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●「ELEGANT GYPSY SUITE」
岸花を見たのは1週間ほど前だったが、数日で鮮やかな赤も色褪せて、もう今頃では元気がない。さきほどから雨が降って来たが、秋の冷たさでさらに枯れるのは早まる。



●「ELEGANT GYPSY SUITE」_d0053294_146756.jpg一昨日、自転車で40分ほどのところに仕事の用事で出かけた時、バス道の両側のプラタナスの街路樹を順に1本ずつ、京都市の清掃局の人々だろうか、枝を切り落として丸裸にしていた。大きな葉が地面に落ちると掃除に困るので、まだ緑色の葉がたくさんある時にすっきりしておこうということだ。こんな10月のいい季節になると、聴く音楽もまた急に変わり、数日前からアル・ディ・メオラのCDを適当に引っ張り出して聴いている。LPもあるが、CDは10数枚所有する。昨夜はアマゾンで近頃はどんなアルバムが出ているのか確認した。2002年以降のアルバムを聴いていないからだ。2、3枚出ていて、近いうちにピアソラをカヴァーした新譜が出るようであった。ディ・メオラがピアソラづいたのはもう10数年前のことだ。早いものだ。この10数年は筆者はまるで時間が止まったような気もしている。同じことを繰り返して来たと言おうか、ともかくいろんな意味で成長が止まったような気がする。ディ・メオラの音楽もある意味では同じ気もする。こんなことを書けば彼に失礼だが、この10数年に出たアルバムはみなどれも質が高いが、特別抜き出たものがない。もうそういうこととは無縁の熟年齢に達し、同じことを少しずつ変えてやり続けているようなところがある。マンネリと言えそうだが、それは悪い意味ではない。相変わらず新譜を出し続けるのは途方もないエネルギーの持続が必要だ。それは精進し続けていることなのだ。すでに巨匠以外の何者でもない彼のことであるので、好きなように曲を書いて好きなように演奏すれば、どれでもそれなりに聴き応えのある作品になる。であるから、何のアルバムを聴けばよいのか、いつも迷う。結局あまり聴いたことのないものをということになるが、不思議なことにそれを聴き始めると、よく内容を知っていることに驚く。「ああ、そうか、これがこのアルバムか」といった感じだ。一種の空気みたいな存在で、聴いている時だけが命というところがあって、メロディを強く印象に留めることがあまりない。それはたいして聴き込んでいないからだが、仕事をしながら聴くのにちょうどよいから、隅々の細部まで記憶することにはならない。これは簡単に言えば、イージー・リスニングに分類出来る音楽ということだ。ムード音楽と言ってもよい。昔、つまり50年代や60年代前半まではイージー・リスニングやムード音楽と呼ばれる音楽が流行したものだが、それに取って変わってその地位に就いたのがアル・ディ・メオラの音楽と言えば、彼の才能を馬鹿にしていることになるだろうか。
 いや、そうではない。だいたいイージー・リスニングやムード音楽を馬鹿にするということがおかしい。それらもれっきとした音楽であり、歴史をそれなりに彩って来た。ポップスというジャンルでくくればビートルズもザッパと同じところに入る。音楽というものが、聴いて楽しい、しみじみとした気分にさせてくれる、癒される、その他どんな表現でもいいが、とにかくそれを聴くことによって気分が高まって心地よくなるのであれば、それらの音楽はみな当人にとって価値がある。先日ある人のホームページに、イージーやムードという言葉がいやで、そういう音楽を別の名前で呼びたいという意見があった。筆者と同世代だと思うが、その人の気持ちはよくわかる。自分が若い頃に楽しんで聴いたそうした音楽を、イージーやムードという侮蔑な響きのある言葉で呼んでほしくないのだ。それは何だか自分の過去が否定されているような気がする。だが、一旦社会に認知された呼び名を覆すのはもう難しい。筆者はイージー・リスニングやムード音楽のすべてが好きではなく、どちらかと言えば嫌いなものもある。そしてその反対にたった1回だけ聴いたのに、今なお忘れられないという曲もある。話が脱線しそうなので戻そう。アル・ディ・メオラが晩年のピアソラに会った後、にわかにピアソラの音楽をカヴァーするようになったのは、当時ワールド・ミュージック・ブームがあったことと、ディ・メオラ自身があらゆる国の音楽に関心を示し、ブエノスアイレスにピアソラというタンゴの巨匠がいて、しかも自分と同じイタリア系の作曲家兼演奏家であることを発見したという素朴な驚きからだ。ピアソラがアルゼンチンのタンゴ界でどのような革新的なことをやって来たかということを知るにつけ、そこに鑑とする音楽家像を見たというのが実際のところだろう。昔のタンゴは、いや今でも、それは場末の大衆音楽だが、ピアソラは会場音楽、つまり芸術にしたい思いがあった。それが成功したかどうかは今後の歴史が審判を下すが、いわばイージー・リスニングやムード音楽の範疇に含まれるタンゴを、ピアソラがより拡張したのは確かで、それまでタンゴを聴かなかった、知らなかった若い世代に関心を呼び覚ましたのはひとつの功績だろう。だが、往年のタンゴ・ファンからすればピアソラのタンゴはタンゴではないという見方もある。これは難しい問題で、ここでは深入りしないが、ピアソラが出なければタンゴはどうなっていたかを思うと、ちょうど日本の演歌のように、地元の人々に消費されるだけで相変わらず同じことをやり続けるだけで、世界の人々に存在が知られる作曲家、演奏家というものは出なかったに違いない。それでもタンゴは困らないが、タンゴの本来の普遍性に別の側面が付加されるのはいいことではないか。
