断わっておくと、この『おにおにっ記2』は、半年以上前の日記ではあっても、掲載に際して手を入れ、3分の1から4分の1の文章を削っている。
前回の『おにおにっ記』とは違ってなるべく短くしようと心がけている。そのため、過去の日記ではあっても現在の思いがかなり反映している。『おにおにっ記』の掲載の時には逆に文章は長めに改変したが、今となってはそれをまた短く推敲したいと思うが、その時間がないのでひとまずそのままにしておく。それはいいとして、『おにおにっ記』は副題をつければ「モスキート編」だった。それを念頭におき、『おにおにっ記2』は副題をまず決めてから書き始めたが、その副題を明かすのはまだやめておこう。そして、前にも少し触れたが、実は目下『おにおにっ記3』を書き始めているが、その副題はまだ見つけられないでいる。そのため全体としての内容にまとまりがない結果が見えているが、最初に副題を決めて書いた『2』がまとまった内容になったかと言えば、とてもそうではないので、行き当たりばったりに書き始めるのもいいかと思ったのだ。身辺雑記のこの『おにおにっ記』だが、自分を客観視するのはなかなかいいものだと最近は思えていて、なんだかこの『ゆうゆうゆうぜん歩録』の顔的存在に位置づけてもいい気がしている。「自分を客観視」というのは、自分の周りに何があって、その中から自分が何を面白いと思っているかを逐一確認出来るといったほどの意味だが、当然『おにおにっ記』に書かないことで重要な出来事もあって、『おにおにっ記』のみで筆者の思想がわかることはないが、それを言えば、全くあたりまえの話だが、『ゆうゆうゆうぜん歩録』にあえて書かないこともいろいろとあるので、『ゆうゆうゆうぜん歩録』でさえも筆者の断片ということになる。そして『2』に毎日手を入れながら、また全然別の発想が浮かんで来たりするが、将来その発想が具現化するとして、そのきっかけにこの『おにおにっ記』が何らかのヒントになったのは確実で、断片といえどもそれなりの価値はあると思っている。だが、そんなことは読者にはわからない。全部自分ひとりの中で思い描かれ、そして文字にされることであって、他人を感化させたいといった考えは一切ない。さて、前にも書いたように、『おにおにっ記』は17日分ずつWORDファイルを作って収めている。そのため、17日区切りでこのような別書きの文章を本編の冒頭に置くことにしている。となれば、次は12月5日という計算になります。
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2007年03月08日●第 35 話 マニマンは毎朝早くから1羽のヒヨドリが裏庭にある大きな合歓木にとまってけたたましく鳴くのを夢うつつの状態で聞きますが、今朝はママーニが早く起きたのにつられてとても早く目覚め、ヒヨドリの鳴き声でさらにすっかり眠りが覚めました。でも、最近マニマンは寝つきが悪く、眠りも浅く、かなり睡眠不足ですから、ママーニにつられて起きた後、また2時間ほど眠り、夜明け直前のまだ誰もが眠っているような暗い中をひとりで散歩している夢を見ました。眠り直す前、ママーニはマニマンに裏庭の向こうに見える山が朝日でオレンジ色に照っていると言い、マニマンはそれを見たいために布団から抜け出て、ついでに写真を撮りました。めったに見ない朝焼けの山は本当にきれいで、ヒヨドリがけたたましく鳴き続ける意味もわかった気がします。そう言えばマニマンは日の入りととも仕事を終える昔の人々の自然な生活をすっかり忘れています。夜明け直前の暗い中をひとりで散歩するのが趣味と思っているマニマンですが、早起きは苦手なのです。でも、たまには朝焼けの中を歩きたいと思うのです。