皮膚に関係する現代美術作家11名を紹介する展覧会で、それによって1990年代以降の現代美術の皮膚と言える状況を概観しようというのであったのだろうか。展覧会のタイトルはなかなかよく出来ている。

では「現代美術」のその皮膚とは、中の肉や骨より皮相的なものに過ぎないのかどうか、それはこの展覧会を見た人が考え、そして決めることだが、何が皮膚で何が肉や骨格かはなかなかわからないようになって来ているのが現代の美術の様相で、美術展を見慣れた人でもこの展覧会を見た後に、何か気味の悪い、ただただ悪趣味なだけの作品群と思う人もあるに違いない。だが、いい意味においても悪い意味においても刺激を受けることは間違いがなく、たまにはこうした「現代美術」の先端に接触するのはよい。いや、必要でもある。刺激を受けても、それが皮膚下にじんわりと侵入し、同意出来るほどにならないとすれば、すでにその人は肉体的にも精神的にも老化が始まっていると思った方がよいかもしれない。だが、その反対に即座に反応して、こうした現代美術作品、作家に絶賛の意思を抱くことが出来るとしても、その一方で、美術の教科書に掲載されるような古典的作品やそれにそのまま連なるような作品の存在が厳然と存在することも忘れてはならない。というのは、現代美術もそうした過去の遺産から受け継いでいるものは多く、それらを無視しては存在し得ない部分があるからだ。たとえば、今回のチケットやチラシに大きく印刷された女性の瞑想の座像だ。筆者はただちにガンダーラ彫刻の引用を認識したが、同時にキッチュ志向の作家の作品かと感じ、この展覧会のおおよその内容が把握出来た。そしてその予想は結果的に間違っていなかった。キッチュは悪趣味なパロディと言い換えてもよい。現代美術が過去の美術の遺産をさまざまに引用改変することを確認するにつけ、その過去の遺産の大きさを改めて実感するが、そうした過去の遺産を引用改変した作品が何百年後かにまた古典となって誰かに同様に引用されているかとなると、どうもそうではない気がし、「現代美術」は単に皮相的な、つまり本質的でないものを表現している気にもなる。いや、作品に込める思いは真剣で本質的そのものなのだが、作品がそうではなく、脆いと言うか、大事に残しておく必要のないものに思える。これは個人が所有して家の中に飾って楽しむという概念をとっくに超えているからでもあって、所蔵は美術館か、それ級の大きな建物を所有する個人に限られる。その美術館を最初から念頭に置いたような作品主義は、筆者はすでに老化がはなはだしいのか、何だか純粋なものに思えない。いや、この話は別の文脈ですべきことであるように思えるのでこれ以上は書かないが、今の「現代美術」作品は、縁日や場末の見世物小屋とは多少違った程度の、つまり歴史的にも文化的にももっと高尚に論じられるべき公の場所で見せられる「見世物」というものになったとだけ言っておこう。
チケットやチラシに印刷される、頭以外は骨と皮だけになって座禅を組むこの「悟りへの道」と題する女性像は、今回紹介された11名のうち最初にコーナーが与えられたマーク・クインという1964年ロンドン生まれの作家の作品だ。この作家はガンダーラ美術のパロディにことさら関心があるわけではない。参考にしたガンダーラ彫刻は、今図録を引っ張り出して来たが、1984年5月に万博公園内の国立国際美術館で開催された『パキスタン・ガンダーラ美術展』の目玉になった「釈迦苦行像」という作品で、3世紀から4世紀の作品とされる。23年経って、場所は中之島に移転したものの、同じ美術館で、しかも1984年はまだ20歳であったマーク・クインのパロディ作品がこうして展示されるのであるから、この20年は現代美術もそれなりに変化して来て、新しい若き才能の出番が回って来たことがよくわかる。11名のうち筆者より年長はわずかふたりだ。「釈迦苦行像」は黒い石像で、釈迦の顔は眼窩が髑髏のように窪んで、その奥に目玉があり、しかも頭の後ろには円形の光輪が造形されている。クインのは大きさは同じ程度だがブロンズで、表面に真鍮のような安っぽい色を塗ってある。またまだ悟ってはいないと考えたのか、光輪は省略し、しかも女性の顔は首から下の「釈迦苦行像」そのままの引用とは表現があまり釣り合っていない。