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●「SHREE PRIYA」
りのよい『1年に12回の投稿』となれば、もうそろそろこのカテゴリーに何か書かねばと思ったのが2週間ほど前のことだ。実はその頃、連日このCDをBGMにして本職の友禅に勤しんで花柄を染めていた。



●「SHREE PRIYA」_d0053294_15174847.jpg床に座ったままの仕事で立って別のCDをセットし直すのが面倒なので、たいてい適当なものを選んでエンドレスでプレイさせる。CDプレイヤーは6枚をセット出来るカートリッジがあるが、いつの頃からかそれを使わなくなった。この「SHREE PRIYA」は3楽章の組曲で、演奏時間は全体で70分で、何回続けて聴いたかで時計代わりに時間がわかる。友禅染の作業に没頭していると、3時間から5時間は腰を上げないので、こうした長大な曲は悠然とした気持ちにもなれてなかなか重宝する。これがLPだと15分おきに立ち上がる必要があり、CD時代になって筆者には仕事上とても便利になった。1日10時間や15時間ほどは座りっ放しで仕事するので、同じCDを日に10数回は聴くことになったりするが、このアルバムは1か月以上毎日聴き続け、今こうして書いている時にもBGMに用いているので、300回は聴いたろうか。それにこのCDを買った10年ほど前にも聴いていたから、通勤するサラリーマンではあり得ないほどどっぷり漬かったはずだ。なぜ久しぶりにこのCDを取り出したかと言えば、10月中旬にケーブルTVで、ジョージ・ハリソンの1周忌に際してエリック・クラプトンらが集まって演奏した『コンサート・フォー・ジョージ』の劇場版が放送され、それを録画してこれまた毎日のように見ていた中、インド音楽の重要性についてまた改めて考えたことによる。同コンサートはその後2枚組CDを入手したが、1枚目がビートルズ時代末期のジョージの1曲を挟む形で、その変奏曲と言えばよいか、一部のフレーズを展開するインド音楽になっていて、それがめっぽう面白かった。それを何度か聴いた後、今度はラヴィ・シャンカールの4枚組のCDを棚から取り出し、順に3、4回ずつ聴き、そしてこのアルバムを聴こうと思った。LPではインド音楽のラーガは何枚か持っているが、先に書いたようにそれでは仕事には不便なので、このたびは手をつけなかった。ジョージ追悼の同コンサートについては、劇場公開直前、抽選で券が当たって新大阪で見たが、10月にTVで見直すと感動が蘇った。ジョージ本人の演奏を聴いている方がましと思う人があるかもしれないが、実はそうとも言えず、ジョージに縁のあるミュージシャンたちがカヴァー演奏するのもとても面白い。それはジョージの楽曲の完成度が高いからと言えるだろう。そしてそのジョージがビートルズでデビューして間もなく20代半ばでインド音楽に開眼し、ビートルズの多彩な側面に大きな影響を与えたことはもっともっと評価されるべきで、そこには20世紀におけるインド文化の影響という壮大なテーマすら横たわっている。
 先日の新聞にアメリカのニューヨークの中心の野外で、女性のインド舞踊家が2、3人踊る写真が掲載され、アメリカで力を持つインド系住民について報告があった。残念ながら切り抜いておかなかったので詳細はわからないが、インドがアメリカで影響力を持つというのは日本にいるとあまり実感出来ないが、一旦目を地球上空に置いて眺めると、なるほどという気もする。インド人は英語を話すし、数学に強い民族であるから、情報処理の先端技術の分野に才能が多く進出していることは誰にでも容易に想像出来る。アメリカでインド系が力をつけて来ているのもそういう事情がきっと絡んでいる。インド系の人々がどれほど多くアメリカに住んでいるのか知らないが、インド音楽がアメリカの壮年世代に影響を与えているのは、ヒッピー文化華やかし頃、ウッドストックでラヴィ・シャンカールが演奏したことから考えても小さなものではないだろう。筆者は20歳頃にそのラヴィ・シャンカールがウッドストックで演奏するLPを入手して当時愛聴したものだったが、その後インドまで旅行してインド文化を肌で感じたいということにはならなかった。そのため、この35年間ほどはインド音楽に関する知識や興味はほとんど変化していないが、先に書いたように、ジョージ追悼コンサートを改めて映像で見たりCDで聴くにつけ、インド音楽の悠久性と、音楽世界における他文化との影響関係に思いを巡らせることになった。ここではそれをL.Subramaniam(スブラマニアム)というアメリカ在住のインドのヴァイオリニストの音楽から少々見てみようというわけだ。