染料屋に助剤を買いに行った時、この展覧会の招待券が3枚置いてあって、1枚もらった。興味はさほどないが、何かのついでに立ち寄ることもあるかと思っていたのが、意外にも早くその機会が訪れて、今日行って来た。

少女漫画についての知識はほとんどない。そう言えば、2年ほど前か、東京のザッパ・ファンのUさんが、少女漫画がマイ・ブームになっていると言っていた。知識のない筆者はそのことに対して質問もしなかったが、Uさんの話だと、ストーリーがどれも破天荒のようで、その物語性に新鮮さを抱いているようであった。一方、最近の少女漫画の過激な性描写が問題になっているニュースも知っているが、実物を見たことがないので、筆者にはその過激さがわからない。ただし、今流行しているフィギアでは、大人向けにあどけない少女の裸形を楽しむものがあって、それから類推すれば、だいたいどのような過激さになっているかは想像出来る。実写のポルノとは違って、そうした漫画のポルノは、江戸時代の春画のように形の単純化と誇張化が著しく、妄想をかき立てるには恰好のものであろう。裸少女のフィギアに何の関心も劣情も湧かない筆者は、そういう趣味が密かなブームになることがさっぱり理解出来ないが、世界一幼児ポルノに寛容と言うか、鈍感な日本が、東南アジア諸国に悪影響を及ぼしているとうこともTVで知るにつけ、少女向け漫画も進化したのか、その逆に廃退化したのか、これはまともに考えてみるべき問題であるようには感じる。ところで、最近韓国で大ヒットした映画が、日本の少女漫画を原作にしているとあった。これもそのストーリー性が独創的であるところが着眼されたのだろう。それならば漫画ではなくて、少女向けの小説でもいいように思うが、もちろんそういう動きもある。これもつい先日の新聞に出ていたが、文芸書のベスト・セラーの上位3位までが携帯電話用の小説が本になっている。それらは文章は拙いが、若者たちにとっては現実味を帯びて共感出来る内容らしく、拙い表現であるからこそ逆に歓迎もされるのだろう。即座に読めて楽しいとなると、数百円程度は安いものだ。そうした本が百万部単位で売れると、一夜にして書き手は名声と巨万の富を得るが、今はそういう時代で、こつこつ何十年も努力してある才能に磨きがかかったとしても誰も注目などしない。経済の動きは若者に負っている。若者からうまく金を吸い上げることの出来る者だけがいわゆる「勝ち組」の先端に位置する。今思い出したが、そうした本は携帯電話が登場する前にすでにあった。15年ほど前だろうか、姪のひとりが文庫本を読んでいて、それを面白い面白いと言うので、中をぱらぱらと見せてもらった。驚いたことに、1ページ当たり10数行のスカスカ状態で、しかも各行がページの上半分までで終わっている。つまり、漫画の吹き出しをそのまま文字にしただけの本といった感じで、読んでしまうのに30分もあれば充分だ。だが、それがいいのだという。紙資源の無駄だと思ったが、そう思う筆者と、その姪は同じ人間であり、どちらの考えが大きいかは一概に言えない。そんな本でも心底楽しいと思えるのであれば、それは筆者がニーチェの哲学書を読むのと同じ価値はある。
そのように、目下の流行はみな必ずそれに先行する動きがある。劣悪な内容の少女漫画が問題になっているとして、そうした動きを思わせるものは、より以前の少女漫画に存在した。それは、たとえばまず最初はしごくまともな、王道と呼べる漫画がずらりと登場する第1期と言える時期があって、その後に活躍する世代の何か新しいものを生み出そうとともがく中から生まれて来るものだ。ルネサンス芸術で言えば、マニエリスムだ。巨匠が出揃ってしまうと、その巨匠にはさほどなかった表現を、巨匠の表現に学びながら後の世代は目指す。今の過激な性表現と言われる少女漫画も、そのわずかな萌芽は昔からあったものであるに違いない。今、池田理代子の『ベルサイユのばら』の原画展が各地を回っているが、そこにはオスカルという男装の女性が登場していて、性倒錯が主題になった物語であった。それが異常に拡大化すると、何でもありの、つまり良識派が激怒するようなポルノまがいの少女漫画になるのは確実だ。