あまりにも思いつきが過ぎるいかにもキッチュな作品と言い切ってしまうのは、この作家を侮り過ぎで、そのことは他の作品を見るとわかる。なぜクインが骨と皮の苦行像を引用したかったと言えば、それはそのガンダーラ美術の特徴であるリアルな表現に息を飲んだからだろう。それは誰しも同じで、「釈迦苦行像」を一度見た人は生涯忘れることは出来ないが、クインはことさら自分の「体」、特に皮膚に関心が強いようで、今回並べられた他の作品からもそれはわかった。そして他の作品からすると、「悟りへの道」は異質で例外的な作品と言ってよい。いや、だがそうではないかもしれない。たとえば鉛で出来たマーク・クイン自身の肉体からかたどったのか、男の裸の皮だけが床に伸びてぺちゃんこになった作品があった。原爆で溶けた人体にも見えるし、人間が皮で包まれた存在であることを今さらながらに実感出来る作品だが、これはミケランジェロがシスティーナ礼拝堂に描いた「最後の審判」において中央の若いキリストのすぐ右下の裁かれる老人が手に持つ人間の皮(ミケランジェロ自身と言われる)からヒントを得たようにも思える。クインはここでも古典的な作例から引用したと言ってよい。次にこれも等身大であるので本当の人間からかたどったのだろうか、「美女と野獣」と題した水着姿の女性座像があった。全身がチョコレート色をしているが、もっと臙脂っぽい色合いで、キャプションを見ると、動物の血を用いたものという。つまり、「美女」というテーマを「野獣」の素材で造り上げたわけだ。パンフレットには、クインは自分の血液を固めて自分の頭部を作ってセンセーションを起こしたとあるが、そこから見える作家像はかなり凄味のあるSM的、きわめてヨーロッパ的な感覚だ。ところが、「美女と野獣」というタイトルからはユーモア感覚も伝わり、とても一筋縄では行かない込み入った人格を思う。それは作品のタイトルからも言える。先の鉛の皮の人体は「三軸プランク密度」と題されるが、フォト・リアリズムの技法で描いた巨大な花を題材にした油彩画もあって、それは「地表炭素フラックス」とこれまた意味不明な名前がつけられていた。さまざまな技法に長け、作品群全体で容易に解きほぐせない作家像、簡単に言えば難解で謎めいている雰囲気を持つのが現代美術作家の条件といったところで、これは人々が驚きというものに対してすぐに慣れっこになってしまうため、手のうちを見透かされることなく、次々に新機軸を打ち出す必要のある難しい立場を示しているのかもしれない。その意味においてマーク・クインは実によく古典も研究し、しかも自身の体を用いながら、彫刻や絵画の双方にまたがって作品を作り続けているのであろう。
残り10名をこの調子で書いて行くと夜が開けるので、次はオルラン(ORLAN)という1947年フランス生まれの女性作家に移る。会場の出口に資料を載せた机があって、この女性の3年前に出た画集があった。アマゾンでも6000円ほどで買えるが、タイトルは『ORLAN CARNAL ART』だ。画集と言うのはふさわしくないか。この女性は自分の肉体を使ったさまざまなパフォーマンスで有名で、その記録集といったところ。今回の展示は14枚組の大きなカラー写真だった。これは1990年代初頭の4年間に9回の顔の整形手術を受け、そのうちのひとつを記録したもので、心臓の弱い人は見ない方がよい。残酷な映像には慣れていても、それが本当に人体を切り開いているところを写したものとなるとやはり迫力が違う。14枚は、最初は手術前の笑顔、最後は手術後の腫れ上がった顔を写しているが、途中のはベッドに横になって顎がぱっくりと割れている写真といったように、死体置き場を写したような凄惨な印象がある。オルランは若い頃は自分の裸をそのまま見せたり、裸を印刷したワンピースを着て町中を歩き、人々の驚く様子を傍から写真を撮ったりしていたが、徐々に自身の体そのものを使って新しい衝撃的なことをやって来たのが先の画集からわかる。また、写真を表現手段にしているので、その芸術は写真のジャンルで語られるべきものでもあるかもしれない。同画集で筆者がさらに驚いたのは、近年の仕事だ。どのようにして撮影したものか知らないが、オルラン自身の顔がさまざまに変形され、それがピカソの絵のようにカラフルでまた奇妙な形をしている。