この「SHREE PRIYA」全曲が収録される『MASTERS OF RAGA』の1枚を入手したのは10年ほど前だ。新品同様の安価な中古で、当時同じ店で面白いCDをたくさん入手した。誰も買わないので長く置かれていたが、今にして思えば入手困難な貴重盤ばかりであった。このCDはラーガでwergoレーベルゆえに当たり外れはなく、持っていて損はないだろうと判断した。発売は95年で、先頃ネットで調べたところ同じ音楽をライヴ盤も出ている。ぜひ聴いてみたいものだが、中古でしか買えず、しかも高い。スブラマニアムのLPやCDは何枚か出ていて、そう言えば、中古店で格安でLPを何度か見た記憶がある。インドのヴァイオリニストと言えば、ザッパ・ファンならばL.シャンカールを思い出すが、スブラマニアムはインドの伝統音楽により近い位置にある。他の作を聴いていないので何とも言えないが、L.シャンカールのようにフュージョンに分類される音楽もそこそこやっているようだ。アメリカに住んで食って行くためには、インド色の濃い伝統音楽ばかりやっていられないはずで、シタールの大御所のラヴィ・シャンカールでもパトリック・オハーンやフィリップ・グラスなどと共演して、ジャズ、フュージョン、現代音楽といった他分野にも進出していることからも容易に想像出来る。ラヴィ・シャンカールのそうした伝統音楽一辺倒ではない態度を、民族音楽ファンは不純な態度と思って非難しがちで、そうした姿勢からすればスブラマニアムも同類に見える。つまり、スブラマニアムが南インドにずっと引っ込んで、田舎っぽい感覚をそのままたたえた演奏に終始している方が味のある演奏だと思う人はきっといる。
 このCDのブックレットに載る写真は興味深い。スブラマニアムがズビン・メータと握手していたり、インド風上着に身を包むメニューイン、それにグラッペリと3人で肩を組む写真もある。そこから連想するのはジャン・リュック・ポンティだが、ポンティのようなポップス性や人気はスブラマニアムにはないし、逆にポンティにはスブラマニアムのようなラーガを演奏する能力はない。2枚の写真は、スブラマニアムの名前がクラシック畑でもよく知られ、またジャズでも名が轟いていることを示すが、そういう才能がひとりくらいインドにあって当然で、みんながみんな伝統音楽のみ演奏して本国に住み続ける必要はない。だが、問題はインド音楽に西洋音楽の要素がうまく接続されるかどうかだ。その実験、いや成果が本アルバムにそっくり表現されている。結論を言えば、完全な融合ではなく、接ぎ木の部分が大きくに思える。だが、これは非難の意味を込めてではない。音楽から伝わる悠久さには国境はないというひとつの真理がびしびしと伝わり、それですべてが許されてしまう不思議さが横溢している。本アルバムの魅力はそのことに尽きる。スブラマニアムのホームページにはメニューインの賛辞を載せられているが、60年代にラヴィ・シャンカールと共演したメニューインにすれば、自分が演奏したかったことをスブラマニアムが完璧な形で実現したという驚嘆の思いがあったのであろう。このことを、西洋人がインド音楽をマスターするのとその逆とではどちらが簡単かを証明していると考えるのは早合点というもので、スブラマニアムがどこまで西洋の音楽を西洋人のように演奏出来るかどうかをほかの例で知る必要がある。話は戻るが、ジョージ追悼コンサートで、エリック・クラプトンはスブラマニアムが座ってヴァイオリンを弾くのと同じように床に座ってギターを弾き、インドの楽団とよく音を合わせていた。ところどころ、ひょいとブルースっぽいフレーズが手癖で出て来るのがやや興醒めだが、インド音楽に特徴的な耳慣れない旋律をよくものにしていたのはさすがであった。スブラマニアムの本CDにもこのクラプトンの試みに似たところがある。伝統的なラーガに則りながら、そこにバッハの音楽からの影響を反映させているのだが、それは70分間全体にわたってそうであるというのではなく、ある聞かせどころの部分だけバッハ風にするりと移行する。それがいかにもそうあるべきという自然な形で繰り広げられるので、そのバッハ的部分に来ると、背筋がぞくぞくとして頭は恍惚状態になって、体が宇宙に浮いている気がして来る。そして次にバッハがこの音楽を聴けばどう思ったかと考え、バッハに聴かせたい思いにかられる。前知識なしにこのアルバムを聴く人は、インドの古い伝統音楽にバッハがすでに内蔵されていたと勘違いして仰天することは間違いないが、実際はそうではなく、スブラマニアムはバッハのヴァイオリン音楽に感銘を受け、それに学んだのだ。