●「ELEGANT GYPSY SUITE」_d0053294_149976.jpg 雨が降る夜で思い出した。昭和51年と言えば筆者が25歳だが、当時『サンチャゴに雨が降る』という映画が封切られ、それを結婚する前の家内と一緒に見に行った。そのチケットが、すぐ傍らにある辞典に挟まっていることを思い出した。30年前に一度だけ見た映画で、詳しいことは忘れたが、チリの政権が軍隊のクーデターによって覆り、大統領を初め、多くの人が銃で死ぬという悲惨な内容であった。なぜそんな映画をデートに見に行ったかだが、筆者は昔も今も何となく嗅覚が働くものに接近する。その映画にどんな音楽が流れていたかは知らないが、物悲しいメロディであった記憶はある。そして後年知ったが、それはピアソラであった。その後ピアソラの音楽を聴いたのは、前にも書いたことがあるが、来日公演がNHKで放送された時のことで、80年代半ばのことだ。バンドネオンの不思議な響きにびっくりした。間もなく再放送があったのでテープに録音し、それは今も所有するが、まだピアソラ・ブームが来る前のことだった。そんなわけで、ディ・メオラが90年代に入って『ワールド・シンフォニア』でピアソラの曲を採り上げた時は、ふーんという気がしたものだ。そして、彼は今なおピアソラに心酔している。本当はピアソラに匹敵するほどの古典となるべき名曲をもっと書く努力をした方がいいと思うが、オリジナルは書き続けているのでそのうち名曲も作ってくれるだろう。話はまた変わるが、2、3か月前に、ケーブルTVのチャンネルでディ・メオラのステージを1時間ほどやっていた。2004年のライヴで、そんなに長時間、ディ・メオラの演奏を見るのは初めてのことで面白かった。南米のどこかの国での演奏であったと思うが、一緒に演奏したメンバーもアメリカ人ではなく、いかにも現地の人という衣装と顔をしていた。「ワールド・シンフォニア」が看板であるので、あえてそういう編成にしているのかもしれない。とにかくギター1本でどこへでも出かけて行けるし、大御所であるから、世界各国で伴奏メンバーを揃えるのは簡単なことなのだろう。放送では、舞台上手の端にディ・メオラはストールにずっと座り、アコースティックとエレキを交互に持ち替えて演奏していたが、相変わらずの弾きまくりで、ついついその華麗な演奏に見惚れてしまう。観客は年配者が目立ち、しかもいかにもみんな音楽を楽しんでいるという感じで、それがとてもよかった。そこには場末のバーの雰囲気と、コンサートの一種の厳粛な感じが混ざっていた。それこそ実はピアソラの音楽にふさわしく、またディ・メオラも欲していたものだろう。新曲あり、ピアソラのカヴァーあり、そして70年代の大ヒット曲もちゃんと用意するというプログラムは、実はこの10数年の活動そのものと言ってよい。
 先に書いたように、ディ・メオラのアルバムはどれもみな似ている。たとえば今これを書きながら、1987年の『TIRAMISU』と1998年の『THE INFINITE DESIRE』を聴いているが、適当にCDを選んで聴くと、録音年代が即座にわからないほどだ。だが、バックの音が時代を反映していて、新しくなるほど細部の音を重視するあまり、総体的に豪華かつ重厚になって来ている。先の二作では10年の開きがあるから、音の差は確かによくわかる。年々録音がよくなって来ているから、それがディ・メオラの年齢を重ねる円熟味と合致して、基本は昔と何ら変わらないながら、毎回現在進行形の新鮮さがよく伝わる。それがあるからこそ、ファンはまた新譜を買う。だが、70年代半ばのディ・メオラは、ただギターを速く弾くことが出来て、音楽に中身がないと酷評されもした。何となくそれの意味するところがわからないでもないが、ピアソラに出会ってからこの10数年は、人間的にも深みを増して、単なる速弾きという印象を払拭することに成功したと言ってよい。そのため、筆者は70年代初等のデビュー時の頃や70年代半ば頃までの演奏には関心がない。ディ・メオラは今でもステージで76年の『エレガント・ジプシー』からの演奏するが、これは本人もそれが原点の作品と思っているからだろうか。そのアルバムは確かにどれも耳馴染みやすい、そしてディ・メオラらしい演奏ばかりだが、曲名が何だかガンダム世代が喜びそうなと言えば語弊があるか、ちょっと漫画じみて筆者は気にいらない。そこが先に書いたように、中身が乏しい、つまり知的ではないと思われるところなのだが、フュージョン世代のミュージシャンはだいたいみなそういうように見られるところがある。