぼらしい姿で、ほとんど浮浪者に見える。その子どもと野獣の合体したような生き物を見ながら、筆者ははらはらと涙を流す。なぜそのような不幸な存在があるのだろう。筆者に何が出来るだろう。なぜそんなどうしようもない哀れな形の生き物がこの世にあるのだろう。そんなことを思いながら目が覚めたようだ。
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ポルノ映画館は思い当たることがある。昨夜、新聞に京都の八千代館という、京都でもっとも歴史のある映画館が幕を閉じると載っていた。繁華街を裏手にある映画館で、30年ほど前からか、成人映画専門になっている。そうした映画館は今の若者には必要はない。DVDやビデオで簡単にポルノは見ることが出来るからだ。だが、そうした新しい技術が苦手なおじさんたちは、映画館で女性の裸を見るしかない。そう考えればそんな映画館がひとつやふたつは必要なのだが、そうしたものを必要とするおじさんたちはもう70や80代になって、それこそピンク映画を見ることもなくなったのだろう。そんなことを昨夜は考えていたから夢に出て来たのだと思う。水道局はなぜかと考えれば、フラスコが溢れている様子ともども、やはり膀胱がいっぱいになっていて尿意を催していたからと思える。チラシ押さえの重しは思い当たるものがある。それは夢を見ながらでも思っていたことで、枕元に置くランプと同じ形をしていた。ただし、筆者の所有するそのランプは表面が赤色で、プラスティック製の直方体だ。それはいいとして、普段は全く意識にもないし、長らく使用していなかったそのランプと同じ形の意味不明な重しがなぜ夢に出て来たかまではわからない。応対した水道局の男にも思い当たらない。そのほかは人の気配のないビルや、また人通りの多い商店街で、いつもよく見る夢の亜種といったところだ。全く創造力に乏しい筆者を露呈しているようで、なぜこうもいつもよく似た夢を見るのか不思議だが、以前見た夢に出て来たある場所に向かって歩いていたりすることも多い。だが、完全に同じ形の場所が出て来ることは今までにはなかった気がする。夢を見ながら、『ああ、ここは前に見た夢のあの場所に向かっているな』と思いながも、そのすぐ近くに来ると、以前とはすっかり趣が違っていて、同じ場所であるのにそうではないことを実感する。以前に見た夢と同じ場所が全く同じように夢の中で登場すると何だか怖い気がするが、こうして夢を記録していると、そのことが夢に反映して、いずれそういうことにもなるかなという予感がある。夢を文字で書いておくことの意味と無意味さを比較すると、きっと後者の方の割合が大きいだろう。元旦早々無意味なことを書き連ねて、今年は収穫の少ない年になりそうだ。人生はあまり期待しない方がよい。ハードルを低くして生きるという言葉が去年は流行したが、そもそもハードルの概念をなくして生きる方がもっとよい。越えなければならない絶対的ハードルなどこの世にあるのだろうか。と書きながら、いつも筆者が電車に乗ってどこかへ行く夢を見たり、とにかく目的地を目指している夢をよく見ることは、何らかのハードルを意識しているからかもしれない。