面白い番組を見た。再放送だったか、深夜のNHK-TVで、中国が数百億円かけてチベットに鉄道を開通させ、ラサにはホテルが40以上も建って、観光客がたくさん訪れているという内容だ。
日本には存在しない雄大な空と山を背景にして、電車が高架を一気に走って行く光景を見て驚いた。チベットは秘境という感じがしていたが、これではもう都会と大差ないことになる。都会に住む人は、そうした秘境がいつまでも昔のままで存在してほしいと思うものだが、時代が進むとは、何事も画一化することであって、チベットの人々もニューヨーク並みとまでは行かなくても、今時代の最先端の文化がどういうものであるかを知り、またそれに浴する権利はあるというものだ。そのためには、まず自動車道路と鉄道、次には大きな飛行場ということになるが、チベットもいよいよそうなって来た。となれば、観光客がわんさか押し寄せ、お金を落とし、地元の人々の生活が昔とは違ったものになるのは目に見えている。だが、それは先進文明社会の歪みもまた受け入れる覚悟が必要で、番組の最後でいみじくも言っていたが、そうなればもう後戻りは出来ない。チベットに高い山と仏教があれば、世界中の人々がそれを求めて観光に訪れるだろうが、何事も限度というものがあって、高い山がゴミに溢れ、仏教が商売の道具として汚されなければだ。今、思い出したので少し脱線するが、筆者の甥は話の中で、『そうやから世間はうまく回っている』と口癖のようによく言う。これは、消費の賛美からであって、たとえばある人が新車に毎年乗り変えるとすると、それは無駄ではなく、であるからこそ経済が回ってよいという意味合いだ。そう言われると誰でも反論出来ず、ちょっとおかしいなと思いながらもひとまず同調してしまう。だが、この『だから世間はうまく回る』は、実際は何事も言っておらず、むしろ非常に無責任きわまる他人事としての意見だ。ある人が毎年新車を買おうが買うまいが、世間はどうであっても回る。たとえばの話、仮に世界中の誰も車に乗らなくなって車社会が消失したところで、世間はそれなりに回る。人間が何をどう選択しようが世間は回り、それゆえに今地球環境問題も生じて来た。車社会はもう不可避のものとしても、誰もが免許を持って、車を1台ずつ乗り回すようになれば、車会社だけはウハウハと喜ぶが、それこそ世間はうまく回るどころか、歪なものになる。そのため、ある人は車を乗るが、ある人は乗らないでいい。筆者は後者を選んでいるが、それは生活上、必要がないからだ。必要でないものをみんなあまりに持ち過ぎる。文明社会は物質主義で、それをジョージ・ハリスンは批判していたが、2000年に出た『ALL THINGS MUST PASS』の新版CDの内ジャケットと同じ光景、つまり自然の中にハイウェイが出来て、原発も建つといった光景がそのままチベットにも及ぼうとしていることを、墓の下でどう思っていることだろう。
中国にすれば鉄道の敷設に巨額を投じても、観光によって何十、何百の収入ですぐに元が取れると踏んだのであろう。1950年に中国はチベットに侵入し、自治区となったが、その後ダライ・ラマは国を離れ、ずっと海外を転々として暮らしている。そして鉄道が開通してからはどっと漢民族が押し寄せ、今では地元のチベット族に人口が匹敵している。そして東からやって来た漢民族は商売の論理で地元に一種の混乱を引き起こしている。これは当然で、簡単に言えば、札束で貧しいチベット人を自在に操っている。素朴なチベットの人々は、遊牧などしながら、傍目には貧しく映ってもそれなりに幸福に暮らして来たが、急に日銭が稼げる時代が来て、若い人はみんなホテルで働くことになった。そしてホテルの支配人たちは利益率ばかり計算し、毎月60パーセントに達しなければ、従業員から罰金を徴収すると号令をかける。雇われたチベット人は、芸があればホテルに来る人の前で音楽を演奏したりするが、番組では20代後半のそうしたひとりの男性に光が当てられていた。今までは地元の祭りなどで演奏したり歌っていたりしたが、ホテル側はそれが観光客が喜ぶ材料になると見込んで雇用したのだ。ホテル内部で民族衣装を着て歌い、演奏する姿には、どこか悲しいものがあったが、ホテルの宿泊客にすれば、東も西もわからない地元、しかもどこにいつ行けば出会えるかどうかわからない珍しい演奏が快適なホテル内で間近に見られる。そのホテルはラサにある中では最も有名で、館内の至るところにチベットの骨董品を展示し、民族学博物館でもあるということを売り物にしている。まさに売り物で、そうした展示物はみな値札がついていて観光客は買えるのだ。