先の90年代初頭の整形手術プロジェクト以降の仕事としては論理的に辻つまが合っているように思え、しかも見事に成功して彼女の輝かしい代表作群と言ってよい。どの顔もメーキャップだけでは不可能なほど著しく変形しているので、本当にそのようにまた整形手術をしたのかなと思ってしまうほどだが、それはどの顔も極端なデフォルメとっているのに、オルランそのものと言える特徴があり、しかもひとつの写真ないし絵としての造形作品として見ても図抜けたオリジナリティがある。同画集の巻末には長いインタヴューがあったが、いつか読んでみたい気がする。芸能人でなくても今では整形手術は手軽なものになっているものの、まだまだそれを告白する向きはない。それをオルランはより多くの人々に見せる芸術行為に位置づけているのであるから、根性の座り方が並大抵ではない。やはりヨーロッパ的なSM感覚と言え、最初に書いたように、悪趣味と断じて嫌悪する人も少なくないだろう。だが、日常というものがのんびりと何の変哲もない穏やかな状態であることを欲する、あるいは信じている人も、たとえば自殺者が年間何万人もいるといったことを耳にすると、自分とは違う他人の生活というものがあることを知る。そしてそれから敷衍すれば、芸術もさまざまで、部屋に飾って洒落た感じをかもし出す絵画とは全く異なる表現を生涯費やして追い求める人があることを否定は出来ないだろう。それは頼りになる肉や骨といったどっしりとした本質ではなく、単なる皮に過ぎないうすっぺらなものであるかもしれないが、そういう存在もあって肉や骨もあるというのが人間全体の姿であって、何か一部だけを重視して他を否定すれば本質の大きな部分を見失うことになる。先の悪趣味という言葉は、狂気と言い換えてもよいかもしれない。だが、何が狂気で何が正気かどう断定出来るだろう。マーク・クインが写真以上の精密な油彩画を描くかと思えば、意味不明の題名を持った皮袋人間像を作ったりもすることを、ある流派に連なる画家は一貫した仕事がないとして否定するとしても、クインから見れば、同じ技法で同じような作品を量産する画家こそ狂気以外の何者にも見えないかもしれない。筆者にはクインの仕事が奔放にさまざまな異相を取るのはよく理解出来る気がするし、またきわめてまともで正直な作家に思える。それはオルランでも同じで、支離滅裂のようでいて、一貫した思いで作品行為をして来ていることは先の画集からはっきりとわかった。
さて、先に書いた「見世物」的な側面として、フィリップ・ブロフィの作品「THE BODY MALLEABLE」があった。残念ながら、ちょうど2か月の会期の最終日に出かけたので、彼のとびっきり変わった作品は半分以上が壊れていて、見世物として楽しむことはさほど出来なかった。ブロフィは1959年メルボルン生まれたが、その世代からわかるように、コンピュータ・グラフィクスに強い。ホームページがあって、http://www.philipbrophy.comに行くと、今回展示された作品が多少は味わえるかもしれない。会場では、ひとり鑑賞用の映画館といった感じの暗く囲った部屋があって、スクリーンの前にひとりで座り、目の前に置かれた操作オブジェを扱う。これはゲゲゲの鬼太郎の目玉親父そのもので、その目玉の黒い部分が指1本入る穴になっている。そこにどの指でもいいので押し入れる。そして指が触れるとそれに反応して画面が変化する。画面は最初は円形だが、それがペニスや女性の股開きなど、数十のパターンが用意されているようで、触れ具合によって、つまりインタラクティヴに変化するものであったのだろう。残念ながら穴内部のセイサーが壊れてしまい、スクリーン上の絵は2、3種類しか変化しなかった。また、この小部屋には、座った人を囲むようにスピーカーが4本立っていて、4チャンネルだろうか、そこから速度のある連続音の電子音楽が流れていて、見世物小屋的雰囲気はさらに高まっていた。音楽もブロフィ自身が作ったものだと思うが、これは家でCDを聴いても駄目で、同じように暗い部屋で、大きい不思議に変化する画面を前にして聴かなければ面白味はない。同じようにインタラクティヴ作品と言っていいか、林智子の「MUTSUGOTO」という作品も鑑賞者が参加して楽しむものであった。