だが、池田理代子が元凶というのでない。そうした性のタブーと言ってよい主題を物語に持ち込む動きは昔の小説にもあったし、神話にもあって、少女漫画の成熟に伴って必然的に生じた動きだ。また、少女漫画とはいうものの、少年漫画が1970年代初頭にすでに当時の大学生が歓迎していたものであったことを考えれば、世代を越えた読者を想定したものとなって来たはずで、『ベルサイユのばら』を喜んで読んだのも決して小学生や中学生だけではなかった。そして今では大人が堂々と熱烈な漫画やアニメ・ファンとなって、その動きは海外にも波及し、日本が輸出する大きな文化ということにまでなりつつある。そうなると漫画やアニメの歴史は容易に古典美術に遡及して論じられ、先に少し書いたように、ポルノまがいの少女漫画もいずれ江戸時代の北斎の春画の系列において考えられることにもなるかもしれない。評論などは後からいくらでもこじつけが出来るもので、現在の新しい文化が真に価値あるものとして認識されるには、そうした評論によって歴史的にも補強される必要がある。そして、そういうことを手助けする機関として、「くくむむ」こと京都国際マンガミュージアムもある。
漫画は出版であるから、漫画の歴史は出版や印刷の歴史を無視出来ない。漫画は「見る」なのか「読む」なのか、本当はどう表現すべきものか知らないが、読んで見るものであって、文字の助けを通常は必要とする。それによってストーリーがより明確化されるから、その点においては小説に近い。一方、映画の原作になるということは映画にも近い。また、吹き出しのない漫画、つまり文字のないものは、「絵画」と関連が強い。このように漫画を論じるにはいくつかの他の媒体との類似性という観点がある。その雑多性は曖昧さの源にもなっていて、筆者は純粋な媒体とは言いにくい何かをいつも思ってしまうが、そのことについて深く考えたことがないのでここではあまり立ち入らないが、ひとつだけ書くと、1960年代半ばまでに独創的な描画の才能が出揃い、それ以降はマニエリスムの時期に入ったと思う。これは簡単に言えば、60年代半ばまでの漫画家のスタイルをとことん学んで、それ風に描ける、つまり個性的には劣る才能の時代に入ったということだ。今はそれが完全に徹底して、確かに各漫画家の個性はそれなりにあるのだろうが、遡ると、その師匠筋、私淑筋、つまりおおまかないくつかのスタイルのどこかの分派ということがわかる。筆者は小学生を卒業する時にぴたりと漫画を読むのはやめたが、それはそんなことをすでに感じたからでもあった。つまり、見るべき絶大な個性の時代ではなくなりつつあることを感じたのだ。話はまた脱線するが、筆者が小学生の頃、森下仁丹が、自動車ガムというのを売っていた。5枚入りだったか、そこにガムと同じ厚みとサイズのボール紙に印刷した世界の車のカードが1枚入っていた。10枚でひとつの国の有名な車が勢揃いし、その10枚を仁丹に送ると何か商品がもらえた。全部で8つか10の国があって、国毎にカード端の色は違ったが、自動車はモノクロ印刷され、そのデザインによって国柄がわかった。当時はまだ国によって自動車のデザインが大きく違っていたのだ。だが、70、80年代になって、世界中の車がみな似たデザインになって来た。これは最初日本がアメリカの車のデザインを模するなどして始まったことだが、そのうち韓国が真似し、またどこかの国が真似し、回り回ってアメリカ車が日本車を見習うという動きがあって、どの国の車も似たデザインになって来た。これと同じことを日本の70年代以降の漫画の歴史になぞらえることが出来るように思う。いや、同じことは日本のポップスにも言える。先立つ名曲の核心をうまく模倣しながら、そのエキスを今風に変化させて曲作りをしていて、オリジナリティの感覚が今や全くの別物になっている。はっきり言えば面白いものはない。だが、それが今の時代なのだ。完全な独創と呼べるものはまだ一部に残っているだろうが、それは見出されることはないし、見出されても大きな人気を獲得することはあり得ない。今はそういう真の独創は不要で、むしろデジャヴ感がある方がわかりやすくてよく、すぐにわかってすぐに楽しめるものでなければ売れない。これは人間の心が漫画のように単純化して来たからか。