1点100万の品物が、2点では一気に150万くらいになったり、価格はまるでいい加減なものだ。時には仕入れ値の10倍になると言っていたが、元来骨董とはそういうものであるから、驚くに当たらない。番組の中で、支配人が先の演奏家の男性を連れて辺鄙な村に骨董品の買い出しに出かける場面があった。チベットの人々相手に商売をするには、チベット語が話せ、村の人が警戒しないようにする必要がある。支配人が求めているのは、仏像やタンカ(仏画)なのだが、貧しい身なりの村の人々は、親から受け継いだそうした信仰の対象の品々を容易に手放そうとはしない。だが、中にはいい値段になるからと手放した人もある。そしていずれごっそりとそうした品物はホテルに並び、観光客に買い取られ、先進諸国の豪華なリビングに飾られる。いや、もうとっくにそういうことは起こっていて、日本の骨董市場でもチベットの仏像やタンカはよく出る。
ホテルの支配人は何でも金になると思えばアイデアを出して、そして実現を働きかけるが、松茸が地元でたくさん収穫出来るとわかれば、それを即座に日本人向けとして松茸料理のフル・コース・メニューを作ったする。番組では日本人観光客がすぐにそれに飛びついている場面があったが、支配人の役割はただひとつ、他のどのホテルよりも多く儲けることであるから、そうしたアイデアは非難されるどころか、商売人のよい見本として賛美される。だが、やり過ぎと思ったのは、チベットの僧侶による法要をホテルでさせて、それを観光客に見せるというアイデアで、実際寺院に行って住職にその件について談判していた。住職は最初は渋った。法要は供養であるから、観光客がもし見たいのであれば直接寺に来るべきだと言うのだ。これはもっともだ。だが、そう簡単に引き下がる支配人ではない。小さな法要を毎月ホテルでやってもらって、大きな法要もそのうちになどと言って、住職の前に札束を置いて行った。すると、住職の態度は軟化したが、人々が喜ぶのであればホテルで法要をしましょうということになった。支配人は、たとえば日本人向きに法要を勧めて金を取ろうという魂胆なのだが、そのうちそういうことがあたりまえになるだろう。ホテルに行けば何でもあるというのは現代のひとつの常識だが、辺境のチベットでもその原理が適用され、観光客はどこへも出かけずに、ただホテル内部をうろつくだけで、チベット文化の本質をみな手軽に享受出来る。だが、それは見世物であるから、本物であって本物ではない。苦労して現地に辿り着き、そこでたまたま接することが出来たといった感動とはほど遠いだろう。感動は自ら動き、その労苦に比例して大きくなるもので、お仕着せのものではTV画面で見るのとさほど変わらない。だが、2、3年後には何倍もの観光客がチベットに押し寄せ、ディズニー・ランド・チベット版と同じようなことになる。支配人は利益を上げるために、次に考えたことは能力給であった。先の若者は、村に子どもや20代の奥さん、50代の母を残して、毎月2万少々の給料をもらって満足していたが、ABCというランク分けで査定され、そのホテルでは半分ほどの従業員がCランクとなって、給料は半分に減った。激怒した人々はみな即座にホテルを辞めたりしたが、その若者も同様だった。ホテルにすればいくらでも安く働くチベット人はいるということだ。相手がそうなら、チベットの人々もいくらでも働くホテルはあると対抗するしかない。だが、資本家は強い。へたをすると、その若者はどのホテルでも雇ってもらえず、田舎に帰ってまた羊の世話をすることになるかもしれない。
その若者は田舎に一時帰った時、母親に商売をしたいと話をした。ホテルで雇われて音楽を演奏するより、骨董を村から買い集めて売り捌く仲買人になりたいというのだ。村にあった古いものが仕入れ値の10倍で売れることを目の当たりにしたのであるから、そう考えるのも無理はない。だが、それには資本がある程度いる。そのため、ホテルで働いて少しずつ貯金すると思っていたのだが、矢先にCに査定されて給料は半減だ。母親は筆者と同じ年齢であったが、皺はとても深かった。その母が心配して息子にぽつりと言う。『商売のことは何もわからないが、お前にそれが出来るのか』。チベット人が漢民族の商魂に勝るとはとても思えない。チベットは何もかも中国に吸い取られるだけ吸い取られて、結局地元には破壊された自然だけが残り、また人心は荒廃して、伝統もすぐに消え去るだろう。それは今までどこの国の地方でも見て来たことだ。文明化とはそういうことだ。自然豊かな平原に電車が突っ走る光景を見た時、正直な話、『何ということを』と筆者は思った。