 ジャン・リュック・ポンティはバッハの無伴奏ヴァイオリンのパルティータやソナタを若い頃、つまり70年頃に練習がてらに演奏していたと何かで読んだことがある。筆者がバッハの同曲を2枚のLPで買ったのは、それを読む前で、70年代前半のいつのことか忘れたが、CBSソニーの1500円の廉価盤でシェリングの演奏によるものだった。ヴァイオリンを学ぶ者にとってバッハの同曲はバイブルと言ってよく、スブラマニアムが長じてからその音楽に魅せられたのは当然過ぎるだろう。インドの伝統に則したものだけを演奏して満足出来るという性質ではなかったことも一因だが、バッハに感激して、それを摂取して創作するとなると、そりなりに困難な課題もあったことは想像にあまりある。バッハの音楽はたとえばジャズやロックにも編曲されるほど現代的な要素の宝庫でもあるので、それがインドのラーガと結合して何の不思議もないが、インド人自身が大胆にその可能性を表現し得たことはなかったのではないだろうか。その意味でスブラマニアムはインドでは異端者扱いかもしれない。音楽がよければそれで充分ではないかという考えが通用しない世界があって、その「よければよい」の「よい」はどういう意味かと詰問される。それをある人は「感動した」と表現するが、別の人はそのことをある程度認めつつ、接ぎはぎ状態に着目してそれを不純とみなすだろう。同じような質問はスブラマニアムは恐らく何度も受けているはずで、ブックレットでもインタヴュアーが問うている。それに対してスブラマニアムは明快に答える。バッハ以降、さまざまな巨匠が出現したが、彼らは創造性を得るためにインド音楽を含めてあらゆる音楽を摂取した。そうした音楽が西洋のクラシックとして揺るぎない純粋なものと位置づけられるのはおかしなことで、インド音楽がバッハを取り込んでも、それはインド音楽の新しい創造性になるという理屈だ。これはなかなか愉快で、ザッパも同じようなことを言っていた。インドも中国も西洋よりはるかに長い文明の歴史があり、西洋の古典音楽、あるいはアメリカのせいぜい200年ほどの音楽の歴史だけが絶対的なものだと思い込むのは全くのお笑い事だ。ブックレットによると、「SHREE PRIYA」は、Melakartaのシステムにおける72パーセントのラーガのひとつであるRaga Charukesiに基づいて93年に作曲されたものだそうだが、7割とは言わずに72パーセントという中途半端な表現をしているところに、Ragaの厳格な仕組みがほの見え、インド音楽の途方のなさを想像させる。また、そのRaga Charukesiに短3度を加えて作曲したので、全体にメランコリックな感じが漂うことになったとのことで、筆者が仕事をしながら繰り返し聴いたのは、晩秋から初冬のメランコリーさにちょうど音楽が似合っていたからかもしれない。そう言えば、去年の今頃は別の音楽を聴いていて、それを今年も聴いてこのカテゴリーで取り上げようとずっと思っていたのに、結局そのCDは今年は一度も聴くことなく、似合う季節はすでに過ぎてしまった。
 スブラマニアムの父親は音楽教授で、母親は歌手でヴィーナも演奏する。ヴァイオリンのソロイストになって西洋音楽にも目を配る態度は父親の勧めによる。兄弟がふたりいて、みなインド中、世界中で知られるヴァイオリンになっている。ヴァイオンリは西洋が発達させた楽器だが、スブラマニアムによると似た弦楽器はインドの神話時代の昔からあったと言う。だが、それから直接的に継承発達したものが今インドで用いられているのではない。やはりイギリスの統治時代にもたらされたものが根づいた。特に南インドで18世紀末から19世紀初頭にかけて3人の名手が出現し、座って演奏するスタイルもその時に始まった。ソロ楽器として用いられるようになったのは20世紀になってからだ。南インドで発達したのは、ヒンドスタンの演奏家がいたからと言われる。南インドでヴァイオリンがよく用いられるようになる以前、ヒンドスタンでは伴奏楽器としてハルモニウムやサーランギが用いられていたが、やがてヒンドスタンでもヴァイオリンが重要な楽器として浸透した。南インドの声楽曲は以前はフルートやヴィーナが伴奏楽器であったのが、今ではヴァイオリンが首位を占め、コンサートでも不可欠なものとなっている。だが、北インドではそうではない。ちなみにラヴィ・シャンカールは北インドのベナレスの出身だ。インドは南は農耕、北は遊牧民で、民族や文化が著しく違う。ヴァイオリンがインド音楽に馴染んだのは、ギターのようにフレットがなく、微分音を奏でることが出来たからでもある。調弦は西洋のようにG、D、A、Eとはせず、主音、属音、主音、属音としている。