ここで、漫画における単純化、誇張化と人間の精神性のそれとの関連の考察に話を進めてもよいが、その準備をしていないのでまたの機会に譲るとして、ひとつ言っておきたいのは、漫画の作り手、描き手がどのように教養を深めることに日々努めているかは大きいな問題で、その質と差によってファンも違ったものになる。ここには、「面白い」ということの個人差の問題、つまり住み分けがあるのだが、単純な線と、誇張化した形、奇想天外なストーリーによって紡ぎ出される漫画というものが、人間の精神性とどう響き合うかを考える時、小説の代用、芸術的純粋絵画、映画といったものには置き換えることの出来ない表現にこそ意味があって、これは筆者の好みと言ってしまうえばそれまでだが、全くのアホらしいナンセンス漫画が最も重要である気がしている。それに似たものは大阪のある種の漫才にも存在するが、そうなれば漫画は漫才というまた別の媒体との関係で考察されるべきものでもあるだろう。さて、少女漫画にもそういうものがあるかどうかとなると、詳しくない筆者にはわからない。『さざえさん』はナンセンス漫画ではないし、どうも少女漫画と言えば、即座に筆者は星が光るデカい瞳を思い出してしまう。その記号的表現が意味するものはロマンティックであり、少女はロマンティックなものを常に求めているという大人の漫画家によって、かつての少女たちに盛んにロマンがばら撒かれて来たのではないか。王子様のような美男が登場するロマン物語ではなく、もっと日常に則したような内容のものも確かにいくつもあっただろうが、少女漫画の王道はデカ瞳の美少女で、これが日本の少女漫画が生み出した最大最高の創造物と言ってよい。それを一体誰が最初に考え出したかだが、今日会場の展示を見ながら筆者が思っていたのは中原淳一だ。中原は戦前すでにデカ瞳の少女を描いていて、その源泉がどこにあったかは知らないが、筆者がまた連想するのはフランス人形だ。あの瞳がちょうどきらきら光ってとても大きい。中原淳一より前の世代として、同じく出版本の挿絵で名を成したのが高畠華宵だが、その描く美少女や美青年の目は細い。つまり中原とは断絶がある。デカ瞳ですぐに思うのは、「西洋」であり、特に敗戦後の日本とアメリカ崇拝が過激化し、ますます少女漫画にはデカ瞳が常識化した。昨今の日本の漫画・アニメ・ブーム以前は、アメリカではそうした瞳は奇異なものに思われていたが、今では完全に公認され、欠かせない絶対様式となった。それは先の自動車のデザインで言えば、日本が作り上げた無国籍的デザインと同列にあるものだ。そしてもちろん日本のポップスもそうだ。
この展覧会の「ダッシュ」とは何かと言えば、原画のコピーのことだ。原画に限りなく近いが、それではないという意味でそう名づけられた。なかなかうまくつけたもので、今後この言葉は定着するだろう。コピーとはいえ、ここで定義するのは、パソコンにスキャナーで取り込み、色彩補正を施し、プリンターで原寸大に印刷したものだ。同じことは古い障壁画では近年いよいよ盛んに行なわれており、何も驚くに当たらない。また、そうした大ががりなものに比べると、はるかに素朴な技術によるもので、漫画の原画が褪色しやすいので、そのコピーを取って保存展示しようという考えから実行されている。今回は11名の少女漫画家から30点ずつを印刷し、その中から一部を展示した。確かに原画かと思わせるほど精度はよく、セロテープが剥がれて茶色に変色した跡や、写植を貼り込んだ影まで実物と変わらぬように再現されており、想像以上にパソコン・プリンターの技術が進歩していることがわかった。解造度は360dpiで、スキャナーは少々大型のものを使うが、個人でも出来る程度の技術だ。ただし、プリンターを変更すればインクが変わるので同じようには仕上がらず、永久的なものとは言えない。データが残っていても、プリンターやそれ専用のインクはいずれは生産打切りになるはずであるからだ。11名から数名が対談している様子を撮影したものが画面から流れていたが、同じであると思っているケント紙やペン先でも少しずつ変わって来ていて、その変化に合わせて描いて行かねばならないと発言があった。