多忙過ぎるのはよくないが、今年はなぜこうもやることが多いのか、何事も中途半端になりそうでよくない。
週1回の長文でも考えをまとめる時間がさほどなく、難儀なことになりつつある。そんな最中であるのに、実は『おにおにっ記3』を始めようかと、ネタをかなり集めて写真も撮りためている。だが、文章を書く時間がない。とにかくそれでもひとつずつ順番に物事をこなして行っているが、ひとつ終わるとまた新たに依頼があり、精根尽き果てつつある最近だ。そんなに忙しいと儲かって仕方がないと思われるかもしれないが、筆者の忙しいのは収入に結びつくことはほとんどない。むしろ今年は去年の最低年収をさらに下回りつつあるほどで、自分で言うのも何だが、これほど経済的に貧しくても笑って好きなことを存分にやっている自分に感心する。逆に言えば、それだけの根性がないと、好きなことを独立してやって行くことは出来ない。人並みなどということを考えるようでは駄目なのだ。筆者は昔から平均人の4分の1ほども年収がないので、自分のことを「4分の1人前」と半ば自虐的に言うことがあるが、それくらい小さな取るに足らない存在だと思っておけば、肩書き、収入、家柄、長身や男前具合など、何でもいいが、とにかく何か自慢気味な人に接して横柄な態度をされたり侮られても、癪に触らない。『はいはい、自分はどうせ4分の1人前ですから』と思えばいいし、変に何事かを期待して後で落胆せずに済む。であるのに忙しさだけは人の4倍ほどで、ははは、これでは16分の1人前になるか。16分音符みたいな短くて軽い存在だな。
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2007年02月19日●第 18 話 マニマンは初午参りを思い出します。稲荷神社では、狛犬の代わりに狐がいます。狐と犬はまあまあ近いのでまあいいでしょう。でも、狛犬は犬だけではなくて、獅子にも変化して獅舞いました。確か向かって左側が獅子で、右が犬だったと思います。獅子と狛犬は、神聖な領域に悪い鬼が入らないようにと、恐ろしい表情で控えているのですが、その点では狐も同じで、どちらも噛みつかんばかりの怒った顔をしています。マニマンはそんな狐さんににらまれながら賽銭を放りなげて拝みましたが、神社の境内をさらに先へ進むとまた別の賽銭箱があり、さらに進むとまたあって、切りがなく続くのでした。それはそうと、3つ目か4つ目の賽銭箱が待ち受ける場所に入ろうとした時、右手の大きな狐さんの台座に、ビニールに包まれた1枚の大きな生のうすあげがりました。参拝客が狐の好物と考えて置いたのです。そのあまりに目立つ光景にマニマンは思いました。『狐色したあのなまあげは、神社の人が夕食に使うのかなマニ。それともそのままゴミ箱に直行するのかな。まさかトンビや烏が食べないだろうなマニ。』