この属音が5度上か下かは曲によって異なるのであろう。メニューインがラヴィ・シャンカールのシタールに合わせてインド風のメロディを即興した時はおそらく西洋の調弦のままであったのではないだろうか。また調弦だけではなく、スブラマニアム独自に開発した奏法がいくつもあって、その技巧性が音楽性と相まって音楽の魅力を倍増させてもいる。バッハの無伴奏ヴァイオリンのための曲に接したのは、幼少の頃にビデオを見たことによるが、大人になってそれがハイフェッツの演奏であったことを知り、バッハの音楽を学びたいとの欲求を抱いた。そしてロサンゼルスにわたって9か月間ソナタや協奏曲の分析に専念し、その後作曲に向かった。今はどうしているから知らないが、このCDが出た95年の時点ではロサンゼルスをインド同様の故郷として活動していた。
 「Ragam」(27分)、「Tanam」(13分)、「Pallavi」(30分)と題される3つの楽章構成は、ザッパの「Yo’Mama」の中間の長いギター・ソロを連想させるが、特に最初の「Tanam」はそうだ。ザッパはあからさまなインド音楽っぽい曲を録音しなかったが、インド音楽を注視して、それなりに学んでいたことは確実で、であるからこそL.シャンカールとの共演を望んだりもした。本曲の伴奏は3人で、そのうちひとりはふたつの楽器を担当して持ち変える。ビートルズの曲でもお馴染みの通奏される弦楽器のタンブーラ、アイヌ民族が使用するマウス・ハープと同じようなモルシン(モルチュン)という、アイヌが口にくわえて奏でる金属楽器の口琴、タンバリンのような形の小さなドラムであるカンジーラ、それにラヴィ・シャンカールのシタール演奏で使用される太鼓のタブラの南インド版と言ってよいムリダンガムだ。タンブーラは4弦しかなく、大体いつも女性が主役の背後でひっそりと担当するが、このアルバムでもそうなっている。「Ragam」はいかにもラーガの最初という感じで、ヴァイオリン主体のゆったりとした静けさ、のんびりさが繰り広げられ、インドの平原や仙人が瞑想する光景が目に浮かぶようだ。「Ragam」の冒頭と最後はタンブーラの同じ音形だが、続けさまに演奏される「Tanam」も同じくヴァイオリンの演奏ながら、速度は倍ほどに増し、バッハ風に変わる。こうなると、最後の楽章「Pallavi」は、第1楽章と第2楽章、つまりインドとバッハの混合形式になることが予想されるが、実際そう言ってよい。また、第3楽章では初めて打楽器が登場し、一気に華やかさが増すが、5分ほど過ぎたところでタンブーラの通奏をしたがえながらムリダンガムのソロとなり、途中モルチュンやカンジーラのソロにバトン・タッチしながら10数分続く。ムリダンガムはタブラとは違って、響きが浅いので、耳慣れない間はインド色がややうすいように感じるだろう。モルチュンの登場はこの音楽に多彩さを与えていて、筆者は70年代のアルヴィン・カランをふと思ってしまったが、カランもまたインド音楽の影響は受けている。そしてムリダンガムとモルチュン、カンジーラのアドリブの連続は、ロックのライヴではよくあるドラム・ソロのパートとしてよく、ほとんどジャズを聴いている気分だ。それが一旦終わるとヴァイオリンが参加しての合奏が始まるが、そのヴァイオリンが入って来る瞬間など、ほとんどザッパのスリリングなギター・ソロそのもので、終盤に向けてムリダンガムとモルチュンとの三者の、月並みな言葉で言えば「壮絶」なかけ合いが繰り広げられる。ともかくスブラマニアムのバッハ風の超絶技巧ぶりは見事の一言で、それによって長い曲が締め括られるが、演奏が終わった後、しばし続くタンブーラの通奏音は、第1楽章冒頭の音と全く同じで、この音楽は全体で輪を描いていることになる。つまり、リピートで聴くのに最適で、どこが始まりで終わりか判然としないミニマリズムを思い出させる。フィリップ・グラスがラヴィ・シャンカールと共演してアルバムを作ったのも、案外そうしたインド音楽にある現代性に着目してのことであったかもしれない。バッハの無伴奏のヴァイオリン・ソナタやパルティータをよく知っていて、なおかつジャズも聴くという人にはお勧めのアルバムだ。だが、なかなか入手困難かもしれない。
●「SHREE PRIYA」_d0053294_13531948.jpg

by uuuzen | 2007-12-19 15:20 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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