となればプリンターやインクはもっと変化が速いだろう。また、原画の劣化を防ぐ意味で、こうしたコピーを展示するのはとてもよいことだが、その原画自体もいくら保存がよくても少しずつ劣化するから、ダッシュとして作ったものがそれを作った当時の原画状態を確認するための貴重な資料ということにもいずれなるに違いない。これはかつてコロタイプ印刷したものが、すでに現在の作品には見られない古様を伝える唯一の手立てになっていることと同じだ。となれば、原画よりもダッシュの方が大事ということになる可能性もある。そこまで精緻に再現しておく価値が原画にあるのかどうかはまた別問題で、漫画家が描く版下原画をたまには確認しておくのは悪いことではない。対談でも発言があったが、漫画家が描いたものを印刷会社ではレタッチマンが実にうまく色補正をして印刷物に仕上げるということがかつては行なわれていて、印刷は印刷でまた名人がいたことによって、そうした原画が人々にうまく伝わることになった。その意味で、漫画は決して漫画家だけの手柄ではなく、印刷に携わる人や編集者も含めての共同産物であった。また、本当は原画は印刷が終われば用済みで、処分されたことも多かったはずだが、いつの間にか漫画家が「要返却」を主張し始め、それが慣例となった。漫画の原稿量のほかに単行本の印税をもらい、さらに原画も価値ある財産として手元に留められるとなれば、漫画家はとてもうま味のある商売に思える。これは蛇足だが、筆者はつい先日100日ほどかけて振袖を1点染めた。それは本当に1点もので、同じものは作らないし、それが手元を離れて個人の手にわたると筆者には何も残らない。そのため複製がそのまま創作となって多くの人に作品が知られる人がうらやましくもある。漫画でもCDでもそうだが、儲けるというのであればそうした複製商品の世界に進むのがよい。
11名の漫画家の名前は、筆者に「わたなべまさこ」以外、ほとんど知らない。11名がどういう経緯で選ばれたのかは知らないが、11名の10番目に入っている竹宮惠子という京都精華大学マンガ学部教授でもある人が自作のダッシュ作りを始め、先輩格の漫画家に依頼して原稿を揃えてもらったようだ。11名は生年が書かれていないので年齢不明だが、生まれた順に展示紹介されたのではないだろうか。それを書くと、上田としこ、わたなべまさこ、今村洋子、高橋真琴、巴里夫、水野英子、あすなひろし、北島洋子、上原きみ子、竹宮惠子、佐藤史生で、先の表現の独創性から言えば、ほとんどみな中原淳一から生まれて来たように見える。特にデカ瞳の点から言えば、上原のは度胆を抜かれるほど大きく誇張されているが、それはわたなべや高橋、巴、水野、北島にもほとんど共通して見られるし、竹宮も例外ではない。とはいえ、最初の7人の作家にはそれなりに表現と個性の差異があるのは確かで、それは先のことに鑑みて言えば、60年代半ば以前に活躍したためにほかならない。そしてそれらは性的な側面から論じるべきものではないが、それでも健康的な、多少のエロティックさは持ち合わせていて、それらの漫画を読む少女に対し、女性は明らかに男性とは違う性を持っていることを自覚させるに充分な役割を果たしたに違いない。今村の『ハッスルゆうちゃん』は、丸々とした顔の女の子が登場し、デカ瞳ではあっても、とても個性的で好ましい健康な女性美をたたえていて印象に残った。上田の『フィンチさん』は、作家の経験に基づいたのか、中国満州を舞台にした漫画で、デカ瞳ではない点もかえって新鮮味を感じた。佐藤は竹宮のアシスタントをしていたそうだが、それゆえの人選とすれば身びいきと謗られかねない。その作風は『フィンチさん』とは大違いの頽廃的な美としてよく、男も女も顎が細く尖り、脆弱な感じが強い。歴史の位置づけとしては、ベルギーのクノップフが描く女性像をふと思い出したが、そこまでの独創性はなく、まだまだ技術不足に思える。そうしたマニエリスムがいつまで続くのか、おそらく筆者が思うに、アジアや欧米が日本の漫画を研究し、さらに新しい表現を開拓するという時代がいずれ訪れる。すでにその時代はもう来ているだろう。