これはうす暗い中、赤い蚊帳で覆われたシースルーのふたつのベッドが数メートル離れて置かれていて、そこにアベックがそれぞれ入って横たわる。そしてお互い枕元にある大きな指輪型の赤く光る器具を指に嵌め、相手のことを思いながらその指輪を自身の体の上で動かす。動かした軌跡は暗い中で白い光の筋となってベッドに残るが、ふたりの動きが一致した箇所だけは赤い筋となる。筆者も試してみたが、今ひとつ意味がよくわからなかった。これは「睦言」というタイトルからも言えるように、睦言を言い合ってまだ楽しめる熱い間柄の男女がやるべきもので、そうしたふたりにはテレパシーのようなものが働いて、お互いの姿が見えなくても、同じ動きをする瞬間があるのだろう。人の想念を形に転換する作品ということで、今まではないそして今流行している霊的なことにこだわったものと言えるか。同じ作家の作品で、人間の指先の断片形の干菓子があって、その傍らには融けた目玉が吉野葛によって表現されていた。茶席に用いるような伝統的な和菓子が人体の断片として表現されていて、これまた悪趣味、グロテスクの極致と言ってよいが、指はセクシュアリティを感じさせるものであって、先の作品「睦言」とも共通する感覚が流れている。
最後にもうひとり、ヤン・ファーブル。この作家の展覧会は何年か前に丸亀の猪熊弦一郎美術館で開催された。筆者は今回初めて作品を見た。1958年アントワープ生まれだ。ファーブルと言えばあの『昆虫記』の作家をすぐに思い出すが、ヤン・ファーブルも昆虫を作品に用いる。そしてこの作家の作品は図録では様子がわからない。それほどに昆虫の輝きが美しい。「甲冑(カラー)」と題する作品がある。これは緑色に輝くあの玉虫を数百匹、いやもっとだろうか、とにかくその羽をびっしりと細い針金で組んだ構造上に隙間なく貼り詰めてある。よく見ると玉虫は数種類いるようで、そのうえ同じサイズと縞模様のものでも色合いが微妙に異なる。だいたいは緑青なのだが、中に青としか言えないものもごく少量混じっている。また赤味のものもあるなど、とにかくそれが密に並んでひとつの甲冑の襟部分を構成すると、宝石や他の材料では表現し得ない質感、色感、光沢感を生む。だが、この玉虫の美しさは日本では奈良時代の「玉虫厨子」が有名だ。古代から似たようなことを考える人はいたのだ。ファーブルの玉虫を使ったさらに大きな作品は、「昇りゆく天使たちの壁」で、これは天使のドレス一体全部を同じ技法、つまり金網の構造上に玉虫を貼り詰めて作ったものだ。玉虫はなかなかお目にかかれない虫だ。まだまだ自然豊かな嵐山に住む筆者でもまだかつて一度しか夏に見て捕まえたことがない。それは記念として羽をアルバムに挟んであるが、20年経った今でも同じ光沢をしている。そんな貴重な玉虫を何百、何千とどのようにして集めたのか、そんな疑問が次に湧いて来た。それにしても玉虫のようなきれいな虫でよかった。これがゴキブリだったらどうか。いや、「鳥をくわえた骸骨」という作品では、鳥をくわえた骸骨の表面に茶色の虫の羽をびっしりと貼り詰めてあった。あの羽はゴキブリのものではないにしろ、似たような冴えない虫であることは確かで、それを髑髏に貼り詰める趣味というのは、ごく普通の御婦人にすれば悪趣味以外の何物でもないだろう。ファーブルは昆虫を使う以外に、中世の騎士物語的世界に関心を抱くことから発した、錆びた金属板を使用した立体作品もある。マーク・クインのように技法は多彩で、「チヴォリ城」と出した写真作品もあった。これも騎士物語的なもので、森から覗く池の畔に建つ古城を撮影しているが、上下逆様に展示されているので、水面に映って揺らぐ城が本当の城に見える。この上下転倒写真は実は筆者も5、6年前に試したことがある。ある人が蓮池に行って撮影して来た写真だが、池に見事に蓮が映り、上下逆様に見た方が趣があった。そのためずっとそのようにして眺めていたのだ。常識に囚われず、何が本当かわからないという思いを常に保っているのはそうする方がよい。骨や肉と言うべき肝心なもの確かにあるが、皮もまた大事なのだ。いや、最も敏感なのは皮であり、現代美術の皮膚とは、最先端の敏感な感覚を表現したものと言ってよい。