これは、「フュージョン」という名前が、「イージー・リスニング」や「ムード音楽」とほとんど同義になった感があるからだ。「ジャズ」は深遠なものを秘める音楽だが、「フュージョン」となると、技術だけが目立って、中身のない、つまり単なる職人芸と見られる。その代表がアル・ディ・メオラということなのだ。だが、これはフュージョン畑だけではなく、ロックでも同じで、速弾きを売りものにするギタリストはみな「軽い」ものと思われる。ディ・メオラ自身はそのことを考えたことがあるのかどうか知らないが、本人はそれなりに方向性に悩みながら今に至ったはずで、その契機にピアソラがあったのだろう。ピアソラの曲は、リズムがタンゴ独特のあの2拍子でないし、また哀愁を帯びたメロディにも特徴があるが、複雑なリズムを好むディ・メオラにとって、それはカヴァーするに足る作品群であるのだろう。
 ディ・メオラのアルバムを何か1枚選ぶというのは難しい。どれを聴いても彼の特質はよく表われている。だが、筆者が好きなのは、今頃の季節には向かないが、先に書いた『エレガント・ジプシー』のタイトル曲の、「ELEGANT GYPSY SUITE」だ。ただし、同アルバムに収録されるヴァージョンではない。それはまだぎこちなさがある。1982年に発売されたライヴ盤『TOUR DE FORCE』の第1曲目に10分にも及ぶ同曲が入っていて、これがライヴ特有の迫力に満ちて、とてもよい。このアルバムが出た当時、NHK-FMで全曲が放送され、それを質のよいテープに録音したものを今でも所有するが、ほとんどテープが擦り減るほど何度も聴いたものだ。ということはもう四半世紀前ということになる。この演奏がいいのは、ドラムスがスィーヴ・ガッド、キーボードにヤン・ハマーという名人を起用しているからでもあるが、スタジオ録音にないバンド全員が一体となったうねりを聞かせてくれて、聴いていて体の中に活力がみなぎる。90年代に入ってからの、秋の夜長に似合うようなムード音楽的なものとは全然違う若さと言い換えてもいい。そのため、本当は春にでも紹介したかったが、ここ数日ディ・メオラを集中してBGMにして仕事をしているので、こうなった。長さ10分の曲と言えば、ジャズではごく普通で、即興演奏主体となればそれでも足りず、たとえばザッパのギター曲でも同様のものが多くある。だが、ザッパのギター曲と決定的に違うのは、バック・バンドのワン・コードの上に長いソロがずっと奏でられるというのではなく、大部分は楽譜に書かれたメロディを中心として、バックの演奏も転調やリズムの変化が激しいことだ。つまり曲は全体的に非常に複雑に構成され、まさに「SUITE」(組曲)となっている。だが、あくまでも1曲として一体化しているので、第1部、2部と分割することは出来ない。この「ELEGANT GYPSY SUITE」はザッパの同時代の曲で言えば、「PUNKY’S WHIPS」を思わせると書いたことがあるが、ザッパはディ・メオラの同曲を聴かないまでも、そのギタリストとしての才能は注目していたであろう。であるからこそ後年に一緒に演奏することもあった。ザッパはディ・メオラが同じイタリア系アメリカ人であることをよく知っていて、その点でも親近感を抱いていて、『エレガント・ジプシー』から3、4年後にはもうそのことをステージで口走ったりしている。だが、ザッパはディ・メオラのように弾くことは出来なかったし、ディ・メオラもザッパのような音楽を書くことは出来なかった。ディ・メオラはピアソラに出会うより前にザッパと面識があったが、ザッパに強くある風刺性を好まなかったのか、ザッパの音楽性と通ずるところはほとんどない。去年だったか、ディ・メオラはスタンリー・クラークとジャン・リュック・ポンティと3人でツアーしたようで、これは10年ちょっと前の共演アルバム以降の再会で、いかにもディ・メオラの音楽上の位置を示すひとつの例と言えるが、その3人の演奏を思い浮かべるとザッパは含められない。それほどにザッパの音楽は孤立した独自のものだ。だが、ディ・メオラの音楽はもっと開放的で、どんなミュージシャンが来てもすぐに一緒に演奏してしまえる雰囲気があるし、実際そうだ。それはジャズ・ミュージシャン特有のさ才能とも言えるが、ディ・メオラ自身が音楽を他の音楽家との対話によってより活力が生まれるものと考えているからだろう。そのものわかりのよさが、とかく軽く見られる原因にもなっていると思うが、一級の職人芸でしか表現出来ない世界というものがあって、それは何十年という歳月を経るほどにますます輝きを見せるものであって、まだまだ進化、深化をし続けるディ・メオラの仕事を注目していたい。そして、速弾きが健在である限り、秋の雨に打たれて萎れる花のような境地の演奏にはなりようがないだろう。
by uuuzen | 2007-10-04 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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