それが敷設されるためにどれだけの自然が破壊されたかと思う。建設は聞こえがいいが、元にはもう戻せない徹底した破壊だ。日本は今でもそれを隅々まで飽きずに繰り返している。それで潤うのは土建屋だけで、連中は『そうやから世間はうまく回っている』と言うであろう。番組の最後近く、先の若者は民族衣装を着て、ギターのような民族楽器と牛の被り物の仮面を手に持って部屋に戻り、ホテルを辞めてしまう場面が映った。そこでおやっと思ったのは、その片手に持った大きな黒い牛(と一応しておく)の仮面だ。それはチベットの仮面に関心のある人ならわかる。本当に現地の祭りか何かで若者が演奏の時にそれを被るのかどうか知らないが、そうした仮面を被った現地の人が目の前で演奏してくれるのはやはり観光客にすれば便利でいいだろう。そう言えば1、2か月前のネット・オークションに戦前のチベットを撮影した古い白黒写真が何枚かまとめて出た。その中に先のとは違う仮面を被った人々が寺院の壁面に並んで立つところを写したものがあって、その一種異様な雰囲気に圧倒された。それは紛れもなく、観光とは全く別物のオーラがあって、現地以外の人々が見ることは許されないような厳粛な印象が漂っていた。戦前のチベットであるから、まだ中国に攻め込まれる以前のことで、今よりはるかに民族色は残っていたはずで、祭りの様子も格段に違っていたろう。また思い出したが、10本ほど前に、ネパールの女性と知り合い、今も年賀状をもらうが、彼女はそう言えば先の番組の若者と少し顔が似ていた。日本語はぺらぺらで、来日した理由は、学生運動が中国当局によって弾圧されたからで、現地にいることが出来なくなったからだ。その彼女はラサまで鉄道が出来たことをどう思っているだろう。ネパールはチベットとは違うが、近いこともあって思うところはあることだろう。そのうちネパールにもハイウェイが出来る。
このカテゴリーに書くからには、骨董の話をする必要があるが、それはある程度先に書いたので、別の話をする。チベットに鉄道が敷かれるもっと前、20年ほどになるだろうか、今は京都に住むと思うが、銅版画家のヨルク・シュマイサーがもうひとりのドイツ人のカメラマンと一緒にチベットに取材に行った。その成果は洋書の画集兼写真集となって当時発売された。筆者はシュマイサーの銅版画を20年前に最初に買って、今は大小合わせて10点所有するが、いずれも京都の平安画廊で買った。1枚が当時の月収に匹敵するほどであったりしたが、筆者にすれば車は不要だが、ほしいと思った絵はどうあってもほしい。はは、そうであるから世間が回るのだ。それはいいとして、7、8年前、平安画廊は多くのシュマイサーの版画を預かっていて、それを近いうちに全部返品すると聞いた。その前に見せてもらって適当に何枚か買ったが、もうないと思っていたチベット・シリーズがそこにはたくさんあった。筆者が選んだのは有名なポタラ宮殿を題材にしたようなものではない。仮面を並べて描いた大きなサイズのものを買った。その仮面の中に先の番組の若者が片手に持っていたものがある。シュマイサーは電車に乗って、気軽にひょいとチベットに出かけたのではない。つまりその銅版画は苦労して現地に行き、まだ観光客がほとんどいない中で写生をたくさんこなし、その成果の中から作られたものだ。シュマイサーはもう俗化したチベットには関心はないだろう。聖地がどこまで聖地らしくいられるかわからない。若者が手にしていた牛の仮面はそのうちホテルで値札がつけられる。骨董の運命とはそういうものだ。だが、シュマイサーの作品はそうではない。世界中の聖なる土地を見て、それを作品化し続けるという大きなテーマがあって、その一貫の中でチベット取材も行なわれた。人はそうした芸術作品の裏に貼りついている物語をありがたく思うし、少なくとも筆者はそうだ。何か適当に資料写真でも見て、人をびっくりさせようと思って適当に描いたものではないのだ。だが、話を戻すと、ホテルの中はそうではない。それはテーマ・パークと同じものと言ってよく、現地の本当の空気が脱臭されている分、味も素っ気もなく、したがって記憶に長く留まるものは何もない。だが、それがどんどん建つのは、人々がそれを求めているからでもあって、現地色などむしろ濃くていやと感ずる。ますます画一的な洗練に対する感覚しか持てなくなりつつある先進諸国人は、現地の人々がそのまま使用しているようなものを当人から買うより、むしろホテルのきれいな場所で高い値札をついていることをこそありがたく思う。それでいいのかもしれない。『そうやから世間はうまく回っている』のであるから。それにしても一度はチベットへ行ってみたいな。